出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/07/28 22:51:54」(JST)
この項目では、人間の子育てについて説明しています。人間以外の動物における子育てについては「動物の子育て」をご覧ください。 |
子育て(こそだて)とは、子を育てることである[1]。
「子育て」は様々な年齢の子供の養育全般を指す。それに対して、「育児」という場合、(基本的には)主として乳幼児を育てることを意味しており[2]、子供が赤ちゃんから幼児期ころまでの子育てを指す。ここは子育ての記事なので様々な年齢の子を育てることについて解説する(したがって結果として、前半で育児にも触れる)。
ただし(日本ではかつては早ければ12歳から13歳にかけて元服し、大人の仲間入りをしたわけであるが)近年、子供全般が社会的に独り立ちする年齢が遅くなる傾向があるので、従来「育児」と呼ばれていた行為の対象年齢を、中学・高校の年齢まで引き上げて考える必要もでてくるようになった[3]。
なお、近年では妊娠中の女性の心身の健康状態が胎児に及ぼす影響が大きいことが知られるようになり、妊娠中に母体の健康を維持することや、健全な精神生活を維持することも育児・子育ての一部だと認識されるようになってきている[3]。
狭義の育児、すなわち乳幼児の子育てについて解説する。
育児の基本的条件としては、愛情、栄養、養護が必要である[3]。
育児の基本条件の中でも第一のものは、養育される小児と、養育する人との間に愛情の交流があることである[3]。物理的な環境がいかに整っていようが、愛情を欠く環境では小児は健全には育たない[3]。このことは多くの研究が明らかにしている[3]。
乳児は、誕生後約半年間は乳で育てられる[3]。母乳は、栄養的に見て乳児に最適である[3]。栄養素の構成も乳児に最適で、さらに母乳に含まれる免疫物質・抗菌物質・白血球などによって細菌やウィルスの感染を防ぎ、食物アレルギーの発現も抑える[3]。さらに授乳時に、母と子の皮膚の接触、見つめあい、笑顔の交換などが行われ、母子の愛のきずなをより強めることができるなどの利点もある[3]。母乳不足、母親が仕事をしている等で母乳が与えられない場合は、不足分を人工乳で補ったり、あるいはすっかり人工乳を用いたりする[3]。
生後5か月以後になると、乳に加えて半固形食を与え、次に固形食を与えるようになる[3]。この過程が「離乳」en:weaningであり、この時期に食べさせる食物を「離乳食」という[3]。
授乳。母乳は乳児に最適の栄養である。
誕生後5か月以後に離乳食も与えて徐々に離乳する。
養護、すなわち身の回りの世話をしてやることについて解説すると、体温を維持すること、皮膚を清潔に保つこと、排泄物(いわゆるウンチやオシッコ)を処理することなどは、乳幼児には自分ではできない[3]ので、大人がそれをしてやることになる[3]。また、健康増進のために、屋外に出て日光浴・外気浴・外遊びなどを行うことも大切である[3]。上で愛情が第一だと指摘したが、こうした養護行為も、ただ機械的に行うのではなく、愛情をこめて、微笑みかけ、語りかけ、また子供からの笑顔や、語りかけも親は積極的に応答することが大切である。こうすることによって母と子のきずなが密となり、コミュニケーションの基礎がつくられてゆくのである[3]。
体温維持のために布でくるんだり、ベビーウェアを着せてやる。
排泄物の世話もする。近年ではおむつ、特に紙おむつが用いられるようになった。
健康増進のために屋外に連れ出し、日光浴・外気浴をさせる。
共働きの夫婦の場合、仕事と育児を無理なく両立させるために、転居(引越し)するという夫婦も少なくない[4]。考え方は様々で、親と(つまり育てられる子から見て祖父や祖母にあたる人と)一緒に暮らす、子育てのしやすい地域や子育て支援が充実している行政区域に引っ越す、職住近接になるように引っ越す等々、それぞれの事情や考え方に応じて行われている[4]。
妻と夫がどういった分担で子育てをするとよいかについては、どれが正解というものはない[4]。各家庭の実情に合わせて、夫婦が力を合わせて工夫を重ね、その家庭なりのやり方を確立させることになる[4]。何より、互いに感謝の心を持つことが大切となる[4]。互いに、ある意味で当たり前のことをしているとはいえ、当たり前だという態度で相手に接してばかりではうまくゆかない[4]。自分自身から「ありがとう」「助かった」「助かったわ」などの言葉で相手の苦労をねぎらうことが、うまくゆく秘訣である[4]。
