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「ドイツ連邦共和国」はこの項目へ転送されています。1949年から1990年までのドイツ連邦共和国については「西ドイツ」をご覧ください。 |
(国旗) | (国章) |
公用語 | ドイツ語[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||
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首都 | ベルリン | ||||||||||||||||||||||||||||||
最大の都市 | ベルリン | ||||||||||||||||||||||||||||||
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通貨 | ユーロ (€) (EUR) [3][4] | ||||||||||||||||||||||||||||||
時間帯 | UTC +1(DST:+2) | ||||||||||||||||||||||||||||||
ISO 3166-1 | DE / DEU | ||||||||||||||||||||||||||||||
ccTLD | .de | ||||||||||||||||||||||||||||||
国際電話番号 | 49 |
ドイツ連邦共和国(ドイツれんぽうきょうわこく、ドイツ語: Bundesrepublik Deutschland)、通称ドイツは、ヨーロッパ中西部における議会制共和国(英語版)である。
連邦制国家であるドイツ連邦共和国は限定的統治権を保有する16の州から成り、総面積は357,021km2で、主に温暖な季節的気候に属する。首都及び最大都市はベルリンである。同国はヨーロッパ大陸における経済的及び政治的な主要国であり、多くの文化、理論、技術分野における歴史上重要な指導国である。
古典古代以来、各種ゲルマン人は現在のドイツ北部及びスカンディナヴィア南部に居住してきた。ゲルマニアと名付けられた地域は、西暦100年以前には古代ローマにより文書化されていた。ローマ帝国の衰退と同期する民族移動時代、ゲルマン人は南方へと拡大し、ヨーロッパのほぼ全域で王国を設立した。10世紀初頭、ドイツの領土は神聖ローマ帝国の中央部を形成した。[1]16世紀、ドイツ北部は宗教改革の中心部になった。ナポレオン戦争の間、フランスに占領されたドイツ連邦内部で発生した汎ゲルマン主義は、1871年のドイツ国家の大部分の統一をもたらし、プロイセンが支配したドイツ帝国に帰着した。第一次世界大戦の軍事的敗北及び1918年から1919年までのドイツ革命の結果として、ドイツ帝国は領土を失い、議会制のヴァイマル共和国に取って代わられた。1933年のナチス・ドイツの成立は、最終的には第二次世界大戦及びホロコーストの原因となった。1945年、ナチス体制の残存者は連合国に降伏した。この後数年間にわたり、ドイツは複数の追加領土を失い、戦勝国の連合国占領地域に分割され、東ドイツ及び西ドイツの2箇国へと分裂した。1990年10月3日、ドイツは再統一し、約6箇月後に悲願であった祖国の統一を完全に成し遂げた。
ドイツは名目GDPで世界第4位かつ購買力平価で世界第5位である。産業及び技術分野における世界的なリーダーとして、世界第3位の輸出国かつ世界第3位の輸入国である。世界最古のユニバーサルヘルスケア制度を含む包括的な社会保障を特色とする非常に高い生活水準で先進国である。豊かな文化及び政治の歴史で知られ、多くの影響力のある哲学者、芸術家、音楽家、映画人、起業家、科学者及び発明家の故国である。ドイツは、1993年に欧州連合になった1957年の欧州諸共同体原加盟国である。同国はシェンゲン圏の一部であり、1999年以来ユーロ圏の一員である。また、国際連合、北大西洋条約機構、G8、G20、OECD、欧州評議会加盟国である。アメリカ合衆国に次ぎ、ドイツは世界第2位の移住地である。[2]人口は8,060万人で、欧州連合では最大の人口を有する国でもある。
ドイツ語での正式名称は、Bundesrepublik Deutschland([ˈbʊndəsʁepuˌbliːk ˈdɔʏtʃlant] ( 聞く) ブンデスレプブリーク・ドイチュラント)。通称はDeutschland(ドイチュラント)、略称は BRD(ベーエルデー。Bund は「連邦」の、Republik は「共和国」の意である。
Deutsch の原義はドイツ北部で話されていたゲルマン語の「theod」や「thiud」や「thiod」と言う名詞で、意味は「民衆」や「大衆」を意味している (意味も使われた時代も同じだが、綴りは地域によって異なる)。フランク王国時代にラテン系言語ではなく、ゲルマン系の語を用いるゲルマン人系一般大衆をこう呼んだことに由来する。「th」は後に「d」という発音と綴りになったため「diet」に転じ、古高ドイツ語ではさらに形容詞化するための「isk」がくっついて「diutisk」と言う綴りに転じ、意味も「大衆の、民衆の」と言う形容詞になり、その後「diutisch」となり、さらに現在のドイツ語に移り変わると「deutsch」に転じた。[3][4]現在のドイツ語の「deutsch」と言う形容詞には大衆とか民衆と言う意味は無く、「ドイツの」と言う意味だけである。代わりにvölkischと言う形容詞が現在のドイツ語で「民衆の、大衆の」と言う意味を示す。
英語表記は Federal Republic of Germany(フェデラル・リパブリク・オヴ・ジャーマニ)。通称は Germany(ジャーマニ)。略称は FRG 。Federalは「連邦の」、Republicは「共和国」を意味し、Germany はラテン語のGermania(ゲルマニア:「ゲルマン人の地」の意味)に由来し、地名としてのドイツを指す。
在日大使館や日本の外務省が用いる日本語表記はドイツ連邦共和国。通称はドイツ。漢字では独逸、獨乙などと表記され、独(獨)と略される。中国語では徳意志、徳国となる。ドイツは原語、若しくはオランダ語の「Duits」が起源だといわれている。
フランス語やスペイン語、ポルトガル語ではそれぞれ Allemagne(アルマーニュ)、Alemania(アレマニア)、Alemanha(アレマーニャ)と呼ばれるが、これらは本来は「(ゲルマン人の一派である)アレマン人の地」を意味する。
ドイツの歴史 | |
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この記事はシリーズの一部です。 |
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ゲルマン | |
ゲルマン人 | |
民族移動時代 | |
フランク王国 | |
東フランク王国 | |
神聖ローマ帝国 | |
東方植民 | |
ドイツの形成 | |
チュートン騎士団 | |
プロシア公領 | |
ブランデンブルク=プロイセン | |
プロイセン王国 | |
ドイツ統一 | |
ライン同盟 | |
ドイツ連邦、関税同盟 | |
1848年革命 | |
北ドイツ連邦 | |
ドイツ国 | |
帝政ドイツ(ドイツ帝国) | |
ヴァイマル共和政 ザール、ダンツィヒ、ズデーテン |
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ナチス・ドイツ フレンスブルク政府 |
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第二次世界大戦後 | |
連合国軍政期 + 東部領土 ドイツ人追放 |
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ドイツ再統一 | |
再統一後のドイツ | |
関連項目 | |
オーストリアの歴史 | |
ドイツ ポータル |
現在のドイツを含む西ヨーロッパ地域に人類が居住を始めたのは、石器などが発見された地層から約70万年前と考えられている。60万年から55万年前の地層ではハイデルベルク原人の化石が、4万年前の地層ではネアンデルタール人の化石が確認されている。新人は約35000年前から現れ、紀元前4000年頃の巨石文明を経て紀元前1800年頃までに青銅器文明に移行している。紀元前1000年頃にはケルト系民族によってドナウ川流域にハルシュタット文明と呼ばれる鉄器文明が栄えた。
紀元前58年から51年までのガイウス・ユリウス・カエサルのガリア遠征などを経てゲルマン人は傭兵や農民としてローマ帝国に溶け込んで行き、紀元後375年には西ゴート族の移動を初めとする大移動によって現在のヨーロッパに定着する。西ローマ帝国の滅亡後、ケルト系民族を北方に追いやったゲルマン人は各地に王国を建てたが、フランク王国が統一した。843年のヴェルダン条約によって三分割されたうちの1つである東フランク王国。
東フランク王国の国王オットー1世(ザクセン朝)は962年アウグストゥス(古代ローマ帝国皇帝の称号)を得て、いわゆる神聖ローマ帝国と呼ばれるゆるやかな連合体を形成した。しかし中世におけるドイツには国家としての統一や民族意識はほとんどなく、各地に領邦国家が分立した歴史は現在に続く連邦主義の基盤となっている。各領邦は近隣諸国に比べて弱体で、また宗教改革では新旧両教に分かれて互いに争ったため三十年戦争ではドイツのほとんど全土が徹底的に破壊された。1,600万人いたドイツの人口が戦火によって600万人に減少したと言われる。それまで国名にドイツが冠されていなかったが、15世紀からは「ドイツ国民の神聖ローマ帝国(Heiliges Römisches Reich Deutscher Nation」と称し、対ドイツ搾取的な教皇側からの自立の姿勢を示した。1667年にザムエル・フォン・プーフェンドルフ (Samuel von Pufendorf) が著した書「ドイツ帝国憲法について (Über die Verfassung des deutschen Reiches) 」において初めて、ドイツ国という呼称が確定できる。
西南部のシュヴァーベン地方のホーエンツォレルン城一帯出身の東北部のプロイセン領邦君主ホーエンツォレルン家は17世紀半ばから勢力を拡大し、1701年にはプロイセン王国を形成した。ドイツ人はナポレオンによる侵略を経て統一国家への志向を強め、19世紀前半にはプロイセンに主導的な役割を期待する機運が高まった。分裂国家ドイツの中でも比較的強い中央集権国家であったプロイセンをリーダーとしてドイツの統合が進められてゆく。1806年まで神聖ローマ皇帝位を世襲していたオーストリア(その後はドイツ連邦議長国)は、ハンガリーやチェコなど非ドイツ人地域を多く領有するため、「大ドイツ主義」派(オーストリアから非ドイツ人地域を分離させたうえで統一ドイツの中心とする)にも与することができなかった。オーストリアの主張は、旧神聖ローマ帝国版図を軸とした多民族国家の支配権をドイツ人が握る中欧帝国構想と呼ばれるもので、これは国民国家の潮流に反するため多くの支持を得ることはできなかった。「小ドイツ主義」派のホーエンツォレルン家とオーストリアのハプスブルク家はドイツ統一の役割を争ったが、北ドイツ連邦を作った後の1871年、プロイセン国王ヴィルヘルム1世の戴冠によってドイツは、ドイツ系オーストリアを除く、小ドイツとしてのドイツ国(ドイツ帝国)として統一され、ベルリンを首都とした。しかしヴィルヘルム2世の治世になると、ドイツは同盟政策を誤り、イギリス・フランス・ロシアとの対立を招き、1914年の第一次世界大戦の勃発を迎えることとなった。ドイツは協商国と激しい消耗戦を繰り広げたものの、1918年には戦力の限界とドイツ革命の勃発によって講和を選ばざるを得なくなり、帝政も終了した。
ドイツは共和国として再出発することになるが(ヴァイマル共和政)、小党乱立により政局は不安定であった。またヴェルサイユ条約によってドイツに課せられた巨額の戦争賠償は経済や政治にも影響を与えた。1920年代中頃からは相対的な安定期を迎え、国際社会にも復帰しつつあった。しかし1930年代の世界恐慌による経済の破綻は、アドルフ・ヒトラーの指導下で極右的民族主義及び差別ともいえる人種政策や、拡張的な領土政策を唱える国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の台頭をもたらした。1933年にヒトラーが首相に任命されると、ナチ党は国内の政敵を次々に制圧し、ナチ党一党独裁体制を築き上げた(ナチス・ドイツ)。ヒトラーはヴェルサイユ条約の軍備制限を破棄し、オーストリアやチェコスロバキアの領土を獲得していったが、次第に英仏との緊張関係が高まりつつあった。1939年9月のポーランドへ侵攻は、英仏の宣戦を招き、第二次世界大戦が始まった。一時はフランスを打倒してヨーロッパの大半を勢力下に置くも、独ソ戦の形勢悪化と、西側連合国軍の侵攻によりドイツは敗北、ヒトラーは自殺してナチス体制も崩壊した。
1945年、第二次世界大戦に敗北したドイツはオーデル・ナイセ線以東の、東プロイセンやシュレジェン地域を完全に喪失した。これにより、戦前の領土の25%を失うこととなった。さらにはアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦の四カ国に分割占領され(連合軍軍政期)、1949年、ボンを暫定的な首都とするドイツ連邦共和国(西ドイツ)とベルリンの東部地区(東ベルリン)を首都とするドイツ民主共和国(東ドイツ)に分裂した。冷戦の時代を通じて東西ドイツは資本主義と共産主義が対立する最前線となったが、1989年ソビエト連邦のペレストロイカに端を発した東ドイツの民主化運動(東欧革命)をきっかけにベルリンの壁が崩壊し、翌1990年、再統一を達成し、再びベルリンを首都と定めた。以降、旧東ベルリンを中心とするベルリンの再開発・インフラ整備と、ボンからベルリンへの連邦政府機関移転による実質的な首都機能移転が順次進められ、2001年5月2日にベルリンへの首都機能移転が完了した。
ドイツは現在ではヨーロッパで最大の国家のひとつとなっているが、長期間の分裂を原因とする東西の経済格差や統一税がそれまでの順調な成長を妨げている。一方で、歴史的に統一されたドイツが周辺諸国に対して脅威となってきた問題を懸念する見方もあったが、反対に米ソによってドイツが冷戦後の強国の一つになることを容認されたとの分析もある。実際、統一ドイツはフランスと共に欧州連合 (EU) の中核国として発言力を増し続けている。近年のユーロ危機では、競争力の高いドイツが域内から黒字を吸い上げる一人勝ち構造が批判されるとともに、これまで合理化に耐えてきた国民からは援助支出への不満の声が高まるなど政府は難しい舵取りを迫られている。
ドイツは西欧および中欧に属し[5]、北にデンマーク、東にポーランドとチェコ、南にオーストリアとスイス、南西にフランスとルクセンブルク、そして北西にベルギーとオランダと各々国境を接しており、国土はおおよそ北緯47°から55°(ジルト島 (en) の北端が丁度55°)、東経5°から16°の範囲に位置している。総面積は357,021 km2 (137,847 sq mi)に及び、領土349,223 km2 (134,836 sq mi) 、領海7,798 km2 (3,011 sq mi) から成る。この面積はヨーロッパ第7位、世界第62位である[6]。
標高は南部のアルプス山脈最高峰ツークシュピッツェの2,962メートル / 9,718フィートから、北西部の北海(Nordsee)および北東部のバルト海(Ostsee)海岸に及ぶ。中位山地、北ドイツ低地(最低地点はヴィルシュターマールシュ (en) の海抜3.54メートル / 11.6フィート)にはライン川、ドナウ川そしてエルベ川が流れている。
主な天然資源は、鉄鉱石、石炭、炭酸カリウム、木材、褐炭、ウラン、銅、天然ガス、塩、ニッケル、可耕地と水である[6]。
ドイツの地形は北から南へ、大きく5つの地域に分けられる。北ドイツ低地、中部山岳地帯、南西ドイツ中部山岳階段状地域、南ドイツアルプス前縁地帯、バイエルン・アルプスである。
北ドイツ低地は全体的に標高100m以下の平坦な地域で、エルベ川などの川沿いにはリューネブルクハイデと呼ばれる大きな丘陵地がある。バルト海沿岸は平坦な砂浜や、断崖をなす岩石海岸となっている。中部山岳地帯は、おおよそ北はハノーファーの辺りから南はマイン川におよぶ地域で、ドイツの西部と中部に広がり、ドイツを南北に分けている。地形的に峡谷や低い山々、盆地など変化にとんでおり、山地としては西部のアイフェル丘陵とフンスリュック山地、中央部のハルツ山地、東部のエルツ山脈がある。南西ドイツ中部山岳階段状地域にはオーデンヴァルトや、ドイツ語で「黒い森」を意味するシュヴァルツヴァルトの標高1000mを超える広大な森林がある。アルプスはドイツ国内ではもっとも標高が高い地域で、南部の丘陵や大きな湖の多いシュヴァーベン=バイルン高原に加えて、広大な堆石平野とウンターバイエルン丘陵地、そしてドナウ低地を包括している。ここにはアルプスの山々に囲まれた絵のように美しい数々の湖や観光地があり、オーストリアとの国境地帯にはドイツの最高峰ツークシュピッツェ(標高2962m)がそびえ立つ。
ドイツにおける火山活動は先カンブリア代に収束している。先カンブリア代末から始まったカレドニア変動や、後期古生代におこったバリスカン(ヘルシニアン)変動はいずれも主要活動帯がドイツを横切っているものの、地表には痕跡が残っていない。バリスカン変動は2000kmにおよぶ規模の大陸間の変動であった。現在のドイツの地形を決定したのは新生代における褶曲運動である。アルプス変動帯の活動により、最南部は標高1200mにいたるまで隆起した。ドイツにおけるアルプス変動帯は東アルプスと呼ばれている。同時に西部フランス国境に近いライン川に相当する位置に、ライン地溝を形成する。ライン地溝は、約500kmに渡って南北に伸びる。
ドイツ北部(北ヨーロッパ平野)の地表は氷河地形の典型例である。最終氷期においては北緯51度線に至るまで氷河が発達し、ヨーロッパを横切る数千km規模の末端堆石堤を残した。その100から200kmの海岸線方面にはモレーンが残る。末端堆石堤とモレーンの北側にそっていずれも氷食性のレスが堆積し、農業に適した肥沃な土壌が広がる。いっぽう、モレーンの南側は土地が痩せている。ドイツに残る長大な河川はいずれも最終氷期の河川に由来するが、ポーランドのヴィスワ川、ポーランド国境に伸びるオーデル川、エルベ川、ドイツ西部のヴェーザー川が互いに連結し、網目状の流路を形成するなど、現在とは異なる水系が広がっていた。
ドイツの大部分は温暖な偏西風とメキシコ湾流の北延である北大西洋海流の暖流によって比較的温和である[7]。温かい海流が北海に隣接する地域に影響を与え、北西部および北部の気候は海洋性気候となっている。降雨は年間を通してあり、特に夏季に多い。冬季は温暖で夏季は(30℃を越えることもあるが)冷涼になる傾向がある[8][9]。
東部はより大陸性気候的で、冬季はやや寒冷になる[7][9]。そして長い乾期がしばしば発生する。中部および南ドイツは過渡的な地域で、海洋性から大陸性まで様々である。国土の大部分を占める海洋性および大陸性気候に加えて、南端にあるアルプス地方と中央ドイツ高地の幾つかの地域は低温と多い降水量に特徴づけられる[8]。
ドイツは「ヨーロッパの地中海沿岸部山地混交林」と「大西洋北東部大陸棚海域」の二つの生態系ブロックに分けられる[10]。2008年時点ではドイツの過半が耕地(34%)と森林・疎林(30.1%)に占められており、13.4% が放牧地で11.8%が定住地・道路となっている[11]。
動植物は中央ヨーロッパにおいて一般的なものである。ブナ、カシ、およびその他の落葉樹が森林の3分の1を構成しており、また針葉樹が植林の結果、増加傾向にある。トウヒとモミの木が高地山脈を占めている一方で松やカラマツを砂質土で見出だせる。シダ、花、菌類、そしてコケの多くの種がある。野生動物にはシカ、イノシシ、ムフロン、狐、アナグマ、ノウサギ、そして少数のビーバーが含まれている[12]。
ドイツにはシュレースヴィヒ=ホルシュタイン干潟国立公園(Nationalpark Schleswig-Holsteinisches Wattenmeer)、ヤスムント国立公園(Nationalpark Jasmund)、フォアポンメルン入り江地帯国立公園(Nationalpark Vorpommersche Boddenlandschaft)、ミューリッツ国立公園(Müritz-Nationalpark)、下オーデル渓谷国立公園 (Nationalpark Unteres Odertal)、ハルツ国立公園(Nationalpark Harz)、ザクセン・スイス国立公園(Nationalpark Sächsische Schweiz)、バイエルンの森国立公園(Nationalpark Bayerischer Wald)などの国立公園がある。ドイツ国内では400以上の動物園が運営されており、世界最多とされる[13]。ベルリン動物園はドイツ最古の動物園であり、ここには世界で最も多くの動植物種が収集されている[14]。
ドイツには16の連邦州がある。ベルリンとハンブルクは都市州と呼ばれ、各々単独で連邦州を形成する。ブレーメンとブレーマーハーフェンも合わせて都市州となる。
名称 | 人口(人) | 州都/主府/本部 | 備考 |
---|---|---|---|
バーデン=ヴュルテンベルク州 Baden-Württemberg |
10,786,227 | シュトゥットガルト Stuttgart |
|
バイエルン自由州 Freistaat Bayern |
12,595,891 | ミュンヘン München |
|
ベルリン Berlin |
3,501,872 | ||
ブランデンブルク州 Brandenburg |
2,495,635 | ポツダム Potsdam |
|
自由ハンザ都市ブレーメン Freie Hansestadt Bremen |
661,301 | ブレーメン Bremen |
|
自由ハンザ都市ハンブルク Freie und Hansestadt Hamburg |
1,798,836 | ||
ヘッセン州 Hessen |
6,092,126 | ヴィースバーデン Wiesbaden |
|
メクレンブルク=フォアポンメルン州 Mecklenburg-Vorpommern |
1,634,734 | シュヴェリーン Schwerin |
|
ニーダーザクセン州 Niedersachsen |
7,913,502 | ハノーファー Hannover |
|
ノルトライン=ヴェストファーレン州 Nordrhein-Westfalen |
17,841,956 | デュッセルドルフ Düsseldorf |
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ラインラント=プファルツ州 Rheinland-Pfalz |
3,999,117 | マインツ Mainz |
|
ザールラント州 Saarland |
1,013,352 | ザールブリュッケン Saarbrücken |
|
ザクセン自由州 Freistaat Sachsen |
4,137,051 | ドレスデン Dresden |
|
ザクセン=アンハルト州 Sachsen-Anhalt |
2,313,280 | マクデブルク Magdeburg |
|
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州 Schleswig-Holstein |
2,837,641 | キール Kiel |
|
テューリンゲン自由州 Freistaat Thüringen |
2,221,222 | エアフルト Erfurt |
ドイツは小邦分立による地方分権の歴史が長いため、ロンドンやパリ、東京の様な首都への一極集中はしていない。人口は2008年のデータを使用。
都市 | 行政区分 | 人口 | 都市 | 行政区分 | 人口 | ||
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1 | ベルリン | ベルリン | 3,431,675 | 11 | ハノーファー | ニーダーザクセン州 | 519,619 |
2 | ハンブルク | ハンブルク | 1,772,100 | 12 | ライプツィヒ | ザクセン州 | 515,469 |
3 | ミュンヘン | バイエルン州 | 1,326,807 | 13 | ドレスデン | ザクセン州 | 512,234 |
4 | ケルン | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 995,420 | 14 | ニュルンベルク | バイエルン州 | 503,638 |
5 | フランクフルト | ヘッセン州 | 664,838 | 15 | デュースブルク | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 494,048 |
6 | シュトゥットガルト | バーデン=ヴュルテンベルク州 | 600,068 | 16 | ボーフム | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 378,596 |
7 | ドルトムント | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 584,412 | 17 | ヴッパータール | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 353,308 |
8 | デュッセルドルフ | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 584,217 | 18 | ビーレフェルト | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 323,615 |
9 | エッセン | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 579,759 | 19 | ボン | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 317,949 |
10 | ブレーメン | ブレーメン州 | 547,360 | 20 | マンハイム | バーデン=ヴュルテンベルク州 | 311,342 |
ベルリンはビジネス、文化、政治などを総合評価した世界都市格付けで世界19位の都市と評価された[15]。
ハンブルク
ミュンヘン
ケルン
フランクフルト
ドイツは連邦制、議院内閣制、代表民主制の共和国である。ドイツの政治システムは1949年に発効されたドイツ連邦共和国基本法(Grundgesetz)の枠組みに基づいて運営されている。基本法改正には両院の2/3の賛成を必要としており、 このうち「人間の尊厳の保証」「権力の分割」「連邦制」そして「法による支配」といった基本法諸原則は「永久化」され侵害は許されない[16][17]。
連邦大統領(Bundespräsident)は国家元首であり、主に儀礼的な権能のみが与えられている[18]。大統領は任期5年で、連邦議会議員と各州議会代表とで構成される連邦会議によって選出される。大統領は連邦議会の解散権を有する[19]。
