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リスボン (Lisboa) | |||
リスボンの風景
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正式名称: Concelho de Lisboa | |||
名前の由来: Lisboa, ポルトガル語 フェニキア語から派生した「安全な港」を意味する Allis Ubbo ; ラテン語 オデュッセウスに因んだUlyssippo ; ローマ人のテージョ川の名称 Olissipona | |||
愛称: A Cidade das Sete Colinas (7つの丘の街), Rainha do Mar (海の女王) | |||
国 | ポルトガル | ||
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区域 | リスボン地域(英語版) | ||
小区域 | 大リスボン圏(英語版) | ||
地区 | リスボン県 | ||
自治体 | リスボン | ||
行政教区 | 53地区 | ||
川 | テージョ川 | ||
所在地 | リスボン | ||
- 標高 | 2m (7ft) | ||
- 座標 | 38°42′50″N 9°8′22″W / 38.71389°N 9.13944°W / 38.71389; -9.13944座標: 38°42′50″N 9°8′22″W / 38.71389°N 9.13944°W / 38.71389; -9.13944 | ||
最高地 | 227 m | ||
- 所在地 | セラ=デ=モンサント, ベンフィカ地区, リスボン | ||
- 標高 | 199m (653ft) | ||
- 座標 | 38°43′43″N 9°11′5″W / 38.72861°N 9.18472°W / 38.72861; -9.18472 | ||
最低地 | 海面 | ||
- 所在地 | 大西洋 | ||
面積 | 84.8 km² (33 sq mi) | ||
- 都市部 | 958 km² (370 sq mi) | ||
- 都市圏 | 2,957 km² (1,142 sq mi) | ||
人口 | 547,631 (2011) | ||
- 都市部 | 3,051,000 | ||
- 都市圏 | 3,035,000 | ||
人口密度 | 6,458 /km² (16,726 /sq mi) | ||
集落の創建 | fl. 719 | ||
- 都市の創建 | c. 1256 | ||
行政単位 | Concelho/Câmara Municipal | ||
- 所在地 | Praça do Município, Lisbon, Grande Lisboa | ||
- 座標 | 38°42′29″N 9°8′18″W / 38.70806°N 9.13833°W / 38.70806; -9.13833 | ||
市長 | フェルナンド・メディーナ (PS) | ||
市議会議長 | エレーナ・ロゼータ (PS) | ||
等時間 | WET (UTC+0) | ||
- 夏時間(DST) | WEST (UTC+1) | ||
ISO 3166-2コード | PT- | ||
郵便区 | 1149-014 Lisboa | ||
市外局番 +市内局番 | (+351) 21 XXX-XXXX | ||
住民の呼称 | Lisboeta , Alfacinha | ||
守護聖人 | サラゴサのヴィセンテ | ||
自治体住所 | Praça do Município, 1 1149-014 Lisboa | ||
ポルトガルにおけるリスボンの位置
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ウィキメディア・コモンズ: Lisbon | |||
ウェブサイト: http://www.cm-lisboa.pt/ | |||
リスボン(ポルトガル語: Lisboa IPA: [ɫiʒˈboɐ] ( 音声ファイル)[1]、[liʒˈβoɐ] リジュボア[2]、英語: Lisbon IPA: [ˈlɪzbən])は、ポルトガルの首都で同国最大の都市である。市域人口は54万7,631人を擁し[3]、市域面積は84.8平方キロメートル(33平方マイル)に過ぎないが、そのぶん高い人口密度を保持している。リスボンの都市的地域は行政区としての市域を越えて広がっており、人口は300万人を超え[4]、面積は958平方キロメートル(370平方マイル)[4]を占めており、欧州連合域内では11番目に大きな都市圏 (en) を形成している。約303万5,000人[5][6] の人々がリスボン都市圏(英語版)に暮らし、ポルトガルの全人口の約27パーセントを占めている。リスボンはヨーロッパの大都市ではもっとも西にある都市であると同時に、ヨーロッパの中でもっとも西側に位置する政府首都でもある。ヨーロッパ諸国の首都のなかで唯一の大西洋岸にあるリスボンは、イベリア半島の西側、テージョ川の河畔に位置している。
リスボンは金融や商業、出版、娯楽、芸術、貿易、教育、観光といったさまざまな分野で重要な都市であることから、世界都市とみなされている[7][8]。ポルテラ空港は2012年に1,530万人の旅客を扱い、高速道路(Auto-estrada)や高速列車アルファ・ペンドゥラールによりポルトガルのほかの主要都市と結ばれている[9]。南ヨーロッパではイスタンブール、ローマ、バルセロナ、マドリード、アテネ、ミラノに次いで7番目に多くの観光客が訪れる都市で、2009年には174万人の観光客が訪れた[10]。リスボンの総所得は世界の都市で32番目に高い位置を占めている[11] 。ポルトガルの多国籍企業の本社はほとんどがリスボン地域に置かれており、世界では9番目に多くの国際会議が開かれる都市でもある[12]。
また、ポルトガルの政治の中心でポルトガル政府(英語版)の首府やポルトガルの大統領官邸が置かれているほか、リスボン地域(英語版)やリスボン県の中心でもある。
世界的にも古い歴史がある都市の一つで、西ヨーロッパでは最古の都市であり、現代のヨーロッパのほかの首都であるロンドンやパリ、ローマなどよりも数百年さかのぼる。ガイウス・ユリウス・カエサルはフェリキタス・ユリア(Felicitas Julia)と呼ばれるムニキピウムを創建し、オリピソ(Olissipo)の名に加えた。5世紀から一連のゲルマン人部族により支配され、8世紀にはムーア人により攻略された。1147年、ポルトガル王国の建国者アフォンソ1世下のレコンキスタでのリスボン攻防戦で、ポルトガルはムーア人からリスボンを奪回する。以来、リスボンはポルトガルの主要な政治、経済、文化の中心となっている。ほとんどの首都と異なり、リスボンのポルトガルの首都としての地位は法令や書面の形式では公式に認められたり確認されたりしていない。首都としての地位は憲法制定会議を通じて事実上の首都としてポルトガルの憲法(英語版)に定められている。
リスボンには欧州薬物・薬物依存監視センター(EMCDDA)と欧州海上保安機関(EMSA)の2つの欧州連合の専門機関が置かれている。「ルゾフォニアの世界の首都」と呼ばれ、ポルトガル語諸国共同体の本部がペナフィエル伯宮殿(英語版)に置かれている。ベレンの塔とジェロニモス修道院の2つはUNESCOの世界遺産に登録されている。さらに1994年、リスボンは欧州文化首都になり、1998年にはリスボン国際博覧会が開催された。
リスボンはイベリア半島に位置している。市街は西南ヨーロッパの大西洋岸に位置するテージョ川河口の湾の北岸に位置している。川幅が広がっていったテージョ川は大西洋に注ぐ最後の数キロの河口部分は狭くなっていく。岸からはいくつかの丘が隆起しており、リスボンには高い丘や深い谷がある。リスボンの最高地点は226メートルで、市街は長い間テージョ川に沿って開けていた。20世紀以来、内陸部にも都市が開けている。リスボンの最西部にはモンサント森林公園(英語版)があり、10平方キロメートル(4平方マイル) を占めヨーロッパでは最大規模の都市公園で、市域面積の10パーセントを占めている。リスボンの市域面積は84.94平方キロメートル(33平方マイル)を占め、ほかの大都市とは異なり歴史的な中心の狭い範囲が市域として定められている[13] 。ほかの都市化されたリスボン都市圏地域(英語版)は一般的に大リスボン圏(英語版)(ポルトガル語: Grande Lisboa)として知られ、実際にはいくつかの都市や自治体に定められており、アマドーラやケルシュ(ポルトガル語版)、アグアルヴァ=カセン(ポルトガル語版)、オディヴェーラシュ(ポルトガル語版)、ローレシュ(ポルトガル語版)、アルマーダ、バレイル、セイシャル(ポルトガル語版)、オエイラシュ(ポルトガル語版)などがある。
リスボンは亜熱帯 - 地中海性気候(ケッペンの気候区分ではCsa)[14]に属し、穏やかで暖かな冬と暑い夏がある。年間の平均気温はおおむね日中が21.5℃(70.7℉)で、夜間が13.5℃(56.3℉)で、海水温は17.5℃(63.5℉)である。冬の降雪はまれであるが、1993、1994、2006、2007年に観測された。最寒月は1月で気温の範囲はおおむね8 - 15℃で、海水温の平均は15℃(59℉)である[15]。最暖月は8月で気温の範囲はおおむね18 - 28°Cで海水温は19℃(66℉)である[15]。夏は通常、5月から10月の6か月間続く。3月、4月、11月は季節の変わり目で、気温は時折20℃(68℉)を上回り、これら3か月の日中の平均気温は18.9℃(66.0°F)、夜間の平均気温は12.0℃(53.6°F)である。12月、1月、2月は一番寒い月で、日中の平均気温は15.5℃(59.9℉)、夜間の平均気温は8.9℃(48.0°F)である。ヨーロッパの大都市や首都の中ではリスボンは一番温暖な冬である。降雨はおもに冬に見られ、夏は概して乾燥している。年間の日照時間は2,800時間で、日中の平均日照時間は12月が4.6時間、7月が11.4時間である。
リスボンの気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 20.6 (69.1) |
24.8 (76.6) |
28.3 (82.9) |
29.4 (84.9) |
35.0 (95) |
41.5 (106.7) |
40.6 (105.1) |
37.9 (100.2) |
37.1 (98.8) |
32.6 (90.7) |
25.0 (77) |
25.1 (77.2) |
41.5 (106.7) |
平均最高気温 °C (°F) | 14.5 (58.1) |
15.9 (60.6) |
18.2 (64.8) |
19.2 (66.6) |
21.4 (70.5) |
24.8 (76.6) |
27.5 (81.5) |
27.8 (82) |
26.2 (79.2) |
22.1 (71.8) |
18.0 (64.4) |
15.2 (59.4) |
20.9 (69.6) |
日平均気温 °C (°F) | 11.3 (52.3) |
12.6 (54.7) |
14.3 (57.7) |
15.4 (59.7) |
17.4 (63.3) |
20.4 (68.7) |
22.7 (72.9) |
23.0 (73.4) |
21.8 (71.2) |
18.4 (65.1) |
14.8 (58.6) |
12.4 (54.3) |
17.0 (62.6) |
平均最低気温 °C (°F) | 8.1 (46.6) |
9.2 (48.6) |
10.4 (50.7) |
11.5 (52.7) |
13.3 (55.9) |
15.9 (60.6) |
17.9 (64.2) |
18.1 (64.6) |
17.3 (63.1) |
14.6 (58.3) |
11.5 (52.7) |
9.5 (49.1) |
13.1 (55.6) |
最低気温記録 °C (°F) | 0.4 (32.7) |
1.2 (34.2) |
2.9 (37.2) |
5.5 (41.9) |
6.9 (44.4) |
10.3 (50.5) |
13.1 (55.6) |
13.8 (56.8) |
10.7 (51.3) |
8.0 (46.4) |
3.9 (39) |
2.4 (36.3) |
0.4 (32.7) |
雨量 mm (inch) | 96.8 (3.811) |
90.2 (3.551) |
51.2 (2.016) |
64.7 (2.547) |
55.6 (2.189) |
17.2 (0.677) |
6.1 (0.24) |
6.8 (0.268) |
28.5 (1.122) |
79.8 (3.142) |
107.1 (4.217) |
121.8 (4.795) |
725.8 (28.575) |
平均降雨日数 (≥ 0.1 mm) | 15.0 | 15.0 | 13.0 | 12.0 | 8.0 | 5.0 | 2.0 | 2.0 | 6.0 | 11.0 | 14.0 | 14.0 | 117.0 |
平均月間日照時間 | 142.6 | 156.6 | 207.7 | 234.0 | 291.4 | 303.0 | 353.4 | 344.1 | 261.0 | 213.9 | 156.0 | 142.6 | 2,806.3 |
出典: Instituto de Meteorologia[16], Hong Kong Observatory[17] for data of avg. precipitation days & sunshine hours |
リスボン市は行政教区であるフレギジーア(英語版)(freguesias)と呼ばれる53の下位の行政区画に2012年11月まで分けられていた。新しい法律("Lei n.º 56/2012") によりフレギジーア数は24に減っている。
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地元のリスボンの住民はより一般的にリスボンの場所を歴史的なバイロ (en) (地区)で表している。これらの地域の範囲ははっきりとは定められておらず、共通の歴史文化やランドマークとして確認できる建築物、暮らしの水準や地元の雰囲気により表された独特の地区で、バイロ・アルト(Bairro Alto)やアルファマ(Alfama)、シアード(Chiado)などさまざまである。
