出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2013/03/12 19:50:23」(JST)
視覚障害者(しかくしょうがいしゃ)とは視力が全く無い、または視機能が弱く、日常生活や就労などの場で、不自由を強いられる人たちのことである。
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視覚障害は情報障害と、長年言われ続けてきたが、情報通信技術(ICT)の著しい発展で状況によっては健常者と変わらない活動をする機会が与えられるようになってきた(アクセシビリティの項を参照の事)。
残存視覚がある「弱視」(またはロービジョン)(low vision)と、視覚をもたない「盲」(全盲)(blindness)とに分けられる。弱視者(またはロービジョン者)を見えにくい人、全盲者を見えない人、と呼ぶ場合がある。対語は「睛眼者(せいがんしゃ)」であるが、「睛」(眼がぱっちりと開いた)の字が常用漢字表の記載が無く、「晴眼者」の表記が多い。
視覚障害者のうち、「弱視者」(またはロービジョン者)の割合は7割強を占め多数であり、全盲より遥かに多いのだが、この事実はあまり広く知られていない。
視覚障害者は過去「めくら」と呼ばれた。現在では差別的(差別用語)とされたり、「視覚障害者」という言葉が指し示す対象が拡がってきた[1][2]事もあり、余り用いられない傾向にある。
障害者、特に視覚障害者はどの時代や国、地域にも広く存在する社会的少数者(マイノリティ)である。そのため視覚障害者の生活は時代や国により大きな制約を受ける。
視覚障害者のうち、見えにくい「弱視者」(またはロービジョン者)の割合は7割強を占め多数であるが、ドラマで取り上げられる視覚障害者の主人公が全盲である事がほとんどであり、その事からもわかるとおり、世間一般では「視覚障害=全盲(=見えない)」のイメージで捉えられる事が多い。[3]
夜盲症(鳥目)や視野狭窄、眼瞼下垂、眼震、羞明、複視、色覚異常、昼盲も視覚障害である。ただし夜盲症や色覚異常は身体障害者福祉法における視覚障害の定義には含まれない。
世間での典型的なイメージは「視覚障害者=全盲=点字」であるが、実際には中途視覚障害者や統合教育を選択した者を中心に(つまり盲学校に行かない人を中心に)、点字の普及率は決して高くは無く、点字未習得者で「点字を必要としている」者もまた少ない。[4]。そのため、比較的豊かな点字図書の資産を生かす事ができず、音訳による録音図書や、近年特にインターネットにおけるスクリーンリーダーを利用し情報摂取する機会が実は多い。また、点訳データの音声化により、利用する事が近年では可能になっている。(読書権も参照の事。)
また、普段の情報入手の手段としては、実は健常者と変わらずテレビが一番多い。そして地上デジタル化に合わせた対応が進んでいなかった時期があり、緊急の課題であったことがある。
明治維新までの日本では、当道座、盲僧座など、視覚障害者による自治的組織がいくつかあった。中でも当道座では検校や勾当、 別当 座頭などの官位が与えられ、音楽家や鍼灸按摩を専業としていた。一般に彼らの社会的地位は高く、当道座の最高職である「総検校」は十万石の大名に匹敵する地位と格式を有していた。
なお、この項目に限らず、「視覚障害者」と言う場合は、ほぼ自動的に「“(行政から)認定を受けた”視覚障害者(とりわけ全盲の人)」を指していることが少なくない。が、本質的な「障害」に対する考え方は、日本図書館協会の「図書館利用に障害のある人」という定義[5]や、ロービジョンケアにおける考え方、近年の障害者の権利に関する条約に基づく政府による障害者の定義の見直しにも見られるように、日本においても医学モデルから社会モデルへの転換が図られつつあり、当初のとらえ方では漏れる人たちが多数いる事に注意が必要である。
なお、視覚障害者の割合は、その国によって異なる。ある説では、世界70億の人口のうち、1億5千万人が視覚障害者とするものもある[要出典]。盲学校によっては、学校名を変更して、視覚特別支援学校等としている場合がある。
ただし、2007年に創設された、特別支援学校教諭免許状の教職課程を設置している大学等の教育機関のうち、5領域中、「視覚障害」の取得可能な教育機関は、他の4教育領域に比べて著しく少ないのが現状で、さらに、大学通信教育においては、2012年現在は課程設置校は皆無である(そのほとんどが、旧養護学校免許状に相当する3領域のみ取得可能となっており、聴覚障害を教育領域とする免許を取得可能な通信制課程も1校にしか認可されていない)。