大統領に次ぐ序列は連邦議会議長(Bundestagspräsident)であり、連邦議会によって選出され、議会運営の監督責任を持つ。
序列第三位であり、政府の長となる地位が連邦首相(Bundeskanzler)であり、連邦議会で選出された後に、議長によって任命される[20]。首相は任期4年で、行政府の長として行政権を執行する。内閣の閣僚は首相の指名に基づき、大統領が任命する。
連邦の立法権は連邦議会(Bundestag)と連邦参議院(Bundesrat)が有し、この両院で立法府を構成する。連邦議会議員は小選挙区比例代表併用制による直接選挙によって選ばれ[6]、定数は598議席[21](ただし選挙制度の関係で超過議席(en)が出るため、選挙のたびに実際の議席数は変わり、2013年現在は630議席[22])で任期4年。連邦参議院議員は定数69議席で16州政府の代表であり、また州政府内閣の閣僚でもある[20]。
1949年以降、政権はドイツキリスト教民主同盟とドイツ社会民主党によって占められており、歴代首相はいずれかの政党の所属議員である。しかしながら、選挙制度の関係で単独政権は稀であり、通常は連立政権が組まれる[23]。他に連邦議会に議席を有する主要政党として、左翼・社会主義の左翼党(2005年以降)、環境政党同盟90/緑の党(1983年以降)がある[24]。
ドイツはゲルマン法の要素を加えたローマ法を基礎とする大陸法を採用している(ドイツ法)。連邦憲法裁判所(Bundesverfassungsgericht)は違憲審査権を有する憲法に関する事項の最高裁判所である[20][25][26]。Oberste Gerichtshöfe des Bundesと呼ばれるドイツの最高裁判所制度は専門化がなされており、民事および刑事に関する裁判所は連邦通常裁判所、それ以外の事項に関しては連邦労働裁判所、連邦社会裁判所、連邦財政裁判所、連邦行政裁判所がある[18]。国際刑法典(Völkerstrafgesetzbuch)は人道に対する罪、ジェノサイドそして戦争犯罪について規定しており、幾つかの状況においてドイツの裁判所に対して普遍的管轄権 (en) を与えている[27]。刑法と民法は刑法典(Strafgesetzbuch)と民法典(Bürgerliches Gesetzbuch)に成文化されている。ドイツの刑法制度は犯罪者の更生と一般大衆の保護を主眼としている[28]。
ドイツ連邦軍(Bundeswehr)は陸軍(Heer)、海軍(Marine)、空軍( Luftwaffe )、救護業務軍(Zentraler Sanitätsdienst) そして戦力基盤軍 (Streitkräftebasis) に分けられる。2005年時点においてドイツの軍事支出はGDP比1.5%で対GDP比としては世界99位だが[6]、軍事費自体は世界第8位である[29]。平時において連邦軍は国防大臣の指揮下に置かれる。ドイツが戦時に入れば(基本法は自衛のみを容認している)、首相が連邦軍の総司令官となる[30]。2011年の軍事支出も467億ドルと低めに抑えられている。
2011年5月現在、ドイツ連邦軍は職業軍人188,000と兵役最低6か月の18-25歳からなる徴集兵31,000を擁している[31]。ドイツ政府は職業軍人170,000、短期志願兵15,000へ縮小することを計画している[32]。各軍には予備役兵がおり、軍事訓練や海外派兵に参加している。予備役の将来の兵力や機能に関する新たなコンセプトが2011年に発表された[32]。
ドイツ連邦軍と国境警備隊が国防を担っている他、相互防衛条約に基づき6万強の米軍が駐留している。ドイツは欧州連合およびNATOの主要構成国であり、ロシアなど東方諸国を主たる仮想敵国としてきた。時代の移り変わりとともに、政府は連邦軍の主任務を、従来の国土防衛から「国際紛争への対処」に移行させる方針を発表。内容としては、2010年までに紛争地においてNATO即応部隊などに参加する「介入軍」、平和維持活動にあたる「安定化軍」、両軍の後方支援を担当する「支援軍」の3つに再編成するものである。
ドイツ連邦軍は、1996年から始まるコソボ紛争に投入され、セルビアへの空爆を実施して初陣を飾る[33]。以来、各地の戦争に参加しており、2011年現在、ドイツ兵約6,900人が国際平和維持活動に参加して国外に駐留しており、この中にはNATO主導の国際治安支援部隊(ISAF)に参加してアフガニスタンやウズベキスタンに駐留する4,900人、コソボ駐留の1,150人、国際連合レバノン暫定駐留軍の300人が含まれる[34]。
2011年まで、ドイツには18歳以上の男性に対する徴兵制度が存在し6か月の兵役期間が課せられていた。しかし、良心的兵役拒否者は同期間の民間役務 (Zivildienst) と呼ばれる老人介護や障害者支援などの社会奉仕活動、または消防団や赤十字に対する6年間のボランティア活動を選択することができた。兵役拒否者は年々増加し、近年では兵役を選択する者は2割に過ぎなくなっていた[35]。このドイツの徴兵制度は2011年7月1日をもって中止となった[36][37][35]。しかし、徴兵制の廃止により、それまでボランティアとして慈善活動に従事させられた兵役拒否者がいなくなってしまい、老人介護などの福祉に多大な経済的負担が発生する懸念が持たれており[38]、ドイツ政府は補充対策を検討している[39]。
2001年以降、女性軍人に対する制限が廃止されて全ての軍務に従事できるようになったが、女性は徴兵制の対象ではなかった。2011年現在で約17,500人の女性の現役兵と予備役兵がいる[40]。
ドイツはアメリカ、ロシアに次ぐ世界第3位の武器輸出国である。人権弾圧国家や紛争地への武器輸出は禁止しているとされるが、実際にはサウジアラビアのような人権弾圧の疑いのある国や、イスラエルのように核保有の疑いがあり、パレスチナ問題のような不和を抱える国にも輸出されている[41][42]。ドイツの武器輸出は伸びており、2013年に輸出した武器の総額は、前年比24%増の58億5000万ユーロ(約8015億円)であった。一方、ドイツ国民の間には武器輸出に反対する声が強く、2012年の世論調査では、ドイツ人の3分の2が武器輸出に反対しているとする調査もある[43]。
ドイツ陸軍のレオパルト2主力戦車
ドイツ空軍のユーロファイター戦闘機
「不朽の自由」作戦に参加したドイツ海軍のブレーメン級フリゲート艦「カールスルーエ」がソマリア沖で難民の乗った船を保護している
ドイツは190カ国以上との外交関係を結び、229ヵ所の在外公館を有している[44]。2011年現在、ドイツは欧州連合への最大の分担金拠出国であり(拠出額20%)[45]、国連に対しては第三位の分担金拠出国である(拠出額8%)[46]。ドイツはNATO、経済協力開発機構(OECD)、主要国首脳会議(G8)、G20、世界銀行そして国際通貨基金(IMF)に加盟している。ドイツは欧州連合発足当初から主要な役割を果たしており[47]、また第二次世界大戦以降はフランスとの緊密な同盟関係を保っている。ドイツは欧州の政治および安全保障面での統合を推進する努力を続けて来た[48][49][50]。
ドイツの開発援助政策は外交政策における独立した分野となっている。政策は連邦経済協力開発省(BMZ)が策定し、関係各機関が遂行する[51]。ドイツ政府は開発援助政策を国際社会における共同責任と位置つけている[52]。ドイツの開発援助支出額は米国、フランスに次ぐ世界第三位である[53][54]。
冷戦の時代、鉄のカーテンにより分断されたドイツは東西緊張の象徴となり、欧州における政治的戦場となっていた。しかしながら、東方外交を行ったヴィリー・ブラント首相は1970年代におけるデタント成功の鍵となった[55]。1999年にゲアハルト・シュレーダー首相がNATOのコソボ派兵への参加を決めたことにより、ドイツ外交の新たな基礎が定められ、第二次世界大戦以後、初めてドイツ兵が戦場へ送られた[56]。ドイツと米国は緊密な政治的同盟関係にある[20]。1948年のマーシャル・プランと強い文化的な結びつきが両国の絆を強めたが、シュレーダー首相のイラク戦争に対する強い反対意見は大西洋主義の終焉を示唆し、独米関係を冷却化させた[57][58]。両国は経済的に相互依存関係にあり、ドイツの対米輸出は8.8%であり、輸入は6.6%である[59]。
中華人民共和国はアジアにおける一番の貿易相手国である。 ドイツの武器輸出額は中国に次ぐ世界4位[60]。
江戸時代に来日したドイツ人の一人に、徳川綱吉とも会見した博物学者エンゲルベルト・ケンペルがいる。ケンペルが著した浩瀚(こうかん)な『日本誌』は詳細な紀行文にして博物誌であり、ゲーテも愛読したと伝えられる。日本に西洋医学を伝えたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトもドイツ人であり、徳川幕府が崩壊した後も、日本人は盛んにドイツから医学を学んだ。
直接の外交関係は、1850年代にプロイセン王国の軍艦が品川沖に来航した事に始まり、アメリカ合衆国のマシュー・ペリーのように武力で外交を開こうとした。このため、1911年まで(即ち幕末から明治まで)の日独関係は、不平等条約で結ばれていた。しかし、後述のように文化交流では重要な国となった。さらに、歴史的経過を見ると、ドイツ帝国成立(1871年)と明治維新(1868年)が、ほぼ同じ時期に起こった点も大きい。
1873年に岩倉使節団はベルリン[61]、ハンブルク、ミュンヘン[62]を歴訪しており、その当時の様子は「米欧回覧実記」にも詳しく記載されている。 明治維新を経た1870年代から1880年代までの日本では、ドイツ帝国の文化や制度が熱心に学ばれ、近代化の過程に大きな影響を与えた。この為、日本の近代化は「ドイツ的近代化」であるとも言われている[要出典]。伊藤博文は、大日本帝国憲法の作成にあたってベルリン大学の憲法学者ルドルフ・フォン・グナイストとウィーン大学のシュタインに師事し、歴史法学を研究している。当時の東京帝国大学がヨーロッパから招聘した教員にはドイツ人が多く、明治9年(1876年)にエルヴィン・フォン・ベルツが来日したのを初め、哲学では夏目漱石もその教えを受けて「ケーベル博士」と親しまれたラファエル・フォン・ケーベル、化学ではゴットフリード・ワグネルなどがいる。工学においては、大久保利通の命を受けた井上省三が、ザガン市のカール・ウルブリヒト工場で紡績の生産技術を学び、日本に伝えている。その知識は現代の日本の製造業の礎となった。軍事においても、大日本帝国陸軍は、普仏戦争後、軍制をフランス式からプロイセン式へと変え、その制度と理論による近代化に努め、日露戦争の勝利に繋がった。
日清戦争後には、ドイツは、ロシア帝国や、フランスとともに、日本に対し三国干渉を行った。さらに第一次世界大戦が勃発すると日本が日英同盟により連合国側に与したため、ついにドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国など中央同盟国側とは山東半島やミクロネシア、地中海などで戦火を交えるに至った(→第一次世界大戦下の日本)。
第一次世界大戦敗戦後、ドイツ帝国は崩壊しヴァイマル共和制が成立し、ヴェルサイユ条約によって莫大な賠償金を課され、全植民地の喪失とともに、国内での軍事産業が制限された。そのためドイツは、ソ連や中国との密貿易関係を構築した。特に中国はタングステンを産出したため、中独合作を行い、日中戦争(支那事変)では蒋介石政権に最新の兵器と軍事顧問団を送り込み、日本軍を苦しめた。当時日本が高度に軍事成長を果たすのに対して、ドイツは黄禍論も背景にあり、脅威を感じていた。その後国際情勢の変動により、1936年には日独防共協定を締結、その後利害を共有する日独両国は親近感を深め、1940年には日独伊三国軍事同盟へと発展、第二次世界大戦では枢軸国(同盟国)として共に戦うこととなった。
技術・経済面での交流は活発で、日本にとってヨーロッパ最大の貿易相手国となっている。特にドイツの自動車は日本でも高い人気を誇り、日本の輸入車の販売数上位3つはメルセデス・ベンツ、BMW、フォルクスワーゲンが占めている。文化や制度の面では第二次世界大戦前ほどの影響力を持たなくなったものの、クラシック音楽ではバッハやベートーヴェンをはじめとするドイツ(およびオーストリア)の作曲家の楽曲が愛好されている。
欧州連合が設立されてからは、欧州連合の中心国として交流してきた。
ドイツでは、1999年1月から2000年9月までは「ドイツにおける日本年」と定められて日本が総合的に紹介され、また日本では2005年と2006年に「日本におけるドイツ年」の諸企画が行われ、新しい形の日独交流が形成されている。
2013年のドイツのGDPは3兆6359億ドルであり、アメリカ、中国、日本に次ぐ世界第4位の経済大国である[63]。EU加盟国では最大の経済力を持つ。工業製品輸出額などでは世界一である。
ドイツ経済の主要産業は工業で、自動車、化学、機械、金属、電気製品などである。ドイツは戦前から科学技術に優れており、ガソリン自動車やディーゼルエンジンを発明したのはドイツ人であった。また現在見られる液体燃料ロケット(スペースシャトル、ソユーズ、アリアン、H-IIAなど、固体ロケットM-Vロケット等を除く)は戦時中にナチスが開発した技術が基礎となっている。現在でも技術力があり、自動車はメルセデス・ベンツ、ポルシェ、BMW、アウディ、フォルクスワーゲンといったブランドが世界的に有名である。その他、化学・薬品大手のバイエル、電機大手のシーメンス、ルフトハンザドイツ航空、ドイツ銀行、経営管理ソフトウェア大手のSAP、光学機器メーカーのカール・ツァイス、ライカ、世界最大の映画用カメラメーカーであるアーノルド&リヒター、人工透析で世界シェア40%のフレゼニウス(en)など、世界的に活動している大企業は多い。近年は再生可能エネルギー産業が急成長している[64][65]。
旧西ドイツは日本同様、第二次世界大戦後に急速な経済発展を成し遂げたが、1990年の東西統一以降旧東ドイツへの援助コストの増大、社会保障のためのコスト増大などが重荷となって経済が低迷。また旧東ドイツでは市場経済に適応できなかった旧国営企業の倒産などで失業が増え、旧東側では失業率が17.2%に達し、深刻な問題となっていた。また企業が人件費の安いポーランドやチェコなどへ生産拠点を移転させようとしているために、ますます失業が増えるのではないかとの懸念もある[要出典]。しかしこの数年はGDPは増加傾向であり[66]、失業率も減少して2011年の時点では1991年以来の低水準となっている[67]。
かつてはすべての州で、「閉店法」により、(空港や駅構内の売店、ガソリンスタンド併設のコンビニを除く)小売店は平日(月曜日から土曜日まで)は20時から翌朝6時まで、日曜・祝日は終日営業できないといった規則が定められていたが、2006年のFIFAワールドカップ開催をきっかけとして営業時間が延長された。同時に各州に閉店法に関する詳細を定める権限も移り、一部州では閉店法自体が撤廃されるところも出てきている。大型のショッピングセンターやトルコ・イタリア・ギリシャ・中国など外国人が経営する店は深夜や土日も開店している場合も多い。
ヨーロッパの中央部に位置するドイツは輸送機関の中枢となっている。このことは密集化され、かつ近代化された輸送ネットワークに反映されている。自動車大国であるだけに道路網も発達しており、アウトバーンと呼ばれる高速道路が主要都市を結んでおり、総延長は世界第三位である[68]。
鉄道はドイツ鉄道(DB, Deutsche Bahn)が全国に路線を張り巡らせ、超高速列車ICEや都市間を結ぶインターシティ、ヨーロッパ各国との間の国際列車が多数運行されている[69]。また、都市部では近郊電車のSバーンや地下鉄(Uバーン)、路面電車の路線網が発達している。なおヴッパータールには、現在運行している世界最古のモノレールがある。
航空では、欧州でも屈指の大手航空会社ルフトハンザドイツ航空が世界各国に航空路線を持っている。また、エア・ベルリンなどの格安航空会社もある。ドイツ最大のフランクフルト国際空港とミュンヘン国際空港はルフトハンザの国際ハブ空港となっており、とりわけフランクフルト国際空港は欧州で三番目に利用旅客数の多い空港となっている[70]。その他の主要空港にはベルリン・テーゲル、ベルリン・シェーネフェルト、デュッセルドルフ、ハンブルク、ケルン・ボン、ライプツィヒ・ハレがある[71]。
2008年現在、ドイツは世界第6位のエネルギー消費国であり[72]、主要エネルギーの60%を輸入に依存している[73]。政府はエネルギー効率改善と再生可能エネルギー活用を推進している[74]。エネルギー効率は1970年前半以降改善しており、政府は2050年までに国内電力需要を再生可能エネルギーのみで賄うことを目標に掲げている[75]。2010年時点でのエネルギー源は石油(33.8%)、褐炭を含む石炭(22.8%)、天然ガス(21.8%)、原子力(10.8%)、水力発電や風力発電(1.5%)、そしてその他の再生可能エネルギー(7.9%)となっている[76]。2000年、政府と原子力産業は2021年までに全ての原子力発電所を閉鎖することに合意した[77]。
ドイツは京都議定書や生物多様性、排出量規制、リサイクリングそして再生可能エネルギーの利用などを推進するその他の諸条約に係わっており、世界レベルでの持続可能な開発を支持してる[78]。ドイツ政府は大幅な排出量削減運動に着手しており、国内の排出量は低下している[79]。しかしながら、2007年時点でのドイツの温室効果ガス排出量は依然としてEU最大である[80]。
ドイツは世界的に環境保護先進国と呼ばれている。1994年、基本法第20条a項として「国は未来の世代に対する責任という面においても生活基盤としての自然を保護するものとする」という条文が採用された。エコノミーとエコロジーは対立するものではない、大気、土壌、水質の保護は経済発展の前提条件とされた。背景には、国土が狭い上に、海岸線が短いため埋立地も十分に確保できず、その上、廃棄物の他国への越境移動が禁止されたため、自国内で処理せざるを得なくなったことである。環境保護に対する国民の意識が高まり、
1998年に同盟90/緑の党が連立政権に参加した。
1986年 廃棄物発生防止・処理規正法
1991年6月 包装材廃棄物政令
1994年10月 「リサイクル経済促進・廃棄物無公害処分確保法」(廃棄物リサイクル促進法)
1996年10月 同法施行
2002年1月 デポジット制の制定
2011年7月 脱原発法の成立
現在では量り売り、デポジット制などの努力により、ごみの大幅な減量に成功している。ドイツのごみ排出量は日本の4分の1、特に包装物は10分の1である。こうした環境への姿勢が近隣諸国に影響を及ぼし、1994年12月にEUの包装材指令(2001年までに加盟各国で廃棄物リサイクル促進法を法制化することを求めるEU指令)がくだった。
ドイツは循環社会への転換を果たしているといわれている。ごみの排出回避、素材・エネルギーの再利用、環境に配慮した処理法、また「排出者責任」は企業責任と明確にしているなど、廃棄物が巡る経済を実現している。
Duales System Deutschlandの略で、1991年にドイツの企業が協力して設立した、プラスチック、缶、ビン、紙などを回収・リサイクルする組織。国内に195の分別工場を有し、現在17500企業が払う20億ユーロのライセンス料で共同処理を行っている。ここからリサイクルされたものを使用した商品は、グリューネプンクトが表示され、販売価格にリサイクル価格が上乗せされる。この制度をデュアルシステムという。デュアルシステムはドイツを手本にEU圏内で広がっている。
フリーライダーの存在、コストの問題、普通ごみの混入など課題もある。
科学におけるドイツの業績は非常に大きく、研究開発活動はドイツ経済にとって不可欠な分野となっている[82][83]。これまでに103人のノーベル賞受賞者を輩出しており[84]、20世紀においては、物理学賞、化学賞、生理学・医学賞といった科学の分野で他のどの国よりも多くの受賞をしている[85][86]。非英語圏では群を抜いた受賞者数となっている。
アルベルト・アインシュタインやマックス・プランクの業績が現代物理学確立への重要な役割を果たし、ヴェルナー・ハイゼンベルクとマックス・ボルンがこれをより一層発展させた[87]。彼らの仕事はヘルマン・フォン・ヘルムホルツやヨゼフ・フォン・フラウンホーファーといった物理学者たちに引き継がれている。ヴィルヘルム・レントゲンはX線を発見し、1901年に第1回ノーベル物理学賞を受賞した[88]。また、カール・フリードリヒ・ガウス、ダフィット・ヒルベルト、ベルンハルト・リーマン、ゴットフリート・ライプニッツ、カール・ワイエルシュトラス、ヘルマン・ワイルそしてフェリックス・クラインといった数多くの数学者たちがドイツから生まれている。ドイツにおける研究機関にはマックス・プランク研究所やドイツ研究センターヘルムホルツ協会、フラウンホーファー協会がある[89]。毎年、10人の研究者にゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ賞が授与されており、最大250万ユーロの賞金は最も高額な学術賞の一つである[90]。
ドイツは多数の著名な発明家や技術者の出身国であり、その中にはヨーロッパで初めて活版印刷を発明したとされるヨハネス・グーテンベルク[91]、ガイガー=ミュラー計数管を開発したハンス・ガイガーそして初めて全自動デジタルコンピュータを製作したコンラート・ツーゼがいる[92]。フェルディナント・フォン・ツェッペリン、オットー・リリエンタール、ゴットリープ・ダイムラー、ルドルフ・ディーゼル、フーゴー・ユンカースそしてカール・ベンツといったドイツの発明家、技術者、企業家たちが現代の自動車や航空輸送技術を形づくった[93]。史上初の宇宙ロケット(V2ロケット)を開発した航空宇宙工学技術者のヴェルナー・フォン・ブラウンは、後にNASAの主要メンバーとなり、サターンV型ロケットを開発してアポロ計画の成功に貢献している。ハインリヒ・ヘルツの電磁波分野での業績は現代の遠距離通信の発展にとって極めて重要である[94]。
また、ドイツは環境技術 (en) の開発と利用に関する主要国の一つである。環境技術を専門とする企業の総売上高は2005年時点で再生エネルギー分野で164億ユーロ、廃棄物処理分野は500億ユーロにのぼる[95]。ドイツ環境技術業界の重要市場は、発電、サステイナブル・モビリティ[96]、材料能率差、エネルギー効率、廃棄物管理とリサイクル、持続可能な水管理 (en) である[97]。
ヨハネス・グーテンベルク
ヴィルヘルム・レントゲン
アルベルト・アインシュタイン
ヴェルナー・フォン・ブラウン
ヘルマン・ワイル
少子高齢化が進み、1人の高齢者を2.9人で支える高齢社会に突入しており(2012年)、OECD各国では日本の次に少子高齢化が進行している[98]。
2010年1月現在のドイツの人口は8,180万人であり[99]、EU域内では最大、世界第15位である[100]。平均人口密度は229.4人/km²である。平均寿命は79.9歳。2009年の合計特殊出生率は女性一人当たり1.4人または1000人当たりでは7.9人となり、世界で最も低率の国のひとつである[101]。1990年代以降、死亡率が出生率を上回る状態が続いている[102]。連邦統計局 (en) は2060年までに人口は6,500万人から7,000万人に減少すると予測している(移民の程度による)[103]。
国民の91%はゲルマン系のドイツ語を母語とするドイツ民族である。他にバウツェンにはスラヴ系のソルブ人が、シュレースヴィヒにはゲルマン系のデンマーク人などがおり、帰化ポーランド人も多数居住している。ドイツ人は欧州諸民族の例にもれず厳密には混成民族であるが、主流であるゲルマン系と言語が一致しているため、おおむね自他ともにゲルマン民族として認識されている。
2009年の時点で、約700万人の外国人が登録されており、国内居住者の19%が外国人または両親の一方が外国人(送還された民族ドイツ人を含む)であり、これらの96%が西ドイツまたベルリンに居住している[104]。国際連合人口基金の統計によれば、ドイツは全世界の1億9,100万人の移民人口のうち、約5%に相当する1,000万人を受け入れており、移民受け入れ数では世界第3位である[105]。2012年の時点では、OECD加盟国中、ドイツは米国に次いで2番目の移民大国となっている[106]。なお、亡命と移民に対して無制限だった以前の法律が改正された結果、2000年以降、亡命地を求める移民や民族ドイツ人を主張する者たち(主に旧ソ連)は減少している[107]。2009年時点で人口の20%が移民系統であり、1945年以降最も高くなっている[108]。2008年現在、最大の民族集団はトルコ人(250万人)であり、イタリア人(776,000人)、ポーランド人(687,000人)がこれに続く[109]。1987年以降、約300万人の主に東ヨーロッパや旧ソ連から移民した民族ドイツ人(Aussiedler)がドイツに再定住した[110]。
このような安価な労働力の流入がドイツ人の雇用悪化を招き、失業者の中には暴動に走る者も現れた。また文化的衝突からネオナチなどの外国人排斥運動に賛同して外国人を襲撃するなど、深刻な問題となっている。
ドイツ語は、ドイツの公用語であり支配的な言語である[111]。ドイツ語は欧州連合の23の公用語の一つであり、欧州委員会の三つの作業言語 (en) の一つである。ドイツで公認されている少数言語は、デンマーク語、低地ドイツ語 (en) 、ソルブ語、ロマ語、そしてフリジア語であり、正式にヨーロッパ地方言語・少数言語憲章(ECRML)により保護されている。移民の間で最も使用される言語はトルコ語、クルド語、ポーランド語、バルカン系諸言語、およびロシア語である。ドイツ国民の67%が2つ以上の言語を話し、27%は3つ以上の言語を話す。[111]
標準ドイツ語は西ゲルマン語群であり、英語、低地ドイツ語、オランダ語、そしてフリジア語と密接に関連し、分類されている。低い割合ではあるが、東ゲルマン語群(死語)と北ゲルマン語群とも関係する。ほとんどのドイツ語の語彙は、インド・ヨーロッパ語族のゲルマン分岐から派生している[112]。
単語の相当数がラテン語やギリシャ語からの派生であり、またフランス語そして最近の英語(デングリッシュとして知られる)からも含まれる。ドイツ語はラテン・アルファベットを使用して書かれる。ドイツ語方言(ゲルマン諸民族の伝統的な地方亜種にまで遡る)はその語彙、音韻や文法規則で標準ドイツ語からの言語変種に分類される[113]。
また、2011年現在、少数言語の研究団体エスノローグはドイツ連邦共和国内に以下を含む28言語の存在を認めている[114]。
18世紀ドイツにおいては、洗礼の際にミドルネームが与えられることがあった。また、女性のファミリーネームを記録する際には元の名前の最後にinを付す習慣があった(例えば「Hahn」が「Hahnin」と書かれる)。また、一家で最初に生まれた男の子には父方の祖父の名を、一家で最初に生まれた女の子には母方の祖母の名をつけることがしばしば見られた。
