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性的指向 |
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指向 |
異性愛 · 同性愛 · 両性愛 · 無性愛 · 多性愛(英語版) · 全性愛 · 対物性愛[要出典] |
性の他の概念 |
女性の性的能力(英語版) 男性の性的能力(英語版) · |
研究 |
生物学と性的指向(英語版) · 性的指向の人口統計(英語版) · |
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両性愛(りょうせいあい)、バイセクシュアリティ(bisexuality)[注 1]は、男性にも女性にも見られる、いずれの性の人に対しても、美的な憧れや情緒的・精神的な魅惑、あるいは性的・肉体的な欲望を抱くような性的指向をいう語。両性愛の性質を持っている人を両性愛者(りょうせいあいしゃ)、バイセクシュアル(bisexual)[注 2]あるいは略してバイという[注 3]。この場合、男性・女性という「性」は、身体的な性(セックス)に加えて、文化的な性も同時に指している。両性愛という語は同性愛および異性愛と並ぶ性的指向の類型であるが、他方、両性愛とは同性愛と異性愛との混合状態であるとする見解もある。
またセクシュアルマイノリティという時、バイセクシュアルは同性が好きという部分でセクシュアルマイノリティなのであり、異性が好きな部分はマジョリティであるとする考えから、広義のゲイやレズビアンに含むこともある。
両性愛は歴史上、人間社会および動物社会においてもさまざまな形態で観察されてきたものであるが、20世紀後半に入って初めてまじめな研究の対象となった。それでもなお、両性愛が広範囲に存在していた事実や、両性愛の定義については異議が唱えられている。
両性愛という語は、同性愛および異性愛を両極とする、その間の性的指向を指している。両性愛の人々は必ずしも双方の性に同じように魅力を感じるわけではない。むしろ、いずれかの性をより好む傾向が見られることが多い。また、両方の性を好むが、セックスとしては一方を好んだり、両方のセックスへの指向をもちつつも一方の文化的性のみに魅力を感じる、という形態も存在する。両性愛という語は同時に、同性愛および異性愛といった単性愛指向を内包するものであると定義されることもあるが、両性愛自体を独立した性指向とみなすべきだという議論も少なくない[1]。
自らのことを同性愛者や異性愛者とみなす人でも、他者からその性的指向に基づき両性愛者であるとみなされることもある。たとえば、自身を同性愛者とみなす両性愛者の女性を考える。「同性愛とは、自らと同じ性を愛することである」という定義に従えばこの女性は同性愛者といえる。このような女性がたまたま最初に女性に恋愛感情を抱いた場合には、両性愛者であるとは認識しにくいであろう。同様に両性愛者の男性であっても、自らが男性に対し恋愛感情を抱くことがありつつも、アナルセックスはしないという立場から自らを異性愛者であるとみなしていることがある。このように両性愛という概念はあいまいなものなのである。一部の人は、単性愛は「両性愛を除く」と否定的に定義されたものであるとの立場を示すし、また一部の人は実際に個人がどのような状況にあるかだけが両性愛に該当するか否かを決定するという立場を示す一方で、またある人は両性愛の存在自体を否定する(両性愛は本来同性愛で、社会的適応のために異性愛的指向を持つようになったのが異性愛であるとする立場)ために大変厄介な議論となる。
一部の両性愛者は、自身を同性愛者とは異なるものだとみなしつつ、両性愛は広義でのLGBT(Lesbian、Gay、Bisexual、Transgender personの略)に属すると考える。またある人々は、レズビアンやゲイという概念を尊重しつつ、自らはいずれにも属さないと考え、またいかなるレッテルも自身の状況を的確に表現していないと考える。
しかし以上の議論は現代に入り、キリスト教の教義に基いて同性愛がタブーとされたことにより、異性愛のみが一般社会で認められる様になった為であると考えられる。後述の両性愛の歴史に見られるとおり、近代以前においては両性愛が異性愛以上に一般的な性的指向であったとさえ言える。自らを同性、異性の一方のみの愛ではなく両性を同様に愛する、両性愛者と自認する人も多い。
