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「フランス」のその他の用法については「フランス (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
(国旗) | (国章に準じる紋章) |
公用語 | フランス語 | ||||||||||||||||||||||||||||
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首都 | パリ | ||||||||||||||||||||||||||||
最大の都市 | パリ | ||||||||||||||||||||||||||||
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通貨 | ユーロ (€) (EUR) [3][4] | ||||||||||||||||||||||||||||
時間帯 | UTC +1(DST:+2) | ||||||||||||||||||||||||||||
ISO 3166-1 | FR / FRA | ||||||||||||||||||||||||||||
ccTLD | .fr | ||||||||||||||||||||||||||||
国際電話番号 | 33 |
この表のデータは本土のみで、海外県・属領を含まない(人口と面積は海外4県を含む)。
フランス共和国(フランスきょうわこく、仏: République française)、通称フランスは、西ヨーロッパの領土並びに複数の海外地域および領土から成る単一主権国家である。フランス・メトロポリテーヌは地中海からイギリス海峡および北海へ、ライン川から大西洋へと広がり、総面積は640,679km2、人口は6,660万人である。首都および最大都市のパリは主要な文化および商業の中心地である。同国は半大統領制の共和制であり、フランスの憲法制定により、人民主権を基に政教分離および民主制の国として建国された。
鉄器時代、現在のフランスに相当するガリアにはガリア人およびケルト人が居住していた。紀元前51年、ガリア人はローマ帝国により西暦486年まで制圧された。ガリアを数百年間支配し、最終的には中世のフランス王国を建国したゲルマンのフランク人の襲撃および移住にガロ・ローマ人は直面した。1337年から1453年までの百年戦争での勝利はフランスの建国を強固にし、将来の中央集権型の絶対君主制への道を開き、中世後期以来、フランスはヨーロッパの大国であり続けた。ルネサンス期、フランスは膨大な文化的発達を経験し、世界的規模の植民地帝国の第1段階を確立した。16世紀は、主としてカトリック教会およびプロテスタントのユグノー間の宗教上の内戦に特色付けられる。
ルイ14世はヨーロッパにおける有力な文化力、政治力、軍事力を整えたが、18世紀末までに君主制はフランス革命において崩壊した。フランス革命の遺産は、人権に関する世界最古の文書である人間と市民の権利の宣言であり、今日に至るまで国の理想を表現している。同国は史上最古の共和国の1つとして統治されたが、後にヨーロッパ情勢を支配し、西洋文化への影響力を長らく有したナポレオン・ボナパルトにより、帝国の建国が宣言された。ナポレオンの降伏後、激動の一連の政府をフランスは耐え抜き、絶対君主制の復活、1830年に取って代わった立憲君主制、一時的な第二共和政、第二帝政、1870年に建国されたより持続的な第三共和政がこれに該当する。
19世紀および20世紀初頭、世界第2位の植民地帝国を有し、フランスの植民地帝国は世界的な重要性の極みに達した[1]。第一次世界大戦において、フランスは三国協商の一大国としてドイツおよび中央同盟国と戦った。第二次世界大戦では連合国の一国であったが、1940年にナチス・ドイツにより占領された。1944年の解放後、第四共和政が設立されたが、アルジェリア戦争の過程で解散し、シャルル・ド・ゴール率いる第五共和政に取って代わられた。1960年代、脱植民地化によりフランス植民地帝国の大部分が独立した。長い歴史を通じ、フランスは多くの影響力の大きい芸術家、思想家、科学者を生み出し、依然として卓越した世界の文化の中心地であり続けている。世界第4位の世界文化遺産数を有し、世界最多の年間約8,300万人の外国からの観光客を迎え入れている[2]。
また、1950年代には原子力産業へ積極的に進出した。技術は軍事利用もされている。原子力部門における主要な会社には、パリバ系のINDATOMや、ロスチャイルド・パリ連合銀行系のCOFINATOME などがある[3]。
フランスはヨーロッパおよび世界における重要な文化的、経済的、軍事的、政治的影響力を有する列強である[4]。名目GDPで世界第5位および購買力平価で世界第8位の先進国である[5]。家計資産の総計の観点から、フランスはヨーロッパで最高かつ世界で第4位の経済大国である[6]同国は世界第2位の排他的経済水域 (EEZ) をも有し、その規模は11,035,000 km2に及ぶ。[7]。フランス国民は高い生活水準を享受し、同国は教育、医療、平均寿命、人権、人間開発指数の国際ランキングにおいて上位に位置する[8][9]。フランスは国際連合の原加盟国であり、国際連合安全保障理事会常任理事国の一国である。多くの国際機関の加盟国でもあり、G7、北大西洋条約機構 (NATO)、経済協力開発機構 (OECD)、世界貿易機関 (WTO)、フランコフォニー国際機関がこれに該当する。また、欧州連合原加盟国かつ指導国でもある。
正式名称は、
日本語の表記は、フランス共和国。通称、フランス。また、漢字による当て字で、仏蘭西(旧字体:佛蘭西)、法蘭西(中国語表記由来)などと表記することもあり、仏(佛)と略されることが多い。アメリカに渡るのを「渡米」と呼ぶのに対して、フランスに渡ることを「渡仏」と呼ぶ。
国名の France は、11世紀の『ローランの歌』においてまでは遡って存在が資料的に確認できるが、そこで意味されている France はフランク王国のことである。一方で987年に始まるフランス王国[10] に、France という名前が用いられているが、これは後代がそのように名付けているのであって、その時代に France という国名の存在を認定できるわけではない。また中世のフランス王は REX FRANCUS と署名している。France は中世ヨーロッパに存在したフランク王国に由来すると言われる。その証左に、歴代フランス王の代数もフランク王国の王から数えている(ルイ1世とルイ16世を参照)。作家の佐藤賢一は、ヴェルダン条約でフランク王国が西フランク、中フランク、東フランクに3分割され、中フランクは消滅し、東フランクは神聖ローマ皇帝を称したため、フランク王を名乗るものは西フランク王のみとなり、フランクだけで西フランクを指すようになった、と説明している[11]。ドイツ語では、直訳すればフランク王国となる
現在のフランスに相当する地域は、紀元前1世紀まではマッシリア(現マルセイユ)などの地中海沿岸のギリシャ人の植民都市を除くと、ケルト人が住む土地であり、古代ローマ人はこの地をガリア(ゴール)と呼んでいた。ゴールに住むケルト人はドルイドを軸に自然を信仰する独自の文化体系を持っていたが、政治的な統一は存在しなかった。紀元前219年に始まった第二次ポエニ戦争では、カルタゴ帝国の将軍ハンニバルが南フランスを抜けてローマ共和国の本拠地だったイタリア半島へ侵攻したが、ゴールには大きな影響を及ぼさなかった。
その後、カルタゴを滅ぼしたローマは西地中海最大の勢力となり、各地がローマの支配下に置かれた。ゴールも例外ではなく、紀元前121年には南方のガリア・ナルボネンシスが属州とされた。紀元前1世紀に入ると、ローマの将軍カエサルは紀元前58年にゴール北部に侵攻した(ガリア戦争)。ゴールの諸部族をまとめたヴェルサンジェトリクスは果敢に抵抗したが、ローマ軍はガリア軍を破ってゴールを占領し、ローマの属州とした。ゴールは幾つかの属州に分割され、ローマの平和の下でケルト人のラテン化が進み、ガロ・ローマ文化が成立した。360年にゴール北部の都市ルテティアはパリと改名された。5世紀になるとゲルマン系諸集団が東方から侵入し、ガリアを占領して諸王国を建国した。
476年に西ローマ帝国が滅びるとゲルマン人の一部族であるフランク族のクローヴィスが建国したメロヴィング朝フランク王国が勢力を伸ばし始めた。508年にメロヴィング朝はパリに遷都し、メロヴィング朝の下でフランク族はキリスト教とラテン文化を受け入れた。メロヴィング朝の後はピピン3世がカロリング朝を打ち立て、カール・マルテルは732年にイベリア半島から進出してきたイスラーム勢力のウマイヤ朝をトゥール・ポワティエ間の戦いで破り、イスラーム勢力の西ヨーロッパ方面への拡大を頓挫させた。シャルルマーニュ(カール大帝)はイスラーム勢力やアヴァール族を相手に遠征を重ねて現在のフランスのみならず、イベリア半島北部からイタリア半島北部・パンノニア平原(現在のハンガリー周辺)までを勢力範囲とし、ほぼヨーロッパを統一した。シャルルマーニュの下でヨーロッパは平静を取り戻し、カロリング・ルネサンスが興った。800年にシャルルマーニュは西ローマ帝国皇帝の称号をローマ教皇から与えられた。
シャルルマーニュの没後、フランク王国は三つに分裂し、ほぼ現在のフランス、イタリア、ドイツの基礎となった。また、この時期に現代に続くフランス語(古フランス語)の形成が始まった。987年に西フランク王国が断絶するとパリ伯ユーグ・カペーがフランス王に選出され、カペー朝の下でフランス王国が成立した。
彼の子孫のカペー朝、その後のヴァロワ朝、ブルボン朝は戦争と家領相続を通じて次第に国を統一していった。1209年にアルビジョア十字軍が開始され、異端とされたオクシタニア(現在の南フランス)のカタリ派を殲滅した。その結果、カタリ派とともに独立性の強かった南フランスの諸侯も滅ぼされた[12]。黒死病の大流行が起こる直前の1337年からフランスはイングランドとの百年戦争(1337年 - 1453年)を戦っている[13]。フランスは幾度か大敗を喫して危機に陥ったが、ジャンヌ・ダルクの活躍などもあって最終的にはイングランド勢力を大陸から駆逐でき、またこの戦争を通じて王権が強化された。1494年、シャルル8世がイタリア戦争(1494年 - 1559年)を開始してイタリアを弱体化した結果、教皇派と皇帝派の争いは、ナポレオン戦争後にオーストリア帝国(神聖ローマ帝国の後継国家)の影響下から抜け出すイタリア統一運動に姿を変え、やがて第一次世界大戦を誘発するオーストリア=ハンガリー帝国を誕生させた。
1534年、ジャック・カルティエがガスペ半島に十字架を建て、ヌーベルフランスを宣言。16世紀にはカトリック・プロテスタントの対立(フランスの宗教改革)から大規模な内戦ユグノー戦争(1562年 - 1598年)が起こっている。1556年にユグノーが南極フランス(英語版)(現ブラジルのグアナバラ湾周辺)を建設。1608年にケベック(Province de Québec)を建設。1612年に赤道フランス(英語版)(現ブラジルのマラニョン州にサン・ルイス周辺)を建設。南極フランスも赤道フランスもポルトガルに併合された。17世紀に三十年戦争の講和条約でヴェストファーレン条約が締結され、宗教戦争に終止符が打たれた。
王朝はルイ14世の時期に最盛期を迎えている。この時期のフランスはヨーロッパ最大の人口を有し、ヨーロッパの政治、経済、文化に絶大な影響力を持っていた。フランス語は外交の舞台での共通語となっていた。1673年にフランス東インド会社がポンディシェリを取得。1685年には黒人法(フランス語版、英語版)を制定した。ポンディシェリを巡ってイギリス東インド会社との間でカーナティック戦争(1746年 - 1763年)が勃発、敗北した結果、インドではイギリスが主導権を握る。フランスはアメリカ、アフリカ、アジアに広大な海外領土を獲得していたが、1763年のパリ条約で北米植民地戦争のフレンチ・インディアン戦争が終結し、ヌーベルフランスはイギリスによる植民地時代に移った。1769年、フランス東インド会社からフランス領インド(フランス語版、英語版)が成立。特に重要だったカリブ海の植民地のサン=ドマングにおいては、奴隷貿易によって導入された黒人奴隷を酷使したサトウキビやコーヒーのプランテーションが築かれ、莫大な歳入をフランスにもたらした。パリ外国宣教会のピニョー・ド・ベーヌは、阮福暎に働きかけて、フランスの支援のもとに西山朝と戦わせた(フランスのグエン・アインへの支援(ベトナム語版、英語版))。18世紀にはフランスの知識人の中から多くの啓蒙思想が生まれ、科学的な大発見がなされている。市民国家主義(英語版)はフランス革命の基本原則となり、1789年の『人間と市民の権利の宣言』として結実した。
1789年にフランス革命が起きて王政は倒れ、1791年にハイチ革命が勃発。1793年にルイ16世とマリー・アントワネットが処刑され、同時に数千人ものフランス市民が恐怖政治の犠牲となっている[14]。政治的混乱ののち、1799年にブリュメールのクーデターによってナポレオン・ボナパルトが共和国の権力を握って第1統領となり、やがて皇帝に即位して第一帝政(1804年-1814年)を開いた。ナポレオン戦争と呼ばれる一連の戦争を通じてナポレオンの軍隊はヨーロッパの大部分を制覇し、彼の一族が新たに作られた国々の王位に即いた。この戦争で数百万人が犠牲となっている[15]。 1803年にフランス領ルイジアナをアメリカに売却。1804年のハイチ革命が終結し、ハイチが独立する。
1815年にナポレオンがワーテルローの戦いに敗れた後、フランスは王政復古したが、王の権力は憲法に制約されていた。1830年、7月革命によって立憲君主制による7月王政が立てられた。1830年にフランス領北アフリカ(アルジェリア、チュニジア、モロッコ)が成立。この王政は1848年の2月革命によって終わり、第二共和政に移行するが、1851年12月2日のクーデター(フランス語版、英語版)の1年後の1852年12月2日にルイ・ナポレオン(ナポレオン3世、ナポレオン・ボナパルトの甥)が第二帝政を開く。ナポレオン3世はボナパルティズム的手法[16]で国内を固め、中国、インドシナ半島、メキシコや日本などに積極的に出兵したが(アロー戦争、コーチシナ戦争(英語版)、メキシコ出兵、下関戦争)、1870年の普仏戦争敗北の際に退位、パリ・コミューンの騒乱を経て第三共和政が成立した。
1873年、アルフォンス・ドーデの『最後の授業』を含む短編集が出版され、フランス語の愛国教育が始まったことが知られている。アルザス・ロレーヌ地方での使用言語はアルザス語、ロートリンゲン方言(ドイツ語版、フランス語版、英語版)、ロレーヌ方言(フランス語版、ドイツ語版、英語版)など多様であるが、そういった事情は一切隠蔽した反独プロパガンダが行なわれた。 19世紀には、国家観について、ナポレオン戦争期のヨハン・ゴットリープ・フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ(ドイツ語版、英語版)』(1808年)と普仏戦争後のエルネスト・ルナン『国民とは何か?(フランス語版、英語版)』(1882年)の対比などから市民国家主義(英語版)と民族主義との相違が明確にされていたが、欧州では高まる民族主義が世界大戦へと向かわせた。また、一方でルナンは、『知的道徳的改革』(仏: La Réforme intellectuelle et morale)において、フランスの植民地主義による侵略を正当化している。
トンキン戦争(英語版)(1882年)と清仏戦争(1884年 - 1885年)に勝利し、フランス領インドシナ(1887年 - 1954年)が成立。ブーランジェ将軍事件(1886年 - 1889年)。1893年、シャムと仏泰戦争(英語版)。普仏戦争後のアルザス・ロレーヌの喪失と、50億フランという高額な賠償金を発端とする反独運動からドレフュス事件(1894年)が勃発。アフリカ分割の時代には、1895年にフランス領西アフリカ(モーリタニア、セネガル、マリ共和国、ギニア、コートジボワール、ニジェール、ブルキナファソ、ベナン)が成立。1894年に露仏同盟を締結し、フランス資本がシベリア鉄道に出資したが、ファショダ事件(1898年)や日露戦争(1904年 - 1905年)でグレートゲームの成り行きを見た後、1904年に英仏協商(三国協商)を締結、フランスがモロッコ進出するとドイツが反発して、1905年に第一次モロッコ事件が起こった。1910年にフランス領赤道アフリカ(ガボン、コンゴ共和国、中央アフリカ共和国、チャド)が成立。1913年、アルザス・ロレーヌ地方(エルザス州・ロートリンゲン州)でツァーベルン事件。
フランスは第一次世界大戦と第二次世界大戦の主戦場となっている。第一次世界大戦では140万人が犠牲となっており[17]、この時は領土の一部が占領されただけにもかかわらず、全土を占領された第二次世界大戦よりも多くの犠牲を出した。
戦間期には人民戦線政府によって様々な改革が試行された。1916年5月16日にイギリス、フランス、ロシアの間でオスマン帝国領の分割を約した秘密協定「サイクス・ピコ協定」を締結。1917年にオスマン帝国を占領してOETA(1917年 - 1920年)が成立。1917年10月、ロシア革命中のボリシェヴィキがサイクス・ピコ協定を暴露。1918年11月8日、ウッドロウ・ウィルソン米大統領の支援でアルザス=ロレーヌ共和国(fr)が出来たが、11日後にフランス軍の占領で解体、フランス領となる。1919年1月にパリ講和会議でファイサル1世がアラブ地域の独立をフランスに求めたが拒否。1920年3月8日にファイサル1世がシリア・アラブ王国(英語版)として独立すると、サン・レモ会議(英語版)(1920年4月19日 - 4月26日)でフランスとイギリスの委任統治範囲を決定。7月24日にフランス・シリア戦争(英語版)が始まり、フランスが占領してフランス委任統治領シリアとした。1920年8月10日、オスマン帝国とセーヴル条約を締結。キリキアをめぐりソ連の支援を受けるアタテュルク率いるアンカラ政府(英語版)とトルコ・フランス戦争(英語版)(1920年5月 - 10月)を始めるも、トルコが勝利。
フランスは17世紀以降、1960年代まで広大な海外植民地を有しており、その植民地帝国は大英帝国に次ぐ規模だった。1919年から1939年の最大時にはフランスは12,347,000km²(フランス本国を含む)の領土に広がり、世界の陸地の8.6%を占めていた。
第二次世界大戦ではドイツの電撃戦に敗れた。第三共和政は崩壊し、フィリップ・ペタンを国家元首とするヴィシー政権が成立した。フランス本国はドイツによって北部、後に全土が占領された。タイ・フランス領インドシナ紛争(1940年11月23日 - 1941年5月8日)。一方でシャルル・ド・ゴール率いる自由フランスが連合国につき、苦しい戦いを続けた。1944年にフランス共和国臨時政府が帰還し、全土を奪還した。
戦後、フランス第四共和政が成立し、経済は再建されたものの列強国としての地位は崩れかけていた。 1946年、フランス委任統治領シリアがシリア共和国(英語版)としてフランスより独立。フランスは植民地体制を守ろうとしたが、脱植民地化時代の潮流には逆らえず、すぐに苦境に陥ることになる。フランス領インドシナの支配を回復しようとして、抵抗するベトミンとの間で第一次インドシナ戦争が勃発し、1954年にディエンビエンフーの戦い(3月 - 5月)でベトミンに大敗を喫してインドシナから撤退している。そのわずか数ヶ月後の11月1日にフランス領インド(英語版)をインドに返還してポンディシェリ連邦直轄領が誕生したが、その同日に今度はより厳しいアルジェリア戦争に突入する羽目になる。アルジェリア植民地の維持の是非と、植民者の帰還[18]を巡って国論は割れ、内戦になりかけていた。1956年にはモロッコとチュニジアが独立を達成していたが、インドシナやマグリブのみならず、ブラックアフリカの植民地においても独立運動は進んだ。イフニ戦争(英語版)(1957年 - 1958年6月30日)ではフランコ体制のスペインを支持。
弱体で不安定な第四共和政は、1958年6月1日にド・ゴールの強力なリーダーシップに後を委ねることとなった。1959年1月8日に強力な大統領権限を含んだ第五共和政が成立する。第五共和政初代大統領となったド・ゴールは国内の統一を維持し、戦争終結へ踏み出した。1958年10月2日のギニア独立を嚆矢として、アフリカの年こと1960年にほぼすべてのアフリカ植民地が独立した。第二次世界大戦後の冷戦構造の中でフランスは自由主義陣営(西側)に属し、北大西洋条約機構の原加盟国でもあるが、ド・ゴールはヨーロッパの自主性を主張してアメリカと距離を置いた独自路線を取り、米ソと並ぶ第三極を目指した政治姿勢はド・ゴール主義と呼ばれ、核兵器保有もその一環である。アルジェリア戦争中の1960年にはトゥアレグが居住するサハラ砂漠で核実験を強行したが、1962年に和平交渉を妥結し、アルジェリアは独立した。
1973年の石油危機以降、フランスは深刻な経済危機と低成長を経験しており、政権の交代が繰り返された。その為、1986年 - 1988年、1993年 - 1995年、1997年 - 2002年にはコアビタシオン(所属党派の異なる大統領と首相になってしまう、保革共存政権)が起こっている。
1950年代からのドイツとの和解と協力によって、両国は欧州経済共同体(EEC)や1999年1月のユーロ導入を含む欧州統合に中心的役割を果たして来た。フランスは欧州連合(EU)の主導国の一つであり、ヨーロッパの政治的統合を強く支持しているが2005年の欧州憲法批准は国民投票で拒否されてしまった。2008年2月にこれを継承するリスボン条約が議会の承認を得ている。
現在のフランスは、直接選挙で選ばれる大統領(任期5年、2002年以前は7年)に首相の任免権や議会の解散権など強力な権限が与えられ、立法府である議会より行政権の方が強い体制が敷かれている。
2012年5月6日(CEST)に行われた大統領選挙では社会党のフランソワ・オランドが現職のニコラ・サルコジを破って当選し、同15日に第7代大統領に就任した。
また、大統領が任命する首相は、大統領にも議会にも責任を負っており、共に行政権を持つ(半大統領制)。このため、大統領の所属政党と議会の多数派勢力が異なる場合、大統領自身が所属していない議会多数派の人物を首相に任命することがある。この状態をコアビタシオンと呼ぶ。こうした場合、大統領が外交を、首相が内政を担当するのが慣例となっているが両者が対立し政権が不安定になることもある。
議会は二院制を採用し、上院に当たる元老院と、下院にあたるフランス国民議会がある。元老院は間接選挙で選出され、任期は6年で3年ごとに半数を改選される。国民議会は直接選挙で選出され、投票に際して小選挙区制と二回投票制が定められている。優先権は国民議会にあり、元老院は諮問機関としての色彩が強い。
主要政党としては、国民戦線(極右・移民排斥)、国民運動連合(保守・右派)、フランス民主連合(中道・若干右寄り)、社会党(中道左派・社会民主主義)、フランス共産党(左派)がある。また、以下は議席を持たないが、反資本主義新党(極左)、労働者の闘争(極左・トロツキスト政党)も存在する。
特徴的な社会風土としてよく挙げられる点は、強烈な中央集権社会、エリート主義社会、および役人社会(官僚主義)であることなどである。労働人口に対する公務員の比率は21.6%に達し[19]、世界でも屈指の強固さを持つ官僚主義に裏打ちされたその社会構造自体を指して、しばしば批判的な意味を含めたうえで『官僚天国』『役人王国』などと形容されることがある[20]。
フランスの国防政策は1959年にシャルル・ド・ゴール政権が制定した「国防組織法」によって運営されている。大統領が最高司令官であり、その指導のもとに内閣委員会が国防政策、将官の任免、総動員令や戒厳令の宣布などの意思決定機関として機能する。フランス革命からの徴兵制を廃止して志願制を採用した。2011年の軍事支出は625億ドルと標準的な軍事費を維持している。
フランス軍は陸軍、空軍、海軍および憲兵からなり、2002年の総兵力は44万人のうち、陸軍17万人、空軍7万人、海軍5.6万人、憲兵9.8万人、その他機関4万人であった。国外駐在兵力は約3万人で、うち太平洋地区の海外県(植民地)に約2万人、アフリカに6,500人、国際連合など国際組織の指揮下に9千人がいる。また核兵器を保有しており、海軍の弾道ミサイル搭載原子力潜水艦により運用される。現在もフランス外人部隊8個連隊を保有する。南仏オーバニュに司令部を置き、南仏各地も駐屯、コルシカやポリネシアにも一部が駐屯する。2002年12月から西アフリカのコートジボワールに外人部隊2,500人が派遣され、戦闘状態にある。
2013年に開始されたマリ共和国への軍事介入において、進展の遅れから軍の兵站が不十分である指摘する報道が行われた。国防予算の50%が軍人への給与や退職金などに費やされ、残りの予算も空軍機や空母など主力兵器の運用・導入が優先される予算配分に原因があると見られている[21]。徴兵制廃止によって兵員の不足も発生しており、常備軍23万名の中で即時派兵が可能な戦力は3万名に留まっている。
陸軍は地上作戦司令部、補給司令部、9個作戦旅団、2個補給旅団からなる。主要装備は戦車834輌、装甲車4,950輌、各種火砲802門、ヘリコプター498機である。
海軍は戦略作戦司令部と海上、対潜、掃海、潜水艦などの専門作戦司令部からなる。主要装備は弾道ミサイル搭載原子力潜水艦4隻、攻撃型原子力潜水艦6隻、原子力空母1隻、ヘリ空母1隻、ミサイル駆逐艦3隻、駆逐艦9隻、フリゲート20隻などである。
空軍は6個攻撃戦闘機中隊、7個戦闘機中隊、2個偵察中隊、14個輸送機中隊、5個ヘリコプター中隊、2個電子戦中隊からなり、主要装備は作戦機433機、早期警戒管制機4機、偵察機4機、空中給油機45機、輸送機131機などである。
憲兵は以前は国防省に属していたが、現在は軍籍は国防省に残置した上で内務省に属し、警察業務を担当する。
フランスは歴史ある大国であり、ヨーロッパ世界においてはその動向がヨーロッパ自体の情勢を左右していた。第二次世界大戦中も英米と一歩離れた独自外交を展開しており、第五共和制成立後も冷戦構造の中でフランスの影響力を保つため、ソビエト連邦との提携や、NATOの軍事機構からの脱退や、1973年から始まったフランス・アフリカ首脳会議の開催などアフリカ諸国との友好関係の強化が行っている。また西ドイツ(当時)と共に欧州統合の旗手となった。冷戦終結後は欧州統合を深化し、欧州連合の主要国として存在感を高めている。また、アメリカ合衆国による2003年のイラク戦争には終始反対した。
フランスは旧植民地との間にフランス共同体を結成しており、一首の連携関係を構築している。またアフリカの旧植民地においては、暴動や内戦の際に親仏政権の維持のための軍事介入が行われることなどもあり、現在もセネガルやジブチにはフランス軍の軍事基地がある他、1994年のルワンダ紛争や、2002年に始まったコートジボワール内戦にも介入している。1970年代以降の軍事介入の件数は30件以上にも及ぶ[22]。2012年からマリ北部紛争に介入している。こうしたフランスの姿勢を新植民地主義であると批判する声もある。またフランス語地域のある国とはフランコフォニー国際機関を結成し、連携を強めている。
欧州連合加盟各国が北朝鮮と国交を結んでいる中、フランスは2013年12月現在も日本やアメリカと同様に北朝鮮と国交を締結していない。
2015年1月、パリでシャルリーエブド本社やユダヤ教徒向け食料品店が襲撃され、11月には大規模な同時多発テロで仏全土に非常事態宣言がなされるなど、イスラム過激派との間で緊張が高まっている[23]。