また、伝統的には夫婦は同姓が原則で、日本の夫婦同姓のお手本になったとされる(1957年までのドイツの条文は、妻は夫の氏を称するとされており、日本の明治民法案(明治31年制定、それまでは日本は夫婦別姓)はそれと全く同じ。)。しかし、1957年、妻が出生氏を二重氏として付加できるとする改正が行われた。さらに、1976年の改正で、婚氏選択制を導入し、婚氏として妻の氏を選択する可能性を認め、決定されない場合は夫の氏を婚氏とするとされた。しかし、連邦憲法裁判所1991年3月5日決定が両性の平等違反としてこの条文も無効とし、人間の出生氏が個性又は同一性の現れとして尊重され保護されるべきことを明言した。その結果、1993年の民法改正で[115]、夫婦の姓を定めない場合は別姓になるという形で、現在は完全な選択的夫婦別姓制度を実現している(ドイツ民法1355条)。
ドイツにおける最大の宗教はキリスト教で2008年現在で信者数5,150万人(62.8%)である [116]。この内30%がカトリック、29.9%がドイツ福音主義教会(EKD)に属する福音主義信徒であり、ドイツ福音主義教会には20の州教会が加盟しており、常議員会議長がドイツ福音主義教会 (EKD) を代表する。その他は小宗派(各々0.5%以下)である[117]。福音主義教会信徒は北部と東部、ローマ・カトリック教会信徒は南部と西部に多い。南部であっても、バイエルン州北部ニュルンベルクとその周辺やバーデン=ヴュルテンベルク州北部シュトゥットガルトとその周辺では福音主義教会信徒も多い。また、1.6%は正教会である[116]。
2番目に大きな宗教がイスラム教で、凡そ380-430万人(4.6-5.2%)[118]、次いで仏教徒が25万人、ユダヤ教が約20万人(0.3%)、ヒンズー教徒が9万人(0.1%)である。これ以外の宗教の信者は5万人以下である[119]。400万人のイスラム教徒のほとんどはトルコからのスンニ派またはアレヴィー派であるが、少数のシーア派や小分派も存在する[118]。ドイツのユダヤ人人口はフランス、イギリスに次いでヨーロッパで3番目である[120]。仏教徒の50%はアジアからの移民である[121]。34.1%が無宗教であり、旧東ドイツ地域と大都市圏に多い[117]。
宗教的多様性と国家干渉主義の両方の伝統を持つ中央ヨーロッパ、とりわけ旧東ドイツの各州においてゼクト(カルト)団体が増加しているドイツでは、予防啓発とゼクト脱退者保護の政策が、地方レベルで実施されている。ゼクト担当委員のポストが各州に創設された。中央レベルでは、教会法人格の取得に関する認証基準が定められた。情報交換を目的とした作業会議が、州職員と州代表者の間で何度も開かれた。とはいえ市民社会には秩序があり、国家宗教は揺らいでいないため、この問題への関心は限定的である。現在のところ、禁止されたゼクトはない。その上、国家権力の行動の幅は狭くなっている[122]。
教育課程は初等教育4年、中等教育以降は職業人向けと高等教育向けの学校とに厳格に分けられている。いわゆる「マイスター制」である。12歳までは基礎学校(義務教育)で、子供の能力の見極めが重要になる。13歳から15歳では、就職のための専門的な職業教育が行われる。大学への進学を希望する場合は、ギムナジウムという進学校に進学し、大学進学に必要なアビトゥア資格の取得を目指す。日本においては、俗に「ドイツでは工業職人がマイスターと呼ばれ、尊敬を受けている」という話がまことしやかに語られているが、正確ではない。第二次世界大戦後の高度成長の過程においては確かに事実であったが、近年では多くの子供たちがギムナジウムに進学する傾向が見られ、これがドイツの財政(教育費)を圧迫する原因にもなっている。また、工業職人のイメージが強いマイスター制度だが、これも近年ではコンピュータ技術者といった従来のイメージとは異なる職種の学校が増えつつある。近年、国際化によりマイスター制度が先進工業の発展に寄与しなくなったことや、12歳で人生が決まってしまう学校制度に疑問が上がり、近年は義務教育からアビトゥア資格取得まで一貫した中等教育を行うシュタイナー学校や総合学校が広まっている。
大学においても近年変革の時期を迎えている。ドイツの大学はほぼ全てが州立大学で、基本的に学費は納める必要がない(ただし、州により学費徴収を行うケースもある)。しかし、近年の不況の影響を受け、大学は授業料を徴収するかどうか、検討を始めている。また、かつてのドイツは大学卒業した者はエリートコースを歩み、大学卒業資格は社会で相当に高い評価を得ていたと言える。しかし、近年における財政界からは、もっと柔軟な思考ができる学生が欲しいとの声が強まり、大学のカリキュラムも変革の時期を迎えている。
世界で初めて公的年金、公的医療保険制度を導入した国であり、日本を含む多くの諸外国がこれを取り入れている。1883年にオットー・フォン・ビスマルクが成立させた疾病保険法に遡る世界最古の国民皆保険制度を有している[123]。現在、全住民には国家によって提供される基礎健康保険が適用され、保険者は公的・私的の中から自由に選択できる。世界保健機関によれば、2005年のドイツ国民医療費は77%が公費負担、23%が私費負担である[124]。GDPに占める医療費は11%であった。平均寿命は男性が77歳、女性が82歳で世界第20位であり、乳児死亡率は出生児1,000人当たり4人と非常に低い数値である[124]。
2009年現在の主な死亡原因は心血管疾患の42%、続いて悪性腫瘍の25%だった[125]。2008年現在、82,000人がHIV/AIDSに感染しており、1982年以降、合計26,000人がこの病気で死亡している[126]。2005年の統計では成人の27%が喫煙者である[126]。2007年の調査によれば、ドイツは肥満した人の数がヨーロッパで最大である[127][128]。
歴史的にドイツは「詩人と思想家の国」(Das Land der Dichter und Denker)と呼ばれてきた[129]。連邦各州が文化施設を担当しており、ドイツには助成を受けた240の劇場、数百の交響曲オーケストラ、数千の博物館そして25,000以上の図書館がある。これらの文化施設は多くの人々に利用されており、毎年延べ9,100万人のドイツ人が博物館を訪れ、20万人が劇場やオペラ、3,600万人が交響曲オーケストラを鑑賞している[130]。国際連合教育科学文化機関はドイツでは36件を世界遺産リストに登録している[131]。
ドイツは高いレベルの男女平等[132]、障害者の権利促進そして同性愛者に対する法的社会的寛容を確立している。ゲイとレズビアンはパートナーの遺伝的子供を養子とすることができ、2001年以降にはシビル・ユニオン(結婚に準じる権利)[133]が認められた[134]。1990年代半ば以降ドイツは移民に対する態度を変えており、ドイツ政府とドイツ人の過半数が移民の管理は資格基準に基づいて許可されねばならないと認識するようになった[135]。ドイツは2010年に世界で最も賞賛される国の統計で50カ国中第2位にあげられた[136]。2013年のBBCの世論調査によれば、ドイツは世界で最も肯定的な影響を与えている国と認められている[137]。
ドイツ・ロマン派のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、フィリップ・オットー・ルンゲなどの画家名やドイツ表現主義などの項目を参照。
第一次世界大戦中から戦後、ドイツは表現主義や新即物主義を生み出し、デザインや建築でもバウハウスを中心に革新的な動きを起こした。バウハウスに集ったヴァルター・グロピウス、ハンネス・マイヤー、ミース・ファン・デル・ローエ、ヨハネス・イッテン、ピエト・モンドリアン、ヴァシリー・カンディンスキー、モホリ・ナギといった美術家・建築家らは、合理主義・表現主義・構成主義といった美術観・建築観に基づくデザインを生み出し、今日のデザイン分野への影響は甚大である。
しかし既存のロマン派的流れを汲む美術団体との軋轢、およびナチスの「退廃芸術」排除の政策から、主だった美術家・建築家はアメリカ合衆国などに移民し、ドイツの芸術は壊滅的打撃を受けた。
1960年代以降、フルクサスやヨーゼフ・ボイス、アンゼルム・キーファー、ゲルハルト・リヒターなど、世界に影響を与える芸術家が多数登場し、ドイツの美術・建築・デザインは再び世界的存在感を高めている。
ドイツ文学は中世のヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデやヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの作品にまで遡ることができる。著名なドイツ人作家にはかの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテやフリードリヒ・フォン・シラー、ハインリヒ・ハイネがいる。グリム兄弟によって編纂出版された民話集はドイツ民話を国際レベルにまで知らしめた。20世紀の有力作家にはトーマス・マン、ベルトルト・ブレヒト、ヘルマン・ヘッセ、ハインリヒ・ベルそしてギュンター・グラスがいる[138]。ノーベル文学賞にはテオドール・モムゼン(1902年)、ルドルフ・クリストフ・オイケン (1908年)、パウル・フォン・ハイゼ (1910年)、ゲアハルト・ハウプトマン(1912年)、トーマス・マン (1929年)、ヘルマン・ヘッセ(1946年)、ハインリヒ・ベル(1972年)、 ギュンター・グラス(1999年)そして、ヘルタ・ミュラー (2009年)が選ばれている。エーリッヒ・ケストナー、オトフリート・プロイスラー、ミヒャエル・エンデなど児童文学界に影響を与えた人も多い。
ドイツ語圏の出版社は年間7億部を発行しており、出版タイトルは約8万で、その内6万が新刊である。ドイツ語書籍は英語圏市場や中華人民共和国に次ぐ第3位の市場規模を誇っている[139]。500年に及ぶ伝統を持つフランクフルト・ブックフェアは国際取引市場で最も重要な書籍見本市である[140]。ドイツは人口10万人当たりの図書館数がG7で一番多く、10万人当たり14.78館が存在する[141]。2005年にはドイツ語長編小説を対象とするドイツ書籍賞が創設された。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (1749–1832) |
フリードリヒ・フォン・シラー (1759–1805) |
グリム兄弟 (1785–1863) |
トーマス・マン (1875–1955) |
ヘルマン・ヘッセ (1877–1962) |
ベルトルト・ブレヒト (1898–1956) |
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ドイツ哲学は歴史的に重要である。とりわけ影響力があったものには合理主義哲学に対するゴットフリート・ライプニッツの貢献、イマヌエル・カント、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル、フリードリヒ・シェリングによる古典的ドイツ観念論の確立、アルトゥル・ショーペンハウアーの形而上学的厭世論の著作、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによる共産主義思想の理論化、フリードリヒ・ニーチェによる遠近法主義 (en) の展開、分析哲学黎明期におけるゴットロープ・フレーゲの功績、存在(Being)に関するマルティン・ハイデッガーの著作そしてマックス・ホルクハイマー、テオドール・アドルノ、ヘルベルト・マルクーゼ、ユルゲン・ハーバーマスによるフランクフルト学派の発展がある。21世紀においてドイツはフランス、オーストリア、スイスそしてスカンジナビア諸国とともにヨーロッパ大陸における現代分析哲学の発達に貢献してきた[142]。
ドイツは、18世紀後半以降の音楽史で、同系国家であるオーストリア(1866年まではドイツ連邦議長国)とともに独占的ともいえる地位を築き、今日もヨーロッパの歌劇場の過半数[143]、全世界のオーケストラの1/4以上[144]がドイツにあるといわれる。19世紀後半まではドイツ連邦議長国であったオーストリアと共に、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、ヨハネス・ブラームスの「ドイツ三大B」を初めとする、クラシック音楽史上に名を残す作曲家や演奏家を多数輩出した。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとする世界クラスのオーケストラや音楽祭も多い。文学と同じくオーストリアと併せた括りで(相互の移動や各時代における国民意識など分離して考えることが困難なため。ベートーヴェンがドイツ音楽でブルックナーはオーストリア音楽というような分け方は殆どされない)世界最大のクラシック音楽大国とされている。指揮者もオーストリアと同様に著名な人物を多数輩出している。 オペラ、コンサート、演劇への関心も強く、ある程度の規模の街には州立(国立と呼ばれる場合もある)ないし市立の劇場、オーケストラがおかれている。各地の放送局が所有しているオーケストラ(バイエルン放送交響楽団・北ドイツ放送交響楽団等)も総じてレベルが高い。オペラは、年間上演数がオーストリアとスイスのドイツ語圏をあわせるとイタリアの4倍近く、世界でも群を抜く中心国であり、諸外国からドイツ語を学んだ歌手が多く集まっている。逆にいえばドイツ人だけでは陣容を維持できない規模になっているともいえ、ポピュラー系のショービジネスや野球におけるアメリカに似た地位にある。その他、オペレッタ、ミュージカル、バレエ、ストレートプレイの上演も盛んである。特にストレートプレイについては、先進国では希少な、公務員並の待遇の俳優が存在する国であり(他にオーストリアなど)、自国語を捨ててでも安定した身分で演劇に専心できる生活を目指して入国してくる外国人も少なくない。バレエもドイツ・オーストリアは目ぼしい歴史的作品を生んでいない国であるにもかかわらず、プロ人口は世界最多である。
ポピュラー音楽については、1979年、ジンギスカンの『Dschinghis Khan(ジンギスカン)』『めざせモスクワ(Moskau)』や、1980年代にNENA(ネーナ)がアメリカ合衆国などでもヒットさせた『99 Luftballons』(ロックバルーンは99)などが知られている。
また最近では、旧・東ドイツの都市ライプツィヒの聖トーマス教会の少年合唱団出身者などにより結成されたDie Prinzen(ディー・プリンツェン)が、2002年のサッカー「FIFAワールドカップ日韓大会」で活躍し、最優秀選手に選出されたドイツ代表のゴールキーパーであるオリバー・カーンをモチーフにした曲『OLLI KAHN』が話題を呼ぶ。
ロック音楽では、主なミュージシャンとしてプログレッシヴ・ロックのタンジェリン・ドリーム、テクノの元祖クラフトヴェルク、 ハード・ロックのスコーピオンズ、マイケル・シェンカー・グループ、フェア・ウォーニング、ヘヴィ・メタルのアクセプト、ハロウィン、ガンマ・レイ、ブラインド・ガーディアン、エドガイ、レイジ、プライマル・フィア、ラムシュタインなどの名が挙げられる。
テクノやトランスなどのクラブ系は、野外レイヴ『ラブパレード』や屋内レイヴ『メーデー』が開催されるなど、ドイツ国内に広く普及している。テクノではベルリンのトレゾアやケルンのコンパクトなどのレーベルから世界中のアーティストが曲をリリースしている。トランスの分野では、東ベルリン出身のDJ・Paul van Dykが「DJ Magazine」誌の人気投票で1位を獲得している。 電子音楽、エレクトロニカ、サウンドアートなども盛んであり、坂本龍一とのコラボレーションでも知られるAlva Notoが主催するレーベルRaster-Notonなど注目度が高い。
ドイツ映画は草創期のマックス・スクラダノフスキー (en) に遡り[145]、ロベルト・ウィーネ (en) やフリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ (en) といったドイツ表現主義映画が影響力を持っていた[146]。1927年にはフリッツ・ラング監督によるSF映画の先駆たる大作『メトロポリス』が公開された[147]。1930年に公開されたオーストリア系アメリカ人のジョセフ・フォン・スタンバーグ監督『嘆きの天使』がドイツ初の大作トーキー映画である[148]。戦後はユダヤ系、反ナチ系の才能が多く流出したことや、巨大なウーファ撮影所が東ドイツの所属となったこともあり低迷。日本で紹介されるのもポルノ映画やB級西部劇ばかりという状態が続いた。1970年代から80年代にかけて、フォルカー・シュレンドルフ、ヴェルナー・ヘルツォーク、ヴィム・ヴェンダース、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーといったニュー・ジャーマン・シネマ監督たちが西ドイツ映画を国際的な舞台へと押し上げた[149]。毎年のヨーロッパ映画賞は隔年でヨーロピアン・フィルム・アカデミー(EFA)の本部のあるドイツで開催される。1951年以来、毎年開催されるベルリン国際映画祭は世界で最も重要な映画祭の一つである[150]。
近年では『グッバイ、レーニン!』(Good Bye, Lenin!;2003年)、『愛より強く』(Gegen die Wand;2004年)、『ヒトラー 〜最期の12日間〜』(Der Untergang;2004年)、『バーダー・マインホフ 理想の果てに』(Der Baader Meinhof Komplex;2008年)が国際的な成功を収めている。ニュージャーマンシネマ勃興期と比べると、平明なエンタテインメント映画も豊富になってきた。また、1979年に『ブリキの太鼓』(Die Blechtrommel)、2002年に『名もなきアフリカの地で』(Nirgendwo in Afrika)、2007年に『善き人のためのソナタ』(Das Leben der Anderen)がアカデミー外国語映画賞を受賞している[151] 。
3400万世帯のドイツのテレビ市場はヨーロッパ最大であり、ドイツ世帯の90%がケーブルテレビまたは衛星放送を視聴している[152]。放送局はドイツ公共放送連盟(ARD)加盟の各地の公共放送局、第二の公共放送ネットワークである第2ドイツテレビ(ZDF)などがある。
料理は火を使わずに用意できるカルテス・エッセン (kaltes Essen、冷たい食事) と、調理してから出されるヴァルメス・エッセン (warmes Essen、温かい食事) とに大別される。よく知られているものとしては、前者にソーセージ (Wurst) 、ハム (Schinken) 、チーズ (Käse) などの冷製食品、後者に塩漬け肉アイスバイン(Eisbein)、キャベツの塩漬けザワークラウト(Sauerkraut)、肉や魚の団子クネーデル(Knödel)などがある。
ビールは16歳以上(保護者同伴ならば14歳から)の国民が飲めるアルコール飲料である(ただし、フランクフルトなど地方によってはリンゴのワインの方が人気)。ミュンヘンのオクトーバー・フェストは世界最大のビール祭りだといわれる。ドイツのワインは白ワインが主体。かつてはリースリング種をつかった甘口のワインが多かったが、食生活の変化に伴い辛口の白ワインや赤ワインが生産・消費ともに増加している。蒸留酒は18歳以上の国民が飲むことが出来る。
ドイツ料理は地域ごとに特色があり、バイエルンやシュバーヴェンといった南部はスイスやオーストリアと食文化が共通している。全ての地域で肉はしばしばソーセージのかたちで食べられる[153]。有機農産物が市場の約2%を占めており、今後も増加する見込みである[154]。ドイツの多くの部分でワインが親しまれているが、国民的酒類はビールである。ドイツ人のビール消費量は減少傾向にあるが、依然として年間一人当たり116リットルが消費されており、世界最大である[155]。 また、ビールの醸造では世界最古のWeihenstephan:ヴァイエンシュテファン醸造所がミュンヘンから北東のフライジングにある。https://en.wikipedia.org/wiki/Weihenstephan
ミシュランガイドは9件のレストランに三つ星を、15件に二つ星をつけている[156]。ドイツのレストランはフランスに次いで世界で二番目に賞を受けている[157]。
ドイツ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が36件、自然遺産が3件で合計39件の世界遺産が現存する。イタリア・中国・スペインに次ぎ、フランスに並ぶ4番目の登録件数である。
アーヘン大聖堂
1978年文化遺産登録
ヴュルツブルク司教館、その庭園群と広場
1981年文化遺産登録
シュパイアー大聖堂
1981年文化遺産登録
ベルリンのモダニズム集合住宅群
2008年文化遺産登録
メッセル採掘場の化石発掘現場
1995年自然遺産登録
ドイツはカトリック・プロテスタントが混在しているため、元日やドイツ統一の日のようにドイツ全土で祝日とされている日の他に、カトリック信者の多い州だけ、あるいはプロテスタント信者の多い州だけ祝われる日が存在するため、州によって祝日は異なっている。
ドイツはサッカーが非常に盛んな国である。通常ドイツのスポーツ競技団体はドイツスポーツ連盟(DSB)に加盟しているが、ドイツサッカー連盟(DFB)は会員数630万人以上を数え、他の団体に比しても規模が大きい事で知られる。
FIFAワールドカップにおいてはドイツ代表が4度の優勝と4度の準優勝(旧西ドイツ時代を含む)をしており、現在も安定した強さを持つヨーロッパ屈指の強豪国である。優勝回数4回は、5回のブラジルに次ぎ、イタリアと並ぶ第2位の記録である。UEFA欧州選手権ではスペインと並ぶ最多の3度の優勝と3度の準優勝(旧西ドイツ時代を含む)をしている。2006年には1974年のワールドカップ・西ドイツ大会以来32年ぶりにワールドカップが地元開催され、3位入賞を果たした。ゼップ・マイヤーから始まり、ハラルト・シューマッハー、アンドレアス・ケプケ、ボド・イルクナー、オリバー・カーン、マヌエル・ノイアーなど、どの時代にもゴールキーパーに名選手が多いことから、PK戦では驚異的な強さである。女子代表も2003年、2007年のFIFA女子ワールドカップを連覇、UEFA欧州女子選手権では6連覇をしている強豪である。
国内のクラブチームの活動も盛んで、トップリーグであるフースバル・ブンデスリーガ(連邦リーグ)は欧州屈指のレベルを誇り、バイエルン・ミュンヘン等の名門クラブが鎬を削っている。 バイエルン・ミュンヘンはチャンピオンズリーグでもドイツ最多の5回の優勝を果たしている。
寒さが厳しい地方ではウィンタースポーツが盛んで、冬季オリンピックにも毎回多数のすぐれた選手を輩出している。なお、1936年にはオーストリアとの国境付近の町ガルミッシュパルテンキルヒェンで冬季オリンピックが開催されている(ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック)。また、西ドイツと東ドイツを含んだ冬季オリンピックでのメダル獲得数が1番であることでも知られている。
古くから自動車産業が盛んなことからモータースポーツの伝統国の1つとして知られ、1950年代までグランプリレースなどを席巻し、近年F1の世界でも再び活躍するメルセデス・ベンツ、1980年代を中心にスポーツカーの分野で数度のチャンピオンを獲得し、ル・マン24時間レースにおいては最多勝のポルシェ(近年ではアウディも)、1960年代から2000年代にかけヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)で最多勝(18勝)を挙げるなどツーリングカーの分野において圧倒的な強さを持つBMWの4社を筆頭に、自動車会社各社が目覚しい記録を残している。
二輪モータースポーツにおいてもその活動は顕著であり、古くはNSUや、ツェンダップ、クライドラー、旧東ドイツのMZモトラッド等が世界選手権を席巻した。その時代の代表格ともいえる選手がエルンスト・デグナーである。近年においては実力のある選手を輩出するもののドイツのメーカーがWGPに参戦していない時期が長かった関係から日本製オートバイでの活躍が目立つ。WGP通算42勝のアントン・マンク、スズキにタイトルをもたらしたハンス=ゲオルグ・アンシャイト、ダーク・ラウディス、ステファン・ブラドルとヘルムート・ブラドルのブラドル親子、タイトルには縁が無かったもののマーチン・ウィマーやラルフ・ウォルドマン、ラインハルト・ロス、スティーブ・イェンクナーなど個性派が多い。
また、近年はBMWがスーパーバイク世界選手権に参戦し好成績を収めている。
F1ドライバーのミハエル・シューマッハ、セバスチャン・ベッテルやDTMのベルント・シュナイダーを筆頭に優秀なレーシングドライバーを数多く輩出している国でもある。特に近年では多数のF1ドライバーを輩出している。また世界的に有名な難関コースを持つサーキット・ニュルブルクリンクがあるのはドイツである。
ドイツは1900年のパリオリンピックから競泳のドイツ人選手が参加しており、メダルを取り続けている。 平泳ぎのエルビン・ジータス、バタフライのミヒャエル・グロス、自由形のパウル・ビーデルマンなどが有名。
近代オリンピックにおいて歴代ドイツ選手団は優秀な成績を収めており、獲得メダル数は旧東西ドイツ時代を含めるとアメリカ、ロシア(旧ソ連含む)に次いで世界第3位となる。2008年夏季オリンピックにおいてドイツはメダル獲得数第5位であったが[158]、2010年冬季オリンピックでは第2位である[159]。ドイツは夏季オリンピックを1936年のベルリンオリンピックと1972年のミュンヘンオリンピックの2回主催しており、冬季オリンピックは1936年にガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックを主催している。
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Federal Republic of Germany Bundesrepublik Deutschland
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Anthem: Deutschlandlied[1] (English: "Song of Germany")[a] |
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Location of Germany (dark green)
– in Europe (green & dark grey) |
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Capital and largest city |
Berlin 52°31′N 13°23′E / 52.517°N 13.383°E / 52.517; 13.383 |
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Official languages | German[1][b] | |||||
Demonym | German | |||||
Government | Federal parliamentary constitutional republic | |||||
- | President | Joachim Gauck | ||||
- | Chancellor | Angela Merkel | ||||
Legislature | ||||||
- | Upper house | Bundesrat | ||||
