出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2014/06/26 13:28:54」(JST)
この項目では、現象としての透明について説明しています。
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透明(とうめい)とは、その先にあるものが透けて見えること。極端な場合には、そのものが存在しないかのように感じられる。
転じて、「透明な」「透明性」などの形で、比喩としてにさまざまな意味・文脈でも用いられる概念である。特に行政や企業の運営状況等の公開に関連して「透明性」の語が用いられる。
一般に「透明」とは光(可視光線)に対してのことを言う。そして光は電磁波の一種であるので科学的に一般化して、ある物質がある電磁波に対して「透明である」とは、その物質と電磁波との間に相互作用が起こらず、電磁波の吸収および散乱が生じないということを意味する。
ある物質が電磁波を吸収する場合、その物質は吸収した波長の補色に色づいて見える。例えば、葉緑素は赤色に相当する680–700 nmの波長の光を吸収するため、補色の緑色に見える。
また、ある物質が電磁波を散乱する場合にも、その物質は色づいて見える。散乱は物質が電磁波の波長と同等の単位構造をもつときに生じる。例えば水は可視光線を吸収しないためまとまった量では透明に見えるが、細かい粒子になると光を散乱するため不透明となる。霧や湯気が白くみえるのはこのためである。
したがって、透明であるかどうかという評価は、対象とする電磁波の波長を特定しないと行うことができない。窓ガラスなどは可視光線に対してはほぼ透明であるが、紫外線はあまり透過しないため、紫外線を感知する生物にとっては透明とはいえない。反対に、もしX線を感知する生物がいるとすれば、ヒトは半透明な生物として観察されるであろう。
なお、英語の名詞で「透明」は transparence であるが、透明性を表現する形容詞として transparent と translucent の二語がある。transparent は「(反対側のものがはっきり見えるほど)透き通っている」、translucent は「半透明の」という用いられ方だが、これら二語は単純に透明・半透明で区別されるべきものではない。前者は trans-(=through、通す・通る)にラテン語の parere(現れる)が組み合わされた語であり、透明たる対象を通過して全く同じ像や事象が立ち現れることを意味する。後者は同じく trans- にラテン語の luc-(明るい)もしくは lux(光)が組み合わされた語であり、光が透過することに重点が置かれる。従って、「透光性セラミックス」や「透過式スクリーン」等の表現には translucent が相応しい。
透明な生物は種々存在し、クラゲや魚(グラスフィッシュなど)、サボテンの内部組織などが挙げられる。人体の中では、透明なものに羊膜、角膜、水晶体、半透明なものとして爪があるが、皮膚科的には爪母が乳白色であるのに反し、爪が半透明であることが論じられた[1]。透明ということは、物質が特に密になっているもので、内部反射もない。もし空気があれば、そこから反射するので白っぽくなる。すりガラスに水を注ぐと反射がなくなり透明になる。薄いシャツなどを着て、水に濡れると内部が透けてみえるのはこの理由による。
透明な材料は製造に高い技術を必要とするため、人工的に純度が高いものや大きなものを作るのは難しい。しかし、科学技術の発展によって、さまざまな透明な素材が開発されるようになった。現在では水族館のガラスに使用されるアクリル樹脂や、光ファイバーに使用される石英ガラスなど、透明度が非常に高い素材が作られている。
ビッグバン理論によると、宇宙はできてからしばらくは不透明であった。
ある物質の透明さを評価する単位としては、湖沼の水質評価などの簡易的な目的で使用されるメートル (m) 、学術分野で使用される透過率や光学的深さ、光ファイバーなどを定量的に評価するために使用されるデシベル毎キロメートル (dB/km) がある。
湖沼などでの透明度は、直径30cmの白色円板(セッキー円盤)を水中に沈め、肉眼により水面から識別できる限界の深さを言う。どこででも簡単に測定することができるが、肉眼による測定であるため個人差が大きい。日本の湖でも透明度の高い摩周湖は、透明度約20mである。
ガラスなど、一般的な材料の透明度は、特定の厚さの材料での入射光と透過光の強度比を百分率で表した透過率で表す。透過率は対象とする光の波長によって異なるため、どの波長で測定したかを明記する。可視光線の場合、550nmでの透過率を基準とすることが多い。
光ファイバーなど、きわめて透過性の高い材料を評価するには、ある波長の光が物質中を1キロメートル進んだとき、どの程度の光が「損失」されたかをデシベルで表す。空気の透明度はほぼ0dB/km、アクリル樹脂で約100–200dB/km、普通の窓ガラスで約1000dB/km程度である[2]。
「透明になれたら」という空想は古来、洋の東西をとわず広く存在する。たとえば妖精やコロポックルが姿をかくす話、天狗の隠れ蓑の話など、民話では姿を隠していたずらや悪さをするものの存在が語られている。
近代になると、SFの世界において、H・G・ウェルズの『透明人間』のような架空のガジェットとしての「透明な存在」が発想され、以来、小説や映画でたびたび取り上げられる題材となった。
現実には、完全に透明な存在というのは不可能である。よくある指摘として、もし透明人間が存在したとすると、眼球が100%光を透過してしまうため理論上は目が見えないことになる、というのがある。見えるようにするためには、光を眼球で屈折させ、網膜で吸収させる必要がある。これらの組織を透明にすることができたとしても、光が屈折・吸収されているため、「そこに何かがある」ということがわかってしまう。
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