出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2016/05/10 00:16:51」(JST)
この項目では、神話伝説の生き物について説明しています。ロックバンドについては「UNICORN」を、その他の用法については「ユニコーン (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
ユニコーン(英語 : Unicorn, ギリシア語 : Μονόκερως, ラテン語 : Ūnicornuus)は、一角獣(いっかくじゅう)とも呼ばれ、額の中央に一本の角が生えた馬に似た伝説の生き物である。語源はラテン語の ūnus 「一つ」と cornū 「角」を合成した形容詞 ūnicornis (一角の)で、ギリシア語の「モノケロース」[1]から来ている。非常に獰猛であるが人間の力で殺すことが可能な生物で、処女の懐に抱かれておとなしくなるという。角には蛇などの毒で汚された水を清める力があるという。海の生物であるイッカクの角はユニコーンの角として乱獲されたとも言われる。
ユニコーンは、そのほとんどが、ライオンの尾、牡ヤギの顎鬚、二つに割れた蹄[2]を持ち、額の中央に螺旋状の筋の入った一本の長く鋭く尖ったまっすぐな角をそびえ立たせた、紺色の目をした白いウマの姿で描かれた。また、ヤギ、ヒツジ、シカに似た姿で描かれることもあった。角も、必ずしもまっすぐではなく、なだらかな曲線を描くこともあれば、弓なりになって後ろの方へ伸びていることもあり、鼻の上に生えていることもあった。ユニコーンは、山のように大きいこともあれば、貴婦人の膝に乗るほど小さいこともあった。時には様々な動物の体肢を混合させてできた生き物であった。ユニコーンと水には医薬的、宗教的な関係があるため、魚の尾をつけて描かれることもあった。アジアでは時おり翼を生やしていることすらあった。体の毛色も白色、ツゲのような黄褐色、シカのような茶色と変わっていったが、最終的には、再び輝くばかりの白色となった。
中世ヨーロッパの『動物寓意譚』(ベスティアリ, Bestiary, 12世紀)の中で、モノケロースとユニコーンはしばしば同じものとして扱われるが、中にはそれぞれを別のものとして扱うものもある。その場合、モノケロースはたいがいユニコーンより大きく描かれ、角も大きく非常に長い。またモノケロースの挿絵には処女が一緒に描かれていない。
フランスの小説家のフローベール(1821 – 1880)が『聖アントワーヌの誘惑』(La Tentation de saint Antoine, 1874年)第7章の中で一本の角を持つ美しい白馬としてユニコーンを登場させ、現在ではその姿が一般的なイメージとなっている。
ユニコーンは極めて獰猛で、力強く、勇敢で、相手がゾウであろうと恐れずに向かっていくという。足が速く、その速さはウマやシカにも勝る。角は長く鋭く尖っていて強靭であり、どんなものでも突き通すことができたという。例えば、セビリアの教会博士の聖イシドールス(560頃 – 636)が著した『語源集』(Etymologiae, 622 – 623年)第12巻第2章第12 – 13節には、ユニコーンの強大な角の一突きはゾウを殺すことができるとある。このユニコーンとゾウが戦っている挿絵が『クイーン・メアリー詩篇集』(The Queen Mary Psalter, 1310 – 1320年頃、大英図書館蔵)に載っている[3]。また、ドイツのスコラ哲学者、自然科学者のアルベルトゥス・マグヌス(1193頃 – 1280)は『動物について』(De animalibus, 年代不詳)第22巻第2部第1章第106節で、ユニコーンは角を岩で研いで鋭く尖らせて、戦闘に備えているという[4]。ユニコーンを人の力で殺すことはできても、生け捕りにすることはできなかったという。たとえ生きたまま捕らえられたとしても、飼い馴らすことはできず、激しい逆上の中、自殺してしまうという。さらに、アレクサンドリアの修道士、地理学者のコスマス・インディコプレウステース(6世紀)は『キリスト教地誌』(Χριστιανικὴ Τοπογραφία, 6世紀)第11巻第7章の中で、ユニコーンは狩人に取り囲まれ、逃げ道を失った時、断崖から真っ逆さまに身を投げ、その角を地面に突き立てて落下の衝撃を和らげて、逃げると言っている。この逃げ方は、オリックス、アイベックス、ジャコウ・ウシ、アルガリ(盤羊, Ovis ammon)に見られるものである。大ポンペイウス(前106 – 48)はユニコーンをローマに連れて来て見世物にさせたという[5]。
ユニコーンの角には水を浄化し、毒を中和するという不思議な特性があるという。さらに痙攣やてんかんなどのあらゆる病気を治す力を持っているという。この角を求めて人々は危険を覚悟で、ユニコーンを捕らえようとした。グリム童話の『勇ましいちびの仕立て屋』(KHM 20)には、仕立屋が国を荒らすユニコーンを捕まえる場面が出てくる。仕立屋は、ユニコーンを激怒させると素早く樹の後ろに隠れた。そこへ怒り狂うユニコーンが仕立屋をめがけて突進して来るが、その武器である貴重な角をうっかり樹に突き刺してしまう。こうしてユニコーンは、縄で縛られ、王の所に連れて行かれた。エドマンド・スペンサー(1552? – 99)の『神仙女王』(第1章5歌10連)に出て来るライオンも、この方法を使ってユニコーンを出し抜いている。
ユニコーンを捕らえるもう一つの方法は処女の娘を連れて来てユニコーンを誘惑させて捕まえるというものである。不思議なことにユニコーンは乙女に思いを寄せているという。美しく装った生粋の処女をユニコーンの棲む森や巣穴に連れて行き、一人にさせる。すると処女の香りを嗅ぎつけたユニコーンが処女に魅せられ、自分の獰猛さを忘れて、近づいて来る。そして、その処女の膝の上に頭を置き眠り込んでしまう。このように麻痺したユニコーンは近くに隠れていた狩人達によって身を守る術もなく捕まるのである。しかし、もし自分と関わった処女が偽物であることがわかった場合は、激しく怒り狂い、自分を騙した女性を殺してしまうという。
処女を好むことから、ユニコーンは貞潔を表わすものとされ、さらにはイエス・キリストが聖処女マリアの胎内に宿ったことや、角を一本だけ有するユニコーンと「神のひとり子」 (unigentitus) とのアナロジーから、キリストにも譬えられた[6]。しかし一方で、「悪魔」などの象徴ともされ、七つの大罪の一つである「憤怒」の象徴にもなった。レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452 – 1519)は『動物寓意譚』の中で「ユニコーンはその不節制さのために自制することを知らず、美しき処女への愛のために自分の獰猛さと狂暴さを忘れて乙女の膝の上に頭を乗せ、そうして狩人に捕らえられる」と言っている。ここではユニコーンは「不節制」(intemperanza)を象徴するものとされた[7]。フランスの文学者、啓蒙思想家のヴォルテール(1694 – 1778)は『バビロンの王女』(La Princesse de Babylone, 1768年)第3章の中で、ユニコーンを「この世で最も美しい、最も誇り高い、最も恐ろしい、最も優しい動物」(C'est le plus bel animal, le plus fier, le plus terrible et le plus doux qui orne la terre)として描いている。
ユニコーンの角(アリコーン, alicorn[8])には解毒作用があると考えられ、教皇パウルス3世(1468 – 1549)は大枚をはたいてそれを求めたという。また、フランス宮廷では食物の毒の検証に用いられたと伝えられる。言い伝えによれば、ユニコーンの角は毒に触れると無毒化する効果があるとされたが、後に毒物の成分が含まれた食物に触れると、汗をかくとか色が変化するなどの諸説も生まれたようである。
しかしこれらは北海に生息するイッカク(ウニコール)の角(実際には牙である)であった。これにより後々まで、ウニコールの名称で貴重な解毒薬や解熱剤・疱瘡の特効薬として珍重され、イッカククジラの角は多数売買された。しかし一部には、これらウニコールと偽って、セイウチの牙を売る事例も後を絶たなかったようだ。またその一部はオランダ経由で、江戸時代の日本にも輸入されていた。
当時の医学書には、真面目にウニコールの薬効に関しての記述があった程である。特に疱瘡の治療薬という部分に関しては、ペストの流行により、非常に高価であったにもかかわらず、飛ぶように売れたと云う記録も残っている。
これは元々、中国で毒の検知にサイの角を用いたのが伝播の過程で、一部の夢想家によって作り変えられたもののようだが、実際問題として、当時用いられた毒物でも、酸性やアルカリ性の毒物の場合は、動物性タンパク質の変化により、黄変するなりして、毒の検知に役立ったと思われる。また中国ではサイの角の粉末を精力増強剤として扱っているが、興味深いことに、ウニコールが西欧から持ち込まれた際に、龍の角とも蛇の角とも言われ、解毒や毒の検知に非常に珍重されたとのことである。
ヨーロッパにユニコーンを最初に伝えたのは、ギリシアのクニドス島生まれの医師・歴史家、クテシアス(前4世紀後半)である。彼がペルシア王アルタクセルクセス・ムネモン(在位 前404 – 358)の医師を8年間、務めていたときの見聞をもとに書いた『インド誌』(Τα Ἰνδικά, 前390年頃)第45節には、次のように記されている。
