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スペインかぜ (1918 flu pandemic, Spanish flu) は、1918年から19年にかけ全世界的に流行した、インフルエンザのパンデミックである。感染者5億人、死者5,000万~1億人、と爆発的に流行した。
発生源は1918年3月、米国のデトロイトやサウスカロライナ州付近である[1]。その後同年6月頃、ブレスト、ボストン、シエラレオネなどでより毒性の強い感染爆発が始まった[1]。アメリカ疾病予防管理センター (CDC) によれば、既に1915年にインフルエンザと肺炎による死亡率が米国で増加しているが、発生源は依然不明としている[2]。新型インフルエンザ対策に関する検討小委員会ではカナダの鴨のウイルスがイリノイ州の豚に感染したとの推定が委員から説明されている[3][4][5]。
米国発であるにも関わらずスペインかぜと呼ぶのは、情報がスペイン発であったためである。当時は第一次世界大戦中で、世界で情報が検閲されていた中でスペインは中立国であり、大戦とは無関係だった[1]。
一説によると、この大流行により多くの死者が出たため、第一次世界大戦終結が早まったと言われている[6]。
スペインかぜは、記録にある限り、人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行(パンデミック)である[7]。
感染者は約5億人以上、死者は5,000万人から1億人に及び、当時の世界人口は約18億人~20億人であると推定されているため、全人類の約3割近くがスペインかぜに感染したことになる。日本では、当時の人口5,500万人に対し39万人(当時の内務省は39万人と発表したが、最新の研究では48万人に達していたと推定されている)が死亡、米国でも50万人が死亡した。これらの数値は感染症のみならず戦争や災害などすべてのヒトの死因の中でも、もっとも多くのヒトを短期間で死に至らしめた記録的なものである[8](ただし、第一次大戦の戦死者のうち、戦闘活動による死亡以外が多く占め、スペインかぜによる戦病死も含まれていることから、スペインかぜの死亡と第一次大戦の戦死者には重複がある)。
流行の経緯としては、第1波は1918年3月に米国デトロイトやサウスカロライナ州付近などで最初の流行があり[1]、米軍のヨーロッパ進軍と共に大西洋を渡り、5~6月にヨーロッパで流行した。第2波は、1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、病原性がさらに強まり、重症な合併症を起こし死者が急増した。第3波は、1919年春から秋にかけて第2波と同じく世界的に流行した(日本ではこの第3波が一番被害が大きかった)。1920年に死去したマックス・ヴェーバーも、スペインかぜによるとされる。また、最初に医療従事者の感染が多く、医療体制が崩壊してしまったため被害が拡大した。この経緯を教訓とし、2009年の新型インフルエンザによるパンデミックの際にはワクチンを医療従事者に優先接種することとなった。
世界規模で猛威を振るった病気であり、世界各国の膨大な数の死亡者の中には何らかの形で今日に名を残す数多くの著名人が含まれている。日本も例外ではなく、スペインかぜで死亡した有名な人物としては以下の人物が挙げられる。
スペインかぜの病原体は、A型インフルエンザウイルス(H1N1亜型)である。ただし、当時はまだウイルスの分離技術が十分には確立されておらず、また主要な実験動物であるマウスやウサギに対しては病原性を示さなかったことから、その病原体は不明であるとされた。ヒトのインフルエンザウイルスの病原性については1933年にフェレットを用いた実験で証明された。その後、スペインかぜ流行時に採取された患者血清中にこの時分離されたウイルスに対する抗体が存在することが判明したため、この1930年頃に流行していたものと類似のインフルエンザウイルスがスペインかぜの病原体であると考えられた。その後、1997年8月にアラスカ州の凍土より発掘された4遺体から肺組織検体が採取され、ウイルスゲノムが分離されたことによって、ようやくスペインかぜの病原体の正体が明らかとなった。
これにより、H1N1亜型であったことと、鳥インフルエンザウイルスに由来するものであった可能性が高いことが証明された。よって、スペインかぜはそれまでヒトに感染しなかった鳥インフルエンザウイルスが突然変異し、受容体がヒトに感染する形に変化するようになったものと考えられている。つまり、当時の人々にとっては全く新しい感染症(新興感染症)であり、スペインかぜに対する免疫を持った人がいなかったことが、この大流行の原因だと考えられている。
スペインかぜについては、解読された遺伝子からウイルスを復元したところ、マウスに壊死性の気管支炎、出血を伴う中程度から重度の肺胞炎、肺胞浮腫を引き起こすことが判明した。このような強い病原性はウイルス表面にある蛋白質HA(赤血球凝集素、ヘマグルチニン)が原因である。また、スペインかぜウイルスは、現在のインフルエンザウイルスよりも30倍も早く増殖する能力を持つことが分かっている(増殖をつかさどる3つのDNAポリメラーゼによる)。
通常の流行では小児と老人で死者が多いのだが、スペインかぜでは青年層の死者が多かった点に関し2005年5月にMichael Osterholmはウイルスによって引き起こされるサイトカイン・ストームが原因[9]であるという仮説を提唱[10]したが、これに反対する説もある。一方、2007年1月に科学技術振興機構と東京大学医科学研究所が人工合成したウイルスを用いてサルで実験した結果では、スペイン風邪ウイルスには強い致死性の肺炎と免疫反応の調節に異常を起こす病原性があることを発表している[11][12]。
2008年12月に、東京大学の河岡義裕など日米の研究者グループによって強い病原性を説明する3つの遺伝子を特定したことが発表された[13][14]。
スペインかぜという名称はSpanish Flu (influenza) に対する訳語として作られたものであり、第一次世界大戦時に中立国であったため、情報統制がされていなかったスペインでの流行が大きく報じられた事から名付けられた[1]。
西班牙流行性感冒を、当時のマスメディアが西班牙
現状では「スペインかぜ」という名称が微生物学の教科書でも使用されているが[21]、名称変更についてまだ統一的な見解が得られていない。
ニューヨーク、ベルリン、パリ、ロンドンの死亡者数のグラフ
患者を治療するアメリカ赤十字社所属の看護婦
身を守るため、マスクを付けるアルバータ州の農民
マスクを身に着けているシアトルの警察官
マスクをしていない人の乗車を拒否するシアトルの路面電車
犠牲者の遺体を運ぶ赤十字の職員
患者で溢れる、病院のインフルエンザ病棟
インフルエンザの犠牲者を埋める様子
早期治療を呼びかける日本のポスター
患者を担架で運ぶ赤十字の職員
スイス、ベルンの記念慰霊塔
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