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ファンタジー(英: fantasy)とは、超自然的、幻想的、空想的な事象を、プロットの主要な要素、あるいは主題や設定に用いるフィクション等の作品のジャンルである。
このジャンルの作品の多くは、超自然的な要素を含む架空の世界や惑星を舞台としている。ファンタジーはサイエンス・フィクションやホラーとは科学や死のテーマを避けることで概ね区別されるが、これらには互いに重なる部分も多い[要出典](いずれもスペキュレイティブ・フィクションのサブジャンルたり得る)。文芸としての「ファンタジー」は幻想文学と呼ばれるジャンルのサブジャンルでもある[1]。
ファンタジーの定義は曖昧であるが、弁別的特徴として、作品内に魔法などの空想的な要素が(現実的にはありえなくとも[2])内部的には矛盾なく一貫性を持った設定として導入されており、そこでは神話や伝承などから得られた着想が一貫した主題となっていることが挙げられる[3]。 そのような構造の中で、ファンタジー的な要素はどのような位置にあってもかまわない。隠されていても、表面上は普通の世界設定の中に漏れ出す形でも、ファンタジー的な世界に人物を引き込む形でも、そのような要素が世界の一部となっているファンタジー世界の中で全てが起こる形でもありうる[4]。
サイエンス・フィクション (SF) との対比で言うと、SFでは世界設定や物語の展開において自然科学の法則が重要な役割を果たすのに対し、ファンタジーでは空想や象徴、魔法が重要な役割を果たす。ただし、SF作品においても、現実世界には存在しない科学法則を仮定し、それに基づいた世界や社会を描く試みがその歴史の初期から存在すること、逆にファンタジー作品においても錬金術や魔法などに体系的な説明が用意されている場合があること、など、両者の線引きを困難にするようなケースがある。また執筆当時にそのような分類がなされていたかは別にして、SFとファンタジー双方の作品を発表する作家もおり、SFとファンタジー両方の性質を併せ持った境界線上の作品(SFファンタジー)も多数発表されている。
ファンタジーの定義を広く「仮想の設定のもとに世界を構築する作品」とし、SFをサイエンス・ファンタジーとしてファンタジーに含ませる考え方もある。SFとファンタジー双方の作品を発表する作家であるアン・マキャフリィなどは、SFはファンタジーのサブジャンルであると度々語っている。
また逆に、現代文学におけるファンタジーの形成と再評価の相当な部分、特にパルプ雑誌に代表される(児童文学に分類されない)大人向けの部分の多くが、先行して市場が形成されていたサイエンス・フィクションの市場の枠内で行われてきたという歴史的な経緯から、ファンタジーをSFの有力な一分派とする考え方もある。サイエンス・フィクション研究家であるフォレスト・アッカーマンやSF作家でSF史の著書もあるブライアン・オールディスなどもこの見解である。
どちらも極論ではあるが、この両者は明確な境界が存在し得ないほど近しい関係にある。これらを包括した呼称として「スペキュレイティブ・フィクション」がある。
なお、ファンタジー的(幻想的)を意味する英語の形容詞は「ファンタスティック」 (fantastic) であり、日本で時として使われる「ファンタジック」というカタカナ言葉は本来の英語では誤りとなる和製英語である[5]。
児童文学においては、主人公が異世界と行き来するものをファンタジー、主人公がもともとその世界の住人であるものをメルヘンと分類している。
ファンタジーの特徴として語彙や用語にこだわる形式主義の点がある。架空の設定に一貫性と堅牢な構造を持たせ、複雑な思想を伝えるために選択された歴史を持つ。例えば、日本の児童文学研究者である石井桃子は『子どもと文学』(1960年)のファンタジーの章でこの点を指摘している。
同時に外観から思想や宗教寄りの傾向に対する批判もある。例えはフィリップ・プルマン(1946年 - )やJ・K・ローリング(1965年 - )は、作中にキリスト教的ドグマの込められた『ナルニア国ものがたり』(1950年-1952年)に対して強い批判を行っている。今日の文芸に対しては迂遠な思想よりも現実の社会が有する問題へ個人がどう対応するか示唆が求められている。
ここから形式主義を利用した新しい作り手たちは、現実と思想の両方の受容により問題へ対応する弁証機能を作品の主題にしており、これに対しては作品自体が大人である作者の方法論に終始している、さらにミーイズムへ深化しているとの批判がある。作家のさねとうあきらは『超激暗爆笑鼎談・何だ難だ!児童文学』(2000年 星雲社)でファンタジーの「不連続性」を指摘している。
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文学史の中にファンタジーの起源を求めると、古代・中世の書物に記された神話や伝説、英雄物語などに行き着く[要出典]。例えば『ベーオウルフ』、『ニーベルンゲンの歌』、中世ロマンス、アーサー王伝説群などが挙げられる。
そして、これらの神話伝説を素材として編まれた数々の文学作品がファンタジーの源流となり、また、ファンタジーの系譜にはイソップ童話のような童話から児童文学につながる流れもある[要出典]。
