梅毒
Treponema pallidum の電子顕微鏡写真
分類および外部参照情報 診療科・ 学術分野
感染症内科学[*] ICD-10
A50-A53 ICD-9-CM
090-097 DiseasesDB
29054 MedlinePlus
000861 eMedicine
med/2224 emerg/563 derm/413 Patient UK
梅毒 MeSH
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梅毒 (ばいどく、Syphilis。黴毒 、瘡毒 (そうどく)とも)は、スピロヘータの1種である梅毒トレポネーマ (Treponema pallidum ) によって発生する感染症である。第一感染経路は性行為であるため性病の1つとして数えられるものの、妊娠中、出生時の母子感染による先天性梅毒もある。梅毒の徴候や症状は、4段階でそれぞれ異なる。
梅毒は、1999年、全世界で推定1200万人で新規感染したと考えられており、その90%以上は発展途上国での感染である。1940年代のペニシリンの普及以降、発症は劇的に減少したが、2000年以降、多くの国々で感染率が増加しつつある。たびたびヒト免疫不全ウイルスと併発するケースがあり、乱交、売春、コンドーム不使用に起因する[1] [2] [3] 。有効なワクチンは存在せず、抗菌薬の投与により治癒しても終生免疫は得られず、(梅毒に再び感染した場合)再感染が起こる[4] [5] 。
in vitroでの培養は不可能のため、病原性の機構はほとんど解明されていない。1998年には全ゲノムのDNA配列が決定[4] 、公開されている。また、理由は不明だが、ウサギの睾丸内では培養することができる。
疫学
世界各国で梅毒によって失われた障害調整生命年数 (2004年、10万人あたり)
[6] 。
no data
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日本における感染者は2010年頃より増加傾向にある[7] 。2015年は2014年を上回り、2017年には11月19日までの速報値で5,053人の感染者が国立感染症研究所により報告されたが、5,000人を超えるのは1973年以来44年ぶりであった[8] [9] 。2018年の患者報告数は6923人(暫定値)で、現行の集計方法が採用された1999年以降では最多となった[10] 。かつて第二次世界大戦後の1948年以降大きく減少していたが、1967年、1972年、1999年、2008年に小流行を起こした[11] [12] 。2010年までは500例から800例で(人口10万当たり発生率は0.4〜0.6程度)推移していたが[13] 、2012年以降は増加傾向に転じ、2013年の梅毒総報告数は1,226例[14] 、2014年 1275例[15] が報告され、人口10万当たり発生率は 0.96 と上昇している。また感染者の約80%は男性で男性の人口10万当たり発生率は1.6ある[14] 。なお、様々な診療科で鑑別診断が行われず、梅毒患者が見逃されていることを指摘する医師もいる[16] 。
欧州疾病対策センターが2019年7月にまとめた報告によると、欧州連合(EU)加盟国を中心とする31カ国における梅毒の報告数は2017年時点で3万3000人を超え、10年前との比較で7割増えた。アメリカ合衆国は2001年頃に減少傾向が増加傾向に転じた[10] 。
臨床像
1978 - 1999年の22年間に、東京都多摩地区で行われた健康な人を対象とした抗原検査結果によれば、45,614例中1,017件 (2.23%) が脂質抗原検査陽性で、このうちTPHA法、FTA-ABS法によるトレポネーマ抗体の検査陽性は、639例 (1.40%)。陽性率は、1978 - 1999年まで概ね1 - 約2%の間で推移し、梅毒の潜在的な感染例は減少していない。また、陽性例中の493例 (約77%) は60歳以上であった[17] 。
病原体
細菌学
詳細は「梅毒トレポネーマ」を参照