インドには、ウマぐらいの大きさか、もしくはそれ以上の大きさの野生のロバがいる。その体は白く、頭は暗赤色で、目は紺色、そして、額に縦 1 キュビット(約 44.46 センチメートル)ほどの長さの一本の角を持つ。角の根元、額から約 2 パーム(約 14.25 センチメートル)の所は純白で、真ん中は黒く、尖った先端は燃えるような深紅色である。角で作った杯を飲用に用いれば、痙攣を起こすことも、てんかんにかかることもなくなり、毒物に対しても免疫効果があり、服毒前もしくは服毒後にこの杯を使って、酒なり、水なり、何がしかの飲み物を飲んでおけばよい。家畜化されたロバ、他国の野生のロバ、その他の単蹄の動物すべてには、アストラガロス[9]も、胆嚢もないが、インドのロバは両方とも持っている。そのアストラガロスは、私が見てきたものの中で、最も美しく、大きさや形はウシのそれに似ている。鉛のように重く、隅々に至るまで肉桂色である。この動物は、非常に力強く、足が速く、ウマを含め、いかなる動物にも追いつかれることはない。初めのうちは、ゆっくりだが、長く走ればそれだけ歩様は驚くほど増し、どんどん速くなる。これを捕まえる唯一の方法は次の通りである。仔を連れて餌場に現れた時を狙い、大勢の騎馬で取り囲めば、仔を見捨てて逃げることはせず、角を突き出して戦い、蹴り上げ、噛みつき、殺し、狩人にもウマにもすさまじい攻撃を仕掛ける。だが結局は矢や投げ槍が当たって死ぬ。生け捕りにすることはできない。その肉はひどく苦く、食すこともままならないので、角とアストラガロスのためだけに狩られる。--クテシアス 『インド誌』第45節
ユニコーンについての最初の記述は、現在のものとほぼ同じである。一本の角、解毒効果、俊敏さと獰猛さ、そして、周到な策を巡らして出し抜かなければ真っ向から向かって行っても捕獲できないということなど、既にこの時代からユニコーンの基本的な特徴についてほとんど記されていることがわかる。しかしクテシアスは実際にはインドに行ったことがなかった。
アリストテレス(前384 – 322)は、クテシアスからの報告を引用して『動物部分論』(Περι ζώων μορίων, 前350年頃)第3巻第2章の中で、次のように述べている。
角のある動物の大部分は先の割れた蹄を持つが、インドロバと呼ばれる動物は単蹄であるにもかかわらず、角があると伝えられている。これらの動物の大部分は、左右二本の角を持つが、中には、たった一本しか角を持たないものもいる。例えば、オリックスといわゆるインドロバで、前者は、先の割れた蹄を持つが、後者は単蹄である。このような動物は頭の真ん中に角が生えている。--アリストテレス 『動物部分論』第3巻第2章
さらに、この後、アリストテレスはユニコーンについての理論まで唱えている。すなわち、インドロバのような単蹄目が一角であることは、双蹄目の動物の場合よりも自然なことであり、それは蹄や爪が角と同じ物質でできているからであり、その原料を蹄に与える場合、その分を角から取ってくることになるからだと言っている。逆に、ウシやシカやヤギなどの角のある動物の大部分は、原料が角に使われるので、双蹄になると言う。しかし、アリストテレスは例外として双蹄だが、一角であるオリックスを挙げている。実際、オリックスは双角であるが、左右の角の付け根が近いので、真横から見ると一本に見えるのである。
同じような事が『動物誌』(Περί ζώων ιστορίας, 前343年頃)第2巻第1章にもあり、単蹄で双角の動物は一つも見られないが、単角で単蹄のものは、インドロバのように少しはあるとし、単角で双蹄のものはオリックスとしている。また、アストラガロスについても述べられており、ここでも、クテシアスの報告が引用されている。
クテシアスの報告から約100年後、もう一人のギリシア人が、今度は実際にインドに旅をした。シリア王セレウコス1世(前358? – 281 / 280)の特派使節メガステネス(前350頃 – 280頃)である。大使としてチャンドラグプタの首都パータリプトラに駐在し、帰国後『インド誌』(Τα Ἰνδικά, 前290年頃)を著す。その中に、インドのユニコーンについての記述があり、彼はこのユニコーンを現地の言葉に従い、「カルタゾーノス」と名付けた。ただし、この獣はクテシアスの一角ロバとは異なった姿をしている。
インドのある地域(私が話すのは最も内陸の地域である)には、人を近寄せない野獣で一杯の山地があり、そこには、イヌ、ヤギ、ウシ、ヒツジといった私達の知っている動物も生息しているが、人に飼い馴らされることなくその辺りを自由に野生のままで歩き回っている。その数は非常に豊富であると、インドの作家も学者も述べ、その事はバラモンも認めているので明らかである。彼によるとここには、現地の人々にカルタゾーノス(καρτάζωνος)と呼ばれる一本の角のある動物がいると言う。十分に成長したウマほどの大きさで、たてがみを持ち、羊毛のような柔らかい毛で黄みがかった赤い色をしている。素晴らしい形状の肢をしており、とても足が速い。その肢は関節がなく、ゾウのようで、尾はブタのように渦巻き状である。角は眉毛の間に生え、滑らかではないが、螺旋状の筋が入っており、色は黒い。その角は非常に鋭く尖っており、強靭であると言われる。私が聞いた話では、この動物はとてつもなく大きく、耳障りな声を出すと言う。他の動物にはやさしく、近づくことを許すが、同種族の動物には好戦的な態度を見せると言う。雄は生まれつき好戦的で、互いに角で激しく突いて戦うだけではなく、雌に対しても敵意のようなものを示すと伝えられており、そこで激しい戦いが、しばしば弱者が死に至るまで繰り広げられる。確かに、体中に強大な力を持ち、その角の力に耐えられるものはいない。閑静な草地で草を食い、単独行動を好む。ただ繁殖期になるとこの獣は雌との付き合いを求め、雌に対してもやさしくなり、それどころか、雌とともに草を食むことすらある。繁殖期が終わり、雌が身ごもると、インドのカルタゾーノスは再び獰猛になり、単独行動をする。幼獣はまだ幼い時にプラシアの王の所へ連れて行かれ、祝典や頌詞の日の見世物で互いを戦わせ力強さを見せると言われる。成獣が今までに捕獲されたことは一度もない。--メガステネス 『インド誌』第15章
メガステネスの報告の中で、角に螺旋状の筋が入っていることが初めて述べられ、のちにユニコーンの古典的イメージの中に入り込んでいく。ユニコーンの鳴き声についても、その後のいくつもの報告の中で受け継がれ、反響を呼ぶことになる。獰猛なユニコーンも、雌がいるとおとなしくなることについて最初に示したのも、メガステネスである。これらの報告は実見に基づいたものではないが、他の人間、とくにバラモンの学者を引き合いに出すことで、正当化している。しかしこの報告の中のゾウの肢とか、ブタの尾などと言った表現は、サイを思わせるものであるが、サイについては別の章で報告されており、そこには、ゾウとの戦いの様子が記されている。ここに記されているサイがその敵の腹を引き裂くという残酷な戦いの記述はのちにユニコーンの性質に転化されることになる。
古代ローマ帝国最大の政治家にして軍人のカエサル(前102 / 100 – 44)は『ガリア戦記』(Commentarii de Bello Gallico, 前52 – 51年)第6巻第26節の中で、ゲルマーニア(Germania, ほぼ現在のドイツ)のヘルキューニアの森(Hercynia Silva, ゲルマーニアにある大森林で現在のドイツ中南部の山岳地帯の総称)に生息するユニコーンについて述べている。
シカの姿をしたウシがいて、その両耳の間の額の中央から一本の角が、我々に知られているものよりも長く、真っ直ぐに突き出ている。その先端は手や枝のように大きく広がっている。雌も雄も特徴は全く同じで、角の形も大きさも同じである。--カエサル 『ガリア戦記』第6巻第26節
しかし、ここに出て来るユニコーンは明らかにヘラジカかトナカイを思わせるが、ヘラジカ(Alces)についてはその後の第27節に記されている[10]。
地理学者ストラボン(前64? – 後21?)は『地誌』(Γεωγραφικά, 年代不詳)第15巻第1章第56節の中で、カフカース(コーカサス)に牡鹿のような頭を持つ一本の角のあるウマがいることを言っている。
古代ローマの博物学者、政治家のプリニウス(22 / 23? – 79)はユニコーンについて、『博物誌』(Naturalis historia, 77年)第8巻第31(21)章第76節の中で、角の解毒効果などの不可思議な現象を述べることなく、慎重に、簡潔にまとめている。
インドには、単蹄で、一本の角を持つウシもいる。それから、アクシス(Cervus axis)という名の野獣は、子鹿のような毛に、多くの白い斑がある。この動物はリーベル神(古いイタリアの神、バックス神と同一視される)にとって神聖なものと見なされ、宗教儀式の際に捧げられる。オルサエアのインド人はサルの一種を追い詰めている。それは全身、白い体である。しかし、最も獰猛な動物はモノケロース(monoceros, 一角獣)と呼ばれる野獣で、牡鹿の頭、ゾウの肢、イノシシの尾を持つが、体のその他の部分はウマの体に似ている。太いうなり声をあげ、2 キュビット(約 88.92 センチメートル)の長さの一本の黒い角が額の真ん中から突き出している。この動物を生け捕りにすることは、不可能だと言われる。--プリニウス 『博物誌』第8巻第31(21)章第76節
