出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2014/12/08 11:20:19」(JST)
医師(いし)とは、医療および保健指導を司る医療従事者。医学に基く傷病の予防、診療および公衆衛生の普及を責務とする。
今日の日本では、一般に「お医者さん」「医者」「ドクター」「先生」と呼ばれるが「医師」という名称が確立されて一般に広く使われるようになるのは、明治以後のことである。
米国では伝統的に医師は英語で「Physician」と称される。また、専門分野ごとに「内科医 (Physician)」と呼ばれたり「外科医 (Surgeon)」と呼ばれたりもする。欧米で医師の一般名称「Physician」に対して外科医だけが「Surgeon」と呼ばれている理由は、中世より「内科学」=「医学」とされており、「内科医」=「医師」であったことによる。「外科医」の仕事は初期の頃は理容師によって行われ、医療補助職として扱われており、現在での義肢装具士や理学療法士等のような存在であったことから、別の名称があてられることになった。すなわち医師である内科医が診察診断を行いその処方に基づいて理髪師(外科医)が外科的治療を薬剤師が内科的治療(投薬)をそれぞれ行うという建前であった。しかし時代が進むにつれ外科医も薬剤師も独自に治療を行うようになり彼らも医者とみなされるようになっていった。その他に、フランス語ではMédecin(メドゥサン)、ドイツ語ではArzt(アルツト)である。
また、博士の学位を持っていない医師までも「ドクター (Doctor)」 と呼ぶことは、日本、英国、オーストラリア、ニュージーランド、等で行われている。ただし、英連邦諸国では、外科医は、学位にかかわらず、今日なお「ミスター」で、「ドクター」とは呼ばない。本来なら「マスター (Master) =修士」のさらに上にある学位の名称である「ドクター (Doctor) =博士」が、転じて医師の名称としても用いられるようになったのは、「医師制度」の発展してきた歴史的背景および免許取得過程上要求された学位が関係している、とされている。
一般に、適切な診療能力を持たず、治療にならないことをしたり誤診をしたり医療過誤を引き起こしたりする医師は藪医者(Quack)と呼ばれている。
古代には病気というものに対して悪魔や神によるもの等と信じられていたため「医師」という職業は世界各地で現在でも宗教と密接に関わっているものが多い。
西洋において「医」の象徴とされているのはギリシア神話に登場するアスクレピオスである。アスクレピオスの杖はWHOを含めて世界各国で「医」の象徴として用いられている。しかし、古代ギリシアにおいて、奴隷を診るのは奴隷である医師の仕事であった(自由市民は自由市民の医師が診察した。奴隷の意味が黒人奴隷とは違うことに注意)。また古代ローマにおいても、市民権は与えられたといわれるものの、医師の地位は高くなかった(これはローマにおいて往々に医師が被征服民のギリシア人が多く、更には奴隷階級とされた者も多かったためと考えられている)。
医師の社会的地位が高くなったのは中世のヨーロッパにおいてである。人の命に関わる重要な職業なので、専門職として特別な地位を与え、それに応じた責任が求められるようになった。
西洋においては、内科が知識主義に基づいて伸長したのに対し、外科は経験主義を基礎に伸長した。初期には床屋などから外科医となるものが多かった。
東洋において「医」の象徴とされているのは一般に薬師如来が知られているように、日本においては「薬師(くすし)」と呼ばれた和漢薬の専門家が医師の起源となる。当時の薬学である本草学に基づき生薬を用いて診療を行った。日本の漢方医学は中国の漢方医学とは16世紀頃分かれて独自の道を歩いている。律令制においては、典薬寮の下に官職としての「医師」が置かれた他、大宰府や令制国にも医師が派遣されていた。
江戸時代においては士農工商の工に当たるとされたが、士分に準ずる扱いを受けることもあった[要出典]。明治時代、西洋医学を日本に導入するため西洋から医者を招いた。このとき軍医を主に招いたのは明治政府が医師=士という考えを定着させようと考えていたためであった。また「医師」という呼称が用いられるようになったのは明治時代に入ってからである。それ以前は単に「医者」と呼んでいた。