梅毒トレポネーマ、Treponema pallidum の特徴は、らせん状形態、グラム陰性であり、活発に運動する[18] [19] 。自然界における唯一の宿主はヒトである[20] 。宿主がいなければ数日も生きられない。これはそのゲノムサイズが小さく (1.14 MDa)、主要栄養素の合成に必要な代謝経路の遺伝子が欠落しているためである。このため、倍加時間は遅く、30時間以上掛かる[18] 。
梅毒トレポネーマの近縁種もまた、3つの病気の原因となる。それぞれ、イチゴ腫(フランベジア)は亜種 pertenue 、ピンタは亜種 carateum 、ベジェルは亜種 endemicum が原因である[21] 。これら近縁種は、梅毒トレポネーマとは異なり、神経疾患を引き起こさない[22] 。
感染経路
主に性行為・オーラルセックスにより、生殖器、口、肛門から感染、皮膚や粘膜の微細な傷口から侵入し、進行によって血液内に進む。米国における新規症例の感染経路は、男性同士の性行為が半数以上を占める。
これ以外にも母子感染、輸血血液を介した感染もある[23] 。母子感染の場合、子供は先天梅毒となる。血液製剤については、多くの国々で検査が行われるため、感染経路となるリスクは小さい。この病原体は体外に排出されると急速に死ぬことから、物を介した感染は難しく[24] 、日常生活における、食器や衣類の共有、トイレの便座、入浴からの感染は一般に不可能である[25] 。日本でも、2012年には男性同士の性交渉が原因と推測される感染例が最も多く報告されていたが、2012~2016年にかけて報告されたデータからは、男女間の性交渉による感染が急激に増加していた。この傾向は先進国においては報告されておらず、世界的には特殊である。男性は25~29歳、女性は20~24歳の感染者が多い。若い女性に感染が広がるのと同時に、「先天性梅毒」の赤ちゃんの出生も増加した[9] 。
症状
症状は4段階で観察され[21] 、先天性での発症も起こる。その多様な症例から、ウイリアム・オスラーから偽装の達人 ("the great imitator") と呼ばれた。例えば皮膚症状以外の症状として、「頭痛、脳腫瘍(の疑い)」「認知症」「飛蚊症・霧視」「ラムゼイ・ハント症候群(の疑い)」「難聴」「大動脈瘤破裂」「左側腹部痛」「胃潰瘍(の疑い)」「急性肝炎」「ネフローゼ」「悪性リンパ腫(の疑い)」などが報告されている[16] [26] 。
第1期と第2期が感染しやすく、感染後約1週間から13週間で発症する。現代においては先進国では、抗生物質の発達により、第3期、第4期に進行することはほとんどなく、死亡する例は稀である。第1期梅毒の最初の数週間は抗体発生前で、検査において陽性を示さない。また、第1期と第2期の症状が全く出ないこともあるので、注意が必要である。
腸管梅毒 Toreponema pallidum (IHC)
第1期
感染後3週間 - 3か月の状態。トレポネーマが侵入した部位(陰部、口唇部、口腔内)に塊(無痛性の硬結で膿を出すようになり、これを硬性下疳と言う)を生じる。塊はすぐ消えるが、稀に潰瘍となる。また、股の付け根の部分(鼠径部)のリンパ節が腫れ、これを横痃(おうげん)という。6週間を超えるとワッセルマン反応等の梅毒検査で陽性反応が出るようになる。
第2期
感染後3か月 - 3年の状態。全身のリンパ節が腫れる他に、発熱、倦怠感、関節痛などの症状がでる場合がある。
バラ疹と呼ばれる特徴的な全身性発疹が現れることがある。赤い目立つ発疹が手足の裏から全身に広がり、顔面にも現れる。特に手掌、足底に小さい紅斑が多発し、皮がめくれた場合は特徴的である。治療しなくても1か月で消失するが、抗生物質で治療しない限りトレポネーマは体内に残っている。
腸管梅毒(肛門部) Traponema pallidum (IHC)
潜伏期
前期潜伏期:第2期の症状が消えるとともに始まる。潜伏期が始まってからの2年から3年間は、第2期の症状を再発する場合がある。
後期潜伏期:不顕性感染の期間で数年から数十年経過する場合もあるが、この期間は感染力を持たない。
