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出典(authority):フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「2016/06/24 00:49:16」(JST)
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ノーベル賞受賞者 |
受賞年:1948年 |
受賞部門:ノーベル化学賞 |
受賞理由:電気泳動装置の考案および血清タンパクの複合性に関する研究 |
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ウィルヘルム・ティセリウス(Arne Wilhelm Kaurin Tiselius,1902年8月10日 – 1971年10月29日)は、スウェーデン王国ストックホルム出身の生化学者。
生涯
早くに父をなくして家族とともにイェーテボリに移り、教育を受けた。ギムナジウムを1921年に卒業し、ウプサラ大学に入学し、化学を専攻した。ウプサラ大学で1925年からスヴェドベリの助手を務め、1930年にタンパク質の電気泳動法に関する研究によって博士号を取得。それから1935年までゼオライトにおける主成分の吸着と脱離に関するいくつかの論文を発表した。そしてこの研究によってプリンストン高等研究所でロックフェラー財団の研究奨励金を受けた。その後ウプサラ大学へと戻ってからは物理学的な手法を用いてタンパク質の生化学的な問題について研究し、電気泳動法をより綿密なものとした。
第二次世界大戦後の1948年に電気泳動の研究等でノーベル化学賞を受賞。その後スウェーデン化学界の発展に尽力し、1951年から1955年まで国際純正・応用化学連合の理事長を務めた。1957年王立協会外国人会員選出。1955年フランクリン・メダル、1961年パウル・カラー・ゴールドメダル受賞。
ウプサラで没。
出典
- Arne Tiselius - Biographical
ノーベル化学賞受賞者 |
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- テオドール・スヴェドベリ (1926)
- ハインリッヒ・ヴィーラント (1927)
- アドルフ・ヴィンダウス (1928)
- アーサー・ハーデン (1929)
- ハンス・フィッシャー (1930)
- カール・ボッシュ / フリードリッヒ・ベルギウス (1931)
- アーヴィング・ラングミュア (1932)
- ハロルド・ユーリー (1934)
- フレデリック・ジョリオ=キュリー (1935)
- ピーター・デバイ (1936)
- ウォルター・ハース / パウル・カラー (1937)
- リヒャルト・クーン (1938)
- アドルフ・ブーテナント / レオポルト・ルジチカ (1939)
- ゲオルク・ド・ヘヴェシー (1943)
- オットー・ハーン (1944)
- アルトゥーリ・ヴィルタネン (1945)
- ジェームズ・サムナー / ジョン・ノースロップ / ウェンデル・スタンリー (1946)
- ロバート・ロビンソン (1947)
- ウィルヘルム・ティセリウス (1948)
- ウイリアム・ジオーク (1949)
- オットー・ディールス / クルト・アルダー (1950)
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1901年 - 1925年 | 1926年 - 1950年 | 1951年 - 1975年 | 1976年 - 2000年 | 2001年 - 2025年 |
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典拠管理 |
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Japanese Journal
- ノーベル賞からみた免疫学入門(2)免疫化学の発展(第7話)血清タンパク質の分離--ティセリウスの業績
- アルネ・ティセリウス A.W.K.Tiselius,前ノーベル財団総裁 〔生化学者〕(プロフィール-23-)
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