出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/06/15 21:10:44」(JST)
リボー | |
---|---|
欧字表記 | RIBOT |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1952年2月27日 |
死没 | 1972年4月28日 |
父 | Tenerani |
母 | Romanella |
母の父 | El Greco |
生国 | イギリス |
生産 | フェデリコ・テシオ |
馬主 | マリオ・インチーサ・ デッラ・ロケッタ侯爵 |
調教師 | ウーゴ・ペンコ(イタリア) |
競走成績 | |
生涯成績 | 16戦16勝 |
獲得賞金 | 30,360,000リラ +59,880,000旧フラン |
テンプレートを表示 |
リボー(Ribot、1952年 - 1972年)は1950年代中ごろに活躍したイタリアの競走馬・種牡馬。史上最強と呼ばれる事がある馬の1頭で、16戦16勝、凱旋門賞連覇の成績を持つ。引退後は種牡馬としても成功した。20世紀イタリアのスポーツ選手第4位。
リボーは1952年、母のロマネラが種牡馬テネラニと交配するために滞在していたイギリスのナショナルスタッドで生まれた。両馬はリボーの両親でもあり、ともにイタリアの馬産家フェデリコ・テシオの生産馬であった。テシオは1951年にテネラニをロマネラに交配した後イギリスに売却したが、翌1952年の春、もう一度ロマネラにテネラニを交配することを考え、ロマネラをイギリスに送ったという経緯があり、このため血統、関係者共にイタリア色が濃いにもかかわらず、生産国はイギリスとなっている(生産地はサフォーク州ニューマーケット)。テシオは種牡馬を自らの手元に置かない主義であったため、このようなケースは他のテシオの生産馬にも見られる。
生後すぐにイタリアに渡ったリボーだったが、子馬のころは大変小柄で、牧場でのあだ名はイタリア語で「ちびっこ」の意を指すイル・ピッコロ (Il Piccolo) というものであった。テシオも「その資質と優れた馬格は凡馬のものではない」と素質を認める一方、小柄だったためクラシック登録をしなかったとされる。また、若い頃は人懐っこく物を隠すなど悪戯好きな側面も見せていたという。テシオはこの仔馬にフランスの画家「テオデゥル・オーギュスタン・リボー」に因み、リボーと名付けた。ちなみにテシオはリボーについて「将来ひとかどの馬になるだろう」と予言していたが、リボーがデビューする2ヶ月前に死去した。
デビューに際してはテシオ厩舎のベテラン厩務員の1人マリオ・マルチェシが担当に決まった。彼が後年リボーを選んだ理由について、「チビではあったが賢そうな顔立ちと、きびきびとした動作が気に入った。なにより根性がありそうだった」と語った。やがてマルシェチとリボーの間には語り草になるほどの深い絆が生まれた。
前述のようにデビューの2か月前にテシオが死去したため、テシオの盟友であったインチーサ・デッラ・ロケッタ侯爵が馬主となった。1954年7月に競走馬としてデビュー。序盤からスピードを全開にする走法で2連勝を飾った。3戦目のグランクリテリウムでは騎手のカミッチがそれまでと同様のレースをしてはスタミナがもたないのではないかと懸念し、前半スピードを抑える競馬を試みたが、自身の思い通りに走れないリボーを苛立たせることになり、その影響から生涯最小の着差であるアタマ差での勝利を経験している。
クラシック登録がないリボー陣営は目標を故テシオの悲願だったフランスの凱旋門賞に定め、ステップレースのベサナ賞では後のイタリアのセントレジャーステークス優勝馬デレイン (Derain) に10馬身差をつけて完勝しフランスに遠征した。凱旋門賞では2番手を追走。最終コーナーで先頭にたつとリボーはそのまま後続を引き離し、ゴールではボウプリンス (Beau Prince) に3馬身差をつけて余裕の勝利を決めた。しかもこの僅か2週間後にイタリアの大レースジョッキークラブ大賞で前年の勝ち馬ノルマンを相手に15馬身差で勝利している。