フランスとイギリスは歴史上錯綜した関係を持ってきた。イングランドは、ノルマン・コンクエストを通じてフランス語を母語とし、フランス王国の公爵を兼ねる王に統治されることとなった。こうして、中世のイングランド王は同時にフランス王国の大貴族であり、その立場においてはフランス王の臣下であるという関係が長く続いた。なおかつアンジュー帝国とも呼ばれたプランタジネット朝のイングランド王は、王権の確立が遅れていたカペー朝のフランス王をしのぐ巨大な所領をフランス王国内に所持し、フランス王の勢力を圧倒した。またイングランド王家とフランス王家の姻戚関係も深かった。
こうした経緯から、中世のイングランド王家とフランス王家は、フランス王国における覇権をめぐって幾度となく抗争を繰り返すこととなった。ジャンヌ・ダルクが活躍したことで有名な百年戦争は特に長引いた抗争であり、イングランド王家が最終的にフランス王国内の基盤を喪失するにまで至った。この長期の戦争を通じてフランス人とイギリス人の間に、後の国民国家の創生につながる近代的な国民意識の母体となるものが胚胎したともいわれる。またフランス第一帝政時代の対仏大同盟は、イギリスが盟主的存在であった。
こうした歴史的経緯から、フランス人とイギリス人の間には根深い対抗意識が根付くこととなった。英単語でフランスを意味する「フレンチ」がつく単語はあまり良くない意味であることが多く[要出典]、フランス語でイギリスを意味する「アングレーズ」がつく料理は簡単かまずいかのどちらかであるといわれている[要出典]。またアメリカ英語では「フレンチフライズ」というフライドポテトのことを、イギリス英語では「チップス」という。
英語での生きている牛 (cow) もしくは生きている豚 (pig) と死んだあとの食肉としての牛 (beef) と豚 (pork) の呼び方が異なる理由は、ノルマン・コンクエストによってイギリスを支配したノルマン系のイングランド貴族の母語がフランス語であり、被支配者であるアングロ・サクソン系の農民の育てた家畜は生きている間はアングロ・サクソン系の語彙で呼ばれ、肉となって調理され、貴族の食卓に上るとフランス語系の語彙で呼ばれるようになったのが由来である。即ち、ビーフとポークは本来フランス語である(ただし英語とフランス語のビーフ・ポークの綴りは異なる)。
政治的には1904年の英仏協商締結以来、基本的には友好関係にある。第一次世界大戦をともに戦い、第二次世界大戦では敗北寸前となったフランスに対し、イギリスから連合国家形成の提案がなされたこともある。戦後はスエズ危機のように両国が協調した行動を取ることもあるが、イラク戦争に対する対応のように両国の対応が分かれることもある。
日本とフランスの公式な関係が始まったのは19世紀後半の幕末期以降である。1858年10月9日に、フランスから日本に外交使節団長として派遣されたジャン・バティスト・ルイ・グロ男爵 によって、日本と最初の修好通商条約が当時の日本の幕府があった江戸で調印された。
明治維新後には西園寺公望をはじめとする政治家、大山巌らの軍人、黒田清輝らといった芸術家らが続々とフランスに留学している。1872年(明治5年)から翌年にかけては、岩倉使節団がフランスを訪問しており、当時のパリの様子が「米欧回覧実記」に詳しく記されている(一部スケッチ入り)[24]。日本は民法・刑法改正にギュスターヴ・エミール・ボアソナード、陸軍にフランス陸軍の教官を招聘し、強い影響を受けた。
義和団の乱では共同歩調を取ったが、日清戦争後にフランスは、日本に遼東半島を返還するよう働きかける三国干渉を行っている。第一次世界大戦においては連合国として戦い、1919年のパリ講和会議では日本の提出した人種差別撤廃案に賛成している。その後の第二次世界大戦においては、ヴィシー政権成立前後の時期に、日本はフランス領インドシナへの進駐を要求し、北部インドシナは日本の占領下に置かれた(仏印進駐)。ヴィシー政権は植民地に対する支配力を失い、1940年のタイ・フランス領インドシナ紛争では日本の仲介により東京条約を締結しタイとの戦争を終結させた。1941年には南部仏印への進駐も行われたが、これは日米交渉において決定的な破局点となった。真珠湾攻撃後、自由フランスは連合国の一員として日本に宣戦したが、日本軍とは交戦していない。1945年、インドシナで明号作戦によって、仏印軍は日本軍に攻撃され、フランスの植民地政府機構は日本軍の支配下に置かれた。日本側はフランスとは戦争関係にないという建前をとり続けたが、降伏文書には臨時政府のフランス代表も署名している。
1951年、日本国との平和条約締結により日仏関係は正常化した。以降の関係はおおむね良好である。
日本では、フランスはファッションや美術、料理など、文化的に高い評価を受ける国として有名であり、毎年多数の日本人観光客が高級ブランドや美術館巡り、グルメツアーなどを目的にフランスを訪れている。また、音楽、美術、料理などを学ぶためにフランスに渡る日本人も多く、在仏日本人は3万5千人に及ぶ[25]。これはヨーロッパ圏ではイギリス、ドイツに次ぐ多さである。 経済面では、1992年から2000年にかけフランス側が対日輸出促進キャンペーンとして「ル・ジャポン・セ・ポシーブル」を展開したものの、2000年代の現在まで貿易額は漸増傾向を示すに留まり、2004年時点で貿易額は相互に60億ドル台から80億ドル台で推移している[26][27]。日本から見た場合、対仏輸出の構成比は1.5%(各国中15位)であり、一方でフランスからの輸入も1.8%(同13位)と貿易における重要度、依存度は他の先進国や中進国と比較してさほど高くない[28]。これをフランスから見た場合、対日輸出が輸出全体に占める割合は1.6%であり、これはドイツ(14.5%)、スペイン(10.2%)、イタリア(9.2%)、イギリス(8.8%)、ベルギー(7.6%)といったEU諸国、アメリカ合衆国(7.2%)、中華人民共和国(1.7%)に次ぐものとなっている[29]。
しかし、直接投資においては、1999年のルノーによる日産自動車の買収に伴い、日産の最高経営責任者となったカルロス・ゴーンは一般の日本人にも知名度があり、これにプジョーを加えフランス車も、ドイツ車などと並んで日本では人気のある海外車種の一つである。他方、日本側もトヨタ自動車がほぼ同時期に北部ノール県ヴァランシエンヌに工場を建設しているほか、NTNなど自動車部品メーカーの工場進出も行われており、近年では1990年代後半にかけて自動車業界を中心に相互に大きな投資が行われている。
古くは江戸幕府の幕府陸軍、および明治以降の日本陸海軍もフランス軍の影響を相当受けていた(第一次・第二次・第三次フランス軍事顧問団)。陸軍はその健軍にあたってフランス陸軍を師とし、鎮台制などのフランスの兵式を採用し強い影響を受けている。なお、旧陸軍および現在の陸上自衛隊の制式行進曲である『陸軍分列行進曲(観兵式分列行進曲)』は、明治初期に御雇外国人としてフランスから派遣されたシャルル・ルルー陸軍軍楽大尉相当官によって作曲されたものである。1880年代中後半には普仏戦争の影響もあり、1888年(明治21年)に全体的にプロイセン(ドイツ)式に転換したもののフランス色は完全に排除されたわけではなく(明治38年・45年制式の軍服にフランス式の肩章を採用)、また第一次大戦から1930年代までは、銃火器・火砲・戦車および航空機(後述)等の開発においてはフランスの影響が再度強くなっている。海軍は健軍当初から兵式はイギリス式を採用していたが、当時のフランスはイギリスに次ぐ海軍大国でもありその存在は無視出来るものではなく、1880年代の第三次フランス軍事顧問団において海軍技術者ルイ=エミール・ベルタンなどを御雇外国人として招き主力艦を含む多数の軍艦を設計させている。そのため19世紀が終わる頃まではフランス海軍の影響も大きかった。
航空分野においては、1910年(明治43年)に徳川好敏・日野熊蔵両陸軍大尉がフランスの飛行機の操縦技術を学び、フランス製のアンリ・ファルマン複葉機を持ち帰り、同年12月19日に代々木練兵場で初飛行した。なお徳川好敏は、日本人として日本の空を飛んだ初めてのパイロットである。第一次大戦時の1914年(大正3年)に編成された日本発の実戦飛行部隊たる陸軍の臨時航空隊は、フランス製の軍用機と技術をもって青島の戦いに参戦しドイツ軍と交戦した。大戦末期の1918年(大正8年)1月、陸軍はフランス側より航空部隊の無償技術指導の提案を受け、フォール陸軍大佐( Jacques-Paul Faure)を団長にした61名のフランス航空教育団 ( Mission militaire française au Japon (1918-1919))を迎え、所沢陸軍飛行場(現・所沢航空記念公園)など各地で教育を受けている(少数ではあるが海軍軍人も聴講員として参加)。このように、のちの陸軍航空部隊、しいては日本の航空・航空戦力の原点はフランスであった。
フランスは26の地域圏に分かれる。フランス本土(メトロポリタン・フランス)の位置するヨーロッパの領土は22の地域圏(レジオン région)に区分され、その下に100の県(デパルトマン département)が存在する(各レジオンが2~8のデパルトマンに区分されている)。地域圏はメトロポリタン・フランスに21、コルシカに1つに分かれる。さらに海外のアメリカ大陸やインド洋などには、4つの海外県と、複数の海外領土がある。各県はさらにコミューンに分かれる。2009年3月29日、アフリカ東部沖のコモロ諸島にあるマヨット(人口約20万人)を特別自治体から海外県への地位変更の是非を問う選挙が行われ、賛成95.2%で海外県となることが決まった。フランスの県としては101番目、海外県としては5番目である。
フランス・メトロポリテーヌの地域圏再編が行われ、2016年1月1日より地域圏の数は26から18となった。
表は市内の人口順ではなく、都市圏の人口順に並べている。フランスの人口は、パリへの一極集中が目立ち、同市に次ぐ都市は規模が小さい。
都市 | 行政区分 | 人口 | 都市圏人口 | |||||||
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1 | パリ | イル=ド=フランス | 2,240,621 | 12,341,418 | ||||||
2 | リヨン | メトロポール・ド・リヨン | 496,343 | 2,214,068 | ||||||
3 | マルセイユ | プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール | 852,516 | 1,727,070 | ||||||
5 | トゥールーズ | ラングドック=ルシヨン=ミディ=ピレネー地域圏 | 453,317 | 1,270,760 | ||||||
4 | リール | ノール=パ・ド・カレー=ピカルディ地域圏 | 228,652 | 1,166,452 | ||||||
7 | ボルドー | アキテーヌ=リムーザン=ポワトゥー=シャラント地域圏 | 241,287 | 1,158,431 | ||||||
6 | ニース | プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール | 343,629 | 1,004,914 | ||||||
8 | ナント | ペイ・ド・ラ・ロワール | 291,604 | 897,713 | ||||||
9 | ストラスブール | アルザス=シャンパーニュ=アルデンヌ=ロレーヌ地域圏 | 274,394 | 768,868 | ||||||
10 | レンヌ | ブルターニュ地域圏 | 209,860 | 690,467 | ||||||
2012年国勢調査 |
フランスの国土は西ヨーロッパに位置する本土のほか、地中海に浮かぶコルシカ島、南米のフランス領ギアナ、カリブ海のマルティニーク、グアドループ、インド洋のレユニオンといった4海外県、さらにはニューカレドニアやフランス領ポリネシアなどオセアニアの属領をも含む。その面積は西ヨーロッパ最大であり、フランス本土だけで日本の1.5倍あり[30]、可住地の広さは日本のおよそ3.5倍にも達する。本土の形状はだいたい六角形の形を成しており、これはフランスの公用語であるフランス語にも影響し、六角形を意味する"l'Hexagone(レグザゴーヌ)"が「フランス本土」を意味する。その6辺の国境のうち、1辺は平野と川(ライン川)、2辺は山脈(ピレネーとアルプス)、3辺は海(地中海、大西洋、北海)である[31]。
フランスの地形のおもな特色は、東から南にかけて山地や山脈という自然の国境がある他は、ところどころに高原や丘陵がみられるものの、国土の大半は概して緩やかな丘陵地や平野で可住地に恵まれていることにある(国土の60%が海抜250m以下の平地であり、2000mを超える山岳地帯は東部と南西部の国境付近のみ[32])。
北部、西部に広がる、フランスでも最も広い領域を占める比較的平らな地域は、東ヨーロッパから続くヨーロッパ中央平原の西端部にあたる。緩やかな起伏の平野で、高所でも標高200m程度の土地が広がっており、温暖な気候と併せて西欧最大の農業国フランスの基礎となっている。東部ドイツ国境にはヴォージュ山脈、スイス国境にはジュラ山脈が延びる。ヴォージュ山脈はライン川の西岸に沿って流れ、ライン川がフランスとドイツとの国境となっている。南東部は中央高地が広がり、北から南へ流れ下るローヌ川を越えると、アルプス山脈につながっていく。南部イタリアとの国境を成すアルプスの山々は、多くが標高4000m以上で、その最高峰がモンブランである。アルプス越えには古代ローマの時代からいくつかの道があるが、なかでも有名なのが、サンベルナール峠である。南西部のスペイン国境にはピレネー山脈が延びる。峠がほとんど無いピレネー山脈は、フランスとスペインとの交易を困難なものにした。サントラル高地の最高峰はドール山 (1,866m)。ピレネー山脈の最高峰アネト山 (3,404m) はスペイン側にそびえる。フランス全土の最高峰はイタリア国境に位置するモンブラン (4,810m)。
主な河川は北から反時計回りに、セーヌ川 (776km)、ロワール川 (1012km)、ガロンヌ川 (647km)、ローヌ川 (812km)。
フランスの気候は大陸性、海洋性、地中海性の気候区に分割される。海洋性気候は大西洋側の国土の西部で見られる。気温の年較差、日較差とも小さい。気候は冷涼であるが、寒くなることはない。国土を東に移動するにつれて気候は大陸性となっていき、気温の年較差、日較差が拡大していくと同時に降水量が上昇していく。本来の大陸性気候は東ヨーロッパ、つまりポーランドやルーマニアが西の限界であるが、フランス東部の高地、特にアルプス山脈の影響によって、大陸性気候が生じている。地中海性気候は国土の南岸で際立つ。気温の年間における変動は3種類の気候区のうち最も大きい。降水量は年間を通じて少ない。このように三種類の気候が共存している例はヨーロッパの中でフランスだけである[33]。
2014年のフランスのGDPは2兆8468億ドルであり、アメリカ、中国、日本、ドイツ、イギリスに次ぐ世界第6位である[35]。また、同年の一人当たりのGDPは42,999ドルであり世界水準のおよそ4倍、日本と比較しても僅かに多くヨーロッパ屈指の経済大国であることが分かる。観光客入国数では世界一、農産物輸出額では世界第2位を占める[36]。農業は生産額世界第6位と依然としてフランスにおける重要な産業であり、EU諸国中最大の規模を誇っている。
第二次世界大戦後は、鉄道や航空、銀行、炭田の国有化が行われた。マーシャル・プランを原資としたモネ・プラン、次いでイルシュ・プランで経済復興が行われた。自動車・電子・航空機産業についても国が主要株主となり、政府は石油と天然ガスにも投資した。1981年のフランソワ・ミッテラン大統領の社会党政権時代には産業国有化がさらに進められたものの、経済成長の鈍化で頓挫した。1986年に保守派シラクが首相になって国家の役割が縮小されたものの(第1次コアビタシオン)、アメリカ合衆国やイギリスなどと比べても金融・保険・電力・運輸・国防産業などの分野で依然として政府は大きな影響力を有し、国家資本主義の色彩が濃い。
1990年代後半は、ヨーロッパ通貨統合に参加するために強硬な財政赤字削減策が実施されたが、国民の強い反発を招き、消費拡大による景気刺激策に方針が転換された。しかし、2000年を境にGDPの実質経済成長率は大きく低下して、財政赤字は2002年以降、連続して対GDP比3%以内というEUの財政協定の基準(収斂基準)を大きく超えていた。1990年代の大きな問題だった12%をこえる失業率も、90年代末から改善されて2001年には8%台になったが、その後は再び悪化して2005年初めには10%を突破した[37]。しかし、05年以降、世界経済の好調に助けられる形で経済は持ち直し、財政赤字は3%を切り、失業率も8%台にまで改善されたものの、世界金融危機_(2007年-)で財政出動を余儀なくされたことから、GDP比3%の財政赤字の基準は守れておらず、EUの欧州委員会から財政赤字の立て直しの勧告が出されている[38]。デクシアの救済劇は、資本輸出先であるベルギーとで両国政府が大株主も伴い64億ユーロも注入する有様となった[39]。
2008年度版フォーチュン・グローバル500によると、総収入を指標とした全世界の企業ランキングリストのうち上位100位に含まれるフランス企業は、国際石油資本のトタル(本社パリ、8位)、保険のアクサ(パリ、15位)、金融のBNPパリバ(パリ、21位)、金融のクレディ・アグリコル(パリ、23位)、小売のカルフール(ルヴァロワ・ペレ、33位)、金融のソシエテ・ジェネラル(パリ、43位)、自動車メーカーのプジョー(パリ、66位)、電力会社のフランス電力(パリ、68位)、電気通信事業者のフランステレコム(パリ、84位、現Orange)、水道や電力、ガス事業などを行うスエズ(パリ、97位、現エンジー)が並ぶ。
2009年3月、「経済危機のつけを労働者に回すな」をスローガンに、1月の前回100万~250万人を上回り、全国で300万人が統一行動を行った。サルコジ政権は、昨年12月260億ユーロ規模の経済活性化対策を発表した。さらに所得税減税など14億ユーロ規模の低所得者向け支援策を提案し、その後26億ユーロ規模に増額した。
ヨーロッパ連合(英語表記ではEU、但しフランス語表記での略称はUE-Union européenne-フランス語:ユニオン ウロペンヌ となる。本項目では特に断りがない限りEUと表記する)の歴史的創立メンバーの1国であり、特に隣国ドイツとの経済的・社会的統合を推進している。フランスの金融政策はフランクフルトのヨーロッパ中央銀行で決定され、ナポレオン1世の時代以来使用されていたフランスの通貨フランは、1999年のヨーロッパ通貨統合への参加により2002年始めに完全にユーロに切り替わった。
EU最大の農業国で「ヨーロッパのパン籠」と言われる。穀物、根菜、畜産などすべての農業部門において世界の上位10位以内の生産高を誇る。地形が概して平坦なため、国土面積の53.6%が農業用地と比率的には日本の約4.5倍に達し、国土の36%が耕作地で、18%が酪農用地である(国連FAO)。農業従事者は労働力の約3%。1955~2000年で農家の数は3分の1に減少し、相対的に1農家当たりの農地面積、経営規模が拡大した。穀物は、小麦、大麦、トウモロコシ、根菜はじゃがいも、テンサイ、畜産ではブタ、鶏卵、牛乳の生産が際立つ。このほか、亜麻やなたねの生産高も多い。テンサイの生産高は世界一である。政府は農業を重要輸出産業とし国際競争力の強化を図る他、農業経営の近代化、若年層の就農促進等の政策を実施している。
第二次世界大戦後までは、ルール地方の鉄と石炭が鉱業の大半を占めていた。21世紀初頭においては、既に鉄鉱石の採掘は行われておらず、金属鉱物資源は鉱業の対象となっていない。最も規模が大きい鉱物資源は世界シェア8位 (3.3%) の塩(700万トン、2002年時点)である。
有機鉱物資源では、石炭、石油、天然ガスとも産出するが、いずれもエネルギー需要の数%を満たす水準である。例えば石油の自給率は1.6%にとどまる。金属資源では、金、銀、その他の地下資源ではカリ塩、硫黄を採掘している。
フランスの工業は食品工業、製材、製紙、運輸、機械、電気機械、金属、石油化学工業、自動車産業が中心である。世界一の生産高を誇るワイン、世界第2のチーズのほか、バター、肉も五本の指に入り、製糖業も盛ん。製材、製紙はいずれもヨーロッパ随一である。石油化学工業は燃料製造、プラスチック、合成ゴム、タイヤと全部門にわたる。特に合成ゴムとタイヤ製造が著しい。
自動車製造業は世界7位の規模である。自動車の生産は古くから行われており、常に生産台数が世界で10番目に入る自動車大国でもある。主なメーカーとして現在日本の日産自動車を傘下に収めるルノーや、PSA・プジョーシトロエンなどがある。国防産業では、タレス、DCNS、サフランなどの大企業が存在し、これらによる造船業も盛んである。
フランスのフラッグ・キャリアは、エールフランスであり、スカイチームに設立時から所属している。EADSやエアバス、マトラ、ダッソーなどの企業が代表するように航空宇宙産業も発達しており、ロシアを除きヨーロッパではフランスだけが宇宙船発射能力を持つ。
エネルギーでは原子力発電への依存率が世界で最も高い。電力のおよそ78%が原子力発電でまかなわれているのに対し、火力発電は約11%、水力発電は約10%にすぎない[40]。発電用原子炉の数はアメリカ合衆国に次ぐ59基。2001年時点の総発電量5,627億kW時のうち、74.8%(4,211億kW時)を原子力が占める。原子力による発電量自体もアメリカ合衆国の7,688億kW時に次いで2位である。フランスの発電は原子力以下、水力14.7%、火力10.4%、地熱0.1%が続く。総発電量では世界第8位を占めていて、近隣諸国にも多くの電力を供給しており、EUで最大の電力輸出国となっている。主な原子力発電所は、グラブリン原子力発電所(5,706千kW、ノール県)、パリュエル原子力発電所(5,528千kW、セーヌ=マリティーム県)、カットノン原子力発電所(5,448千kW、モゼル県)。2001年現在で発電規模世界第4位、5位、6位を占める。
フランスは伝統的に西ヨーロッパにおける最も重要な農業国である。さらに、第二次世界大戦後に工業関連企業を国有化することによって合理化が進み、EC域内の工業国としてもドイツに次いで重要な位置を占めるようになった。2003年における全工業製品の輸出額はドイツの約40%であった[41]。フランス工業(EC域内工業)の特徴は域内分業である。各産業は国内市場よりもEC域内市場を対象としており、フランスにおいても2004年における貿易依存度は輸出20.7%、輸入21.6%まで高まっている。2003年における輸出額は3660億ドル、輸入額は3696億ドルである。
輸出を金額ベースで見ると、工業製品が大半を占める。品目別では、自動車14.3%、電気機械11.2%、機械類10.4%、航空機5.4%、医薬品5.0%である。工業製品が80.4%、食料品が11.2%という比率になっている。主な輸出国は金額が多い順に、ドイツ、スペイン、イギリス、イタリア、ベルギーであった。
フランスは2004年時点の小麦の世界貿易(輸出)において、第4位(12.5%、1,489万トン)を占めていた。さらにとうもろこしの世界貿易では第3位(7.4%、616万トン)、砂糖では第4位(5.2%、234万トン)、チーズでは第2位(14.3%、58.3万トン)を占めている。しかしながら、農産物は工業製品に比べて単価が安いことから輸出全体に占める比率は高くない。同じことが工業製品である鉄鋼の貿易にも当てはまる。フランスは2005年の世界貿易(輸出)において、第4位(1,800万トン)を占めているが、フランスの総輸出額に占める割合は5%未満である。一方、単価の高い自動車は2004年における輸出シェアが世界第2位(426.9万台)であることを反映し、もっとも重要な輸出品目となっている。
輸入は工業製品が77.4%、原材料と燃料が13.8%、食料品が8.4%という構成である。輸出入とも工業製品が約8割を占める。品目別では、電気機械13.1%、自動車11.0%、機械類10.0%、原油5.1%、衣類4.1%。主な輸入国は金額順に、ドイツ、イタリア、スペイン、ベルギーであった。
1986年時点の貿易は、輸出1,191億ドル、輸入1,279億ドルであった。輸出に占める工業製品の比率は77.2%、食糧品は15.4%であることから、次第に輸出品に占める工業製品の割合が拡大して来たことが分かる。輸入品についてはこの傾向がより顕著である。
オイルショック以降、フランスは慢性的な高失業率に悩まされている[37]。特に西アフリカや中東、北アフリカなどの元植民地からの移民とその子孫の失業率が高いため、不満が鬱積したこれらの失業者による暴動が度々起きている。とりわけ2005年10月27日に発生した移民の死傷事件は、これをきっかけに、パリを始めとしたフランス全土、さらに隣国のドイツやベルギーにも暴動が広がった(2005年パリ郊外暴動事件を参照)。
就業者を上げるために、2006年3月に26歳以下の若者を2年以内の雇用なら理由なく解雇出来るという、青年雇用対策「初期雇用契約」(CPE)を制定したが、逆に「安易な首切りを横行させる」と若者を怒らせる結果となり、フランス国内の大学でのCPE反対の抗議活動が激化、若者が暴徒化し警官隊と衝突する事態に陥った。CPE反対に際しては労働組合も同調しており、抗議行動への参加や、3月28日には全国でTGVをはじめとする鉄道やバスなど公共交通機関の運休のほか、郵便局や公立学校などの公的機関、銀行や電力会社など幅広い業種でゼネラルストライキが行われ、交通機関などで麻痺状態に陥った。ド・ビルパン首相は撤回に応じないと表明したが、4月10日になり、シラク大統領がCPEの撤回を表明した。
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欧州最大の多民族国家であるフランスでは、本土ではケルト人・ラテン人・ゲルマン系のフランク人などの混成民族であるフランス人が大半を占める。基本的にはラテン化したケルト人を少数のゲルマン人が征服して成立した国、と見なすことが多いが、今も議論の的である。世界、特に欧州では混成民族でない国民はほとんど存在しないとはいえ、たとえばドイツ人がゲルマン人を主流としていることに異論は少ないのに対し、フランス人はそうした主流を挙げることが困難なほどに三つの流れが拮抗した比重を持つのが特徴である。また、本土でもブルターニュではケルト系のブルトン人、スペインとの国境付近にはバスク人、アルザスではドイツ系のアルザス人などの少数民族が存在する。また、コルシカ島もイタリア人に近い民族コルシカ人が中心である。一方、西インド諸島やポリネシアの海外県や海外領土では非白人の市民が多い。
人種差別は存在しないわけではないが、もともと混成民族をベースにすることもあり、ナチス時代のドイツのような純血主義に走る例は少なく、フランス語とフランス文化に敬意を払う人間は他国人であっても同胞として遇する傾向がある。パリが芸術の都として世界中から画家や音楽家を集めた背景にもそうした気風があり、イタリア訛の抜けなかったナポレオンも国民の英雄としてもてはやされた。前大統領サルコジも移民2世であり、これは移民国家のアメリカの大統領ですら過去に例がない。ドイツ人とアルジェリア人を両親に持つ女優イザベル・アジャーニが国民的トップ・アイドルとして敬慕されるのも、この気風に根ざしている。
