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物質(ぶっしつ)は、
まず述べておかなければならないが、「matter(物質)」という概念は西洋での概念史を辿ってみると実は、あきれるほどの混乱を呈しており[2]、学者ごとに主張はバラバラで、互いに矛盾するような説明に溢れており[2]、それらのバラバラの見解がある一方向に向かってすっきり変化してきたわけでもない[2]。
ハロルド・ジョンソンによると、古代ギリシャでは物質は「本質的に不活性なもの」と見なす人がいたが、ビュヒナーやマルクス主義では「運動や活動と一体で切り離せないもの(つまり活性のあるもの)」と見なした[2]、 デカルトが「本質的に空間に延長する(空間を占める)もの」と見なしたのに対しライプニッツやボスコヴィチは物質を「延長の無い(空間を占めない)、エネルギーの中心」と見なしたし[2]、バークリーやカントが物質を「本質的に理解不能のもの(あるいは不可知のもの)」と見なしたが、ホッブズは「哲学にとっての唯一な明瞭な根拠」と見なしたし[2]、 デモクリトスが「その本質として永遠に現実的」と見なしたが、プラトンやヘーゲルは「可能態以上のものではありえないある種の存在」と見なした、といった具合である[2]。
その混乱ぶりがあまりにひどいので、それらの概念の共通点を見つけて表現しようなどと考えてしまうと、反対の概念が山ほどあることを見落としてしまう危険があるし、また、ある概念を他の概念に比べて不当に扱ってしまうことになりかねない[2]と、ハロルド・ジョンソンは指摘した。
現代でも物質というのは何か?というと、各専門ごとに次のように、著しく異なった説明(解釈)がなされている。(化学的に言うと)元素(原子)から構成される固体、液体あるいは気体の状態をとる存在を指す、ということになる。(「物質の元素は、さらに素粒子によって構成されている」などという解釈になる。)素粒子論では「素粒子の集まり」という解釈になる[1]。相対性理論では「エネルギーの一形態」という解釈になり[1]、量子論では「場」と説明される[1]。
なお、物質はあくまで宇宙を構成する諸存在のうちの1つである。物質と対置される存在は「非物質」と呼ばれ、空間、時間、情報を始めとして、多数存在する。(それらについては本項ではこれ以上の説明は行わない。詳細は「存在」の項を参照のこと。)
物質は変化、現象、出来事などと区別されることが多い。変化は物質に生じる1つの出来事、現象でありうるが、変化自体は物質ではない。ある現象やある出来事も、そこに物質が関与していることはあるが、それ自体としては物質ではない。物質はそうした現象や出来事が起こる場や対象のような位置を占めている。日本語ではこの区別は、物と事の区別、「モノ」と「コト」の区別として、日常的に用いられている。
この様に、観念的には物質の概念と存在概念と分離することは難しい。この様な観念論は、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」という観念論より派生しており、「物体を認識することが、すなわち存在である」と概念付けられる為に他ならない。存在と結び付けられた物質は、その性質(物性)以外にも哲学的な属性(記事 存在を参照のこと)が付加される。そして、物質に着目、執着する姿勢は「物質主義」と呼ばれる。また、そのような信念の持ち主は「物質主義者」と呼ばれる。
すなわち物質と対比されることのある概念として、心(精神、意識)、情報、エネルギー、空間などがある。
遠い古代の文化の中には、現代人の固定観念で接すると時にひどく驚かされてしまうほど“科学的”な物質制御の技術を所有しているものがあった[3]。たとえばメソポタミアでは紀元前3000年までに、液体の蒸留および鉱石の昇華用の 巧妙に考案された過熱ポットが用いられていた[3]。そしてそれからほどなくして、東地中海あたりには合金・ガラス・香料の製造技術が広がっていった[3]。つまり、具体的な技術の水準はかなり高かったのである。
技術は技術として、次に彼らの説明のしかたに着目してみると、この時代、物質の変化に関するもろもろの過程を当時の人々がどのように説明していたかと言うと、自然神や半神たちの人格的な関係、という神話のかたちで説明したのであった[3]。バビロニアには「七つの主天体」「七つの金属」「七つの人体部位」「七つの色」「(一週間の)七つの日」「魂の目覚めの七つの段階」といったそれなりに複雑な理論体系があったが、はたして現代の「物質」に相当するような概念がはっきりとあったのか? と考えると、そうとは言えず、現代の「物質」相当の要素は、経験の様々の要素・側面の一部として他と混然一体であったと言えよう[3]。
