出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/08/04 15:42:28」(JST)
アダルトチルドレン(Adult Children)とは、「機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなお内心的なトラウマを持つ」という考え方、現象、または人のことを指す。頭文字を取り、単にACともいう[1][2]。
一般には、「親からの虐待」「アルコール依存症の親がいる家庭」「家庭問題を持つ家族の下」で育ち、その体験が成人になっても心理的外傷(トラウマ)として残っている人をいう[3]。破滅的、完璧主義、対人関係が不得意といった特徴があり、成人後も無意識裏に実生活や人間関係の構築に、深刻な影響を及ぼしている。信田さよ子によれば、ACは自己認知の問題であり、診断的に与えられる言葉ではない[2]。
語の発祥は「Adult Children of Alcoholics(アルコール依存症の親の元で育ち、成人した人々)」であった。この言葉は、1970年代、アメリカの社会福祉援助などケースワークの現場の人たちが、自分達の経験から得た知識により作り出したものであり、学術的な言葉ではなかった。その後、アメリカのソーシャルワーカー、クラウディア・ブラックの研究により、単にアルコール依存症の親の元で育った子どもだけでなく、機能不全家庭で育つ子どもが特徴的な行動、思考、認知を持つと指摘された[要出典]。この考えは、「Adult Children of Dysfunctional Family(子どもの成育に悪影響を与える親のもとで育ち、成長してもなお精神的影響を受けつづける人々)」というものであり、現在もっとも広く支持されているアダルトチルドレンの定義となっている。
1990年、精神科医マーガレット・ラインホルドがHow to Survive in Spite of Your Parents:Coping with hurtful childhood legaciesを発表し、日本では1995年に翻訳書の『親から自分をとり戻すための本―「傷ついた子ども」だったあなたへ』[4]が出版された。
日本では1989年に東京で行われた「アルコール依存症と家族」という国際シンポジウムで、米国在住の心理学博士カウンセラー西尾和美が連れてきたクラウディア・ブラックが「アルコール依存症の治療」を発表した。クラウディアはシンポジウムの翌日、実践的な治療プロセスとして「アルコホリックと家族」というワークショップを西尾と共に行い、「アダルトチルドレン」という考え方を具体的に示した。
1992年に埼玉県浦和市で発生した高校教師夫妻による長男刺殺事件について横川和夫のルポ「仮面の家」[5]によって、退却神経症、斎藤学の名と共にアダルトチルドレンについて多くに知られることとなったともいわれる[6]。1995年、西山明の『アダルト・チルドレン』が刊行される[7]。1996年にアルコール依存症治療で実績があり「仮面の家」でも理論や分析の中枢として取り上げられた斎藤が『アダルト・チルドレンと家族 心のなかの子どもを癒す』を刊行 [8][9]したが、その本来的な意味である「アルコール依存症の人を主にする、機能不全家族の中での、幼少期のストレス体験を受けて育った者」という定義から離れて、マスコミなどで恣意的な逸脱した意味で流布されるようになったため、斎藤学はこの語を使うことをやめるかわりに「アダルトサヴァイヴァー」を用いるようになった。同1996年、原宿カウンセリングセンターの信田さよ子も著作『「アダルト・チルドレン」完全理解』 [10]を刊行、1997年には西尾和美[11]、長谷川博一などの著作[12]などで広く知られるようになった。1998年にはクラウディア・ブラックの翻訳も刊行[13]。
近年では「幼少時代から親から正当な愛情を受けられず、身体的・精神・心理的虐待または過保護、過干渉を受け続けて成人し、社会生活に対する違和感があったり子供時代の心的ダメージに悩み、苦しみをもつ人々」を総称して、メンタルケア(心理療法)が必要な人をアダルトチルドレンと呼ぶこともある。
本来、親は子どもに無条件で愛情を注ぐものだが、親の愛情が無条件の愛ではなく、何らかの付帯義務を負わせる「条件付きの愛」であることが問題となる。これが継続的に行使される家庭では、子どもは親の愛を受けるために、常に親の意向に従わなければならず、親との関係維持のために生きるようになり、この時点で親子関係は不健全であるといえる。主に幼少期からこうした手段が用いられ始め、子どもの精神を支配する手段として愛情を制限する。また、親による子どもへの単純命令を回避する手段としても用いられる。