4歳になってもリボーは圧勝を重ねた。初戦のグィリオヴェニノ賞を4馬身、2戦目のヴィチュオーネ賞を12馬身、3戦目のガルバニャーテ賞を8馬身、イタリア最大のレースミラノ大賞典を8馬身と圧勝するが、イギリスでリボーの評価が低かった為、リボー陣営はイギリス遠征を決断しキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスへ出走、これを当時のレース最高着馬身差の5馬身の快勝をするとイギリスでの評価を覆した。この後、2度目の凱旋門賞を迎える。各国のクラシックホース7頭(他にワシントンDCインターナショナル勝ち馬マスターボーイング、翌年の凱旋門賞馬オロソ等もいた)、初めてアメリカからの遠征馬(ワシントンDCインターナショナル勝ち馬フィッシャーマン、ベルモントステークス2着馬キャリアボーイの2頭)を迎えた高レベルな凱旋門賞となったが、デビュー以来の15連勝を重ねたリボーは1.6倍の圧倒的1番人気に押されていた。レースは前年の再現で、3番手を追走し、直線で先頭に立つと一度もムチが打たれることなく[1]独走態勢に入り、6馬身差で圧勝(史上最大着差、しかも写真等から実際には8 - 10馬身あったといわれている)。そのレースぶりは「発射台から打ち出されたミサイル」と形容された。
リボーは20世紀欧州における最多連勝記録16を残し引退した。16のレースで記録した2着馬との合計着差は100馬身に迫るものだった。子馬の頃「イル・ピッコロ」(ちびっこ)と呼ばれた小柄な体格は引退時の計測には体高162.6cm、胸囲188cm、官囲20.3cmにまで成長し、賢そうな顔と、力強い後ろ脚が特徴的な競走馬になっていた。
年月日 | レース名 | 着順 | 騎手 | 距離 | タイム | 着差 | 1着馬(2着馬) |
1954年7月4日 | トラムスキオ賞 | 1着 | E.カミーチ | 芝1000m | - | 1馬身 | (ドナタヴェネツィアナ) |
9月26日 | クリテリウムナツィオナーレ | 1着 | E.カミーチ | 芝1200m | - | 2馬身 | (ゼノドト) |
10月24日 | 伊グランクリテリウム | 1着 | E.カミーチ | 芝1500m | 1.38.4 | アタマ | (ガイル) |
1955年3月6日 | ピサ賞 | 1着 | E.カミーチ | 芝1500m | - | 6馬身 | (ドナタヴェネツィアナ) |
4月17日 | エマヌエーレフィリベルト賞 | 1着 | E.カミーチ | 芝2000m | - | 10馬身 | (ガイル) |
7月16日 | ブレンボ賞 | 1着 | E.カミーチ | 芝2200m | - | 1馬身 | (デレイン) |
9月7日 | ベサナ賞 | 1着 | E.カミーチ | 芝2400m | - | 10馬身 | (デレイン) |
10月9日 | 凱旋門賞 | 1着 | E.カミーチ | 芝2400m | 2.35.68 | 3馬身 | (ボウプリンス) |
10月23日 | 伊ジョッキークラブ大賞 | 1着 | E.カミーチ | 芝2400m | 2.34.4 | 15馬身 | (ノルマン) |
1956年5月12日 | グィリオヴェニノ賞 | 1着 | E.カミーチ | 芝2000m | - | 4馬身 | (フスカルド) |
5月16日 | ヴィットゥオーネ賞 | 1着 | E.カミーチ | 芝2400m | - | 12馬身 | (マジストリス) |
6月10日 | ガルバニャーテ賞 | 1着 | E.カミーチ | 芝2000m | - | 8馬身 | (グランドラピッズ) |
6月17日 | ミラノ大賞典 | 1着 | E.カミーチ | 芝3000m | 3.16.2 | 8馬身 | (ティソット) |
7月21日 | KG6世&QES | 1着 | E.カミーチ | 芝12ハロン | 2.40.24 | 5馬身 | (ハイヴェルツ) |
9月9日 | ピアツァレ賞 | 1着 | E.カミーチ | 芝1800m | 1.51.6 | 8馬身 | (マガビット) |
10月7日 | 凱旋門賞 | 1着 | E.カミーチ | 芝2400m | 2.34.76 | 6馬身 | (タルゴ) |
種牡馬となったリボーは最初イギリスのダービー伯爵のもとで供用され、翌年から2年間イタリアのオルジアタ牧場で供用された。その後、アメリカのダービーダンファームへ5年間のリース契約ながら135万ドルという史上最高価格が提示されアメリカに渡った。アメリカに渡ってからのリボーは環境の変化と加齢のためか、若いころの人懐っこい性格は姿を潜め、非常に扱い辛い性格へとなっていった。そのため、5年後にイタリアに戻る予定が、渡航の危険性から保険の引き受け手が見つからなかった。ダービーダンファームは5年間のリース期間延長と引き替えに追加で135万ドルを支払った。
