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予言(よげん、prediction)とは、ある物事についてその実現に先立ち「あらかじめ言明すること」である。
神秘的現象としての「予言」は、その中でも合理的には説明することのことのできない推論の方法によって未来の事象を語ることを指し、占星術やチャネリングと同じく疑似科学の領域の話題として扱われることが多い。
未来の事象を扱う場合でも、自然科学や社会科学のモデルに則り、合理的な説明が可能なものは、神秘的な意味での予言とは扱われない。例として、人間の身近な物体の運動、天気予報、人口推計などが挙げられる。ただし英語のpredictionは予報、予測の意味を含む。
漢語としての「預言」と「予言」は本来同義である。一方、啓示宗教における prophecy(預言)と prediction(予言・予測)は本来的に異なる概念である[1]。また、預言や神託には、未来を語ったものも含まれており、その部分は予言でもある[1]。
本項では主に神秘的現象としての予言を取り扱い、対比として部分的に自然科学における未解明問題に対する予想に「予言」という語を充てる例を取り上げる。
予言は予言者が未来の事象に関して著述あるいは口述することにより生成される。その過程は予言者の意識活動による想起である。この点において予言は他の一般的な題材に対する創作活動と変わるところはない。しかし未来の事象を予測するのにその推論過程に関して合理的な説明がなく、専ら予言者の想起に拠っているにもかかわらずその内容の当否を議論しようとするところに、創作活動としての予言の特殊性がある。
予言には純粋に予言者の想起に拠るものの他に、何らかの道具あるいは情報を補助的に用いる占術の形態を採っているものもある。これら占いによるものも具体的な事象への適用にあたっては占術師の予言想起の過程を経て生成されるものであり、合理的な説明を伴わないという点では広義で予言に含められるものである。
予言の的中を示すには、合理的には予測されない事象について、何が起こるかという事象の内容を事前に明確に記録していることが、十分条件となる。前記の十分条件を満たしていると広く認められている資料は、2012年までには確認されていない。
予言と称されるものでしばしば見られる事例として、
を予言の的中あるいは成就とするものがある。認知心理学などではこれらは予言の的中とはみなされない[2]。 また、予言の的中をもって予言者の特異な能力の発露、あるいは超常的な情報伝達が行われた証拠とされることもあるが、的中したという事象からそれが偶然によるものか事前に予見されたものかを判別する方法は存在しない。[3]。
古典力学の世界観の元では、この世のあらゆる物体の位置とその運動を把握できれば、未来永劫にわたる事象の予測が可能である。これによって未来を見渡せる存在をラプラスの悪魔という。しかし不確定性原理のもとでは、これは不可能であると見なされるようになった。バタフライ効果が知られてからは、非線形力学系では系の従う方程式と初期値を定めることが可能であったとしても、微小な初期値の差異が拡大再生成されて、系の確定的な未来の状態を精度よく予測することは困難であるとされている。 不可知論では、予言という概念を認めていない。
これらの点をまとめると
と言え、予言は疑似科学として扱うことが妥当と一般的に認識されている。
既視感(デジャヴ)というある既視感体験を多くの人々が経験している。しかし、大抵の場合その事象が起きた時に初めてその既視感に気づくので事前にその記憶を表現し、予言とすることは困難である。詳しくは既視感を参照。
予言・大予言は、日本では五島勉の著作である『ノストラダムスの大予言』で一躍有名になった。 以降、(パロディ的な用法も含めて)『○○(の)大予言』といった表題の著書は、数多く刊行されている[4]。予言と大予言の境界についての明確な基準はない。
事後予言(じごよげん)とは、ある出来事が起こった後に、事前に見通していたかのように捏造された予言のことである。上で述べた、曖昧な予言に事後の解釈を付け加えるものも、これの一種と位置付けられる。言うまでもなく、事後予言は予言というよりも単なる詐術であり、米国の占い師の中には、事後予言が露見して信用を失った者もいる。ほか、アガスティアの葉も事後予言に属する要素を含むと指摘されている。
自己成就予言(じこじょうじゅよげん)、もしくは予言の自己成就(よげんのじこじょうじゅ)(英、self-fulfilling prophecy)とは、予言をした者もしくはそれを受け止めた者が、予言の後でそれに沿った行動を取ることにより、的中するように導かれた予言のことである。ジェロラモ・カルダーノの最期や、ノストラダムス2世の最期と伝えられる逸話などが当てはまる。また、より身近な例として、星座占いや血液型性格分類、銀行の取り付け騒ぎも、示された結果を受け止めた者が、(意識的にせよ、無意識的にせよ)それに沿った行動を取ることで、当たっていると錯覚しているケースのあることが指摘されており[5]、これも一種の自己成就予言と言える。この語は、社会心理学の用語としても用いられる[6]。
ここでいう「予言者」は、超自然的な方法で未来を知覚するという意味での予言者と称している、あるいはそのように見なされている人物である。また、上記の定義の通り、アブラハムの宗教などにおける預言者は、ここには含めない(聖母の出現関連なども対象外である)。
動物が直接予言するわけではないが、人間が何らかの操作と解釈をすることによって特定の動物に予言を行わせることがある。
表示されている著者とは無関係の偽書であることを疑われているものも含む。
一般には予言と見なされていないが、予言的なメッセージが込められていると主張する論者のいるもの。古典や伝説的な書物などを取り上げて、予言が含まれていると主張するのは、トンデモ本の手法の一つでもある。
自然科学の領域でも、「予言」の語が用いられることはある。これは、ある仮説が正しいとした場合に、必ず存在するはずの未発見の物質や、未観測の現象を想定する時に用いられる。自然科学における「予言」は、仮説の妥当性を検証する上で重要な意味を持つ。ほぼ同じ意味で予想といわれることもある。
このような「予言」の例としては、ドミトリ・メンデレーエフが元素周期表によって当時未発見だった元素の性質を予言したことや、エドモンド・ハリーがハレー彗星の回帰を予言したこと、ユルバン・ルヴェリエとジョン・クーチ・アダムズが天王星の摂動から海王星の存在とその軌道を予言したこと、アルベルト・アインシュタインが一般相対性理論によって当時未確認だった重力レンズを予言したこと、ディラックによる陽電子の存在の予言などが挙げられる。日本人初となった湯川秀樹のノーベル賞受賞も、素粒子物理学における中間子の存在を予言したことが評価されてのものであった。
カール・マルクスの思想とマルクス主義においては、共産主義社会が革命で訪れるとのべられ、これが宗教的な予言であるとして批判された[9]
時として、フィクションの中で語られたことが、現実でも起こることがある。その要因は、偶然の一致にすぎないものや、作者の緻密な分析の賜物であるものなど、様々である。「予言的」な小説家としては、ハーバート・ジョージ・ウェルズの名がよく知られている。またこの中には、レオ・シラードがウェルズの作品に影響を受けて原子爆弾を実用化させたように、自己成就予言的なものも含まれている。
「予言」がストーリーの主要部分に関わるフィクションもしばしば見られる。
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