出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2016/11/16 17:15:14」(JST)
イセエビ | |||||||||||||||||||||
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イセエビ
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分類 | |||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||
Panulirus japonicus (Von Siebold, 1824) |
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和名 | |||||||||||||||||||||
イセエビ(伊勢海老、伊勢蝦) | |||||||||||||||||||||
英名 | |||||||||||||||||||||
Japanese spiny lobster |
イセエビ(伊勢海老、伊勢蝦、学名:Panulirus japonicus、英語: Japanese spiny lobster)はイセエビ科に属するエビの1種。広義にはイセエビ科の数種を指す。熱帯域の浅い海に生息する大型のエビで、日本では高級食材として扱われる。新年の季語。[1]
体長は通常20 - 30cmほどで、まれに40cmに達するものもいる。重さは大きなもので1kg近くになる。体型は太い円筒形で、全身が暗赤色で棘だらけの頑丈な殻におおわれ、触角や歩脚もがっしりしている(まれに青色の個体も存在する[2])。エビ類の2対の触角はしなやかに曲がるものが多いが、イセエビ類の第二触角は太く、頑丈な殻におおわれる。第二触角の根もとには発音器があり、つかまれると関節をギイギイと鳴らし威嚇音を出す。腹部の背側には短い毛の生えた横溝がある。オスメスを比較すると、オスは触角と歩脚が長い。メスは腹肢が大きく、第5脚(一番後ろの歩脚)が小さな鋏脚に変化している。
学名の属名 "Panulirus" はヨーロッパ産のイセエビ科 Palinurus 属のアナグラムで、種小名 "japonicus" は「日本の」の意である。英語では "Spiny lobster" (棘だらけのロブスター)と呼ばれる。ただし狭義のロブスターはザリガニ下目・アカザエビ科(ネフロプス科)・ロブスター属に分類される甲殻類を指す言葉であり、下目レベルでイセエビとは異なる。広義にはロブスターは大型の歩行型エビ全般を指す総称であり、イセエビをロブスターの一種とみなすのは、その意味では間違いではない。
房総半島以南から台湾までの西太平洋沿岸と九州、朝鮮半島南部の沿岸域に分布する。かつてはインド洋、西太平洋に広く分布するとされたが、研究が進んだ結果他地域のものは別種であることが判明した。
外洋に面した浅い海の岩礁やサンゴ礁に生息する。昼間は岩棚や岩穴の中にひそみ、夜になると獲物を探す。食性は肉食性で、貝類やウニなどいろいろな小動物を主に捕食するが、海藻を食べることもある。貝などは頑丈な臼状の大顎で殻を粉砕し中身を食べる。一方、天敵は人間の他にも沿岸性のサメ、イシダイ、タコなどがいる。敵に遭うと尾を使ってすばやく後方へ飛び退く動作を行う。
ウツボと共に生活していることもあり、これはイセエビは天敵のタコから守ってもらえ、ウツボの方も大好物のタコがイセエビに吊られて自分から寄ってきてくれるという双利共生となっている[3]。
繁殖期には他のイセエビの後をついて動くため列を作るという変わった生態がある。
繁殖期は5 - 8月で、メスはオスと交尾した後に産卵し、小さな卵をブドウの房状にして腹脚に抱え、孵化するまでの1 - 2ヶ月間保護する。
孵化した幼生はフィロソーマ幼生 (Phyllosoma)、または葉状幼生と呼ばれる形態で、広葉樹の葉のような透明な体に長い遊泳脚がついており、親とは似つかない体型をしている。フィロソーマ幼生は海流に乗って外洋まで運ばれ、プランクトンとして浮遊生活を送る。その期間はイセエビ類でも種によって異なるが、イセエビの場合は約300日に及ぶ。形態や生態が親とはあまりにもかけ離れているうえ、期間も長いことから、19世紀に発見された当初は誰もイセエビ類の幼生とは思わず、エビ目の中に「フィロソーマ」という分類群が作られたという逸話がある。
孵化時には体長1.5mmほどだが成長につれて30回ほどの脱皮を繰り返す。体長30mmほどに成長したフィロソーマ幼生は、プエルルス幼生 (Puerulus) という形態に変態する。プエルルス幼生はガラスエビと俗称されるようにフィロソーマ幼生とは一転して親エビに似た外見となるが、体はまだ透明で、しかも大顎や消化管が一時的に退化し、餌をとらないという特徴がある。プエルルス幼生はフィロソーマ幼生の時に蓄えた脂肪をエネルギーにし、脚で水をかいて泳ぎながら沿岸部の岩礁を目指す。なお、プエルルス幼生がどのようにして沿岸部の位置を知るのかはまだわかっていない。
岩礁にたどりついたプエルルス幼生は約1週間で脱皮し、親エビと同じ体型の稚エビとなって歩行生活をはじめる。1年で体長10cm、2年で15cm、3年で18cm程度になると言われており、体長12cm前後で成熟期をむかえる。
