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テクノロジー(英: Technology)とは、「特定の分野における知識の実用化[1]」とされたり、「科学的知識を個別領域における実際的目的のために工学的に応用する方法論[2]」とされたり、道具や技巧についての知見を使い環境に適応したり制御する能力を高める方法、などとされる用語・概念である。ただし、厳密な定義があるわけではなく、実際には様々な用いられ方をしている。「テクノロジー」は人類の使う具体的な機械やハードウェアや道具を指すこともあるが、システム、組織的手法、技術といったより広いテーマを指すこともある。→#定義と用法
「テクノロジー」の語源はギリシア語の technología (τεχνολογία) であり、téchnē (τέχνη) すなわち「技巧」と -logía (-λογία) すなわち「(何かを)学ぶこと」または「学問」を意味する表現を組み合わせた語である[3]。
人類のテクノロジーの使用は、自然界にあるものを単純な道具にすることから始まった。先史時代、火を扱う方法を発見することで食料の幅が広がり、車輪の発明によって行動範囲が広がり、環境を制御できるようになった。もっと最近の例では、印刷機、電話、インターネットなどの発明によりコミュニケーションの物理的障壁を低減させ、人類は世界的規模で自由に対話できるようになった。ただし、テクノロジーが常に平和的目的で使われてきたわけではない。武器の開発は、人類の歴史とともに棍棒から核兵器へとその破壊力を増す方向に進んでいる。
テクノロジーは社会やその周囲に様々な形で影響を与える。多くの場合、テクノロジーは経済発展に貢献し、有閑階級を生み出す。テクノロジーは公害という好ましくない副産物も生み出し、天然資源を消費し、地球とその環境に損害を与えている(→環境問題)。テクノロジーは社会における価値観にも影響を与え、新たなテクノロジーは新たな倫理的問題を生じさせる。例えば efficiency(効率)という概念は本来、機械に適用されるものだったが、人間のefficiency効率性(生産性)をも意味するようになってきた。
テクノロジーが人間性を向上させるか否か、また、テクノロジーのもたらす害悪・危険について、様々な議論が行われている。古くはネオ・ラッダイトやアナキズムなどの運動は哲学的に、現代社会におけるテクノロジーの普遍性を批判し、それが環境を破壊し、人々を疎外する(=人間を支配し、人間の本質を失わせる)としたし、それ以降も、様々な人々からもしばしば批判されており、現在でも、現実的な視点から、全世界で反原子力運動は行われている。一方、トランスヒューマニズムなどの支持者は、テクノロジーの継続的進歩が社会や人間性にとって有益だと主張する。アインシュタインは「科学技術の進歩というのは、病的犯罪者の手の中にある斧のようなものだ」[4]と述べた[5]。
最近までテクノロジーの開発は人類のみが行えることだと信じられていたが、他の霊長類や一部のイルカが単純な道具を作り、次の世代へとその知識を伝えていることが最近の研究で分かってきた。
Merriam-Webster の辞書には、「特定の分野における知識の実用化」であり「知識の実用化によってもたらされる能力」と定義されている[3]。アーシュラ・フランクリンは1989年の講演 "Real World of Technology" において、テクノロジーの新たな定義として「慣例、我々が物事を行うやり方」としている[6]。テクノロジーという用語はテクノロジー全般を指すよりも、、特定の分野、例えばハイテクや家電機器などを指して使われることが多い[7]。
哲学者ベルナール・スティグレールは『技術と時間1:エピメテウスの過ち』の中でテクノロジーを「生物以外の手段による生物の追跡」および「組織化された無生物質」と定義している[8]。そのようなものとして、テクノロジーの出現によって歴史に於ける存在外面化の瞬間が物語られる。これらの言葉に於けるテクノロジーの意味を系統立てて説明する際に、スティグレールはアンドレ・ルロワ=グーランやジルベール・シモンドンの著作に基づいている。ヒトにとってこのことは、可能性として親から道具の使い方を学ぶということだけ指すわけではなく、概して過去は物体や遺跡に記されるのだということも意味した。