この節はその主題が日本に置かれた記述になっており、世界的観点からの説明がされていない可能性があります。ノートでの議論と記事の発展への協力をお願いします。(2011年5月) |
日本では、小学校へ入学することによって、子供は自分で登校・下校するようになる[4]。つまり、保育園に通わせていた子ならば、親は送り迎えをしなくて済むようになる[4]。ただし、(たとえ集団登校方式になっていようとも、集合場所までは一人である場合も多く)登下校時に子供が一人になることがあるので、その時の安全に気を配る必要がある[4]。入学前には、自分の子供が基本的な交通ルールを守れるかどうかを確認しておいたほうがよい。飛び出しをしない、信号無視をしない、横断歩道を作法どおりに安全に渡る、ということができるか確認しておくとよい[4]。また、通学路を親子で一度は歩いてみて、危ない場所などをチェックして子供に諭しておくとよい[4]。
小学校では、教育施設と家庭との連絡方法が変わってくる。保育園では先生(保育士)が毎朝・毎夕、親と直接顔をあわせてコミュニケーション・連絡をしてくれるが、小学校ではもはや先生は親と直接話さず、もっぱら子供にプリントが渡される形になる[4]。親は、(子供がしばしば失念してしまうそれらのプリントを見つけ出し)必ず目を通し、さまざまな期限等に注意を払う必要がある[4]。子供は小学校に入学してもすぐに、翌日の学校の支度ができるようになるわけではないので、子供が慣れるまでは、親が一緒に宿題の有無を確かめたり、翌日の準備を手伝ってやる必要がある[4]。最初はできなくても、やがて自分ひとりでできるようになってゆく[4]。
小学校に入ると、担任の先生ごとの考え方にもよるが、徐々に宿題が出るようになる[4]。親も家庭でそれを見てやるとよい[4]。例えば、低学年のうちは、宿題として音読、計算、漢字の書き取りなどがでる[4]。子供が音読するのを親がしっかりと聞いてやるとよい効果がでる[4]。保育園・幼稚園時代に行っていた読み聞かせも、低学年の間は続けるとよい[4]。
小学校低学年の時期は、学習の土台となるさまざまな体験をすることが重要なので、いわゆる「お勉強」ばかりをさせるのではなく、お手伝いをさせたり、屋外に出て自然と触れ合ったりするなど、(文字や画像・映像ばかりでなく)五感を使った直接体験を十分にさせてやるほうがよい[4]。
知らない大人には近づかせないように配慮する必要もある。言葉たくみに子供を誘い連れ去ってしまったり(誘拐)、いたずらしたり、という事件がしばしば起きている。よって、知らない大人に声をかけられたら、「いそいでいる」などと言って断ったり、ともかくその場から離れる、という方法を普段から言い聞かせておく必要がある[4]。
中学生の年齢は、子供の自我が育ってゆく時期であり、自分なりの考え方をしっかりと持つようになってくる[4]。それまでは、何でも親の言うとおりにしていた子供が、突然に親に反抗するようになったりするのである[4]。またこの時期に思春期にも入り、大人の身体へと変化し、それに伴い心も変化・成長し、異性を意識するようになる[4]。親との関係よりも友達との関係を重視するようになり、親に対しては知られたくないこと、つまり秘密を持つようになる[4]。親としては気がかりで心配が尽きない状態なのであるが、子供が成長するために必要な過程だと理解し、手や口を出さずに見守る必要がある[4]。ただし、目を離さないことは大切である[4]。子供がひとりでは解決できないような大きな問題に直面した時に子供から発信されるSOSを受信し、子供と一緒に問題を解決してゆくことも必要になる[4]。
カナダの国際都市トロントでは、子育ての負荷を両親に集中させるのではなく、社会全体で子供を育てる、ということが行われている。[5]
海外赴任や国際結婚をする親のもとでは、異文化環境の下での子育ても行われる。それらの子供達は、多言語習得の機会があり、成長過程に於いて異文化教育が家庭内で自然に行われる。しかし、多文化環境では子供が不適応に陥る危険も大きい。多言語環境で育った子供には、しばしばどの言語も十分には操れないという現象が発生する(「ダブル・リミテッド」などと言う)。多文化・多言語教育を成功させるには親子双方の強い意思と多大なエネルギーが必要となるため、国際結婚や海外赴任などの環境にある子育てであっても、あえて単一文化環境で育てるという選択をする家庭もある。
動物にも子育てを行うものがあり、生物学ではそれを扱っている。ヒト以外の動物全般の子育てについては動物の子育てを、進化生物学における子育てに関連する概念は親の投資を参照のこと。
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