伝統的にフランスはスペイン、ポルトガル、東欧諸国などから多くの移民・政治的難民を受け入れており、低賃金労働に従事する労働者もいた一方、フランスに移住した有数な才能の手で文化や科学を発達させてきた。近年では、アフリカ(主に1960年代までフランスの植民地であった地域)・中近東からの移民が多い。
フランスは早くから少子化対策に取り組み、GDPのおよそ2.8%にも相当する巨費を投じ国を挙げて出産・育児を支援する制度を様々に取り入れてきた。代表的なものとしては世帯員(特に子供)が多い家庭ほど住民税や所得税などが低くなる『N分N乗税制』や、公共交通機関の世帯単位での割引制度、20歳までの育児手当などがある。この結果、1995年に1.65人まで低下したフランスの出生率は2000年1.89人に、2006年には2.005人にまで回復した。現在先進国で出生率が2人を超えている国は他にアメリカ合衆国とニュージーランドぐらいであり、フランスはヨーロッパ一の多産国となった[42]。
ただ一方で子供を4人以上産めば事実上各種手当だけで生活する事が可能となり、結果として低所得者が多いアフリカ系の移民やイスラム系の外国人労働者を激増させているのではないかとの指摘もある。これに対してINSEE(フランス国立統計経済研究所)は「移民の出生率は平均より0.4%ほど高いが、全体に占める割合が大きくないので大勢にそれほど大きな影響を与えているわけではない」と説明している[43]。
医療制度も評価が高くユニバーサルヘルスケアが達成されており、WHOによる2000年の医療制度効率性ランキングにおいてはフランスが第一位となった。
現行の憲法第二条によると、1992年からフランス語はフランスの唯一の公用語である。ただし、オック語、ピカルディ語などの幾つものロマンス語系の地域言語が存在するほか、ブルターニュではケルト系のブルトン語(ブレイス語)、アルザスではドイツ語の一方言であるアルザス語、北部フランドル・フランセーズではオランダ語類縁のフランス・フラマン語、コルシカではコルシカ語、海外県や海外領土ではクレオール諸語など77の地域語が各地で話されている。近年まで、フランス政府と国家の教育システムはこれらの言語の使用を留めてきたが、現在は様々な度合いで幾つかの学校では教えられている。その他にも移民によってポルトガル語、イタリア語、マグレブ・アラビア語、ベルベル諸語が話されている。フランス語は、フランスのみならず、旧植民地諸国(フランス語圏)をはじめとした多くの諸国で広く使用されている言語である。フランスは、点字が生まれた国でもある。
フランスではナポレオン法典によって子供につけられる名前が聖人の名前などに限定されたことがある。Jean-PaulやJean-Lucのような2語からなるファーストネームがフランスで一般化したのは、そのような状況の中で名前に独自性を持たせようとした当時の工夫のためである。フランスでは子供に付けられる名前が少なく(アラン、フィリップなど)、同じ名前の人物が多数いる。また、婚姻によって姓が変わることはない(夫婦別姓)。
宗教面では、国民の約7割がカトリックといわれている。カトリックの歴史も古くフランス国家はカトリック教会の長姉とも言われている。代表的な教会はノートルダム大聖堂、サン=ドニ大聖堂などが挙げられる。パリ外国宣教会はその宣教会。フランス革命以降、公共の場における政教分離が徹底され、宗教色が排除されている。
近年旧植民地からの移民の増加によりムスリム人口が増加し、知事も生まれた。フランスではフランス革命以来の伝統で政教分離(ライシテ)には徹底しており、2004年には公教育の場でムスリムの女子学生のスカーフをはじめとしてユダヤ教のキッパ、十字架など宗教的シンボルを禁止する法案が成立し、フランス内外のムスリムやユダヤ教徒から反発されている。一方でいくつかのキリスト教的シンボル(クリスマスツリーなど)はすでに一般化していて宗教的シンボルに値しないと許容されているため、宗教的差別であるという意見もある。
フランスでは政府としてセクトに対処している。非宗教性と中立性を謳ったライシテの概念、欧州人権条約等に配慮して実施されている。MIVILUDESという組織を中心に各省庁が連携して犯罪対策とその予防、洗脳対策などを基準にセクト団体に対処している。セクトとされる基準は犯罪性と被害者の存在と人権侵害である。セクトの選別基準に教義や宗派は関係しないし憲法等に織り込まれたライシテの概念からそのようなことはできない。2005年時点に置いてはセクト特有の犯罪を取り締まるための法律をより一般的な刑法へと発展させようとする方向も見せている。
フランス政府は地道な実績を積み上げている。特に悪質な団体を取り締まるために反セクト法(アブピカール法、セクト弾圧法等数多くの俗称で呼ばれた、正確な日本語訳は「人権及び基本的自由を侵害するセクト的運動の防止及び取り締まりを強化する2001年6月12日の法律第2001-504号」である)を制定し、被害者救済を確立するために判例を積み重ね、犯罪の未然防止や活動内容の監視の為に各県に専門部署を設置したり、子供への教育と称して洗脳や酷い教育が行われていないか監視するための部門を設置するなど多岐にわたる。裁判や法律の制定を通じて、セクト被害やその救済という概念を刑法に作り上げようとしている。
フランスのセクト対策に関しては疑問の声も多い。人種差別や宗教差別、人権無視に報道の自由の侵害など、少数派に対し不寛容な「人権の祖国」フランス政府の実態に対する疑問も提起されている。ただし疑問の声を提起する論者は、新聞記事の存在を無視する傾向が強い。新聞記事とこれらの疑問の声の間には内容に大きな乖離があり、信頼性については疑問符が付く。フランスのセクト対策は日本の大手新聞でも紹介されている。
フランス政府のセクト選別基準はライシテを回避するため、犯罪性や人権侵害が基準になっている。このセクト対策を宗教弾圧だとする意見もあるが、宗教に干渉しているのでなく、政府は犯罪を取り締まっている。しかしフランス政府は単純な取り締まりだけを考えているわけでもない。報告書に見られるように、セクトは大衆の需要を満たし大衆の望むものを提供しているからこそ繁栄しているのであり、単純に弾圧できるものではない。またある団体の行動や習慣を異常と見るか、多文化と見るかも非常に難しい問題であると記述されている。多文化と異常行動の線引き、この難しい問題に対しフランス政府は西欧的人権や被害者の存在に根拠を置くことでバランスを取っている。
フランス国内でも、セクト対策は宗教弾圧になりうる危険性があり、ライシテの根幹にもかかわる問題のために、多数の議論を巻き起こし、この過程で「進化するライシテ」「新しいライシテ」等の概念が示された。
フランス政府のセクト対策に係わる日本語訳資料については、s:フランス政府セクト対策一覧(WikiSource)参照。
2歳から5歳までの就学前教育の後、6歳から16歳までの10年間が無償の初等教育と前期中等教育期間となり、6歳から11歳までの5年間がエコール・プリメール(小学校)、その後4年間がコレージュ(中学校)となる。前期中等教育の後3年間のリセ(高等学校)による後期中等教育を経て高等教育への道が開ける。2003年の推計によると、15歳上の国民の識字率は99%である[44]。
高等教育機関には一般の総合大学や単科大学の他にグランゼコールと呼ばれるエリート学校があり、代表的な高等教育機関としてはパリ大学(1211年)、モンペリエ大学(1289年)、エクス=マルセイユ大学(1609年)、ストラスブール大学(1631年)、リヨン大学(1809年)、パリ・カトリック大学、エコール・ノルマル、エコール・ポリテクニーク、パリ国立高等鉱業学校、エコール・サントラルなどが挙げられる。
フランスでは、コミュニケーションを重視した国語教育が、小学校での最重要の教育目標になっている。また、一部のエリート大学やグランゼコールを除き、リセ卒業時に行われるバカロレアに合格すれば任意の大学に入学できる代わり、進級認定は厳格である。
フランスの公立学校では、10人に1人はいじめの被害にあっているとされ、いじめは大きな社会問題になっている。しかしフランスは、他のヨーロッパ諸国より、いじめ対策が遅れているとされる[45]。
文豪スタンダール、オノレ・ド・バルザック、ヴィクトル・ユーゴーをはじめ中世より文学が発達しており、音楽も盛んである。絵画やファッションの分野では数世紀の間欧州世界をリードする地位にあると言われ、近年においてもファッションにおいてはイタリアと並び世界をリードする地位にある。また、長年芸術面で欧州世界をリードする地位にあることから、パリを中心に多くの諸外国の芸術家やクリエイターを引きつけている。特に画家は多いが、音楽でもドイツ人であるグルック、オッフェンバック、マイヤベーアがパリを拠点とするなど、多くの外国の才能を吸引した。
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食文化の面では、400年以上前イタリアで生まれた豊かな農産物と王制時代の宮廷文化を背景にしたフランス料理が有名であり、上流階級のフランス料理の他にも地方毎に様々な特色を持つ郷土料理が存在している。蕎麦のクレープガレットや、ケーキなどの菓子文化も発達した。バゲットやバタール、クロワッサンなどのフランス発祥のパンも、日本ではフランスパンと呼ばれて親しまれている。チーズ、ワインの生産国としても名高く、AOC法によって厳格に品質管理されたフランスワインは広く国内外に親しまれている。また、ブランデーの生産も盛んで、特にコニャック地方で生産されるブランデーは品質の良さで知られる。カフェ文化が育ったのもフランスであり、17世紀後半に生まれたフランスのカフェ文化は、現在まで広く世界中に根付いている。
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中世においては騎士道を歌い上げる叙事詩が文学の主流を担い、11世紀に『ローランの歌』が成立した。
ルネサンス期にはフランソワ・ラブレーが活躍し、『ガルガンチュワとパンタグリュエル』を著した。その後の絶対主義時代からフランス革命期にかけてマルキ・ド・サドなどが活躍した。
19世紀には『赤と黒』のスタンダール、オノレ・ド・バルザック、ヴィクトル・ユーゴー、『三銃士』のアレクサンドル・デュマ・ペールなどが活躍した。『八十日間世界一周』、『海底二万里』で知られるジュール・ヴェルヌはサイエンス・フィクションの先駆者となった。
第一次世界大戦後の戦間期には、『帰郷ノート』などで知られるマルティニーク出身のエメ・セゼールは、セネガル出身のレオポール・セダール・サンゴールらと共に、科学的人種主義によって不当な扱いを受けていたアフリカ系黒人の文化の再評価を図るネグリチュード運動を担った。
中世において神学者のピエール・アベラールは唯名論を唱え、スコラ学の基礎を築いた。後にスコラ学はシチリア王国出身のトマス・アクィナスの『神学大全』によって大成された。一方正統カトリック信仰とは異なる立場で南フランスでは一時グノーシス主義の影響を受けたカタリ派が勢力を伸ばしたが、アルビジョワ十字軍によるフランス王権の拡張やカトリックによる弾圧によってカタリ派は15世紀までに滅んだ。
ルネサンス期にはミシェル・ド・モンテーニュが活躍し、『エセー』を著してその中でアメリカ大陸やアフリカの住民を擁護した。しかし、モンテーニュの非西欧世界への視線は非西欧を「文明」として捉えることはせず、後のルソーに先んじて「高貴な野蛮人」として扱うものに留まった。
宗教改革や対抗宗教改革後の17世紀にはジャンセニスムやガリカニスムが隆盛を迎え、ブレーズ・パスカル、ジャック=ベニーニュ・ボシュエらが活躍し、それぞれの立場からカトリック信仰を擁護した。また、『方法序説』を著したルネ・デカルトによって近代哲学が成立した。
18世紀には信仰よりも理性を重視する啓蒙思想が発達し、ジャン=ジャック・ルソー、シャルル・ド・モンテスキュー、ヴォルテール、フランソワ・ケネーらが活躍した。これらの思想家は清の儒教の影響などもあって、それまでのキリスト教会が担っていた神聖な権威よりも理性を重視する合理主義的な考察を進め、君主による絶対主義を否定するアメリカ独立革命やフランス革命の理論的支柱となった。しかし、同時に啓蒙主義によってもたらされた合理主義は植民地のサン=ドマングや、18世紀末から19世紀末にかけて啓蒙思想を理論的支柱として独立したアメリカ合衆国やラテンアメリカ諸国において、理性を持たない「半人間」という扱いをうけた黒人やアメリカ先住民(インディアン、インディオ)を、「より理性的な」白人が合理的に奴隷化し、収奪することを合法化する思想ともなった[46]。フランス革命中に活躍した平等主義者フランソワ・ノエル・バブーフは、その思想の先見性から共産主義の先駆者と位置づけられた。『人権宣言』の説く「人間」に、女性が含まれないことを指摘したオランプ・ド・グージュはフェミニズムの先駆者となった。
啓蒙主義を理論的支柱としたフランス革命が一段落した19世紀前半にはアンリ・ド・サン=シモンやシャルル・フーリエによって社会主義思想が唱えられた。彼等の思想は後にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって空想的社会主義と呼ばれた。同じ頃オーギュスト・コントは実証主義を唱え、実証主義は19世紀後半のラテンアメリカ諸国の政治や文化(1889年のブラジルの共和制革命など)に大きな影響を与えたが、資本主義経済の確立を唱えた実証主義は、ラテンアメリカにおいて、社会進化論などと共に国家が資本主義的な利用を図るために「野蛮」なインディオの共有地や解体し、半奴隷労働を強制することを理論的に支えた。19世紀半ばにピエール・ジョゼフ・プルードンは無政府主義(アナルキスム)を体系化し、無政府主義はミハイル・バクーニンによってマルクスとエンゲルスの史的唯物論(科学的社会主義)に対抗する社会主義思想となった。帝国主義の時代において、このような19世紀までの社会主義思想も含めた多くの社会思想は、マルクス主義者のポール・ルイ(ポール・レヴィ)や、哲学者のフェリシヤン・シャレのような数少ない例外を除いて植民地主義は「野蛮」な非西欧の「文明化」に奉仕するものだとして、真剣に植民地支配やその結果である収奪、暴力を批判する思想とはならなかった[47]。
第一次世界大戦後の戦間期にはアンリ・ベルクソンやジョルジュ・ソレルらが活躍した。一方、植民地からはマルティニーク出身のエメ・セゼールやセネガル出身のレオポール・セダール・サンゴールが科学的人種主義によって不当に評価を低く見られていた黒人とアフリカ文明を再評価する、ネグリチュード運動が提唱された。
第二次世界大戦後には実存主義哲学が隆盛を迎え、ジャン=ポール・サルトルやマルティニーク出身のフランツ・ファノンは反帝国主義の立場からアルジェリア戦争に反対すると共に、アルゼンチンの革命思想家チェ・ゲバラのゲバラ主義や毛沢東の毛沢東主義と共に植民地や第三世界におけるマルクス主義による革命闘争の理論的支柱となった。実存主義者のシモーヌ・ド・ボーヴォワールはフェミニズム運動を牽引した。1950年代から1960年代のフランスでは、知識人を中心に毛沢東主義が流行した。
実存主義の後には、1960年代からスイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールや、人類学者レヴィ・ストロース、ヘーゲル学者アレクサンドル・コジェーヴによって構造主義が隆盛を迎え、ルイ・アルチュセール、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、エマニュエル・レヴィナスなどが活躍した。オーストリアのフロイトが大成した精神分析学は、20世紀後半にパリ・フロイト派を立ち上げたジャック・ラカンによって新たな段階に至った。構造主義の後にはポスト構造主義が隆盛を迎えたが、1994年のソーカル事件により、構造主義やポスト構造主義の「知の欺瞞」が暴露され、衒学的な姿勢は厳しく批判された。ただし、このような限界がありながらも、未だにフランス初のポストモダニスムはアラン・バディウのようなフランス人のみならず、アメリカ合衆国のガヤトリ・チャクラヴォーティ・スピヴァク(デリダ派)やジュディス・バトラー(フーコー派)スロヴェニアのスラヴォイ・ジジェク(ラカン派)らに批判的に継承され、発展を続けているのも事実である。
脱植民地化時代のマルティニークにおいてはセゼールやファノンの後継者であるエドゥアール・グリッサンの全世界論や、パトリック・シャモワゾー、ラファエル・コンフィアンらのクレオール主義が唱えられた。
1990年代には、かつてチェ・ゲバラと共にボリビアでの革命運動に参加したレジス・ドブレによってメディオロジーが唱えられ、また毛沢東派のアラン・バディウが活動し続けるなど、ポストモダニスム以外の哲学のあり方も変化している。
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17世紀前半まではイタリアと並ぶ音楽大国として君臨し、オペラを中心に栄えたが、今日ではこの時期の作品はラモー、リュリなどを例外として演奏機会は多くない。その後、ウィーン古典派からロマン派にかけてドイツ圏の作曲家たちに押されて奮わなくなり、パリで活躍する作曲家もドイツ人が多くなった。その一人オッフェンバックの傘下からビゼーが出現するが短命で世を去り、その後パリ楽壇のボス的存在であったサン=サーンスはドイツ人ペンネームを使うなど[要出典]、一種の文化植民地状態に陥ってしまう。しかし、そのサン=サーンスを批判したフランク(彼もドイツ系ベルギー人ではあったが)が現れた頃から独自のフランス音楽を模索する動きが高まり、19世紀末20世紀にかけての「フランス6人組」やフォーレ、ドビュッシー、ラヴェルらによって一つの頂点を築く。本来は音楽先進国であったため、これらの運動はいわゆる国民楽派には含まれないことが多いが、ドイツ楽派の桎梏を逃れる動きという点では呼応するものがあった。
ポピュラー音楽においては20世紀初頭から1950年代にかけてミュゼットや、いわゆるシャンソンとして知られる音楽が流行し、エディット・ピアフやイヴ・モンタン、シャルル・アズナヴールなどが活躍した。また、戦前はアルゼンチンのタンゴが流行し、アルゼンチンでは「パリのカナロ」などの楽曲が作られた。
また、ジャズが幅広く浸透しており、アメリカのジャズを元に、独自の音楽性を発展させた形式に特徴がある。具体的には、Zeule と呼ばれる1つのジャンルにすらなっているマグマおよびその関係者であるディディエ・ロックウッドらの音楽がフランス国外でも広く知られている。
1960年代から1970年代にはアメリカ合衆国やイギリスのロックの影響を受け、セルジュ・ゲンスブールやシルヴィ・バルタン、フランス・ギャル、ジョニー・アリディ、ミッシェル・ポルナレフ、ジュリアン・クレール、アラン・シャンフォー、ロック・バンドではアンジュ、マルタン・サーカス、ズー、テレフォンヌなどが活躍した。1980年代以降はフランスの旧植民地から、出稼ぎにやってきた人々や活動の拠点を母国からフランスに移した音楽家も活躍し始め、セネガルのユッスー・ンドゥール、マリ共和国のサリフ・ケイタ、アルジェリア系のラシッド・タハやアマジーグ・カテブのような音楽家が活動している。
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フランスは芸術の国として広くその名を知られており、国内、海外を問わず多くの芸術家がフランスで創作活動を行った。ファン・ゴッホやパブロ・ピカソ、ル・コルビュジエなどはフランスで創作活動を行った芸術家達の内の極一部である。
18世紀末から19世紀初めにかけては新古典主義により古代ギリシア・古代ローマの文化の復興運動が進められ、フランス革命を描いたジャック=ルイ・ダヴィッドなどが活躍した。
19世紀前半にはロマン主義や写実主義が隆盛を迎え、ウジェーヌ・ドラクロワやギュスターヴ・クールベらが活躍した。19世紀後半には印象派、象徴派、ポスト印象派、ジャポニスムが隆盛を迎え、エドゥアール・マネ、クロード・モネ、ポール・セザンヌ、ポール・ゴーギャンらが活躍した。20世紀初頭にはフォーヴィスム(野獣派)、キュビスム、アール・ヌーヴォー、アール・デコが隆盛を迎え、ジョルジュ・ブラックやアンリ・マティスらが活躍した。
1918年に第一次世界大戦が終結し、それまで世界の中心的地位を占めていたヨーロッパが衰退すると、戦間期にはシュルレアリスムなどそれまでの西欧の美術様式に逆らった美術運動が発展した。
第二次世界大戦後に冷戦構造の中でアメリカ合衆国が西側世界の中心となると、フランスの文化的な地位は相対的に低下したが、終戦直後から1950年代にかけてアンフォルメルや、1960年代に全盛を迎えたヌーヴォー・レアリスムなどでフランスの芸術運動はアメリカ合衆国と激しく主導権を争った。
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フランスにおける芸術の中でも近年とりわけ重要視される文化は映画である。フランスで映画は、第七芸術と呼ばれるほど、深く尊敬を集め親しみある存在である。
映画の歴史は1895年12月28日のリュミエール兄弟の上映によって始まり、20世紀初頭には文芸色の強い無声映画が多数作られた。毎年5月には南仏の都市カンヌにおいてカンヌ映画祭が開催され、世界中から優れた映画関係者が集まり華やかで盛大な催しが行なわれる。
ファッションの大衆化が進んだ19世紀以降、特に20世紀に入ってからはフランスのファッションブランドが世界を席巻しており、ユベール・ド・ジバンシィやイヴ・サンローラン、クリスチャン・ディオール、ココ・シャネルなどのファッションデザイナーによるオートクチュールやプレタポルテの他、これらのファッションブランドが展開する香水やバッグなどが人気を博している。他にも、ルイ・ヴィトンやエルメスなどの旅行用品や馬具のブランドが衣類や靴、バッグ、小物、香水などのラインを出し世界中で人気を博している。また、パリコレクションが世界中のファッション雑誌やバイヤーからの注目を集めていることから、フランス以外の諸外国のファッションデザイナーの多くがコレクションへの参加を行っており、日本からもコム・デ・ギャルソン(川久保玲)やケンゾー(1999年まで高田賢三)、Yohji Yamamoto(山本耀司)などの多数のファッションブランドが毎年参加しているなど隆盛を極めている。
これらのファッションにおけるフランスの隆盛は、フランス文化を諸外国に広めるだけでなく、外貨獲得にも大きく貢献していることから、現在では業界そのものが政府による大きなバックアップを受けている。
フランス国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が35件、自然遺産が3件存在する。さらにスペインにまたがって1件の複合遺産が登録されている。
シャルトル大聖堂
(1979年)
ヴェルサイユ宮殿
(1979年)
ヴェゼール渓谷の先史的景観と装飾洞窟群
(1979年)
ノートルダム大聖堂
(1981年)
フォンテーヌブローの宮殿と庭園
(1981年)
ポン・デュ・ガール
(1985年)
ストラスブールのグラン・ディル
(1988年)
パリのセーヌ河岸
(1991年)
ブールジュ大聖堂
(1992年)
リヨン歴史地区
(1998年)
月の港ボルドー
(2007年)
日付 | 日本語表記 | フランス語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Jour de l'An | |
3月 - 4月 | 復活祭日曜日 | Pâques | 移動祝日 |
3月 - 4月 | 復活祭翌日の月曜日 | Lundi de Pâques | 移動祝日 |
5月1日 | メーデー | Fête du Travail | |
5月8日 | 第二次世界大戦戦勝記念日 | Le 8 mai | |
4月 - 6月 | キリスト昇天祭 | Ascension | 移動祝日 |
5月 - 6月中の日曜日 | 聖霊降臨祭 | Pentecôte | 移動祝日 |
5月 - 6月 | 聖霊降臨祭の翌日の月曜日 | Lundi de Pentecôte | 移動祝日 |
7月14日 | 革命記念日 | Fête Nationale | |
8月15日 | 聖母被昇天祭 | Assomption | |
11月1日 | 諸聖人の日 | Toussaint | |
11月11日 | 第一次世界大戦休戦記念日 | Fête de l'Armistice | |
12月25日 | クリスマス | Noël |
フランスの3大人気スポーツはサッカー、自転車、ラグビーである。他にもモータースポーツ、および下記のスポーツが盛んである。
他にはペタンクが年中よく親しまれており、アルプス地方ではスキーなどのウィンタースポーツが伝統的に盛んである。
フランスで一番人気のスポーツとしては、サッカーが挙げられる。フランスはこれまでに、FIFAワールドカップ2大会とUEFA欧州選手権(通称EURO)2大会の開催国になった。1984年欧州選手権で優勝したフランス代表の流麗なサッカーは「シャンパン・フットボール」と形容された。2回目の自国開催となった1998年ワールドカップでは大会初優勝を遂げ、直後の2000年欧州選手権でも優勝した。メンバーの多くを移民の末裔や海外県出身者が占める代表チームは、国民統合の象徴的な存在にもなった。
国内の1部リーグにはリーグ・アンがある。バロンドール(欧州年間最優秀選手賞)を受賞したフランス人選手には、レイモン・コパ、ミシェル・プラティニ、ジャン=ピエール・パパン、ジネディーヌ・ジダンなどが挙げられる。
また、FIFA初代会長のロベール・ゲラン、ワールドカップ創設の功労者ジュール・リメ、欧州選手権の提唱者アンリ・ドロネー(Henri Delaunay)、ヨーロピアンカップの提唱者ガブリエル・アノ(Gabriel Hanot)、UEFAの会長となったプラティニなど、国際サッカーの発展において重要な役割を果たしたフランス人は数多い。その後、サッカー人口が増加した。
近年数多くのNBA選手を輩出しており、中でもNBA史上初の外国人選手のファイナルMVP受賞者となったトニー・パーカーが有名。
国内にはLNBと呼ばれるプロバスケットボールリーグを持つ。代表はこれまでにオリンピック出場6回、世界選手権出場5回を誇る。2000年シドニーオリンピックでは銀メダル獲得。決勝戦でドリームチームIVと呼ばれたアメリカを後一歩の所まで追い詰め、それまでの「アメリカ圧勝」の図式を崩した。この苦戦を機に、「ドリームチーム」という名前は使用されなくなった。
バスケットボール欧州選手権(通称『ユーロバスケット』)では、2005年に銅メダル獲得。代表チームの課題は、NBA選手が多い為、オフシーズンの代表招集に主力が全員揃わない傾向にある。代表チームのニックネームは「Les Bleus」。
世界最大で三大ツールの一つであるツール・ド・フランスが行われ、人気のスポーツである。ツール・ド・フランスの歴史は古く、1903年に第1回大会が行われて以来、二度の大戦によって1915年から1918年および、1940年から1946年の中断があるものの、2008年で95回を数える。しかし、近年ではフランス出身の選手はあまり活躍しておらず1985年のベルナール・イノーを最後に総合優勝者は出ていない。その他フランスで行われる主な大会としては、パリ~ニース、パリ〜ルーベ、ドーフィネ・リベレ、ツール・ド・フランス、GP西フランス・プルエー、パリ~ツールがある。
フランスにおいてラグビーは富裕層と南部を中心に人気を誇っている。国内ではサッカーと人気を二分するスポーツであり、欧州においてもイギリスに次ぐ強豪国である。フランス代表のパスとランが続く流麗で華やかなプレースタイルはしばしば「シャンパン・ラグビー」などと評される。2007年にはワールドカップ(W杯)を自国開催したが、準決勝で敗れ、初優勝はならなかった。フランス政府は全国9カ所に、少年層から青年層までの有望選手が勉強しながら育成できる施設をつくっている。