この手段は子どもが成人する段階になっても継続され、引き続き成人した子ども(Adult Children)の精神を支配する。実はこの状況は非常に多くの家庭に存在しており、子ども(年齢に関わらず)は常に不健全な状況にさらされている。しかし、第三者からは一見してこのような家庭は、何ら問題のない普通の家庭として認識される場合が非常に多く「条件付きの愛」はしつけや教育と称される家庭の病理性の深さを象徴する現象であり、最も基本的な精神的虐待である。しかし現実に、無条件の愛を常に実行できるかというと、これは極めて難しく、健全な家庭を目指すには「条件付きの愛」を減らし、可能な限り無条件の愛を与える方法、あるいは命令と愛情をできるだけ区別する方法を、養育者自身が訓練・勉強する必要がある。
家庭内環境(家庭問題)において、身体的虐待は暴力や近親姦、性的虐待などの具体的事実によって顕在化しやすいが、親から子への愛情の不足や心理的虐待(精神的虐待)は、第三者からは非常に察知しづらい面が問題とされる。特に精神的虐待を行っている親当人は自身の子どもに対する言動が、虐待であることに気づいていないケースが多い。よって肝心の幼少期・成長期に問題を発見することは非常に困難である。よって成人し自立した後、年齢を問わずACの苦しみの出現によって、精神的疾病にまで発展することもある。
幼少期の子育ては、多くが母子間による密室的関係で経過するため、虐待については母親が時事的に孤独に判断することになる。養育行為そのものが親の全人格をそのまま反映させるものであり、子どもへの虐待について親が過敏に注意したとしても、もともと養育者本人の経験知以上とはなりにくい性質の行為である。
精神的虐待は、しつけか虐待かの境界線が重要な注目点である。その判断は、あくまで親の処置を子どもがどのように受け取っているか、という立場で点検する。特に親の側が良かれと思い対処したことが、子どもにとっては強要と解釈されるケースを注目する。強要と受け取られた場合、場合によって子どもの心に萎縮をまねき、結果として精神的虐待となる。この意思疎通のズレが問題とされる。
しつけには単純命令がつきものであり、命令なしに躾はできない。子どもにとって躾のステップは「親の命令に従う」→「命令の意味・理由の理解」→「社会規範の習得と道徳法則の理解」であり、これを幼児の散発的な欲望に、なかば逆らう形で導入しなくてはならない。親の立場からみた場合、面倒なあまり、命令に従わせることが目的化してしまった場合、子どもが道徳法則の理解までのステップが遠のくことになる。ステップを軽視してしまった場合、子どもの立場では単純な強要となる場合があり、子どもの理解度に注視し続ける必要がある。
ACの精神的虐待の象徴的特徴として、共依存 (co-dependency)があげられる。典型的な例として、親が強力に子どもの精神を支配する行動が、子どもの方も支配されたいという特異な感情を生み出し、親も子どもも支配し支配されることに奇妙な安心感を見出して、支配を通して相互依存するという現象がある。これは子どもにとって支配に反抗するより支配を受け入れる方が家庭内で波風を起こさなくて済むため、平穏な環境でいるためのサバイバル(生き残り)手段と解釈されている。通常、子どもはある年齢に達すると親の支配から脱しようと試みるのが自然な形態だが、この相互依存関係が強い場合、親子関係は成人してもなお支配の相互関係という不健全な状態が続く。よりわかりやすい表現で表せば、子離れせずに子どもを人生の目的とし続ける親と、それを受け入れ続けざるを得ない精神構造を埋め込まれた子ども、ということになる。これがひどい場合は親が死亡するまで関係を健全化することができず、極端な例として母親が死ぬまでともに暮らす、つまり一生結婚の機会を奪われることや、親同士が認識しただけのお見合いを強制され、世間体を重視した愛のない結婚生活を送る場合もある。
家族機能の状態は、こどもの抑うつ感、不安感、神経症的傾向と関連がある[2]。アダルトチルドレン研究は臨床研究は不十分である[2]。諸井克英は2007年に「家族機能認知とアダルトチルドレン傾向」[15]を発表、そのなかで、次の点を指摘した[2]。