ここに出て来る角の長さは、クテシアスの言う一角ロバの二倍である。インドロバについては、第11巻第106(46)章第255節に「角のある動物はみなほとんど蹄が割れており、単蹄で双角の動物はいない。インドロバは一本の角のある唯一の動物で、オリックスは単角であり、双蹄でもある。インドロバは距骨を持つ唯一の単蹄の動物である。」とあり、同じようなことが第11巻第45(37)章第128節にも見られる。いずれもアリストテレスからの引用である。
その後、ユニコーンについてのギリシア人達の報告を後期ローマを通じて中世初期のキリスト教作家達へと伝えたのは古代ローマの著述家プラエネステのアエリアヌス(ギリシア語名 アイリアノス、170頃 – 235)である。彼の著作『動物の特性について』(Περὶ Ζῴων Ἰδιότητος, 220年頃)第3巻第41章と第4巻第52章には、クテシアスを引用しつつも、新たに二、三の細かな点が追加され、より詳しく説明されている。例えば、第3巻第41章では「インドに生息する一本の角のあるウマとロバについて言う。これらの角からインド人達は杯を作り、誰かが致命的な毒を入れ、それをある人が飲んだとしても、その人に害はない。というのはウマの角もロバの角も毒を解毒する力があるからだそうだ。」と言い、クテシアスを引用しながら、新たに一本の角のあるウマを付け加えている。第4巻第52章にも一角のロバとウマが紹介され、アエリアヌスはロバだけを詳しく述べている。内容的にはほとんどクテシアスの報告と同じだが、角の長さはさらに伸びて、1.5 キュビット(約 66.69 センチメートル)の長さとなっている(こういった角の延長は、もっと後代の作家達も時おり行う)。距骨は肉桂色ではなく、隅々まで真っ黒なものとされている。また、ユニコーンの角から作られた杯を使うのは最も身分の高いインド人だけであるということも書かれ、「彼らは金の輪を間隔を置いてその角のまわりにはめ込んだ。それは美しい彫像の腕を帯で飾るようだ」と言っている。この慣習は長い間受け継がれ、ヨーロッパ、ルネサンス期には金銀による装飾を施したユニコーンの角の器が作られた。アエリアヌスの報告で昔から変わらないことは、ユニコーンの足が速いということで、彼は「それを追いかけることは、詩的に言えば、到達不可能なものを追いかけるということである」と言っている。さらに第16巻第20章では、メガステネスの内容を引用してカルタゾーノスについて述べている。
ローマ時代末期に、ギリシアの哲学者、テュアナのアポロニオス(40頃 – 120頃)がユニコーンを目撃していた。そのことが、ギリシアの著作家フィロストラトス2世(170頃 – 247)の『テュアナのアポロニオスの生涯』(Τα εις τον Τυανέα Απολλώνιον, 1 – 2世紀)第3巻第2章に報告されている。それによると、インドを訪れたアポロニオスはヒュファーシスの沼沢池で一本の角を持つ野生のロバを見たと言う。角の解毒効果についても彼は聞いており、彼の弟子がユニコーンの角についてどう考えるべきかと尋ねた時、彼は「インドの王達がここでは不死であると聞けば、私はそれを信じるだろう。というのも、私やあるいは他の者にこのように健康的で治療力のある飲み物を提供できる者が、毎日自分のためにこれを注ぎ、酔いに至るまでこの角の酒杯から飲まないはずがないからだ」と答えている。
3世紀に古代ローマの著述家、文法家のガイウス・ユリウス・ソリヌス(3世紀)はプリニウスの『博物誌』から地誌上の珍奇な事物や事柄を抜粋して集め、記述した著作『奇異なる事物の集成』(Collectanea rerum memorabilium, 250年頃)を発表した。この書は6世紀頃に改訂、増補され、『博物誌』(Polyhistor)として上梓されている。ここにも、ユニコーンについての記述が第52章第39 – 40節にある。
しかし、最も恐ろしいのは、モノケロース(monoceros, 一角獣)で、これは恐ろしいうなり声を上げ、ウマの体、ゾウの肢、ブタの尾、シカの頭を持つ怪物である。その額の中央から、素晴らしい輝きのある一本の角が突き出し、その長さはほぼ 4 ペース(約 118.36 センチメートル)で、それは非常に鋭く、何であろうと一撃で、容易に刺し通す。生きているものを人の力で手に入れることはなく、少なくとも殺すことはできても、捕まえることはできない。--ソリヌス 『奇異なる事物の集成』第52章第39 – 40節
プリニウスと比較してみるといくらかの言葉遣いの違いが見られることがわかる。まず、プリニウスはユニコーン(モノケロース)のことを fera (野獣)と言っているが、ソリヌスは monstrum (怪物)と言っている。こういった誇張した表現はその後も繰り返し使われる。ユニコーンの鳴き声もプリニウスは mugitu gravi (太いうなり声)だが、ソリヌスは mugitu horrido (恐ろしいうなり声)となっている。角の記述にも誇張した表現を見つける。プリニウスは普通の cornu nigrum (黒い角)とあるが、ソリヌスによれば、splendore mirifico (素晴らしい輝きのある)角だと言う。おまけに、角はとにかくとても鋭く、何でも一撃で切断することができるという。角の長さも、4 ペース(約 118.36 センチメートル)まで引き伸ばされている。このソリヌスの記述はのちに中世ヨーロッパの『動物寓意譚』(ベスティアリ, Bestiary, 12世紀)の原典の一つになる。
旧約聖書にもかつてはユニコーンが存在していた。以下にユニコーンが載っていたころの聖書の一つである5世紀のウルガタ聖書からユニコーンが出てくる箇所を列挙する。(括弧内の数字は現在の聖書における詩篇の篇数を示す)
- 神は彼らをエジプトから導き出された、その勇敢さは一角獣のようだ--『民数記』第23章第22節
- 彼の威厳は初子の雄牛のようであり、その角は一角獣のようだ。それで彼は国中の民を突き刺し、その全てを地の果てにまで及ぶ--『申命記』第33章第17節
- 一角獣はあなたに仕え、あなたの飼い葉桶のそばに留まるだろうか。あなたは一角獣に手綱をつけて、畝を作らせることができるだろうか、あるいはあなたに従って谷を耕すだろうか。その力が強いからと言って、あなたはこれに頼むだろうか、またあなたのために働かせるのか。あなたはこれに頼って、あなたの穀物を打ち場に運び帰らせるだろうか--『ヨブ記』第39章第9 – 12節
- 獅子の口から我が身を救いたまえ、一角獣の角から弱き我が身を護りたまえ--『詩篇』第21(22)章第22(21)節
- 主のみ声は香柏を折り砕き、主はレバノンの香柏を折り砕かれる。主はレバノンを子牛のように躍らせ、シリオンを若い一角獣のように躍らせる--『詩篇』第28(29)章第5 – 6節
- しかし、あなたは私の角を一角獣の角のように高く上げ、新しい音を授けられました--『詩篇』第91(92)章第11(10)節
- 主の剣は血で満ち、脂肪で肥え、子羊と山羊の血、雄羊の腎臓の脂肪で肥えている。主がボズラで犠牲の獣をほふり、エドムの地で大いに殺されたからである。一角獣は彼らと共にほふり場に下り、子牛は力ある雄牛と共に下る--『イザヤ書』第34章第6 – 7節
現代の聖書では「一角獣」の箇所が「野牛」と訳されているため「一角獣」という訳語は見つからない。しかし当時はこのように「野牛」ではなくはっきりと「一角獣」と記されていた。紀元前3世紀中葉に古代エジプト王プトレマイオス2世(前308 – 246)の命によってアレクサンドリア近郊のファロス島に送られた72人のユダヤ人学者達は、72日間で原本のヘブライ語旧約聖書をギリシア語に翻訳し、ギリシア語版旧約聖書『七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)』を作った。この時ユダヤ人学者達は原文のヘブライ語の「レ・エム」(רְאֵם, rěēm, 野牛)という単語に「モノケロース」(μονόκερως, monokerõs, 一角獣)、すなわち「一角獣」という訳語を当てた。古代ヘブライ語聖書の中で、レ・エムは「力」を象徴する隠喩として述べられている。ヘブライ伝承でレ・エムは狂暴な、飼いならすことのできない、壮大な力を持った機敏な動物で強力な角を持っているという。これに相当するのがオーロックス(Bos primigenius)である。この見解はアッカド語の「リム」(rimu)から裏付けられる。リムは、力の隠喩として使われ、力強く、獰猛な、大きな角を持つ野牛である。この動物は古代メソポタミア美術の中で、横顔で描かれ、あたかも一本の角を持った牛のように見える。しかしこのころ、「レ・エム」の語に相当する野生の野牛、オーロックスは既に絶滅していて、誰も実物を見ることはできなかった。こうして、この『七十人訳聖書』から、ユニコーンは聖書の中に入った。ラテン語訳聖書『ウルガタ聖書』(405年ごろ完成?)はこれを引き継いだ。382年の教皇ダマスス(在位 366 – 384)の命により、当時の大学者聖ヒエロニムス(342? – 420)が中心となって完成させた。従来のラテン語訳聖書の大改訂版である。彼は「一角獣」を表すのに三つの単語を並列的に使った。すなわちギリシア語の「モノケロース」(monoceros, 一角獣)、「リノケロース」(rinoceros[11], 鼻の上に角を持つ者、犀)、そしてラテン語の「ウーニコルニス」(unicornis, 一角獣)を無作為に用いた。この使用は何百年もの間、慣習的なものであり続けた。ルター(1483 – 1546)も『七十人訳聖書』や『ウルガタ聖書』と同様に訳した。イギリス国王ジェームズ1世(在位 1603 – 25)の命によって、五十数人の聖職者や学者からなる翻訳委員が、1607年から11年の間に完成させた英訳聖書『欽定訳聖書(ジェームズ王の翻訳聖書)』(1611年)では、「ユニコーン」(unicorn, 一角獣)という訳語が使われた。実際にはサイやレイヨウに比定され、キュヴィエ(1769 – 1832)はその存在を否定した。