イセエビ科 Palinuridae は8属49種があり、食用や観賞用などに利用される。「イセエビ」は厳密にはその中の1種だけを指すが、日本の水産業者等の間ではイセエビ科に属するいくつかのエビの総称となっており、輸入種も含めて市場においてもその総称で流通している場合が多い。
イセエビ類は古くから日本各地で食用とされており、鎌倉蝦、具足海老(ぐそくえび。海老の甲羅を鎧兜に見立てた呼び方)などとも呼ばれていた。また、日本語の「エビ」は、長い触角をしたイセエビを「柄鬚」と表記したのが始まりという説がある。
733年の『出雲国風土記』には嶋根群や秋鹿群の雑物の中に「縞蝦」の記述が見られる。「蝦」の種類は確認できないものの911年の『侍中群要』では摂津と近江の二カ国から貢上されており、宮中へも納められていた。1150年頃の『類聚楽雑要抄』などから当時は干物として用いられていたと考えられている。
伊勢海老の名称がはじめて記された文献は1566年の『言継卿記』であると考えられている。江戸時代には、井原西鶴が1688年の『日本永代蔵』四「伊勢ゑびの高値」や1692年の『世間胸算用』で、江戸や大阪で諸大名などが初春のご祝儀とするため伊勢海老が極めて高値で商われていた話を書いている。1697年の『本朝食鑑』には「伊勢蝦鎌倉蝦は海蝦の大なるもの也」と記されており、海老が正月飾りに欠かせないものであるとも紹介している。1709年の貝原益軒が著した『大和本草』にもイセエビの名が登場する。
イセエビという名の語源としては、伊勢がイセエビの主産地のひとつとされていたことに加え、磯に多くいることから「イソエビ」からイセエビになったという説がある。また、兜の前頭部に位置する前立(まえだて)にイセエビを模したものがあるように、イセエビが太く長い触角を振り立てる様や姿形が鎧をまとった勇猛果敢な武士を連想させ、「威勢がいい」を意味する縁起物として武家に好まれており、語呂合わせから定着していったとも考えられている。
イセエビを正月飾りとして用いる風習は現在も残っており、地方によっては正月の鏡餅の上に載せるなど、祝い事の飾りつけのほか、神饌としても用いられている。
生息域沿岸では、イセエビはどこでも重要な水産資源とされている。日本国内での県別漁獲高は年によって千葉県あるいは三重県が1位だが、生産額では近年三重県の1位が続いている[4]。また、三重県の県の魚に指定されている(1990年11月2日指定)。
漁期は10月から4月にかけてで、5月から8月の産卵期は資源保護を目的に禁漁としている地区が多い。宮崎県では9月2日から漁が始まり、3月末までが漁期である。
また、産卵期は身が細り、味も落ちる。漁獲量は月齢や天候に左右され、闇夜であれば多く水揚げされる。その他、太平洋側の黒潮の大蛇行の変化なども漁獲量に影響すると考えられている。 漁期における漁法は主に、刺し網漁と潜水漁、蛸脅し漁がある。刺し網漁は、夕方に刺し網を仕掛け、早朝に網を上げる。潜水漁は海女が岩場に潜んだイセエビを手づかみで採取するというもの。蛸脅し漁は一方の竿の先にイセエビの天敵のマダコをくくりつけて水中で振り、イセエビが驚いて逃げたところを網ですくうというものである。
イセエビは姿造りなどで供されることから、流通時には他の食用エビに比べて姿形が厳格に評価される。「角」と呼ばれる2本の触角や、脚が破損すると商品価値が下がってしまうため、漁獲時には慎重に扱われる。角の折れた海老や小型の海老が市場に出荷されることは少なく、漁港付近の旅館等で消費されることが多い。水揚げ時に殻が割れたりして死んだものに関しては、漁業関係者の自宅で消費される。 このように傷ついたイセエビは1%程度の割合で存在し、商品価値が著しく下がる。また、ショックを与えると自切するため、輸送中に脚が脱落することもある。角や脚が欠けたことにより商品価値の下がったものでも、それらを修復して高値で販売されていることがある。しかし近年では不況のあおりで、ワケあり食材として安価でも流通している。水揚げしても暗所で毛布・籾殻等で保温すれば1週間くらいは生きているので、この状態で出荷・流通が行われる。寒さに弱いので冷蔵すると死んでしまい、却って商品価値が下がる。
江戸時代、1642年の『料理物語』にはイセエビを茹でる、あるいは焼くといった料理法が記されていた。現在ではさらにさまざまな方法で調理されている。
なお、特に日本国内においては制限はないが、アメリカの一部の州では、最初の包丁の入れ方に制限を設けているところがある。海老の甲を左右に分断する形で切断しないと、動物愛護に関する州法等の法令により罰則が科せられる場合がある。これは、海老の脳を切断する形でないと海老に苦痛を与えるということによる罰則である。加熱調理する場合は日本国内でもこの形で切断している場合が多いが、これは切断後に身が取り出しやすいためでもある。
1898年頃には日本でイセエビのフィロソーマの飼育が試みられていた。1988年には三重県の水産技術センターと北里大学において別個に稚エビまでの飼育に成功しているが、幼生期間が長くその間の死亡率も高い事など、減耗率を抑え稚エビまでの成長を管理する上で問題も多く、事業化には至っていない。
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