両性愛という語は、元々19世紀に両性具有の者をいう時に用いられ出した語である。遅くとも1914年までには、両性愛は一つの性的指向を指す語として用いられるようになっていた[2]。一部の両性愛者および性に関する調査に携わる者の中には、「両性愛」という語の定義に不満を抱き、多様な代替語を用いるようになったり、両性愛のあり方やある一面を適切に説明できるように追加的な用語をたくさん用いた。しかしながらそうして作り出された語は、まだ社会に広く認識されているとは言えない。
例えば、英語においては以下のような代替語、拡張語が提唱されている。
近代に入ってまとめられたいくつか調査によれば、西洋に住む人々のうち約2%から6%が両性愛者である。しかしながらこの調査には回答者の無作為抽出や回答者の規模などに関して方法的な難点が存在するし、回答を自己分析に頼ることによって正確性も疑問視されている。従って、この調査が報告する両性愛者の人口は論争の対象である。さらに、個々の調査で両性愛の基準が統一されていないことも問題である。ある調査は両性愛という現象の存在自体を無視しているし、同性愛と異性愛の括りに入れてしまう調査も存在する。報告されている結果を検討しても、語の定義が統一されていないことから、同性愛と異性愛とどちらがより多く見られるのかを決定することはできない。ちなみに、西洋以外の地域からの逸話的報告では、両性愛を示す割合が同性愛よりはるかに高いことが示唆されている。
おそらく人間の性についての統計を初めて記述した精神科医ジークムント・フロイトは、あらゆる人間は誰でも、人生のうちのある時期において両性愛者になりうる可能性を持っていると考えた。彼は、人間の社会的成長の過程において、同一の性(それが自然に得たものか努力で得たものかにはよらない)における性的経験が、その人のもつであろう必要と欲望、特に性的欲望を愛着のもてるものとするか否かを決定する、という考えに基づいているのである。
歴史的に見て、両性愛は同性愛から俗に連想されるような社会的汚名とは一般に縁がなかったどころか、両性愛が普通のことだと見なされている社会においてはむしろ広く流行していることであった。古代ギリシャでは、男性が最終的には結婚して子どもを作る限りにおいて、少年愛ということ自体は全く問題視されなかった。世界中の異性と結婚している男性たちの間では、同性愛の問題は比較的平穏に受け入れられている。また、両性愛者のうちにも、異なる性の者と生活していくことによりお互いにないものを補完しあえるということを価値あることと見なし、異性のパートナーと結婚したり同棲したりする者もある。このような者の中には、異性間の一夫一婦制の下で同性愛的関係を持つことで、自らの存在が豊かなものとなったと感じている者もいる。
同性愛社会の一部の人は、両性愛者を「裏表がある」として非難する。彼らは両性愛者が「真の同性愛」が社会で認知を勝ち取るための「自らの義務を果たしていない」として批判する。また一部同性愛者は、両性愛というのは異性愛者としてのアイデンティティが揺らいだ人が至るもので、単なる同性愛の初期段階に過ぎないと疑い、両性愛者は結局自らが同性愛者であることを認めると考えている(同性愛者が陥りやすいこの種の誤解は、"Bi now, gay later."[注 10]という揶揄的な言い回しに端的に表されている)。こういった状況は起こりうるし実際起こっているが、両性愛者の大部分に真実として適用されるわけではないようである[要出典]。それでも往々にして両性愛者は、同性愛者から余り受け入れられないことがある。その理由は、特に男性両性愛者において「いずれは女性を優先して結婚し、子供をつくり、家庭を持つという選択をすることが多く、同性愛との関わりは性欲処理だけだ」「同性との恋愛は異性の恋人ができるまでの間に合わせだ」という反感が同性愛者の側にあるからだ。また一部両性愛者が異性と結婚してからもその事実を隠し、同性の愛人をつくったり、同性愛の世界で下半身だけの関係を繰り返したりすることへ反発もある。異性愛結婚制度の中で婚姻関係を結び、自分は家庭という安全地帯で守られながら同性とも関係するのは、配偶者も同性の愛人もその両方を大切にしていない、とする声もある。因みに両性との性的行動を「実践」することは思春期の両性愛の少年少女にとってもごく一般的なことである[3]。
