出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/06/11 11:52:29」(JST)
「鏡」のその他の用法については「鏡 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
鏡(かがみ)は、通常、主な可視光線を反射する部分を持つ物体である。また、その性質を利用して光を反射させる器具を指す。鏡に映る像は鏡像といい、これは左右が逆転しているように見えるものの、幾何学的に正確に言えば、逆転しているのは左右ではなく前後(奥行き)である。なお、これらの鏡像の発生原因を、自分が鏡に向き合ったとき、自分の顔の左側から出た光線および顔の右側から出た光線が、それぞれ鏡に反射した後、それら両方の反射光線が、いずれも右目に入射する時の、両光線の相互の位置にて説明できるとする見解がある[1]。
古くは金属板を磨いた金属鏡が作られたが、現代の一般的な鏡はガラスの片面にアルミニウムや銀などの金属を蒸着したものである。他に、プラスチックやポリエステルフィルムの表面に金属を蒸着したものや、高級品では銀鏡反応を利用して薄い銀の膜を鏡に貼り付けた物などもある。
鏡台[2]、姿見[2]、壁掛け鏡[2]、卓上立て鏡[2]のような形態がある。
化粧のために手鏡を立てかける台、もしくは鏡を取り付けられた台を鏡台(かがみだい、きょうだい)と呼び、どちらも多くは化粧品などを納める引き出しが付いている。鏡を取り付けられた鏡台の場合、その鏡は手鏡よりは大きな鏡だが、姿見ほど大きくはない。
人が自らの全身を映す鏡を姿見(すがたみ)と呼び、主に身なりを整えたり、確認するために使う。多くは縦に長い長方形となっている。
手に持って使う鏡を手鏡と呼ぶ。
一般的な鏡は平面の形をしており、これを平面鏡という。これに対して表面がくぼんでいるものを凹面鏡、逆に突出したものを凸面鏡という。凹面鏡や凸面鏡は光を曲げることが出来るので、レンズの代用とすることが出来る。反射望遠鏡は凹面鏡を利用している。 また平面鏡は1方向からの像のみを写すので、立体の正面は見えても側面は写さない。このため、複数の鏡を組み合わせることも行われる。いわゆる鏡台は普通三面鏡になっている。
古くは、チャタル・ヒュユク遺跡から、黒曜石を磨いた石板の鏡が出土している[3]。続いて、金属板を磨いた金属鏡が作られ、多くは青銅などを用いた銅鏡であったが[4]、後に錫めっきを施されるようになった(表面鏡)。現代の一般的な鏡はガラスの片面にアルミニウムや銀などの金属のめっきを施し、さらに酸化防止のため銅めっきや有機塗料などを重ねたものである(裏面鏡)。
しかしながら、最初の鏡は、水溜りの水面に自らの姿形などを映す水鏡であったと考えられる。その後、石や金属を磨いて鏡として使用していたことが遺跡発掘などから分かっている。現存する金属鏡で最も古いものは、エジプトの第6王朝(紀元前2800年)のもの。以来、銅・錫およびそれらの合金を磨いたもの、および水銀が鏡として用いられる。
東アジアでは、中国の銅鏡史で、約4千年前の「斉家文化期(新石器時代)が古く、殷・周代を経て、春秋戦国時代になると華南地方を中心に大量に生産・流通することとなる[5]。中国鏡の日本への渡来は弥生時代中期から確認される[6](日本での金属鏡の始まりは前2世紀前後)。日本では、紀元前2世紀から後16世紀(弥生期から桃山期)までの約1800年間を「古鏡の時代」と区分・分類している[7]。
1317年にヴェネツィアのガラス工が、錫アマルガムをガラスの裏面に付着させて鏡を作る方法を発明してから、ガラスを用いた反射の優れた鏡が生産されるようになった。これはガラスの上にしわのない錫箔を置き、その上より水銀を注ぎ、放置して徐々にアマルガムとして密着させ、約1ヶ月後に余分の水銀を流し落として、鏡として仕上げるという手間のかかるものであった。
1835年にドイツのフォン・リービッヒが現在の製鏡技術のもととなる、硝酸銀溶液を用いてガラス面に銀を沈着させる方法(銀鏡反応)を開発し、以来、製鏡技術は品質、生産方法共に改良され続けてきた。
今日では、鏡は高度に機械化された方法で大量生産され、光沢面保護のための金属めっきや塗料の工夫により飛躍的に耐久性が向上したが、ガラスの裏面を銀めっきした鏡である点は19世紀以来変わらない。これは、銀という金属は可視光線の反射率(電気伝導率および熱伝導率に由来する)が金属中で最大のためである。現在では、ガラスを使う鏡の他に、ポリエステルなどのフィルムの表面に金属を蒸着し、可搬性や安全性を高めたものもある。
鏡の起源は人類と同じほど古い。最古のそれは水鏡(水面)に遡るからである。鏡に映る姿が自己であることを知るのは、自己認識の第一歩であるとされる。鏡によって、初めて人は自分自身を客観的に見る手段を得た。
鏡に映った自分を自分と認識できる能力を「自己鏡映像認知能力」と呼ぶ。自己鏡映像認知能力の有無は動物の知能を測るための目安となる。チンパンジーなどにおいては、鏡に映る姿を自分自身として認識し、毛繕いのときに役立てるという。チンパンジーのように鏡を利用するまで至らないが、自己鏡映像認知能力がある動物として類人猿のほか、イルカ、ゾウ、カササギ、ヨウム、ブタ等が挙げられる[8]。en:Mirror testも参照。