日本では明治維新後の1874年、医師を免許制とする制度が導入され、1876年には新たに免許を受けようとするものは洋方六科試験合格が必要となることが内務省から通達され、漢方医を志す医師であっても西洋医学を学ぶことが必須とされるようになったが[1]、中国や韓国ではそれぞれ中医師、韓医師という医師とは別の資格が並立している。
英国では、日本のように「医師」であれば事実上すべての診療科を行うことができるということはなく、各診療科ごとに専門医資格が必要とされている。また「家庭医(家庭医療/一般医療:General Practice)」と「病院医(専門医療)」とが厳格に区別され、それぞれ専門領域として独立している。
英国の大学医学部はすべて公立(バッキンガム大学のみ私立と位置付け)で、伝統的に大学の権威が高く認められているため、医師資格の国家試験は存在せず、各大学の「卒業試験」に合格し卒業することで「医師免許」が与えられる。留年は認められていないため、中退者も少なくない。
日本と同様に、高校卒業後に大学医学部に入学となるが、英国の大学入学には「A-Level」という統一試験があり、その成績と面接・書類審査等で厳重に行われ各大学の医学部入学のとなる。医学部は約5年制で、各大学ごとに様々なカリキュラムが組まれている。卒業後は1年間の臨床研修が義務付けられ、その後に専門とする診療科を選択する。ここで大きく「家庭医(家庭医療/一般医療:General practice)」と「病院医(専門医療)」とに進路は選択され、それぞれ研修が行われる。そして研修終了の後にそれぞれ一般認定医、専門認定医の試験があり、合格して初めて「医師」としての独立した診療行為が許されている。
一般的に医師免許はその国の中でしか通用しないが、英国の医師免許はニュージーランドなどのイギリス連邦加盟国や植民地でも通用する。
英国の植民地の住民が医師を目指す場合には英国の医大に入学する場合が多い、特に医大のような高等教育機関を持たない植民地の場合はイギリス本国かイギリス連邦加盟国の医大へ行くしかない。このように、英国の医師免許は国際免許のような性格を持っているため、シンガポールやブルネイなどの経済的に豊かな小国で医師を目指す人間が英国の医大に入学して医師になる場合が非常に多い。
このため、イギリス連邦なら絶海の孤島であっても医師の質が比較的高い場合が多い。
香港などでは返還前はイギリスの医師免許を持った医師しか医業を行えなかったが、返還後の現在ではイギリスと中国の両方の医師免許が通用する。
ドイツでも、日本のように「医師」であれば事実上すべての診療科を行うことができるということはなく、各診療科ごとに専門医資格が必要とされている。
ドイツの医師国家試験は4段階の試験が存在する。まず日本と同様に中等教育修了後に大学医学部に進学でき、そこで約6年間の医学教育を受けるが、医学部での勉強と医師国家試験は平行して行われ、医師免許取得後にも医学部で医学教育を受ける必要がある。
まず医学部在学2年目で「Physikum(教養試験)」(教養科目)と呼ばれる自然科学系国家資格の統一試験がある。それに合格するとまた1年後に「Das erste Staatsexamen(第一次国家試験)」(基礎医学)と呼ばれる試験があった。これに合格し約2年後に「Das zweite Staatsexamen(第二次国家試験)」(臨床医学)と呼ばれる試験があった。これに合格すると最終学年時に、1年間の病院での臨床研修が義務付けられている。最後に「Das dritte Staatsexamen(第三次国家試験)」と呼ばれる試験があり、これに合格して初めて「研修医 (AIP:Arzt im Praktikum)」という免許が与えられた(現在は研修医という制度がなくなり、医師免許が発行される)。このほかにFamulaturという合計4か月の実習がPhysikum合格後、最終学年前までに義務付けられている。これは医学部の正規の教育課程で行われることではないため、大学の休み期間に学生自らで行う。現在ではPhysikumの後、3年勉学後、1年間の病院実習を行い国家試験に合格後、医師免許を習得できるように制度が改変された。またこの間大学医学部での医学の勉強は同時並行となり、ドイツの医学生はまた別に大学での単位の取得が必要とされているが大学によってはと卒業論文の製作を求めているところもある。そしてこの「医師免許」と「卒論」の二つが揃って初めて大学では卒業が認められ、学位が授与される。卒業論文の代わり博士論文を書く学生もいる。この場合、博士論文が認定されると、「博士」の学位を授与される。
