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三角関数(さんかくかんすう、英: trigonometric function)とは、平面三角法における、角の大きさと線分の長さの関係を明らかにする関数の族および、それらを拡張して得られる関数の総称である。
直角三角形において、1つの鋭角の大きさが決まれば、三角形の内角の和は180°であることから他の1つの鋭角の大きさも決まり、3辺の比も決まる。ゆえに、角度に対して辺比の値を与える関数を考えることができる。
∠C を直角とする直角三角形ABC において、AB = h, BC = a, CA = b とおく。∠A = θ に対して h : a : b が決まることから、
という6つの値が定まる。それぞれ正弦(sine(サイン))・余弦(cosine(コサイン))・正接(tangent(タンジェント))・余割(cosecant(コセカント))・正割(secant(セカント))・余接(cotangent(コタンジェント))と呼び、まとめて三角比と呼ばれる。ただし cosec は長いので csc と略記することも多い。また、余弦、余割、余接は余角(角を90°から引いた角)のそれぞれ正弦、正割、正接に等しい。三角比は平面三角法に用いられ、巨大な物の大きさや遠方までの距離を計算する際の便利な道具となる。角度 θ の単位は、通常度またはラジアンである。
実数 t に対して、2次元ユークリッド空間 R2 における単位円 x2 + y2 = 1 上の点P(x, y) を ∠xOP = t(反時計回りを正の向きとする)を満たすように取り、
と定義する。順に正弦関数(sine; サイン)・余弦関数(cosine; コサイン)・正接関数(tangent; タンジェント)と呼び、これらを総称して三角関数と呼ぶ。さらにこれらの逆数
を順に余割関数(cosecant; コセカント)・正割関数(secant; セカント)・余接関数(cotangent; コタンジェント)と呼び、これらを総称して割三角関数(かつさんかくかんすう)と呼ぶ。これらを含めて三角関数と呼ぶこともある。
角度、辺の長さといった幾何学的な概念への依存を避けるため、また定義域を複素数に拡張するために、級数を用いて定義することもできる。以下の級数は共に示される収束円内で収束する。
z を複素数、Bn をベルヌーイ数、En をオイラー数とする。
詳細は「三角法」および「三角関数の歴史(英語版)」を参照
「円周率」および「円周率の歴史」も参照
一定の半径の円における中心角に対する弦と弧の長さの関係は、測量や天文学の要請によって古代から研究されてきた(バビロニア数学、Yale Babylonian Collection、YBC 7289)。紀元前1800年頃の粘土板「プリンプトン322」には、ピタゴラス数が記されていた。
古代ギリシャにおいて、円と球に基づく宇宙観に則った天文学研究から、ヒッパルコスにより一定の半径の円における中心角に対する弦の長さが表にまとめられたもの(正弦表、Trigonometric tables)が作られた。プトレマイオスの『アルマゲスト』にも正弦表が記載されている。
正弦表は後にインドに伝わり、弦の長さは半分でよいという考えから5世紀頃には半弦 ardha-jiva(つまり現在の sine の意味の正弦)の長さをより精確にまとめたもの、すなはちアーリヤバタ(ヒンディー語: आर्यभट Āryabhaṭa)によって書かれたサンスクリット語の天文学書『アーリヤバティーヤ(英語版)』(ヒンディー語: आर्यभटीय Āryabhaṭīya)、が作成された(Āryabhaṭa's sine table)。ardha は"半分" jiva は"弦"の意味で、当時のインドではこの半弦(現在の sine の意味の正弦)は単に jiva と略された。また、弦の長さを半分にして直角三角形を当てはめたことから派生して余角 (complementary angle) の考えが生まれ、“余角 (co-angle) の正弦 (sine)”という考えから余弦 (cosine) の考えが生まれた。余弦の値もこの頃に詳しく調べられている。(*co- は complementary の略で、補完的・補足的という意味の接頭語として用いる)
詳細は「ヴァラーハミヒラ」および「ブラーマグプタ」を参照
628年、ブラーマグプタ(ヒンディー語: ब्रह्मगुप्त Brahmagupta)が当時のインド数学と天文学の成果をまとめた代表的な著書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ヒンディー語: ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)を発表。