テクノロジーには物質的な実体のあるものと実体のないものがあり、なんらかの価値を生もうとする精神的・物理的努力によって生み出される。この場合テクノロジーは、実世界の問題を解決する道具や機械を指す。その場合もバールや木製スプーンのような単純な道具から、宇宙ステーションや加速器のような複雑な機械まで幅広いものを意味する。道具や機械は物質的なものだけとは限らない。コンピュータソフトウェアやビジネス手法といったものも、この意味でのテクノロジーの一種である[9]。
「テクノロジー」という用語は、技術や技巧の集合体を指すこともある。この場合、資源を組み合わせて望みのものを作る方法、問題解決法、必要性を満たす方法などといった、人類の持つ知識全般を指し、技法、技能、製造法、技術、道具、原料などを含む。英語では、"medical technology"、"space technology" などと、他の単語と組み合わせて使うことがあるが、この場合はその分野の知識やツール全般を指す。「先端テクノロジー」は、任意の分野のハイテクを意味する。
テクノロジーは文化を生み出す活動、あるいは文化を変化させる活動と見ることもできる[10]。さらにテクノロジーは、数学・科学・技芸を我々の生活に役立つ形で応用することでもある。最近の例としては、コミュニケーションテクノロジーの進歩によって人々の間の障壁が弱まり、インターネットとコンピュータの発展の結果として新たなサブカルチャーであるサイバーカルチャーが生まれた[11]。全てのテクノロジーが明確な形で文化を発展させるわけではない。テクノロジーは銃などの道具の形で、政治的弾圧や戦争を容易にしてしまうこともある。文化活動としてみればテクノロジーは科学や工学に先行して存在し、それらはテクノロジーをそれぞれの面から定式化したものと言える。
科学、工学、テクノロジーの区別は明確ではない。科学は現象を理性的に調査研究し、科学的方法などの定式化された技法を使って、持続性のある原理を発見しようとする[12]。テクノロジーは効用、ユーザビリティ、安全性といった面も考慮する必要があるため、単なる科学の応用ではない。
工学は、自然現象を人間に役立つ形で利用して道具やシステムを設計することを目的としており、科学の成果や技法を使うことも多い。実用的成果を達成するテクノロジーの開発には、科学、工学、数学、言語、歴史など様々な分野の知識を必要とする。
テクノロジーは科学と工学の成果とよく言われるが、逆に人間の活動としてのテクノロジーがその2つの分野に先行して存在するとも言える。科学は既存の道具や知識を使い、例えば、電気伝導体における電子の流れを研究する。そうして新たに得られた知識を工学に応用して新たな道具や機械(例えば半導体部品やコンピュータ)、他の進んだテクノロジーの形態を生み出す。そういう意味で、科学者や工学者を合わせて科学技術者 (technologist) ともいう。
科学とテクノロジーの正確な関係は、20世紀後半の科学者、歴史学者、政治家の議論の的にもなった。その背景には研究資金を基礎科学と応用科学にどう分配するかという問題がある。第二次世界大戦中のアメリカ合衆国では、テクノロジーと「応用科学」は同義と見なされ、基礎科学への資金投入はそれなりの期間を経てテクノロジー的成果につながると考えられていた。このような見方はヴァネヴァー・ブッシュが戦後の科学政策について書いた論文 Science—The Endless Frontier に明確に示されている。しかし1960年代後半になるとこの見方は直接的打撃を受ける。この問題は今も議論が続いているが、テクノロジーが科学研究の成果であるという単純なモデルには反対の立場のアナリストが多い[13][14]。
初期の人類による道具の使用は、部分的には発見の歴史であり、部分的には進化の歴史である。初期の人類は、既に二足歩行していた猿人の一種から進化したものであり[15]、現代の人間に比べると脳の容量は3分の1だった[16]。初期の人類の長い歴史上、道具の使用にはほとんど変化がなかったが、約5万年前に行動の複雑化と道具の使用が組み合わさり、現代的な意味での言語が生まれたと考古学者の多くが考えている[17]。
約20万年前のホモ・サピエンスの誕生以前から、人類の祖先は石器などの道具を使っていた[18]。最も古い製法の石器はオルドワン石器と呼ばれ、約230万年前に遡ると言われている[19]。そのような石器の痕跡で最も古いものはエチオピアの大地溝帯で見つかったもので、約250万年前に遡る[20]。このような石器を使用していた時代を旧石器時代と呼び、農耕が始まる12,000年前までの長い期間を指している。
