出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2016/02/14 12:31:17」(JST)
この項目では、類人猿について説明しています。チェスのオープニングについては「ソコルスキー・オープニング」をご覧ください。 |
オランウータン属 | ||||||||||||||||||||||||
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ボルネオオランウータン Pongo pygmaeus
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分類 | ||||||||||||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||||||||||||
Pongo Lacépède, 1799 | ||||||||||||||||||||||||
和名 | ||||||||||||||||||||||||
オランウータン属 | ||||||||||||||||||||||||
種 | ||||||||||||||||||||||||
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オランウータンは、ヒト科オランウータン属(Pongo)に分類される構成種の総称である。
アジアの熱帯のみに生息する。ヒト亜科とオランウータン亜科の分岐は約1,300万年前と推定されている[1]。
インドネシア(スマトラ島北部、ボルネオ島)、マレーシア(ボルネオ島)[2][3][4]
体長オス97センチメートル、メス78センチメートル[2][4]。体重オス60 - 90キログラム、メス40 - 50キログラム[2][4]。全身は長く粗い体毛で被われる[2]。毛衣は赤褐色や褐色[2]。
顔には体毛がなく、皮膚は黒い[2]。
若齢個体は頭頂部の体毛が逆立ち毛衣が明橙色で、眼や口の周囲がピンク色[2]。
オランウータンの腕は脚の2倍の長さがある。これは上腕骨ではなく橈骨と尺骨が長いことによるものである。指とつま先が曲がっていて、そのため枝を上手につかむことができる。大腿骨を骨盤に保持する股関節の靭帯がないため、ヒトや他の霊長類と異なり、オランウータンは足の動きに制約が少ない。ゴリラやチンパンジーとは異なり、オランウータンはナックルウォーク(軽く握った指の第1関節から2関節の間を地面につける)をしない。地面を歩くときは 第2関節から第3関節の間を地面につけ、腕で体全体を前後に振り子のように振りながら前に進む。この時、体の側面と手の甲は平行になっている。
属名Pongoは、16世紀にアフリカ大陸で発見された人のような怪物(ゴリラもしくは原住民と考えられている)に由来する[3]。オランウータンという名前はマレー語で「森の人」の意で元々は海岸部の人が奥地に住む住民を指す語だったが[脚注 1]、ヨーロッパ人によって本種を指す語と誤解されたことに由来する[3]。旧和名や中国名は猩猩に由来する[3]。
以前はオランウータン1種Pongo pygmaeusから構成され、基亜種ボルネオオランウータンと亜種スマトラオランウータンとの2亜種に分かれていた[3]。形態、生態、分子系統学的解析から亜種を独立種とする説が有力[5]。
両者は遺伝的、形態的、生態的に異なる点が多いが、飼育下では交雑が可能である。しかし、雑種個体は純血個体に比べて寿命が短く、幼児死亡率が高いことが報告されており[6]、別種とするのが適当と考えられる。
彼らの祖先はマレー半島とその周辺にも住んでいたが、度重なる寒冷化によって住処となる森を失った事と人類の狩猟の対象になった事から大陸では絶滅し、現在に至っている[7]。
低地の熱帯雨林に生息する[4]。樹上棲[4]。広い行動圏を持ち、メスよりもオスの方が行動圏が大きい[4]。1日あたり200-300メートルを移動する[2]。単独で生活するが[4]、採食の際に1つの樹木に複数個体が集まることもあり、幼獣や若齢個体では集団で遊ぶ、ペアで行動する、子連れの母親の後をつけることもある[2]。オスは大きな叫び声を上げ、縄張りの主張やメスへの求愛の役割があると考えられている[2][4]。オス同士が遭遇すると喉を膨らませる、木の枝を揺らしたり折る、叫び声を上げながら突進するなどの威嚇を行うが、噛みついて争うこともある[2]。
食性は雑食で、主にイチジク・ドリアン・パンノキ・マンゴスチン・ライチ・ランブータンなどの果実を食べるが植物の芽、葉、樹皮、昆虫、鳥類の卵、小型哺乳類なども食べる[2][4]。食物を効率的に探すルートをとることから季節、食樹の位置を把握していると考えられ、他の動物の動きで食物の位置を察知することもある[2]。樹洞に溜まった水を手ですくって飲む[2]。
妊娠期間は260 - 270日[2]。出産間隔は通常6年で[4]、短くても3年[2]。授乳期間は3年[2]。幼獣は母親と4-5年は一緒に生活するが生後3-7年で母親から離れて行動し始めるようになり、生後5 - 10年で思春期を迎えたり母親が次の幼獣を産むことがきっかけで独立することが多い[2][4]。メスは生後12年で初産を迎える[4]。寿命は30年で、飼育下では50年生きた個体もいる[2]。
スマトラ島では、小枝を使って堅いドリアンの実を開けて、栄養豊富な種を食べる。また枝を木の洞に差し込んで、アリやシロアリなどを釣って食べる。飼育下やリハビリテーションセンターではよく道具を使用するが、野生での道具使用の例は、最近まで発見されていなかった。なおボルネオ島では道具使用の報告はほとんどない。
