出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/10/20 21:57:40」(JST)
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利益には、一般的に「りえき」「りやく」の二つの読み方があり、読みによって意味が異なる。
利益は、単純にいえば収入から支出を差し引いたもの、つまりキャッシュ・フローを指す。しかし、今日の企業会計においては、利益(損益)とキャッシュフローは別の概念である。
会計上の利益とは、収益から費用を差し引いたものである。逆に収益よりも費用のほうが多い場合、損失と呼ぶ。
利益とキャッシュ・フローを区別する主な理由は以下の二点にある。
損益計算書においては、会社の状況を見るためにいくつかの段階に分けて利益を計算している。 ここでいう利益。
売上総利益=売上高 - 売上原価
卸売業や小売業であれば、変動費と売上原価は等しい。したがって売上総利益と限界利益も等しくなる。一方、たとえば製造業の場合であれば、「自社の人件費」「工場経費」といった「変動費に含まれないが売上原価に含まれる費用」がある。そのため、売上総利益は限界利益より低い値になる。
営業利益=売上総利益 - 販売費及び一般管理費 =(売上高 - 売上原価) - 販売費及び一般管理費
EBITDA[4](イービット・ディー・エー、イービットダー、エビータ)は、売上総利益から、販売費及び一般管理費のうち減価償却費以外を差し引いたものである。利払い前・税引き前・減価償却前・その他償却前利益、金利・税金・償却前利益などと翻訳されることがあるが、翻訳が定まっていないために「EBITDA」が用いられることが多い。
EBITDA = 売上総利益 - 販売費及び一般管理費のうち減価償却費以外 = (売上高 - 売上原価) - 販売費及び一般管理費のうち減価償却費以外
事業利益=営業利益 + 営業外利益 =((売上高 - 売上原価) - 販売費及び一般管理費) + 営業外利益
総資産利益率(ROA)を算定する際に、通常、事業利益が分子として利用される。ROAの算定にあたり事業利益が利用される理由は、投資有価証券等を含む総資産を分母とした経営活動の指標である以上
という理由による。
経常利益=営業利益 + 営業外収益 - 営業外費用 =((売上高 - 売上原価) - 販売費及び一般管理費) + 営業外収益 - 営業外費用
NOPAT=営業利益 - 租税 =((売上高 - 売上原価) - 販売費及び一般管理費) - 租税
純利益=経常利益 + 特別利益 - 特別損失 =[{(売上高 - 売上原価) - 販売費及び一般管理費} + 営業外収益 - 営業外費用] + 特別利益 - 特別損失
包括利益=純資産の増加額 - 純資産の減少額 = 純利益 ± その他の包括利益 =[[{(売上高 - 売上原価) - 販売費及び一般管理費} + 営業外収益 - 営業外費用] + 特別利益 - 特別損失] ± その他の包括利益
留保利益は、企業の営業活動により生じた過去の利益を会社内に留保したものをいう。会計上では利益剰余金のことである。
限界利益=売上高 - 変動費
資本利益率は、売上高利益率と資本回転率の積として表される。資本利益率は資本に対する利益の比率であり、売上高利益率は売上高に対する利益の比率であり、資本回転率は資本に対する売上高の比率である。例えば株主資本利益率(ROE)は、株主資本回転率と売上高当期純利益率に分解される。資本利益率は、資本市場での裁定取引のため、業種の差はそれほど顕著でない。一方で、売上高利益率と資本回転率は、業種により大きくその数値が相違する。例えば製造業は、流通業に比べて売上高利益率が高く資本回転率が低いが、その積である資本利益率においては両業種の数値はさして差がなくなるのである。
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・BUN
功利主義(こうりしゅぎ、英語:Utilitarianism)は、善悪は社会全体の効用(英:utility)あるいは功利(功利性、公益)・機能(有用性)によって決定されるとする立場である。基本的に倫理学上の立場であり、それは法学や政治学でも応用される。
