Wikipedia preview
出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2019/11/16 15:30:55」(JST)
[Wiki ja表示]
多紀 元孝(たき もとたか、元禄8年(1695年) - 明和3年6月20日(1766年7月26日))は、江戸時代中期の奥医師。本姓は福島、通称は安元、号は玉池。
平安時代の医家・丹波康頼の子孫の家系。金保元燕の養子になり、享保12年(1727年)に元燕が致仕したため家督を継ぐ。享保20年(1735年)に番医となり、元文元年(1736年)には月光院の療用を命ぜられて寄合となる。延享4年(1747年)に西丸奥医師に任ぜられ、俸禄100俵に100俵を加増されて200俵となり、法眼に叙せられた。寛延2年(1749年)に養父が没すると家号を多紀に改めた。宝暦2年(1752年)には奥医師(一時二丸奥医師となるが本丸奥医師)となり、宝暦4年(1754年)公遵法親王が病により、日光に赴く。明和2年(1765年)5月に漢方医の教育のために神田佐久間町に私塾・躋寿館(せいじゅかん、後の医学館)を創設した。
家族
- 長男:元張(後に道訓、病にて跡継ぎとならず)
- 次男:元行(福島氏を称し、病により跡継ぎを辞す)
- 三男:元徳
- 娘:鍼医・山崎次茂の妻
関連項目
参考文献
- 『日本人名大辞典』(講談社)
- 『多紀氏の事蹟』(森潤三郎著)
Japanese Journal
- 天保改革と洋学書の出版--特に医学館との関係について
Related Links
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus - 多紀元孝の用語解説 - 1695-1766 江戸時代中期の医師。元禄(げんろく)8年生まれ。金保家の養子となって幕府につかえ,奥医師にすすんで法眼となる。寛延2年家号を多紀と改称。明和2年医学校躋寿 ...
- 多紀 元孝(たき もとたか、元禄8年(1695年) - 明和3年6月20日(1766年 7月26日))は、江戸時代中期の奥医師。本姓は福島、通称は安元、号は玉池。 平安時代の医家・丹波康頼の子孫の家系。 金保元燕の養子になり、享保12年(1727年)に元燕が致仕したため家督を継ぐ。
- 年 ( 1765)多紀元孝(1695~1766,安元,号玉池) による創設時の開校目的は,次の文章に見られる とおり,民衆救済を第一とした. 江戸医学館における臨床教育 町 泉寿郎 二松学舎大学文学部 受付:平成24 年12月8 日