Wikipedia preview
出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2017/08/12 16:01:24」(JST)
[Wiki ja表示]
香川 修徳(かがわ しゅうとく)または香川 修庵(かがわ しゅうあん、天和3年7月1日(1683年8月22日) - 宝暦5年2月13日(1755年3月25日))は、江戸時代中期の医師(漢方医、古方派)、儒学者。字は太仲、号は修庵(しゅうあん)、通称は修徳(のぶのり)。一本堂。播磨国姫路(兵庫県姫路市)出身。精神疾患の書の記述は当時としては世界最高水準と評価されている。
目次
- 1 生涯
- 2 著書
- 3 脚注
- 4 参考文献
- 5 関連項目
生涯
18歳の時に京都に出て伊藤仁斎(いとうじんさい、儒学者・思想家)、後藤艮山(ごとうこんざん、医師)に師事した。儒医一本論を提唱し、「我より古を作る」という名言を残す[1]。治打撲一方を創案したとされる。
著書
- 一本堂行余医言(いっぽんどうこうよいげん) - 全30巻に及ぶといわれる医学全書。発刊は文化4年(1807年)で香川修徳の医学書の集大成とされるが、23巻以降は未完に終わっているもようで、稿本や写本があるかどうかはわからない。特に巻五の精神疾患の記述は当時としては世界最高水準と評価がある[2]。ここでは
- 驚…けいれんを主な症状とする小児の疾患
- 癲…大きな発作を伴うてんかん
- 驚癲…神経症圏の疾患
- 狂…統合失調症(旧・精神分裂病)。さらに「柔狂」と「剛狂」の2つに分類され、前者は破瓜型統合失調症、後者は緊張型統合失調症にそれぞれ相当する
- 痴鵔…知的障害
- 不食…摂食障害
に分類した[3]。
- 一本堂薬選 - 全4巻
- 一本堂医事説約 - 全1巻
脚注
- ^ 漢方医人列伝 「香川修庵」 北里大学東洋医学総合研究所副所長 村主 明彦 - ツムラメディカル・トゥデイ(ラジオ日経・2009年10月28日放送)
- ^ 日本医家列伝 鈴木昶 大修館書店 ISBN 9784469267457 p94-p95
- ^ 精神障害者をどう裁くか 岩波明 光文社 2009年 ISBN 9784334035013
参考文献
- 江戸の医療風俗事典 鈴木昶 東京堂出版 2000年 ISBN 9784490105612
- 精神医学の歴史 小俣和一郎 第三文明社 2005年 ISBN 9784476012521
- 日本医家列伝 鈴木昶 大修館書店 2013年 ISBN 9784469267457
- 精神障害者をどう裁くか 岩波明 光文社 2009年 ISBN 9784334035013
関連項目
典拠管理 |
- WorldCat
- VIAF: 24540504
- NDL: 00270183
|
|
|
この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 |
|
この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。 |
Related Links
- 香川修庵 かがわ-しゅうあん. 1683-1755 江戸時代中期の医師。. 天和 (てんな)3年7月1日生まれ。. 播磨 (はりま) (兵庫県) 姫路 の人。. 京都で 古医方 を 後藤艮山 (こんざん)に, 儒学 を 伊藤仁斎 にまなぶ。. 儒と医の本はひとつという儒医一本説をとなえ,また ...
- 香川修庵の著になる医学書・病論集。全22巻。修庵の医術・医論を集大成した名著で、香川流古方の真髄を示したものとして高く評価されている。 全22巻。
- 香川修徳(1683-1755)は播磨姫路の人で、字(あざな)は太冲といい、修庵と号した。 京都に上って後藤艮山について医をまなび、伊藤仁斎について古学を学んだ。 そしてついに、儒学と医術とは一つであって矛盾するものではないとの一家言を立てて、その堂を名づけて一本と号するに至った。 修徳の功績は、師説を推し広めるとともに、20年後の吉益東洞の出現の先駆けとなった点にある。 師の艮山は温泉治療や留滞した気を通暢(つうちょう)するための灸療法などの新機軸をさかんにとりいれた。 修徳も師の志をついで温泉の効用を研究し、温泉の良悪の鑑別法を示して、浴法の規則を立て、痔、脱肛、梅瘡、婦人の冷え、帯下などに善いと主張した。
Related Pictures