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正露丸(せいろがん)は、医薬品で日局木クレオソート(別名日局クレオソート)を主成分とした胃腸薬(止瀉薬)である。旧称は征露丸。『正露丸』(もしくは『セイロガン糖衣A』)は大幸薬品の登録商標であるが、類似品が多く訴訟に発展したこともある。
日局木クレオソート(にっきょく・もくクレオソート)を主成分とする一般用医薬品。製造するメーカーや製品によって、多少の配合の違いがある。
正露丸の名称は、大幸薬品の登録商標であるが、普通名称化したとの判決が1974年と2008年の二度にわたり最高裁で確定しており、どの会社が「正露丸」を商品名として使用しても本商標権の効力は及ばず、権利侵害にはあたらない。よって、ラッパのマーク(大幸薬品の製造・販売)でない正露丸も多数存在する(和泉薬品工業、富士薬品、大阪医薬品工業、常盤薬品、キョクトウなど)。
大幸薬品の正露丸CMで使われているラッパ曲は、旧陸軍で信号ラッパを用いて伝達用に吹奏されていた「喇叭(らっぱ)譜・食事」(通称・食事ラッパ)。現在でも自衛隊で「喇叭譜」は用いられているが、CMで使用されている旧陸軍のものとはメロディが異なっている。なお、商標法の改正によって従来登録が不可能だった「音」についても商標登録が可能となったことから、2015年4月1日、大幸薬品はラッパ曲を商標登録出願した。
「効能」は以下の通りである。
成分・分量(成人1日量中・配合はメーカーによって多少の差異がある)。
大幸薬品社製『正露丸』の例
和泉薬品工業社製『イヅミ 正露丸』の例
松本製薬工業社製『松葉 正露丸』の例
日本医薬品製造社製『元祖 征露丸』の例
※ロートエキス[2]と緑内障については緑内障の項を確認のこと。
正露丸の成り立ちは、1830年にドイツ人化学者カール・ライヘンバッハが、ヨーロッパブナの木から木クレオソートを蒸留したことが起源となる。当初は化膿傷の治療に用いられ、後に防腐剤として食肉の保存などに使用され、更に殺菌効果を期待して胃腸疾患に内服されるようになった。日本には1839年長崎の和蘭商館長ニーマンにより持ち込まれ、1856年刊の薬物書には木クレオソートを「結麗阿曹多(ケレヲソート)」と記した記載が見られる。また、1866年刊の「新薬百品考」には、結麗阿曹多の製法、効能、用法が簡潔に記載されている。
1902年、大阪の薬商中島佐一薬房は「忠勇征露丸」の売薬免許を取得。木クレオソート丸剤に「忠勇征露丸」という商品名がつけられた。
一方、日清戦争において不衛生な水源による伝染病に悩まされた帝国陸軍は、感染症の対策に取り組んでいた。陸軍軍医学校の教官であった戸塚機知三等軍医正は、1903年にクレオソート剤がチフス菌に対する著明な抑制効果を持つことを発見した。
ドイツ医学に傾倒していた森林太郎(森鷗外)ら陸軍の軍医たちは、チフス以上に多くの将兵を失う原因となった脚気もまた、未知の微生物による感染症であろうという仮説を持っていた。そのため、強力な殺菌力を持つクレオソートは脚気に対しても有効であるに違いないと考えて、日露戦争に赴く将兵にこれを大量に配付し、連日服用させることとした。ちなみに、明治34年の陸軍医学雑誌ではクレオソート丸と記載されていたが、「明治三十七八年戦役陸軍衛生史」によると「戦役ノ初メヨリ諸種ノ便宜上結列阿曹篤ヲ丸トシテ之ヲ征露丸ト名ケ出世者全部ニ支給シテ(以下略)」服用を命じた記録が残っており、従来の「クレオソート丸」を「征露丸」と名づけ、使用していたことが窺える。日露戦争後にクレオソート丸に名称が戻るまで4年間のみ「征露丸」として広く軍医の間で使用された訳である。「征露」という言葉はロシアを征伐するという意味で、その当時の流行語でもあった。
しかし、まだ予防的投薬という概念も一般には浸透していない時代のことであり、特異な臭気を放つ得体の知れない丸薬は敬遠されて、なかなか指示通りには飲んでもらうことがなかった。そこで軍首脳部は一計を案じ、その服薬を「陛下ノゴ希望ニヨリ」と明治天皇の名を借りて奨励することとした。この機転によって、コンプライアンスは著しく向上し、下痢や腹痛により戦線を離脱する兵士は激減したといわれる。しかし、当然のことながら軍医の期待した、脚気に対する効果は一向にあらわれなかった。戦意高揚を重視してビタミンに欠ける白米中心の美食(当時としては)にこだわった陸軍は、日露戦争においても全将兵のおよそ3人に1人に相当する25万人が脚気に倒れ、27,800人が死亡した。一方で海軍は、早くから脚気が栄養障害に起因する疾患であると見抜き糧食にパンや麦飯を採用し、脚気による戦病死者を一人も出していない(当時はビタミンBが未発見であり、世界に先駆けて脚気の栄養不足説を裏付ける結果となった)。
このように、脚気に対してはまったく無力であったものの、征露丸の止瀉作用や歯髄鎮静効果は、帰還した軍人たちの体験談として多少の誇張も交えて伝えられた。また、戦勝ムードの中で命名の妙も手伝い、「ロシアを倒した万能薬」は多くのメーカーから競い合うように製造販売され、日本独自の国民薬として普及していった。
また、その薬効のあらたかなるところは戦前の日本勢力圏においては広く知れ渡っている。現在もなお台湾(中華民国)や中華人民共和国などアジア諸国からの渡航者の土産物として珍重されているという。
軍の装備品としての配給は、日露戦争終結後の1906年に廃止されたが、その後も継続して常備薬として利用されてきた。2007年には、自衛隊の国際連合ネパール支援団派遣時の装備品として大幸薬品のセイロガン糖衣Aが採用されている。