近代文学におけるファンタジーは、19世紀から20世紀初頭にかけて隆盛を誇ったリアリズム文学に対するアンチ・テーゼとして出発している[要検証 – ノート]。すなわち、小説世界のルールは現実世界に準じ現実の一コマとして存在しうる物語であるというリアリズム文学に対し、小説世界のルールを小説世界で規定し現実にはありえない物語をファンタジー文学と呼んだのである[誰?]。
最初期のファンタジーは、主に児童文学の領域にみられる。すなわちチャールズ・キングスレイ『水の子 陸の子のためのおとぎばなし』(1863年)やルイス・キャロル『不思議の国のアリス』(1865年)などである。これらは、すでに単に子供向けではない大人向けの含蓄が含まれる点で、初期ファンタジー文学としての特質を有している。その後の流れとしては、ライマン・フランク・ボーム『オズの魔法使い』(1900年)、ジェームス・マシュー・バリー『ピーター・パンとウェンディ』(1911年)、パメラ・トラバース『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(1934年)などが挙げられる。これらもファンタジー文学、児童文学両方の扱いがなされる。
やがてファンタジーは児童文学の一分野として扱われながらも、次第に対象を大人にも広げていき、またサイエンス・フィクションとも相互に影響しあって発展していく。児童文学に分類されない、大人向けのファンタジーとしてはロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』(1939年)や、ジャック・フィニイ『ゲイルズバーグの春を愛す』(1963年)などが代表作として挙げられる。ただしこの両作品はサイエンス・フィクションの時間テーマものの傑作としても扱われており、ファンタジー文学、SFの両方の扱いがなされる作品でもある。
児童文学に分類されない近代ファンタジーの形成は、ファンタジーの定義の解釈によって諸説はあるものの、狭義のファンタジーとしては1920年代から1940年代にかけて隆盛を誇ったパルプ雑誌を嚆矢とすることができる。特に通常はSFとファンタジーとの境界作品的な存在であるため、そのどちらにも分類されるエドガー・ライス・バローズの火星シリーズ(第1作『火星のプリンセス』は1912年に原型が発表され1917年に完成)、ロバート・E・ハワードによるヒロイック・ファンタジーの最初の完成型とも言われる英雄コナンシリーズ(1932年に第一作発表)がこの時代の代表作であり、同時にJ・R・R・トールキン以前の近代ファンタジー文学の1つの典型と言える。
なお、ハワードは多数の模倣者を生み出したことでも知られ、ハワードとその有象無象の模倣者たちはヒロイック・ファンタジーや同時代に隆盛を誇ったスペース・オペラなどの形成に大きな役割を果たしている。
同時期の特筆すべき事項としては、1923年創刊のパルプ雑誌『ウィアード・テールズ』、同じく1939年創刊の『アンノウン』の2誌の存在である。『ウィアード・テールズ』はホラー・フィクションに、『アンノウン』はサイエンス・フィクションに近しい雑誌ではあるものの、ファンタジー的な要素も強く、トールキン以前の近代ファンタジーの形成には無視できない存在となっている。
付け加えるなら、近代ファンタジー形成の黎明期である1910年代からパルプ雑誌の市場が事実上消滅する第二次世界大戦の直前までの期間においては、市場的にもファンタジーというジャンルは黎明期であった。例えば、児童文学に分類されない大人向けのファンタジー作品を専門に紹介するパルプ雑誌は事実上存在していない(ただし『ウィアード・テールズ』を一応の例外と考えることは可能で、同誌を世界最初のファンタジー専門パルプ雑誌とみなす場合もある)。この時代のファンタジー作品は、事実上ホラー・フィクションやウィアード・メナスと呼ばれる当時隆盛を誇っていた怪人もの、そして、サイエンス・フィクションの市場の中で発表されており、市場としてもジャンルとしても独立した存在と認知されるのは1930年代末期に前述の『アンノウン』誌や『Fantastic Adventures』誌などが創刊したあたりからである。ただし、認知されたとは言っても限定的なもので、特に一般層への認知度は現代とは比べものにならないほど低かった。事実、後述するトールキンの諸作品の登場後ですらも、バローズやハワードの諸作品はSFか冒険小説に分類されていたし、『ジェニーの肖像』も発表当時はSFに含まれるべきものとされていた。
このような近代ファンタジー文学のひとつの転機となったのは、J・R・R・トールキンによる『指輪物語』(1937年から1949年執筆、1954年刊行)である。『指輪物語』は1960年代後半に北米で人気を博し、その影響下で多くのファンタジー作家が登場した[6]。トールキン作品の影響は文芸以外の表現形式にも及んでいる。ただしその評価と後に与えた影響は、英国・欧州とアメリカ合衆国ではかなり異なっている。
まず、英国や欧州では、トールキンの「リアリズム文学へのアンチテーゼ」という第二者的な立場から脱却した「神話の構築」という独自の立脚点や、専門知識を駆使して架空の神話から人工言語まで編み出して背景世界を構築しているという点などが高く評価されている。この点で、トールキンは従来のファンタジー作家とは一線を画す存在であった。
