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「ブラジル」のその他の用法については「ブラジル (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
(国旗) | (国章) |
公用語 | ポルトガル語[1] | ||||||||||||||||||||
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首都 | ブラジリア | ||||||||||||||||||||
最大の都市 | サンパウロ | ||||||||||||||||||||
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独立 - 宣言 |
ポルトガルから 1822年9月7日 |
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通貨 | レアル(BRL) | ||||||||||||||||||||
時間帯 | UTC (-2 ~ -5)(DST:脚注を参照[3]) | ||||||||||||||||||||
ISO 3166-1 | BR / BRA | ||||||||||||||||||||
ccTLD | .br | ||||||||||||||||||||
国際電話番号 | 55 |
ブラジル連邦共和国(ブラジルれんぽうきょうわこく、ポルトガル語: República Federativa do Brasil)、通称ブラジルは、南アメリカに位置する連邦共和制国家である。南米大陸で最大の面積を誇り、ウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア、ペルー、コロンビア、ベネズエラ、ガイアナ、スリナム、フランス領ギアナ(つまりチリとエクアドル以外の全ての南米諸国)と国境を接している。また、大西洋上のフェルナンド・デ・ノローニャ諸島、トリンダージ島・マルティン・ヴァス島、セントピーター・セントポール群島もブラジル領に属する。国土面積は日本の約22.5倍で、アメリカ合衆国よりは約110万km2(コロンビア程度)小さいが、ロシアを除いたヨーロッパ全土より大きい。首都はブラジリア。
南アメリカ大陸最大の面積を擁する国家であると同時にラテンアメリカ最大の領土、人口を擁する国家で、面積は世界第5位である。南北アメリカ大陸で唯一のポルトガル語圏の国であり、同時に世界最大のポルトガル語使用人口を擁する国でもある。ラテンアメリカ最大の経済規模であり、同時に世界で6番目の経済規模でもある。
正式名称は、ポルトガル語で República Federativa do Brasil (ヘプブリカ・フェデラチヴァ・ドゥ・ブラズィウ)。IPAでは、[xeˈpublika fedeɾaˈtʃiva du bɾaˈziw]。通称 Brasil(ブラズィウ)。
公式の英語表記は Federative Republic of Brazil (フェデラティヴ・リパブリク・オヴ・ブラズィル)。通称Brazil(ブラズィル)。 ポルトガル語では “Brasil” と綴られるが、英語では “Brazil” と綴られる。ただし、首都のブラジリアについては英語でも Brasília と表記される。
日本語の表記はブラジル連邦共和国。通称ブラジル。漢字表記では伯剌西爾となり、伯と略される。1822年にブラジル帝国として独立し、1889年の共和革命以降はブラジル合衆共和国を国名としていたが、1967年に現在のブラジル連邦共和国に改称した。
国号のブラジルは、樹木のパウ・ブラジルに由来する。元々この土地は1500年にポルトガル人のペードロ・アルヴァレス・カブラルが来航した当初は、南米大陸の一部ではなく島だと思われたために「ヴェラ・クルス(真の十字架)島」と名づけられたが、すぐにマヌエル1世の時代に「サンタ・クルス(聖十字架)の地」と改名された。
その後あまりにもキリスト教的すぎる名前への反発や、ポルトガル人がこの地方でヨーロッパで染料に用いられていたブラジルスオウに似た木を発見すると、それもまた同様に染料に使われていたことから、木をポルトガル語で「赤い木」を意味する「ブラジル」と呼ぶようになり、ブラジルの木のポルトガルへの輸出が盛んになったこともあり、16世紀中にこの地はブラジルと呼ばれるようになった。
「ブラジル」という読みはポルトガル本国などで使われるイベリア・ポルトガル語での発音であり、ブラジル・ポルトガル語での発音に最も近いカタカナ表記は「ブラズィウ」である。
詳細は「ブラジルの歴史」を参照
ブラジルの最初の住民は、紀元前11,000年[1]にベーリング海峡を渡ってアジアからやって来た人々(狩人)だった。彼らは紀元前8000年頃、現在のブラジルの領域に到達した[2]。現在のブラジルとなっている地に遠く離れたタワンティンスーユ(インカ帝国)の権威は及ばず、この地には、後にヨーロッパ人によって「インディオ」(インディアン)と名づけられる、原始的な農耕を営むトゥピ族(英語版)・グアラニー族・アラワク族系の人々が暮らしていた。16世紀前半の時点でこうした先住民の人口は、沿岸部だけで100万人から200万人と推定されている。しかし、ヨーロッパ人が渡来してくるまでは、ブラジルに住んでいた人々の生活については何も知られていない。
「ポルトガルによるアメリカ大陸の植民地化」も参照
1492年にクリストーバル・コロンがヨーロッパ人として初めてアメリカ大陸に到達した後、「発見」されたアメリカ大陸の他の部分と同様にブラジルも植民地化の脅威に晒されることになった。
1500年にポルトガル人のペードロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルを「発見」すると、以降ブラジルはポルトガルの植民地として他の南北アメリカ大陸とは異なった歴史を歩むことになった。1502年にはイタリア人のアメリコ・ヴェスプッチがリオデジャネイロ(1月の川)を命名。
ポルトガル人が最初に接触したのは、古トゥピ語(英語版)やグアラニー語などを含むトゥピ語族を話す先住民であった。トゥピ語族の他にもブラジル先住民には、ジェー語族(英語版)・アラワク語族(英語版)(ヌ=アルアーク語族とも)・カリブ語族(英語版)を話す集団があったが、ポルトガル人は古トゥピ語先住民の言葉がブラジル人の言葉であると誤解し、他の先住民はそれぞれ部族の言葉をもっているにもかかわらず、ポルトガル宣教師達は先住民にその言葉を教え、リングワ・フランカ(一種の共通語)のリンガ・ジェラール(リンガ・ジェラール・パウリスタとリンガ・ジェラール・アマゾニカ)が形成された。それは信仰も同様として仕向けられた。[3]
初期のブラジルにおいては新キリスト教徒(改宗ユダヤ人)によってパウ・ブラジルの輸出が主な産業となり、このために当初ヴェラ・クルス島と名づけられていたこの土地は、16世紀中にブラジルと呼ばれるようになった。1549年にはフランスの侵攻に対処するために、初代ブラジル総督としてトメ・デ・ソウザ(英語版)がサルヴァドール・ダ・バイーアに着任した。
1580年にポルトガルがスペイン・ハプスブルク朝と合同すると、ブラジルはオランダ西インド会社軍の攻撃を受け、北東部の一部がネーデルラント連邦共和国(オランダ)に占領され、オランダ領ブラジル(英語版)となった。1661年、ハーグ講和条約(英語版)が締結され、オランダは400万クルザードの賠償金と引き換えに、ポルトガルのポルトガル領アンゴラ(英語版)(現アンゴラ)領有を認めると共にオランダ領ブラジルをポルトガルに割譲した。
一方、パウ・ブラジルの枯渇後、新たな産業として北東部にマデイラ諸島からサトウキビが導入され、エンジェニョ(英語版)(砂糖プランテーション)で働く労働力としてまずインディオが奴隷化された後、インディオの数が足りなくなると西アフリカやアンゴラ、モザンビークから黒人奴隷が大量に連行され、ポルトガル人農場主のファゼンダで酷使された。
ブラジル内陸部の探検は、サンパウロのバンデイランテス(英語版)(奴隷狩りの探検隊)により、17世紀に始まった。バンデイランテスは各地に遠征して現在の都市の基となる村落を多数築いた一方、南部やパラグアイまで遠征してイエズス会によって保護されていたグアラニー人を奴隷として狩った。こうした中で、激しい奴隷労働に耐えかねたマルーン(逃亡奴隷)の中には奥地にキロンボ(英語版)(逃亡奴隷集落)を築くものもあり、その中でも最大となったキロンボ・ドス・パルマーレス(ポルトガル語版)はパルマーレスのズンビによって指導されたが、1695年のパルマーレスの戦い(ポルトガル語版)でバンデイランテスによって征服され消滅した。
一方、1680年にポルトガル植民地政府は、トルデジーリャス条約を無視してラ・プラタ川の河口左岸のブエノスアイレスの対岸にコロニア・ド・サクラメントを建設したため、以降バンダ・オリエンタルの地は独立後まで続くブラジルの権力とブエノスアイレスの権力との衝突の場となった。また、南部ではラ・プラタ地方のスペイン人の影響を受けてガウーショ(スペイン語ではガウチョ)と呼ばれる牧童の集団が生まれた。
その後、18世紀にはミナス・ジェライスで金鉱山が発見されたためにゴールドラッシュが起こり、ブラジルの中心が北東部から南西部に移動し、1763年にはリオデジャネイロが植民地の首都となった。ゴールドラッシュにより、18世紀の間に実に30万人のポルトガル人がブラジルに移住し、金採掘のためにさらに多くの黒人奴隷が導入された。一方でミナスの中心地となったオウロ・プレットでは独自のバロック文化が栄えた。
バンダ・オリエンタルを巡るスペインとの衝突の後、18世紀末には啓蒙思想がヨーロッパから伝わり、フランス革命やアメリカ合衆国の独立の影響もあり、1789年にはポルトガルからの独立を画策した「ミナスの陰謀(英語版)」が密告によって発覚し、首謀者のうち最も身分の低かったチラデンチス(英語版)が全ての罪をかぶせられ処刑された。
その後、ハイチ革命の影響もあってクレオール白人やムラート、クレオール黒人(クリオーロ)による独立運動が進むが、植民地時代にブラジルに大学が設立されなかったなど知的環境の不備により、ブラジルの独立運動は一部の知識人の「陰謀」に留まり、大衆的な基盤を持つ「革命」にはならなかった。このことは、ブラジルとイスパノアメリカ諸国の独立のあり方の差異に大きな影響を与えた。
「近代における世界の一体化#ラテンアメリカ諸国の独立」および「ブラジル独立」も参照
ナポレオン戦争により、1807年にジャン=アンドシュ・ジュノーに率いられたフランス軍がポルトガルに侵攻した。このためポルトガル宮廷はリスボンからリオデジャネイロに遷都し、以降リオの開発が進んだ。1815年にリオデジャネイロはポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国の首都に定められた。ポルトガル政府はバンダ・オリエンタル・ド・ウルグアイ(葡: Banda Oriental do Uruguai)のホセ・アルティーガス(英語版)率いる連邦同盟(葡: Liga dos Povos Livres、1815年–1820年)との戦いを進めてバンダ・オリエンタルを支配下に置き、征服した地域にシスプラチナ州を設立した。1820年ポルトガルを自由主義的な立憲君主制国家に変革しようとする革命が起こり、リオデジャネイロのジョアン6世に帰国を要請し、1821年にポルトガル宮廷はリスボンに帰還した。
一方、摂政として残留したブラガンサ家の王太子ペードロがジョゼー・ボニファシオ(英語版)に代表されるブラジル人ブルジョワジー勢力に支持され、1822年2月18日にブラジル独立戦争(ポルトガル語版)が勃発した。1822年9月7日に「イピランガの叫び」(葡: Grito do Ipiranga)と呼ばれる独立宣言が行なわれ、ペードロが初代皇帝ペードロ1世(在位1823-1831)として即位し、ブラジル帝国はポルトガルから独立した。[4]
詳細は「ブラジル帝国」を参照
ブラジルの独立はブラガンサ家の皇帝という求心力があったために、解放者シモン・ボリーバルやホセ・デ・サン=マルティン、ミゲル・イダルゴらの掲げた共和制や立憲君主制の思想が求心力とならなかった。イスパノアメリカ諸国が分裂したのとは異なり、広大なブラジル植民地は単一のまとまりとして新たな主権国家を形成した。しかし、このことは植民地時代からのエリート層が独立後もそのまま権力を握り続けることをも意味していた。
このため、帝政時代は当初から各地方の中央政府に対する反乱や、共和制を求める自由主義者の反乱が勃発し、1820年代には北東部のペルナンブッコ州では赤道連盟の反乱(英語版)が、最南部のシスプラチナ州では東方州のリオ・デ・ラ・プラタ連合州復帰を求めた33人の東方人の潜入により、シスプラチナ州を巡ってシスプラチナ戦争が勃発した。シスプラチナ州はイギリスの仲介によって1828年にウルグアイ東方共和国として独立した。
1831年にペードロ1世が退位するとさらに地方の混乱は増し、最南部のリオ・グランデ・ド・スール州では牧場主とガウーショがファラーポス戦争(英語版)(葡: Guerra dos Farrapos、Revolução Farroupilha - 「ファロウピーリャの反乱」とも)を起こした。
1840年にペードロ2世が即位すると事態は落ち着きを見せ、1848年にプライエイラ革命(英語版)(葡: Insurreição Praieira - 「プライエイラの反乱」とも)を鎮圧した後、ブラジル史上初の安定期が訪れた。ペードロ2世は領土的野心を持っていたウルグアイ、パラグアイへの介入を進め、その結果として1864年にパラグアイのフランシスコ・ソラーノ・ロペス大統領はブラジルに宣戦布告し、パラグアイ戦争(葡: Guerra do Paraguai、西: Guerra de la Triple Alianza - 「三国同盟戦争」とも)が勃発したが、カシアス公(英語版)率いるブラジル帝国が主体となった三国同盟軍はパラグアイを破壊した。
一方、独立後も大農園主の意向によって奴隷制は維持され続けたが、アメリカ合衆国の南北戦争後は西半球で奴隷制を採用する独立国はブラジル帝国のみとなったため、三国同盟戦争後からオーギュスト・コントの実証主義の影響を受けた知識人によって奴隷制批判がなされた。三国同盟戦争後に制度的に確立した軍の青年将校(葡: Tenentes - 「テネンテス(英語版)」)達は実証主義思想に影響を受け、次第に奴隷制の廃止と帝政の廃止をも含めた国民運動が生まれた。この運動により1888年5月13日に黄金法(英語版)(葡: Lei Áurea)が公布され、西半球で最後まで維持されていた奴隷制が廃止されたが、ペードロ2世は奴隷制廃止によって大農園主からの支持をも失い、翌1889年のデオドロ・ダ・フォンセッカ元帥のクーデターによって帝政は崩壊した。
1889年の共和制革命により、ブラジルは帝政から共和制に移行した。この時期には カフェ・コン・レイテと呼ばれるサン・パウロ州とミナス・ジェライス州で相互に大統領を選出する慣行が生まれた。また、帝政時代からコーヒー・プランテーションでの労働力確保のためにヨーロッパよりイタリア人、ポルトガル人、スペイン人、ドイツ人をはじめとする移民を受け入れていたが、奴隷制廃止後はさらに移民の流入速度が速まり、1908年にはヨーロッパのみならずアジアからも笠戸丸で日本人移民が導入された。1919年にはパリ講和会議で日本が提出した人種差別撤廃案に賛成するなど人種差別撤廃に前向きであった。
第一次世界大戦に協商国側で参戦した後、1920年代にはカフェ・コン・レイテ体制への批判が高まり、ルイス・カルロス・プレステス(ポルトガル語版)をはじめとするテネンテス(青年将校達)によるテネンテ革命(英語版)が各地で起こった。このテネンチズモ(ポルトガル語版)は直接は国政に大きな影響を与えなかったが、間接的に1930年代の政治状況を用意することになった。
詳細は「ヴァルガス時代(英語版)」および「エスタード・ノーヴォ(ポルトガル語版)」を参照
1930年にカフェ・コン・レイテ体制に対する反乱が各地で勃発し、リオ・グランデ・ド・スール州のジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスが1930年革命(ポルトガル語版)を起こし、独裁政治を確立しようとした。1932年にはサン・パウロ州の反ヴァルガス勢力によって護憲革命(英語版)(葡: Revolução Constitucionalista de 1932)が勃発したが、この反乱を鎮圧するとヴァルガスはブラジル全土に対する支配権を確立した。1937年にはヴァルガスはクーデターによってイタリア・ファシズムに影響を受けたエスタード・ノーヴォ(ポルトガル語版)体制を確立し、ヴァルガス時代には大学の整備、国家主導の工業化、ナショナリズムの称揚と移民の同化政策、中央集権体制の確立が進んだ。
1942年にヴァルガスは第二次世界大戦に連合国の一員としてイタリア戦線に参戦したが、独裁体制に対する不満が国民と軍内部で強まり、第二次世界大戦終結後の1945年10月13日に軍事クーデターによって失脚した。
1946年に新憲法が制定された後、1950年にブラジル史上初の民主的選挙によってジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスが大統領に就任した。二度目のヴァルガスはファシズム色よりも左派ポプリズモ色を打ち出し、ブラジル経済の国民化が進められたが、軍の抵抗に遭ってヴァルガスは1954年に自殺した。
1956年に就任したジュセリーノ・クビシェッキ大統領は「50年の進歩を5年で」を掲げて開発政策を進め、内陸部のゴイアス州に新首都ブラジリアを建設し、1960年にリオデジャネイロから遷都した。しかし、この開発政策によって生まれた債務が財政を圧迫し、インフレが加速した。
1961年に就任したジョアン・ゴラール(ポルトガル語版)(通称・ジャンゴ)大統領(任期:1961年-1964年)はこのような困難な状況を乗り切ることが出来なかった。
1964年にアメリカ合衆国の支援するカステロ・ブランコ将軍は、クーデター(英語版)によってジョアン・ゴラールを失脚させ、軍事独裁体制を確立すると、親米反共政策と、外国資本の導入を柱にした工業化政策が推進された(コンドル作戦、en)。この軍政の時代に「ブラジルの奇跡」と呼ばれたほどの高度経済成長が実現したが、1973年のオイルショック後に経済成長は失速し、さらに所得格差の増大により犯罪発生率が飛躍的に上昇した。また、軍事政権による人権侵害も大きな問題となった。この間、各地でカルロス・マリゲーラの民族解放行動(ALN)や10月8日革命運動など都市ゲリラが武装闘争を展開し、外国大使の誘拐やハイジャックが複数にわたって発生した。
1974年に将軍から大統領に就任したエルネスト・ガイゼウ(ポルトガル語版)は国民的な不満を受けて軍政の路線転換を行い、1979年に就任したジョアン・フィゲイレード(ポルトガル語版)大統領は民政移管を公約した。1985年に行われた大統領選挙ではタンクレード・ネーヴェスが勝利した。
1985年に民政移管が実現し、文民政権が復活したが、ネーヴェスが急死したために副大統領だったジョゼー・サルネイが大統領に昇格した。サルネイ政権下ではインフレの拡大によりブラジル経済は悪化し、内政では大きな成果を残せなかったが、外交ではアルゼンチンのラウル・アルフォンシン政権との関係がこの時期に大きく改善し、長らく続いた両国の敵対関係に終止符が打たれた。
