出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/12/12 03:32:54」(JST)
毛皮(けがわ、英:Fur ファー)とは、体毛がついたままの獣皮のこと[1]。
現代では、基本的には毛皮は皮の部分をなめして使う[1]。なめす、とは皮から不要なたんぱく質や脂肪を除去し、薬品で処理をして、耐久性・柔軟性などをもたせることである(#毛皮の加工)。
現在では防寒と装飾を兼ねた衣服、あるいはショールなどに用いられることが多い。防寒用としては、衣服や履物の裏に使われることが多い。また装飾用としては、衣服の袖口、裾などに用いられている[1]。
保温性、吸湿性、通気性に優れるものの、他の天然繊維に比べると熱・光・かび・害虫などに弱い[1]。
哺乳類は体表に体毛が生えている。密生した体毛はその中に空気の層を保ち断熱性に優れており、これによって哺乳類は熱が逃げ体温が下がることを防いでいる。野生動物は雨などにさらされるが、たとえ毛皮の外面・表面が濡れるような状況になっても毛の根元は油分により水をはじくことで水の気化により熱を奪われることを防ぐ。冬季にはさらに細かな毛を増やして断熱性を高める動物もいる。毛を残したままの皮革は、皮革に上記のような防寒の効果・効用が加わったものになり、つまり防寒具となるのである。
鳥類の羽毛も空気を含み優れた保温・断熱の役割を果たしているが、ただ羽毛は毛皮のようには剥がしてシート状のまま扱うことは難しい。[注 1]
一般に人間が衣類などに利用する上では、断熱性を求める場合には加工し易い体毛を持つ哺乳類が用いられる。なお哺乳類でも水辺などに生息する動物や、細かく柔らかい毛並みを持つ動物のほうが好まれる傾向もあり、過去にはそれら毛皮目あての乱獲などにより絶滅に瀕した動物もいる。
人類は旧石器時代から、狩猟を行い動物を食用にし毛皮を衣類として使用していたと考えられている。かつては防寒具として毛皮に代わるものはなかったと考えられている。特に寒冷な気候の北ヨーロッパなどでは、毛皮は生活に欠かせない必需品であった。カエサルの『ガリア戦記』にはゲルマン人が毛皮を着用していたことを示す記述がある。
封建時代のヨーロッパでは、高級な毛皮は宝石などと同様、財宝として取り扱われた。イギリスのヘンリー8世(在位、1509年 - 1547年)は王族・貴族以外の者が黒い毛皮を着用することを禁じた。とりわけ黒テンの毛皮は子爵以上の者しか着用できないとした。18世紀以降にはヨーロッパ全土に広まり、貴族はキツネ、テン、イタチなど、庶民はヒツジ、イヌ、ネコなどの毛皮を使用していた。
黒テンやビーバー、キツネといった毛皮はロシアの主要な輸出品として、大きな商業上の利益をもたらした。16世紀以降、ロシア帝国は毛皮を求めて、東方に領土を広げ、シベリア開発を行った。ロシア政府はシベリアの少数民族に対し、毛皮の形で税を徴収した。この税はヤサクと呼ばれる。
18世紀にはラッコの毛皮が流行し、最高級品として高値で取引された。ロシア人はこれを求めて極東のカムチャツカ半島、さらにはアラスカまで進出し、毛皮業者に巨万の富をもたらした。乱獲により、20世紀初頭にはラッコは絶滅寸前まで減少した。
シベリアやアラスカのエスキモーなど寒冷地方に生活する人々は、防寒用としてトナカイやアザラシの毛皮を愛用している。帽子、上着、ズボン、長靴、手袋など、ほぼ全身を毛皮で覆っている。ロアール・アムンセンも南極探検の際にはイヌイットから伝授された毛皮の防寒着を使用した。
20世紀の半ば以降、狩猟による毛皮の採取は減少し、大半は飼育場で飼われたものの毛皮を加工し生産するようになった。天然の毛皮は世界各地で産出するものの、重要な供給地は寒冷地である[1]。