- | Lower house | Bundestag | ||||
Formation | ||||||
- | Holy Roman Empire | 2 February 962 | ||||
- | German Confederation | 8 June 1815 | ||||
- | German Empire | 18 January 1871 | ||||
- | Federal Republic | 23 May 1949 | ||||
- | EEC Foundation[c] | 1 January 1958 | ||||
- | Reunification | 3 October 1990 | ||||
Area | ||||||
- | Total | 357,168 km2 (63rd) 137,847 sq mi |
||||
Population | ||||||
- | 2014 estimate | 80,716,000[2] (16th) | ||||
- | Density | 226/km2 (58th) 583/sq mi |
||||
GDP (PPP) | 2015 estimate | |||||
- | Total | $3.815 trillion[3] (5th) | ||||
- | Per capita | $46,896[3] (20th) | ||||
GDP (nominal) | 2015 estimate | |||||
- | Total | $3.413 trillion[3] (4th) | ||||
- | Per capita | $41,955[3] (20th) | ||||
Gini (2011) | 29.0[4] low |
|||||
HDI (2013) | 0.911[5] very high · 6th |
|||||
Currency | Euro (€) (EUR) | |||||
Time zone | CET (UTC+1) | |||||
- | Summer (DST) | CEST (UTC+2) | ||||
Drives on the | right | |||||
Calling code | 49 | |||||
ISO 3166 code | DE | |||||
Internet TLD | .de and .eu |
Germany (/ˈdʒɜrməni/; German: Deutschland [ˈdɔʏtʃlant]), officially the Federal Republic of Germany (German: Bundesrepublik Deutschland, listen (help·info)),[d][6] is a federal parliamentary republic in western-central Europe. It includes 16 constituent states and covers an area of 357,021 square kilometres (137,847 sq mi) with a largely temperate seasonal climate. Its capital and largest city is Berlin. With 80.7 million inhabitants, Germany is the most populous member state in the European Union. After the United States, it is the second most popular migration destination in the world.[7]
Various Germanic tribes have occupied northern Germany since classical antiquity. A region named Germania was documented before 100 CE. During the Migration Period the Germanic tribes expanded southward. Beginning in the 10th century, German territories formed a central part of the Holy Roman Empire.[8] During the 16th century, northern German regions became the centre of the Protestant Reformation.
The rise of Pan-Germanism inside the German Confederation resulted in the unification of most of the German states in 1871 into the Prussian-dominated German Empire. After World War I and the German Revolution of 1918–1919, the Empire was replaced by the parliamentary Weimar Republic. The establishment of the Third Reich in 1933 eventually led to World War II and the Holocaust. After 1945, Germany lost roughly one-quarter of its pre-war territory and evolved into two states, East Germany and West Germany. In 1990, the country was reunified.[9]
In the 21st century, Germany is a great power and has the world's fourth-largest economy by nominal GDP, as well as the fifth-largest by PPP. As a global leader in several industrial and technological sectors, it is both the world's third-largest exporter and importer of goods. It is a developed country with a very high standard of living, and it maintains a comprehensive social security and a universal health care system.
Germany was a founding member of the European Communities in 1957, which became the European Union in 1993. It is part of the Schengen Area, and became a co-founder of the Eurozone in 1999. Germany is a member of the United Nations, NATO, the G8, the G20, and the OECD. Known for its rich cultural history, Germany has been continuously the home of influential artists, philosophers, musicians, entrepreneurs, scientists and inventors.
The English word Germany derives from the Latin Germania, which came into use after Julius Caesar adopted it for the peoples east of the Rhine.[10] The German term Deutschland, originally diutisciu land (the German lands") is derived from deutsch, descended from Old High German diutisc "popular" (i.e. belonging to the diot or diota "people"), originally used to distinguish the language of the common people from Latin and its Romance descendants. This in turn descends from Proto-Germanic *þiudiskaz "popular" (see also the Latinised form Theodiscus), derived from *þeudō, descended from Proto-Indo-European *tewtéh₂- "people".[11]
The discovery of the Mauer 1 mandible shows that ancient humans were present in Germany at least 600,000 years ago.[12] The oldest complete hunting weapons found anywhere in the world were discovered in a coal mine in Schöningen where three 380,000 year old wooden javelins 6–7.5 feet long were unearthed.[13] The Neander Valley was the location where the first ever non-modern human fossil was discovered, the new species of human was named Neanderthal man. The Neanderthal 1 fossils are known to be 40,000 years old. Evidence of modern humans, similarly dated, has been found in caves in the Swabian Jura near Ulm. The finds include 42,000 year old bird bone and mammoth ivory flutes which are the oldest musical instruments ever found,[14] the 40,000 year old Ice Age Lion Man which is the oldest uncontested figurative art ever discovered,[15] and the 35,000 year old Venus of Hohle Fels which is the oldest uncontested human figurative art ever discovered.[16] The Nebra sky disk is a bronze artifact created during the European Bronze Age attributed to a site near Nebra, Saxony-Anhalt. It is part of UNESCO's Memory of the World Register.[17]
The Germanic tribes are thought to date from the Nordic Bronze Age or the Pre-Roman Iron Age. From southern Scandinavia and north Germany, they expanded south, east and west from the 1st century BCE, coming into contact with the Celtic tribes of Gaul as well as Iranian, Baltic, and Slavic tribes in Central and Eastern Europe.[18] Under Augustus, Rome began to invade Germania (an area extending roughly from the Rhine to the Ural Mountains). In 9 CE, three Roman legions led by Varus were defeated by the Cheruscan leader Arminius. By 100 CE, when Tacitus wrote Germania, Germanic tribes had settled along the Rhine and the Danube (the Limes Germanicus), occupying most of the area of modern Germany; Austria, southern Bavaria and the western Rhineland, however, were Roman provinces.[19]
In the 3rd century a number of large West Germanic tribes emerged: Alemanni, Franks, Chatti, Saxons, Frisii, Sicambri, and Thuringii. Around 260, the Germanic peoples broke into Roman-controlled lands.[20] After the invasion of the Huns in 375, and with the decline of Rome from 395, Germanic tribes moved further south-west. Simultaneously several large tribes formed in what is now Germany and displaced the smaller Germanic tribes. Large areas (known since the Merovingian period as Austrasia) were occupied by the Franks, and Northern Germany was ruled by the Saxons and Slavs.[19]
For 900 years, the history of Germany was intertwined with the history of the Holy Roman Empire.[21] In 800, the Frankish king Charlemagne was crowned emperor and founded the Carolingian Empire, which was divided in 843 among his heirs.[22] The Holy Roman Empire included the eastern portion of Charlemagne's original kingdom and emerged as the strongest. Its territory stretched from the Eider River in the north to the Mediterranean coast in the south.[22]
The Ottonian emperors (919–1024) consolidated several major duchies and the German king Otto I was crowned Holy Roman Emperor of these regions in 962. In 996 Gregory V became the first German Pope, appointed by his cousin Otto III, whom he shortly after crowned Holy Roman Emperor. The Holy Roman Empire absorbed northern Italy and Burgundy under the reign of the Salian emperors (1024–1125), although the emperors lost power through the Investiture Controversy.[23]
In the 12th century, under the Hohenstaufen emperors (1138–1254), German princes increased their influence further south and east into territories inhabited by Slavs; they encouraged German settlement in these areas, called the eastern settlement movement (Ostsiedlung). Members of the Hanseatic League, which included mostly north German cities and towns, prospered in the expansion of trade.[24] In the south, the Greater Ravensburg Trade Corporation (Große Ravensburger Handelsgesellschaft) served a similar function. The edict of the Golden Bull in 1356 provided the basic constitutional structure of the Empire and codified the election of the emperor by seven prince-electors who ruled some of the most powerful principalities and archbishoprics.[25]
Population declined in the first half of the 14th century, starting with the Great Famine in 1315, followed by the Black Death of 1348–50.[26] Despite the decline, however, German artists, engineers, and scientists developed a wide array of techniques similar to those used by the Italian artists and designers of the time who flourished in such merchant city-states as Venice, Florence and Genoa. Artistic and cultural centers throughout the German states produced such artists as the Augsburg painters Hans Holbein and his son, and Albrecht Dürer. Johannes Gutenberg introduced moveable-type printing to Europe, a development that played a key role in the Renaissance, Reformation, the Age of Enlightenment, and the Scientific revolution, and laid the material basis for the modern knowledge-based economy and the spread of learning to the masses.[27]
In 1517, the Wittenberg monk Martin Luther publicised The Ninety-Five Theses, challenging the Roman Catholic Church and initiating the Protestant Reformation. In 1555, the Peace of Augsburg established Lutheranism as an acceptable alternative to Catholicism, but also decreed that the faith of the prince was to be the faith of his subjects, a principle called Cuius regio, eius religio. The agreement at Augsburg failed to address other religious creed: for example, the Reformed faith was still considered a heresy and the principle did not address the possible conversion of an ecclesiastic ruler, such as happened in Electorate of Cologne in 1583. From the Cologne War until the end of the Thirty Years' Wars (1618–1648), religious conflict devastated German lands.[28] The latter reduced the overall population of the German states by about 30 percent, and in some places, up to 80 percent.[29] The Peace of Westphalia ended religious warfare among the German states[28] and Catholicism, Lutheranism and the Reformed faith became the official religions in many German states after 1648.[30]
In the 18th century, the Holy Roman Empire consisted of approximately 1,800 territories.[31] The elaborate legal system initiated by a series of Imperial Reforms (approximately 1450–1555) created the Imperial Estates and provided for considerable local autonomy among ecclesiastical, secular, and hereditary states, reflected in Imperial Diet. The House of Habsburg held the imperial crown from 1438 until the death of Charles VI in 1740. Having no male heirs, he had convinced the Electors to retain Habsburg hegemony in the office of the emperor by agreeing to the Pragmatic Sanction. This was finally settled through a the War of Austrian Succession; in the Treaty of Aix-la-Chapelle, Maria Theresa's husband became Holy Roman Emperor, and she ruled the Empire as Empress Consort. From 1740, dualism between the Austrian Habsburg Monarchy and the Kingdom of Prussia dominated the German states in the 18th century. As a consequence of the French Revolutionary Wars, and the subsequent final meeting of the Imperial Diet, most of the secular Free Imperial Cities were annexed by dynastic territories; the ecclesiastical territories were secularized and annexed. In 1806 the Imperium was dissolved; German states, particularly the Rhineland states, fell under the influence of France. Until 1815, France, Russia, Prussia and the Habsburgs competed for hegemony in the German states during the Napoleonic Wars.[32]
