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園芸(えんげい)
園芸とは、本来「園藝」と書き、「藝」は「植える」こと、つまり園藝は「(植物を)園に植える」という意味であり、「農業」とは別のもので、古くは中国明代の文献にあらわれる言葉である。どの分野に関わるかによって園芸の定義、範疇は一定していない。また「藝」の字は本来「植える」という意味だが、その簡略字「芸」が当用漢字となり別字「芸(ウン・水草の一種)」とまったく同じになってしまったので、一部に誤解も生じている。
園芸とは、文化的視点から見ると、植物を絶対的な素材とした美的文化、芸術である。
文化的に見ると、園芸には農業の範疇に入らない要素も少なくない(例えばあくまでも「美」が追求されてきた鑑賞園芸、つまり古典園芸植物、盆栽、フローリスツ・フラワー[要出典]、その他マニア的、趣味的な園芸)。そこで特にこのような鑑賞園芸(これが日本でいう本来的な「園芸」である)のみを「園芸」と呼んで農業、造園から独立した美的文化、あるいは芸術のひとつとし、果樹園芸、蔬菜園芸などの「生産園芸」はあくまでも農業の範疇を出ずそこに帰するものとして区別すべきと考える人も多い。つまりここでいう園芸とは「食用・実用以外の、鑑賞を目的として植物を栽培する文化」ということになる。
このような園芸を、農業の一分野として園芸をとらえる考えからは「家庭園芸」「趣味園芸」などとして括られることが多い。確かにそういった側面も強くあるが、それだけでは説明のつかない部分も少なくない。音楽等の芸術も、趣味や家庭との連続的なつながりを持っている。
そもそも欧米において園芸と造園術は未分化の部分があり、日本の「園芸」を考えた場合、英語の gardening にそのまま当てはまらない部分も多い。例えば造園において植物は重要ではあっても必ずしも絶対的な構成要素ではなく、禅寺の石庭のように植物をまったく使用しない庭園もあり得る。しかし植物を使用しない園芸はあり得ない。
歴史的に見ると、古代においては園芸は農業となんら変わるものではなかった。つまりもともと食糧や実用として栽培されていた植物を、次第に視覚や嗅覚の充足のため、つまり実用と食欲以外の人間の精神的欲求を満たすために栽培するようになったことが園芸の始まりであろう。やがて都市が発達するとともに、建築と合わせて庭園が生まれ、園芸はそこに取り込まれ、長い間庭園術の支配下に置かれた。しかし、「育種」によって園芸植物に品種が多くなり、庭園よりもより個々の植物に視点が集中したり、植木鉢の登場によって園芸植物を庭園から切り離すことが可能になると、園芸は次第に農業の範疇や庭園術の束縛から離れて、一つの文化として成り立つようになる。日本においてはそれが特に顕著に見られ、江戸時代になると園藝が非常に発達するが、当時は「樹藝」あるいは「農藝」という語が普通であり、すでに農業の一分野というよりも芸道、または娯楽のひとつとしてとらえられていた。日本最古の園芸書である「花壇綱目」(水野勝元著・1681年 {天和元年} 刊)にも、園芸を武道や詩歌、音楽などの諸芸道と同等の存在として列する著述がみられる。その後キク、ツツジ、サクラソウ、アサガオ、ハナショウブ、ツバキ、マツバラン、オモト、長生蘭、富貴蘭などの育種や盆栽の技術が進み、これらを美術品のように扱うのが当たり前になり、更なる美が追求されると共に園芸はますます芸道化され、新品種が高額で取引されたり、同好者たちの間で家元制的な組織も生まれた。このような例は日本のみならず英国のフローリスツ・フラワーにも見られる。[要出典]また、中国では宋の頃からシュンランの栽培にあたって文人思想が反映されるなど、園芸においては植物の栽培、育種に人間の精神性が要求されたり、時代ごとの思潮や美意識が反映されてきた。
明治以降、欧米から近代農業の一分野としての「生産園芸」が流入すると共に、Horticulture、Gardening の訳語として「園藝」が定着したものの、その範疇が日本の実情に必ずしも整合、合致せず、以後定義に混乱が生じている。特に園芸が農業の一分野という考えには反論、異論も多い。例えば、明治から大正にかけて活躍した園芸家、辻村常助は「園藝の意義と其範圍」で、「園芸=芸術」論を展開している。
園芸(horticulture)とは、園芸学的には農業の一分野であり、果樹の生産(果樹園芸)、野菜(青物とも言う)の生産(蔬菜園芸)、花卉[1]の生産(花卉園芸)などをすることである。都市の近郊などでは鮮度が求められる蔬菜園芸が盛んである。また、ビニールハウスなどを用いて生産時期を調整できるなど、生産技術を発揮できる農業であるともいえる。
文化としての鑑賞園芸と、産業としての生産園芸に分けられる。
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美的文化としての鑑賞園芸とは、植物を育種、栽培し、生きた植物の花の色や形、芳香をはじめ、葉や実、そして全体の姿、また植木鉢との調和や集団の姿、あるいは多数の植物の組み合わせを鑑賞し、美を見いだす行為、あるいは育種や栽培を通じて美を表現する行為である。いけばな、フラワーデザインに似ている部分もあるが、単に空間的、瞬間的なものだけでなく、栽培を通じて植物の生長という時間的な変化そのものをも鑑賞の対象とする。その意味ではむしろ舞踊に似た美的文化と言える。また単に趣味、娯楽としても広く行なわれる文化の一つである。
鑑賞園芸は、本来植物が持っている美に加え、次の三つの人為的な創造行為で成り立っている。
ジャンルによってこれらが関係する割合は異なるが、さらに天候など自然の関与が加わり、美の表現が完成される。必ずしも造園術の関与は必要としない。
以下は鑑賞園芸のジャンルである(栽培育種の歴史の長いもの、数多くの品種があるもの、多くの愛好家や愛好団体が存在するもの。重複あり)。
産業、農業の一部としての園芸。
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