専門知識をもって世界観を構築した類例としては、トールキンの元同僚でもある宗教学者C.S.ルイスの『ナルニア国ものがたり』シリーズ (1950年 - 1956年) や、文化人類学者、上橋菜穂子の『守り人』シリーズ(1996年 -)などがある。そうした傾向の作品を「ハイ・ファンタジー」と呼ぶこともある。
ただしトールキン以前に(それがファンタジーというジャンルだとは認識されていなかったものの)相応の規模を持つ大人向けのファンタジー文学の市場が形成されていた合衆国においては、事情が異なる。
北米ではトールキンの文学性や世界観は評価され、後にその様式の作品も産み出されはするものの、「神話の構築」という視点は戦前のロバート・E・ハワードの時点ですでに形成されていたため、その点が評価されることは稀であった(北米では『指輪物語』のブームに乗る形で戦前のファンタジー作品がペーパーバックとして多数復刊され、並列する形で紹介された)。模倣者が存在したという点についても同様である。また「リアリズム文学へのアンチテーゼ」という立脚点についても、英国や欧州ではそのような議論は正しいにせよ、ファンタジーの形成当初より「神話を持たない民」であるアメリカ人のための「人造の神話」としての性格が強かったアメリカ合衆国では、そもそもファンタジーが第二者的な立場の作品であるという意識自体が存在しないか、存在してもきわめて希薄であった。
これらの事情の差は、サイエンス・フィクションがファンタジーの要素を融合させた作品を多数送り出す1960年代から1970年代にかけて英国・欧州と北米との交流が進む過程で希薄化され、1980年代中盤には両者の姿勢にそれほどの差はなくなっている。
他にもさまざまな作品が生み出されている。W・P・キンセラ(英語版)の『シューレス・ジョー』(1982年)はファンタジーの傑作として映画化されている(『フィールド・オブ・ドリームス』 1989年)。J・K・ローリングの『ハリー・ポッター』(1997年 - ) は、現代のイギリスを舞台に現実空間のすぐそばに魔法の通用する仮想空間を置くことで、リアリズム文学とファンタジー文学との融合を図る独特の作風を持ち、世界的なベストセラーとなっている。
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現代におけるファンタジー作品の舞台となる場所や時代は様々である。一例としてヨーロッパ、オリエントや古代日本、中華帝国など、各地・各時代を背景世界のモデルとした作品が挙げられるが、(作品が創作された時点での)現代や、全く架空の世界を舞台にした作品も多い。
日本で「ファンタジー」と言う場合、ヨーロッパ風の世界で繰り広げられる物語を指すことがある[要出典]。このようなファンタジーは時代背景、小道具、登場人物のふるまいなどは通念上のヨーロッパ世界をモデルとしているが、実際に人々が抱いていたり、想像される世界観を、直接あるいは間接的に世界設定やストーリー構造に取り入れているのが特徴である。よく題材や道具立てに使われる要素として、ドラゴン(竜)や妖精を代表とする各種の怪物、魔法、王家、囚われの姫君の救出、立身出世などが挙げられる。[疑問点 – ノート]
しかし一方で日本で創作されたファンタジーの物語の一部には、「中世風」の物語を謳いつつも世界設定において明らかに中世欧州には存在しなかった概念が用いられることがある。一例としては、貴族を完全に従え、王国の隅々にまで支配権を行き渡らせる君主が挙げられる。実際の中世欧州での王権は後の絶対王政時代ほどには強大でなく、領土統治も封建制に立脚した地方分権が基本であった。王権が強化され君主による中央集権的な統治が本格化するのは、封建制が崩壊し、有力貴族が力を失った絶対王政時代のことである。また、戦争で用いる武具に関しても、プレートアーマーを身に着けた兵士が主となって争い戦う姿が散見されるが、プレートアーマーが普及するのは15世紀のことであり、盛期中世の兵士は革鎧や鎖帷子を着用するのが一般的であった。騎士たちも、中には皇帝直属の独立した帝国騎士(ドイツ語版)もいたが、騎士全盛期のドイツでは多くの平騎士は元来諸侯に仕える家士の身分であった[7]。このように後の時代の要素や誤った概念(あるいは製作者側の完全な創作)を含んでいながら、それを一纏めにしてしまっていることが、結果として中世欧州に対する誤ったイメージを生み出している[要出典]。
こうした誤解には単なる作者側の知識不足(中世と近世を区別していないこと)だけでなく、中世“風”と明記されていながらそれを現実の中世としてステレオタイプ的に捉えてしまう、いわば受け取る側の問題や、時代の区分法における中世があまりに広い範囲を指す用語であり、中世の様相が一定でないという歴史学上の問題点も存在する(一般的には、社会が大きく変化した宗教改革期を近代の始まりとして1500年前後を中世の終わりとするが、長いスパンの社会変動を捉えて中世が17・18世紀まで継続したとみる論者もおり、通説が必ずしも自明であるわけではない[8])。
前述の通り、ファンタジーはかなり性格の異なる複数の作品群が含まれており、それらは下位ジャンルを形成している。こういった下位ジャンルについては、容易に分けられるものではなく、学術的に確立しているわけでもない。これらを以下に挙げる。
それぞれの下位ジャンルについては、個別の記事を参照されたい。
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