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『ハルマ和解』(はるまわげ、波留麻和解)は、日本最初の蘭和辞典。江戸時代の寛政8年(1796年)、蘭学者の稲村三伯、宇田川玄随、岡田甫説らによって編纂された。
蘭学の勃興により、蘭和辞典が求められた。長崎通詞の西善三郎は蘭日辞典編纂に着手したが編纂作業中に死去し、未完成に終わった。膨大なオランダ語の単語をABC順に並べる作業に、多大な労力が必要だったのである。
大槻玄沢門下の稲村三伯が蘭和辞典の必要性を痛感し、編纂活動を開始した。稲村三伯は、長崎通詞で西善三郎の遺志を継いで編纂事業に当たっていた石井恒右衛門を紹介され、オランダ人フランソワ・ハルマ(オランダ語版)の『蘭仏辞書』(1729年)の日本語訳を作る要領で蘭日辞典編纂に取り組んだ。この事で膨大なオランダ語の単語をABC順に並べる手間が、そっくり回避できたのである。稲村三伯の他、同じ大槻玄沢門下の宇田川玄随、岡田甫説が参加した。
編纂事業は寛政8年(1796年)に終わり、収録語数6万4035語、全13巻に及ぶ『ハルマ和解(波留麻和解)』として完成を見た。その後、寛政10年(1798年)から寛政11年(1799年)にかけて刊行された。
刊行にあたっては、当時の日本としては珍しく活版印刷が行われた。しかしオランダ語部分のみであり、日本語部分に関しては手書きで書写した。
従来は道教において用いられてきた「自然」という言葉を現在の意味で初めて用いるなど、西洋文明と近代文明受容の過程において日本語自体、ひいては日本人の意識を変える原動力となったと評される[1]。
稲村三伯の弟子の藤林普山が文化7年(1810年)に『ハルマ和解』の収録語から約3万語を選んだ簡略版『訳鍵(やくけん)』を刊行し、多くの蘭学者に利用された。
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