今日では完全に中心部になっているが、かつては単なるリスボンの郊外に過ぎず、ほとんどは農場や邸宅が占めていた。16世紀には小川があり、貴族たちが自分たちの小舟で遊覧していた。19世紀後半を通して、アルカンタラ地区は多くの小さな工場や倉庫が建ち並ぶ工業地区となった。100年を経て、この地域では多くの魅力的で古い建物は失われ、小川(村の女性たちが洗濯する場)もなくなった。
1990年代初期、アルカンタラは多くのパブやディスコにより若者を惹きつけるようになった。これはおもに、ほとんどが商工業用の建物からなる町の外縁の区域であることから、騒音を生み出すナイトライフと周囲の住宅地域との間の防壁としての役割を果たしていた。一方ではジェントリフィケーションが進み、いくつかの地区では再開発が行われ、街の中心に近く川の景色を望むことのできるロフト・アパートや新しいマンションの開発が集中している。
リスボンでももっとも古い地区で、サン・ジョルジェ城からテージョ川にかけ南斜面に広がる。地区の名称はアラビア語のAl-hammaに由来しており、泉や浴場を意味する。ウマイヤ朝によるヒスパニアの征服(英語版)の時期、アルファマは市内の大部分を占め西側のバイシャ地区に拡大した。だんだんとアルファマには漁師や貧しい人々が暮らすようになり、貧しい地区との評判は今日でも続いている。1755年リスボン地震のときには首都全体は大きな被害に見舞われたが、アルファマは複雑で密集した狭い路地と小さな広場により少ない被害で済んだ。被害から免れた歴史的な地区には、住宅や小さな店、ファドのバーやレストランなどさまざまな用途に建物が使われている。新しい建物も建てられてきたが、古い建物も別の目的に利用されたりリフォームされたりしており、現代化の傾向は地区を活気づけている。
バイロ・アルト(Bairro Alto)はポルトガル語で「高い地区」を意味し、リスボンの中心地区の一つである。住宅や商業、娯楽の地区で、若者を惹きつけるポルトガルの首都のナイトライフの中心である。バイロはリスボンのパンクやゲイ、ヘヴィメタル、ゴス、ヒップホップ、レゲエなどそれぞれのシーンの拠点で、クラバやバーに専門性を与えている。ポルトガルの民族歌謡であるファドは新しいナイトライフでも残っており、バイロ・アルトに集まる群衆には文化や娯楽の多文化が混在している。
バイシャ・ポンパリーナはリスボンのダウンタウンで街の中心で、単にバイシャと呼ばれることも多い。バイシャ・ポンパリーナは洗練された地区である。おもにリスボン地震のあとに造られ、その名称はジョゼ1世下で宰相でポルトガルの啓蒙時代に鍵となる人物であったポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョの名から取られている。1755年の震災後、公爵はリスボンの再建に関して厳しい条件と建設指針を課し、震災前の地区を特徴づけていた本来の通りは現在の格子状の通りへと変わった。結果として、バイシャ・ポンパリーナは耐震建築の最初の一例となった。
建築のモデルは兵士たちを周辺で行進させ、地震に見立てて試験が行われた。注目されるポンパリーナ構造には「ポンパリーナ・ケージ」も含まれ、地震の力を分散することを目的とした対称的な木製の格子状の骨組みと、火災の広がりを防ぐためテラス間の壁が屋根材より高く造られた特徴が含まれる。
ベレン地区は多くの偉大なポルトガルの探検家が発見の旅に出た場所として有名である。特にヴァスコ・ダ・ガマは1497年にインドへ向けここから旅立ち、ペドロ・アルヴァレス・カブラルは1499年にブラジルへ向け旅立った。以前の王室の宮殿であった、17 - 18世紀を特徴づけるベレン宮殿があり、現在ではポルトガル大統領の官邸で、アジュダ宮殿は1802年に始まったが未完のままである。ベレン地区でもっとも有名で特徴となる塔はベレンの塔で、そのイメージはリスボンの観光局でずっと使われている。この塔は要塞化された灯台としてマヌエル1世(1515 - 1520)の統治期に建てられ、港の船の出入りを監視していた。この塔はテージョ川の右側の小さな島に建っていて、周囲は水辺である。ベレンのほかの有名な歴史的建築物にはジェロニモス修道院があり、ベレンの塔はこの建物の一部を守るためにも建てられている。ベレンでもっとも現代的な特徴を持つのは発見のモニュメントである。ベレンの中心はインペリオ広場(Praça do Império)で、大噴水を中心とした庭園は第二次世界大戦時に設計された。庭園の西側はベレン文化センター(英語版)である。ベレン地区はもっとも人が訪れるリスボンの地区の1つである。
シアードは従来からのショッピングエリアで、昔からの店や現代の店が混ざりカモル通りやガレット通りに特に集中している。地元の人や観光客はシアードで本や服、陶器類を買ったりカフェを楽しんだりしている。シアードでもっとも有名なカフェにはカフェ・ア・ブラジレイラ(英語版)があり、常連客にはフェルナンド・ペソアもいた。いくつかの建物は1988年の火災により焼失し、これはポルトガル国民に深い衝撃を与えた。著名な建築家であるアルヴァロ・シザがコーディネートした10年を超える再建計画によって、影響を受けた地区は復興している。
バロック様式と新古典主義建築のエストレラ大聖堂はこの地区のメインとなる呼び物である。巨大な教会には大きなドームを擁し、リスボン西部の丘の上に建っており遠方からでもよく見ることができる。建築様式はマフラ国立宮殿に似ており、後期バロック様式と新古典主義建築である。ファサードは2つの鐘楼に聖人や寓意的な彫刻が含まれる。サン・ベント宮殿には共和国議会と首相公邸があり、この地区にある。
パルケ・ダス・ナソンイス(Parque das Nações)はリスボンの新興地区で、リスボン国際博覧会からつながる都市再生計画でExpo'98としても知られる。この地区は大きく変化し、パルケ・ダス・ナソンイスには未来的な容貌を与えている。長い間変わらなかった地域は、リスボンの新しいショッピングエリアやハイエンドな住宅地に変貌した。地区の中心部にはオリエンテ駅があり、リスボンの主要な鉄道やバス、タクシー、地下鉄の交通の中枢になっている。ガラスやスチールの円柱はゴシック様式に触発されたもので、全体の構造は日差しや夜のイルミネーションにより視覚に魅力を与えている。駅のデザインはバレンシアの建築家サンティアゴ・カラトラバによる。通りはヴァスコ・ダ・ガマ・モールから博覧会の会場であった国際公園(Parque das Nações)へ続いている。地区には新しい建物につながるペデストリアンデッキやレストラン、庭園、リスボンカジノ、国際見本市会場(FIL)、カモンイス劇場、リスボン水族館がある。アトランティコ・パビリオンはリスボンの多目的アリーナになっており2万人が収容でき、コンサートやバスケットボールのトーナメント戦などに使用されている。
考古学的な発見から、フェニキア人の影響は紀元前1200年にさかのぼることが提唱され、おもな歴史家はフェニキア人の交易地が現代の都市の中心である城丘の南斜面辺りを占めていた可能性があると考えている。テージョ川の河口に保護された港は、集落やシリー諸島やコーンウォールへ航海するフェニキア人の船に安全な港を提供するには理想的な場所であった。新しい街はフェニキア語で安全な港を意味するAllis Ubboと名付けられた可能性があり、リスボンの元になる地名学の説の一つとなっている[18] 。ほかの説では集落がローマ以前のテージョ川の名称(LissoやLucio)を取ったことが提唱されている。テージョ川の集落は内陸部の部族にとって、貴金属や塩、彼らが獲った塩漬けの魚の販路や古代に著名であったルシターノ(英語版)馬を売るなど交易の中心として重要であった。中世のリスボン大聖堂の下から紀元前8世紀からのフェニキアの遺跡が発見されたが、現代の歴史家は遺跡は古代の先住民の集落(オッピドゥム)の1つで、せいぜいそれは陶器や工芸品によりフェニキア人との商業的なつながりであったと考えている[19]。
リスボンの名称は地理学者でヒスパニア出身のポンポニウス・メラ(英語版)により、ラテン語でUlyssippoで書かれた。その後、ガイウス・プリニウス・セクンドゥスにより「Olisippo」と言及され、ギリシャ人はOlissipo (Ολισσιπών) やOlissipona (Ολισσιπόνα)と言及した[20]。伝説によれば、この地はオデュッセウスにちなんで命名され、入植地は彼がギリシャとの連合から逃れるためイリオスから去ったあとに創建された[21][22]。のちにギリシャ名は俗ラテン語にOlissiponaの形式で表れている。
ポエニ戦争中のハンニバルの敗北に続いて、ローマはカルタゴのもっとも価値がある領地であるヒスパニアを奪うことを決意した。ヒスパニア東部でスキピオ・アフリカヌスにより敗北したカルタゴの軍隊は、デキムス・ユニウス・ブルートゥス・カッライクスがリードする西部の和平を許している。デキムスはオリシッポOlissipoの同盟(北西部のケルト人の部族に対抗するためローマ軍団と一緒に戦う男を派遣する)を獲得し、Municipium Cives Romanorum Felicitas Juliaとして帝国に統合された。地元の権威者は50キロメートルにわたり自らの支配が認められ、税の免除や市民にはローマ市民権の特権が付与されローマの属州であるルシタニアに統合されている。ルシタニアの主都はエミレタ・アウグスタ(英語版)であった。ローマの支配していた期間には、ルシタニア人(英語版)の襲撃や反乱から入植地の周りには壁の建設を必要とした。
アウグストゥスの統治の時代、ローマ人は巨大な劇場やカシアンの浴場、ユーピテルやディアーナ、キュベレー、テーテュースやフリギアの概念(小アジアからの珍しいカルト)からの神殿、それらに加えて皇帝への神殿やフィゲイラ広場の下の大きなネクロポリスやフォルム、インスラなど城丘と歴史的な都市の中心部の間に建てた[23]。
都市は海賊を排除して進んだ技術を取り入れ、フェリキタス・ユリア(Felicitas Julia)はローマの属州であるブリタニアの、特にコーンウォールやラインとの交易の中心となった。経済は力強く、オリッシポ(Olissipo)はガルム(魚醤の1種で、帝国のエリート層に珍重されアンフォラでローマに輸出されていた)やワイン、塩、馬の繁殖で知られ、ローマの文化は後背地に浸透しつつあった。幅の広い街道によりヒスパニア西部やほかの大都市であるヒスパニア・タッラコネンシスのブラカラ・アウグスタ(現代のブラガ)、ルシタニアの主都であるエメリタ・アウグスタ(英語版)(現代のスペインのメリダ)と結ばれていた。都市はJuliiとCassiaeの2つの一族が占める寡頭制の議会によって支配されていたが、地方の統治はローマの名誉総督か皇帝のティベリウスによるものであった。住民の大半がラテン語の話者というなかで、大きなマイノリティーのギリシャ人の商人や奴隷も暮らしていた。
オリッシポは帝国西側のもっとも大きな都市のように、キリスト教普及の中心であった。最初のリスボン総主教(英語版)がPotamius(356年)であった証明や、いくらかの殉教者がキリスト教迫害の時期にありメリダのエウラリアなどは重要な例である。当時のローマ帝国の衰退(英語版)により、オリッシポは重要なキリスト教の中心となっていった。
ローマ帝国の崩壊に続いて、蛮族の侵入があり409年から429年に街は連続してサルマタイやアラン人、ヴァンダル族に支配された。スエビ族はガラエキア(英語版)(現代のガリシア州やポルトガル北部)に王国を制定し首都をブラカラ・アウグスタ(Bracara Augusta)に置いて、リスボン地域は585年まで支配下に置いていた。585年、スエビの王国はゲルマン系の西ゴート族のトレドの王国に一体化された。この王国はイベリア半島のすべてを構成しており、リスボンはその当時ウリシュボナ(Ulishbona)と呼ばれていた。
711年8月6日、リスボンはムーア人の勢力の手に落ちた。これらの征服者のほとんどは北アフリカや中東からのベルベル人やアラブ人で、多くのモスクや住宅が建てられ Cerca Mouraで知られる城壁が再建され支配機構が確立した。ムラディ、キリスト教徒、ベルベル人、アラブ人、ユダヤ人、ザンジュ、サカーリバなど多様な住民はそれぞれの社会的・文化的な生活様式を維持することが許可されていた。モサラベ語はほとんどのキリスト教徒の住民が話す母語であった。イスラム教は慣習として、アラブ人やベルベル人、ザンジュ、サカーリバの公式の宗教であった。キリスト教徒はズィンミーの下では宗教を維持することやジズヤと呼ばれる人頭税と引き換えに居住が認められていた。付加税を支払う見返りに、キリスト教徒とユダヤ人はイスラムの軍に参加するようなイスラム教徒に割り当てられた特定の任務から除外され、その安全はイスラム国家によって保証されていた。それ以外は、キリスト教徒とユダヤ人は財産の法律の下では契約や義務に関してはイスラム教徒と等しかった。
イスラムの影響は現代でもアルファマ地区に残っており、1755年リスボン地震でも生き残った古いリスボンの1地区で、多くの場所の名称がアラビア語からもたらされた。短い期間、リスボンはバダホスのタイファであるRegulo Eslavoの街の中心で、そのときは独立したタイファとしてリスボン・タイファ(英語版)であった。
1108年にリスボンはノルウェーのシグル1世(英語版)が率いる十字軍により攻略されたが、彼らは聖地へ向かうノルウェー十字軍の一環であった。しかし、1111年に再びムーア人のムラービト朝に再征服されている。
1147年にレコンキスタの一環として、アフォンソ1世率いる十字軍の騎士はリスボンの包囲と再征服を行った。当時、リスボンの街には約15万4,000の市民が暮らしていたが、キリスト教の支配に戻った。ポルトガルのレコンキスタやキリスト教の再成立は、リスボンの歴史にとってはもっとも重要な出来事の1つで、年代記である『リスボンの征服に関して(英語版)(Expugnatione Lyxbonensi)』に描写され、地元の聖職者は十字軍により殺され住民は聖母マリアに祈ったと伝えている。アラビア語は街の日常の生活から失われ、多く残っていたイスラム教徒の住民は力ずくでカトリックに改宗させられるか追放され、モスクは破壊されるかキリスト教教会に変えられた。