また医師免許があったとしても医師としての活動が許されているわけではなく、歴史ある医学大国として各「医師会」の権威が大きく、また何年かの臨床研修を受け各医師会、の専門医試験に合格しないと診療科を標榜することが許されない。開業する場合、専門医試験に合格していない場合、公的健康保険に対して診療報酬は請求できない。また専門医資格の中に「一般医学(家庭医)」という専門資格も存在し、一般開業医はこの専門医資格が必要とされている。
またドイツ国内においては1999年から医師の定年制が施行され、68歳になると保険医療を行うことはできなくなった。またそれによって定年後の医師の生活を支える目的で「医師老齢年金制度」という社会保障制度が存在する。
中国では、西洋医学を中心として学ぶ医学部と、中医学を専門に勉強する中医学部に分かれる。西洋医学部を卒業し1年のインターンを経ることで医師免許受験資格を与えられ、中医学部を卒業し1年のインターンを経ることで中医師免許受験資格を与えられる。日本との違いは、医師免許自体が、中医学系と西洋医学系の二本立てであることである。
数年前から、外国人も医師国家試験の受験が可能になっている。嘗て中医師免許相当とされた「国際中医師免許」は、受験しても外国はもちろん本国である中国でさえ医療行為を行うことのできない学力認証試験であり、医師の世界では意味をなさない。
医師 | |
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英名 | Physician |
実施国 | 日本 |
資格種類 | 国家資格 |
分野 | 医療 |
試験形式 | 一般試験、実技試験 |
認定団体 | 厚生労働省 |
等級・称号 | 医師 |
根拠法令 | 医師法 |
ウィキプロジェクト 資格 ウィキポータル 資格 |
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医師免許取得過程については医学教育を参照。
日本では「医師」は国家資格であり、「医師国家試験」に合格して医籍登録を完了したものに厚生労働大臣より免許が与えられる。1999年に改正された医師法第16条の2に「診療に従事しようとする医師は、2年以上、医学を履修する課程を置く大学に附属する病院又は厚生労働大臣の指定する病院において、臨床研修を受けなければならない。」と明記され、2004年度からは、臨床医として勤務するためには2年間以上の臨床研修を行うことが努力義務とされた。臨床研修を終えていない医師は、医業を続けることはできるが、病院・診療所の長となることができない。この間の「医師」を一般に研修医とも呼ぶこともある(資格名ではなく通称名)。ただし、基礎研究医や産業医、社会医学者、法医学者などはこの義務はない。しかし、これらの分野でも認定医取得条件や求人に2年間の臨床研修を義務づけている場合もある。
一般的には、病院や診療所といった医療機関で医業(医療行為)を行う医師(臨床医)が多いが、医療機関以外では保健所(地域保健法施行令第4条第1項では、保健所の所長とは保健所の医師と規定されている)、基礎研究医、産業医、社会医学者、法医学など直接医療行為を行わない医師もいる。
2012年4月現在、医師免許に更新制度はなく、通常は生涯にわたって有効である。医療過誤、犯罪等による資格停止・剥奪は厚生労働省医道審議会により決定される。
近年、医療事故・医療過誤として報告される事例が増加の一途をたどっているため、医師免許の更新制度導入が主張されている。2005年3月、政府の規制改革・民間開放推進会議は、医師免許更新制の導入について2005年度中に検討し結論を出すとの答申を予定した。政府判断により実際の答申からは外されることになったが、規制改革会議側は引き続き議論する考えを示した。