1990年には国家再建党からフェルナンド・コーロルが大統領に就任したが、経済問題に対処できず、数々の汚職や様々な奇行のために1992年に罷免された。コーロルの失脚後、副大統領のイタマール・フランコが大統領に昇格した。
1995年にブラジル社会民主党から就任したフェルナンド・エンリッケ・カルドーゾ政権下でアルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、パラグアイにより、同年一月にメルコスール(メルコスウと発音、南米南部共同市場)が発足した。
2003年には労働者党からルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァが大統領に就任し、その後世界経済の好調を受けて経済が回復を見せた。
2010年10月、大統領選挙が行われ、与党労働者党のジルマ・ルセフ官房長官が当選した。ルセフは2011年1月、大統領に就任した。
2013年に2013年ブラジル抗議運動(en)が起きる
詳細は「ブラジルの政治」および「:en:Politics of Brazil」を参照
大統領制を敷き、大統領を元首とする連邦共和制国家である。大統領および副大統領の任期は4年で、一度限りにおいて再選が認められている。つまり、3選は憲法で禁止されている。大統領は国会により弾劾されることが可能である。議会は上院(元老院、定数81)・下院(代議院、定数513)の二院制である。
現在の大統領は、同国初の女性大統領であるジルマ・ルセフ(労働者党)である。現行憲法は1988年憲法である。
東西冷戦期の1964年から1985年まで親西側の軍事政権下にあった。軍事政権下の当時から現在にいたるまで、官僚や政治家、警察の腐敗や汚職が広まったままである。
詳細は「ブラジルの政党」を参照
与党である労働者党(PT)の他に、同党と連立を組んでいたブラジル民主運動党(PMDB)と社会大衆党(PPS)などがある。
投票は18歳から70歳までの読み書きができる全ての国民に義務付けられている(義務投票制)。希望すれば16歳以上、もしくは70歳を超える国民や読み書きのできない国民も投票することができる。
2003年1月にルーラ政権が発足した。元労働組合の指導者だったルーラは「飢餓ゼロ」計画を打ち上げ、貧困家庭向けの食料援助や援助金制度などを推進した。貧困家庭の生活水準改善を着実に進め、経済発展に取り残されていた内陸部へのインフラ整備も進みつつある。外交面では、南米統合へのリーダーシップも発揮した。2006年6月24日にルーラ大統領は、政権与党の労働党の全国大会で大統領候補指名を受託し、10月の大統領選挙で貧困層の圧倒的な支持を得て再選した。
ルーラ政権下では2014 FIFAワールドカップブラジル大会や、リオ・デ・ジャネイロオリンピック(2016年)という二大スポーツイベントの招致に成功し、開催へ向けての準備が始まっている。
2011年1月1日からは労働者党出身のジルマ・ルセフ新政権が発足し、ルーラの政策を受け継いでいる。
詳細は「ブラジル軍」を参照
1889年の共和制革命で主要な役割を果たしたことが主な理由となって軍は伝統的に政治に強い影響力を持ち、1920年代頃から「テネンチズモ」(テネンテ=中尉から転じて青年将校を指す)と呼ばれる、革新的な青年将校が強い影響力を持って政治を進めようとする傾向が生まれ、ヴァルガス体制の設立にも協力した。その後1964年から1985年まで軍政下にあった事もあり、民政移管に際しても大きな影響力を政界に残した。そのためにかつて軍は「ブラジル最大の野党」と呼ばれていた。
また、ブラジルは第一次世界大戦、第二次世界大戦共に連合国側で参戦し、第二次世界大戦に連合国として参戦した際には、ラテンアメリカで唯一陸軍をヨーロッパ戦線(イタリア戦線)に派遣した(ブラジル遠征軍)。その後1965年のドミニカ共和国の内戦の治安維持に派遣され、アメリカ合衆国主導による、ボッシュ派社会改革政権崩壊への積極的な協力を行った。
1982年のマルビーナス戦争(フォークランド紛争)の敗北によってアルゼンチンの軍事政権が崩壊した後は、長らく最大の仮想敵国と見ていたアルゼンチンとの融和政策が実現し、それまで続いていた軍拡競争が終わったために現在は周辺諸国との軍事的緊張関係は無くなった。ただし、国土が広大なために、依然として南アメリカで最大規模の軍事力をもつ。
12ヶ月の徴兵制を敷いており、総兵力は約320,000人程である。陸軍、海軍、空軍と軍警察が存在する。軍事政権期核開発計画を進めていたが、1988年アルゼンチンと共に核計画の放棄を宣言した。
近年は国連のPKOに積極的に派遣されている。また、各種軍用機や軍用車両の国産化が進んでおり、特に一部の軍用機は南アメリカの周辺国のみならず、ヨーロッパや中東諸国、オセアニアにも輸出されている。
俸給と軍人年金の支払いだけで各軍の予算は圧迫されており、装備の維持と更新に必要とされる予算は不足している。陸軍の全保有車両の78%は運用開始から34年以上が経過しており、一部のトラックは第二次世界大戦中に使用された物もあるとされる。火砲の大半も第二次世界大戦時のものだとしている。1437両の装甲戦闘車両のうち42%から70%は使用不能で、6676両の車両のうち40%は使用不能である。弾薬は必要量のわずか15%しかない。海軍も同様に困難に直面している。海軍は7000キロを越す海岸線を警備するために21隻の水上艦艇しか保有しておらず、しかも可動状態なのは10隻程度のみで、そのうちの多くは制限付きで運用されている。5隻ある潜水艦のうち完全な可動状態は1隻のみで、ほかに2隻が制限付きで運用されている。海軍航空隊の58機のヘリコプターの内27機(46%)も作戦不能状態にある。空軍保有の航空機のうち満足に使用できるのは267機のみで、残る452機は予備部品不足と整備不良で飛行不能とされる。この問題を悪化させている要因として、保有航空機の60%が運用20年経過、もしくはそれ以上の老朽機であるためとされる。
2009年の予算は297億ドルと圧倒的に少なく、2011年の予算は354億ドルであり、若干の微増になってはいるが装備の近代化がまったく進んでいないのが実情である。
詳細は「ブラジル陸軍」を参照
兵力190,000人を擁する。PKOのため、ハイチに展開している。
詳細は「ブラジル海軍」を参照
兵力67,000人を擁する。2011年現在ラテンアメリカで唯一の空母を保有する海軍である。2007年、原子力潜水艦建造計画が持ち上がり、フランスの技術援助を受けて、2020年を目処に原子力潜水艦の配備を計画している。
詳細は「ブラジル空軍」を参照
兵力70,700人を擁する。主要装備はAMX、エンブラエル EMB 110など。2007年2月、日系2世のジュンイチ・サイトウ大将が空軍総司令官に任命された。
詳細は「ブラジルの国際関係」および「:en:Foreign relations of Brazil」を参照
独立直後から旧宗主国だったポルトガルに代わって莫大なイギリスの投資を受け、「老いた母の代わりに金持ちの継母を得た」と表現される程の飛躍的な経済的発展を遂げた。また、独立直後からウルグアイを巡ってアルゼンチンとシスプラチナ戦争を起こし、バンダ・オリエンタル(シスプラチナ州)がウルグアイとして独立するなどの失敗もあったが、それでもウルグアイへの影響力は大きく、大戦争終結後は植民地時代のウルグアイの領域の大きな部分(ウルグアイ川左岸の東ミシオネスなど)をブラジルに併合することを認めさせた。
1860年代にパラグアイ戦争が勃発すると、親英政策の下にパラグアイを完膚なきまでに破壊し尽くした。戦争が終わるとパラグアイの領土は一部ブラジルに割譲され、パラグアイそのものも政治的にブラジルの強い影響に置かれることになった。その後はリオ・ブランコ男爵の尽力などもあり、ギアナ三国、ベネスエラ、コロンビア、ボリビアなどの周辺国からアマゾンの辺境地を獲得することに躍起となった。アメリカ合衆国の後ろ盾を得る形で併合されたアマゾンの現アクレ州を巡るボリビアとの争いでは、アクレ共和国のような傀儡政権が樹立されることもあった。
20世紀前後から周囲をスペイン語圏諸国に囲まれていることの孤立感、及び当時急速な発展を遂げていたアルゼンチンの勃興などに対処するために親米政策を採用し、アメリカ合衆国も遠交近攻政策に基づいて中央アメリカ・カリブ海のアメリカ合衆国による支配権確立のためにブラジルとの友好を望んだため、伯米両国の関係は非常に友好的なものとなった。この親米政策の背景には、1889年の共和制革命直後のバルボーザ案新国旗に見て取れるようなこの当時の実証主義知識人のアメリカ合衆国崇拝の激しさも要因となっていた。
アルゼンチンとの対立はチリを交えて二十世紀初頭から1980年代まで続く軍拡競争を招き、アルゼンチン・ブラジル・チリはABC三大国と呼ばれるようになった。一方で親米英政策は第一次世界大戦、第二次世界大戦に連合国側で参戦したように激しいものがあり(アルゼンチンが独自外交を標榜して両大戦でドイツに好意的な中立を続けようと努力したのとは対照的である)、第二次世界大戦後も暫くこの政策は続いた。なお、19世紀末より現在に至るまで友好関係を築いている日本との関係は、日本が連合国と交戦状態に入り、1950年代初頭に国交回復するまでの間はしばし途絶えることとなった。
第二次世界大戦後にイギリスが没落すると、左翼ポプリズモ政権によって親米政策から第三世界外交への転換がなされたが、1964年にアメリカ合衆国の内諾を得て起こされた軍事クーデターにより成立した官僚主義的権威主義体制は、露骨に積極的な親米を掲げてアメリカ合衆国に追従し、1965年のドミニカ内戦の際にはドミニカ共和国のボッシュ派政権を崩壊させるための軍隊を率先して送り、その後軍部は1971年のボリビアのウーゴ・バンセル政権をはじめとして多くのラテンアメリカ諸国の右翼反共軍事クーデターを支援した。
時系列的には前後するが、パラグアイのアルフレド・ストロエスネル政権の成立にもブラジル軍の支援があった。そしてこの露骨な親米政策は、エドゥアルド・ガレアーノをはじめとするラテンアメリカ諸国の知識人からは「裏切り」だとみなされた[5]。
しかし、1985年に民政移管すると、特に1980年代後半の冷戦終結後は南アメリカの大国としてアルゼンチンやパラグアイなどの近隣諸国のみならず、アジアやアフリカ、中近東諸国などとも全方面外交を行い、WTOやメルコスールなどを通して積極外交を行う他、没落したアルゼンチンに代わってラテンアメリカ諸国をまとめるリーダーとして国連改革を積極的に推進し、国連安全保障理事会の常任理事国入りを日本やインド、ドイツなどとともに狙っているとされる。また、ポルトガル語圏の一員として旧宗主国のポルトガルや、アンゴラ、モザンビーク、東ティモールとも強い絆を保っている。
ブラジルは主権の相互尊重の原則を根拠に対等な外交施策をとることで知られている。アメリカ政府がテロリスト対策の一つである新入国管理制度で、ブラジルを含む25ヵ国から入国する者に顔写真と指紋の登録を実施したのに対抗し、ブラジル政府は、2004年1月1日から報復として入国するアメリカ人を対象に、顔写真と指紋の登録を実施した。また、ブラジルは南米で唯一日本人が短期滞在のために入国するときにビザが必要な国である。これも、日本政府がブラジルからの入国に対してビザを求めていることに対する、相互尊重の原則を根拠にした対抗措置である。
2010年12月パレスチナ自治政府を国家承認した[6]。
日本との外交関係は1895年の修好通商航海条約調印から始まり、1897年に両国内に公使館を開設。1908年6月には日本からの本格的移民が開始され、笠戸丸がサントスに入港した。その後第二次世界大戦中の断交状態(ブラジルは連合国として参戦)と1950年代初頭の国交回復を経て、常に活発な人的、経済的交流が行われており、その距離の遠さに反比例して世界各国の中でも特に日本との縁が非常に深い国である。
1908年に最初の本格的な集団移民、いわゆる「笠戸丸移民」が到着して以降、第一次世界大戦期や第二次世界大戦を経て、1950年代に日本政府の後援による移民が停止されるまでにブラジルに渡った日本人移民の子孫は5世、6世の世代になり、サンパウロの世界最大級の日本人街「リベルダージ」を中心に、海外で最大の日系人社会(約150万人)を持つなどブラジル社会に完全に溶け込んでいる。
日系ブラジル人は政治や経済などで、高い地位につくものも多い他、特に長年の農業における高い貢献は非常に高い評価を得ている。2007年2月には、2世のジュンイチ・サイトウ空軍大将が空軍総司令官に任命され、ブラジル軍の最高位ポストに就いた初の日系人となった[7]。
また、1950年代以降、日本の高度経済成長期にかけて東芝やトヨタ自動車、東京海上日動、コマツ、ヤクルト本社、日本航空など、重工業から金融、サービス業や運送業にいたるまで、様々な業種の日本企業がサンパウロを中心に数百社進出しており、世界でも有数の規模の日本人学校、サンパウロ日本人学校など、ブラジル国内に複数の日本人学校がある他、日本においてもブラジルの音楽やスポーツ、料理などの文化が広く親しまれており、また、両国間の人的交流が活発にあるなどその関係は非常に深いものがある。在留邦人は約6万人(2010年)、在日ブラジル人は約23万人(2010年、外務省)である。
1962年に両国による合弁事業であるウジミナス製鉄所へのODAによる融資を行って以降、電気や港湾、衛生設備など、各種インフラの充実を中心としたODAが継続的に行われている。しかしながら、ブラジルが工業国であり比較的インフラが整っていることから、近年はインフラでも環境、衛生関係の技術的要素に特化されたものとなっている。
詳細は「ブラジルの地方行政区分」を参照
ブラジルは五つの地域に別れ、それらの地域は26の州(Estado エスタード)と1つの連邦直轄区(首都ブラジリア)から構成されている。州はムニシピオ(市・郡に相当)に分けられ、全国で5,564のムニシピオが存在する。
詳細は「ブラジルの都市の一覧」を参照
詳細は「ブラジルの地理」および「:en:Geography of Brazil」を参照
国土は、流域を含めると400万km²にも及ぶアマゾン川と、その南に広がるブラジル高原に分けられるが、広大な国土を持つだけに様々な地形があり、北部は赤道が通る熱帯雨林気候で、大河アマゾン川が流れる。近年、環境破壊によるアマゾン川流域の砂漠化が問題となっている。
最高峰はベネズエラとの国境近く、北部ギアナ高地にあるピッコ・ダ・ネブリーナ山で、標高3,014メートルである。熱帯には「セラード」と呼ばれる広大な草原が広がり、エマス国立公園も含まれている。また、北東部は、沿岸部では大西洋岸森林が、内陸部では乾燥したセルトンが広がり、セルトンはしばしば旱魃に悩まされてきた。
南西部のパラグアイ、アルゼンチンとの国境付近には有名なイグアスーの滝のある、ラ・プラタ川水系の大河パラナ川が流れる。他にネグロ川、サン・フランシスコ川、シングー川、マデイラ川やタパジョス川がある。また、ボリビアとパラグアイとの国境付近は世界最大級の熱帯性湿地とされるパンタナール自然保全地域となっている。
ブラジル南部三州ではブラジル高原はウルグアイ、アルゼンチンへと続くパンパ(大平原)との移行地帯となり、伝統的に牧畜が盛んでガウーショ(ガウチョ)も存在する。南部はコーノ・スールの一部として扱われることもある。
また、日本の対蹠地に当たり南半球となるため、季節は時刻と共に日本とはおおよそ正反対になるが、熱帯ではない南部以外ではあまり意識されることはない。
詳細は「ブラジルの気候」および「:en:Climate of Brazil」を参照
ケッペンの気候区分によると、国土の93%は熱帯地域に属す。気候は亜熱帯性気候、半砂漠型サバナ気候、熱帯雨林気候、熱帯モンスーン気候、高地の亜熱帯性気候、温帯夏雨気候、温暖湿潤気候に分類できる。大西洋沿岸は全体的に温暖なため、リオデジャネイロやレシーフェなどのリゾート地が多い。南部三州では雪が降ることもある。
年間平均気温
四季 緯度によって異なるが、一応は以下の通りである。
詳細は「ブラジルの経済」を参照
IMFによると、2011年のブラジルのGDPは2兆4929億ドル(約200兆円)であり、世界第6位である。一方、一人当たりのGDPは12,788ドルであり、先進国と比較すると依然大幅に低い水準である[9]。
建国以来長らく、イギリスやアメリカ合衆国、日本をはじめとする先進国からの重債務国であったが、70年代の経済政策のミスにより、更に債務が激増。80年代には中南米でメキシコ、アルゼンチン、ペルーと並ぶ財政破綻国家の一つとして数えられ、インフレと莫大な累積債務に苦しんだ。80年代はじめ、世界的な金利上昇を契機にブラジルはマイナス成長を記録。海外資本の流入は途絶え、国内の投資も鈍化。さらに対外債務の負担によって公共赤字が増大し、更なるインフレを加速させる結果となる。80年代の後半には1000%以上のインフレが起こり、93年には2500パーセントという途方もないハイパーインフレを誘発。従業員へのチップは100万クルゼイロ(アメリカ・ドルの1ドル以下の価値)、安いホテルの宿泊料は1億クルゼイロという途方もない額で、事実上、通貨は紙切れ同然となり紙幣の枚数を数えることが出来ないため、重さで換算していたほど。しかし、一向にインフレは止まらず、アメリカ・ドルしか流通しなくなってしまった。
苦渋の選択の末にブラジル政府は当時の通貨クルゼイロを、合計4回に亘ってデノミを行い、通貨の価値を実に2兆7500億分の1という切り下げを断行し、新通貨レアルに交代。1994年になって、新通貨レアルとともに「レアル・プラン」と呼ばれるドル・ペッグ制を導入することによって、ようやくハイパーインフレを抑えることに成功。その後、1999年に起こったブラジル通貨危機により、一時は国家破綻寸前まで陥るが、IMFと米国の緊急融資により、何とか破綻は回避された。その一方で隣国のアルゼンチンは2002年にデフォルトしている。金融危機を乗り越えると、カルドーゾ政権下で成長を遂げるようになり、ルーラ政権では発展途上国向けの貿易拡大が行われ、ブラジルは長く続いた累積債務問題の解消へ向かう。その後の経済の回復とともに2007年には国際通貨基金への債務を完済し、債務国から債権国に転じた。
メルコスール、南米共同体の加盟国で、現在ではロシア、中華人民共和国、インドと並んで「BRICs」と呼ばれる新興経済国群の一角に挙げられるまでに経済状態が復活した。重工業、中でも航空産業が盛んで、エンブラエルは現在、小型ジェット機市場の半分近いシェアを誇り、一大市場である欧米諸国や日本などのアジア各国をはじめとする世界各国へ輸出されているなど、その技術力は高い評価を得ている。
公衆衛生・教育などの公共サービスの水準は先進諸国に比べ低く、沿岸部と大陸内部の経済的な格差や貧富の格差が大きいが、経済や財政の好転を背景に近年急速に改善されつつあり、貧困層の生活水準の底上げは内需の拡大にも貢献している。
また、GDPに於ける税の割合は30%を超えており、BRICs諸国で突出している。これは、貧困層への援助のために課税が行われているためであるが、高い税率に嫌気がさしている富裕層からは現政権に対して不満の声があがり始めている。しかし、医療や福祉・教育水準の改善、地方への生活インフラの整備が着実に進んでおり、現政権への支持率は高い。
