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出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2016/04/30 18:01:58」(JST)
国立国際医療研究センター病院 | |
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情報 | |
英語名称 | National Center for Global Health and Medicine |
前身 | 国立東京第一病院 国立病院医療センター |
標榜診療科 | 内科、消化器科、循環器科、呼吸器科、神経内科、精神科、小児科、外科、呼吸器外科、心臓血管外科、脳神経外科、整形外科、形成外科、小児外科、眼科、耳鼻いんこう科、気管食道科、皮膚科、泌尿器科、産科、婦人科、放射線科、麻酔科、アレルギー科、リウマチ科、リハビリテーション科、歯科、歯科口腔外科 |
許可病床数 |
885床
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機能評価 | 一般500床以上:Ver6.0 付加機能評価(救急医療機能) |
開設者 | 国立研究開発法人国立国際医療研究センター |
管理者 | 木村壮介(病院長) |
開設年月日 | 1993年10月1日 |
所在地 |
〒162-8655
東京都新宿区戸山1-21-1
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位置 | 北緯35度42分08秒 東経139度42分58秒 |
二次医療圏 | 区西部 |
特記事項 | 特定感染症指定医療機関 |
PJ 医療機関 | |
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国立国際医療研究センター国府台病院 | |
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情報 | |
英語名称 | Kohnodai Hospital, National Center for Global Health and Medicine |
前身 | 国府台陸軍病院 国立精神・神経センター国府台病院(NCNP) |
標榜診療科 | 内科、心療内科、精神科、神経内科、呼吸器科、消化器科、循環器科、リウマチ科、外科、整形外科、脳神経外科、皮膚科、泌尿器科、眼科、耳鼻いんこう科、リハビリテーション科、放射線科、歯科、麻酔科 |
許可病床数 |
772床
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開設者 | 独立行政法人国立国際医療研究センター |
管理者 | 上村 直実(国府台病院長) |
所在地 |
〒272-8516
千葉県市川市国府台1丁目7-1
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位置 | 北緯35度44分45秒 東経139度54分21秒 |
二次医療圏 | 東葛南部 |
PJ 医療機関 | |
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国立研究開発法人国立国際医療研究センター(こくりつこくさいいりょうけんきゅうセンター、英語: National Center for Global Health and Medicine, NCGM)は、日本の厚生労働省所管の国立研究開発法人で、国立高度専門医療研究センター(ナショナルセンター)である。
2010年4月1日、「高度専門医療に関する研究等を行う独立行政法人に関する法律」に基づき、厚生労働省所管の施設等機関であった国立国際医療センター(英語: International Medical Center of Japan, IMCJ)が組織移行する形で発足した。附属施設として国立看護大学校がある。
1993年10月1日に日本で4番目のナショナルセンターとして開設。日本におけるエイズ治療の研究開発の最先端を担っており、エイズやHIVについての最新情報の発信などを精力的に行っていることで有名である。また、今後は肝炎などの肝疾患に関する研究[1]や、メタボリック・シンドロームなどの内分泌・代謝性疾患の研究[2]に重点を置いた活動が期待されている。
病院は2010年5月現在、全国で3カ所8床ある特定感染症指定医療機関の1つ(4床)に指定されている。
国立病院機構の病院等で構成される「政策医療ネットワーク」においては、現在、エイズ、国際医療協力、国際的感染症の高度専門医療施設(ネットワークの中心)である。
高度専門医療に関する研究等を行う独立行政法人に関する法律第3条第4項では、目的を「感染症その他の疾患で、その適切な医療の確保のために海外における症例の収集その他国際的な調査及び研究を特に必要とするものに係る医療並びに医療に係る国際協力に関し、調査、研究及び技術の開発並びにこれらの業務に密接に関連する医療の提供、技術者の研修等を行うことにより、国の医療政策として、感染症その他の疾患に関する高度かつ専門的な医療、医療に係る国際協力等の向上を図り、もって公衆衛生の向上及び増進に寄与すること」としている。
以下は「高度専門医療に関する研究等を行う独立行政法人に関する法律」第16条による。
病院は古くからの臨床研修指定病院として知られている[3]。臨床研修医の2年の教育方式はかつてはストレート方式だったが、90年代から総合診療科・ついで救急へのローテーションを必修化し、さらにストレート方式とスーパーローテート方式を融合させたカリキュラムへと変化してきた。
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国立東京第一病院・国立病院医療センターの起源は1871年(明治4年)に創設された軍医寮附属の本病院である。かつては麹町区隼町の2万9千坪の敷地内にあり、東は皇居、西南北に繁華街を抱えていた。1929年に現在地に移転。現在の病院の敷地は旧徳川家尾張藩下屋敷の一部であり、陸軍戸山学校の所在地でもあった。東側には同じ1929年に陸軍軍医学校や牛込恩賜財団済生会病院(済生会病院麹町分院が改称)が移転し、隣接していた。
国立東京第一病院の建物は、それまでの臨時東京第一陸軍病院の建物をそのまま使用した。初代院長も陸軍病院院長がそのまま就任した。陸軍軍医学校の敷地には1948年3月に国立栄養研究所が移転し、また、国立身体障害者更生指導所が設置された。国立身体障害者更生指導所は1979年7月に国立身体障害者リハビリテーションセンターに統合され埼玉県所沢市に移転し、跡地には1984年に全国身体障害者総合福祉センター(戸山サンライズ)が建設された。
東京第一病院・国立病院医療センターでは、歴代院長のうち坂口康蔵(第2代、内分泌・代謝学)、栗山重信(第3代、小児科学)、市川篤二(第4代、泌尿器科学)、織田敏次(第7代、消化器内科学)、高久史麿(第8代、血液内科学)はいずれも東京大学医学部からの転任者で、同名誉教授である。また第5代院長・小山善之は東京帝大第三内科在職当時、坂口の下で内科学講師を務めている。
