Wikipedia preview
出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2021/03/06 14:37:25」(JST)
[Wiki ja表示]
石坂 公成 |
---|
生誕 |
(1925-12-03) 1925年12月3日 大日本帝国・東京府 |
---|
死没 |
2018年7月6日(2018-07-06)(92歳) 日本 山形県山形市 |
---|
国籍 |
日本 |
---|
研究分野 |
免疫学 |
---|
研究機関 |
国立予防衛生研究所 ジョンス・ホプキンス大学 京都大学 カリフォルニア大学 |
---|
出身校 |
東京大学 |
---|
主な業績 |
免疫グロブリンEの発見 |
---|
主な受賞歴 |
武田医学賞(1973) 朝日賞 (1973) ガードナー国際賞 (1973) 恩賜賞・日本学士院賞(1974) 日本国際賞 (2000) |
---|
配偶者 |
石坂照子 |
---|
プロジェクト:人物伝 |
テンプレートを表示 |
石坂 公成(いしざか きみしげ、1925年(大正14年)12月3日 - 2018年7月6日[1])は、日本の免疫学者。医学博士。ラホイヤ・アレルギー免疫研究所名誉所長[2]。
経歴
東京府生まれ[2]。父は陸軍少将の石坂弘毅。叔父は元経団連会長石坂泰三。府立二中、旧制成蹊高等学校を経て、1948年、東京大学医学部卒業[2]。
国立予防衛生研究所免疫血清室長、小児喘息研究所(デンバー)免疫部長、ジョンス・ホプキンス大学医学部教授(京都大学医学部教授兼任)、 ラホイヤ・アレルギー免疫研究所所長、カリフォルニア大学内科教授、米国免疫学会会長等歴任[2]。
1983年、米国科学アカデミー(NAS)会員。
1966年2月20日、新しいアレルギー物質(IgE)の発見を共同研究者である妻の石坂照子と発表する[3]。
「引退したら山形に帰りたい」という照子の願いをかなえるため、自らの引退の後、1996年に山形市に同道したが、照子は1998年に発病して山形大学病院に入院。長期入院する妻の看病[4][5]を続けた[6]。これらの縁から、山形大学客員・特別招聘教授、山形県教育委員会委員長などに就任している[7]。
2018年7月6日午前7時58分、病気のため、山形県山形市で亡くなった[8]。92歳没。
学術賞
- 1972年 パサノ賞[2]
- 1973年 武田医学賞(免疫グロブリンEの発見とレアギン型アレルギーの機序に関する研究により)[9]
- 1973年 朝日賞(免疫グロブリンEの発見により)[10]
- 1973年 ガードナー国際賞
- 1973年 パウル・エールリヒ&ルートヴィヒ・ダルムシュテッター賞
- 1974年 恩賜賞・日本学士院賞(免疫グロブリンEの発見とレアギン型アレルギーの機序に関する研究により)[11]
- 2000年 日本国際賞(免疫グロブリンEの発見とアレルギー発症機序の解明により)[12]
栄典
- 1974年 文化勲章受勲、文化功労者選出
- 1999年 勲一等瑞宝章受勲[13]
- 2018年 叙従三位[14]
- 2019年 山形県名誉県民[15]
系譜
- 石坂氏 祖父・義雄は埼玉県大里郡奈良村(現熊谷市)の地主の家に生まれた。
きく
┃
┣━━━石坂公成
┃
┏石坂弘毅
┃
┣石坂定義
┃
┃堀江悦之助
┃ ┃
┣松江
┃
┃鈴木朔太郎
┃ ┃
┣てい
┃
石坂義雄━━╋石坂泰三
┃ ┃
┃雪子
┃
┣祖父江久治
┃
┃
┣石坂銀五
┃
┃
┗石坂禄朗 ┏石坂光雄
┃ ┃
┣━━━╋石坂二朗
┃ ┃
林曄━━━━あや ┣石坂恒夫
┃
┗雅子
桂太郎━━井上三郎
┃
┣━━━井上光貞
┃ ┃
井上馨━━千代子 ┃
┃
伊達宗徳━━二荒芳徳 ┃
┃ ┏明子
┣━━┫
┃ ┗治子
北白川宮能久親王━━━拡子 ┃
┃
┏石坂一義
┃
┣石坂泰介
┃
石坂泰三 ┣石坂泰夫
┃ ┃
┣━━╋石坂泰彦
┃ ┃
織田一━━雪子 ┣石坂信雄
┃
┣智子
┃
┗操子
┃
霜山精一━━霜山徳爾
脚注
- ^ “石坂公成氏が死去 アレルギー物質発見”. 共同通信社. (2018年7月6日). https://this.kiji.is/387790815316001889 2018年7月6日閲覧。