ルノーやプジョーといった最古の量販車メーカーを抱えることもあって、自動車が実用化されだした20世紀初頭から早くもフランス国内では自動車レースが盛んに行われるようになり、1906年には世界初のグランプリレース、フランスグランプリを開催している。他にも、1923年に初開催されたル・マン24時間レース、近年はフランス国内がコースに含まれなくなったが1979年初開催のパリ・ダカール・ラリーでも知られる。自動車会社としては、ルノー(ルノーF1)がF1、プジョー、シトロエンが主にラリーで活躍しているほか、マトラ、リジェといった比較的小規模なメーカーもF1やル・マンで存在感を示している。多くのドライバーもモータースポーツ黎明期より数多く輩出しており、そのため優れた結果を残したドライバーも数多い。
フランスにおいてクリケットはマイナー競技といわれているが、自国開催のパリオリンピック (1900年)においてクリケット競技が唯一行われており、イギリス代表と対戦している。
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French Republic République française (French)
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Motto: "Liberté, égalité, fraternité" (French) "Liberty, Equality, Fraternity" |
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Anthem: "La Marseillaise"
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Location of metropolitan France (dark green)
– in Europe (green & dark grey) |
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Territory of the French Republic[I]
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Capital and largest city |
Paris 48°51.4′N 2°21.05′E / 48.8567°N 2.35083°E / 48.8567; 2.35083 |
|||||
Official language and national language |
French[II] | |||||
Demonym | French | |||||
Government | Unitary semi‑presidential constitutional republic | |||||
• | President | François Hollande | ||||
• | Prime Minister | Manuel Valls | ||||
• | President of the Senate | Gérard Larcher | ||||
• | President of the National Assembly | Claude Bartolone | ||||
Legislature | Parliament | |||||
• | Upper house | Senate | ||||
• | Lower house | National Assembly | ||||
Establishment | ||||||
• | Francia unified | 486 | ||||
• | Treaty of Verdun |
August 843 | ||||
• | Republic established | 22 September 1792 | ||||
• | Founded the EEC |
1 January 1958 | ||||
• | Current constitution |
4 October 1958 | ||||
Area | ||||||
• | Total | 643,801 km2[VI][1] (41st) 248,600 sq mi |
||||
• | Metropolitan France (IGN) | 551,695 km2[VII] (50th) 213,010 sq mi |
||||
• | Metropolitan France (Cadastre) | 543,940.9 km2[VIII][2] (50th) 210,026 sq mi |
||||
Population | ||||||
• | Total 2016 estimate | 66,644,000[VI][3] (20th) | ||||
• | Metropolitan France February 2016 estimate | 64,529,000[4] (22nd) | ||||
• | Density | 116/km2[IX] (89th) 301/sq mi |
||||
GDP (PPP) | 2014 estimate | |||||
• | Total | $2.591 trillion (9th) | ||||
• | Per capita | $40,537[5] (25th) | ||||
GDP (nominal) | 2014 estimate | |||||
• | Total | $2.833 trillion (6th) | ||||
• | Per capita | $44,331[5] (20th) | ||||
Gini (2013) | 30.1[6] medium |
|||||
HDI (2014) | 0.888[7] very high · 22nd |
|||||
Currency |
|
|||||
Time zone | CET[XII] (UTC+1) | |||||
• | Summer (DST) | CEST[XIII] (UTC+2) | ||||
Date format | dd/mm/yyyy | |||||
Drives on the | right | |||||
Calling code | +33[XIV] | |||||
ISO 3166 code | FR | |||||
Internet TLD | .fr[XV] |
France (French: [fʁɑ̃s]), officially the French Republic (French: République française [ʁepyblik fʁɑ̃sɛz]), is a sovereign state comprising territory in western Europe and several overseas regions and territories.[XVI] The European part of France, called metropolitan France, extends from the Mediterranean Sea to the English Channel and the North Sea, and from the Rhine to the Atlantic Ocean. France spans 643,801 square kilometres (248,573 sq mi)[1] and has a total population of 66.6 million.[VI][8] It is a unitary semi-presidential republic with the capital in Paris, the country's largest city and main cultural and commercial centre. The Constitution of France establishes the state as secular and democratic, with its sovereignty derived from the people.
During the Iron Age, what is now Metropolitan France was inhabited by the Gauls, a Celtic people. The Gauls were conquered in 51 BC by the Roman Empire, which held Gaul until 486. The Gallo-Romans faced raids and migration from the Germanic Franks, who dominated the region for hundreds of years, eventually creating the medieval Kingdom of France. France emerged as a major European power in the Late Middle Ages, with its victory in the Hundred Years' War (1337 to 1453) strengthening French state-building and paving the way for a future centralized absolute monarchy. During the Renaissance, France experienced a vast cultural development and established the beginning of a global colonial empire. The 16th century was dominated by religious civil wars between Catholics and Protestants (Huguenots).
France became Europe's dominant cultural, political, and military power under Louis XIV.[9] French philosophers played a key role in the Age of Enlightenment during the 18th century. In the late 18th century, the absolute monarchy was overthrown in the French Revolution. Among its legacies was the Declaration of the Rights of Man and of the Citizen, one of the earliest documents on human rights, which expresses the nation's ideals to this day. France became one of modern history's earliest republics until Napoleon took power and launched the First French Empire in 1804. Fighting against a complex set of coalitions during the Napoleonic Wars, he dominated European affairs for over a decade and had a long-lasting impact on Western culture. Following the collapse of the Empire, France endured a tumultuous succession of governments: the monarchy was restored, it was replaced in 1830 by a constitutional monarchy, then briefly by a Second Republic, and then by a Second Empire, until a more lasting French Third Republic was established in 1870. The French republic had tumultuous relationships with the Catholic Church from the dechristianization of France during the French Revolution to the 1905 law establishing laïcité. Laïcité is a strict but consensual form of secularism, which is nowadays an important federative principle in the modern French society.
France reached its territorial height during the 19th and early 20th centuries, when it ultimately possessed the second-largest colonial empire in the world.[10] In World War I, France was one of the main winners as part of the Triple Entente alliance fighting against the Central Powers. France was also one of the Allied Powers in World War II, but came under occupation by the Axis Powers in 1940. Following liberation in 1944, a Fourth Republic was established and later dissolved in the course of the Algerian War. The Fifth Republic, led by Charles de Gaulle, was formed in 1958 and remains to this day. Following World War II, most of the French colonial empire became decolonized.
Throughout its long history, France has been a leading global center of culture, making significant contributions to art, science, and philosophy. It hosts Europe's third-largest number of cultural UNESCO World Heritage Sites (after Italy and Spain) and receives around 83 million foreign tourists annually, the most of any country in the world.[11] France remains a great power with significant cultural, economic, military, and political influence.[12] It is a developed country with the world's sixth-largest economy by nominal GDP[13] and ninth-largest by purchasing power parity.[14] According to Credit Suisse, France is the fourth wealthiest nation in the world in terms of aggregate household wealth.[15] It also possesses the world's largest exclusive economic zone (EEZ), covering 11,691,000 square kilometres (4,514,000 sq mi).[16]
French citizens enjoy a high standard of living, and the country performs well in international rankings of education, health care, life expectancy, civil liberties, and human development.[17][18] France is a founding member of the United Nations, where it serves as one of the five permanent members of the UN Security Council. It is a member of the Group of 7, North Atlantic Treaty Organization (NATO), Organisation for Economic Co-operation and Development (OECD), the World Trade Organization (WTO), and La Francophonie. France is a founding and leading member state of the European Union (EU).[19]
Originally applied to the whole Frankish Empire, the name "France" comes from the Latin Francia, or "country of the Franks".[20] Modern France is still named today Francia in Italian and Spanish, Frankreich in German and Frankrijk in Dutch, all of which have the same historical meaning.
There are various theories as to the origin of the name Frank. Following the precedents of Edward Gibbon and Jacob Grimm,[21] the name of the Franks has been linked with the word frank (free) in English.[22] It has been suggested that the meaning of "free" was adopted because, after the conquest of Gaul, only Franks were free of taxation.[23] Another theory is that it is derived from the Proto-Germanic word frankon, which translates as javelin or lance as the throwing axe of the Franks was known as a francisca.[24] However, it has been determined that these weapons were named because of their use by the Franks, not the other way around.[25]
The oldest traces of human life in what is now France date from approximately 1.8 million years ago.[26] Humans were then confronted by a harsh and variable climate, marked by several glacial eras. Early homonids led a nomadic hunter-gatherer life.[26] France has a large number of decorated caves from the upper Paleolithic era, including one of the most famous and best preserved: Lascaux[26] (approximately 18,000 BC).
At the end of the last glacial period (10,000 BC), the climate became milder;[26] from approximately 7,000 BC, this part of Western Europe entered the Neolithic era and its inhabitants became sedentary. After strong demographic and agricultural development between the 4th and 3rd millennia, metallurgy appeared at the end of the 3rd millennium, initially working gold, copper and bronze, and later iron.[27] France has numerous megalithic sites from the Neolithic period, including the exceptionally dense Carnac stones site (approximately 3,300 BC).
In 600 BC, Ionian Greeks, originating from Phocaea, founded the colony of Massalia (present-day Marseille), on the shores of the Mediterranean Sea. This makes it France's oldest city.[28][29] At the same time, some Gallic Celtic tribes penetrated parts of the current territory of France, and this occupation spread to the rest of France between the 5th and 3rd century BC.[30]
The concept of Gaul emerged at that time; it corresponds to the territories of Celtic settlement ranging between the Rhine, the Atlantic Ocean, the Pyrenees and the Mediterranean. The borders of modern France are roughly the same as those of ancient Gaul, which was inhabited by Celtic Gauls. Gaul was then a prosperous country, of which the southernmost part was heavily subject to Greek and Roman influences.
Around 390 BC the Gallic chieftain Brennus and his troops made their way to Italy through the Alps, defeated the Romans in the Battle of the Allia, and besieged and ransomed Rome. The Gallic invasion left Rome weakened, and the Gauls continued to harass the region until 345 BC when they entered into a formal peace treaty with Rome. But the Romans and the Gauls would remain adversaries for the next several centuries, and the Gauls would continue to be a threat in Italia.
Around 125 BC, the south of Gaul was conquered by the Romans, who called this region Provincia Nostra ("Our Province"), which over time evolved into the name Provence in French.[31] Julius Caesar conquered the remainder of Gaul and overcame a revolt carried out by the Gallic chieftain Vercingetorix in 52 BC.[32] Gaul was divided by Augustus into Roman provinces.[33] Many cities were founded during the Gallo-Roman period, including Lugdunum (present-day Lyon), which is considered the capital of the Gauls.[33] These cities were built in traditional Roman style, with a forum, a theatre, a circus, an amphitheatre and thermal baths. The Gauls mixed with Roman settlers and eventually adopted Roman culture and Roman speech (Latin, from which the French language evolved). The Roman polytheism merged with the Gallic paganism into the same syncretism.