日露戦争ならびに第二次世界大戦終結後、国際信義上「征」の字を使うことには好ましくないとの行政指導があり、「正露丸」と改められた。しかし、奈良県の日本医薬品製造株式会社だけは、現在も一貫して「征露丸」の名前で販売を続けている。
1954年に、業界第一位で中島佐一の「忠勇征露丸」製造販売権を継承する大幸薬品(大阪府吹田市)が「正露丸(セイロガン)」の名称の独占的使用権を主張し、商標登録を行った。これに対して、クレオソートの製法を独自開発し、物資不足の第二次大戦中も軍に征露丸の納入を続けた和泉薬品工業などが反発し、1955年4月に特許庁に無効審判を請求。しかし、特許庁が1960年4月に申立不成立(つまりは登録維持)の審決を下したことから、東京高等裁判所に審決取消訴訟を提起。東京高裁は1971年9月に「『正露丸』の語、おそらく本件商標登録当時、クレオソートを主材とした整腸剤の一般的な名称として国民に認識されていたものというべき」と判断し、特許庁が下した審決を取り消す旨の判決を下した。この判決は1974年3月に最高裁で確定した。
この判決を受け、特許庁は1975年10月、「正露丸(セイロガン)」の登録無効の審決をし、この商標は無効となったものの、セイロガンの振り仮名のない「正露丸」の商標は現在も大幸薬品が保有している(1959年12月登録、登録番号第545984号)[注釈 2]。
2005年11月に、パッケージが類似した商品を販売することが不正競争防止法2条1項1号又は2号の不正競争行為に該当すること、及び、「正露丸」商標の使用が商標権侵害に該当することを理由に、大幸薬品が和泉薬品工業を相手取って、製造販売の差し止め、及び、損害賠償を求める裁判を大阪地方裁判所に起こした(平成17年(ワ)第11663号)。2006年7月27日、大阪地裁は請求を棄却。大幸薬品はこれを不服として、同年8月7日、大阪高等裁判所に控訴したが、大阪高裁も一審判決を支持。さらに上告したものの、2008年7月4日に最高裁第2小法廷で上告不受理となり、敗訴が確定した。
この判決では、正露丸が普通名称であることが再確認された。ただし、判決においては「ある表示が普通名称であるか否かは,もっぱら需要者(取引者及び一般消費者)の認識に関する問題であるといえるから,ある時期において普通名称であるとされた表示であっても、その後の取引の実情の変化により特定の商品を指称するものとして需要者に認識され,出所表示機能を有するに至る場合があり得ないわけではないというべきである。」として、一度普通名称化したと判断されてとしても、取引の実情の変化によって、再度出所表示機能を獲得する可能性がありうることを認めた。そして、判決では「正露丸」という語が、取引の実情の変化により出所表示機能を獲得し、大幸薬品の商品表示を指称するものとして一般消費者に認識されるに至ったかどうかが検討されている。
正露丸の主薬として用いられている「木クレオソート(日局木クレオソート)」は、古くはクレオソートの名称で知られ、日本薬局方の初版から収載されていたが、第十五改正第一追補[3]より、木クレオソートを正式名称とし、クレオソートは別名となった。また、第十五改正第二追補において、製法・成分の異なる石炭由来のクレオソート油[注釈 3]と区別された。現在では、「日局」をつけて「日局木クレオソート」と呼ばれている。
このように名称が分けられた原因としては、過去のクレオソートに関する論争がある。
雑誌週刊金曜日連載の商品の安全性に関するコラムをまとめたブックレット「買ってはいけない(1999年刊行)」の中で、木クレオソートとクレオソート油を混同したまま「枕木や電柱に使われる防腐剤を医薬品に用いるのか」と工業用クレオソート油のもつ毒性で正露丸に対する中傷が行われた。
これに対して名指しで批判された代表的な正露丸メーカーである大幸薬品は、正露丸に使われる木クレオソートと防腐剤などに使われる工業用クレオソートが根本的に違うことを示し、内容の訂正と出版された本の回収を求める事態となった。
この指摘に対して週刊金曜日上において訂正記事が掲載された[注釈 4]ものの、三好基晴は、「木クレオソートだから安全とも言えません」と全面的な撤回はせず、その後に発行された第16刷でも「植物性だからといって安全とは言えない。クレオソートは劇薬である」と主張。
木クレオソートと判明した後も、それがなお危険だとする論点は以下のとおりである。
これらの主張に対して大幸薬品ではウェブサイトにおいて、日局木クレオソートが下痢症状に対して実際に作用するメカニズムや、発がん性がないこと、他に有名な止瀉薬の成分であるロペラミドと比較した場合の優位性を掲載している[4]。
主成分である日局木クレオソート(木クレオソート)は、医療用医薬品としては歯科領域における鎮痛鎮静や根管の消毒用としてのみ許可されている。一方、一般用医薬品としては、下痢、消化不良による下痢、食あたり、はき下し、水あたり、くだり腹、軟便の効能が許可されている。木クレオソートは一般用医薬品として使用する場合の服用量では、殺菌作用よりむしろ腸内の過剰な水分分泌を抑制することと大腸の過剰な運動を正常化させることが明らかになってきている。
実際に腸炎で入院した患者を調べたところ、大腸の内壁に正露丸が付着し、炎症が起こっていたという症例報告[注釈 5]もあるが、この指摘を受けて現在の大手メーカーの正露丸錠は粘膜に付着しにくいように細粒化されたり、糖衣錠を販売している[要出典]。
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