出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/09/17 11:18:13」(JST)
ニワトリ | |||||||||||||||||||||||||||
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分類 | |||||||||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||||||||
Gallus gallus domesticus L., 1758 |
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和名 | |||||||||||||||||||||||||||
ニワトリ | |||||||||||||||||||||||||||
英名 | |||||||||||||||||||||||||||
Chicken |
ニワトリ(鶏、学名:Gallus gallus domesticus「仮名転写:ガッルス・ガッルス・ドメスティクス」)は、鳥類の種のひとつ。代表的な家禽として世界中で飼育されている。
鶏は肉と卵を食用に、羽を衣服(特に防寒具)や寝具に利用するため、世界中で飼育されている家禽である(養鶏)。特に食用目的での飼育が盛んであり、伝統的な放し飼いによる低密度な飼育から、大規模養鶏場での高密度な飼育まで、生産者ごとに数々の飼育法が用いられる。食肉としては、淡白な白身で、栄養素としてタンパク質に富む良質な肉質を持つ。 翼は比較的小さく飛ぶことは得意ではないが、野生化した個体は数十メートルほど飛ぶことがある。
人類により、野鶏から早い時期に家禽化されたが、端緒は食用ではなく、祭祀用であったと推定されている。最初にニワトリを家畜化した中国南部は今でも飼育密度が高い。
雄鶏特有の甲高い鳴き声もニワトリの特徴のひとつとして挙げられる。現在日本国内では鳴き声を「コケコッコー」と表現する場合がほとんどだが、江戸時代では「東天紅(トウテンコウ)」と表現していた[1] 。英語圏では「Cock-a-doodle-doo」 (クックドゥードゥルドゥー)、フランスでは「ココリコ」、ドイツでは「キケリキー」、イタリアでは「キッキリキー」、中国語圏では「咯咯噠」や「喔喔喔」等と表現する。
ニワトリの身体的特徴として頭部には「鶏冠(とさか)」とあごの部分には「肉髯(にくぜん)」と呼ばれる皮膚が発達変化した装飾器官があって雌よりも雄の方が大きい。目の後ろには耳があり耳たぶのことを「耳朶(じだ)」と呼ぶ。また、一般的には足の指は4本(ただし烏骨鶏は5本)で雄の足には横向きか後ろ向きに角質が変化した距(けづめ)が生えているが、雌にはこの距はない。まばたきの仕方が人間とは異なり、下から上に被せるようになっている。眼球運動が出来ないので常に首を前後左右に振っている。
ニワトリの起源としては単元説と多元説がある。単元説は東南アジアの密林や竹林に生息しているセキショクヤケイ (Gallus gallus) を祖先とする説である。 多元説(交雑説)はセキショクヤケイ、ハイイロヤケイ (G. sonneratii)、セイロンヤケイ (G. lafayetii) 、アオエリヤケイ (G. varius) のいずれか複数の種が交雑してニワトリとなったとする説である。現在では分子系統学的解析によってセキショクヤケイ単元説がほぼ確定した[2]。
野生のヤケイは周辺住民の家禽と交雑が進み遺伝的に純粋なものはいなくなったという。
ニワトリの卵については鶏卵参照。
ニワトリは東南アジアから中国南部において家畜化された後、西方へと伝播した。マレー・ポリネシア人の南太平洋進出の際にもニワトリはブタやイヌとともに家畜として連れて行かれ、ニュージーランドやトケラウなど一部の島々を除くほぼ全域に広がったが、重要な財産として珍重されることの多かったブタと違い、ニワトリは半野生の状態で放し飼いされることが多く、主要食料とはされていなかった[3]。
例外はイースター島で、ここでははじめからブタが存在せず、さらにイルカや野生の鳥類、ヤシなどの食料源が次々と絶滅、または入手不可能となる中で、特に1650年以降において最大の動物性食料源として各地にニワトリ小屋が建設され、重要な役割を占めるようになっていった[4]。
1850-1900年の間、ヨーロッパやアメリカでは東洋趣味の一つとして、コーチン種などを基にした観賞用・愛玩用のニワトリの飼育や品種改良がブームとなった。「ヘン・フィーバー(雌鳥ブーム)」と呼ばれるこの狂騒期に何百という新品種が作り出されたが、ブームが去るとほとんどの種は消滅してしまった。また、この時期にホワイトレグホン、コーニッシュ、ロードアイランドレッドといった、今日でも重要な家禽品種が作り出された[5]。
