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顧問(こもん、英語: adviser、counsel、of counsel)は、ある組織に関与し、意志決定を行う権限を持たないが、意見を述べる役職やその役職に就いている者のことである。オブザーバー、参与、カウンセルなどというときもある。相談役も同義の役職名称だが、やや栄誉職的なニュアンスが強い。
政党において顧問・最高顧問などを置く場合がある。その政党の長老政治家を任命する場合が多く、外部の人間を任命することはほとんどない(かつての日本社会党では、議員歴がない元九州大学教授の向坂逸郎が顧問となっていたが、向坂は党内最大派閥である社会主義協会の代表でもあった)。
日本において古いところでは、1927年に発足した立憲民政党が、若槻禮次郎(前首相・憲政会総裁)・床次竹二郎(政友本党総裁)・山本達雄・武富時敏を顧問にしている。
自民党ではまず顧問制度が置かれたが、国会議員として25年在職の表彰を受けた議員が自動的に委嘱され、議員を辞めても退任しなかったため人数が膨大になり有名無実化した(すぐに廃止されたわけではなく、PHP研究所から出版された「派に頼らず、義を忘れず 奥野誠亮回顧録」には、奥野が1988年に25年在職の表彰を受けた際に自民党顧問になったとの記載がある。ただし、2013年現在自由民主党のホームページには、組織表にも所属する25年以上在職議員の紹介記事(たとえば保岡興治)にも「党顧問」という記載は存在しない)。
1980年に総裁・副総裁・衆参両院議長の経験者を有資格者とする最高顧問が創設され、岸信介・三木武夫・福田赳夫・二階堂進らが就任して1980年代の政界に一定の影響力をもったが、1990年代中期に廃止された(奥島貞雄「自民党総裁選」中央公論新社、P119~120)。なお奥島によると「有資格者の中から総裁が委嘱する」となっており、自動的に就任するわけではない。浅川博忠によると岸信介の最高顧問就任は1982年であった(「戦後政財界三国志」講談社文庫、P132~133)。最高顧問が存在していた時期に最高顧問有資格者が政府・党の要職に就いた例はなく(福田赳夫が1982年に「総総分離」での総裁就任説浮上・二階堂進が1987年に総裁選出馬・福田赳夫と坂田道太が1989年に総裁就任説浮上という例があるがいずれも断念・辞退で実現せず。ただし土屋義彦が参議院議長退任後に埼玉県知事に就任した例はある)、最高顧問廃止後でも安倍晋三の首相再登板と宮澤喜一・河野洋平・橋本龍太郎・麻生太郎・谷垣禎一が入閣した例だけである。
政党内部の派閥・調査会・委員会、議員連盟などでも顧問を置く場合がある。中には現役の会長などを抑えて事実上の最高実力者となっている場合もある(自民党では清和政策研究会最高顧問時代の森喜朗や党税制調査会最高顧問時代の山中貞則など)。
野田佳彦・岡田克也・横路孝弘・江田五月。いずれも党代表・衆参両院議長などの経験者である(前原誠司は代表経験者だが最高顧問ではない。かつては野党時代の副議長経験者などが就任したこともあった)。自民党の最高顧問と異なり、政府・党の役職に就く例がある。公明党には常任顧問と名誉顧問が存在し、2013年1月現在では神崎武法・市川雄一らが常任顧問に就任している。日本共産党にもかつては名誉議長(宮本顕治らが就任)、顧問などがあったが近年名誉役員に一本化された。ただし共産党では議長も委員長退任後に就任する栄誉職的ポストである。
かつては中国共産党に中央顧問委員会が存在し、1982年の設立以降「八老治国」といわれた長老支配を背景に鄧小平・陳雲といった大物政治家が主任(委員長相当)を務めたが、1992年に廃止された。
「相談役」も参照