石器の製法は、燧石などの剥げ落ちやすい性質のある硬い石の「石核」を石鎚で打って作った。これにより剝片にも石核にも鋭い縁ができ、主に礫器または削器といった形の道具として使用した。当時の人類は狩猟採集生活を送っており、獲物を屠殺したり、木を切ったり、木の実を割ったり、動物の毛皮を剥いだり、骨や木といったもっと柔らかい素材から道具を作るといった用途に適した石器が作られた[21]。
最初期の石器は非常に素朴なもので、自然に割れた石と大差なかった。約165万年前ごろから石器を特定の形にするようになり、握斧などが生まれた。約30万年前に始まった中期旧石器時代には、典型的な形状の石核から様々な形状の石器を作る技法が確立し(en)、一つの石核から複数の石刃を短時間のうちに製造できるようになった。約4万年前に始まった後期旧石器時代には、押圧剥離という技法が生まれ、木や骨やシカの角を押し当てて微細な石片を形成するようになった[22]。
様々な用途がある単純なエネルギー源としての火の発見と利用は、人類のテクノロジーの発展にとってターニングポイントであった[23]。いつ発見したのかは定かではない。「人類のゆりかご」で動物の骨を焼いた痕跡が見つかっていることから、100万年前より古くから火を日常的に使うようになっていたと言われている[24]。学界では、ホモ・エレクトスが50万年前から40万年前に火を制御できるようになったというのが定説である[25][26]。燃料には木や炭を使い、食料に熱を通すことで消化をよくし、栄養価を高め、食べられるものの種類も増えた[27]。
その他の旧石器時代のテクノロジーの進歩としては、被服と住居がある。どちらも正確な年代は不明だが、人間性の進化にとってはどちらも重要である。旧石器時代の進展と共に、住居も徐々に進化していった。38万年前ごろから、人類は一時的な木製の小屋を建てるようになった[28][29]。被服としては、獲物の動物から剥いだ毛皮を使うことで、より寒冷な地域にも進出が可能になった。人類は20万年前ごろからアフリカ以外の地域への移住を開始し、ユーラシア大陸などに広まっていった[30]。
人類のテクノロジーは、新石器時代と呼ばれる時代から急激に進化し始めた。刃の部分を磨いた石斧の発明により、森林を大規模に切り拓くことができるようになり、農場を作ることができるようになった。農耕により、より多数の人口を養えるようになり、定住生活が広まっていった。定住していなかったころには子供を運ぶ必要があることから、子供を連続で産むことができなかったが、定住することで子供を同時に育てることが可能になった。さらに、子供は狩猟採集生活をしていたころよりも幼いころから労働が可能となり、収穫高の増加に寄与した[31][32]。
人口の増加と労働力の増加により、仕事の専門化が始まった[33]。メソポタミアのウルクのような都市が発生したきっかけや、シュメールのような文明が生まれたきっかけは定かではない。しかし、社会階層が増え、仕事が分化していき、隣接する文化との交易や戦争が起き、治水などの問題に対処するために団結が必要になったなど、様々な要因があると言われている[34]。
テクノロジーの進展により、炉やふいごが生まれ、天然金属(自然界に純度の高い状態で存在する金属)の精錬や鍛造が可能となった[35]。最初に使われたのは金、銀、銅、鉛である。銅器はそれまでの石や骨や木製の道具よりも優れていることは明らかで、銅は新石器時代の当初(紀元前8000年ごろ)から使われ始めた[36]。自然銅は自然界には少ないが、銅鉱石は多く存在し、その一部は木や炭で起こした火で熱することで容易に金属を取り出すことができる。そのようにして金属をあつかっているうちに、青銅や真鍮などの合金を発見することになった(紀元前4000年ごろ)。鋼などの鉄合金が使われるようになるのは紀元前1400年ごろからである。
同じ頃、人類は新たな形態のエネルギーの利用法を学びつつあった。風の力はまず舟の帆で利用され始めた。記録に残っている世界初の帆船は、紀元前3200年ごろのエジプトのものである[要出典]。先史時代からエジプト人は毎年洪水を起こす「ナイル川の力」を利用しており、灌漑水路を築いて溢れた水を盆地に導くことで灌漑用水を確保する方法を学んでいった。同様にメソポタミアのシュメール人もチグリス川とユーフラテス川について同様の利用方法を学んでいった。しかし、水力や風力をさらに有効利用するには、もう1つの発明が必要だった。