安価な労働力と豊富な天然資源により、ブラジルは2004年度の国民総生産(GNP)で世界第9位に位置し、南半球および南アメリカの国家における最大の経済規模を有する。
第二次世界大戦後の1950年代以降に、急速な工業化を推し進めるとともに経済発展を遂げ、軍事政権の外資導入政策によって1960年代後半から、毎年10%を超える成長率を見せ、「ブラジルブーム(安い人件費で腕の良い熟練の労働者が得られる、豊かな資源がある)」となる。
これにより日本やアメリカ、ドイツやフランスなどのヨーロッパ諸国などの先進工業国からの直接投資による現地生産や合弁企業の設立も急増し、自動車生産や造船、製鉄では常に世界のトップ10を占める程の工業国となったが、1950年代後半に当時のジュセリーノ・クビチェック大統領の「50年の成長を5年で」の号令下でスタートした首都ブラジリア建設の負担や、1970年代初頭のオイルショック、さらには外国資本の大規模な流出などで経済が破綻した。
これらの結果1970年代後半には経済が低迷し、同時に深刻な高インフレに悩まされるようになったため、これ以降グルジェル(自動車メーカー)のように業績が悪化・倒産する企業が相次いだ。また経済の悪化を受け、1980年代にかけてクライスラーや石川島播磨(現・IHI)、ヤオハンなど多数の外国企業が引き上げてしまい、同時に先進国からの負債も増大した。
しかしレアル導入後の1990年代後半からはインフレも沈静化し、2000年代のルーラ政権では発展途上国向けの貿易拡大が行われ、ブラジルは長く続いた累積債務問題の解消へ向かう。2007年には国際通貨基金への債務を完済し債務国から債権国に転じた。現在ではロシア、中華人民共和国、インド、南アフリカ共和国と並んで「BRICs」と呼ばれる新興経済国群の一角に挙げられるまでに経済状態が復活し、地場資本による工業投資も活発に行われている。
農業では、かつてはブラジルボクやゴムの生産を中心とした。ブラジルボクはポルトガル語でパウ・ブラジルと呼ばれ、赤茶色の木地を持つ、堅く重たい木である。当時、赤の染料が貴重であったことから、赤の染料の原料となるこの木の経済価値が高かった。乱伐により一時は枯渇しかかったが、その後植林が進められて現在でもパウ・ブラジルでできた土産物などが現地で売られている。
19世紀までブラジルはゴム栽培を独占し、アマゾン川中流域のマナウスは大繁栄し、アマゾンの中心にオペラハウスが建設された。しかしペルーのイキトスやボリビアのリベラルタをはじめとする周辺国へのゴム栽培の拡大があり、さらに19世紀後半のイギリスによるマレーシアへのゴムの密移入によりアマゾンのゴム栽培は大きく衰退した。
1970年代から21世紀初頭にかけては、日本によるナショナルプロジェクト「セラード農業開発プロジェクト」(プロデセール)が3期に亘って行われ、その結果、ブラジル内部のセラード地帯(セラードとは「閉ざされた」を意味する)を中心とする農業発展が急速に進んだ。その際、日本とブラジルは共同事業として日伯セラード開発公社(CAMPO社)を現地に設立してプロジェクトの進捗管理を行うとともに、開発面積と同規模の保留地を耕作地周辺に確保するなど、農業開発と環境保全の両立を率先して行った。
また同時に、現地に適した種子の開発や栽培方法の確立などについても、ブラジル国内に専門の研究所を設立して支援するなど、日本はハード面とソフト面の両面に亘って支援し大きな成果を残した。現在では、ブラジルは大豆の生産ではアメリカに次ぐ世界第2位の地位を占めている。また、日本が大豆を輸入する相手国としても、ブラジルはアメリカについで第2位である。
牧畜が盛んであり、近年まで「1ヘクタールに足1本」とまで言われていた。最近では都市近郊の農家の所得向上と相まって集約的な畜産業が行われるようになってきており、特にサンパウロ等大都市周辺の養鶏などは近代的システムの下で行われている。鶏肉については加工肉を中心に日本に相当輸入されているものの、牛肉については口蹄疫などの検疫上の問題が依然として存在している。しかしながら、人工飼料を用いず放牧牧畜を行っているブラジルでは口蹄疫が発生したことは過去に一度もない。
植民地から、独立後の帝政期にかけてのブラジルの北東部ではサトウキビのプランテーション栽培が盛んだった。カリブ海諸国と同様に、サトウキビを作る時は労働力としてアフリカから連れてきた奴隷を働かせた。しかし、米州でも最も遅い1888年にようやく奴隷制が廃止されると、栽培の主流作物もサトウキビからコーヒーへと移り、大量導入していたヨーロッパからの移民を労働力に主に南東部のサンパウロ州を中心にしてコーヒー豆の栽培が進んだ。その後ヨーロッパ諸国と移民の待遇を巡って対立すると、今度は日本人移民獲得のため、1908年に第一回目の日本人移民が行われた。サトウキビは砂糖の原料になるだけでなく、バイオエタノールに精製されてガソリンの代わりの燃料に使われている。
コーヒーの輸出量は、世界第1位である。これは、人的労働が重要なコーヒー生産において、なにより安い労働力を得やすいという事情に因るところが大きいが、霜の降りにくい高台地帯の広いことも幸いしている。しかし、コーヒーの過剰生産により、国際価格が暴落。コーヒーへの依存度を下げるために、とうもろこし・大豆・サトウキビなどの栽培が奨励された。ブラジルにおけるコーヒー生産も参照。
貧困層がアマゾン熱帯雨林で未だに焼畑農法を行っており、自然環境の破壊につながるとして問題視されているが、むしろ同地域を大規模に焼き払うのは当地での農業生産を目指す企業である場合が多い。一方、ブラジル東北部の乾燥地域では生活そのものが苦しく、政府が募った入植に応じた農業者が生活を行っているが、生活は極めて厳しく、都市部の生活者との経済的格差は極めて大きい。森林率の減少に歯止めが掛からない状況から、近年では人工衛星画像を使った監視網などが整いつつある。
かつて日本人が農業移民としてブラジルに入植して以来、日本人は「農業の神様」と呼ばれ、現在に至るまでブラジル社会における日系ブラジル人の高いステータスを確保する重要な礎になっている。ブラジルの首都ブラジリアが建設された際には、首都建設に必要な食料生産を日系人に任せる目的で、当時の政府はブラジリア周辺に日系人を入植させた。日本人の農業を通じたこうした功績に対し、ブラジリア建設40周年記念式典の際には、日系人に対して連邦区知事から特別に感謝の言葉が述べられた。
果実生産も日本の経済協力を契機に盛んになっており、特に南部サンタ・カタリーナ州におけるリンゴ栽培等への協力は、ブラジルにおける日本のプレゼンス向上に大いに役立った。リンゴ栽培に関するブラジル側研究施設の所長に日系人が抜擢されたこともある上、同協力に殉じた日本人研究者の胸像まで設置されているなど、日本の農業協力の一つの象徴として位置付けられる。また、2005年9月29日解禁のマンゴーの対日輸出は、両国政府の間で20年以上に亘る懸案となっていたものである。
ペトロブラス(ペトロブラースと発音)は、1953年に経済的独立のための国営企業として成立した。その後民営化プロセスに成功し、企業は急拡大し、カナダのオイルメジャーを買収。欧米のオイルメジャーと張り合える存在となっている。カンポス沖とサントス沖を中心に油田を多数保有し、最近発見相次ぐ新型油田により近い将来輸出国への転換を見込んでいる。ペトロブラスには、深海での石油開発能力、技術力において他メジャーよりも先行しており、未開発な箇所が多い深海油田をめぐり優位な立場で開発をおこなうと見られる。他、サトウキビ栽培によるバイオエタノール生産では2007年現在唯一、内需より生産量に余裕があり、輸出を行える状況にある。バイオエタノールの世界市場において、ブラジルが占める割合は7割以上に達する。エネルギー資源の確保について世界的に問題が深刻化するであろう今後、ブラジルのエネルギー市場での存在感が2000年代初頭より、急激に大きくなっている。ペトロブラースは2006年に沖縄の石油精製企業南西石油を買収し子会社化したが、2011年に株式売却意向を発表した。
ブラジルは水資源が豊富なので、水力発電が占める割合は大きい。パラグアイと共同建設した同国国境地帯のパラナ川流域に位置する世界最大のイタイプー・ダムから電力を買っている他、国内各地にダムがある。ウラン埋蔵量は世界第六位であるが、原子力電力はまだまだ少ない。
詳細は「ブラジルの交通」および「:en:Transport in Brazil」を参照
旅客および貨物輸送の約85%を道路輸送に依存しているが、国土が広大なことより古くから航空運送が盛んな上、長い海岸線や豊富な河川を元にした水上輸送も盛んに行われている。
第二次世界大戦後は自動車の一般層への普及が進むとともに、高速道路網が急速に発達した。自動車の燃料として1970年代後半より政府主導の下アルコールが普及しており、多くの自動車メーカーがアルコール燃料車を用意しており、大抵のガソリンスタンドでアルコール燃料車にアルコールを入れることができる。最近ではフレックス燃料車(ガソリンや、アルコールを入れても動かせる車、混入可)が注目されている。
なお現在はヨーロッパや日本などと比べて排気ガス規制が甘いこともあり、都市部を中心に排気ガスによる大気汚染が深刻化しており、渋滞とともに大気汚染の緩和を目指して様々な対策が試されている。
現在の道路の総延長距離は165万kmであり、旅客および貨物輸送の約85%が道路輸送に依存している。サンパウロやリオデジャネイロ、ブラジリアなど都市部近郊の道路、および幹線道路の殆どが舗装整備されており、また、第二次世界大戦後の自動車産業の発達と自動車産業保護の観点から道路網の整備に重点が置かれていたこともあり、一般層への普及に併せて沿岸都市部を中心に高速道路網が急速に発達した。
しかし、大気汚染や渋滞削減などの観点から、近年は鉄道への注目が高まっており、都市圏における地下鉄や通勤電車の整備が進められているだけでなく、サンパウロ - リオデジャネイロ間の高速鉄道の整備も計画されており、日本の新幹線の導入も検討されている。現実には現時点では長距離鉄道は貨物のみで、廃止される一方である。
高速道路網の発展とともに、寝台設備やトイレ、エアコン完備した長距離バスによる路線網が国中に張り巡らされ、手軽で安価な交通手段として重宝されている。ただし、21世紀にはいってからは安くもなくなった。また、アルゼンチンやウルグアイ、パラグアイなどの近隣諸国との間の長距離定期バスが、両国の主要都市の間で運行されている。飛行機と違い、バスの切符は直前でも予約なしで手に入りやすい。
多くの都市では市内鉄道や地下鉄路線網が整備されていないことから、主な市内交通手段として市バスが使用されている他、サンパウロをはじめとするいくつかの大都市ではトロリーバスも運行されている。殆どのバスは外国資本や民族資本の企業によってブラジルで自国生産されており、連接バスや二階建てバス、歩道側だけでなく運転席側にも客用ドアを設置したバスなど多彩な車種が走っている。またその多くが国外へ輸出されている。
航空機やバスによる長距離移動網が古くから整えられていた事や、自動車業界保護の観点から道路網の整備に重点が置かれていたこともあり、鉄道の総延長は2000年現在で29,283kmとその広大な国土に比べて少ない上、その殆どが沿岸部に集中している。また、貨物輸送が中心で、旅客輸送は大都市近郊に限られる。なお、鉄道による貨物輸送のシェアは20%強となっている。
上記のような理由から都市間を結ぶ長距離鉄道網だけでなく、都市近郊の鉄道網の整備も遅れていたが、サンパウロやリオデジャネイロなどの大都市では1970年代以降、交通渋滞解消や省エネルギー、排気ガスによる大気汚染の解消などの目的から、地下鉄や郊外との通勤電車の整備が進んでいる。なお多くの車両は国産ではなく日本やドイツ、韓国などからの輸入、ノックダウン、ライセンス生産となっている。
国土が広大なために古くから航空網が国中に張り巡らされており、現在国内に2000を超える空港を有しており、アメリカやロシアなどと並ぶ航空大国として知られている。特にサンパウロとリオデジャネイロ間のシャトル便「ポンテ・アエレア」は世界有数の運送量を誇る。
近年では元々はローカル線専門であったTAMブラジル航空(タンと発音)と、元々はフラッグ・キャリアであった老舗のヴァリグ・ブラジル航空を傘下におさめた新興航空会社のゴル航空(ゴウと発音)の二社を筆頭に、格安航空会社がその勢力を伸ばしている。
さらに長距離鉄道網が発達していないことから、かつては長距離バスが都市間を結ぶ安価な移動手段となっていたものの、近年は上記のような格安航空会社がそのシェアを奪っている。運賃の差は二倍以下に縮まっている。
詳細は「ブラジルの国民」および「:en:Demographics of Brazil」を参照
詳細は「ブラジル人」および「:en:Brazilian people」を参照
ブラジル人は大きく4つのグループに分かれる。トゥピー・グアラニー語族の言葉を話す先住民( グアラニー人、アマゾン先住民など)、植民当時のポルトガル系、アフリカからの黒人奴隷の子孫(アフリカ系ブラジル人)、そして19世紀半ばからブラジルに定住するためにポルトガル以外のヨーロッパ、中近東、日本を中心としたアジア諸国からやってきた移民である。
ヨーロッパ系ブラジル人の多くは元ポルトガル人で、植民地時代はポルトガル人と原住民、黒人奴隷との雑婚が常態であった。独立後に続くイタリア人やスペイン人、ポルトガル人、ドイツ人、ポーランド人、ウクライナ人、ロシア人、アシュケナジム系ユダヤ人などのヨーロッパ系や、日本人、アラブ人(シリア人、レバノン人)、中国人などのアジア系の移民の波や、独立後も続いた黒人奴隷の流入がブラジルの多様な民族と文化の形成に貢献し続けている。
ただし北東部はアフリカ系ブラジル人やムラート(白人と黒人との混血)が多く、南部は主にドイツ系やポーランド系、ウクライナ系をはじめとする中東欧系住民が、南西部はイタリア系やスペイン系、ポルトガル系、アラブ系、日系をはじめとして、サンパウロ州のコーヒーブームにより現存するほぼ全てのエスニシティの移民が流入していたなど、地域差も見られる。
白人人口は半数を割り込み、「黒人」「混血」が過半数を占めた[10]。
詳細は「ブラジルの言語」を参照
公用語はポルトガル語(ブラジル・ポルトガル語)であり、ブラジル生まれの国民のほとんどにとっての母語でもある。ただし、ブラジルで使われるポルトガル語は語彙の面でアフリカやインディオの影響を受けているため、ブラジル・ポルトガル語と言われるほど本国ポルトガルのポルトガル語とは多少異なっている。その違いは聞けはすぐわかるほどはっきりしているが、日常会話は支障なく行うことができるので、日本の方言よりも差は少ない。日本はポルトガル語圏諸国の中ではブラジルとの交流関係が圧倒的に多いため、あえてポルトガルのポルトガル語と特記されていない限り、日本国内の語学教科書や語学講座で教えられているポルトガル語はブラジル・ポルトガル語であると考えて差し支えない。ブラジル国内でも多少の方言は存在する。また日本のブラジル系移民では、日本独特のポルトガル語表現が存在する。1940年代のヴァルガス時代にブラジルのポルトガル語をブラジル語と呼ぶべきか否かを巡ってブラジル語論争があったが、結局ブラジル語なるものは存在せずに、ブラジルの言葉はポルトガル語の方言であることが確認された。ただし、ナショナリズムの観点からブラジル語という言葉を用いるブラジル人は今でも存在する。
なお、ブラジルにおける外国からの移民第1世代の中には、イタリア語やドイツ語、日本語や中国語なども使う者も多く、ブラジル生まれの2世以降においても家庭や各種教育機関においてこれらの言語を習得し、これらの言語に堪能な場合が少なくない。例えばドイツ語は南部のテウト・ブラジレイロ達に6世まで受け継がれて話されている。ブラジルで話されている外国語は多くの場合方言であり、ドイツ人入植地域では村同士でドイツ語会話が困難な場合があり、その場合はポルトガル語を話す。また北部イタリア移民の言語であるタリアンやヴェネトと呼ばれるスイスの一部にも及ぶ北部イタリア語がパラナ及びサンタ・カタリーナ東部からリオ・グランデ・ド・スーウ(以下南大河州)にかけて強く残り、北部ドイツからポーランドにおけるポメラノ語は、エスピリト・サント、サンタ・カタリーナ、南大河州で使用されている。ドイツ西部のフランス国境付近の言語であるフンスルキッシュ語は、南大河州のサン・レオポルドやサンタ・クルス・ド・スーウ、ベナンシオ・アイレスといった各市に残る。リオ・グランデ・ド・スーウ州最南部のウルグアイ国境で、ウルグアイのリベラ市と繋がっているサンターナ・ド・リヴラメントでは、リオプラテンセ・スペイン語とブラジル・ポルトガル語のクレオール言語であるポルトゥニョール・リヴェレンセが話されている。日本語はコロニア語とよばれるブラジルの方言が話されている。中国語は大部分が方言で、中国標準語である普通話を話せる人はいるがそう多くはない。また、インディオの言語は180近く存在すると見積もられており、トゥピナンバー系の言語の1つであるニェエンガトゥ語は、特にリオ・ネグロの上流、サンガブリエル・ダ・カショエイラでは日常語である。またグアラニー語はMBYA、NHANDEVA、KAIOWAの3語族に大別されるが、エスピリト・サント、リオ、サンパウロ、南部三州、マット・グロッソ・ド・スーウの各州において約3万人が話す言語である。アマゾン地域には非常にまれながらイゾラード(隔離された人々という意味)と呼ばれる一家族単位のインディオ(インジオと発音)が住んでいる。周辺のインディオやブラジル一般社会と交流がなく、彼らの言語や生活には不明な点が多い。アフリカ系言語であるカフンド語は、ミナス・ジェライスの中西部のジラ・ダ・タバチンガの奴隷博物館、サンパウロのサウト・デ・ピラポーラ市に残っており、ブラジル最北端のオヤポッケ地方ではインディオ語やアフリカ語、フランス語の交じり合ったカリプナ語などがある。
詳細は「ブラジルの宗教」および「:en:Religion in Brazil」を参照
ブラジルは、世界で最も多くのカトリック人口を擁する国である。国民の約73%が、カトリックの信者で、これは1億1240万人に相当し、カルナヴァルなどをはじめとして現在も社会に強い影響を持つ。プロテスタント信者も1970年代より伝統的なルター派、プレスビテリアン、バプティストなどが増加し、近年はペンテコステ派やネオペンテコステ派も増加している。プロテスタントの信者は人口の15.4%となっている。
非キリスト教の少数宗教としてはマクンバ、バトゥーケ、カンドンブレ、ウンバンダなどアフリカの宗教に起原するアフロ・ブラジル宗教がある。ブラジルのイスラーム教はアフリカからの黒人奴隷のイスラーム教徒によってもたらされたが、現在では主にアラブ系ブラジル人の移民によって信仰されており、約55のモスクとムスリムの宗教センターがあると見積もられている。アジアからも仏教、神道、道教やさまざまな新興宗教などがもたらされている。日本発祥の宗教として創価学会の会員が存在するが、信者の大部分はブラジル生まれの非日系、非アジア系人である。他にも世界救世教、立正佼成会、霊友会、生長の家や統一教会(韓国起源)などが布教活動をしている。無宗教者は人口の7.3%である。
詳細は「ブラジルの教育」を参照