倫理学説としては私利のみを計る利己主義(エゴイズム、Egoism)とは異なる。現在でも、近代経済学は、基本的にこの立場にあると考えられる。そこでは消費者ないし家計は効用の最大化をもとめる部門とみなされる。また基数的効用と序数的効用が区別される。
功利主義的な考えはデイヴィッド・ヒュームの思想にもみられる。彼を功利主義の先駆者と見る向きもあるが、彼はあくまで我々の抱く倫理についての考えや判断がいかにして成立してきたか、そしてどう判断するかをメタ倫理学的に記述・説明しただけであって、功利的に判断すべしという規範として提示したのではない。立法の原理・法学の基礎、即ち規範として最大多数の最大幸福を置くという着想はベッカリア、エルヴェシウスを経てジェレミ・ベンサムにおいて体系として初めて結実した。
功利主義においては幸福は数量で表すことができると仮定される。ベンサムは快楽・苦痛を量的に勘定できるものであるとする量的快楽主義を考えたが、ジョン・スチュアート・ミルは快苦には単なる量には還元できない質的差異があると主張し質的快楽主義を唱えた(ただし、快楽計算は放棄しなかった)。また、J.S.ミルからヘンリー・シジウィックに至る過程で功利主義は立法的・法学的要素を失い、道徳・倫理学の理論としての色彩を強めていく。
20世紀には快楽計算を放棄した選好功利主義が登場した。リチャード・マーヴィン・ヘアやピーター・シンガーがその代表と目される。
「最大多数の最大幸福」がベンサムから続く功利主義のスローガンであるが、この幸福を快楽と苦痛との差し引きの総計とするか選好の充足とするかで、次の二つに分けられる。
また、最大幸福原理を個々の行為の正しさの基準とするか一般的な行為規則の正しさの規準とするかで、次の二つに分類される。
両者は功利原理(利益=善)の対象が異なる。前者は行為が利益をもたらすか(「それをすれば利益があるか?」)を基準にし、後者は「規則」(「皆がそれに従えば利益があるか?」)を基準にする。
例えば、行為功利主義では「貧しい人が子供のために食べ物を盗む」のは子供が助かるからかまわないとし、規則功利主義では「子供のためなら食べ物を盗んでもよい」という規則があれば窃盗が横行して治安が悪くなるからいけない、とする。
量的功利主義とは異なり、質的快楽主義では快楽の種類による質的な区分を求める立場を取る。後者の代表者であるJ.S.ミルは、「満足した豚よりも満足しない人間であるほうがよい」と語っている。なお、ミル自身は求められるべき精神の快楽を、狭い利己心を克服した黄金律(他人にしてもらいたいと思うように行為せよ)に見出すよう主張した。
利己主義は、功利主義とは日常的にはあまり区別されないが、倫理学においては功利主義は「万人の利益」となることを善とする立場を指し、「私利」のみを図ることをよしとする利己主義とは異なるとする。
リバタリアニズムは、功利主義を基本理念とした政治思想である。アメリカにおいて幾分保守的・伝統的政治姿勢とされるが、保守からは革新的政治姿勢と見なされてもいる。「国家こそ盗人」であり、反国家・市場(経済)偏重を旨とする特徴的な思想を展開する者もいる。ときにグローバリズムと態度が共通するが、リバタリアニズムは税金の浪費につながると戦争を否定する点にみられるようにグローバリズムとは異なる。
功利主義への反駁、攻撃は多方面からなされている。
功利主義においては、異なる個人間で効用を比較したり足し合わせることも可能であるとする効用の基数性に基づく限界効用逓減の法則が前提された上、社会における全ての人々の効用の合計の最大化をはかるための所得再分配が肯定される。
ピグーの「厚生経済学」では、所得再配分はそれが経済全体のアウトプットを減少させないかぎり、一般に経済的厚生を増大させるものである(「ピグーの第2命題」)とした上、限界効用逓減の法則を前提するかぎり、所得再配分は貧者のより強い欲望を満たすことができるため、欲望充足の総計を増大させることは明らかであるとしている。
これに対し、新厚生経済学では、ロビンズの「経済学の本質と意義」では、内省によっては他人の内心を測定できない以上、異なった人の満足を比較する方法がないとして効用の可測性(基数性)が否定された上、ピグーの第2命題は、単なる倫理的な仮定にすぎないとしている。
らが古典的功利主義者に数えられる。
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