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出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2020/03/16 16:20:04」(JST)
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後藤 艮山(ごとう こんざん、万治2年7月23日(1659年9月9日) - 享保18年9月18日(1733年10月25日))は江戸時代の医師である。田代三喜らがもたらした金、元の医術が、五行説などの空理空論に流れる傾向があったのに対して、後漢末の張仲景の『傷寒論』に戻ることを主張した古方派を代表する医師である。
生涯
江戸に生まれた。名は達、字は有成、通称左一郎、艮山は号である。儒学を林鳳岡に学び、医学を牧村卜寿に学んだ。貞享2年(1685年)京都に出て医業を開いた。「一気滞留論」を唱え、治療は灸を施し、熊胆、蕃椒(トオガラシ)を服用させ、湯に入ることを奨励したので、「湯熊灸庵」と評された。『傷寒論』のみでなく、『黄帝内経』『難経』なども参考にし、卑近な材料を用い、民間医療も取り入れた。空理を避けて、親試実験を説いて、古方派の範とされた。医書を著すことを好まず、門人によってその言説が伝えられた。門人に香川修徳、山脇東洋らがいる。享年75(満74歳)。墓所は、京都市北区の上品蓮台寺、塔頭、普門院墓地。
参考文献
外部リンク
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Japanese Journal
- 後藤 艮山,大塚 敬節
- 漢方療法 = Journal of kanpo medicine and herb : 漢方臨床のための 23(9), 614-619, 2019-12
- NAID 40022080043
- 後藤 艮山,大塚 敬節
- 漢方療法 = Journal of kanpo medicine and herb : 漢方臨床のための 23(8), 548-553, 2019-11
- NAID 40022067730
- 後藤 艮山,大塚 敬節
- 漢方療法 = Journal of kanpo medicine and herb : 漢方臨床のための 23(7), 478-483, 2019-10
- NAID 40022020500
Related Links
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 後藤艮山の用語解説 - [生]万治2(1659).7.23. 江戸[没]享保18(1733).9.18.江戸時代中期,京都で活躍した古方派の医家。弟子には山脇東洋,香川修徳らがいる。名古屋玄医に師事しようとしたが,入門 ...
- 後藤艮山 艮山は古方派と呼ばれる江戸中期に興った医学革新運動の先駆者であった。ただし、古方派という呼称は彼の門人である香川修庵や山脇東洋の代になって初めて自覚をもって使われたのであって、艮山自身には革新の鼻祖というような大形な構えはまったく認められない。
- 2009年9月23日放送 漢方医人列伝 「後藤艮山」 北里大学東洋医学総合研究所 所長 花輪 壽彦 本日は後藤艮山についてお話しいたします。 後藤艮山は、江戸時代の名古屋玄医に次ぐ古方派のさきがけとされ、1659年に生まれ、 1733年 ...
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