初等教育と中等教育(日本における高校以上の教育)、高等教育(日本における大学)からなり、初等教育と前期中等教育を併せた義務教育は8年間、後期中等教育は3年間となっている。義務教育年齢の児童の中、学校に行っているものの率は約97%となっている[11]。また、1990年代から中等教育を受けるものが急増している。中等教育を終えると高等教育への道が開ける。主な問題としては初等、中等教育における落第率の高さや教室、校舎数の不足などが挙げられる。1930年代に国民の2/3が非識字者だったように、かつては初等教育に力は入れられてこなかったが、パウロ・フレイレらの活躍により初等、中等教育の見直しが行われて現在に至っている。2004年に推計された15歳以上の人口の識字率は88.6%(男性:88.4%、女性:88.8%)である[12]。ほかにもブラジル創価学会(BSGI)教育部(文化部のひとつで学校教員によるグループ)の「マキグチ計画」が、一般人の識字活動を行っている。
なお、サンパウロやリオデジャネイロなどの大都市には日本からの出張社員の子弟を対象とする日本人学校(小学校、中学校)がある他、日本人子弟向けの幼稚園も存在する。これらは日本のカリキュラムに従って授業を行っており、「ポルトガル語」などの現地特有の科目もある。体育では現地チームとのサッカーの試合もある。
植民地時代にはブラジルに大学は存在せず、エリート層はポルトガルのコインブラ大学や、ブラジル内の各種高等専門学校で教育を受けた。その後独立してから1827年にサンパウロとオリンダ(後にレシーフェに移転)に法科大学が設立され、ブラジルのエリートを養成する機関になった。正規の大学は20世紀になってからの1912年にクリティーバのパラナ連邦大学がようやく建設されたために、高等教育の歴史は深くはない。大学の建設は1930年代のヴァルガス時代に既存の専門学校の改変を軸にして特に重点的に行われた。
主な高等教育機関としてはリオデジャネイロ連邦大学(1792年、1920年、1937年)、パラナ連邦大学(1912年)、サンパウロ連邦大学(1933年)、サンパウロ大学(1934年)などが挙げられる。
詳細は「ブラジルの文化」を参照
ブラジルの文化は、インディオと呼ばれるトゥピ・グアラニー系の先住民や、ヨーロッパやアフリカ、アジアからの移民などが持ち込んだ様々な文化が織り成すモザイクだと評されることが多い。古くから音楽や建築、スポーツなどの分野で世界的に高い評価を受けることが多く、世界的に有名なミュージシャンやスポーツ選手、芸術家を多数送り出している。また、多彩な文化的な背景を持つ国民を対象にした広告表現などでも近年では高い評価を受けている。ポルトガルの文化とブラジルの文化を象徴する言葉に「サウダージ」(Saudade)という言葉がある。郷愁、慕情の意味であるが、多くのブラジル人はこの表現がポルトガル語にしかないと信じている。
詳細は「ブラジル料理」を参照
アフリカからの奴隷の食事がルーツといわれるフェジョアーダや牧童の肉料理であったシュハスコ、バイーア地方のムケカ、ヴァタパ、カルルー、ミナス地方のトゥトゥ・ア・ミネイラほか、またロシア系のストロガノフもブラジル風にアレンジされてよく食される。フェイジョアーダは塩味が強く豚の脂肪分が高いので、健康上の心配から近年は人気が落ちている。
おつまみ程度のものはサウガジニョと呼ばれるが、これらにはブラジル風コロッケのコシーニャやアラブ系のキビ、パステウ(ブラジル風揚げ餃子)などがあり(コロッケや類似食品は存在するが珍しい)、豊富な肉や野菜、魚介類を基にしたブラジル料理が日常的に食べられている。南部三州では、ウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイといったラ・プラタ諸国と文化が近いため、グアラニー人起源のマテ茶を飲む伝統がある。
また、ヨーロッパなどからの移民や20世紀以降の日本人をはじめとするアジア系移民など、様々な人種が融合していることもあり、都市部を中心にイタリア料理やドイツ料理、中華料理や日本料理など様々な国の料理が味わえる。特にイタリア料理のレベルは高いとされている。
主にドイツ系移民がもたらしたビールの生産、輸出国としても知られている。ブラジル国内では加熱処理したセルヴェージャに加え、生ビールであるショッピが非常に好まれるが、地ビールのブランドもかなりの数がある。またブラーマやアンタルチカ、スコールといったブランドは日本やヨーロッパ、アメリカ諸国にも輸出されている。なお、これらは当初別会社であったが次第に合併により、現在はベルギーに本社を持つ世界最大の「InBev(インベブ)」社に属すブランドとなっている。
また、南部では同じくドイツ系の移民やイタリア系の移民を中心に、その気候を生かしてワインの生産も古くから行われている。ブラジル独自の酒としては、サトウキビを原料とした蒸留酒であるピンガ(カシャーサ)が有名である。このピンガを使用したカクテルであるカイピリーニャやバチーダもよく飲まれる。また、日系人が設立した現地企業が日本酒「東麒麟」を生産している。きわめて精錬された高エネルギーのピンガは、自動車の燃料用アルコールとして多量に生産されている。
コカ・コーラやペプシなどの他にガラナ(グァラナーと発音)の実を使用したソフトドリンク(ガラナ飲料)が広く飲まれており、日本やアメリカなどの各国へ輸出もされている。また、ブラジルはフルーツも豊富な国として知られ、オレンジジュースやマラクジャ(パッションフルーツ)、カジュー(カシューナッツの実)、ココナッツなど多くの種類がある。またアマゾン原産のトロピカル・フルーツであるアサイーやアセロラ、グラヴィオラやクプアス、グアバなどもよく好まれており、近年日本でもそれらのジュースやバルブ(ピューレ)が輸入されている。
日本起源である寿司はもはやブラジル料理の一部となっている。多くの寿司レストランの経営者は中国人で寿司職人はブラジル北部のセアラー州出身である。出稼ぎブーム以降、日本人日系人職人がいるレストランは激減した。
婚姻の際は夫婦別姓であるが、女性は自己の姓に夫の姓を後置することも可能である。
詳細は「ブラジル文学」を参照
文字によるブラジル文学は、16世紀にブラジルに到達したポルトガル人のペロ・ヴァス・デ・カミーニャの『カミーニャの書簡』に起源を持つ。
1822年の独立後、当時の知識人はヨーロッパ、特にフランスに文化の範を求めた。1836年からゴンサルヴェス・ド・アルヴェスの『詩的吐息と感傷』によってロマン主義がヨーロッパからもたらされたことにより、インディオを理想的なブラジル人とみなすインディアニズモの潮流が生まれ、詩の分野ではムラートの詩人のゴンサルヴェス・ジアスが大成し、その他にも『イラセーマ』と『グアラニー』で知られるジョゼ・デ・アレンカールや、奴隷制廃止運動の第一人者となった詩人のカストロ・アルヴェスを生み出した。19世紀後半の第二帝政期には写実主義がヨーロッパからもたらされ、写実主義の作家としては『ドン・カズムーホ』(むっつり屋)で知られるマシャード・デ・アシスや、『コルチッソ』で知られる自然主義作家のアルイジオ・アゼヴェドなどが挙げられる。
1889年の共和制革命後、1897年にはブラジル文学アカデミーが設立され、初代会長にはマシャード・デ・アシスが就任した。この時代にはカヌードスの反乱を取材した『奥地』で知られるエウクリデス・ダ・クーニャや、リマ・バレット、モンテイロ・ロバートが活躍した。
第一次世界大戦によってブラジルのエリートが範としていたヨーロッパが没落すると、「ブラジルのブラジル化」が掲げられ、文化面でのヨーロッパの模倣からの脱却が模索された。それまでの文化潮流を背景に1922年から始まった近代主義運動においては、1920年代にはブラジル各地の伝承や神話を素材にした小説家のマリオ・デ・アンドラーデや、後にファシズム政党インテグラリスタ党を創始したプリニオ・サルガード、「食人運動」を称揚したオズヴァルド・アンドラーデが活躍した。続く1930年代、1940年代のヴァルガス時代にはヴァルガスによる中央集権体制に抗するかのように地方主義(レジオナリズモ)が発達し、グラシリアーノ・ラーモス、ジョルジェ・アマードなどの小説家や、カルロス・ドゥルモン・デ・アンドラーデなどの詩人が活躍した。
現在はマリオ・デ・アンドラーデやマヌエル・バンデイラなどが特に対外的にも有名であり、日本でもジョルジェ・アマードの『革命児プレステス 希望の騎士』、『カカオ』、『果てなき大地』、『砂の戦士たち』や、ジョゼー・デ・アレンカールの『イラセマ』など、またパウロ・コエーリョの『星の巡礼』や『ベロニカは死ぬことにした』など多くの著作が翻訳されている。
1988年にブラジル、ポルトガル両政府共同で、ポルトガル語圏の優れた文学者に贈られるカモンイス賞が創設された。
詳細は「ブラジル音楽」を参照
ブラジルの音楽はトゥピー・グアラニー系のインディオ、アンゴラ、ナイジェリアをはじめとするアフリカ、ポルトガルやその他ヨーロッパの伝統が混じりあって発展した。したがってブラジルにおける音楽的文化は非常に高く、貧富の差を問わず多くの国民が音楽を好む傾向にある。また、それらの複合的なメロディーと独特なリズムやハーモニーの要素から、古くより世界的に高い評価を得ている。日本でも他の地域のワールドミュージック愛好者に比べれば、ブラジル音楽を愛好する人は非常に多い。
主な音楽のジャンルとしては、日本でも一般に知られるサンバやボサノヴァに加え、インストルメンタルではアメリカのジャズよりも古い歴史を持つといわれるショーロ、ポピュラー音楽であるMPB、あるいはフォホーをはじめとするノルデステ(北東部の音楽)、バイーアのアシェーなどが挙げられる。
ただし、ブラジルの若い世代は、こうしたブラジル音楽よりも、欧米のロックやポップス、ブレーガ(ブラジルの俗謡)を好む人も多い。また近年ではCSSのように世界的に人気を集める若い世代のバンドも現れている。
ブラジル音楽では、サンバなどで使われるパンデイロやスルド、タンボリン、ビリンバウなどブラジルで発展・発明された楽器が多い。このためパーカッションが比較的に多用される傾向があるため、ブラジルは打楽器の強い国、あるいは他の楽器が弱い国と思われやすい。しかし音楽自体が盛んな国であるため、ピアノ、あるいはヴィオラゥンやカヴァキーニョなどの弦楽器、フルートやオーボエなどの管楽器などもよく演奏される。また歌手や声楽家なども多く、有能な人材を世界に送り出している。
また、ポピュラー音楽のみならず、クラシック音楽やジャズの分野においても重要な音楽家を輩出しており、著名な音楽家としては19世紀に活躍したオペラ作曲家のカルロス・ゴーメスや、『ブラジル風バッハ』などで知られるエイトル・ヴィラ=ローボス、エルネスト・ナザレーといった作曲家のほか、演奏者としてはアサド兄弟などのギター奏者も世界的に知られている。
詳細は「ブラジルの映画」を参照
ブラジルはアルゼンチン、メキシコと共にラテンアメリカでも特に映画制作が盛んな国である。ブラジルに映画が伝えられたのは1896年7月で、リオでヨーロッパから持ち込まれた映写機の実演にはじまる。1905年ごろには短編作品が多く撮影され、各地に映画館が建てられた。1930年にマリオ・ペイショットの『リミッチ』が製作され、これはイギリスやソヴィエトでも上映された。
1950年代後半にはシネマ・ノーヴォという運動からカルロス・ヂエギス、ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス、グラウベル・ホーシャ、ルイ・ゲーハといった監督を輩出した。1964年に軍事政権が樹立されると表現の自由が制限され、検閲が行われた。1969年に発足した政府機関のブラジル映画公社(エンブラ・フィルメ)は、ほとんどの映画作品の製作に関与した。1976年にブルーノ・バヘットによる『未亡人ドナ・フロールの理想的再婚生活』(ドナ・フロールと二人の夫)が製作・公開されると、ブラジルで1300万人を動員し、観客動員数第一位を更新する空前の大ヒット作となった。また同監督の『ガブリエラ』、ヂエギスの『バイバイ・ブラジル』、『シッカ・ダ・シルヴァ』など、ブラジルの史実に基づいた多くの良心的な作品が製作された。またアルゼンチン出身のエクトール・バベンコも、ブラジル国籍を取得して活動拠点を移し『蜘蛛女のキス』、『カランジル』(2003)などを製作した。1986年に軍事政権が終焉すると民主化が活発化し、低予算で製作される大衆的な作品も増加した。しかし、1990年代に入るとそれまでのブラジル映画公社を主体としたブラジル映画製作は行き詰まり、完全な破綻を迎えた。
現在のブラジル映画の再生は、1994年から始まった。1998年、ヴァルテル・サレスの『セントラル・ステーション』(セントラウ・ド・ブラズィウ, Central do Brasil)が多くの国際的な受賞を受けたことから、ブラジルの映画にも注目が集まるようになり、ヂエギスの『オルフェ』(1999)をはじめ、『トロパ・デ・エリーテ』、『デスムンド』などがブラジル国外でも公開されるようになった。特にファヴェーラの問題を描いたフェルナンド・メイレレスの『シティ・オブ・ゴッド』(Cidade do Deus、2002)は、多くの映画祭で受賞、世界的にヒットした。このような成功により、ブラジル人監督による映画作品が世界的に注目されている。また他に『クアトロ・ディアス』、『スエリーの青空』、『モーターサイクル・ダイアリーズ』、『バス174』(Ônibus 174)、『オイ・ビシクレッタ』、『私の小さな楽園』、『ビハインド・ザ・サン』、などの作品が国外でも公開され、これらは日本でもDVD化され販売されている。『フランシスコの2人の息子』(2005)は『ドナ・フロールと二人の夫』の記録を塗り替え、観客動員数歴代一位を更新した。また東京では、ブラジル映画祭が毎年開催されており、日本でも多くの作品が公開されている。
ブラジル国内においては、近年各地のショッピングセンターにおけるシネマコンプレックスが増加している一方で、いわゆる海賊盤と呼ばれる違法なDVDが販売されることも多い。ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した『トロッパ・デ・エリーテ』は公開前から海賊盤が出回り、映画の内容を多少変更せざるを得なくなってしまったという事件が起こった。
毎年2月頃の四旬節の前に、国中の市町村でカーニバル(ブラジルポルトガル語では"カルナヴァウ"と発音する)が祝われる。期間中は国中を挙げ、徹夜でサンバのリズムに乗って踊りまくる。リオのカーニバルといえば、一般的に死者が多いことで知られるが、これは酒に酔ったための喧嘩や飲酒運転による自動車事故、心臓麻痺などで毎年数百人規模の死者が出ることである、したがってカーニバル自体での死者が多いということではない。
リオデジャネイロで行われるカーニバルは世界的に有名で、世界各国から多くの観光客を呼び寄せている。エスコーラ・デ・サンバ(Escola de Samba、千人単位の大規模なサンバチーム、以下「エスコーラ」と略称)単位によるパレードがサンボードロモというコンテスト会場で行われ、一番高い評価を得たサンバチームが優勝する。いわゆるリオのカーニバルは、サンボードロモで行われるコンテストを指すことが多いが、それ以下の小規模なエスコーラやブロッコ・カルナヴァレスコ(Bloco Carnavalesco)などが、リオ・ブランコ通りなど街中やイパネマ海岸付近などをパレードすることも多い。
なお、リオのカーニバルはサンバだけだと思われがちであるが、マルシャ(ブラジル版3拍子のマーチ)やポルカなども演奏されている。
詳細は「ブラジルの世界遺産」を参照
ブラジル国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が10件、自然遺産が7件存在する。
古都オウロ・プレット - (1980年、文化遺産)
グアラニーのイエズス会伝道所群:サン・ミゲル・ダス・ミッソンエス遺跡(ブラジル) - (1983年、/ 1984年、文化遺産)
サルヴァドール・デ・バイーア歴史地区 - (1985年、文化遺産)
ボン・ジェズス・ド・コンゴーニャスの聖所 - (1985年、文化遺産)
イグアス国立公園 - (1986年、自然遺産)
ブラジリア - (1987年、文化遺産)
サン・ルイス歴史地区 - (1997年、文化遺産)
ジアマンテチーナ歴史地区 - (1999年、文化遺産)
ブラジルの大西洋諸島:フェルナンド・デ・ノローニャとホッカス環礁保護区群 - (2001年、自然遺産)
ゴイアス歴史地区 - (2001年、文化遺産)
日付 | 日本語表記 | ポルトガル語表記 | 備考 |
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1月1日 | 元日 | Confraternização Universal 慣用:Ano Novo |
新しい年の始まりを祝う日 |
1月20日 | 聖セバスティアンの日 | São Sebastião | リオデジャネイロ市のみ |
1月25日 | サン・パウロ市記念日 | Aniversário de São Paulo | サン・パウロ市のみ |
2月 - 3月中の火曜日 | 謝肉祭 | Carnaval | 移動祝日 |
2月 - 3月中の水曜日 | 灰の水曜日 | Quarta-feira de Cinzas | 移動祝日 |
3月 - 4月中の金曜日 | 受難 | Paixão de Cristo 慣用:Sexta-feira Santa |
移動祝日 |
3月 - 4月中の日曜日 | 復活祭 | Páscoa | 移動祝日 |
4月21日 | チラデンテス | Tiradentes | チラデンテスが亡くなった日 |
4月23日 | 聖ジョルジの日 | São Jorge | リオデジャネイロ州のみ |
5月1日 | メーデー | Dia do Trabalho | 労働者の功績を称える日 |
5月 - 6月中の日曜日 | 聖霊降臨祭 | Pentecostes | 移動祝日 |
5月 - 6月中の日曜日 | 聖三位一体の日曜日 | Domingo da Santíssima Trindade | 移動祝日 |
5月 - 6月中の木曜日 | 聖体の祝日 | Corpus Christi | 移動祝日 |
6月24日 | フェスタジュニーナ | São João | ペルナンブーコ州とアラゴアス州のみ |
9月7日 | 独立記念日 | Dia da Independência | |
10月12日 | 聖母アパレシーダの日 | Nossa Senhora Aparecida | 子どもの日としても祝う |
11月2日 | 死者の日 | Dia de Finados | |
11月15日 | 共和制宣言記念日 | Proclamação da República | |
11月20日 | 黒人の自覚の日 | Dia da Consciência Negra | リオデジャネイロ州とサン・パウロ州と アラゴアス州とアマゾナス州と |
12月25日 | クリスマス | Natal |
詳細は「ブラジルのスポーツ」を参照
サッカー、バレーボール、バスケットボール、テニス等の球技や、F1などのモータースポーツ、ブラジリアン柔術などの格闘技が強いことで世界的に知られており、これらのスポーツにおいて数々の世界チャンピオンに輝いているほか、著名なアスリートを多数輩出している。
詳細は「ブラジルの科学と技術」、「:en:Brazilian science and technology」、および「ブラジルの宇宙開発」を参照
