出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2016/01/30 16:50:20」(JST)
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童貞(どうてい、英: Virginity)は、性行為を経験していない男性を指す言葉。
現代の一般的な理解に照らせば、「童貞」という言葉は
のいずれかを指す[1]が、「挿入と射精がセットとなり、はじめて童貞喪失となる」「自慰行為を以って童貞喪失とみなす」などの見解も存在する[2]。また、安田徳太郎が『性科学の基礎知識』で実施したアンケートではたとえ幼少期の子供同士による遊戯接触であっても「本人が性行為の初体験」との認識をもっていれば、それを性交としてカウントする、としている[3]。
「童貞」という言葉は本来カトリックの修道女を意味しており、1874年に設立された横浜雙葉学園の前身としての「仏語童貞学校」[4]や、花村萬月の小説『ゲルマニウムの夜』[5]などにそうした意味での使用例が見られる。また、現在は『処女懐胎』と題されるアンドレ・ブルトンとポール・エリュアールが著した「L'immaculée conception」は、1936年発刊時は『童貞女受胎』とされるなど、聖母マリアを指す言葉としても用いられた[6]。英語における Virgin、Chaste の訳語として用いられたのは「貞潔」「廉潔」「童身」といった言葉であった。
1920年代に入ると童貞という言葉は宗教的な意味合いが薄まり、単純な「異性と未経験の状態」を意味する使用法が見られるようになる。1925年版の『広辞林』では「婦人又は男子が幼児の純潔を保持し、未だ異性と交遊せざること」と定義しており、男女の区別がなされておらず、また、人への用法ではなく、人が所持する所有物的な意味合いで用いられていた。1929年の浅田一の『童貞論』でも童貞状態にある人を指す場合は「童貞保持者」と呼称されている[7]。ただし、『言泉』(1921年)や澤田順次郎の論文「処女と童貞」(1927年)などのように、人を指す用法も少なからず存在している[8]。
童貞が人を指す用法としても一般化するのは1950年代以降で、また、主として男子を指す言葉として確立するようになる。1958年版の『広辞林』、1955年版の『広辞苑』などに「主として男性についていう」との言葉が追加された。こうした定義から明確に男子のみを指すようになるのは1970年代以降になってからのことである[9]。なお、『広辞苑』や『岩波国語辞典』などでは、現代でも「主として男性」との言葉があり、男女双方を指す用語として定義されている。
カエサルの著した『ガリア戦記』によれば、古代ゲルマン人の間では長く童貞を守れば身長が伸びたり、体力が優れていたり、筋肉が強くなったと信じられていたため、遅くまで童貞を守る者は賞賛されていた。その一方で、20歳になる前に童貞でなくなることは醜い恥の一つと見なされていた[10]。
戦前の日本では、1922年から1928年にかけて安田徳太郎および山本宣治が学生、インテリ層、労働者を対象に実施したセックス・リサーチにあるように、自他共の純潔を尊重し、結婚するまでは童貞を守るべきという風潮が強かった[11]。こうした貞操観念は戦後に入るにつれて次第に崩壊して行った。1948年に起こったいわゆる「童貞訴訟」と呼ばれる裁判において、新婚の男性が「共同生活の義務を履行せざる」として妻に対し童貞喪失の慰謝料を訴えた事案がある[12]。ここでの結論は「女子の貞操の喪失に対する社会的評価と男子の童貞の喪失に対する社会的評価を同一に評価することは法律上妥当しない」とされており、女性が持つ「処女」の価値観と男性が持つ「童貞」の価値観の乖離が見られるようになる。
1960年代に入るとこの風潮は一層強いものとなり[13]、批判的言説が繰り返されるようになると、それまで美徳と見られていた童貞は恥と見られるようになった[14]。もっとも、最近は価値観の多様化から、童貞を恥とは思わない者も増加しているようであり、童貞であること・童貞だと主張することが一種のファッションであると見る向き[誰?]もある。
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リンク元 | 「純潔」「virginity」「処女性」 |
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