第3期
感染後3 - 10年の状態。皮膚や筋肉、骨などにゴムのような腫瘍(ゴム腫)が発生する。(医療の発達した現代では、このような症例をみることは稀である)
第4期
感染後10年以降の状態。多くの臓器に腫瘍が発生したり、脳、脊髄、神経を侵されて麻痺性痴呆、脊髄瘻を起こしたりして(脳(脊髄)梅毒、脳梅)、死亡する。現在は稀である。
日本の江戸時代に相当する遺跡からは、梅毒に罹患していた第3期以降の所見を持つ人骨が出土している。
初期梅毒の感染性
Schober PC(英国)らは、梅毒の感染性という論文で、初期の梅毒患者のパートナーを精査した[27] 。ホモセクシュアルでは49%、ヘテロセクシュアルでは58%が感染していたという結論である。このYear Book の編集者は全員に感染しないのは、露出の程度が異なるからだろうとコメントした。
先天性梅毒
先天性梅毒は、妊娠中胎盤を通じ、または出産時に産道を介して感染する症例である。感染した幼児の2 ⁄3 は症状が現れない状態で産まれてくる。生後数年で、一般的に、肝臓、脾臓の増大、発疹、発熱、神経梅毒、肺炎といった症状が現れる。治療がなされない場合、鞍鼻変形、ヒグメナキス徴候、剣状脛、クラットン関節といわれる後期先天性梅毒の症状が現れる[4] 。
予防
性感染症である梅毒は、性交や性交類似行為をしない(NO SEX)、不特定多数(その中に感染者が含まれている確率がゼロではないため)との性行為の自粛、またコンドームの着用により、病原菌の人体間の移動を阻止することで、感染を防ぐことが可能である(参考:セーファーセックス)。無論100%回避できるわけではなく、またキスによる感染、オーラルセックスでの感染は、防ぐことができない。
検査
STS (Serologic test for syphilis)(ウシ脂質抗原を使う、ガラス板法、RPR、カード法、緒方法、定量法がある)と梅毒トレポネーマ抗原を使うもの(TPHA法、FTA-ABS法)の2種ある。
注意すべきことは、STSは治療後陰性化するが、TPHAは陰性化しない。感染直後はIgMを使うFTA-ABSが陽性になる。
STS陽性でも、生物学的偽陽性(他の疾患で陽性になる)があり、TPHA陽性でも治療が必要ない場合もあり、主治医によく判定を求めること。High responderもある。十分治療した場合、普通その後の治療は必要ない。
男性の場合は泌尿器科・性病科、皮膚科、女性の場合は産婦人科、皮膚科、性病科を受診。
患者に伝染させたと思われる人も、梅毒の検査とエイズの検査を受けるべきである。保健所であれば無料、かつ匿名で検査が行える。
治療
日本国外ではペニシリンGの筋注単回投与であるが、日本国内ではペニシリンGが使用できない為、ペニシリン系の抗菌薬を複数回投与して治療を行う。キノロン系抗菌薬は用いられない。投与期間は第1期で2〜4週間、第2期では4〜8週間、第3期以降は8〜12週間[28] [29] 。ただし、ペニシリン系抗菌薬に対してアレルギーがあるなどといった理由で使用不能の場合などは、梅毒トレポネーマに対して静菌的に作用する抗菌薬ながら、テトラサイクリン系のミノサイクリンや、マクロライド系のアセチルスピラマイシンなどを使用する[30] 。しかし、ペニシリン耐性は無いとされているがマクロライド耐性が報告されている[23] [31] 。胎児(母体)に対し、エリスロマイシンを使用した場合には、新生児は出産後改めて治療する必要がある。なお、感染してから1年以内の梅毒を治療した場合、治療初期に38度台の高熱が出ることがある(ヤーリッシュ・ヘルクスハイマー反応)。菌が一気に死滅するための反応熱であり、初回治療の場合は、病院でしばらく観察する必要がある。かつて、クロラムフェニコールが使用されたが、副作用が強いため現在では使用されない。
かつての療法