産駒は世界中に拡散したが、おもにヨーロッパで走った産駒が活躍した。種牡馬としての能力も桁違いで、イギリスでのトータルアーニングインデックスは10近く、テシオもう一頭の代表馬ネアルコを上回るという意見もある。しかし、後継種牡馬はネアルコに大きく差を開けられてしまった。それでもトムロルフは孫の代にアレッジド(Alleged。リボー以来の凱旋門賞連覇を達成)を出し、グロースターク、ヒズマジェスティ兄弟も種牡馬として活躍した。セントサイモン系最大の勢力であるとともに、今日圧倒的なシェアを持つファラリス系(ネアルコ系、ネイティヴダンサー系)に対抗できる数少ない勢力のひとつではある(→子孫についてはリボー系を参照されたい)。
性格は概ね気難しい馬といったものだが、仔馬の頃は人懐っこく、晩年は決まった事以外の事をしようとすると暴れる気難しい馬へと変遷していった。もとから人の指図を受けるのは嫌いだったこと、見知らぬアメリカの地に渡った事で不安になった等と言われている。
血統構成は、父方母方ともに3代に渡ってテシオの生産馬で占められることが特徴となっている。テシオは自身の生産した種牡馬をあまり用いず、繁殖牝馬も牝系を育てる一方、毎年多くの馬を購入することでめまぐるしく変えていた。このような血統構成を持つ馬はほかにあまりおらず、いわばテシオにとってリボーは自身の集大成とも言える。
リボー (Ribot)の血統(セントサイモン系 / Sunstar5×5=6.25% (母内) ) | (血統表の出典) | ||
父
|
Bellini 1937 鹿毛 |
Cavaliere d'Arpino | Havresac |
Chuette | |||
Bella Minna | Bachelor's Double | ||
Santa Minna | |||
Tofanella 1931 栗毛 |
Apelle | Sardanapale | |
Angelina | |||
Try Try Again | Cylgad | ||
Perseverance | |||
母
|
El Greco 1934 栗毛 |
Pharos | Phalaris |
Scapa Flow | |||
Gay Gamp | Gay Crusader | ||
Parasol | |||
Barbara Burrini 1937 黒鹿毛 |
Papyrus | Tracery | |
Miss Matty | |||
Bucolic | Buchan | ||
Volcanic F-No.4-l | |||
父系 | |||
母系(F-No.) | |||
5代内の近親交配 | |||
出典 |
|
|
全文を閲覧するには購読必要です。 To read the full text you will need to subscribe.
ボグリボース錠0.2「OME」
〔輸液及びインスリンによる速やかな高血糖の是正が必須となるので本剤の投与は適さない。〕
〔インスリン注射による血糖管理が望まれるので本剤の投与は適さない。〕
〔低血糖が起こることがある。〕(「重大な副作用」の項参照)
〔腸内ガス等の増加により腸閉塞が発現しやすい。〕
〔本剤の作用により病態が悪化することがある。〕
〔腸内ガス等の増加により症状が悪化することがある。〕
〔代謝状態が変化することがあるため血糖管理状況が大きく変化するおそれがある。また、重篤な肝硬変例で、高アンモニア血症が増悪し意識障害を伴うことがある。〕
〔代謝状態が変化することがあるため血糖管理状況が大きく変化するおそれがある。〕
ラット小腸由来のスクラーゼ、マルターゼ及びイソマルターゼに対して阻害作用を示した (in vitro)。2)
ボグリボース錠0.3「OME」と標準製剤を、クロスオーバー法によりそれぞれ2錠 (ボグリボースとして0.6mg) 健康成人男性に絶食下単回経口投与した後、スクロース負荷における血糖値の時間的推移を判定し、得られた血糖値パラメータ (AUC、Cmax) について統計解析を行った結果、両剤の生物学的同等性が確認された。2)
血糖値並びにAUC、Cmaxのパラメータは、被験者の選択、血液の採取回数・時間等の試験条件によって異なる可能性がある。
0.2mg錠4錠投与時の血糖値パラメータ
0.2mg錠4錠投与時の血糖値推移
0.3mg錠2錠投与時の血糖値パラメータ
0.3mg錠2錠投与時の血糖値推移
本品は水に極めて溶けやすく、酢酸(100)に溶けやすく、メタノールに溶けにくく、エタノール(99.5)に極めて溶けにくい。
本品は0.1mol/L塩酸試液に溶ける。
拡張検索 | 「ポリアデノシン二リン酸リボース」「ADPリボース」「リボース1リン酸」「サイクリックADPリボース」 |
.