出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2013/09/03 12:39:07」(JST)
養子縁組(ようしえんぐみ)は、具体的な血縁関係とは無関係に人為的に親子関係を発生させることをいう。この関係によって設定された親子関係をそれぞれ養親(ようしん)または養子(ようし)、女子の場合には養女(ようじょ)、また養子から見て養親の家(または家族)を養家(ようか)と呼称する。
いわゆる家父長制を基本とする家族制度を採用している場合は、家長の後継者を得るための養子縁組制度が必要である。要するに家のための養子縁組である。古代ローマの制度はこのような制度であり、日本においても、日本国憲法の制定に伴い家族法が大幅に改正される前の養子制度は、基本的に家制度を維持するための制度であった[1]。また、これとは別に近代以前の東アジアでは、より擬制的な親子関係の色が強い「義子」(中国)・「猶子」(日本)などの制度があった。
その後ヨーロッパでは中世に入ってから、実際の血縁関係が重視されるようになったことに伴い、後継者を得るための機能を果たさなくなり、親のための制度としての機能を果たすようになる。つまり、子を養いたいという欲求を満足させたり、老後の扶養を得ることを目的とする機能を有するようになる。
19世紀中頃にアメリカで、恵まれない子供に家庭を与えるための養子縁組制度、すなわち子のための制度が導入され、ヨーロッパでも第一次世界大戦により孤児が増加したことに伴い、子のための養子縁組に関する養子法制が導入されることになった。日本においては、日本国憲法制定に伴い改正された家族法が子のための福祉という観点からこれを導入したが、本格的な導入は1988年から施行された特別養子制度(後述)を待つことになる。
養子縁組制度が求められた理由は以上のとおりであるが、法制度の建前はともかく、現実的には様々な事情により養子縁組がされるのが実情である。日本の場合に多く行われるのは、離婚後の再婚に伴う連れ子の養子である。しかし、成年に達している者を養子にすることが法律上可能であることもあり[2]、その他の場面においては、子のための制度としてはあまり機能していない。具体的には、自己の孫を養子にすることにより相続税の節約を図る節税養子[3]や、男子に家を継がせるためのいわゆる婿養子などが行われている。
なお、イスラム国家では、チュニジアを除き養子縁組を認めていない。
日本の歴史において、最初に現れる養子に関する法律は、唐の律令法の影響を受けて成立した大宝律令であるといわれている。ただし、中国の宗族社会と違って、氏姓制度の延長上に成り立った日本社会では、中国のような厳格な制限は設けられず、一定の年下の者であれば養子縁組は比較的簡単に許された。このため貴族社会においては、高官が優秀な孫や庶流・傍流出身者を養子に迎え、蔭位制度を活用してその出世を助けることで、結果的に一族の繁栄を図ろうとするための養子縁組が多くなった。また、時には遠い親戚や異姓出身者を養子にする者もあった[4]。また平安時代までは、「養子」とより擬制的な要素の強い「猶子」との区別はあいまいであった。家の継承という要素が強くなり、養子と猶子の分離が進むのは、中世以後のことである。
当時の養子縁組の代表的な例として摂関家を例に取ると、仁寿年間に文徳天皇の義父として権力を振るっていた正二位右大臣藤原良房に男子がいないために、長兄で正三位参議であった長良の三男・基経を養子に迎えた。その結果、基経は養父の蔭位によって17歳の若さで蔵人になった一方で、長良の子としてそのまま育ったその同父母兄弟は、兄・国経が31歳、弟・清経は32歳になってやっと蔵人に到達したのである[5]。さらに、良房が摂政・太政大臣に登り詰めたのに対して、長良が権中納言で死去したために、その出世の格差は広がるばかりであった。異姓の養子の例としては、姉婿である藤原頼通の養子となって後の村上源氏繁栄の基礎を築いた源師房[6]などがいる。
そのため、上級貴族は少しでも子孫にとって優位な出世をさせるための養子縁組を次々と組むようになっていく。極端な例としては、同じく摂関家の藤原忠実とその子・孫のケースが挙げられる。忠実の長男・忠通に男子ができなかったために、忠実は自分が寵愛していたその弟の頼長を忠通の養子にさせた。その後、忠通に実子が生まれて忠実・頼長と忠通が不仲になると、頼長の息子である師長を早く出世させるために、忠実は師長を自分の養子にして蔭位の便宜を図った[7]。この結果、師長からみて忠通は本来の系譜上の伯父というだけでなく、同時に祖父でもあり兄でもあるという大変複雑な事態が生じたのである。
鎌倉時代後期以後になると、家督と所領の一体化が進んで嫡子相続が一般的になるにつれて、家の存続を最優先とした養子縁組が行われるようになる。特に武士では、当主に男子がいない場合、あるいはいても幼少の場合に、主君への忠勤を尽くせないことを理由に所領を没収されるなどの事態を避けるため、養子縁組を行うことが一般的となった。
実弟を養子とすることや、養父の実の息子(養子の義理の弟)を養子が自身の養子とすることはしばしば行われており、これらはいずれも順養子という。後者の順養子の場合、1代限りであれば間に入った養子は中継ぎ的立場になるが、代々順養子を重ねて両統迭立のような形になる例もある[8]。また、娘に夫を迎えて養子とする婿養子、大名が参勤交代などの折に、万が一の事態があった場合のためにあらかじめ届け出る仮養子[9]、そして大名・家臣が急に危篤になった場合に出される末期養子などがあった。この他、他家の大名などを縁戚として傘下に取り込みたいが実の娘に適当な者がいない場合、一族や重臣の娘を形式的に養女とした上で娶せることも行われた(養女に夫を迎える形式の婿養子の例もあった)。