原文のヘブライ語聖書では、一度だけ額に一本の角の生えた動物が出てくる。預言者ダニエルが自分がスサの城砦に誘拐される幻想について語る『ダニエル書』第8章である。しかし、この無敵の一角獣も現在では「野牛」と訳されてしまっている。ダニエルはベルシャザル第3年にウライ川のほとりで二本の角のある雄羊を幻視する。
私が目を上げて見ると、見よ、一頭の雄羊が川(ウライ川)の前に立っているのが見えた。それには二本の角が生えており、二本とも長いが、片方はもう片方より長く、長い方は後から伸びたものであった。私は、その雄羊が西に、北に、南に突き進むのを見た。いかなる獣もこの雄羊には太刀打ちできず、その手から救い出せる者もいなかった。そして、この獣は自分の欲することをなし、大いに高ぶった。--『ダニエル書』第8章第3 – 4節
そこへ西から一頭の雄山羊がやって来た。
そして、私がずっと思い巡らしていると、見よ、一頭の雄山羊が西の方から全地の表を飛び渡って来たが、その肢は土を踏まなかった。これは目の間に堂々たる一本の角を持っていた。そしてこの雄山羊は、二本の角を持つ雄羊の所までやって来た。雄山羊は猛烈な怒りを抱いて雄羊に向かって走って来た。そして私は雄山羊と雄羊がぶつかり合うのを見た。雄山羊は雄羊に対して激しい敵意を示し、これを打ち倒して、二本の角を折ったが、雄羊は立ち打つことができなかった。こうして雄羊を地に投げ倒し、踏みつけたが、その手から救い出せる者はいなかった。そして、その雄山羊は大いに高ぶった。しかしこの雄山羊が最強になったとき、その大いなる角は折れ、四本の堂々たる角が生え、天の四方の風に向かった。--『ダニエル書』第8章第5 – 8節
この幻視はこの後、ある声によって預言者ダニエルに、「ギリシアの王」すなわちアレクサンドロス3世(大王)によるメディア王国とペルシア帝国の破滅を意味するものと告げられる。つまり強大な角を持つ雄山羊の最初の一本の角はアレクサンドロス大王を表し、その後に生えた四本の角はアレクサンドロスの後継者を名乗るディアドコイの王たちを表している。
ユニコーンは飼い馴らしのきかない、たいへん凶暴な、無敵の、それゆえに自らの力を過信する傲慢な野獣だった。ユダヤ神話系の話が残る東欧の民話には高慢な性格のユニコーンが出てくる。その一つのポーランド民話ではユニコーンは大洪水以前の動物とされている。
ノアがあらゆる獣のつがいを方舟に入れた時、ユニコーンもまた受け入れた。ところがユニコーンは他の獣を見境もなく突いたので、ノアは躊躇なくユニコーンを水の中に投げ込んだ。だから今ではユニコーンはいない。--『ポーランド民話』
小ロシア民話でもユニコーンはこれと似たようなことをしている。自らの傲慢さのために自滅してしまうのである。
ノアが全ての獣を方舟に受け入れたとき、獣達はノアに服従した。ユニコーンだけがそうしなかった。ユニコーンは自らの力を信じ、「私は泳いでみせる」と言った。四十の昼と夜の間、雨が降った。鍋の中のように水は煮え立ち、あらゆる高みが水に覆われた。そして方舟の舷側にしがみついていた鳥たちは、方舟が傾くと沈んでしまうのであった。しかし、かのユニコーンは泳ぎに泳いでいた。だが鳥達がユニコーンの角に止まったとき、ユニコーンは水中に没してしまった。だからユニコーンは今日ではもう存在しないのだ。--『小ロシア民話』
1576年に印刷された絵入り聖書にトビーアス・シュティマー(Tobias Stimmer, 1539 – 1584)が描いた木版画には、ユニコーンのつがいがその高慢さから、方舟に背を向けて、あとに残る様子が描かれている[12]。
ユニコーンのヨーロッパ伝承の三つ目の経路は、初期のキリスト教徒達の教本となった『フィシオロゴス』(Φυσιολόγος, 「自然を知る者、博物学者」)と呼ばれる博物誌である。この書は、動物(空想上の動物を含む)、植物、鉱物を紹介して宗教上、道徳上の教訓が、『旧約聖書』、『新約聖書』からの引用によって表現されているものであり、のちの中世ヨーロッパで広く読まれる『動物寓意譚』の原典になったと言われるものである。原本はギリシア語で書かれ、各章には、まず聖書の言葉が述べられ、その後にその生き物についての自然科学的な解説が続き、最後には道徳的な教えが述べられている。その第22章では以下のように書かれている。
詩篇作家(ダヴィデ)は言う。「主は私の角をモノケロース(一角獣)の角のように高く上げられる(『詩篇』第92章第10節)」と。フィシオロゴス(博物学者)はモノケロースが次のような性質を持つと言う。モノケロースは小さな獣で雄ヤギぐらいだが、途方もない勇気の持ち主であり、非常に力強いため、狩人も近づくことができない。それは頭の真ん中に一本の角を持っている。
さてどうしたらこれを捕まえられるだろうか。美しく装った汚れのない処女を近くに連れて来ると、それは彼女の膝に飛び乗って来る。そこで彼女はそれを飼い馴らし、王たちの宮殿へ連れて行くのである。
この生き物は、わが救世主の姿に引き写すことができる。なぜか。私達の父の角がダヴィデの家から蘇り、救いの角となられた(『ルカによる福音書』第1章第69節)。天使の力ずくでは、彼を打ち負かすことはできなかった(『ペテロの手紙一』第3章第22節)。彼は真実かつ純潔な処女マリアの胎内に宿った(キリストの受肉)。言葉は肉となり、私達の内に宿ったのである(『ヨハネによる福音書』第1章第14節)。--『フィシオロゴス』第22章
『フィシオロゴス』に載っているユニコーンの姿は古典文学の作家達が言うようなものと全く異なり、ウマでもロバでもなく、メガステネスの言うゾウの肢も持っていない。さらに、ユニコーンは処女によってのみ捕まえることができるという伝説も生まれた。この伝説の起源は、紀元前2000年頃に古代オリエントで成立したと言われる『ギルガメシュ叙事詩』にあると考えられている。ここに出て来る半獣半人のエンキドゥには一本の角は生えていないが、物語の構造は処女がユニコーンを誘惑する話とよく似ている。エンキドゥは、ウルクの王ギルガメシュの暴虐を鎮めるために神々の命により、女神アヌンナキによって土から作られた。しかし作られたばかりのエンキドゥは、獣たちとともに暮らしてばかりいたため、宮仕えの遊女、つまり神聖娼婦が派遣され、彼を誘惑し、六日と七晩の間交わい合い、獣達から引き離し、本来の目的地、王都ウルクへと連れていく。そこでギルガメシュとエンキドゥは激しく戦うが、やがて和解し両者は盟友となる。
この形式の神話はその後、インドへと伝わり、変形され、4世紀のサンスクリット文学の『マハーバーラタ』第3巻第110 – 113章に出て来るリシュヤシュリンガ(ऋष्यशृंग, 「鹿の角を持つ者」)の説話の形式をとる。梵仙(カーシャパ)ヴィヴァーンダカが湖畔で修行をしていると天女ウルヴァシーが舞い降りて来た。ヴィヴァーンダカは彼女の美しさに見とれて思わず精を漏らしてしまった。ところがそばで水を飲んでいた牝鹿がこれを一緒に飲み込んでしまい、やがて一人の息子を生んだ。この息子は人間の姿をしていたが、額の中央に一本の角が生えていた。それゆえ彼は「リシュヤシュリンガ」(鹿角仙人)と呼ばれた。彼は父の他は人間を目にすることなく、修行を積んだ。さてこの頃、アンガ国は12年間に及ぶ大旱魃に苦しんでいた。ある時アンガ国王ローマパーダの夢枕にインドラ神が立ち、リシュヤシュリンガを王都に連れて来れば旱魃は止むであろうと告げる。そこで王は大仙のもとへ遊女(または王女)を派遣する。女性達は父以外の人間を見たことのないリシュヤシュリンガをまんまと誘惑し、王都に連れて来る。大仙が王都に足を踏み入れるや大雨が降り、旱魃は解消する。このリシュヤシュリンガの遊女による誘惑と災厄の解消が西へ伝わり、ユニコーンの処女による捕獲、角による解毒と形を変え、『フィシオロゴス』からヨーロッパに伝わっていった。