From the 250s to the 280s AD, Roman Gaul suffered a serious crisis with its fortified borders being attacked on several occasions by barbarians.[34] Nevertheless, the situation improved in the first half of the 4th century, which was a period of revival and prosperity for Roman Gaul.[35] In 312, the emperor Constantin I converted to Christianity. Subsequently, Christians, who had been persecuted until then, increased rapidly across the entire Roman Empire.[36] But, from the beginning of the 5th century, the Barbarian Invasions resumed,[37] and Germanic tribes, such as the Vandals, Suebi and Alans crossed the Rhine and settled in Gaul, Spain and other parts of the collapsing Roman Empire.[38]
At the end of the Antiquity period, ancient Gaul was divided into several Germanic kingdoms and a remaining Gallo-Roman territory, known as the Kingdom of Syagrius. Simultaneously, Celtic Britons, fleeing the Anglo-Saxon settlement of Britain, settled the western part of Armorica. As a result, the Armorican peninsula was renamed Brittany, Celtic culture was revived and independent petty kingdoms arose in this region.
The pagan Franks, from whom the ancient name of "Francie" was derived, originally settled the north part of Gaul, but under Clovis I conquered most of the other kingdoms in northern and central Gaul. In 498, Clovis I was the first Germanic conqueror after the fall of the Roman Empire to convert to Catholic Christianity, rather than Arianism; thus France was given the title "Eldest daughter of the Church" (French: La fille aînée de l'Église) by the papacy,[39] and French kings would be called "the Most Christian Kings of France" (Rex Christianissimus).
The Franks embraced the Christian Gallo-Roman culture and ancient Gaul was eventually renamed Francia ("Land of the Franks"). The Germanic Franks adopted Romanic languages, except in northern Gaul where Roman settlements were less dense and where Germanic languages emerged. Clovis made Paris his capital and established the Merovingian dynasty, but his kingdom would not survive his death. The Franks treated land purely as a private possession and divided it among their heirs, so four kingdoms emerged from Clovis's: Paris, Orléans, Soissons, and Rheims. The last Merovingian kings lost power to their mayors of the palace (head of household). One mayor of the palace, Charles Martel, defeated an Islamic invasion of Gaul at the Battle of Tours (732) and earned respect and power within the Frankish kingdoms. His son, Pepin the Short, seized the crown of Francia from the weakened Merovingians and founded the Carolingian dynasty. Pepin's son, Charlemagne, reunited the Frankish kingdoms and built a vast empire across Western and Central Europe.
Proclaimed Holy Roman Emperor by Pope Leo III and thus establishing in earnest the French government's longtime historical association with the Catholic Church,[40] Charlemagne tried to revive the Western Roman Empire and its cultural grandeur. Charlemagne's son, Louis I (emperor 814–840), kept the empire united; however, this Carolingian Empire would not survive his death. In 843, under the Treaty of Verdun, the empire was divided between Louis' three sons, with East Francia going to Louis the German, Middle Francia to Lothair I, and West Francia to Charles the Bald. West Francia approximated the area occupied by, and was the precursor, to modern France.[41]
During the 9th and 10th centuries, continually threatened by Viking invasions, France became a very decentralised state: the nobility's titles and lands became hereditary, and the authority of the king became more religious than secular and thus was less effective and constantly challenged by powerful noblemen. Thus was established feudalism in France. Over time, some of the king's vassals would grow so powerful that they often posed a threat to the king. For example, after the Battle of Hastings in 1066, William the Conqueror added "King of England" to his titles, becoming both the vassal to (as Duke of Normandy) and the equal of (as king of England) the king of France, creating recurring tensions.
The Carolingian dynasty ruled France until 987, when Hugh Capet, Duke of France and Count of Paris, was crowned King of the Franks.[42] His descendants—the Capetians, the House of Valois, and the House of Bourbon—progressively unified the country through wars and dynastic inheritance into the Kingdom of France, which was fully declared in 1190 by Philip II Augustus. The French kings played a prominent role in most Crusades in order to restore Christian access to the Holy Land. French knights made up the bulk of the steady flow of reinforcements throughout the two-hundred-year span of the Crusades, in such a fashion that the Arabs uniformly referred to the crusaders as Franj caring little whether they really came from France.[43] The French Crusaders also imported the French language into the Levant, making French the base of the lingua franca ("Frankish language") of the Crusader states.[43] French knights also comprised the majority in both the Hospital and the Temple orders. The latter, in particular, held numerous properties throughout France and by the 13th century were the principal bankers for the French crown, until Philip IV annihilated the order in 1307. The Albigensian Crusade was launched in 1209 to eliminate the heretical Cathars in the southwestern area of modern-day France. In the end, the Cathars were exterminated and the autonomous County of Toulouse was annexed into the kingdom of France.[44] Later kings expanded their domain to cover over half of modern continental France, including most of the north, centre and west of France. Meanwhile, the royal authority became more and more assertive, centred on a hierarchically conceived society distinguishing nobility, clergy, and commoners.
Charles IV the Fair died without an heir in 1328.[45] Under the rules of the Salic law the crown of France could not pass to a woman nor could the line of kingship pass through the female line.[45] Accordingly, the crown passed to Philip of Valois, a cousin of Charles, rather than through the female line to Charles' nephew, Edward, who would soon become Edward III of England. During the reign of Philip of Valois, the French monarchy reached the height of its medieval power.[45] Philip's seat on the throne was contested by Edward III of England and in 1337, on the eve of the first wave of the Black Death,[46] England and France went to war in what would become known as the Hundred Years' War.[47] The exact boundaries changed greatly with time, but French landholdings of the English Kings remained extensive for decades. With charismatic leaders, such as Joan of Arc and La Hire, strong French counterattacks won back English continental territories. Like the rest of Europe, France was struck by the Black Death; half of the 17 million population of France died.[48][49]
The French Renaissance saw a spectacular cultural development and the first standardization of the French language, which would become the official language of France and the language of Europe's aristocracy. It also saw a long set of wars, known as the Italian Wars, between the Kingdom of France and the powerful Holy Roman Empire. French explorers, such as Jacques Cartier or Samuel de Champlain, claimed lands in the Americas for France, paving the way for the expansion of the First French colonial empire. The rise of Protestantism in Europe led France to a civil war known as the French Wars of Religion, where, in the most notorious incident, thousands of Huguenots were murdered in the St. Bartholomew's Day massacre of 1572.[50] The Wars of Religion were ended by Henry IV's Edict of Nantes, which granted some freedom of religion to the Huguenots.
Under Louis XIII, the energetic Cardinal Richelieu reinforced the centralization of the state, royal power and French dominance in Europe, foreshadowing the reign of Louis XIV. During Louis XIV's minority and the regency of Queen Anne and Cardinal Mazarin, a period of trouble known as the Fronde occurred in France, which was at that time at war with Spain. This rebellion was driven by the great feudal lords and sovereign courts as a reaction to the rise of royal power in France.
The monarchy reached its peak during the 17th century and the reign of Louis XIV. By turning powerful feudal lords into courtiers at the Palace of Versailles, Louis XIV's personal power became unchallenged. Remembered for his numerous wars, he made France the leading European power. France became the most populous country in Europe and had tremendous influence over European politics, economy, and culture. French became the most-used language in diplomacy, science, literature and international affairs, and remained so until the 20th century.[51] France obtained many overseas possessions in the Americas, Africa and Asia. Louis XIV also revoked the Edict of Nantes, forcing thousands of Huguenots into exile.
Under Louis XV, Louis XIV's grandson, France lost New France and most of its Indian possessions after its defeat in the Seven Years' War, which ended in 1763. Its European territory kept growing, however, with notable acquisitions such as Lorraine (1766) and Corsica (1770). An unpopular king, Louis XV's weak rule, his ill-advised financial, political and military decisions – as well as the debauchery of his court– discredited the monarchy and arguably led to the French Revolution 15 years after his death.[52][53]
Louis XVI, Louis XV's grandson, actively supported the Americans, who were seeking their independence from Great Britain (realized in the Treaty of Paris (1783)). The financial crisis that followed France's involvement in the American Revolutionary War was one of many contributing factors to the French Revolution. Much of the Enlightenment occurred in French intellectual circles, and major scientific breakthroughs and inventions, such as the discovery of oxygen (1778) and the first hot air balloon carrying passengers (1783), were achieved by French scientists. French explorers, such as Bougainville and Lapérouse, took part in the voyages of scientific exploration through maritime expeditions around the globe. The Enlightenment philosophy, in which reason is advocated as the primary source for legitimacy and authority, undermined the power of and support for the monarchy and helped pave the way for the French Revolution.
Facing financial troubles, Louis XVI summoned the Estates-General (gathering the three Estates of the realm) in May 1789 to propose solutions to his government. As it came to an impasse, the representatives of the Third Estate formed into a National Assembly, signaling the outbreak of the French Revolution. Fearing that the king would suppress the newly created National Assembly, insurgents stormed the Bastille on 14 July 1789, a date which would become France's National Day.
The absolute monarchy was subsequently replaced by a constitutional monarchy. Through the Declaration of the Rights of Man and of the Citizen, France established fundamental rights for men. The Declaration affirms "the natural and imprescriptible rights of man" to "liberty, property, security and resistance to oppression". Freedom of speech and press were declared, and arbitrary arrests outlawed. It called for the destruction of aristocratic privileges and proclaimed freedom and equal rights for all men, as well as access to public office based on talent rather than birth. While Louis XVI, as a constitutional king, enjoyed popularity among the population, his disastrous flight to Varennes seemed to justify rumours he had tied his hopes of political salvation to the prospects of foreign invasion. His credibility was so deeply undermined that the abolition of the monarchy and establishment of a republic became an increasing possibility.
European monarchies gathered against the new régime, to restore the French absolute monarchy. The foreign threat exacerbated France's political turmoil and deepened the sense of urgency among the various factions and war was declared against Austria on 20 April 1792. Mob violence occurred during the insurrection of 10 August 1792[54] and the following month.[55] As a result of this violence and the political instability of the constitutional monarchy, the Republic was proclaimed on 22 September 1792.
Louis XVI was convicted of treason and guillotined in 1793. Facing increasing pressure from European monarchies, internal guerrilla wars and counterrevolutions (such as the War in the Vendée or the Chouannerie), the young Republic fell into the Reign of Terror. Between 1793 and 1794, between 16,000 and 40,000 people were executed. In Western France, the civil war between the Bleus ("Blues", supporters of the Revolution) and the Blancs ("Whites", supporters of the Monarchy) lasted from 1793 to 1796 and led to the loss of between 200,000 and 450,000 lives.[56][57] Both foreign armies and French counter-revolutionaries were crushed and the French Republic survived. Furthermore, it extended greatly its boundaries and established "Sister Republics" in the surrounding countries. As the threat of a foreign invasion receded and France became mostly pacified, the Thermidorian Reaction put an end to Robespierre's rule and to the Terror. The abolition of slavery and male universal suffrage, enacted during this radical phase of the revolution, were cancelled by subsequent governments.
After a short-lived governmental scheme, Napoleon Bonaparte seized control of the Republic in 1799 becoming First Consul and later Emperor of the French Empire (1804–1814/1815). As a continuation of the wars sparked by the European monarchies against the French Republic, changing sets of European Coalitions declared wars on Napoleon's Empire. His armies conquered most of continental Europe with swift victories such as the battles of Jena-Auerstadt or Austerlitz. He redrew the European political map, while members of the Bonaparte family were appointed as monarchs in some of the newly established kingdoms.[58] These victories led to the worldwide expansion of French revolutionary ideals and reforms, such as the Metric system, the Napoleonic Code and the Declaration of the Rights of Man. After the catastrophic Russian campaign, and the ensuing uprising of European monarchies against his rule, Napoleon was defeated and the Bourbon monarchy restored. About a million Frenchmen died during the Napoleonic Wars.[58]
After his brief return from exile, Napoleon was finally defeated in 1815 at the Battle of Waterloo, the monarchy was re-established (1815–1830), with new constitutional limitations. The discredited Bourbon dynasty was overthrown by the July Revolution of 1830, which established the constitutional July Monarchy, which lasted until 1848, when the French Second Republic was proclaimed, in the wake of the European Revolutions of 1848. The abolition of slavery and male universal suffrage, both briefly enacted during the French Revolution were re-enacted in 1848. In 1852, the president of the French Republic, Louis-Napoléon Bonaparte, Napoleon I's nephew, was proclaimed emperor of the second Empire, as Napoleon III. He multiplied French interventions abroad, especially in Crimea, in Mexico and Italy which resulted in the annexation of the duchy of Savoy and the county of Nice, then part of the Kingdom of Sardinia. Napoleon III was unseated following defeat in the Franco-Prussian War of 1870 and his regime was replaced by the Third Republic. France had colonial possessions, in various forms, since the beginning of the 17th century, but in the 19th and 20th centuries, its global overseas colonial empire extended greatly and became the second largest in the world behind the British Empire. Including metropolitan France, the total area of land under French sovereignty almost reached 13 million square kilometres in the 1920s and 1930s, 8.6% of the world's land. Known as the Belle Époque, the turn of the century was a period characterized by optimism, regional peace, economic prosperity and technological, scientific and cultural innovations. In 1905, state secularism was officially established.
France was a member of the Triple Entente when World War I broke out. A small part of Northern France was occupied, but France and its allies emerged victorious against the Central Powers at a tremendous human and material cost. World War I left 1.4 million French soldiers dead, 4% of its population.[59] Between 27 and 30% of soldiers conscripted from 1912–1915 were killed.[60] The interbellum years were marked by intense international tensions and a variety of social reforms introduced by the Popular Front government (annual leave, eight-hour workdays, women in government, etc...).
In 1940 France was invaded and occupied by Nazi Germany. Metropolitan France was divided into a German occupation zone in the north and Vichy France, a newly established authoritarian regime collaborating with Germany, in the south, while Free France, the government-in-exile led by Charles de Gaulle, was set up in London.[61] From 1942 to 1944, about 160,000 French citizens, including around 75,000 Jews,[62][63][64] were deported to death camps and concentration camps in Germany and Poland.[65] On 6 June 1944 the Allies invaded Normandy and in August they invaded Provence. Over the following year the Allies and the French Resistance emerged victorious over the Axis powers and French sovereignty was restored with the establishment of the Provisional Government of the French Republic (GPRF). This interim government, established by de Gaulle, aimed to continue to wage war against Germany and to purge collaborators from office. It also made several important reforms (suffrage extended to women, creation of a social security system).
The GPRF laid the groundwork for a new constitutional order that resulted in the Fourth Republic, which saw spectacular economic growth (les Trente Glorieuses). France was one of the founding members of NATO (1949). France attempted to regain control of French Indochina but was defeated by the Viet Minh in 1954 at the climactic Battle of Dien Bien Phu. Only months later, France faced another anti-colonialist conflict in Algeria. Torture and illegal executions were perpetrated by both sides and the debate over whether or not to keep control of Algeria, then home to over one million European settlers,[66] wracked the country and nearly led to a coup and civil war.[67]
In 1958, the weak and unstable Fourth Republic gave way to the Fifth Republic, which included a strengthened Presidency.[68] In the latter role, Charles de Gaulle managed to keep the country together while taking steps to end the war. The Algerian War was concluded with the Évian Accords in 1962 that led to Algerian independence. A vestige of the colonial empire are the French overseas departments and territories.
In the context of the Cold War, de Gaulle pursued a policy of "national independence" towards the Western and Eastern blocs. To this end, he withdrew from NATO's military integrated command, he launched a nuclear development program and made France the fourth nuclear power. He restored cordial Franco-German relations in order to create a European counterweight between the American and Soviet spheres of influence. However, he opposed any development of a supranational Europe, favouring a Europe of sovereign Nations. In the wake of the series of worldwide protests of 1968, the revolt of May 1968 had an enormous social impact. In France, it is considered to be the watershed moment when a conservative moral ideal (religion, patriotism, respect for authority) shifted towards a more liberal moral ideal (secularism, individualism, sexual revolution). Although the revolt was a political failure (as the Gaullist party emerged even stronger than before) it announced a split between the French people and de Gaulle who resigned shortly after.
In the post-Gaullist era, France remained one of the most developed economies in the World, but faced several economic crises that resulted in high unemployment rates and increasing public debt. In the late 20th and early 21st centuries France has been at the forefront of the development of a supranational European Union, notably by signing the Maastricht Treaty (which created the European Union) in 1992, establishing the Eurozone in 1999, and signing the Lisbon Treaty in 2007.[69] France has also gradually but fully reintegrated into NATO and has since participated in most NATO sponsored wars.[70]
Since the 19th century France has received many immigrants. These have been mostly male foreign workers from European Catholic countries who generally returned home when not employed.[71] During the 1970s France faced economic crisis and allowed new immigrants (mostly from the Maghreb[71]) to permanently settle in France with their families and to acquire French citizenship. It resulted in hundreds of thousands of Muslims (especially in the larger cities) living in subsidized public housing and suffering from very high unemployment rates.[72] Simultaneously France renounced the assimilation of immigrants, where they were expected to adhere to French traditional values and cultural norms. They were encouraged to retain their distinctive cultures and traditions and required merely to integrate.[73]
In 2015, Paris was struck several times by Islamic terrorists. Notably the Charlie Hebdo attack in January which provoked the largest public rallies in French history, gathering 4.4 million people,[74][75] and the November attacks which resulted in 130 deaths, the deadliest attack on French soil since World War II,[76][77] and the deadliest in the European Union since the Madrid train bombings in 2004.[78]
Metropolitan France extends from the Mediterranean Sea to the English Channel and the North Sea, and from the Rhine to the Atlantic Ocean; due to its shape, it is often referred to in French as l'Hexagone ("The Hexagon"). France is one of only three countries (with Morocco and Spain) to have both Atlantic and Mediterranean coastlines. Metropolitan France is situated mostly between latitudes 41° and 51° N, and longitudes 6° W and 10° E, on the western edge of Europe, and thus lies within the northern temperate zone.
From northeast to southwest, Metropolitan France shares borders with Belgium, Luxembourg, Germany, Switzerland, Italy, Monaco, Spain and Andorra. France also borders Suriname to its west and Brazil to its east and south, by way of the overseas region of French Guiana, which is considered an integral part of the Republic.[79] France also shares a border with the Kingdom of the Netherlands, through the Caribbean island of Saint Martin.
The territory of the French Republic consists of
The European territory of France covers 551,500 square kilometres (212,935 sq mi),[79] the largest among European Union members.[19] France's total land area, with its overseas departments and territories (excluding Adélie Land), is 643,801 km2 (248,573 sq mi), 0.45% of the total land area on Earth. France possesses a wide variety of landscapes, from coastal plains in the north and west to mountain ranges of the Alps in the southeast, the Massif Central in the south central and Pyrenees in the southwest.
Due to its numerous overseas departments and territories scattered on all oceans of the planet, France possesses the second-largest Exclusive economic zone (EEZ) in the world, covering 11,035,000 km2 (4,260,000 mi2), just behind the EEZ of the United States (11,351,000 km2 / 4,383,000 mi2), but ahead of the EEZ of Australia (8,148,250 km2 / 4,111,312 mi2). Its EEZ covers approximately 8% of the total surface of all the EEZs of the world.
At 4,810.45 metres (15,782 ft)[80] above sea level, the highest point in Western Europe, Mont Blanc, is situated in the Alps on the border between France and Italy. France also has extensive river systems such as the Seine, the Loire, the Garonne, and the Rhone, which divides the Massif Central from the Alps and flows into the Mediterranean Sea at the Camargue. Corsica lies off the Mediterranean coast.
Metropolitan France has four broad climate zones:
Except in the south which has generally dry summers, rain is evenly dispersed throughout the year in the rest of the country.
In the overseas regions, there are three broad types of climate:
Vineyards in Côte de Nuits, Burgundy
Mediterranean vegetation (lavender) in Provence
Alpine climate (winter) in the French Alps
Semi-arid climate in Corsica
Tropical climate in Bora Bora (French Polynesia)
France was one of the first countries to create an environment ministry, in 1971.[81] Although it is one of the most industrialised countries in the world, France is ranked only 17th by carbon dioxide emissions, behind less populous nations such as Canada or Australia. This is due to France's decision to invest in nuclear power following the 1973 oil crisis,[82] which now accounts for 75% of its electricity production[83] and results in less pollution.[84][85]
Like all European Union members, France agreed to cut carbon emissions by at least 20% of 1990 levels by the year 2020,[86] compared to the U.S. plan to reduce emissions by 4% of 1990 levels.[87] As of 2009[update], French carbon dioxide emissions per capita were lower than that of China's.[88] The country was set to impose a carbon tax in 2009 at 17 euros per tonne of carbon emitted,[89] which would have raised 4 billion euros of revenue annually.[90] However, the plan was abandoned due to fears of burdening French businesses.[91]
Forests account for 28% of France's land area,[92][93] and are some of the most diverse in Europe, comprising more than 140 species of trees.[94] There are nine national parks[95] and 46 natural parks in France,[96] with the government planning to convert 20% of its Exclusive Economic Zone into a Marine Protected Area by 2020.[97] A regional nature park[98] (French: parc naturel régional or PNR) is a public establishment in France between local authorities and the French national government covering an inhabited rural area of outstanding beauty, in order to protect the scenery and heritage as well as setting up sustainable economic development in the area.[99] A PNR sets goals and guidelines for managed human habitation, sustainable economic development, and protection of the natural environment based on each park's unique landscape and heritage. The parks also foster ecological research programs and public education in the natural sciences.[100] As of 2014[update] there are 49 PNRs in France.
According to the 2012 Environmental Performance Index conducted by Yale and Columbia, France was the sixth-most environmentally conscious country in the world, one place higher than the previous report in 2010.[101][102]
France is divided into 18 administrative regions: 13 regions in metropolitan France (including the territorial collectivity of Corsica),[103] and five located overseas.[79] The regions are further subdivided into 101 departments,[104] which are numbered mainly alphabetically. This number is used in postal codes and was formerly used on vehicle number plates. Among the 101 departments of France, five (French Guiana, Guadeloupe, Martinique, Mayotte, and Réunion) are in overseas regions (ROMs) that are also simultaneously overseas departments (DOMs) and are an integral part of France (and the European Union) and thus enjoy exactly the same status as metropolitan departments.
The 101 departments are subdivided into 335 arrondissements, which are, in turn, subdivided into 2,054 cantons.[105] These cantons are then divided into 36,658 communes, which are municipalities with an elected municipal council.[105] Three communes—Paris, Lyon and Marseille—are subdivided into 45 municipal arrondissements.
The regions, departments and communes are all known as territorial collectivities, meaning they possess local assemblies as well as an executive. Arrondissements and cantons are merely administrative divisions. However, this was not always the case. Until 1940, the arrondissements were territorial collectivities with an elected assembly, but these were suspended by the Vichy regime and definitely abolished by the Fourth Republic in 1946.
In addition to the 18 regions and 101 departments, the French Republic has five overseas collectivities (French Polynesia, Saint Barthélemy, Saint Martin, Saint Pierre and Miquelon, and Wallis and Futuna), one sui generis collectivity (New Caledonia), one overseas territory (French Southern and Antarctic Lands), and one island possession in the Pacific Ocean (Clipperton Island).