20世紀の間ブラジルは基礎研究や先端技術では欧米諸国に遅れを取ってしまったが、それでもライト兄弟と同様に飛行機開発のパイオニアだったアルベルト・サントス・ドゥモンのように(フランスに移住して活躍、第一次世界大戦に失望しブラジルへ永住帰国、フランスの市民権をも持つ)、科学技術の発展に大きな貢献をもたらした技術者が存在し、近年では1970年代から進められた燃料用エタノールの研究により、この分野では世界的なパイオニアとなっている。
人文科学や社会科学においても、「人種民主主義論」を打ち出し、文化相対主義的な立場からアフリカ系ブラジル人とブラジルのナショナリズムを結びつけた人類学者ジルベルト・フレイレや、アンドレ・グンダー・フランク以来停滞していた従属論経済学を用いて、第三世界の経済発展のあり方を模索した経済学者フェルナンド・エンリケ・カルドーゾや、第三世界の識字教育に大きな貢献をもたらし、「エンパワメント」などの概念を発達させた教育学者パウロ・フレイレなどがブラジル出身の世界的に有名な学者として挙げられる。
軍事政権下で報道の自由はある程度制限されたものの、民政化された現在では完全に自由な報道が行われている。新聞はオ・グローボなどの全国紙の他、スポーツ専門紙などがある。また、専門紙や雑誌をはじめとするスポーツメディアの中でも、特にサッカー専門メディアについては世界的に高い評価を誇る。
テレビは1950年に初放映がなされ、1965年にオ・グローボが設立されてから同社が圧倒的なシェアを占め、現在はSBTなどがグローボを追い上げている。近年では衛星放送やインターネットの普及が急速に進んでいる。
詳細は「ブラジル人の一覧」を参照
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ウィキメディア・コモンズには、ブラジルに関連するメディアおよびカテゴリがあります。 |
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Federative Republic of Brazil
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Motto:
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Anthem:
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National seal
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Capital | Brasília 15°47′S 47°52′W / 15.783°S 47.867°W / -15.783; -47.867 |
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Largest city | São Paulo | |||||
Official languages | Portuguese[1] | |||||
Ethnic groups (2010[2]) |
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Demonym | Brazilian | |||||
Government | Federal presidential constitutional republic | |||||
- | President | Dilma Rousseff | ||||
- | Vice President | Michel Temer | ||||
- | President of the Chamber of Deputies |
Henrique Eduardo Alves | ||||
- | President of the Senate | Renan Calheiros | ||||
- | President of the Supreme Federal Court | Joaquim Barbosa | ||||
Legislature | National Congress | |||||
- | Upper house | Federal Senate | ||||
- | Lower house | Chamber of Deputies | ||||
Independence from United Kingdom of Portugal, Brazil and the Algarves | ||||||
- | Declared | 7 September 1822 | ||||
- | Recognized | 29 August 1825 | ||||
- | Republic | 15 November 1889 | ||||
- | Current constitution | 5 October 1988 | ||||
Area | ||||||
- | Total | 8,515,767 km2 (5th) 3,287,597 sq mi |
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- | Water (%) | 0.65 | ||||
Population | ||||||
- | 2013 estimate | 201,032,714[3][4] (5th) | ||||
- | Density | 23.7/km2 (192nd) 61.5/sq mi |
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GDP (PPP) | 2012 estimate | |||||
- | Total | $2.356 trillion[5] (7th) | ||||
- | Per capita | $11,875[5] (77th) | ||||
GDP (nominal) | 2012 estimate | |||||
- | Total | $2.396 trillion[5] (7th) | ||||
- | Per capita | $12,079[5] (58th) | ||||
Gini (2012) | 51.9[6] high |
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HDI (2012) | 0.730[7] high · 85th |
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Currency | Real (R$) (BRL ) |
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Time zone | BRT (UTC−2 to −4) | |||||
- | Summer (DST) | BRST (UTC−2 to −4) | ||||
Date format | dd/mm/yyyy (CE) | |||||
Drives on the | right | |||||
Calling code | +55 | |||||
ISO 3166 code | BR | |||||
Internet TLD | .br | |||||
a. | Multiracial. |
Brazil i/brəˈzɪl/ (Portuguese: Brasil, IPA: [bɾaˈziw][8]), officially the Federative Republic of Brazil (Portuguese: República Federativa do Brasil, listen (help·info)),[9] is the largest country in both South America and the Latin American region. It is the world's fifth largest country, both by geographical area and by population.[10] It is the largest Lusophone country in the world, and the only one in the Americas.[11]
Bounded by the Atlantic Ocean on the east, Brazil has a coastline of 7,491 km (4,655 mi).[12] It is bordered on the north by Venezuela, Guyana, Suriname and the French overseas region of French Guiana; on the northwest by Colombia; on the west by Bolivia and Peru; on the southwest by Argentina and Paraguay and on the south by Uruguay. Numerous archipelagos form part of Brazilian territory, such as Fernando de Noronha, Rocas Atoll, Saint Peter and Paul Rocks, and Trindade and Martim Vaz.[12] It borders all other South American countries except Ecuador and Chile and occupies 47% of the continent of South America.
Brazil was a colony of Portugal beginning from the landing of Pedro Álvares Cabral in 1500, up until 1815, when it was elevated to the rank of kingdom upon the formation of the United Kingdom of Portugal, Brazil and the Algarves. The colonial bond was in fact broken several years earlier, in 1808, when the capital of the Portuguese colonial empire was transferred from Lisbon to Rio de Janeiro, after French forces led by the Emperor Napoleon Bonaparte invaded Portugal.[13] Independence was achieved in 1822 with the formation of the Empire of Brazil, a unitary state governed under a constitutional monarchy and a parliamentary system. The country became a presidential republic in 1889, when a military coup d'état proclaimed the Republic, although the bicameral legislature, now called Congress, dates back to the ratification of the first constitution in 1824.[14] Its current Constitution, formulated in 1988, defines Brazil as a federal republic.[15] The Federation is formed by the union of the Federal District, the 26 States, and the 5,564 Municipalities.[15][16]
The Brazilian economy is the world's seventh largest by nominal GDP and the seventh largest by purchasing power parity, as of 2012.[17][18] A member of the BRIC group, Brazil has one of the world's fastest growing major economies, and its economic reforms have given the country new international recognition and influence.[19] Brazil's national development bank (BNDES) plays an important role for the country's economic growth. It mostly depends on its own money and invests in big local firms. The bank's goal is to promote economic growth as well as to preserve the environment and protection of local communities.[20] Brazil is a founding member of the United Nations,[21] the G20, CPLP, Latin Union, the Organization of Ibero-American States, the Organization of American States, Mercosul and the Union of South American Nations. Brazil is one of 17 megadiverse countries, home to a variety of wildlife, natural environments, and extensive natural resources in a variety of protected habitats.[12] Brazil is considered a middle power in international affairs,[22] and has been identified as an emerging power.[23]
The word "Brazil" comes from brazilwood, a tree that once grew plentifully along the Brazilian coast.[24] In Portuguese, brazilwood is called pau-brasil, with the word brasil commonly given the etymology "red like an ember", formed from Latin brasa ("ember") and the suffix -il (from -iculum or -ilium).[25] As brazilwood produces a deep red dye, it was highly valued by the European cloth industry and was the earliest commercially exploited product from Brazil.[26] Through the 16th century, massive amounts of brazilwood were harvested by indigenous peoples (mostly Tupi) along the Brazilian coast, who sold the timber to European traders (mostly Portuguese, but also French) in return for assorted European consumer goods.[27]
The official name of the land, in original Portuguese records, was the "Land of the Holy Cross" (Terra da Santa Cruz),[28] but European sailors and merchants commonly called it simply the "Land of Brazil" (Terra do Brasil) on account of the brazilwood trade.[29] The popular appellation eclipsed and eventually supplanted the official name. Early sailors sometimes also called it the "Land of Parrots" (Terra di Papaga).[30]
In the Guarani language, an official language of Paraguay, Brazil is called "Pindorama". This was the name the indigenous population gave to the region, meaning "land of the palm trees".[31]
The earliest pottery ever found in the Western Hemisphere, radiocarbon-dated 8,000 years old, has been excavated in the Amazon basin of Brazil, near to-day's Santarem, providing evidence that the tropical forest region supported a complex prehistoric culture;[32] the region was inhabited by hundreds of different native tribes, the earliest going back at least 10,000 years in the highlands of Minas Gerais.[33] The territory of current day Brazil had as many as 2,000 tribes, mostly semi-nomadic who subsisted on hunting, fishing, gathering, and migrant agriculture.