1179年にリスボンは最初の特許書(フォラル(英語版))を受けたが、アンダルスからは定期的にイスラム教徒の侵略者が住民を捕らえ奴隷にしたり、宝物を奪うなどキリスト教徒が支配するイベリアの王国に挑戦し続けていた。1189年のリスボンに対する襲撃では、ムワッヒド朝のヤアクーブ・マンスールは3,000人の女性や子どもを捕らえて行った[24]。1255年、リスボンは新しいポルトガル人の領土の首都となり、その中心部に位置した。1290年には最初のポルトガルの大学がディニス1世によりリスボンに設立され、長年ストゥディウム・ゲネラーレは断続的にコインブラに移転し、16世紀には恒久的にコインブラ大学として設置された。
中世の最後の世紀にはリスボンの街は大幅に拡張され、北ヨーロッパや地中海の都市両方にとって重要な交易地となった。
15世紀から17世紀の大航海時代、多くのポルトガルの遠征隊がリスボンから旅立っていったが、この中には1497年にインドへ遠征したヴァスコ・ダ・ガマも含まれる。1506年には3,000人のセファルディムのユダヤ人が虐殺された[25]。16世紀はリスボンの黄金期で、リスボンの街は航海で獲得した豊富な香辛料や奴隷、砂糖、織物、ほかのさまざまな商品により、ヨーロッパとアフリカ、インド、極東、のちにはブラジル植民地(英語版)との交易の中心であった。この時代、豊富なマヌエル様式の建築が盛んになり、多くの16世紀の建築物にはその足跡が残されている。この様式には、ベレンの塔やジェロニモス修道院など世界遺産に登録されている建築物も含まれる。16世紀のリスボンの描写はダミアン=デ=ゴイス(英語版)により書かれ、1554年に著されている[26]。
ポルトガルの独立は1580年のイベリア連合(英語版)のあとに失われている。リスボンでは貴族やブルジョワ階級がクーデターを組織し、1640年12月1日に成し遂げ、ポルトガルの独立は回復したが、それとともにポルトガル王政復古戦争が始まった。1640年の革命により60年間続いたスペイン・ハプスブルク朝の下でのポルトガルとスペインの二重君主制は終わりを迎えたが[27][28]、1640年から1668年の間にポルトガルとスペインの間では定期的な衝突が続き、これと同様に、より深刻な短期間の戦闘がリスボン条約 (1668年)(英語版)が調印されるまで続いた。
18世紀初期、ブラジルからもたらされる金がジョアン5世がバロック様式の教会や劇場を街に建築することを可能にした。
18世紀以前、リスボンはいくつかの大きな地震を経験している。14世紀には8回、16世紀には1531年の1,500戸が破壊された地震や、3つの通りが消えた1597年の地震を含め5回、17世紀には3度起こっている。1755年11月1日にはリスボン地震が起こり、当時人口20万から27万5,000人[29][30]であったリスボン市民のうち、およそ3万から4万人の市民が地震と津波により犠牲になり[31]、市内の建物の85パーセントは破壊された[32]。これによりいくつかの市内の重要な建物が失われ、リベイラ宮殿(英語版)や王立トドス・オス・サントス病院(英語版)は失われている。沿岸部では、リスボンから北へ80キロ離れたペニシェなどでは多くの人が津波にさらわれた。リスボンから南に30キロのセトゥーバルでは、水が建物の2階にまで達している。ポルトガル南部のアルガルヴェでも破壊は著しく、津波が沿岸部の要塞や低地の多くの住居を破壊している。いくつかの地点では津波は30メートルに達していた。アルガルヴェ沿岸の町や村のほとんどは大きな被害に遭っているが、ファロは砂丘により免れた。ラゴシュ(英語版)では波が城壁の一番上まで達している。多くのポルトガルの沿岸は地震そのものの被害よりも津波の破壊的な影響の方が悲惨であった。
1755年のリスボンは当時ヨーロッパでも最大規模の大都市で、この大惨事はヨーロッパ中に衝撃を与え、全体の心理に深い印象を与えた。この地震のあと、市街はポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョの計画によって大規模に再建された。下町ではバイシャ・ポンバリーナの開発が始まり、中世の街を再建する代わりにポンパル侯爵は地震のあとも残っていた建築物を取り壊し、近代的な都市計画の原理に従って中心部を再建することを決めた。2つの長方形の配置の広場であるロシオ広場とコメルシオ広場が再建された。
19世紀の最初の年、ポルトガルはナポレオン・ボナパルトの軍隊に攻め込まれ、マリア1世とジョアン6世は一時的にブラジルに逃れることを余儀なくされた。新しい王がリスボンに戻るころには、多くの建物や資産は侵略者に略奪されるか破壊された。19世紀、リベラルな動きは都市の景色に新たな変化をもたらした。主要な地区であるバイシャやシアード地区ではタバコ店やカフェ、書店、クラブ、劇場、店舗などが急増した。商工業の発展は都市の発展を決定づけ、リベルダーデ大通りは北側に伸び、通り自体はテージョ川から続いている。リスボンは1908年のカルロス1世の暗殺の場所で、これにより2年後に共和国が成立する。
リスボンでは数世紀の休止ののち、1911年に大学が再び設立され、以前の専門学校やほかの大学でない高等教育の学校が改革・統合された。第二次世界大戦中、リスボンはわずかしかなかった中立のヨーロッパの大西洋側の港で、アメリカへ向かう難民にとっては主要な玄関口で、スパイにとっては避難場所であった。10万人を超える難民がナチス・ドイツからリスボンを経由して逃れることができた[33]。
エスタド・ノヴォ統治期(1926 - 1974)、リスボンは膨張しナショナリストやモニュメント的な計画により国内のほかの地域ではコストが嵩んだ。新しい住宅や公共の開発が建設され、ベレン地区では1940年のポルトガル博のために変えられ、人口増加により外周に沿って新しい住地区が現れた。20世紀にはリスボンは3度の革命が起こっている。最初は1910年10月5日革命で、これによりポルトガルの君主制が終わり、非常に不安定で汚職の多いポルトガル第一共和政が成立した。1926年5月28日クーデターにより第一共和政は終わりを告げ、独裁ながら安定したエスタド・ノヴォまたはポルトガル第二共和政が統治することになった。最後の革命は1974年4月25日に起こったカーネーション革命で、右翼のエスタド・ノヴォは終わり、改革が行われ現在のポルトガル第三共和政となった。
1990年代、多くの地区は改修され歴史的な地区では近代化の計画が制定された。いくつかの地区では建築様式や遺産となる建物の再取得、テージョ川の北側周辺ではレジャーや住宅などに用途変更、ヴァスコ・ダ・ガマ橋の建設、市の東側の地区ではリスボン国際博覧会のために用途の変更などが行われ、博覧会はヴァスコ・ダ・ガマがインドに向けての航海から500年を記念して開催されている。1988年に火災により多くのシアード地区の18世紀のポンバル様式(英語版)が焼失した。一連の修復により地区は以前の姿を取り戻し、高水準のショッピング地区になっている。
リスボン戦略(英語版)は欧州連合の経済に新しい活力を与えるための欧州連合の協定で、リスボンで2000年3月に調印された。2007年10月にリスボンでは欧州理事会が開催され、欧州連合の新しいガバナンスモデルについて合意に達した。その結果、リスボン条約は2007年12月13日に署名され、2009年12月1日に発行した。
リスボンの市域人口は2011年現在54万7,631人で、リスボン都市圏(英語版)の人口は国立統計機関(Instituto Nacional de Estatística)によれば280万人以上であった[6]。リスボン都市圏は2つのNUTS III(地域統計分類単位)が含まれ、大リスボン圏(英語版)はテージョ川の北岸に沿っており、セトゥーバル半島圏(英語版)は南岸に沿っている。この2つの地域を合わせてNUTS IIのリスボン地域(英語版)が構成されている。リスボン市域自体の人口密度は、1平方キロメートルあたり6,458人である。
リスボンの 人口推移 | ||
---|---|---|
年 | 人口 | ±% |
43 | 30,000 | — |
900 | 100,000 | +233.3% |
1552 | 200,000 | +100.0% |
1598 | 150,000 | −25.0% |
1720 | 185,000 | +23.3% |
1755 | 180,000 | −2.7% |
1756 | 165,000 | −8.3% |
1801 | 203,999 | +23.6% |
1849 | 174,668 | −14.4% |
1900 | 350,919 | +100.9% |
1930 | 591,939 | +68.7% |
1960 | 801,155 | +35.3% |
1981 | 807,937 | +0.8% |
1991 | 663,394 | −17.9% |
2001 | 564,657 | −14.9% |
2011 | 545,245 | −3.4% |
ほとんどの大都市のように、リスボンでも多くの衛星都市や郊外が周辺部に広がっており、およそ100万人以上の人々が毎日ビジネスや雇用によりそれぞれの場所からリスボンへやって来ている。カスカイスやエストリルはナイトライフでもっとも活気がある近隣の町の一つである。シントラやマフラでは美しい邸宅や景色、歴史的な場所を見ることができる。ほかのリスボン周辺の主要な自治体には、アマドーラ、オエイラス(英語版)、オディヴェーラス(英語版)、オディヴェーラス(英語版)、ロウレス(英語版)、ヴィラ・フランカ・デ・シーラ(英語版)やテージョ川南岸の三角州のアルマダ、バレイロ、セイシャル(英語版)がある。
リスボン地域(英語版)はポルトガルの地域では一番富裕な地域で、欧州連合の平均GDPを上回っており、ポルトガルのGDPの45パーセントを生み出している。リスボンの経済はおもに第三次産業を基盤としている。ポルトガルで事業が行われている多国籍企業の本社のほとんどは大リスボン圏(英語版)に置かれ、特にオエイラス(英語版)は顕著である。リスボン都市圏(英語版)は工業化が進んだ地域で、特にテージョ川南岸は著しい。
欧州金融危機以前のリスボン地域の経済は急速な経済成長を示しており、GDP PPPは2万2,745ユーロ(2004)[34] – 2万3,816ユーロ(2005)[35] – 2万5,200ユーロ(2006)[36] – 2万6,100ユーロ(2007)[37]と推移していた。リスボン都市圏地域のGDPは2014年時点で963億ドルで、1人当たりでは3万2,434ドルである[38]。
リスボンはヨーロッパ大陸においては、金融部門の成長や欧州の大西洋沿岸では1位や2位を占めるコンテナ港があることから主要な経済センターの一つである[39]。
ユーロネクスト・リスボン証券取引所はアムステルダムやブリュッセル、パリなどの証券取引所とともに運営されているユーロネクストの一部である。リスボンの工業で石油は大きな部門を占め、テージョ川を流域では製油所や織物工場、製粉所、造船所、漁業などがみられる。
ソブリン危機のEU-IMF救済プラン前には2010年代の10年間に多くの国の公共投資を受けることが予想され、その中には新空港の建物や新しい橋、30キロメートルに及ぶ地下鉄の拡張、巨大な病院建設、マドリードやポルト、ビーゴやほかの欧州地域とを結ぶ高速鉄道の接続、町の主要部分の再整備(Marquês de Pombalの交差路からテレイロ・ド・パソの間)、多くの自転車レーン、施設の近代化や改修が含まれていた[40]。
リスボンの公共交通網は非常に広範囲に広がる。リスボンメトロは総延長45.5キロメートルに達し、リスボンの動脈として内陸部や東部の地区を結んでおり、現在では郊外部や空港にも通じている。路線の拡張計画では北部や西部の地区と結ぶ計画もある。バス、ケーブルカー、路面電車の運営はCompanhia de Carris de Ferro de Lisboa(通称、Carris)により1世紀以上にわたって行われている。
リスボンの従来からの公共交通機関には路面電車があり、19世紀に導入された当初はアメリカから輸入されたものであった。まれにamericanosと呼ばれることもあった。初期のトラムは現在でもカリス博物館(公共交通博物館)で見ることができる。現代的な車両が走る15系統以外は、リスボンの市電は4つの車輪を使った20世紀初期にさかのぼる小さな車両が使われている。これらの特徴的な黄色の市電は観光客にとっては現代のリスボンの象徴の一つで、その大きさは急な坂や市街地中心の狭い通りに適している[41][42]。リスボンには近代的なライトレールの路線はないが、郊外部では新たな路線も計画されている。
ポルトガル鉄道が運行するリスボン近郊鉄道が、アザンブジャ線、シントラ線、カスカイス線、サド線の4路線で運行されており、都心部と郊外を結んでいる。また、私鉄のフェルタグスがテージョ川に架かる4月25日橋を渡りセトゥーバルとの間の路線を運行している。リスボンの主要駅はポルトガルを南北に縦断する本線上にあるオリエンテ駅、ローマ・アレエイロ駅、エントレカンポス駅、セッテ・リオス駅であり、その他カイス・ド・ソドレ駅、サンタ・アポローニャ駅、ロシオ駅などがある。
リスボンからの路線バスはVimeca[43] 、Rodoviaria de Lisboa[44] 、Transportes Sul do Tejo[45]、 Boa Viagem[46] 、Barraqueiro[47]などの主要な運行事業者により行われ、 市内の異なったターミナルから運行されている。
リスボンからは郊外部やポルトガル各地に向けて高速道路網が伸びている。周辺部には2ª 、CRIL、 CRELの3つの環状線が通る。
リスボンは2つの重要な橋によりテージョ川を渡った地点と結ばれている。
テージョ川に架かる3つ目の橋の基礎はすでに敷設されているが、ポルトガルやヨーロッパ全体の経済危機のため全体の計画は延期されている。
テージョ川を渡るほかの手段としてフェリーも使われている。フェリーの運営事業者であるTranstejo-Soflusa[48]はリスボンのそれぞれ異なった地点からカシーリャス(英語版)、セイシャル(英語版)、モンチジョ(英語版)、ポルト・ブランダン(英語版)、トラファリア(英語版)の間はTranstejoのブランドで、バレイロへはSoflusaのブランド名でそれぞれ運航している。