Overseas collectivities and territories form part of the French Republic, but do not form part of the European Union or its fiscal area (with the exception of St. Bartelemy, which seceded from Guadeloupe in 2007). The Pacific Collectivities (COMs) of French Polynesia, Wallis and Fortuna, and New Caledonia continue to use the CFP franc[106] whose value is strictly linked to that of the euro. In contrast, the five overseas regions used the French franc and now use the euro.[107]
Name | Constitutional status | Capital |
---|---|---|
Clipperton Island | State private property under the direct authority of the French government | Uninhabited |
French Polynesia | Designated as an overseas land (pays d'outre-mer or POM), the status is the same as an overseas collectivity. | Papeete |
French Southern and Antarctic Lands | Overseas territory (territoire d'outre-mer or TOM) | Port-aux-Français |
New Caledonia | Sui generis collectivity | Nouméa |
Saint Barthélemy | Overseas collectivity (collectivité d'outre-mer or COM) | Gustavia |
Saint Martin | Overseas collectivity (collectivité d'outre-mer or COM) | Marigot |
Saint Pierre and Miquelon | Overseas collectivity (collectivité d'outre-mer or COM). Still referred to as a collectivité territoriale. | Saint-Pierre |
Wallis and Futuna | Overseas collectivity (collectivité d'outre-mer or COM). Still referred to as a territoire. | Mata-Utu |
The French Republic is a unitary semi-presidential republic with strong democratic traditions.[108] The constitution of the Fifth Republic was approved by referendum on 28 September 1958.[109] It greatly strengthened the authority of the executive in relation to parliament. The executive branch itself has two leaders: the President of the Republic, currently François Hollande, who is head of state and is elected directly by universal adult suffrage for a 5-year term (formerly 7 years),[110] and the Government, led by the president-appointed Prime Minister, currently Manuel Valls.
The French parliament is a bicameral legislature comprising a National Assembly (Assemblée Nationale) and a Senate.[111] The National Assembly deputies represent local constituencies and are directly elected for 5-year terms.[112] The Assembly has the power to dismiss the government, and thus the majority in the Assembly determines the choice of government. Senators are chosen by an electoral college for 6-year terms (originally 9-year terms), and one half of the seats are submitted to election every 3 years starting in September 2008.[113]
The Senate's legislative powers are limited; in the event of disagreement between the two chambers, the National Assembly has the final say.[114] The government has a strong influence in shaping the agenda of Parliament.
French politics are characterised by two politically opposed groupings: one left-wing, centred on the French Socialist Party, and the other right-wing, centred previously around the Rassemblement pour la République (RPR), then its successor the UMP Union for a Popular Movement (UMP), which in 2015 was renamed Les Républicains.[115] Since the 2012 elections, the executive branch is currently composed mostly of the Socialist Party.
France uses a civil legal system;[79] that is, law arises primarily from written statutes; judges are not to make law, but merely to interpret it (though the amount of judicial interpretation in certain areas makes it equivalent to case law). Basic principles of the rule of law were laid in the Napoleonic Code (which was, in turn, largely based on the royal law codified under Louis XIV). In agreement with the principles of the Declaration of the Rights of Man and of the Citizen, law should only prohibit actions detrimental to society. As Guy Canivet, first president of the Court of Cassation, wrote about the management of prisons: Freedom is the rule, and its restriction is the exception; any restriction of Freedom must be provided for by Law and must follow the principles of necessity and proportionality. That is, Law should lay out prohibitions only if they are needed, and if the inconveniences caused by this restriction do not exceed the inconveniences that the prohibition is supposed to remedy.
French law is divided into two principal areas: private law and public law. Private law includes, in particular, civil law and criminal law. Public law includes, in particular, administrative law and constitutional law. However, in practical terms, French law comprises three principal areas of law: civil law, criminal law, and administrative law. Criminal laws can only address the future and not the past (criminal ex post facto laws are prohibited). While administrative law is often a subcategory of civil law in many countries, it is completely separated in France and each body of law is headed by a specific supreme court: ordinary courts (which handle criminal and civil litigation) are headed by the Court of Cassation and administrative courts are headed by the Council of State.
To be applicable, every law must be officially published in the Journal officiel de la République française.
France does not recognize religious law as a motivation for the enactment of prohibitions. France has long had neither blasphemy laws nor sodomy laws (the latter being abolished in 1791). However, "offenses against public decency" (contraires aux bonnes mœurs) or disturbing public order (trouble à l'ordre public) have been used to repress public expressions of homosexuality or street prostitution. Since 1999, civil unions for homosexual couples are permitted, and since May 2013, same-sex marriage and LGBT adoption are legal in France.[116] Laws prohibiting discriminatory speech in the press are as old as 1881. Some consider however that hate speech laws in France are too broad or severe and damage freedom of speech.[117] France has laws against racism and antisemitism.[118] Since 1990, the Gayssot Act prohibits Holocaust denial.
France's attitude towards freedom of religion is complex. Freedom of religion is guaranteed by the constitutional rights set forth in the 1789 Declaration of the Rights of Man and of the Citizen. However, since the 1905 French law on the Separation of the Churches and the State, the State tries to prevent its policy-making from being influenced by religion and became suspicious in recent decades towards new religious tendencies of the French society: the Parliament has listed many religious movements as dangerous cults since 1995, and has banned wearing conspicuous religious symbols in schools since 2004. In 2010, it banned the wearing of face-covering Islamic veils in public. As some have complained that they have suffered from discrimination thus, and after criticism by human rights groups such as Amnesty International and Human Rights Watch,[119][120] these laws remain controversial, although they are supported by most of the population.[121]
France is a founding member of the United Nations and serves as one of the permanent members of the UN Security Council with veto rights.[122] In 2015, France was described as being "the best networked state in the world", because it is a country that "is member of more multi-lateral organisations than any other country".[123]
France is a member of the G8, World Trade Organization (WTO),[124] the Secretariat of the Pacific Community (SPC)[125] and the Indian Ocean Commission (COI).[126] It is an associate member of the Association of Caribbean States (ACS)[127] and a leading member of the International Francophone Organisation (OIF) of fifty-one fully or partly French-speaking countries.[128]
As a significant hub for international relations, France hosts the second largest assembly of diplomatic missions in the world and the headquarters of international organizations including the OECD, UNESCO, Interpol, the International Bureau of Weights and Measures, and la Francophonie.[129]
Postwar French foreign policy has been largely shaped by membership of the European Union, of which it was a founding member. Since the 1960s, France has developed close ties with reunified Germany to become the most influential driving force of the EU.[130] In the 1960s, France sought to exclude the British from the European unification process,[131] seeking to build its own standing in continental Europe. However, since 1904, France has maintained an "Entente cordiale" with the United Kingdom, and there has been a strengthening of links between the countries, especially militarily.
France is a member of the North Atlantic Treaty Organisation (NATO), but under President de Gaulle, it excluded itself from the joint military command to protest the special relationship between the United States and Britain and to preserve the independence of French foreign and security policies.[132] France vigorously opposed the 2003 invasion of Iraq,[133][134] straining bilateral relations with the US[135][136] and the UK.[137] However, as a result of Nicolas Sarkozy's pro-American politics (much criticised in France by the leftists and by a part of the right),[138][139] France rejoined the NATO joint military command on 4 April 2009.
In the early 1990s, the country drew considerable criticism from other nations for its underground nuclear tests in French Polynesia.[140]
France retains strong political and economic influence in its former African colonies (Françafrique)[141] and has supplied economic aid and troops for peace-keeping missions in Ivory Coast and Chad.[142] Recently, after the unilateral declaration of independence of northern Mali by the Tuareg MNLA and the subsequent regional Northern Mali conflict with several Islamist groups including Ansar Dine and MOJWA, France and other African states intervened to help the Malian Army to retake control.
In 2013, France was the fourth largest (in absolute terms) donor of development aid in the world, behind the US, the UK and Germany. This represents 0.36% of its GDP, in this regard rating France as twelfth largest donor on the list.[143] The organisation managing the French help is the French Development Agency, which finances primarily humanitarian projects in sub-Saharan Africa.[144] The main goals of this help are "developing infrastructure, access to health care and education, the implementation of appropriate economic policies and the consolidation of the rule of law and democracy".[144]
The French Armed Forces (Forces armées françaises) are the military and paramilitary forces of France, under the president as supreme commander. They consist of the French Army (Armée de Terre), French Navy (Marine Nationale, formerly called Armée de Mer), the French Air Force (Armée de l'Air), the French Strategic Nuclear Force (Force Nucléaire Stratégique, nicknamed Force de Frappe or "Strike Force") and the Military Police called National Gendarmerie (Gendarmerie nationale), which also fulfils civil police duties in the rural areas of France. Together they are among the largest armed forces in the world.
While the Gendarmerie is an integral part of the French armed forces (gendarmes are career soldiers), and therefore under the purview of the Ministry of Defence, it is operationally attached to the Ministry of the Interior as far as its civil police duties are concerned.
When acting as general purpose police force, the Gendarmerie encompasses the counter terrorist units of the Parachute Intervention Squadron of the National Gendarmerie (Escadron Parachutiste d'Intervention de la Gendarmerie Nationale), the National Gendarmerie Intervention Group (Groupe d'Intervention de la Gendarmerie Nationale), the Search Sections of the National Gendarmerie (Sections de Recherche de la Gendarmerie Nationale), responsible for criminal enquiries, and the Mobile Brigades of the National Gendarmerie (Brigades mobiles de la Gendarmerie Nationale, or in short Gendarmerie mobile) which have the task to maintain public order.
The following special units are also part of the Gendarmerie: The Republican Guard (Garde républicaine) which protects public buildings hosting major French institutions, the Maritime Gendarmerie (Gendarmerie maritime) serving as Coast Guard, the Provost Service (Prévôté), acting as the Military Police branch of the Gendarmerie.
As far as the French intelligence units are concerned, the Directorate-General for External Security (Direction Générale de la Sécurité Extérieure) is considered to be a component of the Armed Forces under the authority of the Ministry of Defence. The other, the Central Directorate for Interior Intelligence (Direction centrale du renseignement intérieur) is a division of the National Police Force (Direction générale de la Police Nationale), and therefore reports directly to the Ministry of the Interior. There has been no national conscription since 1997.[145]
France has a special military corps, the French Foreign Legion, founded in 1830, which consists of foreign nationals from over 140 countries who are willing to serve in the French Armed Forces and become French citizens after the end of their service period. The only other countries having similar units are Spain (the Spanish Foreign Legion, called Tercio, was founded in 1920) and Luxembourg (foreigners can serve in the National Army provided they speak Luxembourgish).
France is a permanent member of the Security Council of the UN, and a recognised nuclear state since 1960. France has signed and ratified the Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty (CTBT)[146] and acceded to the Nuclear Non-Proliferation Treaty. France's annual military expenditure in 2011 was US$62.5 billion, or 2.3%, of its GDP making it the fifth biggest military spender in the world after the United States, China, Russia, and the United Kingdom.[147]
French nuclear deterrence, (formerly known as "Force de Frappe"), relies on complete independence. The current French nuclear force consists of four Triomphant class submarines equipped with submarine-launched ballistic missiles. In addition to the submarine fleet, it is estimated that France has about 60 ASMP medium-range air-to-ground missiles with nuclear warheads,[148] of which around 50 are deployed by the Air Force using the Mirage 2000N long-range nuclear strike aircraft, while around 10 are deployed by the French Navy's Super Étendard Modernisé (SEM) attack aircraft, which operate from the nuclear-powered aircraft carrier Charles de Gaulle. The new Rafale F3 aircraft will gradually replace all Mirage 2000N and SEM in the nuclear strike role with the improved ASMP-A missile with a nuclear warhead.
France has major military industries with one of the largest aerospace industries in the world.[149][150] Its industries have produced such equipment as the Rafale fighter, the Charles de Gaulle aircraft carrier, the Exocet missile and the Leclerc tank among others. Despite withdrawing from the Eurofighter project, France is actively investing in European joint projects such as the Eurocopter Tiger, multipurpose frigates, the UCAV demonstrator nEUROn and the Airbus A400M. France is a major arms seller,[151][152] with most of its arsenal's designs available for the export market with the notable exception of nuclear-powered devices.
The military parade held in Paris each 14 July for France's national day, called Bastille Day in English-speaking countries (but not in France), is the oldest and largest regular military parade in Europe.[153]
In April and May 2012, France held a presidential election in which the winner, François Hollande, had opposed austerity measures, promising to eliminate France's budget deficit by 2017. The new government stated that it aimed to cancel recently enacted tax cuts and exemptions for the wealthy, raising the top tax bracket rate to 75% on incomes over a million euros, restoring the retirement age to 60 with a full pension for those who have worked 42 years, restoring 60,000 jobs recently cut from public education, regulating rent increases; and building additional public housing for the poor.
In June, Hollande's Socialist Party won a supermajority in legislative elections capable of amending the French Constitution and enabling the immediate enactment of the promised reforms. French government bond interest rates fell 30% to record lows,[154] less than 50 basis points above German government bond rates.[155]
Under European Union rules, member states are supposed to limit their debt to 60% of output or be reducing the ratio structurally towards this ceiling, and run public deficits of no more than 3% of GDP. The French government has run a budget deficit each year since the early 1970s. In 2012, French government debt levels reached 1.8 trillion euros, the equivalent of 90% of French GDP.[156]
In late 2012, credit rating agencies warned that growing French government debt levels risked France's AAA credit rating, raising the possibility of a future downgrade and subsequent higher borrowing costs for the French government.[157]
A member of the Group of 7 (formerly G8) leading industrialised countries, as of 2014[update], it is ranked as the world's ninth largest and the EU's second largest economy by purchasing power parity.[14] With 31 of the 500 biggest companies in the world in 2015, France ranks fourth in the Fortune Global 500, ahead of Germany and the UK.[158] France joined 11 other EU members to launch the euro in 1999, with euro coins and banknotes completely replacing the French franc (₣) in 2002.[159]
France has a mixed economy that combines extensive private enterprise[160][161] with substantial state enterprise and government intervention. The government retains considerable influence over key segments of infrastructure sectors, with majority ownership of railway, electricity, aircraft, nuclear power and telecommunications.[79][not in citation given] It has been relaxing its control over these sectors since the early 1990s.[79][not in citation given] The government is slowly corporatising the state sector and selling off holdings in France Télécom, Air France, as well as in the insurance, banking, and defence industries.[79][not in citation given] France has an important aerospace industry led by the European consortium Airbus, and has its own national spaceport, the Centre Spatial Guyanais.
According to the World Trade Organization (WTO), in 2009 France was the world's sixth largest exporter and the fourth largest importer of manufactured goods.[162] In 2008, France was the third largest recipient of foreign direct investment among OECD countries at $118 billion, ranking behind Luxembourg (where foreign direct investment was essentially monetary transfers to banks located there) and the US ($316 billion), but above the UK ($96.9 billion), Germany ($25 billion), or Japan ($24 billion).[163][164]
In the same year, French companies invested $220 billion outside France, ranking France as the second largest outward direct investor in the OECD, behind the US ($311 billion), and ahead of the UK ($111 billion), Japan ($128 billion) and Germany ($157 billion).[163][164]
Financial services, banking and the insurance sector are an important part of the economy. The Paris stock exchange (French: La Bourse de Paris) is an old institution, created by Louis XV in 1724.[165] In 2000, the stock exchanges of Paris, Amsterdam and Bruxelles merged into Euronext.[166] In 2007, Euronext merged with the New York stock exchange to form NYSE Euronext, the world's largest stock exchange.[166] Euronext Paris, the French branch of the NYSE Euronext group is Europe's 2nd largest stock exchange market, behind the London Stock Exchange.
France is part of the European single market which represents more than 500 million consumers. Several domestic commercial policies are determined by agreements among European Union (EU) members and by EU legislation. France introduced the common European currency, the Euro in 2002.[167][168] It is a member of the Eurozone which represents around 330 million citizens.
French companies have maintained key positions in the insurance and banking industries: AXA is the world's largest insurance company. The leading French banks are BNP Paribas and the Crédit Agricole, ranking as the world's first and sixth largest banks in 2010[169] (by assets), while the Société Générale group was ranked the world's eighth largest in 2009.
France has historically been a large producer of agricultural products.[170] Extensive tracts of fertile land, the application of modern technology, and EU subsidies have combined to make France the leading agricultural producer and exporter in Europe[171] (representing 20% of the EU's agricultural production[172]) and the world's third biggest exporter of agricultural products.[173]
Wheat, poultry, dairy, beef, and pork, as well as internationally recognized processed foods are the primary French agricultural exports. Rosé wines are primarily consumed within the country, but Champagne and Bordeaux wines are major exports, being known worldwide. EU agriculture subsidies to France have decreased in recent years but still amounted to $8 billion in 2007.[174] That same year, France sold 33.4 billion euros of transformed agricultural products.[175]
Agriculture is an important sector of France's economy: 3.8% of the active population is employed in agriculture, whereas the total agri-food industry made up 4.2% of French GDP in 2005.[172]
With 83 million foreign tourists in 2012,[11] France is ranked as the first tourist destination in the world, ahead of the US (67 million) and China (58 million). This 83 million figure excludes people staying less than 24 hours, such as North Europeans crossing France on their way to Spain or Italy. It is third in income from tourism due to shorter duration of visits.[178] France has 37 sites inscribed in UNESCO's World Heritage List and features cities of high cultural interest, beaches and seaside resorts, ski resorts, and rural regions that many enjoy for their beauty and tranquillity (green tourism). Small and picturesque French villages are promoted through the association Les Plus Beaux Villages de France (litt. "The Most Beautiful Villages of France"). The "Remarkable Gardens" label is a list of the over 200 gardens classified by the French Ministry of Culture. This label is intended to protect and promote remarkable gardens and parks. France attracts many religious pilgrims on their way to St. James, or to Lourdes, a town in the Hautes-Pyrénées that hosts several million visitors a year.
France, especially Paris, has some of the world's largest and renowned museums, including the Louvre, which is the most visited art museum in the world, the Musée d'Orsay, mostly devoted to impressionism, and Beaubourg, dedicated to Contemporary art. Disneyland Paris is Europe's most popular theme park, with 15 million combined visitors to the resort's Disneyland Park and Walt Disney Studios Park in 2009.[179]
With more than 10 millions tourists a year, the French Riviera (or Côte d'Azur), in south-east France, is the second leading tourist destination in the country, after the Paris region.[180] It benefits from 300 days of sunshine per year, 115 kilometres (71 mi) of coastline and beaches, 18 golf courses, 14 ski resorts and 3,000 restaurants.[181] Each year the Côte d'Azur hosts 50% of the world's superyacht fleet.[182]
Another major destination are the Châteaux of the Loire Valley, this World Heritage Site is noteworthy for its architectural heritage, in its historic towns but in particular its castles (châteaux), such as the Châteaux d'Amboise, de Chambord, d'Ussé, de Villandry and Chenonceau. The most popular tourist sites include: (according to a 2003 ranking[183] visitors per year): Eiffel Tower (6.2 million), Louvre Museum (5.7 million), Palace of Versailles (2.8 million), Musée d'Orsay (2.1 million), Arc de Triomphe (1.2 million), Centre Pompidou (1.2 million), Mont Saint-Michel (1 million), Château de Chambord (711,000), Sainte-Chapelle (683,000), Château du Haut-Kœnigsbourg (549,000), Puy de Dôme (500,000), Musée Picasso (441,000), Carcassonne (362,000).
Électricité de France (EDF), the main electricity generation and distribution company in France, is also one of the world's largest producers of electricity. In 2003, it produced 22% of the European Union's electricity, primarily from nuclear power. France is the smallest emitter of carbon dioxide among the G8, due to its heavy investment in nuclear power.[185] As a result of large investments in nuclear technology, most electricity produced by France is generated by 59 nuclear power plants (75% in 2012).[186] In this context, renewable energies are having difficulty taking off. France also uses hydroelectric dams to produce electricity, such as the Eguzon dam, Étang de Soulcem, and Lac de Vouglans.
The railway network of France, which as of 2008[update] stretches 29,473 kilometres (18,314 mi)[187] is the second most extensive in Western Europe after that of Germany.[188] It is operated by the SNCF, and high-speed trains include the Thalys, the Eurostar and TGV, which travels at 320 km/h (199 mph) in commercial use.[189] The Eurostar, along with the Eurotunnel Shuttle, connects with the United Kingdom through the Channel Tunnel. Rail connections exist to all other neighbouring countries in Europe, except Andorra. Intra-urban connections are also well developed with both underground services (Paris, Lyon, Lille, Marseille, Toulouse, Rennes) and tramway services (Nantes, Strasbourg, Bordeaux, Grenoble, Montpellier...) complementing bus services.
There are approximately 1,027,183 kilometres (638,262 mi) of serviceable roadway in France, ranking it the most extensive network of the European continent.[190] The Paris region is enveloped with the most dense network of roads and highways that connect it with virtually all parts of the country. French roads also handle substantial international traffic, connecting with cities in neighbouring Belgium, Luxembourg, Germany, Switzerland, Italy, Spain, Andorra and Monaco. There is no annual registration fee or road tax; however, usage of the mostly privately owned motorways is through tolls except in the vicinity of large communes. The new car market is dominated by domestic brands such as Renault (27% of cars sold in France in 2003), Peugeot (20.1%) and Citroën (13.5%).[191] Over 70% of new cars sold in 2004 had diesel engines, far more than contained petrol or LPG engines.[192] France possesses the Millau Viaduct, the world's tallest bridge,[193] and has built many important bridges such as the Pont de Normandie.
There are 464 airports in France.[79] Charles de Gaulle Airport, located in the vicinity of Paris, is the largest and busiest airport in the country, handling the vast majority of popular and commercial traffic and connecting Paris with virtually all major cities across the world. Air France is the national carrier airline, although numerous private airline companies provide domestic and international travel services. There are ten major ports in France, the largest of which is in Marseille,[194] which also is the largest bordering the Mediterranean Sea.[195][196] 12,261 kilometres (7,619 mi) of waterways traverse France including the Canal du Midi, which connects the Mediterranean Sea to the Atlantic Ocean through the Garonne river.[79]
Since the Middle Ages, France has been a major contributor to scientific achievement . Around the beginning of the 11th century Pope Sylvester II, born Gerbert d'Aurillac, reintroduced the abacus and armillary sphere, and introduced Arabic numerals and clocks to northern and western Europe.[197] The University of Paris, founded in the mid-12th century, is still one of the most important universities in the Western world.[198] In the 17th century, René Descartes defined a method for the acquisition of scientific knowledge, while Blaise Pascal became famous for his work on probability and fluid mechanics. They were both key figures of the Scientific revolution, which erupted in Europe during this period. The Academy of Sciences was founded by Louis XIV to encourage and protect the spirit of French scientific research. It was at the forefront of scientific developments in Europe in the 17th and 18th centuries. It is one of the earliest academies of sciences.
The Age of Enlightenment was marked by the work of biologist Buffon and chemist Lavoisier, who discovered the role of oxygen in combustion, while Diderot and D'Alembert published the Encyclopédie, which aimed to give access to "useful knowledge" to the people, a knowledge that they can apply to their everyday life.[199] With the Industrial Revolution, the 19th century saw spectacular scientific developments in France with scientists such as Augustin Fresnel, founder of modern optics, Sadi Carnot who laid the foundations of thermodynamics, or Louis Pasteur, a pioneer of microbiology. Other eminent French scientists of the 19th century have their names inscribed on the Eiffel Tower.