Following the fall of Napoleon, the Congress of Vienna (convened in 1814) founded the German Confederation (Deutscher Bund), a loose league of 39 sovereign states. The appointment of the Austrian king as the permanent president of the Confederation reflected the Congress's failure to accept Prussia's influence among the German states, and acerbated the long-standing competition between the Hohenzollern and Habsburg interests. Disagreement within restoration politics partly led to the rise of liberal movements, followed by new measures of repression by Austrian statesman Metternich. The Zollverein, a tariff union, furthered economic unity in the German states.[33] National and liberal ideals of the French Revolution gained increasing support among many, especially young, Germans. The Hambach Festival in May 1832 was a main event in support of German unity, freedom and democracy. In the light of a series of revolutionary movements in Europe, which established a republic in France, intellectuals and commoners started the Revolutions of 1848 in the German states. King Frederick William IV of Prussia was offered the title of Emperor, but with a loss of power; he rejected the crown and the proposed constitution, leading to a temporary setback for the movement.[34]
King William I appointed Otto von Bismarck as the new Minister President of Prussia in 1862. Bismarck successfully concluded war on Denmark in 1864, which promoted German over Danish interests in the Jutland peninsula. The subsequent (and decisive) Prussian victory in the Austro-Prussian War of 1866 enabled him to create the North German Confederation (Norddeutscher Bund) which excluded Austria from the federation's affairs. After the French defeat in the Franco-Prussian War, the German princes proclaimed the founding of the German Empire in 1871 at Versailles, uniting all scattered parts of Germany except Austria. Prussia was the dominant constituent state of the new empire; the Hohenzollern King of Prussia ruled as its concurrent Emperor, and Berlin became its capital.[34]
In the Gründerzeit period following the unification of Germany, Bismarck's foreign policy as Chancellor of Germany under Emperor William I secured Germany's position as a great nation by forging alliances, isolating France by diplomatic means, and avoiding war. At the Berlin Conference in 1884, Germany claimed several colonies including German East Africa, German South-West Africa, Togo, and Cameroon.[35] Under Wilhelm II, however, Germany, like other European powers, took an imperialistic course, leading to friction with neighbouring countries. Most alliances in which Germany had previously been involved were not renewed. This resulted in creation of a dual alliance with the multinational realm of Austria-Hungary, promoting at least benevolent neutrality if not outright military support. Subsequently, the Triple Alliance of 1882 included Italy, completing a Central European geographic alliance that illustrated German, Austrian and Italian fears of incursions against them by France and/or Russia. Similarly, Britain, France and Russia also concluded alliances that would protect them against Habsburg interference with Russian interests in the Balkans or German interference against France.[36]
The assassination of Austria's crown prince on 28 June 1914 triggered World War I. After four years of warfare, in which approximately two million German soldiers were killed,[37] a general armistice ended the fighting on 11 November, and German troops returned home. In the German Revolution (November 1918), Emperor Wilhelm II and all German ruling princes abdicated their positions and responsibilities. Germany's new political leadership signed the Treaty of Versailles in 1919. In this treaty, Germany, as part of the Central Powers, accepted defeat by the Allies in one of the bloodiest conflicts of all time. Germans perceived the treaty as humiliating and unjust and it was later seen by historians as influential in the rise of Adolf Hitler.[38][39][40]
Germany was declared a republic at the beginning of the German Revolution in November 1918. On 11 August 1919 President Friedrich Ebert signed the democratic Weimar Constitution.[41] In the subsequent struggle for power, the radical-left Communists seized power in Bavaria, but conservative elements in other parts of Germany attempted to overthrow the Republic in the Kapp Putsch. It was supported by parts of the Reichswehr (military) and other conservative, nationalistic and monarchist factions. After a tumultuous period of bloody street fighting in the major industrial centers, the occupation of the Ruhr by Belgian and French troops and the rise of inflation culminating in the hyperinflation of 1922–23, a debt restructuring plan and the creation of a new currency in 1924 ushered in the Golden Twenties, an era of increasing artistic innovation, liberal cultural life. Underneath it all, though, lay a current of animosity and frustration over the Treaty of Versailles, widely perceived as a stab in the back, which provided the basis of much of the anti-Semetism rife in the next two decades.[42] The economic situation remained volatile. Historians describe the period between 1924 and 1929 as one of "partial stabilization."[43] The world-wide Great Depression hit Germany in 1929. After the federal election of 1930, Chancellor Heinrich Brüning's government was enabled by President Paul von Hindenburg to act without parliamentary approval. Brüning's government pursued a policy of fiscal austerity and deflation which caused high unemployment of nearly 30% by 1932.[44]
The Nazi Party won the special federal election of 1932. After a series of unsuccessful cabinets, Hindenburg appointed Adolf Hitler as Chancellor of Germany in 1933.[45] After the Reichstag Fire, a decree abrogated basic civil rights and within weeks the first Nazi concentration camp at Dachau opened.[46][47] The Enabling Act of 1933 gave Hitler unrestricted legislative power; subsequently, his government established a centralised totalitarian state, withdrew from the League of Nations following a national referendum, and began military rearmament.[48]
Using deficit spending, a government-sponsored program for economic renewal focused on public works projects. In public work projects of 1934, 1.7 million Germans immediately were put to work, which gave them an income and social benefits.[49] The most famous of the projects was the high speed roadway, the Reichsautobahn, known as the German autobahns.[50] Other capital construction projects included such hydroelectric facilities as the Rur Dam, such water supplies as Zillierbach Dam, and such transportation hubs as Zwickau Hauptbahnhof.[51] Over the next five years, unemployment plummeted and average wages both per hour and per week rose.[52]
In 1935, the regime withdrew from the Treaty of Versailles and introduced the Nuremberg Laws which targeted Jews and other minorities. Germany also reacquired control of the Saar in 1935,[53] annexed Austria in 1938, and occupied Czechoslovakia in early 1939. Hitler's government signed the Molotov–Ribbentrop pact with Stalin and in late 1939 Germany and the Soviets invaded Poland. The United Kingdom and France then declared war on Germany, but not the Soviet Union,[54] marking the beginning of World War II.[55]
In the Spring of 1940, Germany conquered Denmark and Norway, the Netherlands, Belgium, Luxembourg, and France forcing the French government to sign an armistice after German troops occupied most of the country. The British repelled German air attacks in the same year. In 1941, German troops invaded Yugoslavia, Greece and the Soviet Union. By 1942 Germany and other Axis powers controlled most of continental Europe and North Africa but following the Soviet Union's victory at the Battle of Stalingrad, the allies' reconquest of North Africa and invasion of Italy in 1943, German forces suffered repeated military defeats.[55] In June 1944 the Western allies invaded France and the Soviets reconquered much of Eastern Europe. By late 1944 the Western allies had entered Germany despite one final German counter offensive in the Ardennes Forest. Following Hitler's suicide during the Battle of Berlin, German armed forces surrendered on 8 May 1945, ending World War II in Europe.[56]
In what later became known as The Holocaust, Nazi policies persecuted minorities. Over 10 million civilians died, including 6 million Jews, between 220,000 and 1,500,000 Romani, 275,000 persons with disabilities, thousands of Jehovah's Witnesses, thousands of homosexuals, and hundreds of thousands of members of the political and religious opposition.[57] Nazi policies in the occupied countries resulted in the deaths of 2.7 million Poles,[58] 1.3 million Ukrainians,[59] and an estimated 2.8 million Soviet war prisoners.[59][60] At least 40 million Europeans died in the war.[61] German army war casualties were between 3.2 million and 5.3 million soldiers[62] and up to 2 million German civilians.[63] German territorial losses resulted in the expulsion of millions of ethnic Germans from Eastern Europe. Germany ceded roughly 25% of its pre-war territory.[64] Strategic bombing and land warfare destroyed numerous cities and cultural heritage sites. After World War II, former members of the regime were tried for war crimes at the Nuremberg trials.[60][65]
After the surrender of Germany, the remaining German territory and Berlin were partitioned by the Allies into four military occupation zones. Together these zones accepted more than 6.5 million of the ethnic Germans expelled from eastern areas.[66] The western sectors, controlled by France, the United Kingdom, and the United States, were merged on 23 May 1949 to form the Federal Republic of Germany (Bundesrepublik Deutschland); on 7 October 1949, the Soviet Zone became the German Democratic Republic (Deutsche Demokratische Republik). They were informally known as "West Germany" and "East Germany". East Germany selected East Berlin as its capital, while West Germany chose Bonn as a provisional capital, to emphasise its stance that the two-state solution was an artificial and temporary status quo.[67]
West Germany was established as a federal parliamentary republic with a "social market economy". Starting in 1948 West Germany became a major recipient of reconstruction aid under the Marshall Plan and used this to rebuild its industry.[68] Konrad Adenauer was elected the first Federal Chancellor (Bundeskanzler) of Germany in 1949 and remained in office until 1963. Under his and Ludwig Erhard's leadership, the country enjoyed prolonged economic growth beginning in the early 1950s, that became known as an "economic miracle" (Wirtschaftswunder).[69] West Germany joined NATO in 1955 and was a founding member of the European Economic Community in 1957.
East Germany was an Eastern Bloc state under political and military control by the USSR via occupation forces and the Warsaw Pact. Although East Germany claimed to be a democracy, political power was exercised solely by leading members (Politbüro) of the communist-controlled Socialist Unity Party of Germany, supported by the Stasi, an immense secret service controlling many aspects of the society.[70] A Soviet-style command economy was set up and the GDR later became a Comecon state.[71] While East German propaganda was based on the benefits of the GDR's social programmes and the alleged constant threat of a West German invasion, many of its citizens looked to the West for freedom and prosperity.[72] The Berlin Wall, built in 1961 to stop East Germans from escaping to West Germany, became a symbol of the Cold War.[34] It was the site of U.S. Present John F. Kennedy's famous Ich bin ein Berliner speech of 26 June 1963 and subsequently Ronald Reagan's, Mr. Gorbachov, Tear down this wall! speech of 12 June 1987; hence its fall in 1989 became a symbol of the Fall of Communism, German Reunification and Die Wende.[73]
