出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/11/27 02:18:50」(JST)
ムクドリ | ||||||||||||||||||||||||
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ムクドリ
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保全状況評価 | ||||||||||||||||||||||||
LEAST CONCERN (IUCN Red List Ver.3.1 (2001)) |
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分類 | ||||||||||||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||||||||||||
Sturnus cineraceus Temminck, 1835 | ||||||||||||||||||||||||
和名 | ||||||||||||||||||||||||
ムクドリ | ||||||||||||||||||||||||
英名 | ||||||||||||||||||||||||
White-cheeked Starling |
ムクドリ(椋鳥、学名Sturnus cineraceus)はスズメ目ムクドリ科の鳥類の1種。英名は White-cheeked Starling または Gray Starling。
全長24cm ほどで[1]、およそスズメとハトの中間ぐらいの大きさ。尾羽を加えるとヒヨドリより一回り小さい。翼と胸、頸は茶褐色で、頸から頭部にかけてと腰に白い部分が混じり、足および嘴は黄色い。
雄は胸や腹・背が黒っぽく、雌は褐色に近い。
東アジア(中国、モンゴル、ロシア東南部、朝鮮半島、日本)に分布する。
日本国内ではほぼ全域に分布する留鳥で、北部のものは冬には南部に移動するようである。低地の平野や低山地にかけて広く生息し、都市部などの人家付近や田畑などでもよく見られる。
雑食性で、植物の種子や果物、虫の幼虫などを好んで食べる。地面に降りて歩いて虫などを探すこともあれば、木の枝に留まってカキなどの熟した実をついばむ様子も観察される。椋の木の実を好んで食べるため「椋鳥」と呼ばれるようになったといわれているが、これに限らず幅広く食べている。
繁殖期は春から夏で、番いで分散し、木の洞や人家の軒先などの穴に巣を作る。両親ともに子育てを行い、とくに育雛期には両親が揃って出掛け、食糧を探して仲良さそうに歩き回る様子が観察される。
繁殖期は巣で寝るが、ヒナが巣立つと親子ともに集まって群れを形成するようになり、夜は一か所に集まってねぐらを形成する。ねぐらには 10km 以上の範囲から集まり、冬は数万羽の大群となることもある。かつては河原の広葉樹や人家の竹やぶに集まっていたが、そういった環境は開発で減少したため、近年[いつ?]では都市部の街路樹などにねぐらをとる例も増えている。
鳴き声は「ギャーギャー」「ギュルギュル」など。都市部などでも群れを成して生活するため、その鳴き声を騒音だと感じる人もいる[要出典]。
かねてより、本種とギンムクドリの交雑個体と考えられるものが観察されていたが、2009年5月、高知県宿毛市で本種の雌とギンムクドリの雄が交雑したことが報告された[2]。
シブリー・アールキスト鳥類分類 |
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スズメ目 Passeriformes
スズメ亜目 Passeri
スズメ小目 Passerida
ヒタキ上科 Muscicapoidea
ムクドリ科 Sturnidae
ムクドリ族 Sturnini
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作曲家のモーツァルトは、ムクドリをペットとして飼っていたというエピソードが残され、彼の作曲したピアノ協奏曲第17番の第3楽章には、そのムクドリのさえずりを基にした旋律が主題として用いられているといわれるが、これは別種ホシムクドリについての逸話である[3]。
日本語の椋鳥の語源は「群木鳥・群来鳥(ムレキドリ)」から転じたとする説と、椋の木の実を好むからとする説が存在する[4]。
日本の方言では、モク、モクドリ、モズ、クソモズ、モンズ、サクラモズ、ツグミ、ヤマスズメ、ナンブスズメ、ツガルスズメなど様々に呼ばれている[要出典]。 秋田県の古い方言では、ムクドリのことを「もず」「もんず」と呼んでいる[要出典]。
日本では、文学の中にムクドリがしばしば登場する。椋鳥は冬の季語と定められている。江戸時代、江戸っ子は冬になったら集団で出稼ぎに江戸にやってくる奥羽や信濃からの出稼ぎ者を、やかましい田舎者の集団という意味合いで「椋鳥」と呼んで揶揄していた[5]。俳人小林一茶は故郷信濃から江戸に向かう道中にその屈辱を受けて、「椋鳥と人に呼ばるる寒さかな」という俳句を残している。明治時代には、森鴎外が、日本=世界の中の田舎者という意味で、海外情報を伝える連載コラムに「椋鳥通信」というタイトルをつけた[6]。
宮沢賢治の短編童話『とりをとる柳』に登場する千ほどの集団で一斉に木から飛び立つと描写された鳥が標準和名のモズではなく、本種であったと指摘されている[7][8][9]。
ムクドリは日本に広く生息しているため、野鳥観察において、大きさを表現するための物差し鳥として利用されている[要出典]。
またムクドリは、現在の日本では食用にはされていないが、『大和本草』には食用にされてきたことをうかがわせる「味よし」という記載がされている[10]。
ムクドリはもともとは、農作物に害を及ぼす虫を食べる、益鳥とされていた。平均的なムクドリの家族(親2羽、雛6羽)が1年間に捕食する虫の数は百万匹以上と研究されている。当時[いつ?]害虫を1匹駆除するのに1円かかるといわれていたため、ムクドリ1家族で年間に百万円以上の利益を国家にもたらす「農林鳥」とたたえられたほどである。その後、生息環境の破壊により都市に適応して大量に増殖すると、鳴き声による騒音や糞害などが、しばしば問題になる。日本国内では1994年からは狩猟鳥に指定されている[11]。
新潟県長岡市ではJR長岡駅前の街路樹にムクドリの大群が発生し問題となっていたが、捕獲したムクドリの鳴き声を収録し大音量で流すことでムクドリは去っていった。この成功例から全国の自治体から問い合わせが相次ぎ、この鳴き声を収録したカセットテープ・CDを各地に配布したところ、各地でもムクドリを立ち去らせることに成功した。しかし、ムクドリの数そのものが減少した訳ではないため、今まで被害の出ていなかった別の街路樹で被害が発生するなど、「単に少し移動しただけ」という問題もある。なお、鳴き声からか、大きな音により立ち去ったのかは検証されていない[要出典]。
宮崎県では新潟の例を参考にし鳴き声を録音したテープを流したが、大した効果は見られなかった。 そこで街路樹にネットをかぶせるという対策をとったが、ネットがない隣の木に移るなどいたちごっこが続き現在対策の目途が立っていない[要出典]。
その他、果物を好んで食べるため、果樹園に被害を与えるとして駆除されることもある。本種以外に、近縁でヨーロッパ、アメリカに分布するホシムクドリにも本種と同様の性質があり、特にアメリカでは都市部における最悪の害鳥として知られる[要出典]。
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