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出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2015/03/07 07:33:59」(JST)
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宇田川 玄随(うだがわ げんずい、宝暦5年12月27日(1756年1月28日) - 寛政9年12月18日(1798年2月3日))は医学者、蘭学者。名は晋、字は明卿、号は槐園(かいえん)または東海(とうかい)。代々江戸詰の津山藩医を勤める家系に生まれる。元来は漢方医であったが、杉田玄白・前野良沢らと交流するうちに蘭学へと転向する。宇田川玄真は養子。墓所は泰安寺(岡山県津山市)。
§著作
- 『西説内科撰要』-ヨハネス・デ・ゴルテル著の『簡明内科書』の訳書で日本初の内科書。
- 『遠西草木略』
- 『東西病考』
- 『ハルマ和解』-編纂に参加・協力した。
§関連項目
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Japanese Journal
- 宇田川家の人々が現代科学へ残した大きな足跡(1)西洋の解剖学訳述書『解体新書』は知っている.では西洋の内科学書は誰が訳述?
- 江戸時代のオランダ語研究における「助語・助詞」 : 宇田川玄随『蘭訳弁髦』・中野柳圃『助詞考』を中心に(大輪靖宏教授退休記念号)
Related Links
- 宇田川玄随 うだがわ-げんずい 1756 * -1798 * 江戸時代中期-後期の蘭学者,医師。宝暦5年12月27日生まれ。宇田川道紀(みちのり)の長男。美作(みまさか)(岡山県)津山藩医。桂川甫周(ほしゅう),杉田玄白,前野良沢(りょうたく)らにまなぶ。
- 宇田川玄随肖像 大槻玄沢筆 (岡山県立博物館蔵) 画像等の無断複製・転載・改変・放送等は禁じられています。 わが国における本格的な洋学は明和八年(1771)に杉田玄白や前野良沢によって 腑分け(解剖)が行なわれ、安永三年 ...
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