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出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/11/23 03:36:39」(JST)
仙台市立病院 | |
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情報 | |
英語名称 | Sendai City Hospital |
標榜診療科 | 総合診療科(院内標榜)、内科、感染症・呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、神経内科、血液内科、糖尿病・代謝内科、外科、心臓血管外科、脳神経外科、整形外科、形成外科、精神科、小児科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻いんこう科、放射線科、病理診断科、歯科口腔外科、麻酔科 |
許可病床数 |
525床
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機能評価 | 一般500床以上:Ver5.0 |
開設者 | 仙台市 |
管理者 | 亀山元信(病院長) |
地方公営企業法 | 全部適用 |
病院事業管理者 | 遠藤一靖(仙台市病院事業管理者) |
開設年月日 | 1930年(昭和5年)2月 |
所在地 |
〒982-8502
宮城県仙台市太白区あすと長町一丁目1番1号
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位置 | 北緯38度13分54.4秒 東経140度53分17.1秒座標: 北緯38度13分54.4秒 東経140度53分17.1秒 |
二次医療圏 | 仙台 |
特記事項 | 敷地面積: 35,018 m² 病院本館建築面積: 8,270 m² |
PJ 医療機関 | |
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仙台市立病院(せんだいしりつびょういん)は、宮城県仙台市太白区にある市営の病院である。救急医療、高度医療、臨床研修の3項目を重点施策としている[1]。
病院事業管理者と院長は別に設置されている。副院長は4名制だが、うち1名は医師ではなく看護師(看護部長)を充てている。
市病院事業出納取扱金融機関は、七十七銀行荒町支店(2014年4月現在)となっており、同行荒町支店および同行本支店(原則、全店舗)並びに収納取扱金融機関(仙台市所在の拠点に限る。市外の拠点は、取次扱いで対応)での医療費支払いが可能である[2]。
1930年(昭和5年)1月、仙台市東二番丁にあった旧裁判所庁舎を利用しての診療が開始された[3]。1939年(昭和14年)には、鉄筋コンクリート建築による地上5階、地下1階の新館(170床、5,211m²)が竣工。後に増床も行われたが、第二次世界大戦末期の仙台空襲によってその大部分を焼失した[3]。
戦後に新館を改修、また増築を繰り返し、1958年(昭和33年)には総合病院に指定された[3]。1966年(昭和41年)には、救急処置施設を含む新館(2,695m²)が開業。同年、仙台市病院事業の設置等に関する条例(昭和41年12月26日仙台市条例第40号)が制定された。
1974年(昭和49年)11月に移転した三島学園[注 1]の跡地(五橋地区)に、地上10階、地下1階建ての新病院(病床数497、32,723m²)を建設し、1980年(昭和55年)3月に移転・開院した[3][注 2]。
2006年(平成18年)には、全国の自治体病院に先駆けてのDPC(診断群分類包括評価)対象病院となった[1]。
2013年(平成25年)11月より、紹介制外来の完全導入(小児科と救急については一部例外あり)に伴い[4]、開業医等からの診療情報提供書のない患者の新患については、 「非紹介患者加算」の点数が加えられることになった。
2014年(平成26年)11月1日、長町副都心のあすと長町に移転した[5][6][7]。
五橋地区の敷地・建物の狭隘化、設備面での老朽化等の問題があり、また、1999年度(平成11年度)に行われた耐震診断では大規模地震時に支障なく診療を行うことが不可能であると判断された[8]。2003年(平成15年)9月に現地での大規模耐震化工事を断念し、2004年(平成16年)1月に移転・新築の方針が打ち出された[8]。
一方、1998年(平成10年)2月に都市計画決定された仙塩広域都市計画事業「仙台市長町副都心土地区画整理事業(約91.1ha)」(2005年(平成17年)6月14日以降は「仙台市あすと長町土地区画整理事業(約82.0ha)」)[9]の第1街区内に建設予定だった(仮称)仙台市音楽堂(以下「音楽堂」)[注 3][10][11]が、市の財政難を理由に2002年(平成14年)に無期限凍結された[12]。総額1189億円の巨大事業であるあすと長町において、集客の目玉施設だった音楽堂が頓挫する中[13]、プロ野球再編問題(2004年)の結果、新規参入する東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地・仙台が連日の報道で全国の注目を集めた。すると2005年(平成17年)4月12日、中国浙江省の投資ファンド・中瑞財団があすと長町に「仙台空中中華街」を建設する構想が明らかになった[14]。同施設は延床面積が5万6800m2で[14]、(1997年開業当時)東北最大級の規模を誇るショッピングセンターとして開業したザ・モール仙台長町(パートI)の8万5000m2[15]に伍する規模の集客施設であり、仙台の「レッドバブル」の象徴の1つとなった。 しかし、2006年(平成18年)2月22日、梅原克彦仙台市長は「仙台空中中華街」構想に反対を表明[16]。同日、音楽堂建設予定地を市立病院の移転先とする方針が示された(同年10月19日に正式決定)[8][11]。
あすと長町への市立病院移転に対し、仙台市議会からは交流人口を創出する施設にはなり得ないとの指摘があった[13]。2007年(平成19年)5月18日、あすと長町の都市計画が変更され、音楽堂は廃止[9]。市立病院建設予定地(旧・音楽堂建設予定地)ではシルク・ドゥ・ソレイユがテント劇場「仙台・新ビッグトップ」を仮設し、同年に「ドラリオン」仙台公演、2010年(平成22年)に「コルテオ」仙台公演を開催した(両公演とも約17万人を集客)[注 4][17][18][19][20][21][22][23]。
建設予定地での興行による交流人口創出に並行して、2007年(平成19年)の「新仙台市立病院基本構想」、2009年(平成21年)に「新仙台市立病院基本計画」、2010年(平成22年)には「新仙台市立病院基本設計」が発表された[24]。そして2011年(平成23年)12月に新病院が着工。当初は2014年(平成26年)夏の移転・開院を予定していたが、東日本大震災の復興特需による深刻な生コン不足や建設作業員不足により工事に遅れが生じたため、速乾性のコンクリートを使うことで遅れを最小限に留める努力をした[25]。結局、数ヶ月遅れで11月1日に移転・開院に漕ぎ着けた[25]。総事業費は、用地取得費用も含めて325億円[26](総工費は厚生棟などを含めて175億7300万円[27])。
なお、最寄の地下鉄駅となる長町一丁目駅に南2出入り口を新設し[28]、8月11日正午に供用開始となった。
あすと長町移転後、五橋の旧病院では、テレビ東京開局50周年特別企画『松本清張「黒い画集 -草-」』(2015年3月25日21:00より放送)[29]のロケーション撮影が実施された[30]。
[ヘルプ] |
演題 | 期間 | 公演回数 | 来場者数 | 開催場所 | |
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ファシナシオン | 1992年8月19日~23日 | 全10公演 | 仙台市体育館 | ||
ドラリオン | 2007年5月23日~7月8日 | 全63公演 | 17万4400人 | 仙台・新ビッグトップ (新病院建設予定地) |
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コルテオ | 2010年4月21日~6月6日 | 全64公演 | 17万3200人 | ||
クーザ | 2012年4月19日~6月3日 | 全64公演 | 東日本大震災のため中止 | ||
オーヴォ | 2015年4月23日~6月7日 | 全64公演 | 13万1900人 | 仙台・ビッグトップ (新病院斜め向い) |
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