現在では使用されない治療法として、ヨードチンキ、水銀製剤、蒼鉛製剤などが存在した[32] 。例えば16世紀ヨーロッパでは蒸気の吸入や軟膏の塗抹などによる水銀療法が用いられた。これにより多くの水銀中毒が出たため、水銀療法肯定派 (mercurialist) と否定派の間での論争が行われた。梅毒の水銀療法は清や日本でも行われ、日本では杉田玄白やシーボルトらが記載している。水銀療法によって水銀中毒となった者には土茯苓を服用させ、解毒を試みた[33] [34] 。
ヒ素剤であるサルバルサン[35] は1910年に発見され、副作用も強かったが「魔法の弾丸」ともてはやされて1940年代まで使われていた。
変わったものでは、高熱に弱い梅毒トレポネーマの性質を利用して、梅毒患者を意図的にマラリアに感染させて高熱を出させ、体内の梅毒トレポネーマの死滅を確認した後にキニーネを投与してマラリア原虫を死滅させるという荒っぽい療法も行われていた。この治療法はサルバルサンの効かない第4期患者にも有効であったため、最後の手段として用いられていた。ただし、この療法も危険度が高いため、抗生物質が普及した現在では行われていない。
歴史
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ヨーロッパ
ヨーロッパにおける歴史については「梅毒の歴史」を参照
梅毒に罹患した患者に関する最古のメディカルイラストレーション(ウィーン, 1498年)
梅毒が歴史上に突発的に現れたのは15世紀末であり、そのため本病の由来については諸説ある。
梅毒は15世紀以前から旧世界(ヨーロッパ、アジア、アフリカなど)に存在していたとする説。古い法令に梅毒に関するものがあるなどとするが、本病による病変を示す人骨等の具体的資料は無く、支持者はほとんどいない。
梅毒は、症状が非常に軽い状態で旧世界に古くからあったとする説。現在でも熱帯地方を中心に、皮膚に白斑が生じる程度の「ピンタ」、潰瘍を生じる「ヨーズ」など軽症のものがあるが、これらは梅毒トレポネーマにより起こることから、旧石器時代(1万2000年以前)にピンタかヨーズが発生し、人類の間に広がり、15世紀末にヨーロッパでトレポネーマに変異が起きて梅毒が生じたとする。
クリストファー・コロンブスの率いた探検隊員がアメリカ上陸時に原住民女性と交わって感染してヨーロッパに持ち帰り(コロンブス交換)、以後、世界に蔓延したとする説[36] 。コロンブスの帰国から梅毒の初発までの期間が短いという難点があるが、アメリカでも古い原住民の骨に梅毒の症状がある例が発見されており、また例えば日本でも、コロンブス以前の人骨には梅毒による病変が全く見つかっていないなど証拠は多く、最も有力な説とされている。
旧ソビエト連邦の学者により唱えられた説では、梅毒はアメリカ大陸起源ではあるが、ベーリング海峡を渡ってシベリア経由でヨーロッパに入ったとするものもある。原因は、ベーリング海峡を通して両地域の住民の交流があったためである。
1494年からのイタリア戦争で、フランス軍の傭兵にスペイン人がおり、そこからフランス軍がイタリアに進駐すると、ナポリで梅毒が暴発し、フランス人は「ナポリ病」、イタリア人は「フランス病」と呼びあった。ルネサンス時代は戦乱に明け暮れていた時代でもあり、売春が隆盛をきわめていた[37] 。
中国
中国では1500年前後に流行した。『本草綱目』には「楊梅瘡」および「楊梅毒瘡」の名で現れ、「弘治・正徳の間に広まった」「近年、好淫の人は多くこの病気にかかる」「古くはこの病気はなかったが、嶺表(広東)から四方に広まった」などの記載が見られる[38] 。
琉球王国
日本で流行する前に琉球王国、とくにその花柳界で大流行した。琉球花柳界においては、梅毒患者のことを“ふるっちゅ”(古くからいる人)と呼び、古血(ふるじ)は梅毒を意味する言葉となった。
日本
日本へは1512年に記録上に初めて登場している[39] 。交通の未発達な時代にもかかわらず、コロンブスによるヨーロッパへの伝播からわずか20年でほぼ地球を一周したことになる。
戦国時代から江戸時代初期の著名人では、加藤清正、結城秀康(徳川家康の次男)、前田利長、浅野幸長などが梅毒で死亡したとみられている。本病が性感染症であることは古くから経験的に知られ、徳川家康は遊女(娼婦)に接することを自ら戒めていた。江戸の一般庶民への梅毒感染率は実に50%であったとも推測される[40] 。