両性愛という語は、同性愛であることをカミングアウトしないままに異性愛的な結婚をして、なお同性愛的性行動をとる男性のこととしばしば結びつけて考えられるが、このような男性たち("men living on the down-low [注 11]")の大部分は自分のことを両性愛者だとは認識していない[4]。
両性愛者のうちいくらかは異性愛社会にも同性愛社会にもあてはまらないと感じ、また公にはしばしば「見えない」存在となってしまうために(同性愛社会と異性愛社会との両方に所属してどっちつかずな存在に見えてしまうために)、コミュニティ、文化および政治的動議を1から形成せざるを得ない状況におかれている。
両性愛者としてのアイデンティティの一般的象徴は、最上段に濃い桃色で同性愛を、最下段に青色で異性愛を、中段に桃色と青色の合成色である紫色を配した旗"bisexual pride flag"である[5]。
この旗と同じ配色を用いているその他の象徴的記号には、図のような一組のオーバーラップした桃色と青色の三角形でつくられる図形がある(桃色の三角形は、同性愛者のコミュニティの象徴としてよく知られている)。重複している部分の紫色はもちろん両性愛を象徴する。
三角形に代わる象徴としては、男女の性的分化の象徴としても用いられる火星と金星の天文学的記号が、両側の切れた2つの円に変更されてうまれた"bisexual double moon symbol"がある。このような図形に変更されたことで、この記号は両性愛者がどちらの性社会にも開かれたものであることを象徴しているのである[6]。
"bisexual double moons"の配色は様々なものがある。しばしば、両性愛者が同性愛者のコミュニティに属することを強調して虹色で表されることもあるし[7]、上で述べた他の象徴記号のように、桃色・紫・青の3色で構成されることもある。
教養的な社会における歴史的および文学的な記録は、古代より男性の両性愛が日常的なことであって、実際に望ましいことであったのだと示している。このような性的関係は一般に年齢的構造をとったり(古代ローマ帝国時代までの少年愛や、中世から近代の日本における衆道のようなもの)、もしくは文化・社会的構造を取ったり(同じ身体に2つの異なる性が存在すると考えた北アメリカに伝統的なものや、中央アジア地方のイスラム社会における少年愛のようなもの)していた。男性の異性愛や同性愛は記録に残ってはいるが、そのほとんどがむしろ例外的なものとして現れている(アブラハムの宗教のように、異性愛者を特権化し、同性愛や両性愛を強く弾圧する宗教に影響を受けている社会のように非常に特殊な例がまれに存在するが)。先の文化における男性「同性愛」の例としてしばしば引用されるものの多くは、実のところはどちらかというと両性愛に分類した方が適切であるのだ。
女性による両性愛の歴史を確定することはもっと厄介な問題である。というのも、研究されている社会の大部分で女性は男性より社会的に低い身分に置かれ、かつ移動や表現の自由が制限されて自分自身を考えることも少なく、他方では女性が歴史を文字に記し伝える立場になかったからである。
古代ギリシャでは、一般に男性は、思春期のうちに同性愛的指向を示す段階を経験し、続いて青年期において少年愛に特徴を見いだせる両性愛的指向を示す段階を経験し、そこから人生の遅い時期に結婚し子どもを作る時になって初めて異性愛的指向を示す段階に至るのだと考えられていた。古代ローマ帝国や、中国、日本、また現在もその慣習の残るアラブ諸国においても男性は類似の両性愛的振る舞いを見せていた。特に日本においては、衆道にみられる実践とそれに関連する美術作品や文学作品が莫大な数遺されてきていたために、本来なされてきた両性愛的ライフスタイルはとても詳細に記述されているし、なんと19世紀に至るまで実際にその習慣が続いてきているのである。