聖バシリウス(330頃 – 379)が書いたと言われている後代の『フィシオロゴス』には、『詩篇』第22章第21節の中でダヴィデがユニコーンからの魂の救いを祈っている詩篇について次のように述べている。「一角獣は人間に対して悪意を抱いている。一角獣は人間を追いかけ、人間に追いつくや、その角で人間を突き刺し、食べてしまうのである……よいか、人間よ、汝は一角獣から、すなわち悪魔から身を守らねばならぬ。なぜなら、悪魔は人間に悪意を持ち、人間に邪悪なることをなすためにこそ送られて来たのだから。昼も夜も悪魔はうろつきまわり、その詭弁で人間を貫き通しては、神の掟から人間を引き離すのだ」このようにユニコーンは救世主の象徴であると同時にその敵対者の悪魔の象徴でもあった。中世ではこのような「両義性」というのは珍しいことではなかった。バシリウスの『フィシオロゴス』にはゾウとユニコーンの友情の話も載っている。「ゾウには関節がないので、木に寄り掛かって眠る習性を持つ。そこで狩人達がその木に切り込みを入れておくと、ゾウは大きなうなり声をあげながら木とともにひっくり返る(カエサルの著作『ガリア戦記』第6巻第27節では関節のないヘラジカが同じように狩られる)。隠れていた場所から狩人達が急ぎやって来て、無防備に横たわるゾウの顎から象牙を引っこ抜き、急いで逃げてしまう。それは狩人達がユニコーンに急襲され、その餌食とならないようにするためである。しかしユニコーンの到着が間に合えば、ユニコーンは倒れたゾウの傍らにひざまずき、その体の下に角を差し入れ、ゾウを立たせるのである」ここでもまたユニコーンは救世主の象徴となっている。つまり「われらが主イエス・キリストは王者の角として表されている。われらすべての者の王は人間が倒れているのを、そしてその人間が慈悲に値するのをご覧になると、そこへやって来られ、その者を抱き起こすのである」この『フィシオロゴス』はアレゴリーに重点を置きユニコーン自体ではなく、その性質からたとえられている。「ユニコーンは良き性質と悪しき性質を持っている。良き性質はキリストおよび聖人にたとえられ、悪しき性質は悪魔や悪しき人間にたとえられる」
ユニコーンに関する話を載せた『フィシオロゴス』の断片はもう一つある。「ある地方に大きな湖があって、野の獣達が水を飲もうと集まる。しかし動物達が集まる前に、ヘビが這い寄って来て、水に毒を吐く。動物達は毒を感じると、もう飲もうとしない。彼らはユニコーンを待っているのである。そしてそれはやって来る。ユニコーンはまっすぐ水の中まで入る。そうして角で十字を切ると、もう毒の力は消え失せて、彼は水を飲む。他の動物達もみんな飲む」ギリシア人達がインドから聞き伝えた角の解毒作用が再び登場している。
バールラームがヨサファートの洗礼の心構えのために話した寓話の中に、人を追いかける獰猛なユニコーン(当初はサイだったかもしれない)が出て来る[13]。この伝説が語られる異本は13 – 14世紀の聖人伝集のいくつかに存在する。また、ボーヴェのヴァンサン(1190ごろ – 1264)の『自然の鏡』(1245 / 50年)のような百科事典的な作品にもある。以下に述べるのは、ジェノヴァ大司教ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230ごろ – 98)が13世紀に書いた『黄金伝説』(Legenda aurea, 1267年ごろに完成)の第174章 「聖バルラームと聖ヨサパト」の中のものである。
昔、セナールという国の近くの砂漠にバールラームという名の男が住んでいた。彼は多くのたとえ話をして、この世の偽りの快楽に陥らぬよう人々に説教を行っていた。このようなわけで、彼はある男のことについて語った。その男はユニコーンに食べられないようにと、男を食べようとしているユニコーンから急いで逃げようとして、深淵(または井戸)に落ちてしまう。それでも男は灌木の枝につかまることができた。だが、彼の足は滑りやすく、もろい場所に置かれていた。怒り狂うユニコーンが上から男を見下ろしている一方で、男の下の方には恐ろしいドラゴンが火を吹き、口を大きく開けて、男が落ちてくるのを待っているのが見えた。さらに滑りやすい足場の四方からは、四匹のヘビが体を伸ばし、頭を突き出していて、男がつかまっている灌木の根元には、黒いネズミと白いネズミの二匹が根元をかじっており、今にも引きちぎれそうであった。ところが男が上を見上げると、灌木の小枝から蜜が一滴垂れているのが目に入った。そこで男は自分の身に迫るあらゆる危機を忘れて、その蜜の甘さに束の間酔いしれるのである。このユニコーンというのは、人間を至る所追いかけて来る死である。深淵はこの世であり、あらゆる災いに満ちている。灌木は人間の命を意味し、それを昼と夜という時間が白と黒のネズミのようにかじっており、必ず落下することになる。四匹のヘビは身体を表しており、身体は四元素から成り、その秩序が乱れたとき、四元素は解体せざるを得ない。ドラゴンは人間を今にも飲み込もうとしている地獄の入り口である。しかし、蜜は、この世のはかない快楽である。この快楽に人間はふけり、全ての危機を忘れるのだ。--ヤコブス・デ・ウォラギネ 『黄金伝説』 第174章 「聖バールラームと聖ヨサファート」
このたとえ話では『詩篇』第22章第21節のユニコーンのようにいついかなるところでも人間に追い迫ってくる「死」の象徴と考えられていた。後代の『フィシオロゴス』のユニコーンが人間を追いかけ、人間に追いつくと食べてしまうという話の出所は、この話ではないかといわれている。
スコットランド王家の象徴にもなっており、グレートブリテン王国成立以後、現在のイギリス王家の大紋章には、ユニコーンがシニスターに、イングランド王家の紋章にも用いられているレパード(獅子)がデキスターにサポーターとして描かれている。
ロンドンの薬局協会の紋章には、二頭の金のユニコーンがサポーターとして描かれているが、ライオンの尾ではなくウマの尾である[14]。
シエナのパリオ祭には、ユニコーンの紋章を持つコントラーダ(小地区)がある。
ユニコーンは古代にヨーロッパに住んでいたケルト民族がキリスト教の伝来以前に信仰していた、ドルイド教の民間伝承として伝えられた怪物とも考えられている。
ケルトにもともとユニコーンの伝承があったとされることもあるが、実際には存在しないようである。しかし近い地域においてイッカクの角(正確には顎の骨、牙)がユニコーンの角とされていたりもした。
したがってユニコーンの伝承は、周辺地域における角を持つ動物(サイ、オリックス、オーロックス、アイベックス、ヘラジカ、トナカイ、イッカクなど)の逸話がヨーロッパに伝わって一つに統合された結果であると考えることができる。
ウィキメディア・コモンズには、ユニコーンに関連するメディアがあります。 |
|
The gentle and pensive maiden has the power to tame the unicorn, fresco, probably by Domenico Zampieri, c. 1602 (Palazzo Farnese, Rome)
|
|
Grouping | Mythology |
---|---|
Similar creatures | Qilin, Re'em, Indrik, Shadhavar, Camahueto, Karkadann |
Mythology | Worldwide |
Other name(s) | Monocerus |
The unicorn is a legendary creature that has been described since antiquity as a beast with a large, pointed, spiraling horn projecting from its forehead. The unicorn was depicted in ancient seals of the Indus Valley Civilization and was mentioned by the ancient Greeks in accounts of natural history by various writers, including Ctesias, Strabo, Pliny the Younger, and Aelian.[1] The Bible also describes an animal, the re'em, which some translations have erroneously rendered with the word unicorn.[1]
In European folklore, the unicorn is often depicted as a white horse-like or goat-like animal with a long horn and cloven hooves (sometimes a goat's beard). In the Middle Ages and Renaissance, it was commonly described as an extremely wild woodland creature, a symbol of purity and grace, which could only be captured by a virgin. In the encyclopedias its horn was said to have the power to render poisoned water potable and to heal sickness. In medieval and Renaissance times, the tusk of the narwhal was sometimes sold as unicorn horn.