The indigenous population of Brazil was divided into large indigenous nations composed of several ethnic groups among which stand out the large groups like Tupis, Guaranis, Gês and Arawaks. The former were subdivided into Tupiniquins and Tupinambás, among many subdivision of the others. The boundaries between these groups and their subgroups, before the arrival of Europeans, were marked by wars between them, arising from differences in culture, language and moral.[34] These wars also involved large-scale military actions on land and water, with ritual cannibalism on POWs.[35][36] While heredity had some weight, leadership status was a more subdued over time, than allocated in succession ceremonies and conventions.[37] Slavery among the Indians had a different meaning than it had for Europeans, since it originated from a diverse socio-economic organization, in which asymmetries were translated into kinship relations.[38]
When the Portuguese arrived in 1500 they saw the natives as noble savages, and miscegenation of the population began right away.[39] Tribal warfare, cannibalism and the pursuit of Amazonian brazilwood for its treasured red dye convinced the Portuguese that they should civilize the indigenous population. But the Portuguese, like the Spanish in their South American possessions, had unknowingly brought diseases with them, against which many indigenous groups were helpless due to lack of immunity. Measles, smallpox, tuberculosis, gonorrhea, and influenza killed tens of thousands.[40] The diseases spread quickly along the indigenous trade routes, and whole tribes were likely annihilated without ever coming in direct contact with Europeans.[41]
The land now called Brazil was claimed for the Portuguese Empire on April 22, 1500, with the arrival of the Portuguese fleet commanded by Pedro Álvares Cabral.[42] The Portuguese encountered indigenous peoples divided into several tribes, most of whom spoke languages of the Tupi–Guarani family, and fought among themselves.[43] Though the first settlement was founded in 1532, colonization was effectively begun in 1534, when King Dom João III of Portugal divided the territory into the twelve private and autonomous Captaincy Colonies of Brazil.[44][45] The decentralized and unorganized tendencies of the captaincy colonies proved problematic, and in 1549 the Portuguese king restructured them into the Governorate General of Brazil, a single and centralized Portuguese colony in South America.[45][46] In the first two centuries of colonization, Indigenous and Europeans groups lived in constant war, establishing opportunistic alliances in order to gain advantages against each other.[47][48][49][50] By the mid-16th century, sugar of cane had become Brazil's most important exportation product,[43][51] and slaves purchased in Sub-Saharan Africa, in the slave market of Western Africa[52] (not only those from Portuguese allies of their colonies in Angola and Mozambique), had become its largest import,[53][54] to cope with plantations of sugarcane, due to increasing international demand for Brazilian sugar.[40][55]
By the end of the 17th century, sugarcane exports began to decline,[56] and the discovery of gold by bandeirantes in the 1690s, would become the new backbone of the colony's economy, fostering an Brazilian Gold Rush,[57] attracting thousands of new settlers to Brazil, from Portugal and all Portuguese colonies around the World,[58] which in turn caused some conflicts between newcomers and old settlers.[59]
Portuguese expeditions known as Bandeiras gradually advanced the Portugal colonial original frontiers in South America to where lies most of the current Brazilian borders.[60][61] In this era other European powers tried to colonize parts of Brazil, in incursions that the Portuguese had to fought, notably the French in Rio during 1560s, in Maranhão during 1610s, and the Dutch in Bahia and Pernambuco, during the Dutch–Portuguese War, after the end of Iberian Union.[62]
In order to ensure the colonial order and the monopoly of exploitation by Portugal of its wealthiest and largest colony, the main political focus of the Portuguese colonial administration in Brazil were bounded in successfully both keep under control and eradicate all forms of slaves' rebellion and resistance, such as the Quilombo of Palmares,[63] as well as repress all movements for autonomy or independence, as the Minas Conspiracy, eg.[64]
In late 1807, Spanish and Napoleonic forces threatened the security of continental Portugal, causing Prince Regent João, in the name of Queen Maria I, to move the royal court from Lisbon to Brazil.[65] There they established some of Brazil's first financial institutions, such as its local stock exchanges,[66] a National Bank, and ended the monopoly of the colony trade with Portugal, opening it to other nations. In 1809, in retaliation for being forced into exile, the Prince Regent ordered the Portuguese conquest of French Guiana.[67]
With the end of the Peninsular War in 1814, the courts of Europe demanded that Queen Maria I and Prince Regent João return to Portugal, deeming it unfit for the head of an ancient European monarchy to reside in a colony. In 1815, in order to justify continuing to live in Brazil, where the royal court had thrived for the past six years, the Crown established the United Kingdom of Portugal, Brazil, and the Algarves, thus creating a pluricontinental transatlantic monarchic state.[68] The Portuguese leaders demanded return of the court to Lisbon, as the Liberal Revolution of 1820 required, and groups of Brazilians still demanded independence and a republic, as the 1817 Pernambucan Revolt showed.[68] In 1821, as a demand of revolutionaries who had taken the city of Porto,[69] D. João VI was unable to hold out any longer, and departed for Lisbon. There he swore oath to the new constitution, leaving his son, Prince Pedro de Alcântara, as Regent of the Kingdom of Brazil.[70]
Tensions between Portuguese and Brazilians increased, and the Portuguese Cortes, guided by the new political regime imposed by the 1820 Liberal Revolution, tried to re-establish Brazil as a colony.[71] The Brazilians refused to yield, and Prince Pedro decided to stand with them, declaring the country's independence from Portugal on 7 September 1822. This is now celebrated as Brazil's Independence Day.[72]
On 12 October 1822, Prince Pedro was declared the first Emperor of Brazil and crowned Dom Pedro I on 1 December 1822.[73] A subsequent Brazilian War of Independence spread through northern, northeastern regions and in Cisplatina province.[74] With the last Portuguese soldiers surrendering on 8 March 1824,[75] Portugal officially recognized Brazil on 29 August 1825.[76]
In 7 April 1831, worn down by years of administrative turmoil and political dissensions with both liberal and conservative sides of politics, including an attempt of republican secession,[77] as well as unreconciled with the way that absolutists in Portugal had given to the succession of King John VI, Pedro I went to Portugal to reclaim his daughter's crown, abdicating of Brazilian throne in favor of his five-year-old son and heir (who later became Dom Pedro II).[78]
As the new emperor could not exert his constitutional powers until he reached maturity, a regency was set up by the government.[79] In the absence of a charismatic figure who could represent a moderate face of power, during this period a series of localized rebellions took place, as the Cabanagem, the Malê Revolt, the Balaiada, the Sabinada, and the Ragamuffin War, which emerged from the dissatisfaction of the provinces with the central power, coupled with old and latent social tensions peculiar of a vast, slaveholding and newly independent nation state.[80] This period of internal political and social upheaval, which included the Praieira revolt, was overcome only at the end of the 1840s, years after the end of the regency, which occurred with the premature coronation of Pedro II in 1841.[81]
During the last phase of the monarchy, internal political debate was centered on the issue of slavery. The Atlantic slave trade was abandoned in 1850,[82] as a result of the British' Aberdeen Act, but only in May 1888 after a long process of internal mobilization and debate for an ethical and legal dismantling of slavery in the country, was the institution formally abolished.[83]
The foreign affairs in the monarchy were basically related issues with the countries of the Southern Cone with which Brazil has borders. Long after the Cisplatine War, that resulted in independence for Uruguay,[84] Brazil won three international wars during the 58-year reign of Pedro II. These were the Platine War, the Uruguayan War and the devastating Paraguayan War, the largest war effort in the country history.[85][86]
On November 15, 1889, worn out by years of economic stagnation, in attrition with the majority of Army officers, as well as with rural and financial elites (for different reasons), the monarchy was overthrown by a military coup.[87]
The "early republican government was little more than a military dictatorship, with army dominating affairs both at Rio de Janeiro and in the states. Freedom of the press disappeared and elections were controlled by those in power".[88] In 1894, following severe military and economic crises, the republican civilians rose to power.[89][90][91]
Little by little, a cycle of general instability sparked by these crises undermined the regime to such an extent, that by 1930 in the wake of the murder of his running mate, it was possible for the defeated opposition presidential candidate Getúlio Vargas supported by most of the military, led a successful revolt.[92][93] Vargas was supposed to assume power temporarily, but instead closed the Congress, extinguished the Constitution, ruled with emergency powers and replaced the states' governors with his supporters.[94][95]
In the 1930s, three major attempts to remove Vargas and his supporters from power occurred: in the second half of 1932, in November 1935, and in May 1938.[96][97][98] Being the second one, the communist revolt which served as an excuse for the preclusion of elections, put into effect by a coup d'état in 1937, which made the Vargas regime a full dictatorship, noted for its brutality and censorship of the press.[99]
In foreign policy, the success in resolving border disputes with neighboring countries in the early years of the republican period,[100] was followed by a failed attempt to exert a prominent role in the League of Nations,[101] after its involvement in World War I.[102][103] In World War II Brazil remained neutral until August 1942, when the country entered on the allied side,[104][105] after suffering retaliations undertaken by Nazi Germany and Fascist Italy, due to the country having severed diplomatic relations with them in the wake of the Pan-American Conference.[106]
With the allied victory in 1945 and the end of the Nazi-fascist regimes in Europe, Vargas's position became unsustainable and he was swiftly overthrown in another military coup, with Democracy being "reinstated" by the same army that had discontinued it 15 years before.[107] Vargas committed suicide in August 1954 amid a political crisis, after having returned to power by election in 1950.[108][109]
Several brief interim governments succeeded after Vargas's suicide.[110] Juscelino Kubitschek became president in 1956 and assumed a conciliatory posture towards the political opposition that allowed him to govern without major crises.[111] The economy and industrial sector grew remarkably,[112] but his greatest achievement was the construction of the new capital city of Brasília, inaugurated in 1960.[113] His successor was Jânio Quadros, who resigned in 1961 less than a year after taking office.[114] His vice-president, João Goulart, assumed the presidency, but aroused strong political opposition[115] and was deposed in April 1964 by a coup that resulted in a military regime.[116]
The new regime was intended to be transitory[117] but it gradually closed in on itself and became a full dictatorship with the promulgation of the Fifth Institutional Act in 1968.[118] The repression was not limited only to those who resorted to guerrilla to fight the regime, but also reached institutional opponents, artists, journalists and other members of civil society,[119][120] inside and outside the country (through the infamous "Operation Condor").[121][122] Despite its brutality, like other totalitarian regimes in history, due to an economic boom, known as an "economic miracle", the regime reached its highest level of popularity in early 1970s.[123]
Slowly however, the wear and tear of years of dictatorial power that has not slowed the repression, even after the defeat of the leftist guerrillas,[124] plus the inability to deal with the economic crises of the period and popular pressure, made it inevitable an opening policy, which of the regime side was led by Generals Geisel and Golbery.[125] With the enactment of the Amnesty Law in 1979, Brazil began to slowly return to democracy, which would be completed along the 1980s.[126]
Civilians returned to power in 1985 when José Sarney assumed the presidency, 125 becoming unpopular during his tenure due his failure in control the economic crisis and hyperinflation inherited from the military regime.[127] Sarney's unsuccessful government allowed the election in 1989 of the almost unknown Fernando Collor, who was subsequently impeached by the National Congress in 1992.[128] Collor was succeeded by his Vice-President Itamar Franco, who appointed Fernando Henrique Cardoso as Minister of Finance. In 1994, Cardoso produced a highly successful Plano Real,[129] that after decades of failed economic plans made by previous governments attempting to curb hyperinflation, finally granted stability to the Brazilian economy,[130][131] leading Cardoso to be elected that year, and again in 1998.[132]
The peaceful transition of power from Fernando Henrique to his main opposition leader, Luís Inácio Lula da Silva, who was elected in 2002 and re-elected in 2006, proved that Brazil had finally succeeded in achieving its long-sought political stability.[133] Lula was succeeded in 2011 by the current president, Dilma Rousseff, the country's first woman president and as such one of the most powerful women in the world.[134][135]
In June 2013, following the same viral phenomenon process of earlier manifestations Worldwide (such as the "Arab Spring", the "Occupy Wall Street" and the "Spanish Indignados"),[136] numerous protests erupted in Brazil.
For days, hundreds of thousands of people took to the streets in several cities to protest.[137] Initially, a movement against the increase on public transport fares, it gained gigantic proportions sparked by the excessive use of force by the state polices, turning into a series of huge demonstrations by groups and individuals, irate over a range of issues (including those ones about new stadium projects for international sports events, as well as demands on quality of public services a diffuse anger against corruption, and opposition to a constitutional amendment proposal, PEC 37, which was popularly misinterpreted as an attempt to curb repression of corruption),[138] becoming as a result of this, in a motion that contains within it, conflicting ideologies, and so far, has not a single political agenda or a recognizable leadership.[139][140][141]
In part due to this lack of a clear political agenda and recognisable leadership, as well as increasing vandalism and manipulation by the press, the movement later subsided.
Brazil occupies a large area along the eastern coast of South America and includes much of the continent's interior,[142] sharing land borders with Uruguay to the south; Argentina and Paraguay to the southwest; Bolivia and Peru to the west; Colombia to the northwest; and Venezuela, Suriname, Guyana and the French overseas department of French Guiana to the north. It shares a border with every country in South America except for Ecuador and Chile. It also encompasses a number of oceanic archipelagos, such as Fernando de Noronha, Rocas Atoll, Saint Peter and Paul Rocks, and Trindade and Martim Vaz.[12] Its size, relief, climate, and natural resources make Brazil geographically diverse.[142] Including its Atlantic islands, Brazil lies between latitudes 6°N and 34°S, and longitudes 28° and 74°W.
Brazil is the fifth largest country in the world, and third largest in the Americas, with a total area of 8,514,876.599 km2 (3,287,612 sq mi),[143] including 55,455 km2 (21,411 sq mi) of water.[12] It spans three time zones; from UTC-4 in the western states, to UTC-3 in the eastern states (and the official time of Brazil) and UTC-2 in the Atlantic islands.[144] Brazil is the only country in the world that lies on the equator while having contiguous territory outside the tropics. Brazilian topography is also diverse and includes hills, mountains, plains, highlands, and scrublands. Much of the terrain lies between 200 metres (660 ft) and 800 metres (2,600 ft) in elevation.[145] The main upland area occupies most of the southern half of the country.[145] The northwestern parts of the plateau consist of broad, rolling terrain broken by low, rounded hills.[145]
The southeastern section is more rugged, with a complex mass of ridges and mountain ranges reaching elevations of up to 1,200 metres (3,900 ft).[145] These ranges include the Mantiqueira and Espinhaço mountains and the Serra do Mar.[145] In the north, the Guiana Highlands form a major drainage divide, separating rivers that flow south into the Amazon Basin from rivers that empty into the Orinoco River system, in Venezuela, to the north. The highest point in Brazil is the Pico da Neblina at 2,994 metres (9,823 ft), and the lowest is the Atlantic Ocean.[12]
Brazil has a dense and complex system of rivers, one of the world's most extensive, with eight major drainage basins, all of which drain into the Atlantic.[146] Major rivers include the Amazon (the world's second-longest river and the largest in terms of volume of water), the Paraná and its major tributary the Iguaçu (which includes the Iguazu Falls), the Negro, São Francisco, Xingu, Madeira and Tapajós rivers.[146]
The climate of Brazil comprises a wide range of weather conditions across a large area and varied topography, but most of the country is tropical.[12] According to the Köppen system, Brazil hosts five major climatic subtypes: equatorial, tropical, semiarid, highland tropical, temperate, and subtropical. The different climatic conditions produce environments ranging from equatorial rainforests in the north and semiarid deserts in the northeast, to temperate coniferous forests in the south and tropical savannas in central Brazil.[147] Many regions have starkly different microclimates.[148][149]
An equatorial climate characterizes much of northern Brazil. There is no real dry season, but there are some variations in the period of the year when most rain falls.[147] Temperatures average 25 °C (77 °F),[149] with more significant temperature variation between night and day than between seasons.[148]
Over central Brazil rainfall is more seasonal, characteristic of a savanna climate.[148] This region is as extensive as the Amazon basin but has a very different climate as it lies farther south at a higher altitude.[147] In the interior northeast, seasonal rainfall is even more extreme. The semiarid climatic region generally receives less than 800 millimetres (31.5 in) of rain,[150] most of which generally falls in a period of three to five months of the year[151] and occasionally less than this, creating long periods of drought.[148] Brazil's 1877–78 Grande Seca (Great Drought), the most severe ever recorded in Brazil,[152] caused approximately half a million deaths.[153] The one from 1915 was devastating too.[154]
South of Bahia, near the coasts, and more southerly most of the state of São Paulo, the distribution of rainfall changes, with rain falling throughout the year.[147] The south enjoys subtropical conditions, with cool winters and average annual temperatures not exceeding 18 °C (64.4 °F);[149] winter frosts and snowfall are not rare in the highest areas.[147][148]
Brazil's large territory comprises different ecosystems, such as the Amazon rainforest, recognized as having the greatest biological diversity in the world,[155] with the Atlantic Forest and the Cerrado, sustaining the greatest biodiversity.[156] In the south, the Araucaria pine forest grows under temperate conditions.[156] The rich wildlife of Brazil reflects the variety of natural habitats. Scientists estimate that the total number of plant and animal species in Brazil could approach four million.[156]
Larger mammals include pumas, jaguars, ocelots, rare bush dogs, and foxes; peccaries, tapirs, anteaters, sloths, opossums, and armadillos are abundant. Deer are plentiful in the south, and many species of New World monkeys are found in the northern rain forests.[156][157] Concern for the environment has grown in response to global interest in environmental issues.[158] Biodiversity can contribute to agriculture, livestock, forestry and fisheries extraction. However, almost all economically exploited species of plants, such as soybeans and coffee, or animals, such as chicken, are imported from other countries, and the economic use of native species still crawls. In the Brazilian GDP, the forest sector represents just over 1% and fishing 0.4%.
The natural heritage of Brazil is severely threatened by cattle ranching and agriculture, logging, mining, resettlement, oil and gas extraction, over-fishing, wildlife trade, dams and infrastructure, water pollution, climate change, fire, and invasive species.[155] In many areas of the country, the natural environment is threatened by development.[159] Construction of highways has opened up previously remote areas for agriculture and settlement; dams have flooded valleys and inundated wildlife habitats; and mines have scarred and polluted the landscape.[158][160] At least 70 dams are said to be planned for the Amazon region, including controversial Belo Monte hydroelectric dam.[161]
The Brazilian Federation is the "indissoluble union" of the States, the Municipalities and the Federal District.[15] The Union, the states and the Federal District, and the municipalities, are the "spheres of government." The Federation is set on five fundamental principles:[15] sovereignty, citizenship, dignity of human beings, the social values of labour and freedom of enterprise, and political pluralism. The classic tripartite branches of government (executive, legislative, and judicial under a checks and balances system), is formally established by the Constitution.[15] The executive and legislative are organized independently in all three spheres of government, while the judiciary is organized only at the federal and state/Federal District spheres.
All members of the executive and legislative branches are directly elected.[162][163][164] Judges and other judicial officials are appointed after passing entry exams.[162] For most of its democratic history, Brazil has had a multi-party system, proportional representation. Voting is compulsory for the literate between 18 and 70 years old and optional for illiterates and those between 16 and 18 or beyond 70.[15]
Together with several smaller parties, four political parties stand out: Workers' Party (PT), Brazilian Social Democracy Party (PSDB), Brazilian Democratic Movement Party (PMDB), and Democrats (DEM). Fifteen political parties are represented in Congress. It is common for politicians to switch parties, and thus the proportion of congressional seats held by particular parties changes regularly.[165] Almost all governmental and administrative functions are exercised by authorities and agencies affiliated to the Executive.
The form of government is that of a democratic republic, with a presidential system.[15] The president is both head of state and head of government of the Union and is elected for a four-year term,[15] with the possibility of re-election for a second successive term. The current president is Dilma Rousseff who was inaugurated on 1 January 2011.[166] The President appoints the Ministers of State, who assist in government.[15] Legislative houses in each political entity are the main source of law in Brazil. The National Congress is the Federation's bicameral legislature, consisting of the Chamber of Deputies and the Federal Senate. Judiciary authorities exercise jurisdictional duties almost exclusively.
Brazilian law is based on Roman-Germanic[not in citation given] traditions[167] and civil law concepts prevail over common law practice. Most of Brazilian law is codified, although non-codified statutes also represent a substantial part, playing a complementary role. Court decisions set out interpretive guidelines; however, they are seldom binding on other specific cases. Doctrinal works and the works of academic jurists have strong influence in law creation and in law cases.
The legal system is based on the Federal Constitution, which was promulgated on 5 October 1988, and is the fundamental law of Brazil. All other legislation and court decisions must conform to its rules.[168] As of April 2007[update], there have been 53 amendments. States have their own constitutions, which must not contradict the Federal Constitution.[169] Municipalities and the Federal District have "organic laws" (leis orgânicas), which act in a similar way to constitutions.[170] Legislative entities are the main source of statutes, although in certain matters judiciary and executive bodies may enact legal norms.[15] Jurisdiction is administered by the judiciary entities, although in rare situations the Federal Constitution allows the Federal Senate to pass on legal judgments.[15] There are also specialized military, labor, and electoral courts.[15] The highest court is the Supreme Federal Court.