企業その他の団体が行う業務について、高度な意見を聞くために又は団体の信用を増し箔を付けるためにおかれる。内部の常勤ないし非常勤の顧問として、引退した役員(前社長、前会長)のほか、監督官庁で幹部を務めた高級官僚などの例もある(天下り)。1911年に済生会が創設された際には、山縣有朋・大山巌・松方正義・大隈重信・徳川家達・渋沢栄一など元老・元勲・旧幕府出身の有力者などが顧問に名を連ねた(総裁は皇族の長老で陸軍大将の伏見宮貞愛親王、会長は首相の桂太郎。樋口雄彦「第十六代徳川家達」祥伝社新書・P97)。外部の顧問としては、コンサルタント、会計士や弁護士などの専門家が顧問となることもある。また、役員を前提に入社した者が、株主総会までの間、顧問としての肩書きで仕事に従事することもある。大規模な法律事務所においては、引退したパートナー、裁判官、検察官若しくは行政官又は法学者,あるいはパートナーとアソシエイトの中間的な立場の弁護士などが顧問という地位を与えられることがある。この場合は、カウンセルやオブ・カウンセルなどとも呼ばれる。
M&Aなどの案件において財務的な側面(例えばプライシング)について投資銀行等が助言を行うもの。ファイナンシャル・アドバイザー、FAなどとも。
日常の法律問題について、あるいは、特定の案件に関する法的な側面について外部の弁護士が助言を行うもの。後者の意味については、法務アドバイザー・顧問弁護士とも。
米国等の企業において、法務を統括する役職。日本の企業の法務部長に近い。
学校の部活動などでは教員が務めることが多い。コーチや監督などの指導員を兼ねることもあり、校外での活動に際し種々の作業(選手登録や引率、大会役員など)に追われる。休日練習や合宿、大会などで授業以外の時間を拘束されることも多く、また時間外手当も少ない。また、経験や指導力を持たない部の顧問を任されることがある一方で、「(専門の)部活動を教えるために教員を目指した」という教員も存在する。野球における一部のチームのように、教員の顧問は「部長」として裏方に専念し、技術指導は専門家を監督として招聘する例もある。フィクションでは「経験のない部活の顧問を任された主人公が部を予想外の快進撃に導く」というパターンがよくある(川原泉「甲子園の空に笑え!」など)
詳細は「枢密院 (日本)」を参照
大日本帝国憲法の第56条に定められた重要な国務に関して天皇に意見を述べる職。「樞密顧問は樞密院官制の定むる所に依り天皇の諮詢に応え重要の国務を審議す」と規定され、元老(げんろう)と兼ねる者が多かった。枢密院の構成員であり、内閣や帝国議会を牽制した。職名としては枢密顧問官。
ヨーロッパの君主国のほか、日本では大日本帝国時代に存在した。職名としては宮中顧問官である。
詳細は「内閣顧問」を参照
日本では1943年に内閣参議の後継として創設されたが短期間で廃止された。またシンガポールでは初代首相のリー・クアンユーが上級相を退任する際の処遇のために内閣顧問が設けられた。
「投資顧問」も参照
投資に際して助言をする事業者のこと。
発展途上国が軍の近代化や最新兵器の導入のためにアメリカやイギリスやフランスなどの先進国の軍人や技術者を雇うことがある。 これらを「軍事顧問」といい、帝国主義時代には軍事顧問を派遣することは被派遣国への影響力を増大するものとして派遣国の権益の一つともみられていた。冷戦時代には米ソ両国が影響下の国に軍事顧問を送っていたが、中には顧問と称して部隊そのものを派遣し直接戦闘活動を行わせるケースもあった。冷戦終了後は民間軍事会社が有償で軍事顧問業務を引き受けるケースが増加する。
オーケストラが指揮者に音楽顧問の称号を授与・任命する場合がある。普通は名誉指揮者と同様の存在であるが、ヘルベルト・フォン・カラヤンがパリ管弦楽団の音楽顧問に就任したときは、音楽監督不在ということもあり実質的な音楽監督であった(カラヤン自身がベルリン・フィルの終身常任指揮者との兼務になる関係で責任の軽い称号を望んだといわれる。歴代音楽監督の表にもカラヤンは掲載されている。)。他に同様の例としてバンベルク交響楽団の芸術顧問になったオイゲン・ヨッフムの例がある。
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