江戸幕府は当初は様々な養子規制を設けたものの、慶安の変をきっかけに末期養子の禁を緩め、享保18年(1738年)には当主か妻の縁戚であれば浪人・陪臣でも養子が可能とされた。養子の規制は時代が下るにつれて緩くなり、江戸時代後期には商人などの資産家の次男以下が持参金を持って武家に養子に行って武士身分を得るという持参金養子が盛んになり、士農工商の建前を崩壊に導いていった[10]。一方、商人・農民などの庶民間における養子縁組は、証文のやり取りだけで縁組も離縁も比較的簡単に可能であり、「家名の存続」よりも「家業の経営」を重視した養子縁組が行われるケースが多かった[11]。
明治以後になると「家」を社会秩序の中心に置く家制度が全ての階層に広げられた結果、養子縁組も家制度の維持という観点で行われることが多くなった。それが大きく変わるのは戦後の日本国憲法制定に伴う民法改正以後のことである。
旧民法において養子縁組は、養親の家に入り、養親の嫡出子たる身分を取得することであるといえる。養子は法定血族の一種である。
養子縁組を成立させるための法律構成としては、契約型と決定型とに立法例が分かれる。
契約型は、養親になる者と養子になる者の契約により養子縁組を成立させる形態であり、スイスやオーストリアなどで採用されている。また、ドイツやフランスでも以前は契約型が採用されていた。日本では、民法792条から817条までに規定されている普通養子がこれに該当する。
契約により養子縁組が成立するとはいっても、養子になる者が幼少である場合などは、自ら有効に縁組契約を結ぶことは不可能なので、そのような場合は法定代理人などが代わって縁組の承諾をすることになる。日本では、養子になる者が15歳未満である場合は、法定代理人が養子になる者に代わって縁組の承諾をする(代諾養子)。
また、養子になる者を保護する観点から、契約型を採用する場合でも公的機関の関与を要求することがある。日本では、未成年者を養子とする場合は、自己又は配偶者の直系卑属を養子とする場合を除き、家庭裁判所の許可が必要になるし、後見人が被後見人を養子とする場合も、家庭裁判所の許可が必要になる。
養子が婚姻(結婚)する場合、婚姻届の父母の氏名欄には実父母の名義を書き、養父母はその他の欄に書くことになっている[12]。
決定型は、公的機関の宣言によって養子縁組を成立させる形態であり、多くの場合、養親になる者の申請に基づき裁判所が養子決定をする形態を採る。英米法を基礎とした国や現在のドイツ、フランスなどで採用されている。日本では、民法817条の2から817条の11までに規定されている特別養子がこれに該当する。日本では、養子が6歳未満(生後~5歳)までの場合しか特別養子縁組を認めていないため、6歳に達した子については、特別養子の裁判請求が不可能で、普通養子縁組しか行うことができない。単独縁組は原則配偶者の連れ子を特別養子にする場合のみ出来る。単独縁組の場合、戸籍上は実父との関係は終了し、養父と実母の「長男」「長女」と実子扱いになる。また、異父兄弟姉妹は実の兄弟姉妹扱いになる。
養子縁組によって養親と養子、養子と養親の血族の間に法定血族関係が生じることになる。また、養親と養子の元々の血族との間には法定血族関係は生じず、縁組後に養子に生じた血族と、養親及びその血族との間には法定血族関係が生じる。例えば、縁組前に生まれていた養子の子と、養親との間に親族関係にないが、縁組後に生まれた子(養親の孫)との間には血族関係に立つ。実の兄弟であっても立場が違うことになる。
養子縁組が成立した場合に、養子とその実親との間の親族関係が終了するかどうかについても立法例が分かれる。親族関係が終了する制度を採用する場合は、養子と実親の一方が死亡した場合、他方は遺言による場合等を除き相続権を有しないことになる。ただし、親族関係が終了するとしても、近親婚を避けるための措置が採られることが多い。
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この節では、民法は条数のみ記載する。
養子縁組は、要式行為であり一定の方式によることが必要である。
養子は養子縁組をもって養親の嫡出子たる身分を取得する。 よって、非嫡出子と養子縁組をすることによって法律上嫡出子とすることが可能である。
養子は、養親の氏を称する(810条)。ただし、婚姻によって氏を改めた者については、その効力の及ぶ期間(婚姻成立から離婚による復氏(767条1項)まで。例外は婚氏続称(同条2項))は、婚姻の際に定めた氏を称する(同条ただし書)。また、養子が既婚者の場合、戸籍上の筆頭者である場合は、配偶者も同時に養親の氏を名乗ることになる。逆に、筆頭者でない場合(結婚する際に氏を改めた者)は夫婦同氏の原則から、縁組しても養親の氏を名乗ることはできない。養子に子がいる場合、養子の子の氏は養子(親)が縁組する前の氏のままで、養親(義祖父母)の氏に改める場合は入籍届を提出する必要がある。
養子縁組によって養親と養子、養子と養親の血族の間に法定血族関係が生じる(727条)。したがって、民法上は6親等以内(養親の5親等以内)の者が親族に該当する。 また、養親と養子の元々の血族との間には法定血族関係は生じず、縁組後に養子に生じた血族と、養親及びその血族との間には法定血族関係が生じる。 養親が死亡した場合、養親の血族との間の親族関係を継続させるか打ち切るかは本人の意思による。
日本の場合、普通養子の場合は実親子間の親族関係は終了しないのに対し、特別養子の場合は親族関係が終了する。
養子縁組の解消には、養子縁組に瑕疵がある無効・取消の場合のほか、有効の縁組を将来的に解消する離縁がある。縁組の無効は、初めから当然に養子縁組の効力が生じないが、縁組の取消と離縁は、いったん有効に生じた養子縁組が当事者の意思表示により縁組を解消する効力を生じる。
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