Unicorns are not found in Greek mythology, but rather in the accounts of natural history, for Greek writers of natural history were convinced of the reality of unicorns, which they located in India, a distant and fabulous realm for them. The earliest description is from Ctesias, who in his book Indika ("On India") described them as wild asses, fleet of foot, having a horn a cubit and a half (700 mm, 28 inches) in length, and colored white, red and black.[2] Aristotle must be following Ctesias when he mentions two one-horned animals, the oryx (a kind of antelope) and the so-called "Indian ass".[3][4] Strabo says that in the Caucasus there were one-horned horses with stag-like heads.[5] Pliny the Elder mentions the oryx and an Indian ox (perhaps a rhinoceros) as one-horned beasts, as well as "a very fierce animal called the monoceros which has the head of the stag, the feet of the elephant, and the tail of the boar, while the rest of the body is like that of the horse; it makes a deep lowing noise, and has a single black horn, which projects from the middle of its forehead, two cubits [900 mm, 35 inches] in length."[6] In On the Nature of Animals (Περὶ Ζῴων Ἰδιότητος, De natura animalium), Aelian, quoting Ctesias, adds that India produces also a one-horned horse (iii. 41; iv. 52),[7][8] and says (xvi. 20)[9] that the monoceros (Greek: μονόκερως) was sometimes called cartazonos (Greek: καρτάζωνος), which may be a form of the Arabic karkadann, meaning "rhinoceros".
Cosmas Indicopleustes, a merchant of Alexandria who lived in the 6th century, made a voyage to India and subsequently wrote works on cosmography. He gives a description of a unicorn based on four brass figures in the palace of the King of Ethiopia. He states, from report, that "it is impossible to take this ferocious beast alive; and that all its strength lies in its horn. When it finds itself pursued and in danger of capture, it throws itself from a precipice, and turns so aptly in falling, that it receives all the shock upon the horn, and so escapes safe and sound."[10][11]
A one-horned animal (which may be just a bull in profile) is found on some seals from the Indus Valley Civilization.[12] Seals with such a design are thought to be a mark of high social rank.[13]
Medieval knowledge of the fabulous beast stemmed from biblical and ancient sources, and the creature was variously represented as a kind of wild ass, goat, or horse.
The predecessor of the medieval bestiary, compiled in Late Antiquity and known as Physiologus (Φυσιολόγος), popularized an elaborate allegory in which a unicorn, trapped by a maiden (representing the Virgin Mary), stood for the Incarnation. As soon as the unicorn sees her, it lays its head on her lap and falls asleep. This became a basic emblematic tag that underlies medieval notions of the unicorn, justifying its appearance in every form of religious art. Interpretations of the unicorn myth focus on the medieval lore of beguiled lovers,[citation needed] whereas some religious writers interpret the unicorn and its death as the Passion of Christ. The myths refer to a beast with one horn that can only be tamed by a virgin; subsequently, some writers translated this into an allegory for Christ's relationship with the Virgin Mary.
The unicorn also figured in courtly terms: for some 13th century French authors such as Thibaut of Champagne and Richard de Fournival, the lover is attracted to his lady as the unicorn is to the virgin. With the rise of humanism, the unicorn also acquired more orthodox secular meanings, emblematic of chaste love and faithful marriage. It plays this role in Petrarch's Triumph of Chastity, and on the reverse of Piero della Francesca's portrait of Battista Strozzi, paired with that of her husband Federico da Montefeltro (painted c 1472-74), Bianca's triumphal car is drawn by a pair of unicorns.[14]
The Throne Chair of Denmark is made of "unicorn horns" – almost certainly narwhal tusks. The same material was used for ceremonial cups because the unicorn's horn continued to be believed to neutralize poison, following classical authors.