日本の医師免許は診療科ごとに交付されるものではなく、医師は法律上はすべての診療科における診療行為を行うことができる、とされている。
近年では医療の進歩と共に技術的に高い次元での専門化・細分化傾向が強まり、日本においても各診療分野の学会が「学会認定医」、「学会専門医」などの学会認定専門医制度を導入しており、一般診療者への技術度の目安として広まりつつある。しかし、これらは法的には「肩書き」に過ぎず、所持していなくても診療科を標榜することは可能である(たとえば、眼科の医師が皮膚科の診療を行うことも可能)。ただし、麻酔科を標榜するには厚生労働省の許可を得なければならない(医療法第70条2項、及び医療法施行規則第42条の4に基づく)。
また、「医師」には「一人医療法人」という制度があり、「医師」一人でも医療法人が設立できる。死体検案書作成は、医師の独占業務である。
日本で医師の資格を規定する根拠となっている法は「医師法」であり、医師法第17条に「何人も医師でなければ、医業をなしてはならない。」と規定されている。
古くは医療行為は医師のみで行われてきたもので[要出典]、現在でも離島や過疎地では軽症患者に対しては医師一人だけで多くの診療科に対する医療行為を完結させる必要があり、「医師」の資格により、全ての医療行為が完結できなければならない。よって「医師」が「検査ができない」「レントゲンが撮れない」「看護ができない」「透析ができない」「薬が出せない」「リハビリテーションができない」などということは建前上はありえない。
IT関連技術の進歩に伴いパソコンが急速に普及し、各医療機関ではレセコン(レセプトコンピュータ)だけでなく電子カルテも次第に普及しつつある。しかし、患者の重大な個人情報を取り扱うレセプト及びカルテであるだけに、個人情報漏洩事件が頻発する現在、周辺整備をなおざりにしたまま拙速にITを本格導入すれば、医療現場は混乱するのみならず、日本の医療が崩壊するとの指摘[要出典]さえある。
本来、診療を行う為に掛かるコストを支払う診療報酬にIT関連機器(レセコンや電子カルテ等)導入の為の費用は全く考慮されず、その全てを医療機関側が負担してきた。2005年、国は医療制度改革大綱にレセプトのオンライン化の義務化を盛り込んだが、2006年度の診療報酬改定でも初診料の電子化加算(3点、30円に相当)を新設したのみで、約650億円と試算される財源については全く触れていない。
従来、医師会等を通じてのみ情報を得ていた全国各地の医師同士も、各種掲示板、メーリングリスト(ML)を通じて横断的に双方向性に情報・意見交換できるようになった。学会等ではなかなか得られない臨床現場で役立つ医学・医療の経験・知識が、全国的に共有される意義は大きい。
1999年冬のインフルエンザ流行時、medpract-ML(実地医療研究ML)という医療系MLを通じてアマンタジンの有効性が初めて全国的に注目され、その後、迅速診断法や抗インフルエンザ薬などの情報も、医学会や医師会に先んじて様々な医療系MLに流れ、全国各地の医師同士の実体験が共有された。これを学問的に将来性のあるものに取りまとめたものとして、日本臨床内科医会のインフルエンザ全国調査研究:FLU・STUDY/JPAが注目された。
治療だけではなく医療訴訟・待遇等についても話し合われることも多く、署名活動を行ったり、あまりにリスクが高い病院から医師が退職するきっかけにもなっている[要出典]。
日本医師会はこうした流れを察知して、インターネット生涯教育講座、医療安全推進者養成講座などをスタートした。様々な医学会からも講演会の映像配信や、ガイドラインのネット上公開などが行われている[要出典]。
日本には、医師の定年制や免許の更新制度は無い。しかし、医師に定年制を導入するべきだという声もある。それには医師の資格そのものに年齢制限をつける医師免許定年制と、保険医資格に年齢制限をつける保険医定年制がそれぞれ提唱されている。
一方、日本では病院長は医師でなければならないなど、各種役職に医師の資格を要求する法規制があり、実際に診療を行っていない役職の者でも医師の資格を要する場合がある。一律に医師免許そのものに定年制を設けた場合、優秀な病院経営者を排除してしまう結果になりかねない。また、保険医定年制の場合、老練な医師の診察を希望する患者に過大な負担をかける可能性もある。