Famous French scientists of the 20th century include the mathematician and physicist Henri Poincaré, physicists Henri Becquerel, Pierre and Marie Curie, remained famous for their work on radioactivity, the physicist Paul Langevin or virologist Luc Montagnier, co-discoverer of HIV AIDS. Hand transplantation was developed on 23 September 1998 in Lyon by a team assembled from different countries around the world including Jean-Michel Dubernard who, shortly thereafter, performed the first successful double hand transplant.[200] Telesurgery was developed by Jacques Marescaux and his team on 7 September 2001 across the Atlantic Ocean (New-York-Strasbourg, Lindbergh Operation).[201] A face transplant was first done on 27 November 2005[202][203] by Dr Bernard Devauchelle.
France was the fourth country to achieve nuclear capability[204] and has the third largest nuclear weapons arsenal in the world.[205] It is also a leader in civilian nuclear technology.[206][207][208] France was the third nation, after the former USSR and the United States, to launch its own space satellite and remains the biggest contributor to the European Space Agency (ESA).[209][210][211] The European Airbus Group, formed from the French group Aérospatiale along with DaimlerChrysler Aerospace AG (DASA) and Construcciones Aeronáuticas SA (CASA), designs and develops civil and military aircraft as well as communications systems, missiles, space rockets, helicopters, satellites, and related systems. From 1970 SNCF, the French national railroad company, has developed the TGV, a high speed train which holds a series of world speed records. The TGV has been the fastest wheeled train in commercial use since reaching a speed of 574.8 km/h (357.2 mph) on 3 April 2007.[212] Western Europe is now serviced by a network of TGV lines.
As of 2014[update], 67 French people have been awarded a Nobel Prize[213] and 12 have received the Fields Medal.[214]
With an estimated total population of around 66.6 million people as of January 2016,[8] with 64.5 million in metropolitan France,[215] France is the 20th most populous country in the world and the third-most populous in Europe.
France is an outlier among developed countries in general, and European countries in particular, in having a fairly high rate of natural population growth: by birth rates alone, France was responsible for almost all natural population growth in the European Union in 2006, with the natural growth rate (excess of births over deaths) rising to 300,000.[216] This was the highest rate since the end of the baby boom in 1973, and coincides with the rise of the total fertility rate from a nadir of 1.7 in 1994 to 2.0 in 2010.[217][218]
From 2006 to 2011 population growth was on average +0.6% per year.[216] Immigrants are also major contributors to this trend; in 2010, 27% of newborns in metropolitan France had at least one foreign-born parent and 24% had at least one parent born outside of Europe (parents born in overseas territories are considered as born in France).[219]
Most French people are of Celtic (Gauls) origin, with an admixture of Latin (Romans) and Germanic (Franks) groups.[220] Different regions reflect this diverse heritage, with notable Breton elements in western France, Aquitanian in the southwest, Scandinavian in the northwest, Alemannic in the northeast and Ligurian influence in the southeast.
Large-scale immigration over the last century and a half has led to a more multicultural society. In 2004, the Institut Montaigne estimated that within Metropolitan France, 51 million people were White (85% of the population), 6 million were North African (10%), 2 million were Black (3.3%), and 1 million were Asian (1.7%).[221][222]
A law originating from the 1789 revolution and reaffirmed in the 1958 French Constitution makes it illegal for the French state to collect data on ethnicity and ancestry. In 2008, the TeO ("Trajectories and origins") poll conducted jointly by INED and the French National Institute of Statistics[223][224] estimated that 5 million people were of Italian ancestry (the largest immigrant community), followed by 3 million[225][226] to 6 million[227] people of North African ancestry, 2.5 million people of Sub-Saharan African origin, and 200,000 people of Turkish ancestry.[228] There are also sizeable minorities of other European ethnic groups, namely Spanish, Portuguese, Romani, Polish, and Greek.[225][229][230]
It is currently estimated that 40% of the French population is descended at least partially from the different waves of immigration the country has received since the early 20th century;[231] between 1921 and 1935 alone, about 1.1 million net immigrants came to France.[232] The next largest wave came in the 1960s, when around 1.6 million pieds noirs returned to France following the independence of its North African possessions, Algeria and Morocco.[233][234] They were joined by numerous former colonial subjects from North and West Africa, as well as numerous immigrants from Spain and Portugal.
France remains a major destination for immigrants, accepting about 200,000 legal immigrants annually.[235] It is also Western Europe's leading recipient of asylum seekers, with an estimated 50,000 applications in 2005 (a 15% decrease from 2004).[236] The European Union allows free movement between the member states, although France established controls to curb Eastern European migration, and immigration remains a contentious political issue.
In 2008, the INSEE estimated that the total number of foreign-born immigrants was around 5 million (8% of the population), while their French-born descendants numbered 6.5 million, or 11% of the population. Thus, nearly a fifth of the country's population were either first or second-generation immigrants, of which more than 5 million where of European origin and 4 million of Maghrebi ancestry.[237][238][239] In 2008, France granted citizenship to 137,000 persons, mostly to people from Morocco, Algeria and Turkey.[240]
In 2014 The National Institute of Statistics (INSEE, for its acronym in French) published a study on Thursday, according to which has doubled the number of Spanish immigrants, Portuguese and Italians in France between 2009 and 2012. According to the French Institute, this increase resulting from the financial crisis that hit several European countries in that period, has pushed up the number of Europeans installed in France.[241] Statistics on Spanish immigrants in France show a growth of 107 percent between 2009 and 2012, i.e. in this period went from 5300 to 11,000 people.[241] Of the total of 229,000 foreigners were in France in 2012, nearly 8% were Portuguese, British 5%, Spanish 5%, Italians 4%, Germans 4% ; Romanians 3% , 3% Belgians.[241]
France is a highly urbanized country, with its largest cities (in terms of metropolitan area population in 2013[242]) being Paris (12,405,426 inh.), Lyon (2,237,676), Marseille (1,734,277), Toulouse (1,291,517), Bordeaux (1,178,335), Lille (1,175,828), Nice (1,004,826), Nantes (908,815), Strasbourg (773,447) and Rennes (700,675). (Note: There are significant differences between the metropolitan population figures just cited and those in the following table, which only include the core population). Rural flight was a perennial political issue throughout most of the 20th century.
Largest cities or towns in France
2010 census |
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Rank | Name | Region | Pop. | Rank | Name | Region | Pop. | ||
Paris |
1 | Paris | Île-de-France | 2,243,833 | 11 | Rennes | Brittany | 207,178 | Lyon |
2 | Marseille | Provence-Alpes-Côte d'Azur | 850,726 | 12 | Reims | Champagne-Ardenne | 179,992 | ||
3 | Lyon | Rhône-Alpes | 484,344 | 13 | Le Havre | Upper Normandy | 175,497 | ||
4 | Toulouse | Midi-Pyrénées | 441,802 | 14 | Saint-Étienne | Rhône-Alpes | 171,260 | ||
5 | Nice | Provence-Alpes-Côte d'Azur | 343,304 | 15 | Toulon | Provence-Alpes-Côte d'Azur | 164,532 | ||
6 | Nantes | Pays de la Loire | 284,970 | 16 | Grenoble | Rhône-Alpes | 155,637 | ||
7 | Strasbourg | Alsace | 271,782 | 17 | Dijon | Burgundy | 151,212 | ||
8 | Montpellier | Languedoc-Roussillon | 257,351 | 18 | Angers | Pays de la Loire | 147,571 | ||
9 | Bordeaux | Aquitaine | 239,157 | 19 | Villeurbanne | Rhône-Alpes | 145,150 | ||
10 | Lille | Nord-Pas-de-Calais | 227,560 | 20 | Saint-Denis | Réunion | 145,022 |
According to Article 2 of the Constitution, the official language of France is French,[243] a Romance language derived from Latin. Since 1635, the Académie française has been France's official authority on the French language, although its recommendations carry no legal power.
The French government does not regulate the choice of language in publications by individuals but the use of French is required by law in commercial and workplace communications. In addition to mandating the use of French in the territory of the Republic, the French government tries to promote French in the European Union and globally through institutions such as La Francophonie. The perceived threat from anglicisation has prompted efforts to safeguard the position of the French language in France. Besides French, there exist 77 vernacular minority languages of France, eight spoken in French metropolitan territory and 69 in the French overseas territories.
From the 17th to the mid-20th century, French served as the pre-eminent international language of diplomacy and international affairs as well as a lingua franca among the educated classes of Europe.[244] The dominant position of French language in international affairs was overtaken by English, since the emergence of the US as a major power.[51][245][246]
For most of the time in which French served as an international lingua franca, it was not the native language of most Frenchmen: a report in 1794 conducted by Henri Grégoire found that of the country's 25 million people, only three million spoke French natively; the rest spoke one of the country's many regional languages, such as Alsatian, Breton or Occitan.[247] Through the expansion of public education, in which French was the sole language of instruction, as well as other factors such as increased urbanization and the rise of mass communication, French gradually came to be adopted by virtually the entire population, a process not completed until the 20th century.
As a result of France's extensive colonial ambitions between the 17th and 20th centuries, French was introduced to the Americas, Africa, Polynesia, South-East Asia, and the Caribbean. French is the second most studied foreign language in the world after English,[248] and is a lingua franca in some regions, notably in Africa. The legacy of French as a living language outside Europe is mixed: it is nearly extinct in some former French colonies (The Levant, South and Southeast Asia), while creoles and pidgins based on French have emerged in the French departments in the West Indies and the South Pacific (French Polynesia). On the other hand, many former French colonies have adopted French as an official language, and the total number of French speakers is increasing, especially in Africa.
It is estimated that between 300 million[249] and 500 million[250] people worldwide can speak French, either as a mother tongue or a second language.
France is a secular country, and freedom of religion is a constitutional right. French religious policy is based on the concept of laïcité, a strict separation of church and state under which public life is kept completely secular.
Catholicism has been the predominant religion in France for more than a millennium, though it is not as actively practised today as it was. Among the 47,000 religious buildings in France, 94% are Roman Catholic.[252] While in 1965, 81% of the French declared themselves to be Catholics, in 2009 this proportion was 64%. Moreover, while 27% of the French went to Mass once a week or more in 1952, only 5% did so in 2006.[253] The same survey found that Protestants accounted for 3% of the population, an increase from previous surveys, and 5% adhered to other religions, with the remaining 28% stating they had no religion.[253] Evangelical Protestantism may be the fastest growing religion in France.[254]
The French Revolution saw a radical shift in the status of the Catholic Church with the launch of a brutal campaign of de-Christianization. After the back and forth of Catholic royal and secular republican governments over the 19th century, laïcité was established with the 1905 law on the Separation of the Churches and the State.[255]
According to a poll in January 2007,[256] only 5% of the French population attended church regularly (10% attend church services regularly among the respondents who did identify themselves as Catholics). The poll showed[257] 51% identified as being Catholics, 31% identified as being agnostics or atheists (another poll[258] sets the proportion of atheists equal to 27%), 10% identified as being from other religions or being without opinion, 4% identified as Muslim, 3% identified as Protestant, 1% identified as Buddhist, 1% identified as Jewish. Meanwhile, an independent estimate by the politologist Pierre Bréchon in 2009 concluded that the proportion of Catholics had fallen to 42% while the number of atheists and agnostics had risen to 50%.[259] According to Eurobarometer poll in 2012 Christianity is the largest religion in France accounting 60% of French citizens.[260] Catholics are the largest Christian group in France, accounting for 50% of French citizens,[260] while Protestants make up 8%, and Other Christian make up 2%. Non believer/Agnostic account 20%, Atheist account's 13%, and Muslim 6%.[260]
Estimates of the number of Muslims in France vary widely. In 2003, the French Ministry of the Interior estimated the total number of people of Muslim background to be between 5 and 6 million (8–10%).[261][262] According to the Pewforum, "In France, proponents of a 2004 law banning the wearing of religious symbols in schools say it protects Muslim girls from being forced to wear a headscarf, but the law also restricts those who want to wear headscarves – or any other "conspicuous" religious symbol, including large Christian crosses and Sikh turbans – as an expression of their faith"[263]
The current Jewish community in France numbers around 600,000 according to the World Jewish Congress and is the largest in Europe.
Since 1905 the French government has followed the principle of laïcité, in which it is prohibited from recognising any specific right to a religious community (except for legacy statutes like that of military chaplains and the local law in Alsace-Moselle). Instead, it merely recognises religious organisations, according to formal legal criteria that do not address religious doctrine. Conversely, religious organizations should refrain from intervening in policy-making.[264] Certain bodies of beliefs such as Scientology, Children of God, the Unification Church, or the Order of the Solar Temple are considered cults ("sectes" in French),[265] and therefore do not have the same status as religions in France. Secte is considered a pejorative term in France.[266]
The French health care system is one of universal health care largely financed by government national health insurance. In its 2000 assessment of world health care systems, the World Health Organization found that France provided the "close to best overall health care" in the world.[268] The French healthcare system was ranked first worldwide by the World Health Organization in 1997.[269][270] In 2011, France spent 11.6% of GDP on health care, or US$4,086 per capita,[271] a figure much higher than the average spent by countries in Europe but less than in the US. Approximately 77% of health expenditures are covered by government funded agencies.[272]
Care is generally free for people affected by chronic diseases (affections de longues durées) such as cancer, AIDS or Cystic Fibrosis. Average life expectancy at birth is 78 years for men and 85 years for women, one of the highest of the European Union.[273] There are 3.22 physicians for every 1000 inhabitants in France,[274] and average health care spending per capita was US$4,719 in 2008.[275] As of 2007[update], approximately 140,000 inhabitants (0.4%) of France are living with HIV/AIDS.[79]
Even if the French have the reputation of being one of the thinnest people in developed countries,[276][277][278][279][280][281] France—like other rich countries—faces an increasing and recent epidemic of obesity, due mostly to the replacement of traditional healthy French cuisine by junk food in French eating habits.[276][277][282] Nevertheless, the French obesity rate is far below that of the USA (for instance, obesity rate in France is the same that the American once was in the 1970s[277]), and is still the lowest of Europe,[279][282] but it is now regarded by the authorities as one of the main public health issues[283] and is fiercely fought; rates of childhood obesity are slowing in France, while continuing to grow in other countries.[284]
In 1802, Napoleon created the lycée.[285] Nevertheless, it is Jules Ferry who is considered to be the father of the French modern school, which is free, secular, and compulsory until the age of 13 since 1882[286] (school attendance in France is now compulsory until the age of 16[287]).
Nowadays, the schooling system in France is centralized, and is composed of three stages, primary education, secondary education, and higher education. The Programme for International Student Assessment, coordinated by the OECD, currently ranks France's education as the 25th best in the world, being neither significantly higher nor lower than the OECD average.[288] Primary and secondary education are predominantly public, run by the Ministry of National Education.
Higher education in France is divided between public universities and the prestigious and selective Grandes écoles, such as Sciences Po Paris for Political studies, HEC Paris for Economics, Polytechnique and the École nationale supérieure des mines de Paris that produces high-profile engineers, or the École nationale d'administration for careers in the great corps of the State. The Grandes écoles have been criticised for alleged elitism,[289] nevertheless they have produced many if not most of France's high-ranking civil servants, CEOs, and politicians.
Since higher education is funded by the state, the fees are very low; the tuition varies from €150 to €700 depending on the university and the different levels of education. (licence, master, doctorate). One can therefore get a master's degree (in 5 years) for about €750–3,500. The tuition in public engineering schools is comparable to universities, albeit a little higher (around €700). However it can reach €7000 a year for private engineering schools, and some business schools, which are all private or partially private, charge up to €15000 a year. Health insurance for students is free until the age of 20.
France has been a center of Western cultural development for centuries. Many French artists have been among the most renowned of their time, and France is still recognized in the world for its rich cultural tradition.
The successive political regimes have always promoted artistic creation, and the creation of the Ministry of Culture in 1959 helped preserve the cultural heritage of the country and make it available to the public. The Ministry of Culture has been very active since its creation, granting subsidies to artists, promoting French culture in the world, supporting festivals and cultural events, protecting historical monuments. The French government also succeeded in maintaining a cultural exception to defend audiovisual products made in the country.
France receives the highest number of tourists per year, largely thanks to the numerous cultural establishments and historical buildings implanted all over the territory. It counts 1,200 museums welcoming more than 50 million people annually.[290] The most important cultural sites are run by the government, for instance through the public agency Centre des monuments nationaux, which is responsible for approximately 85 national historical monuments.
The 43,180 buildings protected as historical monuments include mainly residences (many castles, or châteaux in French) and religious buildings (cathedrals, basilicas, churches, etc.), but also statutes, memorials and gardens. The UNESCO inscribed 41 sites in France on the World Heritage List.[291]
The origins of French art were very much influenced by Flemish art and by Italian art at the time of the Renaissance. Jean Fouquet, the most famous medieval French painter, is said to have been the first to travel to Italy and experience the Early Renaissance at first hand. The Renaissance painting School of Fontainebleau was directly inspired by Italian painters such as Primaticcio and Rosso Fiorentino, who both worked in France. Two of the most famous French artists of the time of Baroque era, Nicolas Poussin and Claude Lorrain, lived in Italy.
The 17th century was the period when French painting became prominent and individualized itself through classicism. Louis XIV's prime minister Jean-Baptiste Colbert founded in 1648 the Royal Academy of Painting and Sculpture to protect these artists, and in 1666 he created the still-active French Academy in Rome to have direct relations with Italian artists.
French artists developed the rococo style in the 18th century, as a more intimate imitation of old baroque style, the works of the court-endorsed artists Antoine Watteau, François Boucher and Jean-Honoré Fragonard being the most representative in the country. The French Revolution brought great changes, as Napoleon favoured artists of neoclassic style such as Jacques-Louis David and the highly influential Académie des Beaux-Arts defined the style known as Academism. At this time France had become a centre of artistic creation, the first half of the 19th century being dominated by two successive movements, at first Romanticism with Théodore Géricault and Eugène Delacroix, and Realism with Camille Corot, Gustave Courbet and Jean-François Millet, a style that eventually evolved into Naturalism.
In the second part of the 19th century, France's influence over painting became even more important, with the development of new styles of painting such as Impressionism and Symbolism. The most famous impressionist painters of the period were Camille Pissarro, Édouard Manet, Edgar Degas, Claude Monet and Auguste Renoir.[292] The second generation of impressionist-style painters, Paul Cézanne, Paul Gauguin, Toulouse-Lautrec and Georges Seurat, were also at the avant-garde of artistic evolutions,[293] as well as the fauvist artists Henri Matisse, André Derain and Maurice de Vlaminck.[294][295]
At the beginning of the 20th century, Cubism was developed by Georges Braque and the Spanish painter Pablo Picasso, living in Paris. Other foreign artists also settled and worked in or near Paris, such as Vincent van Gogh, Marc Chagall, Amedeo Modigliani and Wassily Kandinsky.
Many museums in France are entirely or partly devoted to sculptures and painting works. A huge collection of old masterpieces created before or during the 18th century are displayed in the state-owned Musée du Louvre, such as Mona Lisa, also known as La Joconde. While the Louvre Palace has been for a long time a museum, the Musée d'Orsay was inaugurated in 1986 in the old railway station Gare d'Orsay, in a major reorganization of national art collections, to gather French paintings from the second part of the 19th century (mainly Impressionism and Fauvism movements).[296][297]
Modern works are presented in the Musée National d'Art Moderne, which moved in 1976 to the Centre Georges Pompidou. These three state-owned museums welcome close to 17 million people a year.[298] Other national museums hosting paintings include the Grand Palais (1.3 million visitors in 2008), but there are also many museums owned by cities, the most visited being the Musée d'Art Moderne de la Ville de Paris (0.8 million entries in 2008), which hosts contemporary works.[298]
Outside Paris, all the large cities have a Museum of Fine Arts with a section dedicated to European and French painting. Some of the finest collections are in Lyon, Lille, Rouen, Dijon, Rennes and Grenoble.
During the Middle Ages, many fortified castles were built by feudal nobles to mark their powers. Some French castles that survived are Chinon, Château d'Angers, the massive Château de Vincennes and the so-called Cathar castles. During this era, France had been using Romanesque architecture like most of Western Europe. Some of the greatest examples of Romanesque churches in France are the Saint Sernin Basilica in Toulouse, the largest romanesque church in Europe,[299] and the remains of the Cluniac Abbey.
The Gothic architecture, originally named Opus Francigenum meaning " French work ",[300] was born in Île-de-France and was the first French style of architecture to be copied in all Europe.[301] Northern France is the home of some of the most important Gothic cathedrals and basilicas, the first of these being the Saint Denis Basilica (used as the royal necropolis); other important French Gothic cathedrals are Notre-Dame de Chartres and Notre-Dame d'Amiens. The kings were crowned in another important Gothic church: Notre-Dame de Reims.[302] Aside from churches, Gothic Architecture had been used for many religious palaces, the most important one being the Palais des Papes in Avignon.
The final victory in the Hundred Years' War marked an important stage in the evolution of French architecture. It was the time of the French Renaissance and several artists from Italy were invited to the French court; many residential palaces were built in the Loire Valley. Such residential castles were the Château de Chambord, the Château de Chenonceau, or the Château d'Amboise.
Following the renaissance and the end of the Middle Ages, Baroque architecture replaced the traditional Gothic style. However, in France, baroque architecture found a greater success in the secular domain than in a religious one.[303] In the secular domain, the Palace of Versailles has many baroque features. Jules Hardouin Mansart, who designed the extensions to Versailles, was one of the most influential French architect of the baroque era; he is famous for his dome at Les Invalides.[304] Some of the most impressive provincial baroque architecture is found in places that were not yet French such as the Place Stanislas in Nancy. On the military architectural side, Vauban designed some of the most efficient fortresses in Europe and became an influential military architect; as a result, imitations of his works can be found all over Europe, the Americas, Russia and Turkey.[305][306]
After the Revolution, the Republicans favoured Neoclassicism although neoclassicism was introduced in France prior to the revolution with such building as the Parisian Pantheon or the Capitole de Toulouse. Built during the first French Empire, the Arc de Triomphe and Sainte Marie-Madeleine represent the best example of Empire style architecture.[308]
Under Napoleon III, a new wave of urbanism and architecture was given birth; extravagant buildings such as the neo-baroque Palais Garnier were built. The urban planning of the time was very organised and rigorous; for example, Haussmann's renovation of Paris. The architecture associated to this era is named Second Empire in English, the term being taken from the Second French Empire. At this time there was a strong Gothic resurgence across Europe and in France; the associated architect was Eugène Viollet-le-Duc. In the late 19th century, Gustave Eiffel designed many bridges, such as Garabit viaduct, and remains one of the most influential bridge designers of his time, although he is best remembered for the iconic Eiffel Tower.
In the 20th century, French-Swiss architect Le Corbusier designed several buildings in France. More recently, French architects have combined both modern and old architectural styles. The Louvre Pyramid is an example of modern architecture added to an older building. The most difficult buildings to integrate within French cities are skyscrapers, as they are visible from afar. For instance, in Paris, since 1977, new buildings had to be under 37 meters, or 121 feet.[309] France's largest financial district is La Defense, where a significant number of skyscrapers are located.[310] Other massive buildings that are a challenge to integrate into their environment are large bridges; an example of the way this has been done is the Millau Viaduct. Some famous modern French architects include Jean Nouvel, Dominique Perrault, Christian de Portzamparc or Paul Andreu.