ウンベルト・デルガード空港は市域に位置している。同空港にはTAP ポルトガル航空が本社や拠点を置いており、イージージェットやSATAインターナショナル(英語版)、ユーロアトランティック航空(英語版)、ポルトガリア航空、ホワイト・エアウェイズ、ハイフライ航空も拠点を置いている。新リスボン空港(英語版)の建設が提案されたが、ポルトガルやヨーロッパの経済危機、新空港の必要性に関する長い議論のため計画は保留されている。
ポルトガル鉄道の近郊電車
リスボンメトロ
カリスのトラムと路線バス
トラムの新しい車両
ケーブルカー
ポルテラ空港
4月25日橋
近郊電車路線
地下鉄路線
トラム路線
リスボン市内にはさまざまな私立や公立の小中学校や幼稚園があり、大リスボン圏地域には聖ジュリアン学校(英語版)やリスボン・カールッチ・アメリカンインターナショナルスクール(英語版)、聖ドミニク・インターナショナルスクール(英語版)、リスボンドイツ学校(英語版)、Instituto Español de Lisboa、Lycée Français Charles Lepierreなどのインターナショナルスクールがある。
リスボンには、3つの主要な公立大学がある。リスボン大学はリスボンでは一番古い大学で、1911年に設立され旧リスボン大学とも呼ばれる。リスボン工科大学(英語版)は1930年、新リスボン大学(英語版)は1973年に設立され、あらゆる学問分野の学位を提供している。国が運営するISCTEリスボン(英語版)、ポリテクニック(英語版)、リスボン工科大学(英語版)がある。私立の主要な大学にはポルトガルカトリック大学(英語版)、ルジアダ大学(英語版)、ルゾフォナ大学(英語版)、リスボン自治大学(英語版)などがあり、ほかにもさまざまな大学や機関がある。
2007 - 2008年の学期年でリスボンの高等教育機関に在籍している学生数は12万5,867人で、うち8万1,507人は公立の機関であった[49]。
リスボンではロマネスク建築、ゴシック建築、マヌエル様式、バロック、モダニズム、ポストモダンなど豊富な建築様式を市内中で見ることができる。市内では特に上町の地区で大通りに沿って歴史的な広い並木道やモニュメントが交わっており、リベルダーデ大通り(Avenida da Liberdade)やフォンテス・ペレイラ・デ・メロ通り(Avenida Fontes Pereira de Melo)、アルミランテ・レイス通り(Avenida Almirante Reis)、共和国通り(Avenida da República)などは目を引く。
リスボンでは多くの博物館も訪れることができ、有名なものの中には国立古美術館、国立アズレージョ博物館(英語版)、グルベンキアン美術館(英語版)、国立衣装・ファッション博物館(英語版)、ベラルド現代近代美術館(英語版)、ベレン文化センター(英語版)、リスボン電力博物館(英語版)、国立馬車博物館(英語版)、国立東洋博物館(英語版)、ピメンタ宮殿(英語版)などがある。
リスボンのオペラハウスであるサン・カルルシュ国立劇場は、おもに秋や冬に文化的な日程が組まれ活動している。ほかの主要な劇場や音楽堂にはベレン文化センター、マリア2世国立劇場、カルースト・グルベンキアン財団、'Teatro Camõesがある。クリスト=レイ像はテージョ川南岸のアルマダに建てられているが、両手を広げ市街を見下ろす像はリオ・デ・ジャネイロにあるコルコバードのキリスト像に似ており、第二次世界大戦後にポルトガルが戦争の恐怖や破壊から免れたことの感謝を記念して建てられた。
エドゥアルド7世公園(英語版)はリスボン市内ではモンサント森林公園に次いで2番目に広く、下にはリベルダーデ通りが続いており、多くの花壇や緑地があり常設の熱帯植物園エストゥファフリア(ポルトガル語: Estufa Fria)がある。公園の元の名称は自由公園(Parque da Liberdade)で、1903年にリスボンを訪問したエドワード7世に敬意を示し改名された。
6月13日はリスボンのアントニオ(ポルトガル語: Santo António)の祝日である。リスボンのアントニオはパドヴァの聖アントニオとして知られ、裕福なポルトガルの貴族の子として生まれたが、のちに教会博士として貧しい人々に説教をし死後、列聖され聖人となった。皮肉にもサラゴサのヴィセンテはリスボンの守護聖人としてリスボン大聖堂に残されているが、この聖人に関連づけられた祭典はない。
リスボンでは毎年、リスボンゲイ・レズビアン映画祭(英語版)[50] が開催されているほか、ロック・イン・リオが5回(2004、2006、2008、2010、2012年)開催されている。ロック・イン・リオは世界でも最大規模のポップやロックの祭典である。 リスボンではリスボンアーキテクチャトリエンナーレ[51] 、ファッション・リスボン[52]、ExperimentaDesign[53]、LuzBoa[54]などが主催されている。
ポルトガル式歩道(Calçada Portuguesa、ポルトガル風舗装)は1800年代半ばにリスボンで生まれ、この技術はポルトガル語圏に広まった。市内ではもっとも広範囲に残る技法で、すべての歩道や多くの通りはこのスタイルで作られ維持されている。ポルトガルの都市では、リスボンはExpresso紙が毎年発行する生活条件の調査でもっとも住みやすい都市と見られている[55]。
リスボンには長いスポーツの伝統がある。ギリシャが優勝したUEFA EURO 2004の決勝や、2001年世界室内陸上競技選手権大会、1983年と1992年に開催された欧州フェンシング選手権(英語版)、2003年世界男子ハンドボール選手権、2008年欧州柔道選手権(英語版)などメジャーな競技大会が開催されている。2006年から2008年にかけて、リスボンはダカール・ラリーのスタート地点であった。
リスボンにはスーペル・リーガでプレーするプロサッカークラブの3チームがホームとしている。SLベンフィカはベンフィカBenficaとして広く知られ、32のリーグタイトルを獲得しており、これに加えUEFAチャンピオンズカップを2度制している。リスボンで2番目に成功しているクラブにはスポルティングCPで、18のリーグタイトルと1964年のUEFAカップウィナーズカップを獲得している。3つ目のクラブはCFベレネンセスで、ベレン地区をホームとしており、リーグ優勝は1度だけである。
サッカー以外にはインドアアメリカンフットボール(英語版)、バスケットボール、ローラーホッケーもまた人気である。リスボンにはゴルフや陸上、マウンテンバイクなどさまざまなスポーツ施設がある。毎年3月にはリスボンハーフマラソン(英語版)が開催され、9月にはポルトガルハーフマラソン(英語版)が開催される。
リスボンにはUEFAスタジアムカテゴリー4に対応したスタジアムが2か所あり、エスタディオ・ダ・ルスは収容人数が6万5,000人を超え、エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデは5万人以上を収容可能である。ほかにはエスタディオ・ド・レステロ(英語版)があり、収容人数は3万人を超える。エスタディオ・ナシオナルはオエイラス(英語版)の近くにあり、3万7,000人を収容でき、サッカーポルトガル代表の国際試合やカップの決勝戦に限って大きなスタジアムが市内に建設されるまで使われていた。1967年ヨーロピアンカップ決勝戦(英語版)が開催された。
リスボンは以下の都市と姉妹都市の関係を結んでいる[56]。
コメルシオ広場
ヴァスコ・ダ・ガマ橋
ジェロニモス修道院
発見のモニュメント
ベレンの塔
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Lisbon Lisboa | |
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Capital city | |
Clockwise from top left: Avenida da Liberdade and Eduardo VII Park, view of Praça do Comércio with Alfama in the background, Lisbon Cathedral, view from São Jorge Castle, Belém Tower and Parque das Nações with Vasco da Gama Bridge | |
Flag Coat of arms | |
Etymology: Lisboa, Portuguese derivative of Latin Ulyssippo after Ulysses; and/or Roman Olissipona, for the name of the Tagus | |
Nickname(s): Cidade das Sete Colinas (The City of Seven Hills) – Rainha do Mar (Queen of the Sea) – A Cidade da Luz (The City of the Light) | |
Motto(s): Muito Nobre e Sempre Leal (Very Noble and Always Loyal) | |
Lisbon Location within Portugal Show map of PortugalLisbon Location within Europe Show map of Europe | |
Coordinates: 38°43′31″N 9°09′00″W / 38.7252668°N 9.1500193°W / 38.7252668; -9.1500193Coordinates: 38°43′31″N 9°09′00″W / 38.7252668°N 9.1500193°W / 38.7252668; -9.1500193 | |
Country | Portugal |
Metro | Lisbon metropolitan area |
District | Lisbon |
Historic province | Estremadura |
Settlement | c. 1200 BCE |
Roman Olissipo | c. 138 BCE |
Moorish rule | 711 CE |
Siege of Lisbon | 1147 CE |
Civil parishes | (see text) |
Government | |
• Type | LAU |
• Body | Concelho/Câmara Municipal |
• Mayor | Fernando Medina |
• Municipal chair | Helena Roseta |
Area | |
• Capital city | 100.05 km2 (38.63 sq mi) |
• Urban | 1,376 km2 (531 sq mi) |
• Metro | 3,015.24 km2 (1,164.19 sq mi) |
Elevation | 2 m (7 ft) |
Population (2017) | |
• Capital city | 505,526[1] |
• Urban | 2,700,000[3] |
• Metro | 2,827,514[1][2] |
Demonym(s) | Lisboeta Olissiponense Alfacinha (colloquial) |
Time zone | UTC (WET) |
• Summer (DST) | UTC+1 (WEST) |
Postal zone | 1149-014 Lisboa |
Area code(s) | (+351) 21 XXX-XXXX |
Patron saint | Vincent of Saragossa and Anthony of Lisbon |
Municipal address | Praça do Município, 1 1149-014 Lisboa |
Municipal holidays | 13 June (St. Anthony's Day) |
Website | www.cm-lisboa.pt |
Lisbon (/ˈlɪzbən/; Portuguese: Lisboa [liʒˈboɐ] (listen))[4] is the capital and the largest city of Portugal, with an estimated population of 505,526[1] within its administrative limits in an area of 100.05 km2.[5] Lisbon's urban area extends beyond the city's administrative limits with a population of around 2.8 million people, being the 11th-most populous urban area in the European Union.[3] About 3 million people live in the Lisbon metropolitan area, which represents approximately 27% of the country's population.[2] It is mainland Europe's westernmost capital city and the only one along the Atlantic coast. Lisbon lies in the western Iberian Peninsula on the Atlantic Ocean and the River Tagus. The westernmost portions of its metro area form the westernmost point of Continental Europe, which is known as Cabo da Roca, located in the Sintra Mountains.