抗生物質のない時代は確実な治療法はなく、多くの死者を出した。慢性化して障害を抱えたまま苦しむ者も多かったが、現在ではペニシリンなどの抗生物質が発見され、早期に治療すれば全快する。
昔は鼻部の軟骨炎のために鞍鼻(あんび)や鼻の欠損になることがあり、川柳などに詠われていた。江戸時代の夜鷹などには『鼻欠け』が多かったので、川柳にも「鷹の名にお花お千代はきつい事」があった。“お花お千代”とは“お鼻落ちよ”に掛けた。
同様の症状を呈するハンセン病と同一視されていた時期がある。ハンセン病を患ったダミアン神父も、梅毒と誤認されて姦通の嫌疑を受けた。
日本語の「梅毒」という呼称については、この病気によって生じる瘡が楊梅(ヤマモモ)の果実に似ていたため「楊梅瘡」と呼ばれていたが、これが時代とともに変化したとする説がある。
タスキギー実験
詳細は「タスキギー梅毒実験」を参照
タスキーギ梅毒実験は、1932年から1972年にかけて、アメリカ合衆国アラバマ州のタスキーギで黒人梅毒患者を対象に行われた人体実験。600人の被験者が参加しており、うち400人は告知されることなく梅毒に感染させられ、治療されないまま経過観察と死後の生体解剖の対象となった。この実験は、1941年にペニシリンの有効性が確認されて以降も継続された[41] [42] 。被験者の多くは教育水準の低い貧しい小作人であり[43] 、温かい昼食や移動費、埋葬費用などの見返りにより集められていた。
1972年に実験の存在が発覚すると、人権を無視した人体実験であるとして、連邦議会に調査委員会が設置された[44] 。この時設置された「タスキーギ梅毒研究特別委員会」は、1973年の最終報告書において、この実験は「反倫理的で正当化できない行為」であるとしている[45] 。
その後、1997年5月16日、当時の大統領であるビル・クリントンより、「非人間的で残酷極まりない間違った行動」であったと正式に謝罪がなされた[46] 。
関連法規
感染症法における取り扱い
五類感染症全数把握疾患
保健所に届け出が必要である
梅毒に罹患した歴史上の人物
近代医学による確定診断をしていない人物を含んでいる[47] 。
結城秀康
生月鯨太左衛門
大川周明
フランツ・シューベルト
ロベルト・シューマン
フリードリヒ・ニーチェ
ベドルジハ・スメタナ
エドゥアール・マネ
フーゴ・ヴォルフ(これには反対意見がある)
フレデリック・ディーリアス
アル・カポネ
モーリス・ガムラン
ランドルフ・チャーチル (1849-1895)
ギ・ド・モーパッサン
ローレンス・オリファント
美幾:日本で最初の献体者(特志解剖)
シャルル・ボードレール
関連作品
『カンディード』 - ヴォルテールの作品。楽天主義のパングロス博士が梅毒に罹り、片目片耳を失い、「個々の不幸が多ければ多いほど、すべては善」という。
芥川龍之介『南京の基督』
黒澤明『静かなる決闘』(1949年) - 菊田一夫の戯曲『堕胎医』が原作。主人公の医師「藤崎」(三船敏郎)が、大戦中に野戦病院での執刀中の怪我にて梅毒に感染するところから物語が始まる。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、梅毒 に関するカテゴリがあります。
性感染症
森林梅毒
マラリア
ペニシリン
サルバルサン
ワッセルマン反応
皮膚科学
陰部腫瘍
野口英世
パウル・エールリヒ(サルバルサンを開発した医学博士)
秦佐八郎(サルバルサンを開発した医学博士)
ユリウス・ワーグナー=ヤウレック(マラリアに意図的に感染させる治療法を発見)
出典
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参考文献
クロード・ケテル著『梅毒の歴史』(LE MAL DE NAPLES) 藤原書店。ISBN 4-89434-045-3
外部リンク
梅毒とは - 国立感染症研究所
梅毒 - MSDマニュアル プロフェッショナル版