中国へは唐代(718年頃)に瞿曇悉達によってシッダーンタ(英語版)[1](アーリヤバタの正弦表)が漢訳された『九執暦』が作られ、『開元占経(中国語版、英語版)』に含まれている。
770年代にファザーリとヤークブ・イブン・タリク(英語版)が『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』をアラビア語に翻訳した『シンドヒンド』(アラビア語: السند هند Zij al-Sindhind[2]) を発表し、インドの知識がイスラーム世界にもたらされた。8世紀頃イスラム帝国へ伝わったときに jaib(入り江)と変化した。
10世紀のアッバース朝時代にシリアの数学者アル・バッターニが正弦法の導入、コタンジェント表の計算、球面三角法(球面幾何学)の定理を提唱した(Astronomy in medieval Islam、Zij、『サービア天文表 Az-Zij as-Sabi』)。ブワイフ朝のバグダードの数学者アブル・ワファーがタンジェントを導入した(al-Marwazi説もある)。
スペインがタイファ期だった12世紀から13世紀にかけて、トレドで翻訳学派(スペイン語版、英語版)の学者が活躍した。一説では12世紀に、翻訳学派のひとり、チェスターのロバートが、アル・バッターニの著書をアラビア語からラテン語に翻訳した際、正弦を sinus rectus と意訳し(sinusはラテン語で「湾」のこと)、現在の sine になったという。
「バースカラ2世」および「シッダーンタ・シロマーニ(英語版、ヒンディー語版)」も参照
「ケーララ学派」、「マーダヴァ」、「Madhava's sine table」、および「Madhava series」も参照
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日本では、江戸期に関孝和・建部賢弘・久留島喜内らが和算の「円理」と呼ばれる理論を発展させた。
円や弦といった概念からは独立に、三角比を辺の比として角と長さの関係と捉えたのは16世紀オーストリアのゲオルク・レティクスであるといわれる。16世紀には地理学者メルカトルがメルカトル図法を考案して、大航海時代に始まった地図学の発展に大きな功績を残したが、メルカトルの時代には積分法は知られていなかったので「Secant関数の積分(英語版)」が中心的な問題となった。 1638年にルネ・デカルトとジル・ド・ロベルヴァルが出題したデカルトの正葉線の問題が微積分法の発達を促し、インドのケーララ学派やイスラム帝国から伝わっていたそれまでの微分法と積分法という別々の二つの理論体系は、1670年頃にニュートンとライプニッツが独立に微積分法を発見・発明した結果、統合された。この微積分学によって、三角関数の理論は大きく発展した。17世紀後半にはアイザック・バローとジェームス・グレゴリーによって独立にSecant関数の積分が解決され、緯線距離はランベルト関数(逆グーデルマン関数)に相当することが明らかになった。また、余弦を co-sine と呼んだり、sin, cos という記号が使われるようになったりしたのは 17世紀になってからであり、それが定着するのは 18世紀オイラーの頃である。一般角に対する三角関数を定義したのはオイラーである。1748年にオイラーによって、指数関数と三角関数の間に等式が成り立つことが再発見された(オイラーの公式)。フランスの数学者ジョゼフ・フーリエによって金属板の中での熱伝導に関する研究の中でフーリエ級数が導入され、複雑な周期函数による波動の数学的表現が単純な「正弦函数や余弦函数の和」として表されるようになった(フーリエ解析)。1835年にはジェームズ・インマン(英語版)が半正矢関数(haversine)を導入し、球面三角法での半正矢関数の公式(英語版)を航海用として導入した[3]。
アーベルとヤコビによって発展させられた楕円函数論においても、円が三角関数で一意化される現象の類似物として、楕円曲線がモジュラー関数で一意化されることが発見された(「すべての楕円曲線はモジュラーである」)。まだ証明されていなかった時代に、この理論を応用したインド人のシュリニヴァーサ・ラマヌジャンらは、収束の早い円周率の公式を発見するなどした。それらの成果を発展させたアンドリュー・ワイルズは、「フェルマー予想」を証明することに成功した。
x 軸の正の部分となす角は
と表すことができ、θ を偏角、t を一般角と言う。
一般角 t が 2π 進めば点 P(cos t, sin t) は単位円上を1周し元の位置に戻る。従って、