Lisbon is recognised as an alpha-level global city because of its importance in finance, commerce, media, entertainment, arts, international trade, education and tourism.[6] Lisbon is one of two Portuguese cities (alongside Porto) to be recognised as a global city.[7][8] It is one of the major economic centres on the continent, with a growing financial sector and one of the largest container ports on Europe's Atlantic coast.[9] Additionally, Humberto Delgado Airport served 29 million passengers in 2018, being the busiest airport in Portugal, the 3rd busiest in the Iberian Peninsula and the 20th busiest in Europe.[10] The motorway network and the high-speed rail system of Alfa Pendular links the main cities of Portugal to Lisbon.[11] The city is the 9th-most-visited city in Southern Europe, after Rome, Istanbul, Barcelona, Milan, Venice, Madrid, Florence and Athens, with 3,320,300 tourists in 2017.[12] The Lisbon region has a higher GDP PPP per capita than any other region in Portugal. Its GDP amounts to US$96.3 billion and thus $32,434 per capita.[13][14] The city occupies the 40th place of highest gross earnings in the world.[15] Most of the headquarters of multinational corporations in Portugal are located in the Lisbon area.[16] It is also the political centre of the country, as its seat of government and residence of the head of state.
Lisbon is one of the oldest cities in the world, and the second-oldest European capital city (after Athens), predating other modern European capitals by centuries. Julius Caesar made it a municipium called Felicitas Julia,[17] adding to the name Olissipo. Ruled by a series of Germanic tribes from the 5th century, it was captured by the Moors in the 8th century. In 1147, the Crusaders under Afonso Henriques reconquered the city and since then it has been the political, economic and cultural center of Portugal.
One claim often repeated in non-academic literature is that the name of Lisbon can be traced back to Phoenician times, referring to a supposedly Phoenician term Alis-Ubo, meaning "safe harbour".[18] Although modern archaeological excavations show a Phoenician presence at this location since 1200 BC,[19] this folk etymology has no historical credibility.
Lisbon's name may, in fact, have been derived from Proto-Celtic or Celtic Olisippo, Lissoppo, or a similar name which other visiting peoples like the ancient Phoenicians, Greeks and Romans adapted accordingly, such as the pre-Roman appellation for the Tagus River, Lisso or Lucio. Classical authors writing in Latin and Greek, including Strabo, Solinus, and Martianus Capella,[20][21] referred to popular legends that the city of Lisbon was founded by the mythical hero Ulysses (Odysseus).[22] [23] Lisbon's name was written Ulyssippo in Latin by the geographer Pomponius Mela, a native of Hispania. It was later referred to as "Olisippo" by Pliny the Elder and by the Greeks as Olissipo (Ὀλισσιπών) or Olissipona (Ὀλισσιπόνα).[24][25]
Lisbon's name is commonly abbreviated as 'LX' or 'Lx', originating in an antiquated spelling of Lisbon as ‘‘Lixbõa’’.[26] While the old spelling has since been completely dropped from usage and goes against modern language standards, the abbreviation is still commonly used.
During the Neolithic period, the region was inhabited by Pre-Celtic tribes, who built religious and funerary monuments, megaliths, dolmens and menhirs, which still survive in areas on the periphery of Lisbon.[27] The Indo-European Celts invaded in the 1st millennium BC, mixing with the Pre-Indo-European population, thus giving rise to Celtic-speaking local tribes such as the Cempsi.
Although the first fortifications on Lisbon's Castelo hill are known to be no older than the 2nd century BC, recent archaeological finds have shown that Iron Age people occupied the site from the 8th to 6th centuries BC.[28][29][30] This indigenous settlement maintained commercial relations with the Phoenicians, which would account for the recent findings of Phoenician pottery and other material objects. Archaeological excavations made near the Castle of São Jorge (Castelo de São Jorge) and Lisbon Cathedral indicate a Phoenician presence at this location since 1200 BC,[19] and it can be stated with confidence that a Phoenician trading post stood on a site[31][32] now the centre of the present city, on the southern slope of Castle hill.[33] The sheltered harbour in the Tagus River estuary was an ideal spot for an Iberian settlement and would have provided a secure harbour for unloading and provisioning Phoenician ships.[34] The Tagus settlement was an important centre of commercial trade with the inland tribes, providing an outlet for the valuable metals, salt and salted-fish they collected, and for the sale of the Lusitanian horses renowned in antiquity.
According to a persistent legend, the location was named for the mythical Ulysses, who founded the city when he sailed westward to the ends of the known world.[35]
Following the defeat of Hannibal in 202 BC during the Punic wars, the Romans determined to deprive Carthage of its most valuable possession: Hispania (the Iberian Peninsula). The defeat of Carthaginian forces by Scipio Africanus in Eastern Hispania allowed the pacification of the west, led by Consul Decimus Junius Brutus Callaicus. Decimus obtained the alliance of Olissipo (which sent men to fight alongside the Roman Legions against the northwestern Celtic tribes) by integrating it into the empire, as the Municipium Cives Romanorum Felicitas Julia. Local authorities were granted self-rule over a territory that extended 50 kilometres (31 miles); exempt from taxes, its citizens were given the privileges of Roman citizenship,[17] and it was then integrated with the Roman province of Lusitania (whose capital was Emerita Augusta).
Lusitanian raids and rebellions during Roman occupation required the construction of a wall around the settlement. During Augustus' reign, the Romans also built a great theatre; the Cassian Baths (underneath Rua da Prata); temples to Jupiter, Diana, Cybele, Tethys and Idea Phrygiae (an uncommon cult from Asia Minor), in addition to temples to the Emperor; a large necropolis under Praça da Figueira; a large forum and other buildings such as insulae (multi-storied apartment buildings) in the area between Castle Hill and the historic city core. Many of these ruins were first unearthed during the mid-18th century (when the recent discovery of Pompeii made Roman archaeology fashionable among Europe's upper classes).
The city prospered as piracy was eliminated and technological advances were introduced, consequently Felicitas Julia became a center of trade with the Roman provinces of Britannia (particularly Cornwall) and the Rhine. Economically strong, Olissipo was known for its garum (a fish sauce highly prized by the elites of the empire and exported in amphorae to Rome), wine, salt, and horse-breeding, while Roman culture permeated the hinterland. The city was connected by a broad road to Western Hispania's two other large cities, Bracara Augusta in the province of Tarraconensis (Portuguese Braga), and Emerita Augusta, the capital of Lusitania. The city was ruled by an oligarchical council dominated by two families, the Julii and the Cassiae, although regional authority was administered by the Roman Governor of Emerita or directly by Emperor Tiberius. Among the majority of Latin speakers lived a large minority of Greek traders and slaves.
Olissipo, like most great cities in the Western Empire, was a center for the dissemination of Christianity. Its first attested Bishop was Potamius (c. 356), and there were several martyrs during the period of persecution of the Christians: Verissimus, Maxima, and Julia are the most significant examples. By the time of the Fall of Rome, Olissipo had become a notable Christian center.
Following the disintegration of the Western Roman Empire there were barbarian invasions; between 409 and 429 the city was occupied successively by Sarmatians, Alans and Vandals. The Germanic Suebi, who established a kingdom in Gallaecia (modern Galicia and northern Portugal), with its capital in Bracara Augusta, also controlled the region of Lisbon until 585. In 585, the Suebi Kingdom was integrated into the Germanic Visigothic Kingdom of Toledo, which comprised all of the Iberian Peninsula: Lisbon was then called Ulishbona.
On 6 August 711, Lisbon was taken by Muslim forces. These conquerors, who were mostly Berbers and Arabs from North Africa and the Middle East, built many mosques and houses, rebuilt the city wall (known as the Cerca Moura) and established administrative control, while permitting the diverse population (Muladi, Mozarabs, Berbers, Arabs, Jews, Zanj and Saqaliba) to maintain their socio-cultural lifestyles. Mozarabic was the native language spoken by most of the Christian population although Arabic was widely known as spoken by all religious communities. Islam was the official religion practised by the Arabs, Berbers, Zanj, Saqaliba and Muladi (muwalladun).
The Muslim influence is still visible in the Alfama district, an old quarter of Lisbon that survived the 1755 Lisbon earthquake: many place-names are derived from Arabic and the Alfama (the oldest existing district of Lisbon) was derived from the Arabic "al-hamma".
For a brief time Lisbon was an independent Muslim kingdom known as the Taifa of Lisbon (1022–1094), before being conquered by the larger Taifa of Badajoz.
In 1108 Lisbon was raided and occupied by Norwegian crusaders led by Sigurd I on their way to the Holy Land as part of the Norwegian Crusade and occupied by crusader forces for three years.[37] It was taken by the Moorish Almoravids in 1111.
In 1147, as part of the Reconquista, crusader knights led by Afonso I of Portugal besieged and reconquered Lisbon. The city, with around 154,000 residents at the time, was returned to Christian rule. The reconquest of Portugal and re-establishment of Christianity is one of the most significant events in Lisbon's history, described in the chronicle Expugnatione Lyxbonensi, which describes, among other incidents, how the local bishop was killed by the crusaders and the city's residents prayed to the Virgin Mary as it happened. Some of the Muslim residents converted to Roman Catholicism and most of those who did not convert fled to other parts of the Islamic world, primarily Muslim Spain and North Africa. All mosques were either completely destroyed or converted into churches. As a result of the end of Muslim rule, spoken Arabic quickly lost its place in the everyday life of the city and disappeared altogether.
With its central location, Lisbon became the capital city of the new Portuguese territory in 1255.
The first Portuguese university was founded in Lisbon in 1290 by King Denis I; for many years the Studium Generale (General Study) was transferred intermittently to Coimbra, where it was installed permanently in the 16th century as the University of Coimbra.
In 1384, the city was besieged by King Juan I of Castille, as a part of the ongoing 1383–1385 Crisis. The result of the siege was a victory for the Portuguese led by Nuno Álvares Pereira.
During the last centuries of the Middle Ages, the city expanded substantially and became an important trading post with both Northern European and Mediterranean cities.
Most of the Portuguese expeditions of the Age of Discovery left Lisbon during the period from the end of the 15th century to the beginning of the 17th century, including Vasco da Gama's expedition to India in 1498. In 1506, 3,000 Jews were massacred in Lisbon.[38] The 16th century was Lisbon's golden era: the city was the European hub of commerce between Africa, India, the Far East and later, Brazil, and acquired great riches by exploiting the trade in spices, slaves, sugar, textiles and other goods. This period saw the rise of the exuberant Manueline style in architecture, which left its mark in many 16th-century monuments (including Lisbon's Belém Tower and Jerónimos Monastery, which were declared UNESCO World Heritage Sites). A description of Lisbon in the 16th century was written by Damião de Góis and published in 1554.[39]
The succession crisis of 1580, initiated a sixty-year period of dual monarchy in Portugal and Spain under the Spanish Habsburgs.[40][41] This is referred to as the "Philippine Dominion" (Domínio Filipino), since all three Spanish kings during that period were called Philip (Filipe). In 1589 Lisbon was the target of an incursion by the English Armada led by Francis Drake, while Queen Elizabeth supported a Portuguese pretender in Antonio, Prior of Crato, but support for Crato was lacking and the expedition was a failure. The Portuguese Restoration War, which began with a coup d'état organised by the nobility and bourgeoisie in Lisbon and executed on 1 December 1640, restored Portuguese independence. The period from 1640 to 1668 was marked by periodic skirmishes between Portugal and Spain, as well as short episodes of more serious warfare until the Treaty of Lisbon was signed in 1668.
