出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2014/12/15 09:27:03」(JST)
コーカソイド(Caucasoid)は、自然人類学における人種分類の概念の一つ。欧州人を指すために使われてきたため白色人種、白人とも訳されるが、日照量の多い地中海沿岸部や中東やインド亜大陸に居住したコーカソイドは肌が浅黒く、毛髪の色が濃い者も多い。
コーカソイド (Caucasoid) とは、カスピ海と黒海に挟まれた所に実在するカフカース地方にある「コーカサス」(コーカサス山脈)に「…のような」を意味する接尾語のoidをつけた造語で、「コーカサス系の人種」という意味であり、インドから北西アジア(中近東)へ拡散し東ヨーロッパまで広範囲に拡散した[1]。
元々はドイツの哲学者クリストフ・マイナースが提唱した用語であった。彼に影響を受けた人類学者ブルーメンバッハが生物学上の理論として五大人種説を唱えた際、ヨーロッパに住まう人々を「コーカシアン」なる人種と定義した事で世界的に知られるようになった。
また聖典である『旧約聖書』の創世記1〜6章では、色がそれぞれ意味を表していた。これらから初期の人類学を主導したヨーロッパ人学者は、自分たちヨーロッパ人を「ノアの箱舟でコーカサス地方にたどり着いた人々の子孫で、我らはコーカソイドの人種と定義し、それを表した呼称として「コーカソイド」を用いたという説を指摘している。[2]。もっともアラブ人やペルシャ人も、宗教はアブラハムの宗教の1つであるイスラム教であり、コーカソイドという宗教用語を当てはめることもできるが、ヒンドゥー教を信仰するアーリア人は語源に合わないことになる。
コーカソイドとはヨーロッパ人が自己を定義するために創出された概念であるともされている。そのため、その範囲は基本的に東ヨーロッパ・西ヨーロッパの双方を合わせた全ヨーロッパ地域に限定される場合がほとんどであった。
戦後しばらくまでの人類学は科学的根拠に乏しい、偏見や先入観に満ちた内容であることが多く、人種差別的な思想を多分に含んでいた。事実、提唱者であるブルーメンバッハもさまざまな人間の集団の中で「コーカサス出身」の肌色の者が最も美しい、人間集団の「基本形」で、他の4つの人類集団はそれから変異したものだとしている[4]。つまり最初の時点で西洋的な考えが基盤に存在していたのである。その後、他の人類学者によってコーカソイドを更に細分化しての分類が試みられた。ウィリアム・Z・リプリーによる北方人種・地中海人種・アルプス人種の三分類などが有名である他、東ヨーロッパ人種・ディナール人種という分類も存在する。
初期の人類学の人種判別は外見の違い(特に肌の色)による判断という、かなり原始的な考察を頼りとしていた。
人種分類はその性質上、差別的な思想と結び付きやすく、各人種差別団体の勢力を生み出す遠因とされている。そのため、現在の生物学における人種に関する研究は、現生人類は一種一亜種であるという前提の上で慎重に行われている。あくまで人種とは現生人類の遺伝的多様性の地域的・個体群的偏りに過ぎず、人種相互に明瞭な境界はないとする。
なお、近年の国際的な学会では、人種分類としてのコーカソイドという名称から、地域集団の一つとしての「西ユーラシア人」という名称が一般的になりつつある(詳しくは人種を参照)。「コーカソイド」は、日本語中での用法は白人・白色人種のヨーロッパ風の表現として認識されることが多い。
モンゴロイドやネグロイドにも言えるが、コーカソイドもまた非常に広い範囲に分布しているため、人種的特徴は一概に言えない。
平均身長・最上位国 | 平均身長・その他の国 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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アフリカ大陸で誕生した現生人類は、アラビア半島経由でユーラシア大陸に進出し、大陸全域に居住地域を拡大する。このうちコーカソイドはユーラシア大陸のインド北西部から東ヨーロッパに居住していた人々の末裔である。
ヨーロッパ系コーカソイドのうち、ギリシャ・イタリア等の地中海諸国のコーカソイドは、エジプト・リビアから海路を経てその地域に定住した人々とされているが、フランスから北欧に至る大西洋沿岸(イギリス・東欧を含む)に住むコーカソイドはインド北西地域から中央アジアに進出したグループが、ユーラシア大陸の内陸を経由してヨーロッパに定住した人々とされている。
また15世紀以降は特にヨーロッパ系コーカソイドが征服地への入植により大きく居住地域を拡大し、世界的に拡散した。
アフリカ人はネグロイドに分類されるが、北東部アフリカはサハラ砂漠以南の西南部アフリカ(ブラックアフリカ)とは異なった遺伝子的特徴を持っている。スーダン南部に広がる大湿地帯のボトルネック効果と中世以降のアラブ人による入植のためで、北アフリカの先住民であるベルベル人はコーカソイド系に属するためである[8][9]。
東欧ではハンガリー人(マジャール人)がモンゴロイド(黄色人種)であるフン族の子孫であるという説が存在したが、現在では否定されている[12][13]。
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ハンガリーという国名はフン族との関連を連想させるが、「ハンガリー」の語源については諸説あるものの、「フン族」との間に特別の因果関係はないと考えられている。フン族は離散集合を繰り返す部族連合体であり、全員が必ずしもモンゴロイド系とは言えないとする見方もある。ただ、フン族の首長アッチラと会見したローマ側の使節(ローマカトリック教会の僧侶)による報告書では、「アッチラと彼を取り巻く将兵たちの目は小さくて、ひげが薄く、かつ身長も低く、胴長短足である」と記されていて、ヨーロッパ人が初めて見たモンゴロイドが奇怪な容貌に見えたことと、タタール人という言葉が、当時のキリスト教でいう「地獄のタルタロス」を連想させて、恐怖心を一層つのらせたことが、今に伝えられている。また言語学見地からウラル・アルタイ語族という仮説の語族に属すると考えられた時期もあるが、現在ではウラル語族とアルタイ諸語の関係は否定されている。モンゴル帝国の西進及びムガール帝国の南進によって、東ヨーロッパやロシア及び中央アジア・南アジアの一部がモンゴロイドの支配下に置かれた。その際征服された地域では、顕著ではないものの混血が認められる。ロシアは何百年もの間テュルク系国家やモンゴルによって征服されたため混血は多かった。ただし、それらのモンゴロイドは遊牧民族であるため土着の農耕民より人口が少なく、さほど混血の影響は高くないともされる。
フィンランド人(フィン人)やサーミ人とリーヴ人とヴェプス人もハンガリー同様にモンゴロイド起源説が唱えられ、遺伝子学見地から東南アジアに起源を持つモンゴロイドであるとされる[14]が、ハンガリー(マジャル)人同様に、モンゴロイド説は否定されている。
北海道・樺太・千島列島に住むアイヌは、かつては白色人種に分類されることもあったが、その後否定され、大和民族に最も近いとされた。いずれも縄文人を基盤とするが、自然環境や生活習慣の差、周辺民族との混血などにより形質が変化するに至ったとされる。
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リンク元 | 「白人系」「Caucasoid」 |
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