視覚障害の原因で、最も多いのは糖尿病である。次いで、緑内障などが続く。交通事故や労働災害などの事故もその原因となる。出生時の損傷による視覚障害は比較的少ない。また、緑内障、白内障などの各種眼疾患の他にも、脳腫瘍のような脳疾患、糖尿病やベーチェット病のような全身性疾患でも視覚異常を伴う場合がある。重症無力症やミトコンドリア病:慢性進行性外眼筋麻痺など眼筋麻痺による視機能異常もある。
41歳以上からの中途視覚障害者が半数を占め、一定の社会的基盤を持った人が視覚障害を負うこと、特にQOLの低下防止、維持が極めて大きな課題になる。
2008年3月24日に厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部企画課から発行された平成18年身体障害児・者実態調査結果[6](p.17)によると、身体障害者全体(総数 3,483,000人)、及び身体障害児(総数 93,100人)の身体障害の原因では、
また、視覚障害者(総数 310,000人)及び視覚障害児(総数 4,900人)における視覚障害の原因は以下のように示されている。
眼科で受診後、市町村福祉事務所に申請をすることで身体障害者手帳が交付される。等級は、各区分の障害の程度に応じて1級から6級まである。視覚障害は「視力障害」と「視野障害」とに区分して認定する。重複する場合、重複障害認定の原則に基づき認定する。
なお、この「視力の和」(合計)については、対数視力を用いず、小数視力を足して認定の基準にする事に本質的な疑問が投げかけられている事に注意が必要である。
重複する障害の合計指数に応じて認定する。
視覚障害者の職域は現状、依然としてあはき業に大きく依存しているが、近年のICT技術の普及等を背景として、約1割の視覚障害者が事務職に就職している[7]。
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弱視者(またはロービジョン者)への配慮についてはロービジョンの項目も参照の事。
歩道や鉄道駅などでは視覚障害者に配慮し(移動のアクセシビリティ)、突起のついた「視覚障害者誘導ブロック」、いわゆる「点字ブロック」(大概は黄色)が床面に設置されている。細い溝のついたタイルは「(溝の方向に)進め」を意味し、点々のついたタイルは「止まれ」あるいは「危険」を意味する。
ブロックを黄色としているのは弱視者が点字ブロックを容易に視認するためである。近年、美観整備の一環で、突起を路面タイルの模様に一致させた点字ブロックが散見されるが、弱視者への配慮に欠くとの指摘もある[10]。
点字ブロックの発祥地は日本である。[11]
また、手すりや券売機には点字、横断歩道や駅の階段では音声・音楽による誘導もなされている。
ガイドヘルプ(移動介護従事者)や盲導犬による補助も行われる。2003年には「身体障害者補助犬法」が施行され、市役所などの公共機関や鉄道・バスなどの公共交通機関に限らず、百貨店やレストラン、ホテルなどの不特定多数の人が利用する民間施設での、盲導犬を含む各種補助犬の受け入れが義務付けられた(施設が拒否した場合、障害者からの告発があれば処分があり得る)。
方向が分からず援助が必要な視覚障害者に対し、アナログ時計(針式時計)の文字盤を想定した案内が明瞭簡潔で、特別支援学校(盲学校)などの訓練でも採用されている[12]。
視覚障害者と接し慣れていない場合、適切な案内に判断を迷い「もう少し……」など曖昧表現が多用され互いに混乱を招く場合がある。そのため、誘導する際は「左に少し行くと……」のような曖昧表現を避けて「9時の方向、3メートル先に……」と具体的に説明し、「真後ろに2メートル後退する」際は「6時の方向に2メートル進む」と誘導する。このように方向、距離、共に数字を用いて具体的に伝達し、勘違い・誤解を防止する。
対象者の不安感を和らげるため、身体接触が必要な場合は事前の声かけを行い援助対象者の了承を得るようにし、いきなりの身体接触は極力避ける(例外は危険性が高い場合)。白杖使用者の白杖も身体の一部(目の代用)とみなし触れないこと(例外は白杖使用者が手を空けるために誘導者に持っていることを希望した場合)。
「手引き」と呼ばれることが多いが、誘導者が援助対象者の手を取って引っぱって歩く方法ではない。誘導者と援助対象者が同じ向きに並び、誘導者が援助対象者に腕を掴んでもらい案内することが基本的な方法である。しかし、事前の声かけの際に援助対象者が別の方法を希望した場合は、それを尊重することが望ましい。
