出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2014/11/24 01:28:06」(JST)
指紋(しもん)は指先の皮膚にある汗腺の開口部が隆起した線(隆線)により出来る紋様。またはこの隆線の形作る模様が物体の表面に付着した跡。
人や指ごとに「紋様」は全て異なり、終生不変という特徴を持つと言われている。また、掌紋や足紋(足の裏の紋様)も同様の特性を持っており、これらを総称して皮膚紋理と呼ぶ。
遺伝子が同じ一卵性双生児同士であっても指紋は異なるが指紋の特徴は遺伝するものであり、人種や地域毎に紋様の出現比率が異なる。日本人の中で最も多く見られる紋様は渦状紋である。
遺伝病である先天性指紋欠如疾患(en:Adermatoglyphia)や、ネーゲリ症候群(en:Naegeli–Franceschetti–Jadassohn syndrome)、網状色素性皮膚症(en:Dermatopathia pigmentosa reticularis)等の発症者は指紋が無いという特徴を持つ[1]。歌舞伎症候群の発症者は蹄状紋増加等特徴的な指紋を有する[2]。
台湾では5世代に亘って先天的に両手両足の指紋が無い一族が発見された。ただし刑事局は溝が浅く肉眼では見えないだけで識別器では判別できるとしている[3]。
個々人で紋様が異なるという特徴から指紋は犯罪捜査や個人認証として利用されている。日本では1908年(明治41年)の司法官僚である平沼騏一郎の報告書に基づいて、1911年(明治44年)に警視庁が指紋制度を採用した。日本においては、江戸時代より「証文における署名・捺印」と同じ意味を持つ物として拇印が採用されていた。即ち、日本は昔から「指紋による個人特定」を認識していたと言える。
渦状紋
蹄状紋
弓状紋
イギリスの医者、植物学者、顕微鏡学者ネヘミヤ・グルーは1684年に指と手のひらの溝構造に関する最初の論文を発表した。1685年にはオランダの解剖学者ゴバルト・ビドローとイタリアの医者マルチェロ・マルピーギは溝構造の解剖学的特徴に関する本を出版した。1788年にドイツの解剖学者ヨハン・マイヤーは指紋が個人の識別に有用だと指摘した。1823年にプリスロー大学の解剖学者ヤン・プルキニェは9種の指紋のパターンについて議論したが、個人の識別には言及しなかった。1853年にドイツのゲオルグ・フォン・マイスナーは指紋と摩擦の関係について研究した。1880年に天文学者ジョン・ハーシェルの息子ウィリアム・ジェームス・ハーシェルはインド総督府に在籍中に世界で初めて指紋の採取を行った。
イギリス人のヘンリー・フォールズ (Henry Faulds) は、1880年にイギリスの科学雑誌ネイチャーに、指紋に関する研究論文を発表した。フォールズは宣教師として1874年に来日し、現在の東京都中央区築地に居を構え、キリスト教の布教を行うと共に健康社(現在の聖路加国際病院)という医院を開設し医療活動に従事した医師でもあった。
彼は日本人が拇印を利用して個人の同一性確認を行っている事に興味を持った。また1877年にモース博士により発見された大森貝塚から出土した数千年前の土器に付着した古代人の指紋が現代人のものと変わらない事に感銘を受け、指紋の研究を始めたといわれている。フォールズの研究は日本滞在中に行われ、発表も日本からイギリスへ論文を発送して行われている。このためフォールズの居住地跡には彼の業績を記念して「指紋研究発祥之地」の記念碑が建てられている。
1892年にフランシス・ゴルトンは指紋の分析と識別に関する詳細な統計モデルを公表し、著書『フィンガープリント』で法科学に使用するよう提唱した。ゴルトンの指紋研究を学んだアルゼンチンの警官ファン・ブセティッチは初めて犯罪捜査に指紋を利用した。彼はフランシス・ロハスが犯行現場の血痕の中に残した指紋が彼女の物以外ではあり得ないと示し、ロハスは殺人で有罪となった。1897年にインドで初めて指紋を扱う部局が設置され、指紋が犯罪記録の管理に用いられた。1901年にはこの制度がスコットランドヤードにも持ち込まれ、イングランドとウェールズで指紋を用いた犯罪捜査が始まった。