次に学術の世界でドイツ語で「フォアゾクラティカーVorsokratiker」と呼ばれているソクラテス以前の哲学者(紀元前6世紀ころ~前4世紀ころ)らがどのように考えていたかを見てみよう。彼らはさかんに自然について考察していたわけであるが、現代まで伝わっているのは基本的に、後の哲学者たちが書いた文章の中に含まれる断片的なテキストなので、彼らがどのように考えていたのか正確に知ることは難しい。彼らは深い思想をたたえていたようにも読めるが、伝えられたのが断片的な短い言葉であるがゆえにそういう印象を生んでいるだけなのか判断のつきかねる面もある[3]。
イオニア人たちは、αρχη アルケー を探求したが、このアルケーというのは現代ではぴったり一致する概念があるわけではないが、「原理」とも「起源」とも、知識理論の「公理」とも、物質世界の「(構成)単位」とも言えるようなものであったのかも知れない[3]。(アルケーの探求などと関連させて)「イオニア人たちはミュトス(神話)を超えてソピア(知)へと向かった」などと言われる。アルケーは、タレスが水と、アナクシメネスが空気と、ヘラクレイトスが火と言ったと伝わるが、それはそこに語られる水や空気や火が、生命・心・思考なども含めて全ての自然の諸現象を説明するのに充分なほどに精巧なものだ、とする見方を示している[3]。またアナクシメネスにおいては空気が「すべてのものがそこにおいて構成されている」といった性質のものとされていたことからすると、それは形而上学的な宇宙論へと連なるものであったともいえる[3]。こうした考え方は、現代では唯物論寄りのものと見なされることが多いが、その一方で彼らは物質的存在の内に生命力を見出していた[3]。
デモクリトスは原子論を、プラトンは有機体論を、アリストテレスは質料形相論を提示した[3]。これら、紀元前400年から紀元前300年ころにかけて提示された競合的な理論は、この時代にしてすでに、その後の時代の哲学や学問が見せることになるおおまかな輪郭をあらかじめ示しており[3]、これらの観念群は、その後 物質に関する知識が進展する中で、繰り返し現れてくることになり、大きな影響を与えることになった[3]。
デモクリトス(B.C 460-367)の原子論については「原子論」の記事に説明を譲ろう。
プラトンはイデア論を唱え、永遠不変なのはidea イデアである、としたのであるが、それに対して物質をどのように見なしたかというと、永遠に現実的なものではない、とした[3]。物質的なものは「いつも生成の過程の中にあって、真実にあるものではない」(『ティマイオス』27e-28a)としたのである。弁論術の方法と階層秩序を用いているイデア論は、部分によって全体を説明するのではなく、全体によって部分を説明する有機体論的な傾向を示している[3]。
イデアは普遍的、絶対的、永遠的、遍在的、可知的、調和的で完全なものであったのに対して、物質というのは特殊的、相対的、時間的、局所的で、混乱し、不協和で、欠陥のあるものであった[3]。
こうした見方をしていたにもかかわらずプラトンが原子的な構造についての仮説も述べていた(『ティマイオス』53c-58c)と知ると多くの人は驚く[3]。プラトンにおいては物質と空間は《受容体》として同一視された[3]。彼の原子的な理論は、物質と空間を同一視し、(材料ではなく)幾何学的構造を用いて説明されている[3]。彼はエンペドクレスの四元素とテアイテトスが確立した五つの正立体を同一視した。正四面体がひとつの「火原子」、正八面体が2個の「空気原子」、正二十面体が1個の「水原子」、だと考えた[3]。①正方形を半分にした三角形 ②正三角形の半分の三角形、 これらを組み合わせてできる幾何学的立体を用いて幾何学的な説明を行ったのである[3]。一個の水原子(=正二十面体)は2個の空気原子(=正八面体)および1個の火原子(=正四面体)になることができる、ということになる。物質の秩序に関してこれほどまで幾何学的な仮説が提示されているのは画期的なことである[3]。
プラトンの物質観でもうひとつ重要なのは《非在》という概念である。彼はイデアという永遠で完全に理解可能な原型を考えたわけであるが、だとするとその感覚的現れが多様なのは何によるものなのか? という疑問も生じるが、それを解決するために、《非在》がある(『ソピステス』241e)と述べる必要を感じたのであった。(デモクリトス同様に)充満する存在と対立する原理の必要性を感じたのである[3]。
なお新プラトン主義には「物質の慣性的受動性」という概念があるが、マックス・ヤンマーが「質量」概念の起源を探った時にたどり着いたのはその概念であった[3]。
世界が物質だけからなるとか、全ての物事は物質的作用として説明できると考える立場を唯物論などと呼ぶ。唯物論という単語は、マルクス主義のような思想や通俗的な信念を反映したものであり、通俗的な用法が多い。これとは異なり、複数の実体を根本原理とする実体二元論もある。 これ以前に、哲学の分野では、機械論自体が絶対的なものではなく、生気説も知られている。
物質もしくは物質的な対象が非存在であるとか、本質に対置される概念としての現象であるとする考え方もある。代表的な研究者としてバークリーの名を挙げることが許されるが、彼の哲学は主観的観念論の典型[4]であると看做される。懐疑論や不可知論、生気説も哲学の分野では、現代でも主題になる。