視覚障害者用の腕時計はふたを開けて針の位置を指で確認できる。また時間合わせを自動でしてくれる電波時計は、視覚障害者にも便がよく、音声読み上げタイプは日常生活用品として行政による購入補助の対象のものもある。洗濯機などの家電製品にはスイッチ部分に点字を刻印してあるものがある。また、携帯電話は画面読み上げ機能がついたらくらくホンの普及率が特筆的に高い[13]。
シャンプー容器には、リンスやヘアコンディショナーと区別するために刻み模様を入れたりして視覚障害者への配慮がされたものがある。牛乳パックでは上部の張り合わせの部分を丸く切り取ってあるものがある。アルコール飲料の缶の上部などに「おさけ」などと点字を刻印してあるものがある。
おもちゃの中には、「盲導犬マーク」がついているものがある。これは視覚障害の有無に関係なく利用できるおもちゃであることを示す。このようなおもちゃ類を「晴盲共遊玩具」といい、日本玩具協会がはじめた活動である。[14] [15]現在は国際共通マークとして認められ、徐々にその活動の輪が広がっている。
詳しくはアクセシビリティの項目を参照の事。
マウス等による場所指定操作が困難な人たちは、スクリーンリーダー(音声読み上げソフトによる案内)にてパソコンを使用する。現在主なOSやアプリケーションソフトはキーボードだけで操作が可能なように設計されており、熟練した人であれば音声読み上げソフトを使用して、健常者同様にアプリケーションの操作や検索など行うことも可能である。視覚障害者のウェブデザイナーも少なからず活動している。
しかし、ウェブサイトによっては視覚障害者が利用する場合に問題が起こり、ネットワーク上から情報を引き出す際に障害となっている。
例えば、情報が画像となっているページは視覚障害者には理解することが難しい。このような表現は健常者には何の問題もなく伝わるが、画像は音声で読み上げることが出来ないので、視覚障害者には理解が難しい。
またレイアウトに凝るあまり、文章がHTMLなどで記述されたソースファイル上では順番に並んでおらず、読み上げていくと支離滅裂な文脈となり、理解しにくい場合もある。これは表などを多用した場合に発生する。
同様に、視覚障害者は一見してそのページがどのような構成になっているのか分からないので、あまり関係のないリンクが大量に本文の前にあると(ナビゲーションとして置くものが多い)、そのページが何について書いているのか理解するのが困難になる。また、音声を順番に読み上げて行くタイプのブラウザでは、本当に読みたい情報にたどりつくまで時間がかかるという問題も発生する。特にナビゲーションは全ページに置くのがほとんどなので、ページを移動するたびに毎回最初からナビゲーションが読み上げるような形となり、読み手の混乱の元となる。
これらは作り手のちょっとした配慮で解決が可能である。例えば画像の場合は、alt要素を付けるか、テキストデータにすることで解決できる。後者は、何のページなのか概要がすぐ分かるようにし、不要なナビゲーションリンクを置かないようにすればよい。やむを得ずリンクを置く場合は、本文の後に置くようにするといった配慮が望まれる(見た目左側にあってもHTMLなどではリンクを本文の後に置くことが可能。ウィキペディアがその代表例)。
一方最近Flashを用いたページも増えている。Flashにおいては、クリックしないと先に進めない構成になっているものも多い。読み上げソフトはそのようなFlashコンテンツを読むことができない場合があり、また視覚障害者はどこをクリックしていいのかも分からない。一方でFlash側における配慮も行われてきており、Flash Player 6以降からは、MSAA(Microsoft Active Accessibility)への対応が施され、HTMLにおけるalt属性に相当する内容をFlashファイル内の各項目に埋め込む事が可能となった。しかしながらこれらのコンテンツに対応しない読み上げソフトも少なくないため、視覚障害者への配慮をするならば、別途、代替のHTML等で記述したWebページを作成するべきであろう。
上記に対し、日本IBMから視覚障害者がインターネット上の動画などのマルチメディアコンテンツに容易にアクセスできる事を可能にする目的で開発され、Adobe FlashやダイナミックHTMLにも対応した「aiBrowser」がオープンソースで公開されるなど、技術で改善しようという取り組みもまた進んでいる。
また、最近、多くのウェブ会員サイトでは会員登録をする際に、画像認証を行っている。しかし、先に挙げた理由により、視覚障害者は画像を読むことが困難なので会員登録が難しい。この事は一部のブログのコメント欄でも同様で「発言権を仕組みの段階で奪われている」と言える。視覚障害者への配慮をするならば、画像認証においては、画像とは別に音声による認証も可能にするようにサイトを設計するべきであろう。