因みに精力的に全国行脚を続けている日野原重明は1911年生まれであり、その講演の中で「アメリカの大学教授選考では、最近は年齢は不問です。つまり、業績、仕事をやる人は、年齢に関係なく教授を続けられるようになった。それに引き替え日本では、大学に定年制が引かれ、アメリカとは逆ですよ。」と発言したと言うエピソードもある(但しこれは日野原個人がアメリカの医師の年齢制度について触れた件であることに注意が必要である。ドイツにおいては別の価値観において規定を定めているので、日野原個人の発言を以って判断すべきではないといえる)。
とくに近年の医療技術の発展により、医療知識は日々更新されており、最新の知識を持たない高齢の医師では不十分という意見もある。高齢の医師が必ずしも臨床業務に携わっていないことや、非臨床業務である管理職にも医師の資格が義務づけられている点は今後の課題である。
若い医師も熟練した医師も同じ医療行為に対して同じ報酬しか得られない医療保険制度の元、診療報酬が削減された結果、熟練医師に正当な報酬を支払うポストは減少している。一方、診療報酬が低くなったため、医院開業の先行投資回収に必要な年数は長くなり、開業年齢が低年齢化せざるを得なくなった。そのため、45~55歳の最も熟練した医師が勤務医を辞め小医院を開業するので、病院施設で高度な技術を要する手術や手技を行う医師が不足する結果となっている。これを勤務医の一種の定年制であるとみるむきもある。
近年では医学部に進学する女子が飛躍的に増え、29歳以下の若い医師は三人に一人が女性である[2][3]。
医学部の一学年の女性の割合が半数近い大学も存在する。
一方で、出産・育児のバックアップ体制が整っていない面が多分にあり、仕事を続けながら出産・育児が困難であり結婚・出産とともに退職する女性医師もいまだ多い。出産・育児により職場を離れた女性医師に対し働きやすい環境を整え、医療の場に戻す方策が始まっているとはされるが、2006年頃より地方の医師不足が顕著になり始めている。
患者側からも、産婦人科など一部の診療科を除き女性医師を忌避する傾向が見られるのも女性の就業を難しくしている一因である[要出典]。
医師免許を取得して初めて医師と呼ばれ、自由診療(保険外診療)を行うことができる。更に保険医の認定を得れば保険診療を行うことができるが、一連の医療行為の中で両者を行うことは混合診療と呼ばれ、現在は認められていない。
日本の健康保険制度は国民皆保険である為、必然的に医師の大半は保険医となり、保険者が決めたルール(保険適用)の中で診断・治療を行っている。
国民にとって最も重要な事は、病気にならないことである。しかし、目覚しい進歩をとげ、多くの病気において早期診断・早期治療を可能としつつある現在の医学と言えども、何を持って予防しえたかとするか、治療に比べれば遥かにその医学的評価は難しい。病気の早期発見を謳ういわゆる人間ドックや病気にならぬ為の予防医学などに、現時点では保険が利かない由縁である。(一日人間ドックなどは、人によっては自治体や健保組合などからの補助が出る場合もある)
現在の日本における医師の労働環境は非常に厳しいものである。勤務医の労働時間は日本医労連の2007年4月発表の資料によると、平均労働時間は1日あたり10.6時間、週あたり58.9時間、月あたりの時間外勤務は62.9時間となっている[4]。厚生労働省の「医師の需給に関する検討会」の調査(同年)では、医師の労働時間は平均で週に63.3時間になっている。平均的な医師でも月90時間以上は時間外労働をしており、同省の過労死認定基準が目安とする「月80時間の時間外労働」を超えている。徹夜の当直開けに休みを取る“ディーンスト・フライ”は現在実行されず、50歳以下の医師の多くはその言葉の意味さえ知らない。徹夜明けの医師が外来診療や手術をすることが常態化し、週に32時間以上の連続勤務も珍しくない。中には週に2~3回の当直もあり、睡眠不足や過労による医療事故が懸念されている他、医師の過労死が問題となっている。
勤務医、開業医、研修医にわけて解説する。