The unicorn, tamable only by a virgin woman, was well established in medieval lore by the time Marco Polo described them as "scarcely smaller than elephants. They have the hair of a buffalo and feet like an elephant's. They have a single large black horn in the middle of the forehead... They have a head like a wild boar's… They spend their time by preference wallowing in mud and slime. They are very ugly brutes to look at. They are not at all such as we describe them when we relate that they let themselves be captured by virgins, but clean contrary to our notions." It is clear that Marco Polo was describing a rhinoceros.[citation needed] In German, since the 16th century, Einhorn ("one-horn") has become a descriptor of the various species of rhinoceros.
The horn itself and the substance it was made of was called alicorn, and it was believed that the horn holds magical and medicinal properties. The Danish physician Ole Worm determined in 1638 that the alleged alicorns were the tusks of narwhals.[15] Such beliefs were examined wittily and at length in 1646 by Sir Thomas Browne in his Pseudodoxia Epidemica.[16]
False alicorn powder, made from the tusks of narwhals or horns of various animals, has been sold in Europe for medicinal purposes as late as 1741.[17] The alicorn was thought to cure many diseases and have the ability to detect poisons, and many physicians would make "cures" and sell them. Cups were made from alicorn for kings and given as a gift; these were usually made of ivory or walrus ivory. Entire horns were very precious in the Middle Ages and were often really the tusks of narwhals.[18]
One traditional method of hunting unicorns involved entrapment by a virgin.
In one of his notebooks Leonardo da Vinci wrote:
The unicorn, through its intemperance and not knowing how to control itself, for the love it bears to fair maidens forgets its ferocity and wildness; and laying aside all fear it will go up to a seated damsel and go to sleep in her lap, and thus the hunters take it.[19]
The famous late Gothic series of seven tapestry hangings The Hunt of the Unicorn are a high point in European tapestry manufacture, combining both secular and religious themes. The tapestries now hang in the Cloisters division of the Metropolitan Museum of Art in New York City. In the series, richly dressed noblemen, accompanied by huntsmen and hounds, pursue a unicorn against mille-fleur backgrounds or settings of buildings and gardens. They bring the animal to bay with the help of a maiden who traps it with her charms, appear to kill it, and bring it back to a castle; in the last and most famous panel, "The Unicorn in Captivity", the unicorn is shown alive again and happy, chained to a pomegranate tree surrounded by a fence, in a field of flowers. Scholars conjecture that the red stains on its flanks are not blood but rather the juice from pomegranates, which were a symbol of fertility. However, the true meaning of the mysterious resurrected unicorn in the last panel is unclear. The series was woven about 1500 in the Low Countries, probably Brussels or Liège, for an unknown patron. A set of six engravings on the same theme, treated rather differently, were engraved by the French artist Jean Duvet in the 1540s.
Another famous set of six tapestries of Dame à la licorne ("Lady with the unicorn") in the Musée de Cluny, Paris, were also woven in the Southern Netherlands before 1500, and show the five senses (the gateways to temptation) and finally Love ("A mon seul desir" the legend reads), with unicorns featured in each piece. Facsimiles of these unicorn tapestries are currently being woven for permanent display in Stirling Castle, Scotland, to take the place of a set recorded in the castle in a 16th-century inventory.
A rather rare, late-15th-century, variant depiction of the hortus conclusus in religious art combined the Annunciation to Mary with the themes of the Hunt of the Unicorn and Virgin and Unicorn, so popular in secular art. The unicorn already functioned as a symbol of the Incarnation and whether this meaning is intended in many prima facie secular depictions can be a difficult matter of scholarly interpretation. There is no such ambiguity in the scenes where the archangel Gabriel is shown blowing a horn, as hounds chase the unicorn into the Virgin's arms, and a little Christ Child descends on rays of light from God the Father. The Council of Trent finally banned this somewhat over-elaborated, if charming, depiction,[20] partly on the grounds of realism, as no one now believed the unicorn to be a real animal.
Shakespeare scholars describe unicorns being captured by a hunter standing in front of a tree, the unicorn goaded into charging; the hunter would step aside the last moment and the unicorn would embed its horn deeply into the tree (See annotations[21] of Timon of Athens, Act 4, scene 3, c. line 341: "wert thou the unicorn, pride and wrath would confound thee and make thine own self the conquest of thy fury".
In heraldry, a unicorn is often depicted as a horse with a goat's cloven hooves and beard, a lion's tail, and a slender, spiral horn on its forehead[22] (non-equine attributes may be replaced with equine ones, as can be seen from the following gallery). Whether because it was an emblem of the Incarnation or of the fearsome animal passions of raw nature, the unicorn was not widely used in early heraldry, but became popular from the 15th century.[22] Though sometimes shown collared and chained, which may be taken as an indication that it has been tamed or tempered, it is more usually shown collared with a broken chain attached, showing that it has broken free from its bondage.
In heraldry the unicorn is best known as the symbol of Scotland. The unicorn was chosen because it was seen as a proud and haughty beast which would rather die than be captured, just as Scots would fight to remain sovereign and unconquered.[23] Two unicorns supported the royal arms of the King of Scots, and since the 1707 union of England and Scotland, the royal arms of the United Kingdom have been supported by a unicorn along with an English lion. Two versions of the royal arms exist: that used in Scotland gives more emphasis to the Scottish elements, placing the unicorn on the left and giving it a crown, whereas the version used in England and elsewhere gives the English elements more prominence.
Golden coins known as the unicorn and half-unicorn, both with a unicorn on the obverse, were used in Scotland in the 15th and 16th century. In the same realm, carved unicorns were often used as finials on the pillars of Mercat crosses, and denoted that the settlement was a royal burgh. Certain noblemen such as the Earl of Kinnoull were given special permission to use the unicorn in their arms, as an augmentation of honour.[23]
Unicorns as heraldic charges:
Arms of Líšnice, Czech Republic
Unicorns as supporters:
Royal arms of Queen Elizabeth II, as used in England
Royal arms of Queen Elizabeth II as used in Scotland
Coat of arms of Nova Scotia
Arms of the Scottish county of Fife
Hunts for an actual animal as the basis of the unicorn myth, accepting the conception of writers in Antiquity that it really existed somewhere at the edge of the known earth, have added a further layer of mythologizing about the unicorn. These have taken various forms, interpreted in a scientific, rather than a wonder-filled manner, to accord with modern perceptions of reality.
Among numerous finds of prehistoric bones found at Unicorn Cave in Germany's Harz Mountains, some were selected and reconstructed by the mayor of Magdeburg, Otto Von Guericke, as a unicorn in 1663 (illustration, right). Guericke's so-called unicorn had only two legs, and was constructed from fossil bones of a woolly rhinoceros and a mammoth, with the horn of a narwhal. The skeleton was examined by Gottfried Leibniz, who had previously doubted the existence of the unicorn, but was convinced by it.[24]
Baron Georges Cuvier maintained that, as the unicorn was cloven-hoofed, it must therefore have a cloven skull (making the growth of a single horn impossible); as if to disprove this, Dr. W. Franklin Dove, a University of Maine professor, artificially fused the horn buds of a calf together, creating the external appearance of a one-horned bull.[25]
The first objects unearthed from Harappa and Mohenjo-Daro, major sites of the Indus Valley Civilization, were small stone seals inscribed with elegant depictions of animals, including a unicorn-like figure, and marked with Indus script writing which still baffles scholars. These seals are dated back to 2500 B.C.[26]
The "unicorn" figures on the seals have been interpreted as representations of aurochs—a type of large wild cattle that formerly inhabited Europe, Asia and North Africa—or derivatives of aurochs. It is suggested that as the animal is always shown in profile, only one of the two horns is seen.[27]
One suggestion is that the unicorn is based on the extinct rhinocerus species Elasmotherium, a huge Eurasian mammal native to the steppes, south of the range of the woolly rhinoceros of Ice Age Europe. Elasmotherium looked little like a horse, but it had a large single horn in its forehead. It became extinct about the same time as the rest of the glacial age megafauna.[28]
However, according to the Nordisk familjebok (Nordic Familybook) and science writer Willy Ley the animal may have survived long enough to be remembered in the legends of the native European peoples as a huge black bull with a single horn in the forehead.