映画鑑賞が視覚障害者も可能なように、場面構成等を解説した「シーンボイスガイド」と呼ばれる音声を無音声部分(セリフとセリフの間など)に差し入れる形にした映画が存在する。特に視覚障害を取り扱った映画に採用される場合が多い。製作サイドが、はじめから組み入れる場合も有るが、多くは別に録音したシーンボイス部分のみを同時再生、もしくは映画の進行を見ながらその場で行なう。ボランティアで行なわれることも多い。シーンボイスガイド未利用者の妨げにならないようにシーンボイスの聴取は入口で貸し出されるポケットサイズのFMラジオにイヤホンをつないで行なわれる。
ニュースやドラマなど副音声にて解説放送が採用される場合がある。詳しくは同項目を参照。
日本銀行券(紙幣)の下端右側または左右に、指触りで金種を識別するためのくぼみが漉き込まれている。
日本の紙幣は、異なる額面の紙幣は、互いに大きさが変えるよう(額面の大きい金種の大きさが大きくなるよう)設計されている。しかしながら、二千円紙幣D号券(2000年発行)について、先に発行された五千円紙幣D号券(1984年発行)との横幅がわずか1ミリメートルの短さしかないため、区別がつきづらい[16]。
多くの国では額面が大きいほど紙幣の大きさも大きくなるが、一部の国の紙幣(アメリカ合衆国ドル紙幣など)は、金種が異なっても大きさが同一であり、視覚障害者にとって使いづらいとされる。[17]
金種を問わず同一サイズの紙幣を発行する国は、ほかにオーストラリア、カナダ、フィリピンなどが挙げられる。
Category:視覚障害を持つ人物を参照のこと。
通常は「目の不自由な人」と呼称されることが多い。視覚障害者の対義語として、正常な視覚を有する者を「晴眼者」(せいがんしゃ)と呼ぶ。
全盲の場合は「盲人」とも表現する。現在では「盲」(めくら)と訓読みした場合、差別用語とみなされることがあり注意が必要である。「盲」の字は当用漢字表には「めくら」という訓読みもあったが、常用漢字表では削除されている。
なお、箏の奏者を「めくら」と呼ぶのは明治以前からタブーとされていた。視覚障害者に与えられる官位である検校などの社会的地位が高かったためである。「盲」(めしい)ともいう。また地方には、隻眼(片方の目が見えないこと)または左右の目の大きさが異なることをあらわす「めっかち」ということばもある。
また、「盲」の派生語として何らかの事情で教育を受ける機会が無かったために文字を読解できない人を「文盲/明盲」と呼び、その人達のために作成された暦を「盲暦」と呼んでいたが、視覚障害者への配慮により今日ではそれぞれ「非識字者」・「絵暦」と呼称されることが多い。
古い文芸作品などで見かけることのある語句について簡単に述べておく。
また、視覚障害者に対して「めくら」と称するこれらの言葉を差別的だと捉えられることもあるため、マスコミ・出版業界では使用しない様に言い換えが進んでいる。
慣用句ではないが、「盲目」あるいは「盲目的」という言葉は、「目が見えない」→「周囲が見えていない」意味から現在でも「理性や分別がない」といった意味で使用されることがある。これらの言葉も、場合によっては視覚障害者が理性に欠けているかのような印象を与えかねないため、マスコミ・出版業界では避けられる傾向にある。
なお差別とは無関係な分野でも、視力が退化した生物に対して『メクラヘビ』『メクラウナギ』『メクラウオ』『メクラアブ』『ザトウクジラ』『メクライシムカデ』等、現在に於いても生物学上和名として使用されていることに対して、これを問題視する動きもある。
これに対し、和名の変更を考える学術的な行動は『メクラカメムシ』を『カスミカメムシ』、『メクラグモ』を『ザトウムシ』に変更するなどの例はあるものの、和名の変更に反対する意見もあり、全ての和名が変更される事態とは至っていない。
2007年2月1日、日本魚類学会はメクラなど差別的語を含む51の標準和名を改名すべきとの勧告を発表した。その勧告によって『メクラウナギ』は『ホソヌタウナギ』と改名されている [18]。 しかし、こうした動きについて過剰な言葉狩りであるという批判もなされている。
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リンク元 | 「complete blindness」「後天盲」「一過性盲」「法的盲」 |
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