厚生労働省が2008年度に実施した賃金構造基本統計調査によると、勤務医(非正規雇用者を含む)の平均年収は1159万円である[5]。同調査によると、民間企業の労働者の平均年収は486万円であり、そのうち学歴が同程度の大学・大学院卒に限定しても624万円であるが、医師は国家資格職であり一般的なサラリーマンなどと比較するのは正しいとは言えず、弁護士などの国家資格職が比較対象とすべきである。
また、勤務医に限らず労働者の時間外勤務に関しては、労働基準法を大きく逸脱するケースが多いため正確な申告が出されていないと思われ、サービス残業や無給の拘束時間に関しては信頼できるデータはない。
なお、医師は認定医、専門医などの資格を維持するために学会費を支払い、定期的に学会に出席することを必要とされるが、これらの経費は勤務医の場合通常全額自己負担であり、旅費も学会費も通常経費として認められない。
2007年11月18日付けの朝日新聞朝刊社説によると開業医の平均年収は2500万円であると報告された。中央社会保険医療協議会が医療従事者・医療施設の経営実態を調べる「医療経済実態調査」(05年6月時点)では、個人開業医の収支差額は2744万円だとした。しかし、この計算には社会保険料や税金、設備投資借入金の返済などの出費が含まれておらず、日本医師会によると、個人立診療所の開設者の平均年間所得は2,043万円であるが、平均可処分所得は1,469万円であり[6]65歳以上を除く各年代で勤務医の可処分所得を上回っており、自営業者の平均年間所得は389万円[7]であるから、平均で比較した場合は他の自営業者と比べて所得水準が極めて高いが、これもまた医師は国家資格職であり一般的な自営業と比較するのは正しいとは言えず、弁護士などの国家資格職が比較対象とすべきである。
また、厚生労働省発表の「介護保険事業に係る収入のない医療機関の集計(A集計)」(2005年)[8]でみると、一般診療所の「収支差の分布」は、平均値を中央とする正規分布ではなく、平均値以下にピークのある偏った分布をしており、平均収支差の200万円以下の診療所が約65%を占めている。また、収支差の段階で赤字の診療所が13%を占めている。
かつては「勤務医は貧乏、開業医は金持ち」という図式が広く受け入れられていたが、現在では勤務医と開業医に所得格差は少ない例もあり、所得増加を目的とした開業より、むしろ「過重労働を避ける」「夜間睡眠時間がとれる」などの労働条件改善・過労死回避の目的で開業する医師が増えている。
研修医は立場から労働者として認められてこなかったが、1998年に関西医大で研修医が急性心筋梗塞で過労(2か月半の間に時間外労働208時間、深夜勤務54時間、日曜・休日出勤126時間)死した事件で、最高裁は「研修医は指導医の命令に従って診察や治療をしており、労働者にあたる」との判決を言い渡した。なおこの研修医は、月6万円の奨学金しか支給されていなかった。(詳細は関西医科大学研修医過労死事件を参照) かつて薄給で「奴隷のようだ」と形容され、労働基準法における最低賃金を下回る状態でもあった研修医の待遇は、近年「生活費稼ぎの徹夜のアルバイトの連続など医療事故の温床である」との観点から、2004年度からは月収30万円程度(特別手当無し)を支給するように国からの勧告がおりたが、大学病院などでは当直手当てを加算して手取り月20万円程度しか支払われない場合も多く、必ずしも守られていないのが現状である。研修医はその研修コース次第で週60時間から100時間病院に拘束されるため、月収30万円でも時給750円から1250円になる。また、研修の立場から、超過勤務に対する賃金は全く支払われないことが一般にまかり通っており、支払われる病院の方が少ない。また立場上上級医が帰宅するまで帰りにくい立場であり、上級医以上に過労状態にある場合も多い。また週1~2回宿当直を行なっているが、実際は寝る間もほとんどなく救急患者を診療している場合も多く、宿当直として安い賃金しか支払われず、本来は夜勤であり明らかな賃金未払いが慣習化している。さらに夜勤後は休みにならないことがほとんどで、過労状態になっている。 現在は研修医は労働者として扱われ、勉強会などで病院に指示されて拘束された時間などは、超過勤務として賃金を支払うべきとの判断もされている。しかし、現状では研修医は労働者という意識は上級医はおろか、研修医にもあまり浸透しておらず、ほとんど守られていないのが現状である。また、2008年、広島の県立病院で研修医79人に対して計1億円以上の賃金不払いがあり、時間外や休日の診療を労働と扱っておらず、労働基準監督署から「労働時間管理が不適正」と是正を勧告されていた事実もある。