おそらく最も有名な例は複数の妻と愛妾を持っていたアレクサンドロス大王であろう。多くの歴史作家は彼には少なくとも2人の男性の恋人がいたのだと断言している。そのうちのひとりヘファイスティオンは彼の古い友人である。両性愛的振る舞いはローマ皇帝や中国皇帝、日本の将軍・戦国大名たちの間ではしばしば見られることであった。
プラトンの著作『饗宴』はアルキビアデス(ソクラテスの元恋人)のくだりから同性愛の書物とされることも多いが、同時に両性愛に関する有名な寓話も含む。男女(アンドロギュノス)の話がそれで人間は両性に分かれる前は一体であったが、神によって今の男と女に切り離されたため以前の状態に戻ることを渇望して互いに求め合う、というものである。ギリシアの彫刻ではこの寓話に基づいて男女の美点を繋ぎ合わせた「ヘルムアプロディテ」という像が作られた。プラトンのイデア説から禁欲主義が発達したように、後の宗教界でも異性愛をも含めた禁欲の概念が無いではなかったが抑圧したものとして続いていた。[注 12]
古代ギリシアの都市国家スパルタの伝統法は、年頃の若者との同性愛関係は、男性が最終的には結婚して子供を作る限りにおいて、成人男性の判断に任せていた。スパルタ市民は、経験豊富な兵と未熟な兵との間の恋愛関係および肉体関係は、国家に対する忠誠心を強固なものとし、またパートナーを感動させようと兵士たちが互いに競いあうことで、英雄的戦術に積極的に取り組むようし向けるものであると考えたのである。
ひとたび年下の兵が成熟した年齢に達したならば、同性愛関係は肉体的なものでなくなるのが望ましいとされたが、この暗黙的ルールがどれくらい厳格に守られたのかということは明らかではない。成人した兵と性的関係を続けたことで汚名を着せられた若い男性に関する話も残っている。しかしながら古代ギリシャ世界のほとんどの地域においては、例えばアテネを例としてあげると、年老いた男性と、かなり若い少年とが少年の成人まで性的関係を続けると言うことは社会的に厳しく蔑まれていたのである。このような関係は、少年に対し男性が優位に立っているものと見なされ、奨励されていなかった。
ギリシャ世界におけるいくつかの宗教的書物は、両性愛の話題をまとめる試みを行っている。その論理は、ミステリー的なものから帰納的なものまで多岐にわたってはいるが。
イスラム諸国においては、対象の性が何であっても、イスラームの教えに背かない限り愛は絶対的な善であるとみなす文化が発達した。男性が美しい少年に魅力を感じるということはイスラム世界において万国共通であり、ごく普通のこととしてかなり寛容に理解されていた[8]。このような逸話がある。イブン・アル=ジャウージという13世紀の学者は「あの、美しい少年を見ても何にも感じないとか言う男はうそつきだ。奴を信じることができるとしたら奴は人間じゃない。動物でしかあり得ない」と述べたことで有名なのである[9]。
宗教的書物の一部は、少年に対する感情は女性に対するものよりしばしば強いものであったので、この感情にのめり込まないよう若い男性に警鐘をならすほどであった。スーフィズムは、議論の分かれる所であるのだが、男の子の美しさをじっと見つめることは神と交流する方法なのだと教えている。詩人やアーティストは中世から20世紀初頭に至るまで、受け入れられたか否かは別問題としても、繰り返し少年の愛を表現してきた。クルアーンに男性とのアナルセックスを厳しく禁じる規定(リワート)があることは一部の人により愚弄され、またこのような関係に耽った人により曲解されてきたが、性交以外の行為は思いとどまらせてきた。男性はしばしばこのリワートが原因でパートナーもろとも有罪宣告を受け、折を見て処刑された。
しかしながらクルアーンは、犯罪者を有罪とするために、犯罪現場が4人の男性または8人の女性により押さえられていることを必要としているのである。
人間以外の多くの動物も両性愛行動を示す。これはもちろん両生類の間では一般的であるが、他の種でも知られていることである。哺乳類ではボノボ、シャチ、バンドウイルカが挙げられる。生物学的な実例は魚類、甲殻類、扁形動物に豊富に見られる[10]。両性愛は、行動としても生物学的にも、500以上の動物種においてその存在が確認されている。
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