ウィリアム・ジェームス・ハーシェル
ヘンリー・フォールズ
フランシス・ゴルトン
アルミニウムの粉末などを用いる。
比較する資料それぞれの内、まず遺留指掌紋の対象となる指紋中の線が時計回りに見て始まっている点「開始点」と止まっている点「終止点」、線が分かれる点「分岐点」と線が交わる点「接合点」(これらを特徴点という)が鮮明に確認出来る部位を8点以上抽出する。 次に対象者の指掌紋から同じ部位の特徴点を抽出する。その後双方の特徴点の位置と方向を比較して一致点と矛盾する点が無いことの確認をする(尚、特徴点と特徴点の間を横切る隆線の数「リレーション」を加味する事で、より精度の高い鑑定が可能となる)。
刑事事件における、警察庁の判定基準は原則として12点以上の特徴点の一致である(但し、車輌や対象者の容姿等のビデオ記録や目撃情報がある場合には、これらの証拠との組み合わせにより、12点未満であっても立件するための証拠能力を持つ場合もある)。
近年のバイオメトリクスの発達により、指紋についてより多くのことが知られるようになったが、別人の指紋なのに同一指紋と認識してしまう率(誤受入率)は実測で10万分の1程度ある。
公的機関による指紋採取に関しては人権保護の観点から議論の対象となっている。軍や警察に所属する際には指紋を登録する場合が多い。
日本ではかつて外国人登録の際に指紋の押捺・提出が義務付けられており人権侵害として批判されていた。人権侵害は表向きの理由で、実際には日本における北朝鮮の諜報活動を容易にするためではないかと疑われていた[5]。その後1980年代から1990年代にかけて指紋押捺の義務は緩和されて行き、1999年には永住者、特別永住者だけでなく全ての外国人に対して撤廃されたが、2007年の出入国管理及び難民認定法により、特別永住者を除く16歳以上の外国人に入国時の指紋押捺と顔写真の撮影が再び義務付けられた。
アメリカ合衆国はアメリカ同時多発テロ事件以降に安全保障の強化を目的として、入国時における顔写真撮影と指紋採取を義務付けるUS-VISITを導入した。ブラジル政府はこの方針への対抗処置としてアメリカ人観光客に対して指紋採取を求めるなど外交問題に発展した[6]。日本でも2007年11月20日から入国審査で指紋採取・顔写真撮影を義務化するJ-BISが導入された[7]。初日には過去に不法滞在などで強制送還となった人物など5名が入国を認められなかった。韓国では1968年の北朝鮮の武装工作員らによる青瓦台襲撃未遂事件の後、北朝鮮の諜報部員対策として、外国人は一律十指の指紋を登録する事を義務付けていたが、2003年康錦實(カングムシル)当時法務長官により、人権侵害の恐れがあるとして外国人登録法案の改定が進まれ、2004年に一旦は撤廃された。しかし、テロ対策などから再び法律が改正され、外国人登録の際の指紋登録が復活し、2012年1月1日からアメリカや日本と同様に入国する全ての17歳以上の外国人に対して指紋採取と顔写真撮影がおこなわれる[8]。
これらの入国審査に際しての指紋採取については人権団体から批判が集まっている。
指紋を用いた生体認証の技術は普及が進み、現在ではパソコンなどに接続して用いる各種専用機器や専用の金庫も市販されている。
タッチパネルを用いた電子機器においては指紋の付着によって視認性が低下しないようにするための耐指紋あるいは防指紋の専用フィルムが市販されている。
ゴリラやチンパンジーを含め多くの霊長類に見られるように湿潤な状態で物を掴んだり登ったりするような生活様式を営む動物種は独自に指紋を発達させてきた。オーストラリアに生息するコアラや北米に生息する水棲哺乳動物でありイタチ科イタチ属の一種であるフィッシャーでも指紋が認められる[9]。ある研究によると、ヒトとコアラの指紋は電子顕微鏡を用いても判別が困難であるという[10]。
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