現在の社会問題である、子どもの不登校や引きこもり、家庭内暴力、若者がキレる、凶悪犯罪、成人後のネグレクトなどの現象は、AC理論と密接に結びついているという見方が固まりつつある。これまでは、それぞれの現象は個別に研究されている傾向があったが、主としてメンタルケアを直接行っているカウンセラーなどのあいだで、児童期の養育環境・親子関係の問題として統合される過程にある。
2008年現在、全般的に日本の精神医学界ではAC理論とは距離を取っている。心的苦しみが極度に進行し精神科治療が必要となった、虐待や喪失体験による心的障害だけが治療対象とされる場合が多い。AC理論を受け入れ、カウンセラーも兼任し治療を行っている医師もいる。アメリカ・イギリス・フランスなどでは、日本よりはるかに進んだ治療的取組みがなされており、その方法論も洗練されている。
ACは精神疾患名ではないが、ACと称し称される人々の中にはうつ病・パニック障害・社交不安障害・全般性不安障害・解離性障害・複雑性PTSDなどの精神疾患を有している人たちがいる。また、境界性パーソナリティ障害・演技性パーソナリティ障害・反社会性パーソナリティ障害・自己愛性パーソナリティ障害・回避性パーソナリティ障害・強迫性パーソナリティ障害・依存性パーソナリティ障害等のパーソナリティ障害として診断されることもある。 パーソナリティ障害圏の問題を抱えた人たちは「パーソナリティ障害」であるとの告知に否認や拒否を示すことがあるため、「アダルトチルドレン」や「機能不全家族」といった呼称が便宜上用いられることがある。
医療機関に属する心理カウンセラーなどのあいだでは、当事者の自己理解と問題認識を促すものとしてAC概念に一定の効用を認める者もいる。また、「ACODA」などの全国自助グループもあり、全都道府県で自助活動が行われている。
Adult Children を日本語に直訳すれば「大人になった子ら」となるが、上記#発祥節にもあるとおり、この「Children 子ら」という語は本来、「問題を抱える親のもとに育った息子や娘たち」といった含意で単に“続柄”を述べているに過ぎず、決して未成年や児童を意味するものではない。「子ども=未成熟、分別がない」といった意味づけを抱き合わせる趣旨は存在しないが、日本ではマスコミなどによって「子どもっぽい性格のまま成人してしまった者」といった通俗解釈が与えられ、定着してしまった。
例として2001年、セガ(後のセガゲームス)は「大人げない性格」を表現する意図で「アダルトチルドレン」と命名されたキャラクターが登場するゲームソフト「セガガガ」を販売していたが、「日本アダルトチルドレン協会(JACA)」、「アルコール薬物問題全国市民協会(ASK)」、「アディクション問題を考える会(AKK)」が誤用を指摘し、セガ側はキャラクター名の変更(→スパイおじさん)、通信販売サイトでの一時販売停止、一般店頭販売予定日の延期を行った[16]。
このような「子どものような大人」、「大人になりきれていない未熟な人」といった誤解などから批判を受けがちである。代表的な例として「いい年をして自分の未熟な部分を親のせいにするな」がある。マスコミによる誤情報の流布の影響もあり、AC問題は日本の社会では正しい認知をされているとは言いがたい。また、親子間問題などの人生の諸問題は本人が単独で解決するべき、という風潮・文化が日本では根強く、第三者が介入して問題解決をするという考え方自体が希薄であり、欧米とはそうとうな距離感がある。第三者には理路整然とした問題解決の方法が示すことができるが、具体的解決策を発見して実行できるのは本人だけであり、時間のかかり方・取り組み方が当事者と第三者との間でギャップを感じさせ、第三者が批判的ポジションに移行してしまう傾向がある。こうした誤解・批判がAC問題に悩む人にとって解決・回復への大きな足かせとなっている。
[ヘルプ] |
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明示してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2012年9月) |
この項目は、人間関係・コミュニケーションに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。 |
全文を閲覧するには購読必要です。 To read the full text you will need to subscribe.
リンク元 | 「adult children」「成体子孫」 |
.