The earliest French literature dates from the Middle Ages, when what is now known as modern France did not have a single, uniform language. There were several languages and dialects and writers used their own spelling and grammar. Some authors of French mediaeval texts are unknown, such as Tristan and Iseult and Lancelot-Grail. Other authors are known, for example Chrétien de Troyes and Duke William IX of Aquitaine, who wrote in Occitan.
Much mediaeval French poetry and literature were inspired by the legends of the Matter of France, such as The Song of Roland and the various chansons de geste. The Roman de Renart, written in 1175 by Perrout de Saint Cloude, tells the story of the mediaeval character Reynard ('the Fox') and is another example of early French writing.
An important 16th-century writer was François Rabelais, whose novel Gargantua and Pantagruel has remained famous and appreciated until now. Michel de Montaigne was the other major figure of the French literature during that century. His most famous work, Essais, created the literary genre of the essay.[311] French poetry during that century was embodied by Pierre de Ronsard and Joachim du Bellay. Both writers founded the La Pléiade literary movement.
During the 17th century, Madame de La Fayette published anonymously La Princesse de Clèves, a novel that is considered to be one of the very first psychological novels of all times.[312] Jean de La Fontaine is one of the most famous fabulist of that time, as he wrote hundreds of fables, some being far more famous than others, such as The Ant and the Grasshopper. Generations of French pupils had to learn his fables, that were seen as helping teaching wisdom and common sense to the young people. Some of his verses have entered the popular language to become proverbs.[citation needed]
Jean Racine, whose incredible mastery of the alexandrine and of the French language has been praised for centuries, created plays such as Phèdre or Britannicus. He is, along with Pierre Corneille (Le Cid) and Molière, considered as one of the three great dramatists of the France's golden age. Molière, who is deemed to be one of the greatest masters of comedy of the Western literature,[315] wrote dozens of plays, including Le Misanthrope, L'Avare, Le Malade imaginaire, and Le Bourgeois Gentilhomme. His plays have been so popular around the world that French language is sometimes dubbed as "the language of Molière" (la langue de Molière),[316] just like English is considered as "the language of Shakespeare".
French literature and poetry flourished even more in the 18th and 19th centuries. Denis Diderot's best-known works are Jacques the Fatalist and Rameau's Nephew. He is however best known for being the main redactor of the Encyclopédie, whose aim was to sum up all the knowledge of his century (in fields such as arts, sciences, languages, philosophy) and to present them to the people, in order to fight ignorance and obscurantism. During that same century, Charles Perrault was a prolific writer of famous children's fairy tales including Puss in Boots, Cinderella, Sleeping Beauty and Bluebeard. At the start of the 19th century, symbolist poetry was an important movement in French literature, with poets such as Charles Baudelaire, Paul Verlaine and Stéphane Mallarmé.[317]
The 19th century saw the writings of many renowned French authors. Victor Hugo is sometimes seen as "the greatest French writer of all times"[314] for excelling in all literary genres. The preface of his play Cromwell is considered to be the manifesto of the Romantic movement. Les Contemplations and La Légende des siècles are considered as "poetic masterpieces",[318] Hugo's verse having been compared to that of Shakespeare, Dante and Homer.[318] His novel Les Misérables is widely seen as one of the greatest novel ever written[319] and The Hunchback of Notre Dame has remained immensely popular.
Other major authors of that century include Alexandre Dumas (The Three Musketeers and The Count of Monte-Cristo), Jules Verne (Twenty Thousand Leagues Under the Sea), Émile Zola (Les Rougon-Macquart), Honoré de Balzac (La Comédie humaine), Guy de Maupassant, Théophile Gautier and Stendhal (The Red and the Black, The Charterhouse of Parma), whose works are among the most well known in France and the world.
The Prix Goncourt is a French literary prize first awarded in 1903.[320] Important writers of the 20th century include Marcel Proust, Louis-Ferdinand Céline, Albert Camus, and Jean-Paul Sartre. Antoine de Saint Exupéry wrote Little Prince, which has remained popular for decades with children and adults around the world.[321] As of 2014[update], French authors had more Literature Nobel Prizes than those of any other nation.[322] The first Nobel Prize in Literature was a French author, while France's latest Nobel prize in literature is Patrick Modiano, who was awarded the prize in 2014.[322] Jean-Paul Sartre was also the first nominee in the committee's history to refuse the prize in 1964.[322]
Medieval philosophy was dominated by Scholasticism until the emergence of Humanism in the Renaissance. Modern philosophy began in France in the 17th century with the philosophy of René Descartes, Blaise Pascal, and Nicolas Malebranche. Descartes revitalised Western philosophy, which had been declined after the Greek and Roman eras.[323] His Meditations on First Philosophy changed the primary object of philosophical thought and raised some of the most fundamental problems for foreigners such as Spinoza, Leibniz, Hume, Berkeley, and Kant.
During the 18th century, French philosophers produced one of the most important works of the Age of Enlightenment. In The Spirit of the Laws, Baron de Montesquieu theorized the principle of separation of powers, which has been implemented in all liberal democracies since it was first applied in the United States. In The Social Contract, Jean-Jacques Rousseau openly criticized the European divine right monarchies and strongly affirmed the principle of the sovereignty of the people. Voltaire came to embody the Enlightenment with his defence of civil liberties, such as the right to a free trial and freedom of religion.
19th-century French thought was targeted at responding to the social malaise following the French Revolution. Rationalist philosophers such as Victor Cousin and Auguste Comte, who called for a new social doctrine, were opposed by reactionary thinkers such as Joseph de Maistre, Louis de Bonald and Lamennais, who blamed the rationalist rejection of traditional order. De Maistre is considered, together with the Englishman Edmund Burke, one of the founders of European conservatism, while Comte is regarded as the founder of positivism and sociology.
In the early 20th century, French spiritualist thinkers such as Maine de Biran, Henri Bergson and Louis Lavelle influenced Anglo-Saxon thought, including the Americans Charles Sanders Peirce and William James, and the Englishman Alfred North Whitehead. In the late 20th century, partly influenced by German phenomenology and existentialism, postmodern philosophy began in France, with notable post-structuralist thinkers including Jean-François Lyotard, Jean Baudrillard, Jacques Derrida, Jacques Lacan, Michel Foucault and Gilles Deleuze.
France has a long and varied musical history. It experienced a golden age in the 17th century thanks to Louis XIV, who employed a number of talented musicians and composers in the royal court. The most renowned composers of this period include Marc-Antoine Charpentier, François Couperin, Michel-Richard Delalande, Jean-Baptiste Lully and Marin Marais, all of them composers at the court. After the death of the "Roi Soleil", French musical creation lost dynamism, but in the next century the music of Jean-Philippe Rameau reached some prestige, and today he is still one of the most renowned French composers. Rameau became the dominant composer of French opera and the leading French composer for the harpsichord.[325]
French composers played an important role during the music of the 19th and early 20th century, which is considered to be the Romantic music era. Romantic music emphasized a surrender to nature, a fascination with the past and the supernatural, the exploration of unusual, strange and surprising sounds, and a focus on national identity. This period was also a golden age for operas. French composers from the Romantic era included: Hector Berlioz (best known for his Symphonie fantastique), Georges Bizet (best known for Carmen, which has become one of the most popular and frequently performed operas), Gabriel Fauré (best known for his Pavane, Requiem, and nocturnes), Charles Gounod (best known for his Ave Maria and his opera Faust), Jacques Offenbach (best known for his 100 operettas of the 1850s–1870s and his uncompleted opera The Tales of Hoffmann), Édouard Lalo (best known for his Symphonie espagnole for violin and orchestra and his Cello Concerto in D minor), Jules Massenet (best known for his operas, of which he wrote more than thirty, the most frequently staged are Manon (1884) and Werther (1892)) and Camille Saint-Saëns (he has many frequently-performed works, including The Carnival of the Animals, Danse macabre, Samson and Delilah (Opera), Introduction and Rondo Capriccioso, and his Symphony No. 3 (Organ Symphony)).
Later came precursors of modern classical music. Érik Satie was a key member of the early 20th century Parisian avant-garde, best known for his Gymnopédies. Francis Poulenc's best known works are his piano suite Trois mouvements perpétuels (1919), the ballet Les biches (1923), the Concert champêtre (1928) for harpsichord and orchestra, the opera Dialogues des Carmélites (1957), and the Gloria (1959) for soprano, choir and orchestra. Maurice Ravel and Claude Debussy are the most prominent figures associated with Impressionist music. Debussy was among the most influential composers of the late 19th and early 20th centuries, and his use of non-traditional scales and chromaticism influenced many composers who followed.[326] Debussy's music is noted for its sensory content and frequent usage of atonality. The two composers invented new musical forms[327][328][329][330] and new sounds. Ravel's piano compositions, such as Jeux d'eau, Miroirs, Le tombeau de Couperin and Gaspard de la nuit, demand considerable virtuosity. His mastery of orchestration is evident in the Rapsodie espagnole, Daphnis et Chloé, his arrangement of Modest Mussorgsky's Pictures at an Exhibition and his orchestral work Boléro (1928).
More recently, at the middle of the 20th century, Maurice Ohana, Pierre Schaeffer and Pierre Boulez contributed to the evolutions of contemporary classical music.[331]
French music then followed the rapid emergence of pop and rock music at the middle of the 20th century. Although English-speaking creations achieved popularity in the country, French pop music, known as chanson française, has also remained very popular. Among the most important French artists of the century are Édith Piaf, Georges Brassens, Léo Ferré, Charles Aznavour and Serge Gainsbourg. Although there are very few rock bands in France compared to English-speaking countries,[332] bands such as Noir Désir, Mano Negra, Niagara, Les Rita Mitsouko and more recently Superbus, Phoenix and Gojira[333] have reached worldwide popularity.
Other French artists with international careers have been popular in several countries, for example female singers Dalida, Mireille Mathieu, Mylène Farmer[333] and Nolwenn Leroy,[334] electronic music pioneers Jean-Michel Jarre, Laurent Garnier and Bob Sinclar, and later Martin Solveig and David Guetta. In the 1990s and 2000s (decade), electronic duos Daft Punk, Justice and Air also reached worldwide popularity and contributed to the reputation of modern electronic music in the world.[333][335][336]
Among current musical events and institutions in France, many are dedicated to classical music and operas. The most prestigious institutions are the state-owned Paris National Opera (with its two sites Palais Garnier and Opéra Bastille), the Opéra National de Lyon, the Théâtre du Châtelet in Paris, the Théâtre du Capitole in Toulouse and the Grand Théâtre de Bordeaux. As for music festivals, there are several events organized, the most popular being the Eurockéennes and Rock en Seine. The Fête de la Musique, imitated by many foreign cities, was first launched by the French government in 1982.[337][338] Major music halls and venues in France include Le Zénith sites present in many cities and other places in Paris (Paris Olympia, Théâtre Mogador, Élysée Montmartre, etc.).
France has historical and strong links with cinema, with two Frenchmen, Auguste and Louis Lumière (known as the Lumière Brothers) having created cinema in 1895.[342] Several important cinematic movements, including the late 1950s and 1960s Nouvelle Vague, began in the country. It is noted for having a particularly strong film industry, due in part to protections afforded by the French government.[343][dated info] France remains a leader in filmmaking, as of 2006[update] producing more films than any other European country.[344] The nation also hosts the Cannes Festival, one of the most important and famous film festivals in the world.[345][346]
Apart from its strong and innovative film tradition, France has also been a gathering spot for artists from across Europe and the world. For this reason, French cinema is sometimes intertwined with the cinema of foreign nations. Directors from nations such as Poland (Roman Polanski, Krzysztof Kieślowski, and Andrzej Żuławski), Argentina (Gaspar Noé and Edgardo Cozarinsky), Russia (Alexandre Alexeieff, Anatole Litvak), Austria (Michael Haneke), and Georgia (Géla Babluani, Otar Iosseliani) are prominent in the ranks of French cinema. Conversely, French directors have had prolific and influential careers in other countries, such as Luc Besson, Jacques Tourneur, or Francis Veber in the United States.
Although the French film market is dominated by Hollywood, France is the only nation in the world where American films make up the smallest share of total film revenues, at 50%, compared with 77% in Germany and 69% in Japan.[347] French films account for 35% of the total film revenues of France, which is the highest percentage of national film revenues in the developed world outside the United States, compared to 14% in Spain and 8% in the UK.[347] France is in 2013 the 2nd exporter of films in the world after the United States.[348]
Until recently, France had for centuries been the cultural center of the world,[244] although its dominant position has been surpassed by the United States. Subsequently, France takes steps in protecting and promoting its culture, becoming a leading advocate of the cultural exception.[349] The nation succeeded in convincing all EU members to refuse to include culture and audiovisuals in the list of liberalized sectors of the WTO in 1993.[350] Moreover, this decision was confirmed in a voting in the UNESCO in 2005, and the principle of "cultural exception" won an overwhelming victory: 198 countries voted for it, only 2 countries, the U.S and Israel, voted against it.[351]
Fashion has been an important industry and cultural export of France since the 17th century, and modern "haute couture" originated in Paris in the 1860s. Today, Paris, along with London, Milan, and New York City, is considered one of the world's fashion capitals, and the city is home or headquarters to many of the premier fashion houses. The expression Haute couture is, in France, a legally protected name, guaranteeing certain quality standards.
The association of France with fashion and style (French: la mode) dates largely to the reign of Louis XIV[352] when the luxury goods industries in France came increasingly under royal control and the French royal court became, arguably, the arbiter of taste and style in Europe. But France renewed its dominance of the high fashion (French: couture or haute couture) industry in the years 1860–1960 through the establishing of the great couturier houses such as Chanel, Dior, and Givenchy. The French perfume industry is world leader in its sector and is centered on the town of Grasse.[353]
In the 1960s, the elitist "Haute couture" came under criticism from France's youth culture. In 1966, the designer Yves Saint Laurent broke with established Haute Couture norms by launching a prêt-à-porter ("ready to wear") line and expanding French fashion into mass manufacturing. With a greater focus on marketing and manufacturing, new trends were established by Sonia Rykiel, Thierry Mugler, Claude Montana, Jean-Paul Gaultier and Christian Lacroix in the 1970s and 1980s. The 1990s saw a conglomeration of many French couture houses under luxury giants and multinationals such as LVMH.
Compared to other developed countries, the French do not spend much time reading newspapers, due to the popularity of broadcast media. Best-selling daily national newspapers in France are Le Parisien Aujourd'hui en France (with 460,000 sold daily), Le Monde and Le Figaro, with around 300,000 copies sold daily, but also L'Équipe, dedicated to sports coverage.[355] In the past years, free dailies made a breakthrough, with Metro, 20 Minutes and Direct Plus distributed at more than 650,000 copies respectively.[356] However, the widest circulations are reached by regional daily Ouest France with more than 750,000 copies sold, and the 50 other regional papers have also high sales.[357][358] The sector of weekly magazines is stronger and diversified with more than 400 specialized weekly magazines published in the country.[359]
The most influential news magazines are the left-wing Le Nouvel Observateur, centrist L'Express and right-wing Le Point (more than 400.000 copies),[360] but the highest circulation for weeklies is reached by TV magazines and by women's magazines, among them Marie Claire and ELLE, which have foreign versions. Influential weeklies also include investigative and satirical papers Le Canard Enchaîné and Charlie Hebdo, as well as Paris Match. Like in most industrialized nations, the print media have been affected by a severe crisis in the past decade. In 2008, the government launched a major initiative to help the sector reform and become financially independent,[361][362] but in 2009 it had to give 600,000 euros to help the print media cope with the economic crisis, in addition to existing subsidies.[363]
In 1974, after years of centralized monopoly on radio and television, the governmental agency ORTF was split into several national institutions, but the three already-existing TV channels and four national radio stations[364][365] remained under state-control. It was only in 1981 that the government allowed free broadcasting in the territory, ending state monopoly on radio.[365] French television was partly liberalized in the next two decade with the creation of several commercial channels, mainly thanks to cable and satellite television. In 2005 the national service Télévision Numérique Terrestre introduced digital television all over the territory, allowing the creation of other channels.
The four existing national channels are now owned by state-owned consortium France Télévisions, while public broadcasting group Radio France run five national radio stations. Among these public media are Radio France Internationale, which broadcasts programs in French all over the world, and Franco-German TV channel TV5 Monde. In 2006, the government created global news channel France 24. Long-established TV channels TF1 (privatized in 1987), France 2 and France 3 have the highest shares, while radio stations RTL, Europe 1 and state-owned France Inter are the least listened to.
According to a BBC poll in 2010, based on 29,977 responses in 28 countries, France is globally seen as a positive influence in the world's affairs: 49% have a positive view of the country's influence, whereas 19% have a negative view.[366][367] The Nation Brand Index of 2008 suggested that France has the second best international reputation, only behind Germany.[368]
According to a poll in 2011, the French were found to have the highest level of religious tolerance and to be the country where the highest proportion of the population defines its identity primarily in term of nationality and not religion.[369] 69% of French have a favourable view of the US, making France one of the most pro-American countries in the world.[370]
In January 2010, the magazine International Living ranked France as "best country to live in", ahead of 193 other countries, for the fifth year running.[371][372]
The French Revolution continues to permeate the country's collective memory. The tricolour flag, the anthem "La Marseillaise", and the motto Liberté, egalité, fraternité, defined in Title 1 of the Constitution as national symbols, all emerged during the cultural ferment of the early revolution, along with Marianne, a common national personification. In addition, Bastille Day, the national holiday, commemorates the storming of the Bastille on 14 July 1789.[373]
A common and traditional symbol of the French people is the Gallic rooster. Its origins date back to Antiquity, since the Latin word Gallus meant both "rooster" and "inhabitant of Gaul". Then this figure gradually became the most widely shared representation of the French, used by French monarchs, then by the Revolution and under the successive republican regimes as representation of the national identity, used for some stamps and coins.[374]
French cuisine is renowned for being one of the finest in the world.[376][377] According to the regions, traditional recipes are different, the North of the country prefers to use butter as the preferred fat for cooking, whereas olive oil is more commonly used in the South.[378] Moreover, each region of France has iconic traditional specialities : Cassoulet in the Southwest, Choucroute in Alsace, Quiche in the Lorraine region, Beef bourguignon in the Bourgogne, provençal Tapenade, etc. France's most renowned products are wines,[379] including Champagne, Bordeaux, Bourgogne, and Beaujolais as well as a large variety of different cheeses, such as Camembert, Roquefort and Brie. There are more than 400 different varieties.[380][381]
A meal often consists of three courses, hors d'œuvre or entrée (introductory course, sometimes soup), plat principal (main course), fromage (cheese course) and/or dessert, sometimes with a salad offered before the cheese or dessert. Hors d'œuvres include terrine de saumon au basilic, lobster bisque, foie gras, French onion soup or a croque monsieur. The plat principal could include a pot au feu or steak frites. The dessert could be mille-feuille pastry, a macaron, an éclair, crème brûlée, mousse au chocolat, crêpes, or Café liégeois.
French cuisine is also regarded as a key element of the quality of life and the attractiveness of France.[372] A French publication, the Michelin guide, awards Michelin stars for excellence to a select few establishments.[382] The acquisition or loss of a star can have dramatic effects on the success of a restaurant. By 2006, the Michelin Guide had awarded 620 stars to French restaurants, at that time more than any other country, although the guide also inspects more restaurants in France than in any other country (by 2010, Japan was awarded as many Michelin stars as France, despite having half the number of Michelin inspectors working there).[383][384]
French wines are usually made to accompany French cuisine
French onion soup
Baguette often accompanies the meal
Some French cheeses
Crème brûlée
Popular sports played in France include football, judo, tennis[386] and rugby union.[387] France has hosted events such as the 1938 and 1998 FIFA World Cups,[388] and the 2007 Rugby World Cup.[389] France will host UEFA Euro 2016. The Stade de France in Saint-Denis is France's largest stadium and was the venue for the 1998 FIFA World Cup and 2007 Rugby World Cup finals. Since 1903, France hosts the annual Tour de France, the most famous road bicycle race in the world.[390][391] France is famous for its 24 Hours of Le Mans sports car endurance race.[392] Several major tennis tournaments take place in France, including the Paris Masters and the French Open, one of the four Grand Slam tournaments. French martial arts include Savate and Fencing.
France has a close association with the Modern Olympic Games; it was a French aristocrat, Baron Pierre de Coubertin, who suggested the Games' revival, at the end of the 19th century.[393][394] After Athens was awarded the first Games, in reference to the Olympics' Greek origins, Paris hosted the second Games in 1900.[395] Paris was the first home of the International Olympic Committee, before it moved to Lausanne.[396] Since 1900, France has hosted the Olympics on 4 further occasions: the 1924 Summer Olympics, again in Paris[394] and three Winter Games (1924 in Chamonix, 1968 in Grenoble and 1992 in Albertville).[394]
Both the national football team and the national rugby union team are nicknamed "Les Bleus" in reference to the team's shirt colour as well as the national French tricolour flag. Football is the most popular sport in France, with over 1,800,000 registered players, and over 18,000 registered clubs.[397] The football team is among the most successful in the world, particularly at the start of the 21st century, with one FIFA World Cup victory in 1998,[398] one FIFA World Cup second place in 2006,[399] and two UEFA European Championships in 1984[400] and 2000.[401] The top national football club competition is Ligue 1. France has produced some of the greatest players in the world, including three time FIFA World Player of the Year Zinedine Zidane, three time Ballon d'Or recipient Michel Platini, record holder for most goals scored at a World Cup Just Fontaine, first football player to receive the Légion d'honneur Raymond Kopa, and the all-time leading goalscorer for the French national team Thierry Henry.[402]
Rugby union is popular, particularly in Paris and the southwest of France.[403] The national rugby union team has competed at every Rugby World Cup, and takes part in the annual Six Nations Championship. Stemming from a strong domestic league, the French rugby team has won 16 Six Nations Championships, including 8 grand slams; and has reached the semi-final of the Rugby World Cup 6 times and the final 3 times.
Rugby league in France is a sport that is most popular in the south, in cities such as Perpignan and Toulouse. The Catalans Dragons currently play in the Super League, which is the top tier rugby league competition in Europe. The Elite One Championship is the professional competition for rugby league clubs in France.
In recent decades, France has produced world-elite basketball players, most notably Tony Parker. The French National Basketball Team won gold at the FIBA EuroBasket 2013. The national team has won two Olympic Silver Medals: in 2000 and 1948.
"In euro and USD terms, the total wealth of French households is very sizeable. Although it has just 1% of the world's adults, France ranks fourth among nations in aggregate household wealth – behind China and just ahead of Germany. Europe as a whole accounts for 35% of the individuals in the global top 1%, but France itself contributes a quarter of the European contingent.
France is the world's fifth largest exporter of goods (mainly durables). The country ranks fourth in services and third in agriculture (especially in cereals and the agri-food sector). It is the leading producer and exporter of farm products in Europe.
94 % des édifices sont catholiques (dont 50 % églises paroissiales, 25 % chapelles, 25 % édifices appartenant au clergé régulier)
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