なお「国立東京第一病院」の名称は、目黒区にある国立病院機構東京医療センターの旧称「国立東京第二病院」に対するものだが、本病院は海軍由来の東京医療センターとは歴史的にも別組織である。
国立東京第一病院時代は、病院を東洋一の病院かつ全国の国立病院の総本山たるメディカルセンターとして難病研究や病院管理研究等の中心にする構想が練られた。1949年の病院管理研修所(のちの国立医療・病院管理研究所の設置はGHQからの要請の一つであった。1974年に国立病院医療センターとなり、臨床研究部を設置。
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国立療養所中野病院は東京市の肺結核療養所として豊多摩郡野方村大字江古田に建設された。『創立五十周年記念誌』には7カ所にわたってかつて江古田城(本田城、本多山城とも)があったという記述があるが、そのような史実はない[4]。建設に際しては地元住民の激しい反対運動が起こり[5]、新聞は百姓一揆と書いている。しかし、これもそれほど大袈裟なものではなかった[6]。
1943年に日本医療団に統合された後、1947年に国立療養所に転換、数度の拡張工事を経た後に、1965年には地上10階地下1階の病棟を有する施設となった。1974年頃より国立胸部疾患センターの構想を打ち出し[7]、1979年には胸部疾患基幹施設に認定され、日本における胸部疾患の中心施設となる見込みであった[8]。廃止時には、結核患者のほか、一部の病床に循環器病患者も入院していた[9]。
国立療養所中野病院廃止時の地番は東京都中野区江古田3-14-20。跡地については中野区へ譲渡となったが、私立学校教職員共済組合も当時、台東区根岸にあった下谷病院の当地への移転を宣伝したパンフレットを作成している[10]。
退職した総長はいずれも名誉総長の称号を受けている。
戦前 |
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東京第一衛戍病院 (陸軍) |
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東京第二衛戍病院 (陸軍) |
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海軍軍医学校付属病院 |
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海軍軍医学校第二付属病院 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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東京第一陸軍病院 |
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東京第二陸軍病院 |
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東京第二陸軍病院大蔵臨時分院 |
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臨時東京第一陸軍病院 |
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東京第四陸軍病院 |
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戦後 |
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国立東京第一病院 |
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国立世田谷病院 |
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国立大蔵病院 |
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(米軍接収) |
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国立東京第二病院 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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国立病院医療センター |
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国立小児病院 |
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国立病院東京医療センター |
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国立国際医療研究センター |
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国立成育医療研究センター |
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国立がん研究センター |
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国立病院機構東京医療センター | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
略称はACC(Aids Clinical Center)
薬害HIV訴訟の和解の際に、恒久的施設として1997年に建設された。日本のHIV感染症・エイズ治療の拠点として、全国の拠点病院のコーディネートなど、HIVに関するさまざまな情報提供を行なっている。
略称はDCC(Disease Control and Prevention Center)国際感染症センターは、診療・人材育成・情報発信を通じて、感染症の脅威や影響に負けない社会・国づくりに貢献している。
派遣協力第一課・第二課から常時20名ほどの職員(医師、看護師、助産師など)がアフリカや南アメリカ、東南アジアなどの発展途上国に1-3年程度派遣され、医療指導、保健指導などを行なっている。国際協力機構のプロジェクトに協力している。
( → 国立看護大学校 を参照)
2006年、旧陸軍軍医学校に勤務していた元看護師がこれまでに判明している以外にも人骨を埋めたことを証言した。埋めた場所のうちの1カ所が現在のセンターの宿舎敷地だったという。
このことを含め、衆議院議員郡和子が質問趣意書を提出している[13]。同じ若松町内に731部隊(関東軍防疫給水部)の創設者である石井四郎が居住しており、また同部隊の責任者であった内藤良一がセンター敷地内に所在した陸軍軍医学校において終戦時に軍医教官として勤務していた。
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