鏡に映像が「映る」という現象は、古来極めて神秘的なものとして捉えられた。そのため、単なる化粧用具としてよりも先に、祭祀の道具としての性格を帯びていた。鏡の面が、単に光線を反射する平面ではなく、世界の「こちら側」と「あちら側」を分けるレンズのようなものと捉えられ、鏡の向こうにもう一つの世界がある、という観念は通文化的に存在し、世界各地で見られる。
水鏡と黒曜石の石板鏡と金属鏡しかなかった時代・古代の哲学などにおいては、鏡像はおぼろげなイメージに過ぎないとされた。一方、近代になり、ガラス鏡が発達すると、シュピーゲル(ドイツ語)やミラー(英語)という名を冠する新聞が登場するようになる。これは、「鏡のようにはっきりと世相を映し出す」べく付けられた名称である。
鏡は鑑とも書き、このときは人間としての模範・規範を意味する。手本とじっくり照らし合わせることを鑑みる(かんがみる)というのも、ここから来ている。また日本語でも「鏡」と望遠鏡、拡大鏡などが同じ鏡という字を用いているし、英語のグラスもまた、ガラス、レンズだけでなく、鏡の意味も持つ。
『物原』に黄帝の次妃「嫫母(ぼぼ)[9][10]」によって石板鏡が発明されたとされている[11]。別称、丑女。丑姓[12]は、中国で、女カの氏族として知られている。
次に丑女のエピソードを紹介する。ある女性が桑畑で農作業中に蛇に咬まれて倒れると、毒が体に回らぬように手際よく処置している容貌の優れない女性の姿があった。ちょうどその様子を見ていた黄帝は、その容貌の優れない女性「嫫母」を娶った。あるとき「嫫母」は、石板堀りの手伝いに山へ連れて行かれると、どの女性よりも勝って20枚もの石板を掘り当て、照り輝く荒削りの石板に乱れた自分の像が醜く映るのを見た。そこで、「嫫母」は、その石板を研磨するよう磨ぎ師に命じて鏡を発明した。しかし、それでも容姿の優れない鏡を見て、石板の鏡のことはしばらく忘れていたのだが、他の石板の上で肉を焼いていると、突然石板が割れてその破片が顔に刺さってしまった。彼女は、慌てて再び石板鏡を取り出し、薬を塗っていると、その光景を見た黄帝は、彼女の鏡の発明を褒め称え、彼女の叡智を重用した。
嫫母について、『文選』所収の王褒「四子講徳論」では、倭の偉大な人として記されているが[13]、その誉れはその醜さをカバーする事ができなかったとも記している。
巡礼者自身をも映す黒石が、イスラム教の聖地であるメッカのカアバ神殿に安置されている。
日本の先住民族であるアイヌの女性は、シトキと呼ばれる丸い鏡を首から提げていたことが知られている。
なお、鏡を意味するシトキの称は、和漢三才図会巻十九にも見える。日本人の歴史としては比較的新しい時代に位置する天武天皇4年に、「しとき」という丸い餅を捧げることが定められたと記されており、そこには「しとき」を称して「御鏡是也」とある[14]。
天孫降臨では天照大神は「此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし」(この鏡を私だと思って大切にしなさい)との神勅を出していることから、古代から日本人は鏡を神聖なものと扱っていたと思われる。
古墳時代、邪馬台国の女王卑弥呼が魏の王より銅鏡(この時代を研究する考古学者にとっては、「鏡」という語はすなわち神獣鏡、三角縁神獣鏡などの銅鏡を意味する)を贈られた故事がある。これは、彼女がシャーマン的な支配者であったことと結びつける研究も多い。鏡は神道や皇室では、三種の神器のひとつが八咫鏡であり、神社では神体として鏡を奉っているものが多数存在する。また、キリスト教を禁止した江戸時代に、隠れ切支丹鏡という魔鏡が作られた。
また、霊力を特別に持った鏡は、事物の真の姿を映し出すともされた。地獄の支配者閻魔大王の隣に(もしくは伝承によっては彼の手に)は浄玻璃鏡という鏡があり、彼の前に引き出された人間の罪業を暴き出すという。
鏡が割れると不吉としたり、鏡台にカバーをかけた習慣は、鏡の霊力に対する観念が広く生活習慣の中にも根を下ろしていたことを示す。しかし近代化の中で、そういった観念は次第に薄らいでいるのが現状である。
日本においては、鏡の持つ神秘性を、餅や酒などの供物にも込めてきた経緯があり、現代でも鏡餅や鏡開きなどの習慣にその姿を見ることが出来る。
なお、鏡の語源はカゲミ(影見)、あるいはカカメ(カカとは蛇の古語。つまり蛇の目)であると言われている。
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水面を鏡にみたてたナルキッソスの逸話に始まり、古くから文学や絵画などの文化生産物にとって鏡のモチーフは重要であった。特にロマン主義と鏡の関わりは深い[15]。
現実に近い(左右などが逆なだけの)パラレルワールドとして描写されるほか、全くの別世界として登場する場合もある。
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