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日本列島に伝来した時代は良く分かっていない。愛知県田原市の伊川津貝塚からは縄文時代のニワトリが出土したとされたが、これは後代の混入であることが指摘される[6]。日本列島におけるニワトリは弥生時代(紀元前2世紀)に中国大陸から伝来したと言われ[7]、弥生期には稲作農耕が行われるが、日本列島の農耕は中国大陸と異なり家畜の利用を欠いた「欠畜農耕」と考えられていた[8]。1989年には大分県大分市の下郡桑苗遺跡でブタ頭蓋骨が発見され、日本列島における弥生期の家畜動物の出土事例となった。ニワトリは1992年に愛知県清須市・名古屋市西区の朝日遺跡から中足骨が出土した[9]。以来、弥生期のニワトリはブタとともに九州・本州で相次いで出土している[10]。
弥生時代のニワトリは現代の食肉用・採卵用の品種と異なり小型で、チャボ程度であったとされる[11]。出土が少量であることから鳴き声で朝の到来を告げる「時告げ鳥」としての利用が主体であり、食用は廃鶏の利用など副次的なものであったと考えられている[12]。
『古事記』や『日本書紀』にも記される、有名な天岩戸伝説において、常世長鳴鶏を集めて鳴かせたという記述がある[13]。天武4年4月17日(675年5月19日)の肉食禁止令において、ウシ・ウマ・イヌ・ニホンザル・ニワトリを食べることが禁じられている(天武天皇#文化政策)。殺生禁断の詔は聖武天皇の際にも出され、ニワトリの肉のみならず卵も避けられた[14]。古代には時を告げる鳥として神聖視され、主に愛玩動物として扱われた。『日本書紀』雄略天皇7年8月には闘鶏に関する記事があり、『日本書紀』が成立した奈良時代には闘鶏が行われいていたとも考えられている[15]。
平安時代には『日本三代実録』元慶6年(882年)条や『栄花物語』寛弘3年(1006年)条、『年中行事絵巻』などにおいて、貴族や庶民の間で娯楽・賭博の要素を持つ闘鶏が行われていたことが記されている[16]。武士の誕生とともに鍛練として狩猟が行われ、野鳥の肉を食すようになったが、ニワトリは生んだ卵も含めて食用とは看做されなかった。
戦国時代にはキリスト教徒のポルトガル人が西日本へ来航し、カステラやボーロ、鶏卵素麺など鶏卵を用いた南蛮菓子をもたらした[17]。江戸時代初期の寛永4年(1627年)にオランダ商館一行が江戸へ参府した際には道中でニワトリと鶏卵が用意されたという[18]。
江戸時代には無精卵が孵化しない事が知られるようになり、鶏卵を食しても殺生にはあたらないとして、ようやく食用とされるようになり、採卵用としてニワトリが飼われるようになった。
寛永3年(1626年)に後水尾天皇が二条城へ行幸した際には鶏卵を用いた「卵ふわふわ」が出され[19]、寛永20年(1643年)の料理書『料理物語』では鶏卵を用いた各種の料理や菓子が記されている[20]。江戸時代中期以降、都市生活者となった武士が狩猟をする事が少なくなり、野鳥があまり食べられなくなり、代わって鶏肉が食べられるようになった。文化年間以降京都や大阪、江戸において食されるようになったとの記述が「守貞漫稿」にある[21]。料理書において鶏肉・鶏卵が登場し、1785年には「万宝料理秘密箱」という鶏卵の料理書も出版されている。
一般に江戸期の大名家の記録ではニワトリ食に関する記録は見られないが、西国では佐賀藩の『諫早家日記』貞享4年(1687年)には長崎へ送られるニワトリについて記され、その食べ方は水炊きと考えられている「水煮」と記されている[22]。また、江戸後期の天明8年(1788年)には蘭学者の司馬江漢が『江漢西遊日記』11月15日条において長崎の平戸屋敷においてニワトリを食したことを記しており、やはり同様に水炊きであったと考えられている[23]。
考古学においては、江戸期の遺跡からはチャボ程度の小型種から大型の軍鶏まで多様なニワトリ骨が出土している。これらは解体痕を持つ食用のみならず、観賞用・闘鶏用など用途別の品種が存在していたと考えられている[24]。
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※東天紅(トウテンコウ)・声良(コエヨシ)・唐丸(カラマル)は鳴き声の長さを楽しむ品種(長鳴鶏)である。
チャボ(矮鶏)
ウコッケイ(烏骨鶏)
トウテンコウ(東天紅)
ショウコク(小国)
オヒキ(尾曳)
尚、品種を問わずニワトリを観賞用・ペットとして飼育する場合、雄鶏は(日の出の早い夏は)早朝から「コケコッコー」と大声で鳴くため、市街地で飼育する場合は近所迷惑とならない様に注意が必要である。雌鳥は雄鶏のように時を告げることはほぼ無いが産卵直後には「コッコ、コーコー」と多少は鳴く。
また、緑っぽい塊に白い部分(尿)が混じる通常の糞と、茶色いドロドロの盲腸便を排泄するが盲腸便の方はかなりの悪臭を放つ。手足や衣服に盲腸便が付着するとしばらく臭いが取れないのでこれも注意が必要である。また、夏場は水を大量に飲むので通常の糞でも軟便となりやすい。
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