In the early 18th century, gold from Brazil allowed King John V to sponsor the building of several Baroque churches and theatres in the city.
Prior to the 18th century, Lisbon had experienced several significant earthquakes – eight in the 14th century, five in the 16th century (including the 1531 earthquake that destroyed 1,500 houses and the 1597 earthquake in which three streets vanished), and three in the 17th century.
On 1 November 1755, the city was destroyed by another devastating earthquake, which killed an estimated 30,000 to 40,000 Lisbon residents[42] of a population estimated at between 200,000 and 275,000,[43][44] and destroyed 85 percent of the city's structures.[45] Among several important buildings of the city, the Ribeira Palace and the Hospital Real de Todos os Santos were lost. In coastal areas, such as Peniche, situated about 80 km (50 mi) north of Lisbon, many people were killed by the following tsunami.
By 1755, Lisbon was one of the largest cities in Europe; the catastrophic event shocked the whole of Europe and left a deep impression on its collective psyche. Voltaire wrote a long poem, Poême sur le désastre de Lisbonne, shortly after the quake, and mentioned it in his 1759 novel Candide (indeed, many argue that this critique of optimism was inspired by that earthquake). Oliver Wendell Holmes, Sr. also mentions it in his 1857 poem, The Deacon's Masterpiece, or The Wonderful One-Hoss Shay.
After the 1755 earthquake, the city was rebuilt largely according to the plans of Prime Minister Sebastião José de Carvalho e Melo, the 1st Marquis of Pombal; the lower town began to be known as the Baixa Pombalina (Pombaline central district). Instead of rebuilding the medieval town, Pombal decided to demolish what remained after the earthquake and rebuild the city centre in accordance with principles of modern urban design. It was reconstructed in an open rectangular plan with two great squares: the Praça do Rossio and the Praça do Comércio. The first, the central commercial district, is the traditional gathering place of the city and the location of the older cafés, theatres and restaurants; the second became the city's main access to the River Tagus and point of departure and arrival for seagoing vessels, adorned by a triumphal arch (1873) and monument to King Joseph I.
In the first years of the 19th century, Portugal was invaded by the troops of Napoléon Bonaparte, forcing Queen Maria I and Prince-Regent John (future John VI) to flee temporarily to Brazil. By the time the new King returned to Lisbon, many of the buildings and properties were pillaged, sacked or destroyed by the invaders.
During the 19th century, the Liberal movement introduced new changes into the urban landscape. The principal areas were in the Baixa and along the Chiado district, where shops, tobacconists shops, cafés, bookstores, clubs and theatres proliferated. The development of industry and commerce determined the growth of the city, seeing the transformation of the Passeio Público, a Pombaline era park, into the Avenida da Liberdade, as the city grew farther from the Tagus.
Lisbon was the site of the regicide of Carlos I of Portugal in 1908, an event which culminated two years later in the establishment of the First Republic.
The city refounded its university in 1911 after centuries of inactivity in Lisbon, incorporating reformed former colleges and other non-university higher education schools of the city (such as the Escola Politécnica – now Faculdade de Ciências). Today there are two public universities in the city (University of Lisbon and New University of Lisbon), a public university institute (ISCTE - Lisbon University Institute) and a polytechnic institute (IPL – Instituto Politécnico de Lisboa).
During World War II, Lisbon was one of the very few neutral, open European Atlantic ports, a major gateway for refugees to the U.S. and a haven for spies. More than 100,000 refugees were able to flee Nazi Germany via Lisbon.[46]
During the Estado Novo regime (1926–1974), Lisbon was expanded at the cost of other districts within the country, resulting in nationalist and monumental projects. New residential and public developments were constructed; the zone of Belém was modified for the 1940 Portuguese Exhibition, while along the periphery new districts appeared to house the growing population. The inauguration of the bridge over the Tagus allowed rapid connection between both sides of the river.
Lisbon was the site of three revolutions in the 20th century. The first, the 5 October 1910 revolution, brought an end to the Portuguese monarchy and established the highly unstable and corrupt Portuguese First Republic. The 6 June 1926 revolution would see the end of that first republic and firmly establish the Estado Novo, or the Portuguese Second Republic, as the ruling regime.
The Carnation Revolution, which took place on 25 April 1974, ended the right-wing Estado Novo regime and reformed the country to become as it is today, the Portuguese Third Republic.
In the 1990s, many of the districts were renovated and projects in the historic quarters were established to modernise those areas, for instance, architectural and patrimonial buildings were renovated, the northern margin of the Tagus was re-purposed for leisure and residential use, the Vasco da Gama Bridge was constructed and the eastern part of the municipality was re-purposed for Expo '98 to commemorate the 500th anniversary of Vasco da Gama's sea voyage to India, a voyage that would bring immense riches to Lisbon and cause many of Lisbon's landmarks to be built.
In 1988, a fire in the historical district of Chiado saw the destruction of many 18th-century Pombaline style buildings. A series of restoration works has brought the area back to its former self and made it a high-scale shopping district.
The Lisbon Agenda was a European Union agreement on measures to revitalise the EU economy, signed in Lisbon in March 2000. In October 2007 Lisbon hosted the 2007 EU Summit, where an agreement was reached regarding a new EU governance model. The resulting Treaty of Lisbon was signed on 13 December 2007 and came into force on 1 December 2009.
Lisbon has been the site for many international events and programmes. In 1994, Lisbon was the European Capital of Culture. On 3 November 2005, Lisbon hosted the MTV European Music Awards. On 7 July 2007, Lisbon held the ceremony of the "New 7 Wonders Of The World"[47] election, in the Luz Stadium, with live transmission for millions of people all over the world. Every two years, Lisbon hosts the Rock in Rio Lisboa Music Festival, one of the largest in the world.
Lisbon hosted the NATO summit (19–20 November 2010), a summit meeting that is regarded as a periodic opportunity for Heads of State and Heads of Government of NATO member states to evaluate and provide strategic direction for Alliance activities.[48] The city hosts the Web Summit and is the head office for the Group of Seven Plus (G7+). In 2018 it hosted the Eurovision Song Contest for the first time as well as the Michelin Gala.[49]
Lisbon is located at 38°42′49.75″N 9°8′21.79″W / 38.7138194°N 9.1393861°W / 38.7138194; -9.1393861, situated at the mouth of the Tagus River and is the westernmost capital of a mainland European country.
The westernmost part of Lisbon is occupied by the Parque Florestal de Monsanto (English: Monsanto Forest Park), a 10 km2 (4 sq mi) urban park, one of the largest in Europe, and occupying 10% of the municipality.
The city occupies an area of 100.05 km2 (39 sq mi), and its city boundaries, unlike those of most major cities, coincide with those of the municipality.[50] The rest of the urbanised area of the Lisbon metropolitan area, known generically as Greater Lisbon (Portuguese: Grande Lisboa), extends to the city of Setúbal and includes several administratively defined cities and municipalities, such as Amadora, Queluz, Agualva-Cacém, Odivelas, Loures, Sacavém, Almada, Barreiro, Seixal and Oeiras.
Lisbon has a Mediterranean climate (Köppen: Csa)[51] with mild, rainy winters and warm to hot, dry summers. The average annual temperature is 17.4 °C (63.3 °F), 21.3 °C (70.3 °F) during the day and 13.5 °C (56.3 °F) at night.
In the coldest month – January – the highest temperature during the day typically ranges from 10 to 18 °C (50 to 64 °F), the lowest temperature at night ranges from 3 to 13 °C (37 to 55 °F) and the average sea temperature is 15 °C (59 °F).[52] In the warmest month – August – the highest temperature during the day typically ranges from 25 to 32 °C (77 to 90 °F), the lowest temperature at night ranges from 14 to 20 °C (57 to 68 °F) and the average sea temperature is 20 °C (68 °F).[52]
Among European cities with a population above 500,000, Lisbon ranks among those with the warmest winters (below Valencia or Málaga) and the mildest night time temperatures, with an average of 8.3 °C (46.9 °F) in the coldest month, and 18.6 °C (65.5 °F) in the warmest month. The minimum temperature recorded in Lisbon was −1.2 °C (30 °F) in February 1956 and −1 °C (30 °F) in January 1985. The maximum temperature recorded in Lisbon was 44.0 °C (111.2 °F) on 4 August 2018.[53]
Sunshine hours are 2,806 per year, from an average of 4.6 hours of sunshine duration per day in December to an average of 11.4 hours of sunshine duration per day in July.[54] The annual average rainfall is 774 mm (30.5 in), with November being the wettest month.
Climate data for Lisbon (altitude: 77 m.a.s.l., ~1km from sea, location on map) | |||||||||||||
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Month | Jan | Feb | Mar | Apr | May | Jun | Jul | Aug | Sep | Oct | Nov | Dec | Year |
Average high °C (°F) | 14.8 (58.6) |
16.2 (61.2) |
18.8 (65.8) |
19.8 (67.6) |
22.1 (71.8) |
25.7 (78.3) |
27.9 (82.2) |
28.3 (82.9) |
26.5 (79.7) |
22.5 (72.5) |
18.2 (64.8) |
15.3 (59.5) |
21.3 (70.4) |
Daily mean °C (°F) | 11.6 (52.9) |
12.7 (54.9) |
14.9 (58.8) |
15.9 (60.6) |
18.0 (64.4) |
21.2 (70.2) |
23.1 (73.6) |
23.5 (74.3) |
22.1 (71.8) |
18.8 (65.8) |
15.0 (59.0) |
12.4 (54.3) |
17.4 (63.4) |
Average low °C (°F) | 8.3 (46.9) |
9.1 (48.4) |
11.0 (51.8) |
11.9 (53.4) |
13.9 (57.0) |
16.6 (61.9) |
18.2 (64.8) |
18.6 (65.5) |
17.6 (63.7) |
15.1 (59.2) |
11.8 (53.2) |
9.4 (48.9) |
13.5 (56.2) |
Average rainfall mm (inches) | 99.9 (3.93) |
84.9 (3.34) |
53.2 (2.09) |
68.1 (2.68) |
53.6 (2.11) |
15.9 (0.63) |
4.2 (0.17) |
6.2 (0.24) |
32.9 (1.30) |
100.8 (3.97) |
127.6 (5.02) |
126.7 (4.99) |
774 (30.5) |
Average rainy days (≥ 0.1 mm) | 15.0 | 15.0 | 13.0 | 12.0 | 8.0 | 5.0 | 2.0 | 2.0 | 6.0 | 11.0 | 14.0 | 14.0 | 117.0 |
Mean monthly sunshine hours | 142.6 | 156.6 | 207.7 | 234.0 | 291.4 | 303.0 | 353.4 | 344.1 | 261.0 | 213.9 | 156.0 | 142.6 | 2,806.3 |
Source: Instituto de Meteorologia,[55] Hong Kong Observatory[56] for data of avg. precipitation days & sunshine hours |
The municipality of Lisbon included 53 freguesias (civil parishes) until November 2012. A new law ("Lei n.º 56/2012") reduced the number of freguesias to the following 24:[57]
Locally, Lisbon's inhabitants may commonly refer to the spaces of Lisbon in terms of historic Bairros de Lisboa (neighbourhoods). These communities have no clearly defined boundaries and represent distinctive quarters of the city that have in common a historical culture, similar living standards, and identifiable architectural landmarks, as exemplified by the Bairro Alto, Alfama, Chiado, and so forth.
Although today it is quite central, it was once a mere suburb of Lisbon, comprising mostly farms and country estates of the nobility with their palaces. In the 16th century, there was a brook there which the nobles used to promenade in their boats. During the late 19th century, Alcântara became a popular industrial area, with lots of small factories and warehouses.
In the early 1990s, Alcântara began to attract youth because of the number of pubs and discothèques. This was mainly due to its outer area of mostly commercial buildings, which acted as barriers to the noise-generating nightlife (which acted as a buffer to the residential communities surrounding it). In the meantime, some of these areas began to become gentrified, attracting loft developments and new flats, which have profited from its river views and central location.
The riverfront of Alcântara is known for its nightclubs and bars. The area is commonly known as docas (docks), since most of the clubs and bars are housed in converted dock warehouses.