考古学者によれば、車輪の発明は紀元前4000年ごろとされている。車輪はおそらく、メソポタミアで発明されたと言われている。時期は紀元前5500年から3000年まで様々な説があるが、紀元前4000年ごろとする専門家が多い。車輪を使った荷車が描かれた人工物として最も古いものは紀元前3000年ごろのものである。しかし、そのような絵が描かれる千年前から、車輪を使った輸送手段が存在していただろうと言われている。また、同時代にろくろとして車輪を使っていた証拠も残っている。なお、元々のろくろは車輪を使ったものではなく、地面に突き立てた棒の上に真ん中に窪みか穴のある平らな板を載せただけのものだった。近年、スロベニアのリュブリャナの湿地で世界最古の木製の車輪が発見された[37]。
車輪の発明は、輸送、戦争、陶工(最初の車輪の用途と言われている)といった様々な活動に革命をもたらした。車輪を使った荷車は重い物を運ぶのに使われ、ろくろは陶器の大量生産を可能にした。さらに、車輪は風車や水車といった新たなエネルギー変換手段を生み出し、人力以外の動力の応用という革命をもたらした。
道具には、単純な機械(てこ、ねじ、滑車など)と、より複雑な機械(時計、エンジン、発電機、電動機、コンピュータ、宇宙ステーションなど)の両方を含む。道具が複雑になると、それをサポートするのに必要な知識も複雑になる。現代の複雑な機械には、継続的に増大し洗練されていく技術マニュアル群が必要であり、設計者、製作者、保守者、利用者には専用の訓練が必要とされることが多い。さらに、そのような道具は非常に複雑であるため、技術的知識に基づくより小さな道具、プロセス、(それ自体が複雑な道具である)プラクティスの包括的基盤がそのような道具をサポートする形で存在している。それは例えば、工学であり、医療であり、計算機科学である。複雑な製造や建設の技法と組織は、そのような道具の構築に必要となる。産業全体が、より複雑な道具を次々に開発しサポートしていくために発展してきた。
テクノロジーと社会(文化)の関係は一般に、相乗的かつ共生的で、相互に依存しあい、相互に影響しあい、相互に産出しあうものである。すなわち、テクノロジーと社会は強く相互に依存している(社会あってのテクノロジー、テクノロジーあっての社会)。また一般に、この相乗的関係は人類の黎明期に単純な道具を発明したときに始まり、今日も続いていると言われている。テクノロジーは歴史上、社会の様々な面、すなわち経済、価値観、倫理観、学界、集団、環境、政府などに影響し、影響されてきた。
概説でも述べたように、テクノロジーは必ずしも人を幸福にするとは限らず、人に不幸や災いをもたらすこともあるものである。
テクノロジーは自然破壊や環境破壊を引き起こすことがある。
また、テクノロジーが作りだす兵器について言えば、第二次世界大戦中に科学者・技術者らによって開発された原子爆弾というのは、その威力が通常兵器と比べて極端に大きく、人間を無差別かつ大量に殺戮する大量破壊兵器である。冷戦時代にも西側・東側の科学者・技術者たちが動員され、双方の陣営とも大量の核兵器を保有するにいたり、米国やソ連の元首の判断次第でボタンひとつを押させ核戦争が勃発すれば、結果として人類がほぼ全滅する、と専門家らが予想するほどの状態にまでなった。そしてそれが単なる想定にとどまらず、実際に「あわや発射」という状況になる事件が何度か発生し、世界中の人々(政治家、科学者、一般人など全ての人々)は世界核戦争を、十分に起こり得ること、として意識せざるを得なくなり、日々何かしらの不安を感じざるを得なくなるなど苦しめられることになった。
原子力発電所では安全性を確保しきることができず原子力事故を何度も引き起こした。放射線により人々の生命を奪ったり、放射性物質を拡散させてしまい遠方の人々の健康にまで悪影響をもたらすことになった。
technicism(技術主義あるいは技術崇拝)とは、“人間がテクノロジーを使って最終的にあらゆる存在を制御できるようになる”という信仰である。言い換えれば技術主義とは、“人類はいつの日か全ての問題を解き明かし、テクノロジーを使って未来を制御できるようになる” などとする主張や考え方のことである。[39] 技術主義・技術崇拝というのは、実際に出来てもいないことを夢想したり、テクノロジーが社会に与える恩恵の面のほうばかりを過大に評価する傾向があるのである。