This system has been criticised over the last few decades for the slow pace of decision making. Lawsuits on appeal may take several years to resolve, and in some cases more than a decade elapses before definitive rulings.[171] Nevertheless, the Supreme Federal Tribunal was the first court in the world to transmit its sessions on television, and also via YouTube.[172][173] More recently, in December 2009, the Supreme Court adopted Twitter to display items on the day planner of the ministers, to inform the daily actions of the Court and the most important decisions made by them.[174]
Brazil continues to have high crime rates in a number of statistics, despite recent improvements. More than 500,000 people have been killed by firearms in Brazil between 1979 and 2003, according to a report by the United Nations.[175] As of December 2012, there were 548,003 people incarcerated in Brazilian prisons or jails (513,713 in prison system and 34,290 in police facilities), constituting 274 inmates per 100,000 of national population.[176]
Brazil's international relations are based on article 4 of the Federal Constitution, which establishes non-intervention, self-determination, international cooperation and the peaceful settlement of conflicts as the guiding principles of Brazil's relationship with other countries and multilateral organizations.[177] According to the Constitution, the President has ultimate authority over foreign policy, while Congress is tasked with reviewing and considering all diplomatic nominations and international treaties, as well as legislation relating to Brazilian foreign policy.[178]
Brazil's foreign policy is a by-product of the country's unique position as a regional power in Latin America, a leader among developing countries, and an emerging world power.[179] Brazilian foreign policy has generally been based on the principles of multilateralism, peaceful dispute settlement, and non-intervention in the affairs of other countries.[180]
An increasingly well-developed tool of Brazil's foreign policy is providing aid as a donor to other developing countries.[181] Brazil does not just use its growing economic strength to provide financial aid, but it also provides high levels of expertise and most importantly of all, a quiet non-confrontational diplomacy to improve governance levels.[181] Total aid is estimated to be around $1 billion per year that includes:[181]
In addition, Brazil manages a peacekeeping mission in Haiti ($350 million) and makes in-kind contributions to the World Food Programme ($300 million).[181] This is in addition to humanitarian assistance and contributions to multilateral development agencies. The scale of this aid places it on par with China and India and ahead of many western donors.[181] The Brazilian South-South aid has been described as a "global model in waiting."[182]
The armed forces of Brazil, largest in Latin America,[183] consist of the Brazilian Army, the Brazilian Navy, and the Brazilian Air Force with a total of 371,199 active personnel.[184]
The Army has 235,978 active personnel.[185] The Military Police (States' Military Police) is described as an ancillary force of the Army by the constitution, but is under the control of each state's governor.[15] The Navy once operated some of the most powerful warships in the world with the two Minas Geraes-class dreadnoughts, which sparked a South American dreadnought race between Argentina, Brazil, and Chile.[186] Today, it is a green water force and one of the ten navies that possesses an aircraft carrier.[187] The Air Force has about 700 manned aircraft in service.[188]
Brazil has not been invaded since 1865 during the Paraguayan War.[189] Additionally, Brazil has no contested territorial disputes with any of its neighbours[190] and neither does it have rivalries, like Chile and Bolivia have with each other.[191][192] Since 1648[clarification needed] the Brazilian Armed Forces have been relied upon to fight in defense of Brazilian sovereignty and to suppress civil rebellions. The Brazilian military has also four times intervened militarily to overthrow the Brazilian government.[193] It has built a tradition of participating in UN peacekeeping missions such as in Haiti and East Timor.[194]
Atlantic
Ocean Pacific
Ocean North Region
Northeast Region
Central-West Region
Southeast Region
South Region
Acre
Amazonas
Pará
Roraima
Amapá
Rondônia
Tocantins
Maranhão
Bahia
Piauí
Ceará
Rio Grande
do Norte Paraíba
Pernambuco
Alagoas
Sergipe
Mato Grosso
Mato Grosso
do Sul Federal
District Goiás
Minas Gerais
São Paulo
Rio de Janeiro
Espírito Santo
Paraná
Santa Catarina
Rio Grande
do Sul Argentina
Bolivia
Chile
Colombia
French Guiana
Guyana
Paraguay
Peru
Suriname
Uruguay
Venezuela
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Brazil is a federation composed of 26 States, one Federal district (which contains the capital city, Brasília) and Municipalities.[15] States have autonomous administrations, collect their own taxes and receive a share of taxes collected by the Federal government. They have a governor and a unicameral legislative body elected directly by their voters. They also have independent Courts of Law for common justice. Despite this, states have much less autonomy to create their own laws than in the United States. For example, criminal and civil laws can only be voted by the federal bicameral Congress and are uniform throughout the country.[15]
The states and the federal district may be grouped into regions: Northern, Northeast, Central-West, Southeast and Southern. The Brazilian regions are merely geographical, not political or administrative divisions, and they do not have any specific form of government. Although defined by law, Brazilian regions are useful mainly for statistical purposes, and also to define the distribution of federal funds in development projects.
Municipalities, as the states, have autonomous administrations, collect their own taxes and receive a share of taxes collected by the Union and state government.[15] Each has a mayor and an elected legislative body, but no separate Court of Law. Indeed, a Court of Law organized by the state can encompass many municipalities in a single justice administrative division called comarca (county).
Brazil is the largest national economy in Latin America, the world's seventh largest economy at market exchange rates and the seventh largest in purchasing power parity (PPP), according to the International Monetary Fund and the World Bank. Brazil has a mixed economy with abundant natural resources. The Brazilian economy has been predicted to become one of the five largest in the world in the decades to come, the GDP per capita following and growing,[195] provided that large investments in productivity gains are made to substitute the GDP growth of the last decade that is attributable to the increase in the number of people working.[196] Its current GDP (PPP) per capita is $11,875 in 2012[5] putting Brazil in the 77th position according to IMF data. Active in agricultural, mining, manufacturing and service sectors Brazil has a labor force of over a 107 million (ranking 6th worldwide) and unemployment of 6.2% (ranking 64th worldwide).[197]
The country has been expanding its presence in international financial and commodities markets, and is one of a group of four emerging economies called the BRIC countries.[198] Major export products include aircraft, electrical equipment, automobiles, ethanol, textiles, footwear, iron ore, steel, coffee, orange juice, soybeans and corned beef.,[199] and has the fourth largest car market in the world.[200] Adding up, Brazil ranks 23rd worldwide in value of exports.
Brazil pegged its currency, the real, to the U.S. dollar in 1994. However, after the East Asian financial crisis, the Russian default in 1998[201] and the series of adverse financial events that followed it, the Central Bank of Brazil temporarily changed its monetary policy to a managed-float[citation needed] scheme while undergoing a currency crisis, until definitively changing the exchange regime to free-float in January 1999.[202]
Brazil received an International Monetary Fund rescue package in mid-2002 of $30.4 billion,[203] then a record sum. Brazil's central bank paid back the IMF loan in 2005, although it was not due to be repaid until 2006.[204] One of the issues the Central Bank of Brazil recently dealt with was an excess of speculative short-term capital inflows to the country, which may have contributed to a fall in the value of the U.S. dollar against the real during that period.[205] Nonetheless, foreign direct investment (FDI), related to long-term, less speculative investment in production, is estimated to be $193.8 billion for 2007.[206] Inflation monitoring and control currently plays a major part in the Central bank's role of setting out short-term interest rates as a monetary policy measure.[207]
Between 1993 and 2010, 7012 mergers & acquisitions with a total known value of $707 billion with the involvement of Brazlian firms have been announced.[208] The year 2010 was a new record in terms of value with 115 billion USD of transactions. The largest transaction with involvement of Brazilian companies has been: Cia Vale do Rio Doce acquired Inco in a tender offer valued at US$18.9 billion.
Corruption costs Brazil almost $41 billion a year alone, with 69.9% of the country's firms identifying the issue as a major constraint in successfully penetrating the global market.[209] Local government corruption is so prevalent that voters only perceive it as a problem if it surpasses certain levels, and only if a local media e.g. a radio station is present to divulge the findings of corruption charges.[210] Initiatives, like this exposure, strengthen awareness which is indicated by the Transparency International's Corruption Perceptions Index; ranking Brazil 69th out of 178 countries in 2012.[211] The purchasing power in Brazil is eroded by the so-called Brazil cost.[212]
Tourism in Brazil is a growing sector and key to the economy of several regions of the country. The country had 5 million visitors in 2010, ranking in terms of international tourist arrivals as the second destination in South America, and third in Latin America after Mexico and Argentina. Revenues from international tourists reached US$6 billion in 2010, showing a recovery from the 2008-2009 economic crisis.[213] Historical records of 5.4 million visitors and US$6.8 billion in receipts were reached in 2011.[214][215]
Natural areas are its most popular tourism product, a combination of ecotourism with leisure and recreation, mainly sun and beach, and adventure travel, as well as cultural tourism. Among the most popular destinations are the Amazon Rainforest, beaches and dunes in the Northeast Region, the Pantanal in the Center-West Region, beaches at Rio de Janeiro and Santa Catarina, cultural tourism in Minas Gerais and business trips to São Paulo city.[216]
In terms of the 2011 Travel and Tourism Competitiveness Index (TTCI), which is a measurement of the factors that make it attractive to develop business in the travel and tourism industry of individual countries, Brazil ranked 52nd in the world, 3rd among Latin American countries after Mexico and Costa Rica, and 7th in the Americas.[217] Brazil's competitive advantages are its natural resources, which ranked 1st on this criteria out of the 139 countries considered, and ranked 23rd for its cultural resources, due to its many World Heritage sites. The TTCI report notes Brazil's main weaknesses: its ground transport infrastructure remains underdeveloped (ranked 116th), with the quality of roads ranking in 105th place; and the country continues to suffer from a lack of price competitiveness (ranked 114th), due in part to high ticket taxes and airport charges, as well as high prices and high taxation. Safety and security have improved significantly: 75th in 2011, up from 128th in 2008.[217]
According to the World Tourism Organization (WTO), international travel to Brazil accelerated in 2000, particularly during 2004 and 2005. However, in 2006 a slow down took place, and international arrivals had almost no growth in 2007-08.[218][219][220] In spite of this trend, revenues from international tourism continued to rise, from USD 4 billion in 2005 to 5 billion in 2007, despite 330 000 fewer arrivals. This favorable trend is the result of the strong devaluation of the US dollar against the Brazilian Real, which began in 2004, but which makes Brazil a more expensive international destination.[221] This trend changed in 2009, when both visitors and revenues fell as a result of the Great Recession of 2008-09.[222] By 2010 the industry had recovered, and arrivals grew above 2006 levels to 5.2 million international visitors, and receipts from these visitors reached USD 6 billion.[213] In 2011 the historical record was reached with 5.4 million visitors and US$6.8 billion in receipts.[214][215]
Despite continuing record breaking of international tourism revenues, the number of Brazilian tourists travelling overseas has been growing steadily since 2003, resulting in a net negative foreign exchange balance, as more money is spent abroad by Brazilian than receipts from international tourists visiting Brazil. Tourism expenditures abroad grew from USD 5.8 billion in 2006, to USD 8.2 billion in 2007, a 42% increase, representing a net deficit of USD 3.3 billion in 2007, as compared to USD 1.5 billion in 2006, a 125% increase from the previous year.[223] This trend is caused by Brazilians taking advantage of the stronger Real to travel and making relatively cheaper expenditures abroad.[223] Brazilians traveling overseas in 2006 represented 4% of the country's population.[224]
In 2005, tourism contributed with 3.2% of the country's revenues from exports of goods and services, and represented 7% of direct and indirect employment in the Brazilian economy.[225] In 2006 direct employment in the sector reached 1.9 million people.[226] Domestic tourism is a fundamental market segment for the industry, as 51 million people travelled throughout the country in 2005,[227] and direct revenues from Brazilian tourists reached USD 22 billion,[228] 5.6 times more receipts than international tourists in 2005.
In 2005, Rio de Janeiro, Foz do Iguaçu, São Paulo, Florianópolis and Salvador were the most visited cities by international tourists for leisure trips. The most popular destinations for business trips were São Paulo, Rio de Janeiro and Porto Alegre.[229] In 2006 Rio de Janeiro and Fortaleza were the most popular destinations for business trips.
Brazil's diversified economy includes agriculture, industry, and a wide range of services.[230] Agriculture and allied sectors like forestry, logging and fishing accounted for 5.1% of the gross domestic product in 2007.[231] Brazil is one of the largest producer of oranges, coffee, sugar cane, cassava and sisal, soybeans and papayas.[232]
The industry — from automobiles, steel and petrochemicals to computers, aircraft, and consumer durables— accounted for 30.8% of the gross domestic product.[231] Industry is highly concentrated in metropolitan São Paulo, Rio de Janeiro, Campinas, Porto Alegre, and Belo Horizonte.[233]
Brazil is the world's tenth largest energy consumer with much of its energy coming from renewable sources, particularly hydroelectricity and ethanol; the Itaipu Dam is the world's largest hydroelectric plant by energy generation.[234] The first car with an ethanol engine was produced in 1978 and the first airplane engine running on ethanol in 2005.[235] Recent oil discoveries in the Pre-salt layer have opened the door for a large increase in oil production.[236] The governmental agencies responsible for the energy policy are the Ministry of Mines and Energy, the National Council for Energy Policy, the National Agency of Petroleum, Natural Gas and Biofuels, and the National Agency of Electricity.[237]
Technological research in Brazil is largely carried out in public universities and research institutes, with the majority of funding for basic research coming from various government agencies.[238] Brazil's most esteemed technological hubs are the Oswaldo Cruz Institute, the Butantan Institute, the Air Force's Aerospace Technical Center, the Brazilian Agricultural Research Corporation and the INPE.[239][240] The Brazilian Space Agency has the most advanced space program in Latin America.[241]
Uranium is enriched at the Resende Nuclear Fuel Factory, mostly for research purposes (as Brazil obtains 88% from its electricity from hydroelectricity[242]) and the country's first nuclear submarine will be delivered in 2015 (by France).[243] Brazil is one of the three countries in Latin America[244] with an operational Synchrotron Laboratory, a research facility on physics, chemistry, material science and life sciences. And Brazil is the only Latin American country to have a semiconductor company with its own fabrication plant, the CEITEC.[245]
Brazilian roads are the primary carriers of freight and passenger traffic. The road system totalled 1.98 million km (1.23 million mi) in 2002. The total of paved roads increased from 35,496 km (22,056 mi) (22,056 mi) in 1967 to 184,140 km (114,419 mi) (114,425 mi) in 2002.[246]
Brazil's railway system has been declining since 1945, when emphasis shifted to highway construction. The total length of railway track was 30,875 km (19,185 mi) in 2002, as compared with 31,848 km (19,789 mi) in 1970. Most of the railway system belonged to the Federal Railroad Corporation RFFSA, which was privatized in 2007.[247] The São Paulo Metro was the first underground transit system in Brazil. The other metro systems are in Rio de Janeiro, Porto Alegre, Recife, Belo Horizonte, Brasília, Teresina and Fortaleza.
There are about 2,500 airports in Brazil, including landing fields: the second largest number in the world, after the United States.[248] São Paulo-Guarulhos International Airport, near São Paulo, is the largest and busiest airport with nearly 20 million passengers annually, while handling the vast majority of commercial traffic for the country.[249]
For freight transport waterways are of importance, e.g. the industrial zones of Manaus can only be reached by means of the Solimões- Amazonas waterway (3,250 km (2,019 mi) with 6 meters minimum depth).
Coastal shipping links widely separated parts of the country. Bolivia and Paraguay have been given free ports at Santos. Of the 36 deep-water ports, Santos, Itajaí, Rio Grande, Paranaguá, Rio de Janeiro, Sepetiba, Vitória, Suape, Manaus and São Francisco do Sul are the most important.[250] Bulk carriers have to wait up to 18 days before being serviced, container ships 36,3 hours on average[251]
The Brazilian public health system, the National Health System (SUS), is managed and provided by all levels of government.[252] The public health services are universal and available to all citizens of the country for free. Nevertheless millions of affluent Brazilians have private health care coverage.[253]
According to the Brazilian Government, the most serious health problems are:[254]
In 2002, Brazil accounted for 40% of malaria cases in the Americas.[255] Nearly 99% are concentrated in the Legal Amazon Region, which is home to not more than 12% of the population.[255]
The Federal Constitution and the Law of Guidelines and Bases of National Education determine that the Federal Government, States, Federal District and municipalities must manage and organize their respective education systems. Each of these public educational systems is responsible for its own maintenance, which manages funds as well as the mechanisms and funding sources. The constitution reserves 25% of the state budget and 18% of federal taxes and municipal taxes for education.[256]
According to the IBGE, in 2011, the literacy rate of the population was 90.4%, meaning that 13 million (9.6% of population) people are still illiterate in the country; functional illiteracy has reached 21.6% of the population.[257] Illiteracy is highest in the Northeast, where 19.9% of the population is illiterate.[258]
Higher education starts with undergraduate or sequential courses, which may offer different options of specialization in academic or professional careers. Depending on the choice, students can improve their educational background with courses of post-graduate studies or broad sense. To attend a higher education institution is required, by Law of Guidelines and Bases of Education, completing all levels of education suited to the needs of all students of teaching kindergarten, elementary and medium, provided the student does not hold any disability, whether physical, mental, visual or hearing.
The Brazilian press has its beginnings in 1808 with the arrival of the Portuguese royal family to Brazil, hitherto forbidden any activity of the press - was the publication of newspapers or books. The Brazilian press was officially born in Rio de Janeiro on 13 May 1808, with the creation of the Royal Printing, National Press by the Prince Regent Dom João.[259]
The Gazeta do Rio de Janeiro, the first newspaper published in the country, begins to circulate on 10 September 1808.[260] Largest newspapers nowadays are Folha de São Paulo (from the state of São Paulo, Super Notícia (Minas Gerias 296.799), O Globo (RJ 277.876) and O Estado de São Paulo (SP 235.217).[25]
Radio broadcasting began on 7 September 1922, with a speech by then President Pessoa, and formalized on 20 April 1923 with the creation of "Radio Society of Rio de Janeiro."[261]
Television in Brazil began officially on 18 September 1950, with the founding of TV Tupi by Assis Chateaubriand.[262] Since then television has grown in the country, creating large public networks such as Globo, SBT, Record and Bandeirantes. Today is the most important factor in popular culture of Brazilian society, indicated by research showing that as much as 67%[263][264] of the general population follow the same daily soap opera broadcast. Digital Television, using the SBTVD standard (based on the Japanese standard ISDB-T) was adopted 29 June 2006 and launched in 2 November 2007.[265] In May 2010,Brazil launched TV Brasil Internacional, an international television station, initially broadcasting to 49 countries. Luiz Inácio Lula da Silva, former President of Brazil, described its aim as "presenting Brazil to the world."[266]
The population of Brazil, as recorded by the 2008 PNAD, was approximately 190 million[267] (22.31 inhabitants per square kilometre or 57.8 /sq mi), with a ratio of men to women of 0.95:1[268] and 83.75% of the population defined as urban.[269] The population is heavily concentrated in the Southeastern (79.8 million inhabitants) and Northeastern (53.5 million inhabitants) regions, while the two most extensive regions, the Center-West and the North, which together make up 64.12% of the Brazilian territory, have a total of only 29.1 million inhabitants.