The oldest district of Lisbon, it spreads down the southern slope from the Castle of São Jorge to the River Tagus. Its name, derived from the Arabic Al-hamma, means fountains or baths. During the Islamic invasion of Iberia, the Alfama constituted the largest part of the city, extending west to the Baixa neighbourhood. Increasingly, the Alfama became inhabited by fishermen and the poor: its fame as a poor neighbourhood continues to this day. While the 1755 Lisbon earthquake caused considerable damage throughout the capital, the Alfama survived with little damage, thanks to its compact labyrinth of narrow streets and small squares.
It is a historical quarter of mixed-use buildings occupied by Fado bars, restaurants, and homes with small shops downstairs. Modernising trends have invigorated the district: old houses have been re-purposed or remodeled, while new buildings have been constructed. Fado, the typically Portuguese style of melancholy music, is common (but not obligatory) in the restaurants of the district.
The Mouraria, or Moorish quarter, is one of the most traditional neighborhoods of Lisbon,[58] although most of its old buildings were demolished by the Estado Novo between the 1930s and the 1970s.[59] It takes its name from the fact that after the reconquest of Lisbon, the Muslims who remained were confined to this part of the city.[60] In turn, the Jews were confined to three neighbourhoods called "Judiarias"[61]
Bairro Alto (literally the upper quarter in Portuguese) is an area of central Lisbon that functions as a residential, shopping and entertainment district; it is the center of the Portuguese capital's nightlife, attracting hipster youth and members of various music subcultures. Lisbon's Punk, Gay, Metal, Goth, Hip Hop and Reggae scenes all find a home in the Bairro with its many clubs and bars that cater to them. The crowds in the Bairro Alto are a multicultural mix of people representing a broad cross-section of modern Portuguese society, many of them being entertainment seekers and devotees of various music genres outside the mainstream, Fado, Portugal's national music, still survives in the midst of the new nightlife.
The heart of the city is the Baixa or city centre; the Pombaline Baixa is an elegant district, primarily constructed after the 1755 Lisbon earthquake, taking its name from its benefactor, Sebastião José de Carvalho e Melo, 1st Marquis of Pombal, who was the minister of Joseph I of Portugal (1750–1777) and a key figure during the Portuguese Enlightenment. Following the 1755 disaster, Pombal took the lead in rebuilding Lisbon, imposing strict conditions and guidelines on the construction of the city, and transforming the organic street plan that characterised the district before the earthquake into its current grid pattern. As a result, the Pombaline Baixa is one of the first examples of earthquake-resistant construction. Architectural models were tested by having troops march around them to simulate an earthquake. Notable features of Pombaline structures include the Pombaline cage, a symmetrical wood-lattice framework aimed at distributing earthquake forces, and inter-terrace walls that were built higher than roof timbers to inhibit the spread of fires.
Belém is famous as the place from which many of the great Portuguese explorers set off on their voyages of discovery. In particular, it is the place from which Vasco da Gama departed for India in 1497 and Pedro Álvares Cabral departed for Brazil in 1499. It is also a former royal residence and features the 17th – 18th-century Belém Palace, a former royal residence now occupied by the President of Portugal, and the Ajuda Palace, begun in 1802 but never completed.
Perhaps Belém's most famous feature is its tower, Torre de Belém, whose image is much used by Lisbon's tourist board. The tower was built as a fortified lighthouse late in the reign of Dom Manuel l (1515–1520) to guard the entrance to the port. It stood on a little island in right side of the Tagus, surrounded by water. Belém's other major historical building is the Mosteiro dos Jerónimos (Jerónimos Monastery), which the Torre de Belém was built partly to defend. Belém's most notable modern feature is the Padrão dos Descobrimentos (Monument to the Discoveries) built for the Portuguese World Fair in 1940. In the heart of Belém is the Praça do Império: gardens centred upon a large fountain, laid out during World War II. To the west of the gardens lies the Centro Cultural de Belém. Belém is one of the most visited Lisbon districts. Here is located the Estádio do Restelo, house of Belenenses.
The Chiado is a traditional shopping area that mixes old and modern commercial establishments, concentrated specially in the Rua do Carmo and the Rua Garrett. Locals as well as tourists visit the Chiado to buy books, clothing and pottery as well as to have a cup of coffee. The most famous café of Chiado is A Brasileira, famous for having had poet Fernando Pessoa among its customers. The Chiado is also an important cultural area, with several museums and theatres, including the opera. Several buildings of the Chiado were destroyed in a fire in 1988, an event that deeply shocked the country. Thanks to a renovation project that lasted more than 10 years, coordinated by celebrated architect Siza Vieira, the affected area has now virtually recovered.
The ornate, late 18th-century Estrela Basilica is the main attraction of this district. The church with its large dome is located on a hill in what was at the time the western part of Lisbon and can be seen from great distances. The style is similar to that of the Mafra National Palace, late baroque and neoclassical. The façade has twin bell towers and includes statues of saints and some allegorical figures. São Bento Palace, the seat of the Portuguese parliament and the official residences of the Prime Minister of Portugal and the President of the Assembly of the Republic of Portugal, are in this district. Also in this district is Estrela Park, a favorite with families. There are exotic plants and trees, a duck pond, various sculptures, a children's playground, and many cultural events going on through the year, including outdoor cinema, markets, and music festivals.
Parque das Nações (Park of Nations) is the newest district in Lisbon; it emerged from an urban renewal program to host the 1998 World Exhibition of Lisbon, also known as Expo'98. The area suffered massive changes giving Parque das Nações a futuristic look. A long lasting legacy of the same, the area has become another commercial and higher-end residential area for the city.
Central in the area is the Gare do Oriente (Orient railway station), one of the main transport hubs of Lisbon for trains, buses, taxis, and the metro. Its glass and steel columns are inspired by Gothic architecture, lending the whole structure a visual fascination (especially in sunlight or when illuminated at night). It was designed by the architect Santiago Calatrava from Valencia, Spain. The Parque das Nações is across the street.
The area is pedestrian-friendly with new buildings, restaurants, gardens, the Casino Lisbon, the FIL building (International Exhibition and Fair), the Camões Theatre and the Oceanário de Lisboa (Lisbon Oceanarium), which is the second largest in the world. The district's Altice Arena has become Lisbon's "jack-of-all-trades" performance arena. Seating 20,000, it has staged events from concerts to basketball tournaments.
Fernando Medina is the current and 77th Mayor of Lisbon.
Election year | PCP | PS | PSD | CDS | PPM | UDP | APU | AD | CDU | BE | CR | HR | PAN | Oth | Inv | Turnout |
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1976 | 20.7 | 35.5 | 15.2 | 19.0 | 0.4 | - | - | - | - | - | - | - | - | 6.5 | 2.6 | 66.5 |
1979 | - | 23.4 | - | - | - | 2.2 | 25.1 | 46.7 | - | - | - | - | - | 0.7 | 2.0 | 75.6 |
1982 | - | 27.0 | - | - | - | 0.8 | 26.7 | 41.3 | - | - | - | - | - | 1.4 | 2.9 | 72.2 |
1985 | - | 18.0 | 44.8 | - | 5.1 | 1.5 | 27.5 | - | - | - | - | - | - | 0.7 | 2.5 | 58.7 |
1989 | - | 49.1 | 42.1 | - | - | - | w.PS | - | - | - | - | 5.2 | 3.7 | 54.8 | ||
1993 | - | 56.7 | 26.4 | 7.8 | - | - | - | - | w.PS | - | - | - | - | 5.8 | 3.5 | 53.5 |
1997 | - | 51.9 | 39.3 | - | - | - | - | w.PS | - | - | - | - | 4.5 | 4.3 | 48.3 | |
2001 | - | 41.7 | 42.0 | 7.6 | w.PSD | - | - | - | w.PS | 3.8 | - | - | - | 1.8 | 3.1 | 55.0 |
2005 | - | 26.6 | 42.4 | 5.9 | - | - | - | - | 11.4 | 7.9 | - | - | - | 1.5 | 4.4 | 52.7 |
2007 | - | 29.5 | 15.7 | 3.7 | 0.4 | - | - | - | 9.5 | 6.8 | 16.7 | 10.2 | - | 3.9 | 3.9 | 37.4 |
2009 | - | 44.0 | 38.7 | - | - | - | 8.1 | 4.6 | - | - | - | 2.1 | 2.6 | 53.4 | ||
2013 | - | 50.9 | 22.4 | 1.2 | - | - | - | 9.9 | 4.6 | - | - | 2.3 | 1.8 | 6.9 | 45.1 | |
2017 | - | 42.0 | 11.2 | 20.6 | - | - | - | 9.6 | 7.1 | - | - | 3.0 | 2.3 | 4.2 | 51.2 | |
Source: Comissão Nacional de Eleições |
The city of Lisbon is rich in architecture; Romanesque, Gothic, Manueline, Baroque, Modern and Postmodern constructions can be found all over Lisbon. The city is also crossed by historical boulevards and monuments along the main thoroughfares, particularly in the upper districts; notable among these are the Avenida da Liberdade (Avenue of Liberty), Avenida Fontes Pereira de Melo, Avenida Almirante Reis and Avenida da República (Avenue of the Republic).
Lisbon is home to numerous prominent museums and art collections, from all around the world. The National Museum of Ancient Art, which has one of the largest art collections in the world, and the National Coach Museum, which has the world's largest collection of royal coaches and carriages, are the two most visited museums in the city. Other notable national museums include the National Museum of Archaeology, the Museum of Lisbon, the National Azulejo Museum, the National Museum of Contemporary Art, and the National Museum of Natural History & Science.
Prominent private museums and galleries include the Gulbenkian Museum (run by the Calouste Gulbenkian Foundation, one of the wealthiest foundations in the world), which houses one of the largest private collections of antiquaries and art in the world, the Berardo Collection Museum, which houses the private collection of Portuguese billionaire Joe Berardo, the Museum of Art, Architecture and Technology, and the Museum of the Orient. Other popular museums include the Electricity Museum, the Ephemeral Museum, the Museu da Água, and the Museu Benfica, among many others.
Lisbon's Opera House, the Teatro Nacional de São Carlos, hosts a relatively active cultural agenda, mainly in autumn and winter. Other important theatres and musical houses are the Centro Cultural de Belém, the Teatro Nacional D. Maria II, the Gulbenkian Foundation, and the Teatro Camões.
The monument to Christ the King (Cristo-Rei) stands on the southern bank of the Tagus River, in Almada. With open arms, overlooking the whole city, it resembles the Corcovado monument in Rio de Janeiro, and was built after World War II, as a memorial of thanksgiving for Portugal's being spared the horrors and destruction of the war.
13 June is Lisbon´s holiday in honour of the city's saint, Anthony of Lisbon (Portuguese: Santo António). Saint Anthony, also known as Saint Anthony of Padua, was a wealthy Portuguese bohemian who was canonised and made Doctor of the Church after a life preaching to the poor. Although Lisbon’s patron saint is Saint Vincent of Saragossa, whose remains are housed in the Sé Cathedral, there are no festivities associated with this saint.
Eduardo VII Park, the second largest park in the city following the Parque Florestal de Monsanto (Monsanto Forest Park), extends down the main avenue (Avenida da Liberdade), with many flowering plants and greenspaces, that includes the permanent collection of subtropical and tropical plants in the winter garden (Portuguese: Estufa Fria). Originally named Parque da Liberdade, it was renamed in honour of Edward VII of England who visited Lisbon in 1903.
Lisbon is home every year to the Lisbon Gay & Lesbian Film Festival,[62] the Lisboarte, the DocLisboa – Lisbon International Documentary Film Festival,[63] the Festival Internacional de Máscaras e Comediantes, the Lisboa Mágica – Street Magic World Festival, the Monstra – Animated Film Festival, the Lisbon Book Fair,[64] the Peixe em Lisboa – Lisbon Fish and Flavours,[65] and many others.
Lisbon has two sites listed by UNESCO as a World Heritage Site: Belém Tower and Jerónimos Monastery. Furthermore, in 1994, Lisbon was the European Capital of Culture and, in 1998, organised the Expo '98 (1998 Lisbon World Exposition).
Lisbon is also home to the Lisbon Architecture Triennial,[66] the Moda Lisboa (Fashion Lisbon),[67] ExperimentaDesign – Biennial of Design[68] and LuzBoa – Biennial of Light.[69]
In addition, the mosaic Portuguese pavement (Calçada Portuguesa) was born in Lisbon, in the mid-1800s. The art has since spread to the rest of the Portuguese Speaking world. The city remains one of the most expansive examples of the technique, nearly all walkways and even many streets being created and maintained in this style.
