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栗山 孝庵(くりやま こうあん、享保16年(1731年) - 寛政3年11月15日(1791年12月10日))は、江戸時代の医師。名は以直、字は文仲。
山脇東洋の高弟で、長州藩7代藩主毛利重就、8代藩主の毛利治親の侍医を務めた。山脇東洋の蔵志に影響され、宝暦8年(1758年)に日本で2番目となる男性の腑分けを行い、翌年の宝暦9年(1759年)には、日本で初めての女性の腑分けを行っている。この時に腑分けされた女性は川上村(現在の山口県萩市川上)の17歳の女性で、本来なら夫殺しの罪で磔刑になるはずだったが、磔だと解剖の際に難があるため、孝庵の願いにより斬首刑に変更された。
墓所は萩市の海潮寺。
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