The first census in Brazil was carried out in 1872 and recorded a population of 9,930,478.[270] From 1880 to 1930, 4 million Europeans arrived.[271] Brazil's population increased significantly between 1940 and 1970, because of a decline in the mortality rate, even though the birth rate underwent a slight decline. In the 1940s the annual population growth rate was 2.4%, rising to 3.0% in the 1950s and remaining at 2.9% in the 1960s, as life expectancy rose from 44 to 54 years[272] and to 72.6 years in 2007.[273] It has been steadily falling since the 1960s, from 3.04% per year between 1950 and 1960 to 1.05% in 2008 and is expected to fall to a negative value of –0.29% by 2050[274] thus completing the demographic transition.[275]
In 2008, the illiteracy rate was 11.48%[276] and among the youth (ages 15–19) 1.74%. It was highest (20.30%) in the Northeast, which had a large proportion of rural poor.[277] Illiteracy was high (24.18%) among the rural population and lower (9.05%) among the urban population.[278]
Race and ethnicity in Brazil[279][280][281] | ||||
---|---|---|---|---|
Ethnicity | Percentage | |||
White |
|
47.7% | ||
Pardo (Multiracial) |
|
43.1% | ||
Black |
|
7.6% | ||
Asian |
|
1.1% | ||
Amerindian |
|
0.4% |
According to the National Research by Household Sample (PNAD) of 2008, 48.43% of the population (about 92 million) described themselves as White; 43.80% (about 83 million) as Brown (Multiracial), 6.84% (about 13 million) as Black; 0.58% (about 1.1 million) as Asian; and 0.28% (about 536 thousand) as Amerindian (officially called indígena, Indigenous), while 0.07% (about 130 thousand) did not declare their race.[282]
In 2007, the National Indian Foundation reported the existence of 67 different uncontacted tribes, up from 40 in 2005. Brazil is believed to have the largest number of uncontacted peoples in the world.[283]
Since the arrival of the Portuguese in 1500, considerable miscegenation between these groups has taken place, in all regions of the country (with European ancestry being dominant nationwide according to the vast majority of all autosomal studies undertaken covering the entire population, accounting for between 65% to 77%).[284][285][286][287]
Brazilian society is more markedly divided by social class lines, although a high income disparity is found between race groups, so racism and classism can be conflated. Socially significant closeness to one racial group is taken in account more in the basis of appearance (phenotypes) rather than ancestry, to the extent that full siblings can pertain to different "racial" groups.[288] Socioeconomic factors are also significant, because a minority of pardos are likely to start declaring themselves White or Black if socially upward.[289] Skin color and facial features do not line quite well with ancestry (usually, Afro-Brazilians are evenly mixed and European ancestry is dominant in Whites and pardos with a significant non-European contribution, but the individual variation is great).[287][290][291][292]
The brown population (as multiracial Brazilians are officially called; pardo in Portuguese, also colloquially moreno, or swarthy)[293][294] is a broad category that includes caboclos (assimilated Amerindians in general, and descendants of Whites and Natives), mulatos (descendants of primarily Whites and Afro-Brazilians) and cafuzos (descendants of Afro-Brazilians and Natives).[293][294][295][296][297] People of considerable Amerindian ancestry form the majority of the population in the Northern, Northeastern and Center-Western regions.[298]
Higher percents of Blacks, mulattoes and tri-racials can be found in the eastern coast of the Northeastern region from Bahia to Paraíba[297][299] and also in northern Maranhão,[300][301] southern Minas Gerais[302] and in eastern Rio de Janeiro.[297][302] From the 19th century, Brazil opened its borders to immigration. About five million people from over 60 countries migrated to Brazil between 1808 and 1972, most of them of Portuguese, Italian, Spaniard, German, Ukrainian, Polish, Jewish, Russian, Chinese, Japanese and Middle Eastern origin.[303]
Religion in Brazil (2010 Census) | ||||
---|---|---|---|---|
Religion | Percent | |||
Roman Catholicism |
|
64.6% | ||
Protestantism |
|
22.2% | ||
No religion |
|
8.0% | ||
Spiritism |
|
2.0% | ||
Others |
|
3.2% |
Religion in Brazil formed from the meeting of the Catholic Church with the religious traditions of African slaves and indigenous peoples.[304] This confluence of faiths during the Portuguese colonization of Brazil led to the development of a diverse array of syncretistic practices within the overarching umbrella of Brazilian Catholicism, characterized by traditional Portuguese festivities,[305] and in some instances, Allan Kardec's Spiritism (most Brazilian Spiritists are also Christians). Religious pluralism increased during the 20th century,[306] and a Protestant community has grown to include over 22% of the population.[307] The most common Protestant denominations are Pentecostal, Evangelical, Baptist, Seventh-day Adventist, Lutheran and the reformed churches.
Catholicism is the country's predominant faith. Brazil has the world's largest Catholic population.[308] According to the 2000 Demographic Census (the PNAD survey does not inquire about religion), 73.57% of the population followed Catholicism; 15.41% Protestantism; 1.33% Kardecist spiritism; 1.22% other Christian denominations; 0.31% Afro-Brazilian religions; 0.13% Buddhism; 0.05% Judaism; 0.02% Islam; 0.01% Amerindian religions; 0.59% other religions, undeclared or undetermined; while 7.35% have no religion.[309]
However, in the last ten years Protestantism, particularly Pentecostal and/or Evangelical Protestantism, has spread in Brazil, while the proportion of Catholics has dropped significantly.[310] After Protestantism, individuals professing no religion are also a significant group, exceeding 7% of the population in the 2000 census. The cities of Boa Vista, Salvador and Porto Velho have the greatest proportion of Irreligious residents in Brazil. Teresina, Fortaleza, and Florianópolis were the most Roman Catholic in the country.[311] Greater Rio de Janeiro, not including the city proper, is the most Irreligious and least Roman Catholic Brazilian periphery, while Greater Porto Alegre and Greater Fortaleza are on the opposite sides of the lists, respectively.[311]
According to IBGE (Brazilian Institute of Geography and Statistics) urban areas already concentrate 84.35% of the population, while the Southeast region remains the most populated one, with over 80 million inhabitants.[312] The largest metropolitan areas in Brazil are São Paulo, Rio de Janeiro, and Belo Horizonte — all in the Southeastern Region — with 19.5, 11.5, and 5.1 million inhabitants respectively.[313] The majority of state capitals are the largest cities in their states, except for Vitória, the capital of Espírito Santo, and Florianópolis, the capital of Santa Catarina. There are also non-capital metropolitan areas in the states of São Paulo (Campinas, Santos and the Paraíba Valley), Minas Gerais (Steel Valley), Rio Grande do Sul (Sinos Valley) and Santa Catarina (Itajaí Valley).[314]
Largest cities or towns of Brazil |
|||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Rank | Name | State | Pop. | Rank | Name | State | Pop. | ||
São Paulo |
1 | São Paulo | São Paulo | 11,821,876 | 11 | Belém | Pará | 1,425,923 | Salvador |
2 | Rio de Janeiro | Rio de Janeiro | 6,429,922 | 12 | Goiânia | Goiás | 1,393,579 | ||
3 | Salvador | Bahia | 2,883,672 | 13 | Guarulhos | São Paulo | 1,299,249 | ||
4 | Brasília | Distrito Federal | 2,789,761 | 14 | Campinas | São Paulo | 1,144,862 | ||
5 | Fortaleza | Ceará | 2,551,805 | 15 | São Luís | Maranhão | 1,053,919 | ||
6 | Belo Horizonte | Minas Gerais | 2,479,175 | 16 | São Gonçalo | Rio de Janeiro | 1,025,507 | ||
7 | Manaus | Amazonas | 1,982,179 | 17 | Maceió | Alagoas | 996,736 | ||
8 | Curitiba | Paraná | 1,848,943 | 18 | Duque de Caxias | Rio de Janeiro | 873,921 | ||
9 | Recife | Pernambuco | 1,599,514 | 19 | Natal | Rio Grande do Norte | 853.929 | ||
10 | Porto Alegre | Rio Grande do Sul | 1,467,823 | 20 | Teresina | Piauí | 836,474 |
The official language of Brazil is Portuguese[316] (Article 13 of the Constitution of the Federative Republic of Brazil), which almost all of the population speaks and is virtually the only language used in newspapers, radio, television, and for business and administrative purposes. The most famous exception to this is a strong sign language law that was passed by the National Congress of Brazil. Legally recognized in 2002,[317] the law was regulated in 2005.[318] The law mandates the use of the Brazilian Sign Language, more commonly known by its Portuguese acronym LIBRAS, in education and government services. The language must be taught as a part of the education and speech and language pathology curricula. LIBRAS teachers, instructors and translators are recognized professionals. Schools and health services must provide access ("inclusion") to deaf people.[319]
Brazilian Portuguese has had its own development, mostly similar to 16th century Central and Southern dialects of European Portuguese[320] (despite a very substantial number of Portuguese colonial settlers, and more recent immigrants, coming from Northern regions, and in minor degree Portuguese Macaronesia), with some influences from the Amerindian and African languages, especially West African and Bantu.[321] As a result, the language is somewhat different, mostly in phonology, from the language of Portugal and other Portuguese-speaking countries (the dialects of the other countries, partly because of the more recent end of Portuguese colonialism in these regions, have a closer connexion to contemporary European Portuguese). These differences are comparable to those between American and British English.[321]
Brazil is the only Portuguese-speaking nation in the Americas, making the language an important part of Brazilian national identity and giving it a national culture distinct from those of its Spanish-speaking neighbors.[322]
In 1990, the Community of Portuguese Language Countries (CPLP), which included representatives from all countries with Portuguese as the official language, reached an agreement on the reform of the Portuguese orthography to unify the two standards then in use by Brazil on one side and the remaining lusophone countries on the other. This spelling reform went into effect in Brazil on 1 January 2009. In Portugal, the reform was signed into law by the President on 21 July 2008 allowing for a 6-year adaptation period, during which both orthographies will co-exist. The remaining CPLP countries are free to establish their own transition timetables.[323]
Minority languages are spoken throughout the nation. One hundred and eighty Amerindian languages are spoken in remote areas and a significant number of other languages are spoken by immigrants and their descendants.[321] In the municipality of São Gabriel da Cachoeira, Nheengatu (a currently endangered South American creole language – or an 'anti-creole', according to some linguists – with mostly Indigenous Brazilian languages lexicon and Portuguese-based grammar that, together with its southern relative língua geral paulista, once was a major lingua franca in Brazil, being replaced by Portuguese only after governmental prohibition led by major political changes), Baniwa and Tucano languages had been granted co-official status with Portuguese.[324]
There are significant communities of German (mostly the Brazilian Hunsrückisch, a High German language dialect) and Italian (mostly the Talian, a Venetian dialect) origins in the Southern and Southeastern regions, whose ancestors' native languages were carried along to Brazil, and which, still alive there, are influenced by the Portuguese language.[325][326] Talian is officially a historic patrimony of Rio Grande do Sul,[327] and two German dialects possess co-official status in a few municipalities.[328]
Learning at least one second language (generally English and/or Spanish) is mandatory for all the 12 grades of the mandatory education system (primary and secondary education, there called ensino fundamental and ensino médio respectively). Brazil is the first country in South America to offer Esperanto to secondary students.[329]
The core culture of Brazil is derived from Portuguese culture, because of its strong colonial ties with the Portuguese empire.[330] Among other influences, the Portuguese introduced the Portuguese language, Roman Catholicism and colonial architectural styles. The culture was, however, also strongly influenced by African, indigenous and non-Portuguese European cultures and traditions.[331]
Some aspects of Brazilian culture were influenced by the contributions of Italian, German and other European as well Japanese and Arab immigrants who arrived in large numbers in the South and Southeast of Brazil.[332] The indigenous Amerindians influenced Brazil's language and cuisine; and the Africans influenced language, cuisine, music, dance and religion.[333]
Brazilian art has developed since the 16th century into different styles that range from Baroque (the dominant style in Brazil until the early 19th century)[334][335] to Romanticism, Modernism, Expressionism, Cubism, Surrealism and Abstractionism. Brazilian cinema dates back to the birth of the medium in the late 19th century and has gained a new level of international acclaim since the 1960s.[336]
The music of Brazil was formed mainly from the fusion of European and African elements.[337] Until the nineteenth century Portugal was the gateway to most of the influences that built Brazilian music, although many of these elements were not of Portuguese origin, but generally European. The first was José Maurício Nunes Garcia, author of sacred pieces with influence of Viennese classicism.[338] The major contribution of the African element was the rhythmic diversity and some dances and instruments that had a bigger role in the development of popular music and folk, flourishing especially in the twentieth century.[337]
Popular music since the late eighteenth century began to show signs of forming a characteristically Brazilian sound, with samba considered the most typical and on the UNESCO cultural heritage list.[339] Maracatu and Afoxê are two Afro-Brazilian music tradition that have been popularized by there appearance in the annual Brazilian Carnivals.[340] The sport of capoeira is usually played with its own music refer to as capoeira music, which is usually considered to be a call-and-response type of folk music.[341]
Choro is a very popular music instrumental style. Its origins are in 19th century Rio de Janeiro. In spite of the name, the style often has a fast and happy rhythm, characterized by virtuosity, improvisation, subtile modulations and full of syncopation and counterpoint.[342] Bossa nova is also a well-known style of Brazilian music developed and popularized in the 1950s and 1960s.[343] The phrase "bossa nova" means literally "new trend".[344] A lyrical fusion of samba and jazz, bossa nova acquired a large following starting in the 1960s.[345]
Brazilian literature dates back to the 16th century, to the writings of the first Portuguese explorers in Brazil, such as Pêro Vaz de Caminha, filled with descriptions of fauna, flora and commentary about the indigenous population that fascinated European readers.[346] Brazil produced significant works in Romanticism — novelists like Joaquim Manuel de Macedo and José de Alencar wrote novels about love and pain. Alencar, in his long career, also treated Indigenous people as heroes in the Indigenist novels O Guarany, Iracema, Ubirajara.[347] Machado de Assis, one of his contemporaries, wrote in virtually all genres and continues to gain international prestige from critics worldwide.[348][349][350] The Brazilian Modernism, evidenced by the Week of Modern Art in 1922, was concerned with a nationalist avant-garde literature,[351] while Post-Modernism brought a generation of distinct poets like João Cabral de Melo Neto, Carlos Drummond de Andrade and Vinicius de Moraes and internationally known writers dealing with universal and regional subjects like Jorge Amado, João Guimarães Rosa and Clarice Lispector.[352][353][354]
Brazilian cuisine varies greatly by region, reflecting the country's mix of indigenous and immigrant populations. This has created a national cuisine marked by the preservation of regional differences.[355] Examples are Feijoada, considered the country's national dish;[356] and regional foods such as vatapá, moqueca, polenta and acarajé.[357] The national beverage is coffee and cachaça is Brazil's native liquor. Cachaça is distilled from sugar cane and is the main ingredient in the national cocktail, Caipirinha.[358]
The average meal consist mostly of rice and beans with beef and salad.[359] Its common to mix it with cassava flour (farofa). Fried potatoes, fried cassava, fried banana, fried meat and fried cheese are very often eaten in lunch and served in most typical restaurants.[360] Popular snacks are pastel (a pastry), coxinha (chicken croquete), pão de queijo (cheese bread and cassava flour / tapioca), pamonha (corn and milk paste), esfirra (Lebanese pastry), kibbeh (from Arabic cuisine), empanada (pastry) and empada little salt pies filled with shrimps or hearth of palm.
Brazil has a variety of candies such as brigadeiros (chocolate fudge balls), cocada (a coconut sweet), beijinhos (coconut truffles and clove) and romeu e julieta (cheese with a guava jam known as goiabada). Peanut is used to make paçoca, rapadura and pé-de-moleque. Local common fruits like açaí, cupuaçu, mango, papaya, cocoa, cashew, guava, orange, passionfruit, pineapple, and hog plum are turned in juices and used to make chocolates, popsicles and ice cream.[361]
Date | Local name | Name | observation |
---|---|---|---|
1 January | Confraternização Mundial | New Year's Day | Beginning of the calendar year |
21 April | Tiradentes | Tiradentes | In honor of the martyr of the Minas Conspiracy |
1 May | Dia do Trabalhador | Labor Day | Tribute to all workers |
7 September | Independência | Independence of Brazil | Proclamation of Independence against Portugal |
12 October | Nossa Senhora Aparecida | Nossa Senhora Aparecida | Patroness of Brazil |
2 November | Finados | Souls | Day of remembrance for the dead |
15 November | Proclamação da República | Proclamation of the Republic | Transformation Empire in Republic |
25 December | Natal | Christmas | Traditional Christmas celebration |
The most popular sport in Brazil is football.[362] The Brazilian national football team is ranked among the best in the world according to the FIFA World Rankings, and has won the World Cup tournament a record five times.[363]
Volleyball, basketball, auto racing, and martial arts also attract large audiences. Brazil men's national volleyball team, for example, currently holds the titles of the World League, World Grand Champions Cup, World Championship and the World Cup.
Others sports practiced in Brazil are tennis, team handball, swimming, and gymnastics have found a growing number of enthusiasts over the last decades. Some sport variations have their origins in Brazil: beach football,[364] futsal (indoor football)[365] and footvolley emerged in Brazil as variations of football. In martial arts, Brazilians developed Capoeira,[366] Vale tudo,[367] and Brazilian Jiu-Jitsu.[368] In auto racing, three Brazilian drivers have won the Formula One world championship eight times.[369][370][371]
Brazil has hosted several high-profile international sporting events, like the 1950 FIFA World Cup[372] and has been chosen to host the 2014 FIFA World Cup.[373] The São Paulo circuit, Autódromo José Carlos Pace, hosts the annual Grand Prix of Brazil.[374]
São Paulo organized the IV Pan American Games in 1963, and Rio de Janeiro hosted the XV Pan American Games in 2007.[375] On 2 October 2009, Rio de Janeiro was selected to host the 2016 Olympic Games and 2016 Paralympic Games, the first to be held in South America[376] and second in Latin America after Mexico City. Further, the country hosted the FIBA Basketball World Cups in 1954 and 1963. At the 1963 event, the Brazil national basketball team won one of its two world championship titles.[377]
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