テクノロジーの進歩が社会や人間性にとって有益だという楽観的な仮定をする者として、トランスヒューマニズムや技術的特異点信奉者がいる。このようなイデオロギーでは、テクノロジーの進歩は道徳的にも肯定される。逆に批判的な者はこれらを科学万能主義やテクノユートピア主義の例とし、彼らが望む人間強化や技術的特異点に懸念を表明している。
テクノロジー楽観主義者の例としてカール・マルクスが挙げられることもある[40]。
逆にテクノロジーが進歩した社会には本質的に問題があるという悲観的見方をする者として、ヘルベルト・マルクーゼやジョン・ザーザンがいる。彼らは、そのような社会が技術的であるために、結果的に自由や精神的健全さを犠牲にするだろうと示唆した。
哲学者マルティン・ハイデッガーも、テクノロジーに対して真剣な懸念を持っていた。ハイデッガーは "The Question Concerning Technology" の中で「したがって、我々が単にテクノロジーを生み出し発展させる限り、テクノロジーの本質との関係を我々が経験することはなく、我慢することも回避することもない。我々はあらゆる場所でテクノロジーにつながれ、自由を奪われている。それは、我々がテクノロジーを熱望するか拒否するかとは無関係である」と書いている[41]。
ハイデガーの技術論としばしば比較されるのが、フランスのプロテスタント思想家、ジャック・エリュールの技術社会論である。技術の「自律性」を主題とするエリュールの技術社会論は、技術決定論の典型としばしば見なされ、現代社会を抜け道のない「鉄の檻」として誤って描き出したとして批判されてきた。
テクノロジーへの最も痛烈な批判としては、今ではディストピア文学の古典とされているオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』、アンソニー・バージェスの『時計じかけのオレンジ』、ジョージ・オーウェルの『1984年』などがある。また、ゲーテの『ファウスト』ではファウスト博士が悪魔に魂を売って物理世界を超越した力を得るが、これはテクノロジーによる工業化の進展の比喩と解釈されることがある。
1980~90年代の反テクノロジー的論文のひとつとして、セオドア・カジンスキー(ユナボマー)の Industrial Society and Its Future を挙げることも可能であろう。彼の起こした爆破事件をやめさせるため、この論文が複数の主要な新聞に掲載され、後には本にも収録された。カジンスキーは、エリュールの技術社会批判から少なからぬ影響を受けたと言われている。
核兵器の開発・保有・使用がもたらす危険性は世界中で危惧されている。現在、核兵器全般に、包括的核実験禁止条約、核不拡散条約などで規制されている。核廃絶を求める人々は多い。
また、原子力技術の領域では十分な安全性を確保しきれていない状態であるという事実を踏まえて、ヨーロッパではドイツなどで原子力発電のテクノロジーには反対する人々が多い。ドイツでは原子力発電所の全廃を実施、ベルギーでも議会ですでに全廃法案を可決し、その実施が進んでいる。こうした運動を反原子力運動とも言う。
最近の議論として、コンピューター・通信・バイオテクノロジーなどの急速な進展とは裏腹に、エネルギーや宇宙開発などの技術は長期間停滞しており、それが経済に影響しているという説もある。
20世紀にはジャック・エリュールらにより、適正技術 (appropriate technology) という考え方が出てきた。これは例えば、文明が及んでいない僻地では修理が困難な最先端のテクノロジーを持ち込むのは不適切だとする考え方である。エコビレッジの考え方もこれに関連して生まれた。
初歩的なテクノロジーは人類以外の動物でも見られる。例えばチンパンジーなどの霊長類やイルカ[42][43]、カラスなどである[44][45]。テクノロジーをより広い意味で捉え、能動的に環境を調整し制御しようとする動物の行動も含めると、ビーバーの作るダムやミツバチの巣なども含まれる。
従来、道具を作って利用する能力は、ヒト属に固有のものと考えられていた[46]。しかし、チンパンジーなどの霊長類が道具を作る例が見つかり、テクノロジーは人類固有のものではないことが明らかとなった。例えば、野生のチンパンジーが道具を使って食料を探す様子が研究者によって観察されている[47]。西アフリカのチンパンジーは石をハンマーと金床のように使って木の実を割っており[48]、ブラジルのオマキザルも同様の行動を見せる[49]。
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