東南アジアの熱帯雨林では一斉開花と呼ばれる現象があり、数年に1度だけ森の木々が一斉に開花・結実する。一斉開花の年以外は果実生産は低調で、イチジクをのぞくと、ほとんど果実がない時期もある。特にボルネオ島ではこの果実がない期間が長く、一斉開花の年に「食いだめ」をして体内の脂肪を蓄え、果実が少ない時期はこの脂肪を消費しながら耐えている。一斉開花の年の1日の摂取カロリーはオトナのオスで8000kcal以上になるが、非果実季には4000kcal未満と半分以下に激減する。非果実季には、樹皮や新葉などを食べながらため込んだ脂肪を消費してしのいでいる。スマトラ島では非果実季でもイチジクの実が豊富にあるので、樹皮や葉を採食することは少ない。
1回に生まれる幼獣の数は1頭、双子の報告はほとんどない。子の死亡率は非常に低く、数%という報告がある。寿命はまだよくわかっていないが、スマトラでは少なく見積もっても53歳に達しているメスが乳児を抱えて元気に生きている例が報告されており、オスに関しても少なくとも58歳まで生きたという報告がある。
メスが生まれた場所(群れ)を離れて移動(分散)するアフリカ大型類人猿とは異なり、(DNA解析の結果)雄も雌も同程度に分散している可能性が指摘されている。しかし長期研究が行われている調査地では、メスが母親の近くに留まる例も観察されている。
夜には毎晩、1頭1頭が新しい巣を作って寝るが、まれに古い巣を再利用することがある。幼獣は母親から独立するまでは母親と一緒の巣で眠ることが多い。
大人のオスが社会的地位に応じて、形態を大きく変えるという生態を持つ。
オスの顔の両脇にある張り出し(でっぱり)は「フランジ(Flange)」と呼ばれている(別名Cheek-Pad、頬だこ)。フランジは強いオスの「しるし」で、弱いオスは何歳になってもフランジが大きくならない。しかしひとたび強いオス(フランジがあるオス)がいなくなると、フランジのないオス(アンフランジ)が急激にフランジを発達させて、1年以内にフランジのあるオスに変わってしまう。
スマトラでは、20年以上アンフランジだったオスがフランジとケンカをして勝ったところ、急にフランジに変わってしまった、という報告もある。フランジは一度大きくなると小さくなることはない。
またオス間の関係では、フランジをもつオス同士は非常に敵対的で、時には殺し合いに発展するような激しい闘争を行う。一方、フランジのオスはアンフランジに対しては非常に寛容で、同じ木で一緒に採食することもある。アンフランジ同士の間にも敵対的な関係はほとんどみられない。
フランジとアンフランジは繁殖戦略(メスとの関係)が大きく異なっている。
フランジのオスは大きな「のど袋」を持っていて、「ロング・コール(long call)」と呼ばれる独特の音声を発し、発情したメスがやってくるのを待つ。アンフランジのオスはメスと変わらない小さな体でこっそりメスに近づき、交尾を試みる。アンフランジの交尾に対してメスが抵抗することが多いため、研究者によってはこうした交尾を「レイプ」と呼んだりもする。
しかしボルネオではフランジのオスが「レイプ」をすることもある(スマトラではほとんどない)一方、どちらの島でもメスがアンフランジのオスと積極的に交尾する例も観察されている。
最近のDNA資料を用いた父子判定の結果からは、フランジもアンフランジも同程度子を残している例が報告されている。
開発や森林火災による生息地の破壊、展示用やペット用の乱獲などにより生息数は減少している[2][4]。生息地では販売や飼育は法的に禁止されている[2]。台湾では1980年代後半に1,000 - 2,000頭、1990年代に3 - 4年で1,000頭の個体が密輸された[4]。密輸された個体の一部はリハビリテーションセンターに収容し野生復帰させる試みが進められているが[2]、センター内で死亡する個体や復帰させる自然環境が既に消失しているなどの問題もある[4]。1993年におけるスマトラ島での生息数は9,200頭、ボルネオ島での生息数は12,300 - 15,500頭と推定されている[4]。
1837年にロンドン動物園で初めて飼育された[5]。日本には1792年と1800年に長崎に輸入された記録がある[5]。1898年に恩賜上野動物園で初めて飼育されたが、すぐに死亡している[5]。1961年に恩賜上野動物園で飼育下繁殖に成功したが、父親はスマトラオランウータン、母親はボルネオオランウータンの種間雑種であったことが後に判明している[5]。1970年代に血液検査により種別(当時は亜種別)に分けて、飼育・管理が試みられるようになった[5]。日本国内での2004年における飼育個体数は53頭(スマトラオランウータン16頭、ボルネオオランウータン33頭、種間雑種4頭)で、飼育下繁殖個体の割合が大きい[5]。一方で単一の飼育施設(スマトラオランウータンは東山動植物園、ボルネオオランウータンは多摩動物公園)での繁殖個体あるいはそれらに由来する個体の割合が大きく血統が偏っていること、流産や死産、10-20代の個体の死亡例が多いという問題もあり1990年をピークに個体数は減少している[5]。
アルゼンチンの動物園で約20年間飼育されていたオランウータンについて、アルゼンチンの地方の裁判所は世界で初めてオランウータンに「人権」を認める判決を出している[8]。
日本では属単位で特定動物に指定されている[9]。
スマトラオランウータン
P. abelli
餌を食べるスマトラオランウータン
母親の背にしがみつく子供
母親に抱かれるオランウータンの子供
フランジは、ボルネオのオランウータンの間で、特に発達する。
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