In May 2018, the city hosted the 63rd edition of the Eurovision Song Contest, after the victory of Salvador Sobral with the song "Amar pelos dois" in Kiev on 13 May 2017.
The historical population of the city was around 35,000 in 1300 AD. Up to 60,000 in 1400 AD, and rising to 70,000 in 1500 AD. Between 1528–1590 the population went from 70,000 to 120,000. The population was about 150,000 in 1600 AD, and almost 200,000 in 1700 AD.[70][71][72]
The Lisbon metropolitan area incorporates two NUTS III (European statistical subdivisions): Grande Lisboa (Greater Lisbon), along the northern bank of the Tagus River, and Península de Setúbal (Setúbal Peninsula), along the southern bank. These two subdivisions make for the Região de Lisboa (Lisbon Region). The population density of the city itself is 6,458 inhabitants per square kilometre (16,730/sq mi).
Lisbon has 552,700[73] inhabitants within the administrative center on the area of only 100.05 km2[5] Administratively defined cities that exist in the vicinity of the capital are in fact part of the metropolitan perimeter of Lisbon. The urban area has a population of 2,666,000 inhabitants, being the eleventh largest urban area in the European Union after Paris, London, Ruhr area, Madrid, Milan, Barcelona, Berlin, Rome, Naples and Athens.[3] The whole metropolis of Lisbon (metropolitan area) has about 3 million inhabitants. According to official government data, the Lisbon metropolitan area has 3,121,876 inhabitants.[2] Other sources also show a similar number, according to the Organisation for Economic Co-operation and Development – 2,797,612 inhabitants;[74] according to the Department of Economic and Social Affairs of the United Nations – 2,890,000;[75] according to the European Statistical Office Eurostat – 2,839,908;[76] according to the Brookings Institution has 2,968,600 inhabitants.[77]
Demographic evolution of Lisbon administrative center | |||||||||||||||||||
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43 | 900 | 1552 | 1598 | 1720 | 1755 | 1756 | 1801 | 1849 | 1900 | 1930 | 1960 | 1981 | 1991 | 2001 | 2011 | ||||
30,000 | 100,000 | 100,000 | 150,000 | 185,000 | 180,000 | 165,000 | 203,999 | 174,668 | 350,919 | 591,939 | 801,155 | 807,937 | 663,394 | 564,657 | 545,245 |
The Lisbon region is the wealthiest region in Portugal and it is well above the European Union's GDP per capita average – it produces 45% of the Portuguese GDP. Lisbon's economy is based primarily on the tertiary sector. Most of the headquarters of multinationals operating in Portugal are concentrated in the Grande Lisboa Subregion, specially in the Oeiras municipality. The Lisbon metropolitan area is heavily industrialized, especially the south bank of the Tagus river (Rio Tejo).
The Lisbon region is rapidly growing, with GDP (PPP) per capita calculated for each year as follows: €22,745 (2004)[79] – €23,816 (2005)[80] – €25,200 (2006)[81] – €26,100 (2007).[82] The Lisbon metropolitan area had a GDP amounting to $96.3 billion, and $32,434 per capita.[83]
The country's chief seaport, featuring one of the largest and most sophisticated regional markets on the Iberian Peninsula, Lisbon and its heavily populated surroundings are also developing as an important financial centre and a dynamic technological hub. Automobile manufacturers have erected factories in the suburbs, for example, AutoEuropa.
Lisbon has the largest and most developed mass media sector of Portugal, and is home to several related companies ranging from leading television networks and radio stations to major newspapers.
The Euronext Lisbon stock exchange, part of the pan-European Euronext system together with the stock exchanges of Amsterdam, Brussels and Paris, is tied with the New York Stock Exchange since 2007, forming the multinational NYSE Euronext group of stock exchanges.
Lisbonite industry has very large sectors in oil, as refineries are found just across the Tagus, textile mills, shipyards and fishing.
Before Portugal's sovereign debt crisis and an EU-IMF rescue plan, for the decade of 2010 Lisbon was expecting to receive many state funded investments, including building a new airport, a new bridge, an expansion of 30 km (18.64 mi) underground, the construction of a mega-hospital (or central hospital), the creation of two lines of a TGV to join Madrid, Porto, Vigo and the rest of Europe, the restoration of the main part of the town (between the Marquês de Pombal roundabout and Terreiro do Paço), the creation of a large number of bike lanes, as well as modernization and renovation of various facilities.[84]
Lisbon was the 18th most "livable city" in the world in 2015 according to lifestyle magazine Monocle.[85]
Tourism is also a significant industry; a 2018 report stated that the city receives an average of 4.5 million tourists per year.[86] Hotel revenues alone generated €714.8 million in 2017, an increase of 18.7% over 2016.[87]
The Lisbon Metro connects the city centre with the upper and eastern districts, and also reaches some suburbs that are part of the Lisbon metropolitan area, such as Amadora and Loures. It is the fastest way to get around the city and it provides a good number of interchanging stations with other types of transportation. From the Lisbon Airport station to the city centre it may take roughly 25 mins. As of 2018, the Lisbon Metro comprises four lines, identified by individual colours (blue, yellow, green and red) and 56 stations, with a total length of 44.2 km. Several expansion projects have been proposed, being the most recent the transformation of the Green Line into a circular line and the creation of two more stations (Santos and Estrela).
A traditional form of public transport in Lisbon is the tram. Introduced in 1901, electric trams were originally imported from the US,[88] and called the americanos. The earliest trams can still be seen in the Museu da Carris (the Public Transport Museum). Other than on the modern Line 15, the Lisbon tramway system still employs small (four wheel) vehicles of a design dating from the early twentieth century. These distinctive yellow trams are one of the tourist icons of modern Lisbon, and their size is well suited to the steep hills and narrow streets of the central city.[89][90]
There are four commuter train lines departing from Lisbon: the Cascais, Sintra and Azambuja lines (operated by CP – Comboios de Portugal), as well as a fourth line to Setúbal (operated by Fertagus), which crosses the Tagus river via the 25 de Abril Bridge. The major railway stations are Santa Apolónia, Rossio, Gare do Oriente, Entrecampos, and Cais do Sodré.
The local bus service within Lisbon is operated by Carris.
There are other commuter bus services from the city (connecting cities outside Lisbon, and connecting these cities to Lisbon): Vimeca,[91] Rodoviária de Lisboa,[92] Transportes Sul do Tejo,[93] Boa Viagem,[94] Barraqueiro[95] are the main ones, operating from different terminals in the city.
Lisbon is connected to its suburbs and throughout Portugal by an extensive motorway network. There are three circular motorways around the city; the 2ª Circular, the IC17 (CRIL), and the A9 (CREL).
The city is connected to the far side of the Tagus by two important bridges:
The foundations for a third bridge across the Tagus have already been laid, but the overall project has been postponed due to the economic crisis in Portugal and all of Europe.
Another way of crossing the river is by taking the ferry. The operator is Transtejo & Soflusa,[98] which runs from different locations within the city: Cacilhas, Seixal, Montijo, Porto Brandão and Trafaria under the brand Transtejo and to Barreiro under the brand Soflusa.
Humberto Delgado Airport is located within the city limits. It is the headquarters and hub for TAP Portugal as well as a hub for Easyjet, Azores Airlines, Ryanair, EuroAtlantic Airways, White Airways, and Hi Fly. A second airport has been proposed, but the project has been put on hold because of the Portuguese and European economic crisis, and also because of the long discussion on whether a new airport is needed. However, the last proposal is military air base in Montijo that would be replaced by a civil airport. So, Lisbon would have two airports, the current airport in north and a new in the south of the city.
Cascais Aerodrome, 20 km West of the city centre, in Cascais, offers commercial domestic flights.
The average amount of time people spend commuting with public transit in Lisbon, for example to and from work, on a weekday is 59 min. 11.5% of public transit riders, ride for more than 2 hours every day. The average amount of time people wait at a stop or station for public transit is 14 min, while 23.1% of riders wait for over 20 minutes on average every day. The average distance people usually ride in a single trip with public transit is 6 km, while 10% travel for over 12 km in a single direction.[99]
In Greater Lisbon area, particularly in the Portuguese Riviera, an area popular with expats and foreign nationals, there are numerous international schools, including the Carlucci American International School of Lisbon (only American school in Portugal), Saint Julian's School (British), Saint Dominic's International School (British), Deutsche Schule Lissabon (German), Instituto Español Giner de los Ríos (Spanish), and Lycée Français Charles Lepierre (French).
In the city, there are three public universities and a university institute. The University of Lisbon, which is the largest university in Portugal, was created in 2013 with the union of the Technical University of Lisbon and the Classical University of Lisbon (which was known as the University of Lisbon). The New University of Lisbon, founded in 1973, is another public university in Lisbon and is known internationally by its Nova School of Business and Economics (Nova SBE),its economics and management faculty. The third public university is Universidade Aberta. Additionally, there's ISCTE - Lisbon University Institute (founded in 1972), a university institute that provides degrees in all academic disciplines.
Major private institutions of higher education include the Portuguese Catholic University, focused on law and management, as well as the Lusíada University, the Universidade Lusófona, and the Universidade Autónoma de Lisboa, among others.
The total number of enrolled students in higher education in Lisbon was, for the 2007–2008 school year, of 125,867 students, of whom 81,507 in the Lisbon's public institutions.[100]
Lisbon is home to Biblioteca Nacional de Portugal, the Portuguese national library, which has over 3 million books and manuscripts. The library has some rare books and manuscripts, such as an original Gutenberg Bible and original books by Erasmus, Christophe Platin and Aldus Manutius. Another relevant library is the Torre do Tombo National Archive, one of the most important archives in the world, with over 600 years and one of the oldest active Portuguese institutions. There are, among several others, the Arquivo Histórico Ultramarino and the Arquivo Histórico Militar.
Lisbon has a long tradition in sports. It hosted several matches, including the final, of the UEFA Euro 2004 championship. The city also played host to the final of the 2001 IAAF World Indoor Championships and the European Fencing Championships in 1983 and 1992, as well as the 2003 World Men's Handball Championship, and the 2008 European Judo Championships. From 2006 to 2008, Lisbon was the starting point for the Dakar Rally. The city hosted the 2014 UEFA Champions League Final. In 2008 and 2016, the city hosted the European Triathlon Championships. Lisbon has a leg at the Volvo Ocean Race.
The city hosts three association football clubs in Portugal's highest league, the Primeira Liga. Sport Lisboa e Benfica, commonly known as simply Benfica, has won 37 league titles in addition to two European Cups. Lisbon's second-most successful club is Sporting Clube de Portugal (commonly known as Sporting and mistakenly referred to as Sporting Lisbon in the English-speaking world), winner of 18 league titles and the UEFA Cup Winners' Cup. A third club, C.F. Os Belenenses (commonly Belenenses or Belenenses Lisbon), based in the Belém quarter, has solely won one league title. Other major clubs in Lisbon include Atlético, Casa Pia, and Oriental.
Lisbon has two UEFA category four stadiums; Benfica's Estádio da Luz (Stadium of Light), with a capacity of over 65,000 and Sporting's Estádio José Alvalade, with a capacity of over 50,000. There is also Belenenses' Estádio do Restelo, with a capacity of over 30,000. The Estádio Nacional, in nearby Oeiras, has a capacity of 37,000 and was used exclusively for Portuguese international football matches and cup finals until the construction of larger stadia in the city. It held the 1967 European Cup Final.
Other sports, such as basketball, futsal, handball, roller hockey, rugby union and volleyball are also popular; the latter's national stadium is in Lisbon. There are many other sport facilities in Lisbon, ranging from athletics, sailing, golfing to mountain-biking. Lisboa and Troia golf course are two of many stunning golf courses located in Lisbon. Every March the city hosts the Lisbon Half Marathon, while in September the Portugal Half Marathon.
Lisbon is part of the Union of Luso-Afro-Americo-Asiatic Capital Cities[101][102][103] from 28 June 1985, establishing brotherly relations with the following cities:
Lisbon is part of the Union of Ibero-American Capital Cities[104] from 12 October 1982 establishing brotherly relations with the following cities:
Lisbon has additional cooperation agreements with the following cities:[102][103]
Now Lisbon. Both Strabo, Solinus, and Martianus Capella make mention of a story that Ulysses came to Spain and founded this city.
...que o nome Lisboa derivaria de um acusativo grego da 3° declinação, Olisipona.", p. 19, (...the name Lisbon derives from the third declension of the Greek accusative singular, Olisipona.)
king of Portugal from 1640 as a result of the national revolution or restoration, which ended 60 years of Spanish rule.
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