多くの医師は「医局」という組織に管理されている[要出典]。これは大学の「教室」とほぼ同義であり、各診療科目の教室が運営する非公式な医師の同業者組織である。医局は教授を頂点とし、定期的に任命される医局長によって日常的な事務運営がなされる。
従来の方式では、医師は卒業と同時にいずれかの医局に「入局」していた。医局は医師の研修先・勤務先を指定し、医師はそれに従って転勤する。医局は医師を必要としている病院の情報を集中管理し、必要とされている医師の技能や経験年数に合わせて医師を派遣する。医師が派遣先で経験を重ね、技能を身につけると、派遣先の病院は医師に対して昇給をするか、賃金の安い医師と交代させるかしなければならない。そのため、数年おきに医局は医師を転属させ、新たに若い医師を派遣する。この繰り返しによって病院側は人件費を一定に維持し、経営の安定化を図ることができる。医師は自分の技能レベルに合った就職先で研鑽を積むことが出来る。また、高度な技術を取得することが可能な病院に派遣してもらった場合、「お礼奉公」と称して、しばらく低賃金で過疎地の診療所に派遣される慣習もあり、これによって地方の医師不足を埋め合わせていた側面があった。多くの場合、医師の派遣を受ける病院は大学教授に研究費などを提供し、教授の研究業績に寄与していた。こういう病院は医局の「関連病院」と呼ばれる。研究費が集まる有名教授の下にはさらに入局者が集まり、教授の権威を高める好循環を生む仕組みであった。
派遣を受けた医師は、国立病院に転属すれば「国家公務員」、公立病院に転属すれば「地方公務員」、私立病院に転属すれば「サラリーマン」、大学に戻り“研究生”“大学院生”などの名目で無給の労働力として使役される期間は「学生」と、転属先により身分が変遷する。また日雇い契約で雇われる場合は「フリーター」「非正規雇用」、僻地の診療所で一人医長に任命された期間は「管理職」と雇用階級も変遷し、数年おきに転属する。こういう身分の変遷は不安定で退職金も福利厚生もほとんどない。最近では、医療費削減に伴い、病院の経営状態が悪化し、多くの医師が「非正規雇用」か「管理職」のいずれかの身分で働くようになり、時間外手当もボーナスもなく、不当に長い労働時間を強いられている。
従来は医局の指示により、転職するのが一般的であった。しかし近年では初期臨床研修義務化に伴い医局に入局する医師が減少し、新たに医師の派遣を行ったり、医師の人材紹介や転職を斡旋する会社が出てきている。これらの医療従事者専門の転職支援サービスは、医局から医師の派遣を断られた病院の医師確保などにも一定の役割を果たしている。このビジネス分野は未開拓で、さまざまな会社がしのぎを削っている。
医師といえど一人の人間である事実にかわりはなく、QOML (Quality of My Life) を大切にするべきという考えも広がりつつあり、医師が過酷な勤務を要求する勤務先から独自の判断で転職するケースが増えている。
いわゆる少子化の影響で、妊娠・出産を扱う産婦人科や、これに続く乳幼児期の子供を扱う小児科の志望者が少なくなっている問題がある。また、特に産科領域では、一般的に子供は正常に生まれて当たり前との認識があると思われ、何か異常が起こると医療訴訟となる可能性も高いといわれている。また、そのような事故に対するマスコミによる、患者側への医学的根拠の医師からみて比較的乏しいとみられている過剰な擁護が医師を疲弊させている。[要出典]さらに産婦人科や小児科を扱う医療機関が減少し、残った医療機関への負担が増加し、妊娠・出産への対応や子供の急病などへの対応が困難になっている。陣痛が来て初めて病院に行き子供を生んだ後病院を抜けて行方不明になり費用を払わない妊婦なども増加しており、[要出典]さらに産婦人科の減少と少子化に拍車をかけている。これらの問題については、少子化に関する諸問題の一つとして、マスメディアなどで頻繁に取り上げられているが、厚生労働省は有効な対策を打てていないのが現状である。
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