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物質の基本的性質である物性を研究する自然科学の分野が物理学と化学である[要出典]。 ドルトンは原子説を提唱し、アボガドロは分子説を提唱した。
物質は質量と体積により人に認識されてきた[要出典]が、ラボアジェによる質量保存則の確立以来、質量が物質を特徴づける本質的な量と考えられるようになった。素粒子も質量をもつゆえに物質と考えられることになる。光や熱などのエネルギーは質量を持たず、物質とは別のものと考えられていたが、アインシュタインは相対性理論で、質量とエネルギーに等価性があるとして扱うことを提唱した。
物質は置かれた条件により種々の相転移を起こす。特に分子や原子が集まって構成された通常の物質は「物質の三態」(固体・液体・気体)と呼ばれる3つの状態をとる。次にこれらの状態変化を挙げる。
[要出典]
物理学(Physics)と化学(Chemistry)の境界は明確ではないが、化学変化による現象を研究するのが化学であり、それ以外の物質的現象を研究するのが物理学であるとも定義できる[要出典]だろう。現代的自然科学の観点では、化学変化とは原子間の結合組み替えが起きる変化である。それに対して原子間の結合組み替えは起きない分子同士の位置変化のみによる変化が物理変化である。典型的な物理変化には、物体の変形、融解や蒸発などの状態変化がある。物理変化を引き起こす要因には力と熱があり、それぞれ力学と熱力学の対象である。多くの場合、化学変化は物理変化よりも大きなエネルギーを必要とする。化学変化は化学反応とも呼ばれる。
19世紀末に発見された放射能のような原子核反応、さらにその後発見された多数の素粒子相互の変換は化学変化よりも大きなエネルギーを必要とし、古典的な物理変化とは別の現象だが、これらの現象の研究は物理学として分類されている。
個別の物質の状態変化や熱力学の研究のような、物理学と化学との境界領域の学問分野を物理化学(Physical chemistry /Chemical physics)と呼ぶ。
次に化学変化の例を挙げる。
単に複数の物質を混合した場合は物理変化と見なされる。特に粒子同士の混合や懸濁液の調製、またはその逆の分離、は明確に物理変化と見なされる。だが分子レベルの混合の場合には化学変化を伴う場合もあり、化学変化とも物理変化とも断定しにくい場合もある。
次の例は典型的な物理変化である。古代以前から、これらの変化では材質が変化しないと認識されていたと考えられる。
次の例は、物の性質の一部が変化するが現在では物理変化と認識されているものである。
物質を化学的概念で分類する場合、化学物質と言い表される。
物質が単一の主たる成分(化学物質)で構成される場合は「純物質」、複数の主成分から構成される場合は「混合物」と呼ばれる。なお、純物質の微量副成分は不純物と呼ばれ、不純物と混合物とは存在比の程度の差であり、その境界は曖昧である。
物質の成分が同一であっても化学構造の違いにより異なる化学物質となる。
構成する原子の核種が異なるものを「同位体」と呼ぶ。同位体は化学的性質は同一で物性もほとんど同一である為、同位体は化学物質の違いとしては通常は区別しない。放射線に関する物性など特定の用途に用いる場合はどの同位体であるかを区別する。
物質は通常、巨視的には電荷を帯びていない。化学変化により永続的な電荷をもつ原子・分子を「イオン」と呼ぶ。イオンは正と負とでイオン対を形成し、見かけ上は電荷を帯びていない状態で安定化している(高温化において原子核と分子との結合が乖離した状態が「プラズマ」)
物質は、ビッグバンにより始まったエネルギーの形態分化の枝の1つを成している。
ビッグバン仮説によれば、ビッグバンにより始まったエネルギーは、やがて素粒子を生み出し、素粒子が結合して原子となる。宇宙初期には水素やヘリウムといった最も軽い元素が作られたと考えられている。これらの軽元素からなる雲は重力の影響により原始星を通じて恒星となる。より重い鉄や珪素、我々の体を構成する炭素や窒素などの元素は恒星内部での核融合反応で生成し、超新星爆発により恒星間空間にばらまかれた。また、鉄より重い元素は超新星爆発時に生成したと考えられている。
物理学では、現存する物質とある種対称的な性質を持つ物質を反物質と呼ぶ。物質は反物質と衝突すると対消滅を起こし、通念の "物質" としては消滅し、質量がエネルギーとなって何らかの形で放出される。(比較的身近な例では「ポジトロン断層法」、「陽電子」の項が参照可能)
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ヘパリン類似物質ゲル0.3%「アメル」
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