すなわち cos, sin は周期 2π の周期関数である。
ほぼ同様に、tan, cot は周期 π の周期関数、sec, csc は周期 2π の周期関数である。
詳細は「三角関数の公式の一覧」を参照
単位円上の点の座標の関数であることから、三角関数の間には多数の相互関係が存在する。
1. 加法定理は、オイラーの公式から簡単に導出できる。
両辺の実部、虚部を比較すると、それぞれ sin, cos の加法公式を得る。また、
において分母と分子を cos α cos β で割ると tan の加法公式が得られる。
この導出法は、オイラーの公式を既知とするように三角関数の導入(たとえば三角関数をべき級数として定義)していなければ証明として通用しない。
2. また、単位円上の2点間の距離を求める方法でも求められる。
単位円周上に2点 P(cos α, sin α), Q(cos β, sin β) を取り、P と Q の距離の2乗 PQ2 を2通りの方法で求めることを考える。(右図も参照)
(1), (2) より、PQ2 を媒介すると、
これより、他の3つの公式は次々に求まる。
三角関数の微積分は、以下の表のとおりである。
ただし、 はグーデルマン関数の逆関数である。
三角関数の微分では、次の極限
の成立が基本的である。このとき、sin x の導関数が cos x であることは加法定理から従う。さらに余角公式 cos x = sin(π/2 − x) から cos x の導関数は −sin x である。即ち、sin x は微分方程式 の特殊解である。また、他の三角関数の導関数も、上の事実から簡単に導ける。
三角関数は以下のようにテイラー級数に展開される。解析学では、幾何的な性質へ言及せず、これらの表示を三角関数の定義とすることがある。z は任意の複素数、Bn はベルヌーイ数、En は オイラー数である。
三角関数は以下のように無限乗積に展開される。(→証明)
三角関数は以下のように部分分数に展開される。(→証明)
三角関数の定義域を適当に制限したものの逆関数を逆三角関数(ぎゃくさんかくかんすう、inverse trigonometric function)と呼ぶ。逆三角関数は逆関数の記法に則り、元の関数の記号に −1 を右肩に付して表す。たとえば逆正弦関数(ぎゃくせいげんかんすう、inverse sine; インバース・サイン)は sin−1 x などと表す。arcsin, arccos などの記法もよく用いられる。
である。逆関数は逆数ではないので注意したい。逆数との混乱を避けるために、逆正弦関数 sin−1 x を arcsin x と書く流儀もある。一般に周期関数の逆関数は多価関数になるので、通常は逆三角関数を一価連続なる枝に制限して考えることが多い。たとえば、便宜的に主値と呼ばれる枝を
のように選ぶことが多い。またこのとき、制限があることを強調するために、Sin−1 x, Arcsin x のように頭文字を大文字にした表記がよく用いられる。
三角関数の微分に関する性質から、cos x, sin x をテイラー展開することにより、かの有名なオイラーの公式 exp ix = cos x + i sin x が導出される。この公式から下記の2つの等式
exp ix = cos x + i sin x
exp(−ix) = cos x − i sin x
が得られるから、これを連立させて解くことにより、正弦関数・余弦関数の初等関数としての表現が可能となる。即ち、
この事実を用いて、三角関数の定義域を複素数全体に拡張することができる。まず、
である。ここで cosh x, sinh x は双曲線関数を指す。この等式は三角関数と双曲線関数の関係式と捉えることもできる。任意の複素数 z は z = x + iy (x, y ∈ R) と表現できるから、加法定理より
が成り立つ。これこそが正弦関数・余弦関数の定義域を複素数全体に拡張したものである。他の三角関数も正弦関数と余弦関数の四則演算によって定義できるから、結局全ての三角関数は定義域を複素数全体に拡張できることが分かる。
cos(x + iy) の実部のグラフ
cos(x + iy) の虚部のグラフ
sin(x + iy) の実部のグラフ
sin(x + iy) の虚部のグラフ
詳細は「球面三角法」を参照
球面の三角形ABC の内角を a, b, c, 各頂点の対辺に関する球の中心角を α, β, γ とするとき、次のような関係が成立する。余弦公式や正弦余弦公式は式の対称性により各記号を入れ替えたものも成立する。
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