嵯峨天皇の時代以来、渤海国からテンやトラなどの毛皮が高級舶来品として輸入された。平安時代には貴族の間で毛皮が流行し、富裕な人々が防寒着として着用した[2]。延長5年(927)の『延喜式』の弾正台式(貴族の服装規定)には、公式な場での位階別の毛皮着用基準が定められており、貂皮が参議以上しか着用を認められない最高級のランクとされていた。
庶民においては、古くよりたとえばマタギなど猟師は自ら仕留めた獣の毛皮を加工し、防寒着などとして用いていた。また豪奢な装飾用の敷物や工芸品の素材として利用されていたようである。
ただし、一般では衣料素材としてはあまり積極的に使われておらず、細々とした流通にとどまっていた。日本の最初の、一般向けに毛皮を販売する専門店は、1868年に日光市鉢石町で創業した山岡毛皮店だとされている[注 2]。
1959年1月14日に皇太子明仁親王・正田美智子婚約の折、正田側が実家を出る折に身に着けていたミンクのストールが当時のテレビで大々的に放映され、世の女性たちはミッチー・ブームで熱狂、ミンクのストールも注目された。おりしも日本は岩戸景気で大衆も豊かさを実感し享受する時代に突入していたので、毛皮はそれまで一部の権力者や有力者だけの贅沢品だった状態から、一気に一般労働者層でも頑張れば手が届く、高価で贅沢だが一般的な装飾的意味合いの強い衣料品にまでなった。
現代では動物愛護や動物の権利の意識の高まりから毛皮の利用に対して国際的な反対運動が展開されており、特に寒冷地等で「必需品」として利用するのではなく「贅沢品」として利用する事には強い嫌悪感を持つ人も多いと言われる。なお、愛玩動物としての地位もある犬や猫の毛皮に関しては、こういった嫌悪感が形成されやすい傾向も見られ、ヨーロッパでは2006年9月に流通していた毛皮製品の内に犬や猫のそれを使った物が確認されたため社会問題となり、2006年11月20日に欧州連合の加盟諸国間では貿易禁止となった [3]。
毛皮はほ乳類の標本としても使われる。それをもとの姿に近く復元した剥製も標本として用いられる。したがって、かつては未知の地域で新種の野生動物が発見され、標本はその地域の出店の商品として入手された毛皮だった、という例がある。
毛皮獣として、キツネ、テン、イタチ、チンチラなど寒冷地に生息する種や、ラッコ、カワウソ、ビーバー、アザラシなど半水生ないし水生の種が主に用いられる。これらはいずれも断熱性に優れた毛皮を持つ。
動物を畜殺して剥いだ生皮から肉塊や脂肪塊を取り除く。さらに中性洗剤や、工業用のガソリンといった有機溶剤で、脱脂を行う。
脱脂後、なめし剤に漬込んで防腐処理を行う。なめし剤として、ミョウバンと食塩の混合溶液や、塩基性クロム塩と食塩の混合溶液などが用いられる。ミョウバンによるなめしは古くから行われてきたものであるが、水分に弱いため、染色には向かない。クロム塩によるなめしは耐水性、耐熱性に優れるが、毛皮が淡青緑色に着色してしまうという難点がある。皮革のなめしのことを英語でタンニング (tanning) と呼ぶが、毛皮の場合ドレッシング (dressing) と呼ばれる。
必要に応じて染色を行う。加脂によって皮繊維に油脂を浸透させ、「水分を加える」→「揉みと延ばし」→「乾燥」を繰り返すことで、柔軟性を良くする。さらに、剪毛機によって毛並みを整えて製品とする。
毛皮を得る上で、その動物の他の部分(肉)が利用されることもある。例えば、ウサギは古くより防寒具用の毛皮として用いられ、こと第二次世界大戦以降には航空機の発達にもより高空を飛ぶパイロット用の防寒着が必要とされ、日本では大規模なウサギの養殖と毛皮加工が行われた。これらの肉は元々は不要部分ではあったのだが、これをプレスハムなどの形で加工して食品として利用することがしばしば行われた[4] 。
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