Tensions between East and West Germany were reduced in the early 1970s by Chancellor Willy Brandt's Ostpolitik. In summer 1989, Hungary decided to dismantle the Iron Curtain and open the borders, causing the emigration of thousands of East Germans to West Germany via Hungary. This had devastating effects on the GDR, where regular mass demonstrations received increasing support. The East German authorities eased the border restrictions, allowing East German citizens to travel to the West; originally intended to help retain East Germany as a state, the opening of the border actually led to an acceleration of the Wende reform process. This culminated in the Two Plus Four Treaty a year later on 12 September 1990, under which the four occupying powers renounced their rights under the Instrument of Surrender, and Germany regained full sovereignty. This permitted German reunification on 3 October 1990, with the accession of the five re-established states of the former GDR.[34]
The united Germany is considered to be the enlarged continuation of the Federal Republic of Germany and not a successor state. As such, it retained all of West Germany's memberships in international organizations.[75]
The modernisation and integration of the eastern German economy is a long-term process scheduled to last until the year 2019, with annual transfers from west to east amounting to roughly $80 billion.[76]
Based on the Berlin/Bonn Act, adopted in 1994, Berlin once again became the capital of the reunified Germany, while Bonn obtained the unique status of a Bundesstadt (federal city) retaining some federal ministries.[77] The relocation of the government was completed in 1999.[78] Following the 1998 elections, SPD politician Gerhard Schröder became the first Chancellor of a red–green coalition with the Alliance '90/The Greens party.
Since reunification, Germany has taken a more active role in the European Union. Together with its European partners Germany signed the Maastricht Treaty in 1992, established the Eurozone in 1999, and signed the Lisbon Treaty in 2007.[79]
Germany sent a peacekeeping force to secure stability in the Balkans and sent a force of German troops to Afghanistan as part of a NATO effort to provide security in that country after the ousting of the Taliban.[80] These deployments were controversial since Germany was bound by domestic law only to deploy troops for defence roles.[81]
In the 2005 elections, Angela Merkel became the first female Chancellor of Germany as the leader of a grand coalition.[34] In 2009 the German government approved a €50 billion economic stimulus plan to protect several sectors from a downturn.[82]
In 2009, a liberal-conservative coalition under Merkel assumed leadership of the country. In 2013, a grand coalition was established in a Third Merkel cabinet. Among the German political projects of the early 21st century are the energy transition (Energiewende) for a sustainable energy supply, the "Debt Brake" (Schuldenbremse) for balanced budgets, measures to increase the fertility rate significantly, and high-tech strategies for the informatization and future transition of the German economy, summarized as Industry 4.0.[83]
Germany is in Western and Central Europe, with Denmark bordering to the north, Poland and the Czech Republic to the east, Austria and Switzerland to the south, France and Luxembourg to the southwest, and Belgium and the Netherlands to the northwest. It lies mostly between latitudes 47° and 55° N and longitudes 5° and 16° E. Germany is also bordered by the fresh-water Lake Constance, the third largest lake in Central Europe.[84] German territory covers 357,021 km2 (137,847 sq mi), consisting of 349,223 km2 (134,836 sq mi) of land and 7,798 km2 (3,011 sq mi) of water. It is the seventh largest country by area in Europe and the 62nd largest in the world.[1]
Elevation ranges from the mountains of the Alps (highest point: the Zugspitze at 2,962 metres or 9,718 feet) in the south to the shores of the North Sea (Nordsee) in the northwest and the Baltic Sea (Ostsee) in the northeast. The forested uplands of central Germany and the lowlands of northern Germany (lowest point: Wilstermarsch at 3.54 metres or 11.6 feet below sea level) are traversed by such major rivers as the Rhine, Danube and Elbe. Germany's alpine glaciers are experiencing deglaciation. Significant natural resources include iron ore, coal, potash, timber, lignite, uranium, copper, natural gas, salt, nickel, arable land and water.[1]
Most of Germany has a temperate seasonal climate dominated by humid westerly winds. The country is situated in between the oceanic Western European and the continental Eastern European climate. The climate is moderated by the North Atlantic Drift, the northern extension of the Gulf Stream. This warmer water affects the areas bordering the North Sea; consequently in the northwest and the north the climate is oceanic. Germany gets an average of 789 mm (31 in) precipitation per year. Rainfall occurs year-round, with no consistent dry season. Winters are mild and summers tend to be warm: temperatures can exceed 30 °C (86 °F).[85]
The east has a more continental climate: winters can be very cold and summers very warm, and longer dry periods can occur. Central and southern Germany are transition regions which vary from moderately oceanic to continental. In addition to the maritime and continental climates that predominate over most of the country, the Alpine regions in the extreme south and, to a lesser degree, some areas of the Central German Uplands have a mountain climate, with lower temperatures and greater precipitation.[85]
The territory of Germany can be subdivided into two ecoregions: European-Mediterranean montane mixed forests and Northeast-Atlantic shelf marine.[86] As of 2008[update] the majority of Germany is covered by either arable land (34%) or forest and woodland (30.1%); only 13.4% of the area consists of permanent pastures, 11.8% is covered by settlements and streets.[87]
Plants and animals include those generally common to Central Europe. Beeches, oaks, and other deciduous trees constitute one-third of the forests; conifers are increasing as a result of reforestation. Spruce and fir trees predominate in the upper mountains, while pine and larch are found in sandy soil. There are many species of ferns, flowers, fungi, and mosses. Wild animals include roe deer, wild boar, mouflon (a subspecies of wild sheep), fox, badger, hare, and small numbers of the Eurasian beaver.[88] The blue cornflower was once a German national symbol.[89]
The 14 national parks in Germany include the Jasmund National Park, the Vorpommern Lagoon Area National Park, the Müritz National Park, the Wadden Sea National Parks, the Harz National Park, the Hainich National Park, the Black Forest National Park, the Saxon Switzerland National Park, the Bavarian Forest National Park and the Berchtesgaden National Park. In addition, there are 14 Biosphere Reserves, as well as 98 nature parks. More than 400 registered zoos and animal parks operate in Germany, which is believed to be the largest number in any country.[90] The Berlin Zoo, opened in 1844, is the oldest zoo in Germany, and presents the most comprehensive collection of species in the world.[91]
Germany has a number of large cities. There are 11 officially recognised metropolitan regions in Germany. Since 2006, 34 cities have been identified which can be called a regiopolis (metropolitan area). The largest conurbation is the Rhine-Ruhr region (11.7 million in 2008[update]), including Düsseldorf (the capital of North Rhine-Westphalia), Cologne, Bonn, Dortmund, Essen, Duisburg, and Bochum.[92]
Largest cities or towns in Germany
List of statistical offices in Germany 24 December 2010 |
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Rank | Name | State | Pop. | Rank | Name | State | Pop. | ||
Berlin |
1 | Berlin | Berlin | 3,471,756 | 11 | Dresden | Saxony | 523,058 | Munich |
2 | Hamburg | Hamburg | 1,786,448 | 12 | Leipzig | Saxony | 522,883 | ||
3 | Munich | Bavaria | 1,353,186 | 13 | Hannover | Lower Saxony | 522,686 | ||
4 | Cologne | North Rhine-Westphalia | 1,007,119 | 14 | Nuremberg | Bavaria | 505,664 | ||
5 | Frankfurt | Hesse | 688,664 | 15 | Duisburg | North Rhine-Westphalia | 489,599 | ||
6 | Stuttgart | Baden-Württemberg | 606,588 | 16 | Bochum | North Rhine-Westphalia | 374,737 | ||
7 | Düsseldorf | North Rhine-Westphalia | 598,786 | 17 | Wuppertal | North Rhine-Westphalia | 349,721 | ||
8 | Dortmund | North Rhine-Westphalia | 580,444 | 18 | Bonn | North Rhine-Westphalia | 324,899 | ||
9 | Essen | North Rhine-Westphalia | 574,635 | 19 | Bielefeld | North Rhine-Westphalia | 323,270 | ||
10 | Bremen | Bremen (state) | 547,340 | 20 | Mannheim | Baden-Württemberg | 313,174 |
Joachim Gauck President since 2012 |
Angela Merkel Chancellor since 2005 |
Germany is a federal, parliamentary, representative democratic republic. The German political system operates under a framework laid out in the 1949 constitutional document known as the Grundgesetz (Basic Law). Amendments generally require a two-thirds majority of both chambers of parliament; the fundamental principles of the constitution, as expressed in the articles guaranteeing human dignity, the separation of powers, the federal structure, and the rule of law are valid in perpetuity.[93]
The president, Joachim Gauck (18 March 2012–present), is the head of state and invested primarily with representative responsibilities and powers. He is elected by the Bundesversammlung (federal convention), an institution consisting of the members of the Bundestag and an equal number of state delegates. The second-highest official in the German order of precedence is the Bundestagspräsident (President of the Bundestag), who is elected by the Bundestag and responsible for overseeing the daily sessions of the body. The third-highest official and the head of government is the Chancellor, who is appointed by the Bundespräsident after being elected by the Bundestag.[34]
The chancellor, Angela Merkel (22 November 2005–present), is the head of government and exercises executive power, similar to the role of a Prime Minister in other parliamentary democracies. Federal legislative power is vested in the parliament consisting of the Bundestag (Federal Diet) and Bundesrat (Federal Council), which together form the legislative body. The Bundestag is elected through direct elections, by proportional representation (mixed-member).[1] The members of the Bundesrat represent the governments of the sixteen federated states and are members of the state cabinets.[34]
Since 1949, the party system has been dominated by the Christian Democratic Union and the Social Democratic Party of Germany. So far every chancellor has been a member of one of these parties. However, the smaller liberal Free Democratic Party (in parliament from 1949 to 2013) and the Alliance '90/The Greens (in parliament since 1983) have also played important roles.[94]
Germany has a civil law system based on Roman law with some references to Germanic law. The Bundesverfassungsgericht (Federal Constitutional Court) is the German Supreme Court responsible for constitutional matters, with power of judicial review.[34][95] Germany's supreme court system, called Oberste Gerichtshöfe des Bundes, is specialised: for civil and criminal cases, the highest court of appeal is the inquisitorial Federal Court of Justice, and for other affairs the courts are the Federal Labour Court, the Federal Social Court, the Federal Finance Court and the Federal Administrative Court.
Criminal and private laws are codified on the national level in the Strafgesetzbuch and the Bürgerliches Gesetzbuch respectively. The German penal system seeks the rehabilitation of the criminal and the protection of the general public.[96] Except for petty crimes, which are tried before a single professional judge, and serious political crimes, all charges are tried before mixed tribunals on which lay judges (Schöffen) sit side by side with professional judges.[97][98] Many of the fundamental matters of administrative law remain in the jurisdiction of the states.