- ^ a b c d e 免疫とアレルギーのしくみを探る - 常識に合わない現象には未知の真実があるscientist石坂公成 - JT生命誌研究館、2014年12月13日閲覧
- ^ 自分と妻の背中にアレルギー物質を注射しあった。照子は米国では、Terryの呼び名で知られていた。
- ^ 1998年発症、線条体黒質変性症
- ^ アレルギー研究 夫婦で苦楽 花粉症原因物質、発見50年 互いの体で実験「これからも一緒」毎日新聞2016年2月19日 東京夕刊
- ^ 山形県立山形西高等学校創立114周年記念式典 校長式辞2014年12月14日閲覧
- ^ 山形大学医学部「石坂公成博士足跡記録展示場を開設しました」
- ^ “石坂公成さんが死去 アレルギー発症の仕組み解明”. 朝日新聞デジタル. (2018年7月6日). https://www.asahi.com/articles/ASL763R21L76ULBJ008.html 2020年2月14日閲覧。
- ^ 武田医学賞受賞者
- ^ 朝日賞 過去の受賞者
- ^ 恩賜賞・日本学士院賞・日本学士院エジンバラ公賞授賞一覧 | 日本学士院
- ^ 日本国際賞受賞者 石坂公成 - 国際科学技術財団
- ^ 会員個人情報 | 日本学士院
- ^ 従三位 故・石坂氏に「毎日新聞」2018年8月8日
- ^ 石坂公成氏、山形県名誉県民に山形県
参考文献
- 武石和風『堂々たる人 財界総理・石坂泰三の生涯』 講談社文庫、1987年 164-165頁
- 石坂公成『結婚と学問は両立する―ある科学者夫妻のラヴストーリー』 黙出版、2002年
外部リンク
- 石坂公成 - 会員個人情報 日本学士院
- 国際科学技術財団(Japan Prize)
|
この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 |
典拠管理 |
- CiNii: DA00143868
- ISNI: 0000 0000 6673 1552
- LCCN: n89638350
- NDL: 00021678
- NKC: xx0213564
- NLA: 35237538
- NTA: 06896353X
- VIAF: 91857953
- WorldCat Identities: lccn-n89638350
|
---|
Japanese Journal
- 故 石坂公成会員追悼の辞 (彙報 物故会員追悼の辞)
- 岸本 忠三
- 日本學士院紀要 = Transactions of the Japan Academy 73(3), 167-170, 2019-03
- NAID 40021893417
- 輝く : 日本人による発見と新規開発(Vol.28)IgEの発見
- ビギナーズセミナー13 最近のアレルギー研究の進歩
- 善本 知広
- 日本臨床免疫学会会誌 39(4), 344-344, 2016
- … <p> 2016年は,石坂公成,照子博士によるIgE発見から50年目のアニバサリーイヤーにあたる.過去20年ほどの間にアレルギー研究は飛躍的に進展してきた.そこには免疫学の進歩が大きく貢献している.しかし,未だアレルギー発症機序には不明な点が多く,根本的な治療技術は確立されていない.その結果,国民の約40%がアレルギー性鼻炎の症状に悩み,食物アレルギーの児童が学校給食によって死に至る症例も …
- NAID 130005407762
Related Links
- 氏名 石坂公成 (いしざか きみしげ) 所属部・分科 第2部第7分科 選定年月日 平成9年12月12日 退任年月日 平成30年7月6日 専攻学科目 免疫学 過去の要職 ラホイヤアレルギー免疫研究所名誉所長 山形大学特別招聘教授 受賞等 国内
- 石坂公成先生は、現在の理化学研究所生命医科学研究センター(IMS)の前身である、理化学研究所免疫・アレルギー科学総合研究センターの特別顧問として、2001年から12年間にわたってセンターの発展に貢献してくださいました。
- 石坂 公成 免疫学 / 分子生物学 ラホイヤ・アレルギー免疫研究所 名誉所長 写真:大西成明 1925 年、東京都生まれ。 48 年、東京大学医学部卒業。 53 ~ 62 年、国立予防衛生研究所免疫血清室長。 57 ~ 59 年、カリフォルニア工科 ...