In support of this claim, it has been noted that the 13th century traveller Marco Polo claimed to have seen a unicorn in Java, but his description makes it clear to the modern reader that he actually saw a Javan rhinoceros.
More recent findings seem to place humans and the Siberian elasmotherium in the same area at the same time.[29] The fragmentary skull of an Elasmotherium sibiricum was found in Kazakhstan and carbon-dated in 2015 as ca. 30,000 years old.[30] Skulls of modern humans found in the same area date back up to 45,000 years, this meaning that our species and this type of mammal possibly coexisted in Western Siberia for thousands of years.[29]
The connection that is sometimes made with a single-horned goat derives from the vision of Daniel:
And as I was considering, behold, a he-goat came from the west over the face of the whole earth, and touched not the ground: and the goat had a notable horn between his eyes. (Daniel 8:5)
Neo-Pagan antiquities researcher Timothy Zell and his wife Morning Glory also produced artificial unicorns dubbed "the Living Unicorn", remodelling the "horn buds" of goat kids in such a way that their horns grew together into a single one.[31] Zell theorized that this process might have been used in the past to create court curiosities and natural herd leaders, because the goat was able to use this long straight horn effectively as a weapon and a tool. Medieval art often depicts unicorns as small, with cloven hooves and beards, sometimes resembling goats more than horses with horns. This process is possible only with animals that naturally have horns. For a time, a few of these unicorns travelled with the Ringling Brothers Circus.[32]
The unicorn horns often found in cabinets of curiosities and other contexts in Medieval and Renaissance Europe, were very often examples of the distinctive straight spiral single tusk of the narwhal (Monodon monoceros), an Arctic cetacean, as Danish zoologist Ole Worm established in 1638.[33] They were brought south as a very valuable trade, and sold as horns from the legendary unicorn; being of ivory, they passed the various tests intended to spot fake unicorn horns.[34] As these 'horns' were considered to have magic powers, Vikings and other northern traders were able to sell them for many times their weight in gold. Elizabeth I of England kept a "unicorn horn" in her cabinet of curiosities, brought back by Arctic explorer Martin Frobisher on his return from Labrador in 1577.[35] The usual depiction of the spiral unicorn horn in art, derives from these.
The truth of the tusk's origin developed gradually during the Age of Exploration, as explorers and naturalists began to visit regions themselves. In 1555, Olaus Magnus published a drawing of a fish-like creature with a "horn" on its forehead.
The oryx is an antelope with two long, thin horns projecting from its forehead. Some have suggested that seen from the side and from a distance, the oryx looks something like a horse with a single horn (although the 'horn' projects backward, not forward as in the classic unicorn). Conceivably, travellers in Arabia could have derived the tale of the unicorn from these animals. However, classical authors seem to distinguish clearly between oryxes and unicorns. The Peregrinatio in terram sanctam, published in 1486, was the first printed illustrated travel-book, describing a pilgrimage to Jerusalem, and thence to Egypt by way of Mount Sinai. It featured many large woodcuts by Erhard Reuwich, who went on the trip, mostly detailed and accurate views of cities. The book also contained pictures of animals seen on the journey, including a crocodile, camel, and unicorn—presumably an oryx, which they could easily have seen on their route.
In Southern Africa, the eland has somewhat mystical or spiritual connotations, perhaps at least partly because this very large antelope will defend itself against lions and is able to kill these fearsome predators. Eland are very frequently depicted in the rock art of the region, which implies that they were viewed as having a strong connection to the other world, and in several languages the word for eland and for dance is the same; significant because shamans used dance as their means of drawing power from the other world. Eland fat was used when mixing the pigments for these pictographs, and in the preparation of many medicines.
This special regard for the eland may well have been picked up by early travellers. There is a purported unicorn horn in the castle of the chief of the Clan MacLeod in Scotland, which has been identified as that of an eland.[citation needed]
A new possibility for the inspiration of the unicorn came in 2008 with the discovery of a roe deer in Italy with a single antler. Single-antlered deer are not uncommon; however, the placement of the horn in the middle is very unusual. Fulvio Fraticelli, scientific director of Rome's zoo, has said "Generally, the horn is on one side (of the head) rather than being at the center. This looks like a complex case." [36] Fraticelli also acknowledges that the placement of the antler could have been the result of some type of trauma in the life of the deer.
Antlers are not horns, although this distinction was not always made historically.
An animal called the re’em (Hebrew: רְאֵם) is mentioned in several places in the Hebrew Bible, often as a metaphor representing strength. "The allusions to the re'em as a wild, un-tamable animal of great strength and agility, with mighty horn or horns (Job xxxix. 9–12; Ps. xxii. 21, xxix. 6; Num. xxiii. 22, xxiv. 8; Deut. xxxiii. 17; comp. Ps. xcii. 11), best fit the aurochs (Bos primigenius). This view is supported by the Assyrian rimu, which is often used as a metaphor of strength, and is depicted as a powerful, fierce, wild mountain bull with large horns."[37] This animal was often depicted in ancient Mesopotamian art in profile, with only one horn visible.
The translators of the Authorized King James Version of the Bible (1611) followed the Greek Septuagint (monokeros) and the Latin Vulgate (unicornis)[38] and employed unicorn to translate re'em, providing a recognizable animal that was proverbial for its un-tamable nature. The American Standard Version translates this term "wild ox" in each case.
The classical Jewish understanding of the Bible did not identify the Re'em animal as the unicorn. However, some rabbis in the Talmud debate the proposition that the Tahash animal (Exodus 25, 26, 35, 36 and 39; Numbers 4; and Ezekiel 16:10) was a domestic, single-horned kosher creature that existed in Moses' time, or that it was similar to the keresh animal described in Morris Jastrow's Talmudic dictionary as "a kind of antelope, unicorn".[39]
The qilin (Chinese: 麒麟), a creature in Chinese mythology, is sometimes called "the Chinese unicorn", and some ancient accounts describe a single horn as its defining feature. However, it is more accurately described as a hybrid animal that looks less unicorn than chimera, with the body of a deer, the head of a lion, green scales and a long forwardly-curved horn. The Japanese version (kirin) more closely resembles the Western unicorn, even though it is based on the Chinese qilin. The Quẻ Ly of Vietnamese myth, similarly sometimes mistranslated "unicorn" is a symbol of wealth and prosperity that made its first appearance during the Duong Dynasty, about 600 CE, to Emperor Duong Cao To, after a military victory which resulted in his conquest of Tây Nguyên. In November 2012 the History Institute of the DPRK Academy of Social Sciences, as well as the Korea News Service, reported that the Kiringul had been found, which is associated with a kirin ridden by King Dongmyeong of Goguryeo.[40][41]
Beginning in the Ming Dynasty, the qilin became associated with giraffes, after Zheng He's voyage to East Africa brought a pair of the long-necked animals and introduced them at court in Nanjing as qilin.[42] The resemblance to the qilin was noted in the giraffe's ossicones (bony protrusions from the skull resembling horns), graceful movements, and peaceful demeanor.[43]
Shanhaijing (117) also mentioned Bo-horse (Chinese: 駮馬; pinyin: bómǎ), a chimera horse with ox tail, single horn, white body, and its sound like person calling. The creature is lived at Honest-head Mountain. Guo Pu in his jiangfu said that Bo-horse able to walk on water. Another similar creature also mentioned in Shanhaijing (80) to live in Mount Winding-Centre as Bo (Chinese: 駮; pinyin: bó), but with black tail, tiger's teeth and claws, and also devour leopards and tigers.[44]
Mythology portal |
Wikimedia Commons has media related to Unicorns. |
Wikiquote has quotations related to: Unicorn |
|
|
リンク元 | 「単角」 |
拡張検索 | 「unicornous」 |
.