Germany comprises sixteen federal states which are collectively referred to as Bundesländer.[99] Each state has its own state constitution[100] and is largely autonomous in regard to its internal organisation. Because of differences in size and population the subdivisions of these states vary, especially as between city states (Stadtstaaten) and states with larger territories (Flächenländer). For regional administrative purposes five states, namely Baden-Württemberg, Bavaria, Hesse, North Rhine-Westphalia and Saxony, consist of a total of 22 Government Districts (Regierungsbezirke). As of 2013[update] Germany is divided into 402 districts (Kreise) at a municipal level; these consist of 295 rural districts and 107 urban districts.[101]
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Germany has a network of 227 diplomatic missions abroad[103] and maintains relations with more than 190 countries.[104] As of 2011[update] it is the largest contributor to the budget of the European Union (providing 20%)[105] and the third largest contributor to the UN (providing 8%).[106] Germany is a member of NATO, the OECD, the G8, the G20, the World Bank and the IMF. It has played a leading role in the European Union since its inception and has maintained a strong alliance with France and all neighboring countries since 1990. Germany promotes the creation of a more unified European political, economic and security apparatus.[107][108]
The development policy of Germany is an independent area of foreign policy. It is formulated by the Federal Ministry for Economic Cooperation and Development and carried out by the implementing organisations. The German government sees development policy as a joint responsibility of the international community.[109] It is the world's third biggest aid donor in 2009 after the United States and France.[110][111]
In 1999, Chancellor Gerhard Schröder's government defined a new basis for German foreign policy by taking part in the NATO decisions surrounding the Kosovo War and by sending German troops into combat for the first time since 1945.[112] The governments of Germany and the United States are close political allies.[34] Cultural ties and economic interests have crafted a bond between the two countries resulting in Atlanticism.[113]
Germany's military, the Bundeswehr, is organised into Heer (Army and special forces KSK), Marine (Navy), Luftwaffe (Air Force), Bundeswehr Joint Medical Service and Streitkräftebasis (Joint Support Service) branches. In 2011[update], military spending was an estimated 1.3% of the country's GDP, which is low in comparison with allied NATO members. In absolute terms, German military expenditure is the 9th highest in the world.[114] In peacetime, the Bundeswehr is commanded by the Minister of Defence. In state of defence, the Chancellor would become commander-in-chief of the Bundeswehr.[115]
As of March 2012[update] the Bundeswehr employed 183,000 professional soldiers and 17,000 volunteers.[116] The German government plans to reduce the number of soldiers to 170,000 professionals and up to 15,000 short-term volunteers.[117] Reservists are available to the Armed Forces and participate in defence exercises and deployments abroad.[117] According to SIPRI, Germany was the fourth largest exporter of major arms in the world in 2014.[118]
The role of the Bundeswehr is described in the Constitution of Germany as defensive only. But after a ruling of the Federal Constitutional Court in 1994 the term "defense" has been defined to not only include protection of the borders of Germany, but also crisis reaction and conflict prevention, or more broadly as guarding the security of Germany anywhere in the world. As of January 2015[update], the German military has about 2,370 troops stationed in foreign countries as part of international peacekeeping forces, including about 850 Bundeswehr troops in the NATO-led ISAF force in Afghanistan and Uzbekistan, 670 German soldiers in Kosovo, and 120 troops with UNIFIL in Lebanon.[119]
Until 2011, military service was compulsory for men at age 18, and conscripts served six-month tours of duty; conscientious objectors could instead opt for an equal length of Zivildienst (civilian service), or a six-year commitment to (voluntary) emergency services like a fire department or the Red Cross. On 1 July 2011 conscription was officially suspended and replaced with a voluntary service.[120][121] Since 2001 women may serve in all functions of service without restriction, but they have not been subject to conscription. There are presently some 17,500 women on active duty and a number of female reservists.[122]
Germany has a social market economy with a highly skilled labour force, a large capital stock, a low level of corruption,[124] and a high level of innovation.[125] It has the largest and most powerful national economy in Europe, the fourth largest by nominal GDP in the world,[126] and the fifth largest by PPP.[127] The service sector contributes approximately 71% of the total GDP (including information technology), industry 28%, and agriculture 1%.[1] The official average national unemployment rate in April 2014 was 6.8%.[128] The unemployment rate published by Eurostat amounts to 4.7% in January 2015. which is the lowest rate of all 28 EU member states.[129] Germany also has with 7.1% the lowest youth unemployment rate of all EU member states.[129] According to the OECD Germany has one of the highest labour productivity levels in the world.[130]
Germany is part of the European single market which represents more than 500 million consumers. Several domestic commercial policies are determined by agreements among European Union (EU) members and by EU legislation. Germany introduced the common European currency, the Euro in 2002.[131][132] It is a member of the Eurozone which represents around 330 million citizens. Its monetary policy is set by the European Central Bank, which is headquartered in Frankfurt.
Being home to the modern car, the automotive industry in Germany is regarded as the most competitive and innovative in the world,[133] and is the fourth largest by production in the world, after Japan, the United States and China.[134]
Of the world's 500 largest stock-market-listed companies measured by revenue in 2014, the Fortune Global 500, 28 are headquartered in Germany. 30 Germany-based companies are included in the DAX, the German stock market index. As of 2014[update] well-known global brands include Mercedes-Benz, BMW, SAP, Volkswagen, Audi, Siemens, Allianz, Adidas, Porsche, and DHL.[135] Germany is recognised for its large portion of specialised small and medium enterprises, globally known and followed as the Mittelstand model. Around 1,000 of these companies are global market leaders in their segment and are labelled hidden champions.[136]
The list includes the largest German companies by revenue in 2011:[137]
Rank | Name | Headquarters | Revenue (mil. €) |
Profit (mil. €) |
Employees (world) |
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01. | Volkswagen | Wolfsburg | 159,000 | 15,800 | 502,000 |
02. | E.ON | Düsseldorf | 113,000 | −1,900 | 79,000 |
03. | Daimler | Stuttgart | 107,000 | 6,000 | 271,000 |
04. | Siemens | Berlin, München | 74,000 | 6,300 | 360,000 |
05. | BASF | Ludwigshafen | 73,000 | 6,600 | 111,000 |
06. | BMW | München | 69,000 | 4,900 | 100,000 |
07. | Metro | Düsseldorf | 67,000 | 740 | 288,000 |
08. | Schwarz Gruppe | Neckarsulm | 63,000 | N/A | 315,000 |
09. | Deutsche Telekom | Bonn | 59,000 | 670 | 235,000 |
010. | Deutsche Post | Bonn | 53,000 | 1,300 | 471,000 |
— | Allianz | München | 104,000 | 2,800 | 141,000 |
— | Deutsche Bank | Frankfurt | 21,600 | 4,300 | 101,000 |
With its central position in Europe, Germany is a transport hub for the continent.[138] Like its neighbours in Western Europe, Germany's road network is amongst the densest in the world.[139] The motorway (Autobahn) network ranks as the third-largest worldwide in length and is known for its lack of a general speed limit.[140] Germany has established a polycentric network of high-speed trains. The InterCityExpress or ICE network of the Deutsche Bahn serves major German cities as well as destinations in neighbouring countries with speeds up to 300 kph (186 mph).[141] The largest German airports are Frankfurt Airport and Munich Airport, both hubs of Lufthansa, while Air Berlin has hubs at Berlin Tegel and Düsseldorf. Other major airports include Berlin Schönefeld, Hamburg, Cologne/Bonn and Leipzig/Halle.[142] The Port of Hamburg is one of the top twenty largest container ports in the world.[143]
In 2008[update], Germany was the world's sixth-largest consumer of energy,[144] and 60% of its primary energy was imported.[145] In 2014, energy sources were: oil (35.0%); coal, including lignite (24.6%); natural gas (20.5%); nuclear (8.1%); hydro-electric and renewable sources (11.1%).[146] The government and the nuclear power industry agreed to phase out all nuclear power plants by 2021.[147] It also enforces energy conservation, green technologies, emission reduction activities,[148] and aims to meet the country's electricity demands using 40% renewable sources by 2020. Germany is committed to the Kyoto protocol and several other treaties promoting biodiversity, low emission standards, water management, recycling, and the renewable energy commercialisation.[149] Nevertheless, the country's greenhouse gas emissions were the highest in the EU in 2010[update].[150] The German energy transition (Energiewende) is the recognised move to a sustainable economy by means of energy efficiency.[151]
Germany's achievements in the sciences have been significant, and research and development efforts form an integral part of the economy.[152] The Nobel Prize has been awarded to 104 German laureates.[153] In the beginning of the 20th century, German laureates had more awards than those of any other nation, especially in the sciences (physics, chemistry, and physiology or medicine).[154][155]
Notable German physicists before the 20th century include Hermann von Helmholtz, Joseph von Fraunhofer and Gabriel Daniel Fahrenheit, among others. Albert Einstein introduced the relativity theories for light and gravity in 1905 and 1915 respectively. Along with Max Planck, he was instrumental in the introduction of quantum mechanics, in which Werner Heisenberg and Max Born later made major contributions.[156] Wilhelm Röntgen discovered X-rays.[157] Otto Hahn was a pioneer in the fields of radiochemistry and discovered nuclear fission,[158] while Ferdinand Cohn and Robert Koch were founders of microbiology. Numerous mathematicians were born in Germany, including Carl Friedrich Gauss, David Hilbert, Bernhard Riemann, Gottfried Leibniz, Karl Weierstrass, Hermann Weyl and Felix Klein.
Germany has been the home of many famous inventors and engineers, including Hans Geiger, the creator of the Geiger counter; and Konrad Zuse, who built the first fully automatic digital computer.[159] Such German inventors, engineers and industrialists as Count Ferdinand von Zeppelin,[160] Otto Lilienthal, Gottlieb Daimler, Rudolf Diesel, Hugo Junkers and Karl Benz helped shape modern automotive and air transportation technology. German institutions like the German Aerospace Center (DLR) are the largest contributor to ESA. Aerospace engineer Wernher von Braun developed the first space rocket and later on was a prominent member of NASA and developed the Saturn V Moon rocket. Heinrich Rudolf Hertz's work in the domain of electromagnetic radiation was pivotal to the development of modern telecommunication.[161]
Research institutions in Germany include the Max Planck Society, the Helmholtz Association and the Fraunhofer Society. The Wendelstein 7-X in Greifswald hosts a facility in the research of fusion power for instance.[162] The Gottfried Wilhelm Leibniz Prize is granted to ten scientists and academics every year. With a maximum of €2.5 million per award it is one of highest endowed research prizes in the world.[163]
Germany is the seventh most visited country in the world,[164][165] with a total of 407.26 million overnights during 2012.[166] This number includes 68.83 million nights by foreign visitors. In 2012, over 30.4 million international tourists arrived in Germany. Berlin has become the third most visited city destination in Europe.[167] Additionally, more than 30% of Germans spend their holiday in their own country, with the biggest share going to Mecklenburg-Vorpommern. Domestic and international travel and tourism combined directly contribute over EUR43.2 billion to German GDP. Including indirect and induced impacts, the industry contributes 4.5% of German GDP and supports 2 million jobs (4.8% of total employment).[168]
Germany is well known for its diverse tourist routes, such as the Romantic Road, the Wine Route, the Castle Road, and the Avenue Road. The German Timber-Frame Road (Deutsche Fachwerkstraße) connects towns with examples of these structures.[169][170] There are 39 UNESCO World Heritage Sites in Germany, including the old town cores of Regensburg, Bamberg, Lübeck, Quedlinburg, Weimar, Stralsund and Wismar. Germany's most-visited landmarks include i. e. Neuschwanstein Castle, Cologne Cathedral, Berlin Bundestag, Hofbräuhaus Munich, Heidelberg Castle, Dresden Zwinger, Fernsehturm Berlin and Aachen Cathedral. The Europa-Park near Freiburg is Europe's second most popular theme park resort.[171]
With a population of 80.2 million according to the 2011 census,[173] Germany is the most populous country in the European Union, the second most populous country in Europe after Russia, and ranks as the 16th most populous country in the world.[174] Its population density stands at 225 inhabitants per square kilometre (585 per square mile). The overall life expectancy in Germany at birth is 80.19 years (77.93 years for males and 82.58 years for females).[1] The fertility rate of 1.41 children born per woman (2011 estimates), or 8.33 births per 1000 inhabitants, is one of the lowest in the world.[1] Since the 1970s, Germany's death rate has exceeded its birth rate.[175] However, Germany is witnessing increased birth rates and migration rates since the beginning of the 2010s,[176] particularly a rise in the number of well-educated migrants.[177][178] Most immigrants come from countries of southern and eastern Europe and settle in urban areas.[179]
Four sizable groups of people are referred to as "national minorities" because their ancestors have lived in their respective regions for centuries: Danes, Frisians, Roma and Sinti, and Sorbs.[180] There is a Danish minority (about 50,000) in the northernmost state of Schleswig-Holstein.[180] Eastern and Northern Frisians live on Schleswig-Holstein's western coast, and in the north-western part of Lower Saxony. The Sorbs, a Slavic population of about 60,000, are in the Lusatia region of Saxony and Brandenburg.[180]
Germany has established a high level of gender equality,[181] and homosexuals can engage in civil unions.[182] Approximately 5 million Germans living abroad enjoy some special rights.[183]
In 2014 about seven million of Germany's 81 million residents do not have German citizenship. Ninety-six percent of the migrants live in western Germany or Berlin.[185] In 2010, the proportion of migrant families in all families was 32% in the pre-unification territory of the Federal Republic. This figure was more than double that in the new Länder (including Berlin), where it stood at 15%.[186]
In the 1960s and 1970s the German governments invited "guest workers" (Gastarbeiter) to migrate to Germany for work in the German industries. Many companies preferred to keep these workers employed in Germany after they had trained them and Germany's immigrant population has steadily increased. Germany has also been a major destination for refugees who are fleeing war or political, ethnic or religious persecution. As of 2011[update], about six million foreign citizens (7.7% of the population) were registered in Germany.[173] Regarding ethnic background, 20% of the country's residents, or more than 16 million people, were of foreign or partially foreign descent in 2009 (including persons descending or partially descending from ethnic German repatriates).[187] In 2010, 29% of families with children under 18 had at least one parent with foreign roots.[186]
The United Nations Population Fund lists Germany as host to the third-highest number of international migrants worldwide, about 5% or 10 million of all 191 million migrants.[184] In 2013 Germany ranked 11th amongst EU countries and 72nd globally in terms of the percentage of migrants who made up part of the country's population. As of 2008[update], the largest national group was from Turkey (2.5 million), followed by Italy (776,000) and Poland (687,000).[188] Since 1987, around 3 million ethnic Germans, mostly from the former eastern bloc, have exercised their right of return and emigrated to Germany.[189] Since the mid-1990s, the Germans acknowledged that controlled immigration should be allowed based on qualification standards.[190]
According to the 2011 German Census, Christianity is the largest religion in Germany, claiming 66.8% of the total population.[191] Generally, 30.8% declared themselves as Roman Catholics; 30.3% as Protestants as represented by the Evangelical Church in Germany (EKD); 5.7% were reported to be other Christians (including Protestants outside the EKD).[192]
Geographically, Protestantism is concentrated in the northern, central and eastern parts of the country, mostly within the Evangelical Church, while Roman Catholicism is concentrated in the south and west. People with no or other religions are concentrated in the former East Germany and major metropolitan areas.[193]
Islam is the second largest religion in the country. In the 2011 census only 1.9% declared themselves to be Muslims,[192] however other sources estimate 3.8 to 4.3 million adherents (4.6% to 5.2%).[194] Most of the Muslims are Sunnis and Alevites from Turkey, but there are a small number of Shi'ites, Ahmadiyyas and other denominations.[194] German Muslims, a large portion of whom are of Turkish origin, lack full official state recognition of their religious community.[193]
Other religions comprising less than one percent of Germany's population[192] are Buddhism with 250,000 and Judaism with around 200,000 adherents (both roughly 0.3%). Hinduism has some 100,000 adherents (0.1%). All other religious communities in Germany have fewer than 50,000 adherents each.[195] Germany has Europe's third largest Jewish population (after France and the United Kingdom).[196] Approximately 50% of the Buddhists in Germany are Asian immigrants.[197]
German is the official and predominant spoken language in Germany.[198] It is one of 24 official and working languages of the European Union,[199] and one of the three working languages of the European Commission. German is the most widely spoken first language in the European Union, with around 100 million native speakers.[200]
Recognized native minority languages in Germany are Danish, Low German, Sorbian, Romany, and Frisian; they are officially protected by the European Charter for Regional or Minority Languages. The most used immigrant languages are Turkish, Kurdish, Polish, the Balkan languages, and Russian. Germans are typically multilingual: 67% of German citizens claim to be able to communicate in at least one foreign language and 27% in at least two.[198]
Standard German, called Hochdeutsch, is a West Germanic language and is closely related to and classified alongside English, Low German, Dutch, and the Frisian languages. To a lesser extent, it is also related to the East (extinct) and North Germanic languages. Most German vocabulary is derived from the Germanic branch of the Indo-European language family.[201] Significant minorities of words are derived from Latin and Greek, with a smaller amount from French and most recently English (known as Denglisch). German is written using the Latin alphabet. German dialects, traditional local varieties traced back to the Germanic tribes, are distinguished from varieties of standard German by their lexicon, phonology, and syntax.[202]
Responsibility for educational supervision in Germany is primarily organised within the individual federal states. Optional kindergarten education is provided for all children between three and six years old, after which school attendance is compulsory for at least nine years. Primary education usually lasts for four to six years and public schools are not stratified by academic ability at this stage.[204] Secondary education includes three traditional types of schools focused on different academic levels: the Gymnasium enrols the most gifted children and prepares students for university studies; the Realschule for intermediate students lasts six years and the Hauptschule prepares pupils for vocational education.[205] The Gesamtschule (comprehensive school) unifies all secondary education. A system of apprenticeship called Duale Ausbildung (dual education) does not lead to an academic degree. Instead, it allows students in vocational training to learn in a company as well as in a state-run vocational school.[204] This model is highly regarded and reproduced all around the world.[206]
Most of the German universities are public institutions, and students have traditionally studied without fee payment.[207] The general requirement for university is the Abitur, a qualification normally based on continuous assessment during the last few years at school and final examinations. However, there are a number of exceptions, depending on the state, the university and the subject. Academic education is open to international students and is increasingly common.[208]
In the Academic Ranking of World Universities 2008, six of the top 100 universities in the world, and 18 of the top 200, are in Germany. The established universities in Germany include some of the oldest in the world, with Heidelberg University (established in 1386) being the oldest in Germany. Heidelberg is followed by Leipzig University (1409), Rostock University (1419), Greifswald University (1456), Freiburg University (1457) and the University of Munich (1472).[209]
Germany's system of hospices, called spitals, dates from medieval times, and today, Germany has the world's oldest universal health care system, dating from Bismarck's social legislation of the 1880s,[211] Since the 1880s, reforms and provisions have ensured a balanced health care system. Currently the population is covered by a health insurance plan provided by statute, with criteria allowing some groups to opt for a private health insurance contract. According to the World Health Organization, Germany's health care system was 77% government-funded and 23% privately funded as of 2005[update].[212] In 2005, Germany spent 11% of its GDP on health care. Germany ranked 20th in the world in life expectancy with 77 years for men and 82 years for women, and it had a very low infant mortality rate (4 per 1,000 live births).[212]
In 2010[update], the principal cause of death was cardiovascular disease, at 41%, followed by malignant tumours, at 26%.[213] In 2008[update], about 82,000 Germans had been infected with HIV/AIDS and 26,000 had died from the disease (cumulatively, since 1982).[214] According to a 2005 survey, 27% of German adults are smokers.[214] Obesity in Germany has been increasingly cited as a major health issue. A 2007 study shows Germany has the highest number of overweight people in Europe.[215][216]
From its roots, culture in German states has been shaped by major intellectual and popular currents in Europe, both religious and secular. Historically Germany has been called Das Land der Dichter und Denker ("the land of poets and thinkers"),[217] because of the major role its writers and philosophers have played in the development of Western thought and culture. People with German ancestry make up a significant portion of population in the United States, Brazil, Canada, and Argentina. A German cultural influence can be observed in these countries.[218]
Germany is well known for such folk festival traditions as Oktoberfest and influential Christmas customs, which include Advent wreaths, Christmas pageants, Christmas trees, Stollen cakes, and other practices.[219][220] As of 2015 the UNESCO inscribed 39 properties in Germany on the World Heritage List.[221] There are a number of public holidays in Germany determined by each state. Only 3 October has been a national day of Germany since 1990, celebrated as the Tag der Deutschen Einheit (German Unity Day).[222]
In the 21st century Berlin has emerged as a major international creative center.[223] According to the Anholt–GfK Nation Brands Index, in 2014 Germany was the world's most respected nation among 50 countries (ahead of USA, UK, and France).[224][225] [226] A global opinion poll for the BBC revealed that Germany is recognised for having the most positive influence in the world in 2013 and 2014.[227][228]
German classical music includes works by some of the world's most well-known composers. Dieterich Buxtehude composed oratorios for organ, which influenced the later work of Johann Sebastian Bach and Georg Friedrich Händel; these men were influential composers of the Baroque period. During his tenure as violinist and teacher at the Salzburg cathedral, Augsburg-born composer Leopold Mozart mentored one of the greatest musicians of all time: Wolfgang Amadeus Mozart. Ludwig van Beethoven was a crucial figure in the transition between the Classical and Romantic eras. Carl Maria von Weber and Felix Mendelssohn were important in the early Romantic period. Robert Schumann and Johannes Brahms composed in the Romantic idiom. Richard Wagner was known for his operas. Richard Strauss was a leading composer of the late Romantic and early modern eras. Karlheinz Stockhausen and Hans Zimmer are important composers of the 20th and early 21st centuries.[229]
Germany is the second largest music market in Europe, and fourth largest in the world.[230] German popular music of the 20th and 21st century includes the movements of Neue Deutsche Welle (Nena, Trio), Pop (Boney M., Alphaville, Modern Talking), Ostrock (City, Keimzeit), Metal/Rock (Rammstein, Scorpions), Punk (Nina Hagen, Die Ärzte, Die Toten Hosen), Pop rock (Beatsteaks, Tokio Hotel), Indie (Tocotronic) and Schlager pop (Ute Lemper, Katja Ebstein, Hildegard Knef, Helene Fischer). German Electronic music gained global influence, with Kraftwerk and Tangerine Dream pioneering in this genre.[231] DJs and artists of the Techno and House music scenes of Germany have become well known (e.g. Paul van Dyk, Paul Kalkbrenner, and Scooter).[232]
German painters have influenced western art. Albrecht Dürer, Hans Holbein the Younger, Matthias Grünewald and Lucas Cranach the Elder were important German artists of the Renaissance, Peter Paul Rubens and Johann Baptist Zimmermann of the Baroque, Caspar David Friedrich and Carl Spitzweg of Romanticism, Max Liebermann of Impressionism and Max Ernst of Surrealism.[233] Such German sculptors as Otto Schmidt-Hofer, Franz Iffland, and Julius Schmidt-Felling made important contributions to German art history in the late 19th and early 20th centuries.[234][235]
Several German artist groups formed in the 20th century, such as the November Group or Die Brücke (The Bridge) and Der Blaue Reiter (The Blue Rider), by the Russian-born Wassily Kandinsky, influenced the development of Expressionism in Munich and Berlin. The New Objectivity arose as a counter-style to it during the Weimar Republic. Post-World War II art trends in Germany can broadly be divided into Neo-expressionism, performance art and Conceptualism. Especially notable neo-expressionists include or included Georg Baselitz, Anselm Kiefer, Jörg Immendorff, A. R. Penck, Markus Lüpertz, Peter Robert Keil and Rainer Fetting. Other notable artists who work with traditional media or figurative imagery include Martin Kippenberger, Gerhard Richter, Sigmar Polke, and Neo Rauch. Leading German conceptual artists include or included Bernd and Hilla Becher, Hanne Darboven, Hans-Peter Feldmann, Hans Haacke, Joseph Beuys, HA Schult, Aris Kalaizis, Neo Rauch (New Leipzig School) and Andreas Gursky (photography). Major art exhibitions and festivals in Germany are the documenta, transmediale and Art Cologne.[233]
Architectural contributions from Germany include the Carolingian and Ottonian styles, which were precursors of Romanesque. Brick Gothic is a distinctive medieval style that evolved in Germany. Also in Renaissance and Baroque art, regional and typically German elements evolved (e.g. Weser Renaissance and Dresden Baroque). Among many renowned Baroque masters were Pöppelmann, Balthasar Neumann, Knobelsdorff and the Asam brothers. The Wessobrunner School exerted a decisive influence on, and at times even dominated, the art of stucco in southern Germany in the 18th century. The Upper Swabian Baroque Route offers a baroque-themed tourist route that highlights the contributions of such artists and craftsmen as the sculptor and plasterer Johann Michael Feuchtmayer, one of the foremost members of the Feuchtmayer family and the brothers Johann Baptist Zimmermann and Dominikus Zimmermann.[236]
Vernacular architecture in Germany is often identified by its timber framing (Fachwerk) traditions. German Fachwerk building styles vary across regions, and among carpentry styles. Planning laws dictate that a half-timbered house must be authentic to regional or even city-specific designs before being accepted.[237][238]
When industrialisation spread across Europe, Classicism and a distinctive style of historism developed in Germany, sometimes referred to as Gründerzeit style, due to the economical boom years at the end of the 19th century. Regional historicist styles include the Hanover School, Nuremberg Style and Dresden's Semper-Nicolai School. Among the most famous of German buildings, the Schloss Neuschwanstein represents Romanesque Revival. Notable sub-styles that evolved since the 18th century are the German spa and seaside resort architecture. German artists, writers and gallerists like Siegfried Bing, Georg Hirth and Bruno Möhring also contributed to the development of Art Nouveau at the turn of the 20th century, known as Jugendstil in German.[239]
Expressionist architecture developed in the 1910s in Germany and influenced Art Deco and other modern styles, with e.g. Fritz Höger, Erich Mendelsohn, Dominikus Böhm and Fritz Schumacher being influential architects. Germany was particularly important in the early modernist movement: it is the home of Werkbund initiated by Hermann Muthesius (New Objectivity), and of the Bauhaus movement founded by Walter Gropius: one of Gropius' works Fagus Factory is one of many German architectural structures on the UNESCO World Heritage List. Consequently, Germany is often considered the cradle of modern architecture and design. Ludwig Mies van der Rohe became one of the world's most renowned architects in the second half of the 20th century. He conceived of the glass façade skyscraper.[240] Renowned contemporary architects and offices include Hans Kollhoff, Sergei Tchoban, KK Architekten, Helmut Jahn, Behnisch, GMP, Ole Scheeren, J. Mayer H., OM Ungers, Gottfried Böhm and Frei Otto (the last two being Pritzker Prize winners).[241]
German literature can be traced back to the Middle Ages and the works of writers such as Walther von der Vogelweide and Wolfram von Eschenbach. Well-known German authors include Johann Wolfgang von Goethe, Friedrich Schiller, Gotthold Ephraim Lessing and Theodor Fontane. The collections of folk tales published by the Brothers Grimm popularised German folklore on an international level.[242] The Grimms also gathered and codified regional variants of the German language, grounding their work in historical principles; their Deutsches Wörterbuch, or German Dictionary, sometimes called the Grimm dictionary, was begun in 1838 and the first volumes published in 1854.[243]
Influential authors of the 20th century include Gerhart Hauptmann, Thomas Mann, Hermann Hesse, Heinrich Böll and Günter Grass.[244] German-speaking book publishers produce some 700 million books every year, with about 80,000 titles, nearly 60,000 of them new. Germany comes third in quantity of books published, after the English and Chinese speaking book markets.[245] The Frankfurt Book Fair is the most important in the world for international deals and trading, with a tradition spanning over 500 years,[246] also the Leipzig Book Fair retains a major position in Europe.[247]
German philosophy is historically significant: Gottfried Leibniz's contributions to rationalism; the enlightenment philosophy by Immanuel Kant; the establishment of classical German idealism by Johann Gottlieb Fichte, Georg Wilhelm Friedrich Hegel and Friedrich Wilhelm Joseph Schelling; Arthur Schopenhauer's composition of metaphysical pessimism; the formulation of communist theory by Karl Marx and Friedrich Engels; Friedrich Nietzsche's development of perspectivism; Gottlob Frege's contributions to the dawn of analytic philosophy; Martin Heidegger's works on Being; and the development of the Frankfurt school by Max Horkheimer, Theodor Adorno, Herbert Marcuse and Jürgen Habermas have been particularly influential.[248]
The largest internationally operating media companies in Germany are the Bertelsmann enterprise, Axel Springer SE and ProSiebenSat.1 Media. The German Press Agency DPA is also significant. Germany's television market is the largest in Europe, with some 38 million TV households.[249] Around 90% of German households have cable or satellite TV, with a variety of free-to-view public and commercial channels.[250] There are more than 500 public and private radio stations in Germany, with the public Deutsche Welle being the main German radio (and television) broadcaster in foreign languages.[251]
Many of Europe's best-selling newspapers and magazines are produced in Germany. The papers (and internet portals) with the highest circulation are Bild (a tabloid), Die Zeit, Süddeutsche Zeitung, Frankfurter Allgemeine Zeitung and Die Welt, the largest magazines include Der Spiegel, Stern and Focus.[252]
The German video gaming market is one of the largest in the world.[253] The Gamescom in Cologne is the world's leading gaming convention.[254] Popular game series from Germany include Turrican, the Anno series, The Settlers series, the Gothic series, SpellForce, the FIFA Manager series, Far Cry and Crysis. Relevant game developers and publishers are Blue Byte, Crytek, Deep Silver, Kalypso Media, Piranha Bytes, Yager Development, Bigpoint, Gameforge, Goodgame and Wooga.[255]
German cinema has made major technical and artistic contributions to film. The first works of the Skladanowsky Brothers were shown to an audience in 1895. The renowned Babelsberg Studio in Berlin's suburb Potsdam was established in 1912. Today it is Europe's largest studio.[256] Early German cinema was particularly influential with German expressionists such as Robert Wiene and Friedrich Wilhelm Murnau. Director Fritz Lang's Metropolis (1927) is referred to as the first major science-fiction film.[257] In 1930 Josef von Sternberg directed The Blue Angel, the first major German sound film, with Marlene Dietrich.[258] Films of Leni Riefenstahl set new artistic standards, in particular Triumph of the Will.[259]
After 1945, many of the films of the immediate post-war period can be characterised as Trümmerfilm based on the concept of the Trümmerfrauen (rubble women, who removed the war's rubble to reestablish order in everyday life). Such films included Wolfgang Staudte's Die Mörder sind unter uns (The Murderers are among us) (1946). Notable East German films included Der Untertan (1951); Konrad Wolf's Der geteilte Himmel (Divided Heaven) (1964), an adaptation of Christa Wolf's novel and Frank Beyer's adaptation of Jurek Becker's Jacob the Liar (1975), which was the only East German film to be nominated for an Oscar. The defining film genre in West Germany of the 1950s was arguably the Heimatfilm ("homeland film"); these films depicted the beauty of the land and the moral integrity of the people living on it.[260]
During the 1970s and 1980s, New German Cinema directors such as Volker Schlöndorff, Werner Herzog, Wim Wenders, and Rainer Werner Fassbinder brought West German auteur cinema to critical acclaim. German movies such as Das Boot (1981), The Never Ending Story (1984), Good Bye, Lenin! (2003), Head On (2004), The White Ribbon (2009), Animals United (2010), and Cloud Atlas (2012) also had international success. The Academy Award for Best Foreign Language Film ("Oscar") went to the German production Die Blechtrommel (The Tin Drum) in 1979, to Nirgendwo in Afrika (Nowhere in Africa) in 2002, and to Das Leben der Anderen (The Lives of Others) in 2007.[261]
The annual European Film Awards ceremony awarding the "Felix" trophy is held every other year in Berlin, home of the European Film Academy. The Berlin Film Festival, known as "Berlinale", awarding the "Golden Bear" and held annually since 1951, is one of the world's leading film festivals.[262] The "Lolas" are annually awarded in Berlin, at the German Film Awards, that have been presented since 1951.[263]
German cuisine varies from region to region and often neighboring regions share some culinary similarities (e.g. the southern regions of Bavaria and Swabia share some culinary traditions with neighboring regions in Switzerland and Austria). International varieties such as pizza, sushi, Chinese food, and doner kebab are also popular and readily available.
Bread is a significant part of German cuisine and German bakeries produce about 600 main types of bread and 1,200 different types of pastries and rolls (called Brötchen). German cheeses account for about a third of all cheese produced in Europe.[264] In 2012 over 99% of all meat produced in Germany was either pork, chicken or beef. Germans produce their ubiquitous sausages in almost 1,500 varieties, including Bratwursts, Weisswursts, and Currywursts.[265] In 2012, organic foods accounted for 3.9% of total food sales.[266]
Although wine is becoming more popular in many parts of Germany, especially in German wine regions,[267] the national alcoholic drink is beer. German beer consumption per person stands at 110 litres (24 imp gal; 29 US gal) in 2013 and remains among the highest in the world.[268] German beer purity regulations date back to the 1400s and were the world's oldest active food-quality legislation until their repeal in 1993.[269]
The Michelin Guide of 2015 awarded eleven restaurants in Germany three stars, the highest designation, while 38 more received two stars and 233 one star.[270] Overall, German restaurants have become the world's second-most decorated after France.[271][272]
Twenty-seven million Germans are members of a sports club and an additional twelve million pursue sports individually.[273] Association football is the most popular sport. With more than 6.3 million official members, the German Football Association (Deutscher Fußball-Bund) is the largest sports organisation of its kind worldwide, and the German top league, the Bundesliga, attracts the second highest average attendance of all professional sports leagues in the world.[273] The German men's national football team won the FIFA World Cup in 1954, 1974, 1990, and 2014 and the UEFA European Championship in 1972, 1980 and 1996. Germany hosted the FIFA World Cup in 1974 and 2006 and the UEFA European Championship in 1988.
Other popular spectator sports include winter sports, boxing, handball, volleyball, basketball, ice hockey, tennis, horse riding and golf. Water sports like sailing, rowing, and swimming are popular in Germany as well.[273]
Germany is one of the leading motor sports countries in the world. Constructors like BMW and Mercedes are prominent manufacturers in motor sport. Porsche has won the 24 Hours of Le Mans race 16 times, and Audi 11 times. The driver Michael Schumacher has set many motor sport records during his career, having won more Formula One World Drivers' Championships with seven titles, than any other. He is one of the highest paid sportsmen in history.[274] Sebastian Vettel is also among the top three most successful Formula One drivers of all time.[275]
Historically, German athletes have been successful contenders in the Olympic Games, ranking third in an all-time Olympic Games medal count, combining East and West German medals. Germany was the last country to host both the summer and winter games in the same year, in Berlin for Summer Games in Winter Games in Garmisch-Partenkirchen,[276] and in Munich in 1972.[277]
German designers were leaders of modern product design, with the Bauhaus designers like Mies van der Rohe, and Dieter Rams of Braun being essential.[278]
Germany is a leading country in the fashion industry. The German textile industry consisted of about 1,300 companies with more than 130,000 employees in 2010, which generated a revenue of 28 billion Euro. Almost 44 percent of the products are exported.[279] The Berlin Fashion Week and the fashion trade fairs Bread & Butter are held twice a year.[280]
Munich, Hamburg and Düsseldorf are also important design and production hubs of the domestic fashion industry, among smaller towns.[281] Renowned fashion designers from Germany include Karl Lagerfeld, Jil Sander, Wolfgang Joop, Philipp Plein and Michael Michalsky. Important brands include Hugo Boss, Escada, Adidas, PUMA and Jack Wolfskin. The German supermodels Claudia Schiffer, Heidi Klum, Tatjana Patitz and Nadja Auermann came to international fame.[282]
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After signature by all 27 Heads of State and governments, the Treaty will travel back to Brussels, where it will be officially sealed with the seals of the 27 Member States, on the 18th of December. Then, it will be sent to Rome, the Italian government being the depository of the Treaties.
The Cornflower was once the floral emblem of Germany (hence the German common name Kaiserblume).
Max Planck Institute for Plasma Physics (IPP) in Greifswald in May started the preparations for operation of this the world's largest fusion device of the stellarator type.
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(help)Bio-Produkte machen lediglich 3,9 Prozent des gesamten Lebensmittelumsatzes in Deutschland aus (2012).
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